天皇って戦国時代どうやって暮らしてたの?
>77
信秀のその献金って、
興福寺の多聞院英俊に「不思儀の大営か」と書き残されてたけど、
尾張半国程度が勢力範囲だった信秀が、
西国の雄で比較にならない国力を持つ大内・毛利氏をはるかに上回る額を献金してきたのだから、
「ありえなーい」なんて書かれるのも無理はない。
だが、そこで考えてみると、比較的裕福とはいえ、たかだか半国程度の領主がそれだけの献金が出来たのであれば、
他の諸勢力も、少なくとも同じくらいは捻出できたのではないか?
ところが、実際には1000貫を越すことさえ極めて異例だった。
これは、「経済的な理由で出せない」のではなく、「出さない」「出す気がない」ということではないかと。
そうしてみると、当時の民衆はおろか、中央・地方の有力大名、知識人が
果たしてどの程度、朝廷に対して崇敬の念を抱いていたのか、はなはだ怪しい。
だいたい、大名が本気で尊皇とか言い出すのであれば、まず自分の領国にある、朝廷の荘園を返還するのが筋ってモンであろう。
ところが、実際には、朝廷から「領国にある荘園のうち、○×の分の貢租を納めよ」と、催促されてから
ようやく「その年に請求された分の」貢租を一度納めればまだましなほうで、
実質勅命を無視することも多々あった。
もちろん、所領の管理については、実質的に土地の権利を持っているのは土着化した家臣団であり、
その家臣団に対して決して専制的に絶対権力を振るえたわけではないから、
という理由付けは出来るが、
それこそが、
朝廷への奉仕より領国の統治の安定のほうが重要だった、
ということではないか。
だから、当時の朝廷は生活に相当苦労しただろう。
ただでさえあてになる収入が見込めないのに、「朝廷」である以上その格式を守るためには何かと物入りである。
「格式」のためにも、うかつに「倹約」なんざできやしない。
外遊のときだけ体調が回復するヒトとは苦労の次元が違いすぎる、いろいろな意味で。 最後の一行は蛇足だな。
内容の是非ではなく、板的に。 天皇って10万石しか持ってなかったってホント?小名クラスじゃん それは江戸期の話で(詳しくないので詳細は知らないですが)、
戦国期は、禁裏料所からの年貢が途絶えがちだったと思いますが
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广'i、ァ ゙゙‐'‐'" : ::: ゚"ー'″ .|i、 侵略戦争の責任を取ってもらわんとのう
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.'fi,;゙l;ヒ : : ;: :":・lll゙l,.'l・!° |′ だからA級戦犯は「極悪人」でないといけない
゙'!,,,い: ,‐ .,!.gl,,|i,,j,,\ .,l゙ 極悪人を祀った靖国には行けない
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ll, ゜,,l゙`:;,,,,l,ll,,、.゚ト.,,i´ それが私の心だ
,,,i'llr゚''ri,,,,,_ : : : : _,r°
,,,iilllli,゙h,、`゚゙゙゙lllllllllilllllll"】 >>108
ものをよく知らない人間の感想
というか、オートでしかAAつくれないやつがネタ作ってる時点でさむい
それを平気で転載する奴もさむい 和歌とか書いたのを売ったりして小銭稼いでたとなんかに書いてあった。 あと、言葉は悪いが、人身売買も大きな収入源だった。
いや、その、言葉が悪いけど・・・。
寺に子供を出家させて、寺に格式を与えて、その見返りで、寄付を受けていた。 >>112
公卿だと、娘を地方の有力大名に嫁がせて、そこから仕送りを貰ってたケースも
あったとか。
織豊政権の間は地方の荘園を取り戻してもらったり、献金してもらったりと比較的
生活が立て直されるも、徳川時代以降はまた貧乏に逆戻り。おまけに紫衣事件を
始めとする屈辱的な事件が続発。 江戸時代だと公卿の娘は大名の側室に入ってたね
戦国時代でもだっけか? てか、戦国に限らずなんだけど
天皇が大体的に国民に宣伝されたのは明治だよね??
それ以前は国民は天皇の存在を知ってたの??
知ってたにしても忠誠心はあったのかな 明治になって将軍家とは別のシンボルとして天皇を持ち出したわけだが
庶民には天皇って誰?レベルだったので民間に信仰されてた神社の
総元締めが天照大神で、その子孫が天皇だって説明したって話だが・・・
>>121
よくわからんけど一番偉い人がいるらしいってのが案外虚像が膨らむってもんよ
知らないからこそ悪いイメージがつかないからな
あと農民レベルは誰も知らない、ってのはありえないよ
建前としては千年以上変わらないんだから、もう伝承のレベル
ちょっくら戦国大名の興亡なんかよりよっぽど根付いているよ
畑を耕して、飯食って、セックスして寝るだけ
こんなに何にもない時代に他にどんな事に興味を持つんだよ 9世紀に五衛府の官職が農民に売官されまくったことがある
官位大系はその最上位に帝を据えているわけだから少なくともこの時期の上級農民には
帝の存在は認識されてたわけだ あと戦国時代でも京洛の町人のなかに地下の位階や職式を帯びるものが出てくる
魚屋の初位とかね 将軍殺しは多々あったけど天皇殺しは流石に誰もやらなかったからな
そこが日本と中国の違いだよね。
崇峻天皇はどうなんだ
安徳天皇もどうなんだ
後南朝はまあいいか
孝明天皇もかなり怪しいぞ >>122
飽食で医療設備の整った現代人にはぴんと来ないが
食うことと生き残れることが一番の興味だよ。
>>128
崇峻天皇のあたりまで遡る必要があるというのが特異だと思うが。安徳天皇は
殺害とはちょっと違うと思う。後南朝は、自天王は天皇ではないでしょ。
>>129
人はそれだけでは生きていけんよ。
貧しくても歌を詠む人間がいる。 それと実は著名な人でもわざと名を残さずに書いた
いわば匿名希望なんて人も居たって話だが・・・ >>19
天照大神信仰自体が奈良時代にできたんじゃないの?
太陽神信仰ってどこの国でも大抵「男神」なのよ。それが日本の場合
女神になってる時点で怪しい。
北欧神話の太陽神ソールも女の子。
キリスト教改宗後は、これの代わりに「聖ルキア」が「光の乙女」として特別扱いの守護聖人に。
お祭りの日は12月13日。(←今日) あの時代の天皇の威光は民衆まで届いていたのだろうか?
例えば松永久秀が天皇を殺したとしたら、各地から袋たたきにあったりするのか? 極貧でも権力は衰えた幕府より上だったな。
改元に関しても早々に決めて、幕府の意向なんか無視だし。
改元後も旧元号を使ってた義輝公がお労しい。。。 誤解を恐れずに言えば天皇は時の権力者に日本統治の正当性を
与える機関にすぎない。それが外国人であってもだ。
戦後アメリカによる日本統治に力を貸したのは紛れもなく昭和天皇だし。
>>137
南北朝や持氏のように政治的な意味でわざと違う元号を使うならかっこいいけどな
義輝はたしかにとほほ過ぎる 山村や漁村には天皇から発給されたという近世の偽文書が結構ある。
天皇の直轄民としてその地域での森林伐採権や魚漁業権、狩猟権、採掘権などを認めたもの。
これを調べ、中近世の庶民にけっこう天皇の権威が及んでいたと誰かがなんかの本に書いていたね。 戦国の極貧が、江戸期の逼塞を耐えさせる土台になったのかな、と思ってしまう まあ、即位の儀式を執り行う金がなくて延長に延長を重ねたり、
落書きだらけのボロ塀や雨漏りのする御所で過ごすことを思えば、
締め付けられていても、
ちゃんとした場所に住めて、ちゃんと儀式は執り行える方がいいと思えるんじゃね? >>63
江戸時代だと屋台の蕎麦1杯が16文
現代の貨幣価値だとまぁ16文=300円くらいだろうか
これだと4千貫で7500万円
通常は1文=25円(屋台蕎麦=ファストフードが400円)とされるがそれだと1億
売春婦は一番安いのが24文(1文25円で600円、18.75円で450円)
どっちにしろ激安
人間の値段が安かったんだな
100貫で188万〜250万円、20貫だと38万〜50万円
信秀以外の大名はご祝儀程度だな
やる気ない
20万貫の大名(小田原征伐後の佐竹程度)で年収37億円
太閤検地の常陸と尾張の石高は大差ないから
勝幡織田家の国家予算は傘下の小領主分込みで年20億くらいか
そっから7500万〜1億円の拠出(下心あり)を高いとみるか
40万〜250万円しか出さない他の守護クラスの大名がセコイとみるか >>146
米価換算・物価換算どっちで算出してる?
どちらを採用するかでかなり差が出る。 >>145
明らかにマシだよね
あとは後水尾をどう説明するかだな 後水尾の場合は、紫衣事件で激怒したんだから
朝廷も勝手に与えさせないとくれば、怒るのも当然
その後はそれにも馴れてしまうわけだが 本能寺の時に、親王が切腹を覚悟したらしいね。
皇族が切腹の作法を心得ていたかは分からないけど。 「首つり」つうのもあるわな
大友皇子とか長屋王とか(古過ぎか) 「絶食」は淡路廃帝・早良親王・順徳院など
淡路廃帝は逃げようとして弓で射られて殺逆されたともいわれるが。 赤松の残党ごときに無様にも首を取られたのが二人もいるが その二人は公式メンバーじゃないから
って、厨にはお触り禁止だっけ 天皇家は「利用されるだけの存在」
大名は敬意じゃなくて「利用価値があるから」献金したんでしょう
今も昔も一緒ですな >>157
ほう、いまの学会には公式メンバーという定義でも存在するんか
kwsk聞かせてくれ 仮に信長包囲に成功した浅井朝倉が
天皇の停戦命令に従わなかったらどうなってたかね 信長に「天子様の命に背く逆賊」として浅井朝倉を討伐する理由が出来るかと。
畿内周辺じゃボンビーとはいえ天子様の威光はそれなりにある。 「よく分からんけど天皇は偉い」
この言葉に天皇家が千数百年も命脈を保ちえた秘密が隠されているね >>162
信長に理由ができるって言い方じゃ言葉足らず過ぎる。
浅井・朝倉を討つのが天子様公認の大義名分になるから信長以外からも狙われることになる。
場合によってはお家の中から謀反が起きる可能性もあがる。 〉〉163
あれだな「よくわからん」が最大のポイント
それがなけりゃ天皇家なんざなくなってた
中華の皇帝は奪い奪われだったのにな。
なぜ日本の神聖君主はあれほど不可侵を保てたのだろうか・・・ 古代ですら既に神輿的存在だもんね、天皇家は。
早い時期に「滅ぼす価値」がなくなったことは大きいと思う。
滅ぼさなくても天下の実権を握れるなら、わざわざ滅ぼす必要は無い。
しかも天皇家の歴史が長くなればなるほど、益々滅ぼしにくい。 よく街中に取り残された神社や寺があるじゃない。
ああいう感じで、なんかようわからんけど
積極的に潰しちゃうのはあれだし
とりあえずそのままにして置いとこか
みたいな感じジャマイカ。
いつか使うかも知れないから、としまってある日ごろ使わないものほど
なぜかいつまでも行方不明にもゴミにもならず手元に残り続けるのと
同じようなもんか。 日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴でもある、今も昔も。
いわば日本上流社会の権威そのものだったわけだ。 上流と金持ちが必ずしも一致しない、と思えばいいな。 現代日本でも天皇家より事務次官経験天下り官僚の方がいい暮らししてるしな。 >>173
朝から晩まで”まつりごと”にいそしんでそれ以外の時間は国の仕事に追われてるんだから
相当な激務ではあると思う。
暦以外に管理してたものってある? 元号は違うんだっけ? 鎌倉で権威失墜してからは、ただのお飾り
明治・昭和ですらお飾り
鎌倉以前には国民放置で好き勝手やってたんだから当然と言えば当然 権威というか権力な
権威づけにはいつの時代でも利用されてる
建武の新政で一時期高騰したが
完全に武家の信頼そこなっちゃったから
もうほんとお飾り
>>174
天下り組は暇なんだろ?
年号改元の情報って、どうやって地方まで流れてたんだろう。
伊勢暦って江戸時代からみたいだし。
干支で暦を記す事も多かったようだし、生きていくだけなら不要不急の情報だし、
辺境まで情報が届いたころには、京ではまた改元なんてこともありそう。 天下る前に事務次官まで行かなきゃならんならそりゃ激務だろう。 あと、初期の武家政権を作ったのが
平氏と源氏でどちらも天皇の分家てのが大きかったと思う
天皇の血を引く名家ってのが売りで
本家の天皇をやたらに蔑ろにする訳にもいかない。
でその配下になることによって天皇とは無関係だった独立系の武士も
天皇中心の上下関係に組み込まれちゃって
天皇なんて関係ねーよなんて言える武力集団が消滅した
IFだが安倍氏が源氏の攻撃を跳ね返して東北に独立王国を作ってたら
天皇の権威を否定する勢力が残って権威も大きく削がれたんではなかろうか。 アメリカ自由主義を受け入れるまで、儒教の封建精神と一緒に天皇マンセーしてたのが現実。
中国も皇帝制度から抜けられずにマルクスの思想と全然違う封建共産主義。 >>183
滞りもあったがある程度所領からの収入があった
あとは大名からの献金 儀礼関係は足利将軍家が支えていたようだから、足利が力を失うと大葬も大嘗祭もできなくなった
先帝の葬儀は出来ない、自分の大嘗会も出来ない、と歴代鬱憤は相当たまっていたでしょうね 所領からの収入が激減し、室町幕府の献金も途絶え、即位も大葬も御所の修繕も出来なくなった
そこに献金し始めたのが大内毛利ら西国大名と織田朝倉ら、見返りは当然官位 どっちにしろ将軍は権威も無ければ経済力も無く中央をちょい治める
悪ガキ大将くらいの地位が無かったってことか…
天皇より将軍の惨めさがひどいなw 戦国はw(だから戦国なんだろうがw) 将軍家は、身内やら庶流やらなにやら、血統的にほとんど同格の氏族がごろごろいますからね。
足利氏自体、軍事力でのし上がった訳ですから、
力が衰えたら、地位が低下するのは致し方ないと・・・。
それにひきかえ、天皇家は軍事力はなくとも、権威は確保しています。 政治利用はされたけど かつてのように大名を利用して体制を変えるまでは考えなかったろうな。 性分にもよるんだろうけどな。後醍醐みたいのが出てくれば話は別。 後鳥羽院 後醍醐帝の失敗でおりたでしょ それに北朝は大人しいし。 家系の足しに直筆の書を売ってたというが
そもそも買う人がいなければ意味が無いわけで
それなりの地位としてはあったんだな
見向きもされなかったらその辺のおっさんと同じで
そんな奴の書いた書なんてわざわざ買わんだろうし