カメラで食っていこうと思う
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まずはカメラでジャガイモを潰して、ポテサラでもいいんじゃないか。
ちなみに俺は、玉葱が入ってるのが好きだわ カメラマンなんてもう古い
今旬なのはクラウドファウンディング乞食 昔テレビで自転車粉々にして食うおっさん出てたな、カメラもいけるんじゃね。味は知らんけど。 「カメラで」なので、カメラ自体を食べる話はスレ違いでは。 カメラで食っていこうと思うならフラッグシップ機がいいぞ。
カボチャ割ったり、肉を柔らかくするにはエントリー機では耐えられない 肉を柔らかくするなら古いフラッグシップで叩くといい
まだ、重いから
くるみ等を悪ならα7系ですかね
多分、カメラで食うの意味はこれだな 食材に合わせて切るカメラ。
肉や野菜を砕くカメラ。
発熱で熱を与えるカメラ。
盛り付け用カメラ。
沢山、あるだろ。 カメラで食うなら、レンズは立てて小皿として使えるぞ! カメラって…
それを言うなら写真あるいは映像
どちらもカメラやんw
日本語は正しく使おうな坊や
>>1 カメラをオカズにするのか
昔はスペック厨だったが、最近はなんでも美味しく頂ける 【何もしない人=授業中寝るか遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時なんかは人に尻拭いさせても平気な人間のクズで
"自称一生芸大志望"(笑)で所詮は口先だけの出来損ないwwwwwwwwww
『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています