ていうか、やっぱ考えれば考えるほど強引すぎ
普通、無二が死んでから引き継いだって情報があったなら、小倉碑文にもそう書くだろ。

あの小倉碑文だけで自然に「無二が死んでいて 家業を受けた。」なんて理解できる人間いないぞ。
誰もそう読めないから『武州傳来記』『武公傳』『二天記』『兵法先師伝記』 に無二と武蔵の話があるんだろ。

なぜ『泊神社棟札』だけで『慶長18年日記』『沼田家記』『平姓杉原氏御系図附言』『武州傳来記』『武公傳』『二天記』『兵法先師伝記』
の全部を否定できるのかよくわからん。

というか棟札作ったとき伊織が事実誤認してただけじゃないの?
伊織は無二とは当然会ってない訳だし。
で、一年後碑文作るときには何らかの情報得て事実誤認がわかった。それだけじゃね?