【学生】卒業寸前に転校した方【別れ】
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僕は卒業四ヶ月前に北海道から転校、四国に引っ越しました。
当然転校など考えもせず友達とバカをやったりマジメに進学のことを
考えたりして過ごしていた自分にとって親からの「おい・・・転校するぞ」
はあまりにもショックで唖然としました。 とりあえず僕の第一声が「はい??まったまた・・ご冗談を・・」
もちろん自分では転校など考えもしなかったし絶対したくなかった。
親が真剣に言っていた言葉から逃げようとこう言ったのかも知れません。
俺「なにバカなこといってんだよ?卒業まであと少しだぞ??」
親父「しょうがないだろう・・・」
しばらく沈黙が続きました。もう自分では何を言っても親の負担になるだけだろうと理解するのに時間が必要だったから。 自分の家は・・・・普通じゃなかった。精神病の母をもち高学歴の父。
自分は昔虐待にあっていたのだという。母の病気がひどくなったとき
虐待を受けていたのだという。自分では・・・・思い出したくないから必死で何かに打ち込もうとした。
その反動か小さいころストレス性の肥満に陥っていた。母の病気も落ち着いてきた小学生六年のころ忘れもしないことがおきた。
一人馴れ馴れしいヤツと友達になった。ソイツは俺の肥満とかの改善点とかを話して、一緒に遊んで。
とにかく良い友達だった。そのおかげか中学2年の時には標準体型に戻りダイエットのため筋トレのおかげで筋肉質になった。
性格も改善され(元に戻ったというべきか)クラスの中でボケをかまして笑いを取れるような存在になっていた。
本当に知らず知らずのうちにそうなっていた。必然だったんだと思う。 学校祭もクラスのみんなと合唱の練習をバカみたいにやって
成績は下の中ぐらいだったけど最高に楽しくて面白い一年十ヶ月だった。
期末テスト二週間前に祭りに出かけたりしてカタ抜きがうまくできなくてみんな笑いあったりしたりして。 普通じゃない家に生まれても今が楽しくて、母の病気も回復していって
なにもかもが上り坂だった。そんなときに転校の話が持ち出された。
忘れかけた虐待のトラウマのおかげか自暴自棄に陥っていた。
普通じゃない家の転校は本当に普通じゃなかった。
母、妹、自分が先に四国に行ってから残った父が学校の住民票を移すという
転校の別れを惜しむ時間が無い転校の仕方だった。父に講義したかったがやめておいた。
自分が無茶を言っているのがよくわかっていたから。父はストレスで白髪が以上に増え、眼精疲労のため顔の筋肉がマヒしていたから。 転校の事実を聞かされ翌日学校を早退するように言われた。
なにも言わず了承した。翌日いつもなら授業を騒がしくボケを入れるところだったが
元気がなかった。いや、たぶん本能的になにかを感じ取っていたんだと思う。
早退するときのクラスメイトの「どした?帰るのか〜?」「つまんね〜。明日な〜」の言葉が辛かった。
家に帰ると本当に必要なものだけカバンにつめるように言われた。
衣類と、ペンと、すこしのお金、そして友達とオコノミヤキを作ったりしたり、札幌に買いに行ったナイフとメリケンサックをカバンにつめた。 カバンに荷物をつめたあと言われた言葉が
父「四国に行くぞ」
俺「転校・・かよ?」
父「そうだ」
無言で車に乗り込んだ。飛行機の都合で一日ホテルに泊まらなければならなかった。
そのとき、MSNメッセンジャーで・・・友達たちに、そして一番の親友にチャットで転校の事を伝えた。
家にはほとんどの荷物が置きっぱなしだった。PC、ハムスター、その他。
俺は親友に三つ頼みごとをした。
1つはハムスターを外に逃がしてやってほしいこと。
2つPCをもらっていってほしいこと
3つクラスのみんなに別れの言葉を伝言してほしいこと
ハムスターは四国の家では飼えないから。一番可愛がっていただけに辛かった。
だけどなにより辛かったのは自分の口から、自分の言葉でクラスに、別れを言えなかったこと。 四国に着き、携帯にたくさんメールが来た。読むのが、返信するのが辛かった。
一人一人に転校することを、詳細を伝えた。転校手続きが済むまで一ヶ月は自主的な学習と運動、地域周りしかできなかった。
自分はなにかに打ち込みたかった。忘れたかった。でも心のどこかで忘れちゃいけないと思っていたんだと思う。
学校に行き始めた。なれない学校だ。卒業が近いおかげか転校生をもの珍しそうに見に来る。
幸い生まれつき顔が怖いらしく(自分ではそうは思わないのだが坊主にするとヤクザに見えるらしい)
三日目には誰も見に来なくなった。一人になれた。一人の環境を望んでいたんだと思う。
特にすることもなく、授業を受け、帰宅の繰り返しをした。わめく女子の群れの近くに行くと勝手に道を空けられ自分が孤独であることを再認識する。
もともと悪いことはしなかったわけではなかった。むしろ結構したほうだった。 転校した学校は絵に描いたような中学生ばかりでドラマ化できるんじゃないかと思うほどさわやかな連中だかりだった。
そいつらにとって俺のしている悪いことは不良の基準を上回っているらしく学校では不良扱いされた。
「ちょ、殴られるよ!道空けなよ」「こわぁ・・・」女子生徒がすれ違いざまに言うこの言葉が自分を余計自暴自棄に、無口にさせた。
下級生や同級生とぶつかったりするたびに「すいません!」「ごめんなさい!」といわれある種の感情が芽生えた。
絶望に類似した不の感情だった。たとえることが出来ないドロドロとした感情だ。
学校ではなにもしゃべらなかった。しゃべる必要もしゃべりたくもなかった。 そんなとき、色紙が北海道から手続きで帰ってきた父から渡された。転校する前の学校のクラスメイトからだ。
色紙には「早く帰って来い」「お前はクラスのムードメーカーだ」などと書かれたいた。
そのとき自分は喜びが、いや、開き直ったのだろう。
「なにをかんがえている。北海道に戻るんだろ?」
その言葉が頭を循環した。次の瞬間、父に質問をぶつけていた。
俺「俺が北海道の大学に行きたいといったら行っていいかい?」
父「まだ高校も行ってないヤツが・・・まあそうだな。いいよ。」
俺に、打ち込むべき目標ができた瞬間だった。希望をもって親友にメールでそのことを伝えた。
親友は「ひとつ手土産をもってこいや」といっていた。
次の日、俺は北海道で進学するはずだった学校とおなじような高校を選んだ。
今二つの目標を持っている。将来北大に進学すること。
そして高校に無事合格してボクシングでスポーツ新聞にのって親友の手土産にすること。
そんな俺は今、テスト勉強をしています。
あなたにもそんな経験が、そんな別れはありませんか? 俺も君の話に夢中になった。頑張って!俺もなんか変われた気がするよ。 自分が言いたいのは自暴自棄になっても、どんなときでも友達が、親友のなにげない一言が
あなたの人生を、生き方を、希望を与えてくれるんだと思います。 >>15
お前の>>1-12の書き込み見ただけでも希望湧いてくるぞ。
ありがとう。マジでありがとう。 俺は小5のとき親の離婚で、関西→中国地方の某県に転校したんだけど、やっぱ慣れない土地にいきなり転校はつらいよな
家庭環境も最悪だし、学校はつまんないしで、ずっと悩んできたよ。
まず方言、ことばの違いがすげぇ違和感あってストレス貯まるし、都会→田舎の転校で、雰囲気も違う。
妙に閉鎖的だったり、出る杭は打たれるみたいなトコが田舎は強いから・・・
そんな悶々とした状況でとうとう高Bになった。
来年からは俺が進学するトコロが近い昔暮らしていた、街の近くで家族全員で暮らすらしい。親のヨリが戻ったみたいだ。
約7年間、小中高と悶々と過ごしてきたが、来年からは青春を取り戻すタメにいろいろ楽しみたいと思う。
1も北海道目指してガンバッテな! 両親が海外転勤。僕は親戚のいる家の近くに家を借りて一人暮らしを始めた。
朝、新しい学校への初登校。緩い坂を降り、交差点にさしかかった。すると・・・、ドンッ!
トーストをくわえた同年代の女の子が走ってきて、ぶつかってしまった。
「いてて〜、どこ見てあるいてんのよ!」
「なっ!おまえこそ交差点に走ってくるなんて危ないじゃないか!」
「とにかく私は急いでるの!遅刻遅刻〜!」
「あっ!おい!財布、落としたぞ!おーい!」
女の子は走り去ってしまった。
どうしよう・・・財布を警察に届けたいが、どこに行けばいいかもわからないし、僕も遅刻しそうだ。
とりあえず学校へ行って、帰りに届ければいいや。僕も学校へ急いだ。
遅刻ギリギリでセーフ。職員室へ行き、新しい担任の先生に挨拶した。若くて美人だ。先生と一緒に教室へ行った。
「みなさん、転校生を紹介します。今日からみなさんのクラスメートになる、○○○君です」
その時だった!
「あっ!ノロマ男!」「あっ!トースト女!」
声をあげて立ち上がった女は、今朝交差点でぶつかったトースト女だった!
「あら、あなたたち、もう知り合いなの〜?じゃ、○○○君はさやかさんの隣に座ってもらおうかしら」
「ええ〜っ!(二人)」
「なんであたしの隣があんたなのよっ!あんたのせいで財布なくしちゃったんだから!」
あっ。そうだった。僕は財布を取り出して彼女に渡した。
「あ・・・、拾っててくれたんだ・・・。あ、ありがとう・・・。はい、これ。あとで食べようと思ってたんだけど・・・。あんたが食べなさいよ」
彼女はカバンからポッキーを取り出して僕にくれた。
彼女は照れ屋なんだろう。これがせいいっぱいの感謝の表現なのだと思った。
しかし、顔がデビ夫人ににているので、かかわりたくない。
うちは今高二ですが中高一貫校で中一から知っている子が
今月親の都合でシンガポールへ転校するみたいでその子も
ドりンキーさんみたいに戸惑ってるんだろうな・・・ 俺じゃないいんですけど小4の時に転入してきた子がいて、その子に一目惚れ
しました。その頃はただ好きって言う事しか思い浮かばず、告白した時に
一番大事な言葉を忘れてしまいました。
『○○さん好きです……』
それだけで精一杯でした。
返事も何も付き合ってくれともいってなかったから、何も返事は来ませんでした
それから話す事がなく、俺はただ○○さんを見ていただけです。
そんなあるときそろばん塾に学校から真直ぐ行く途中に○○さんが後ろから
やってきて話をかけてくれました。
話だけじゃなくて一緒に帰ってくれました。
コレが○○さんと話した、最後です。
小6に上がる時のクラス替えで別のクラスになり、
塾もやめて、
話す機会がなくなってしまって、話せませんでした。
卒業式当日になぜか皆と違う制服を着ていて、○○さんと仲が良かった人に
何故?と聞いたら『違う中学校に行くんだって』そう告げられました。
その時は悲しい感情と虚しい感情がでてきて、言葉が出ませんでした。
○○さんにいえなかったことをここで言わせてください…
君と逢えてうれしかったよ……
一緒に歩いてくれてありがとう…
あとバイバイじゃ嫌だから……
またね…
やだ〜泣ける。うちの子も、こんな経験するのかな
今は2校目の小学生
次の転勤は中学生だ 私は小4の夏休みの時、父が病気になったので、大阪→長崎(父の実家)に引っ越しました。
その時は転校したという実感がありませんでした。父の病気が治れば大阪に帰れると思っていたからです。でも父は入院を何度も繰り返していたので、帰ることは無理だとわかりました。
私はワガママで下ネタが大好きな性格だったから、長崎の地元の人達と馴染めませんでした。そして寂しい思いを埋めるように、いつも大阪にいる友達のことばかり考えていました。 私は大阪にいた頃、年下の友達と遊んでいたから、下ネタを言っても気になりませんでした。でも地元の同級生と遊ぶようになって、下ネタやワガママを言った後は、かなり後悔しました。何故、自分はあんなに『ガキ』みたいなことを言ってしまったんだろうと……。
そして小6の夏休みに、父が亡くなりました……。 そして今度は、冬休みの最中に長崎→徳島(母の実家)に引っ越すことになりました。やっと地元の皆と馴染めて、卒業も近いのに、転校するのが悲しかったです。
徳島の学校に転校した後、今度は別のことで地元の奴と喧嘩して、孤立しました。前と同じように、長崎の友達のことばかり考えていました。
現在、私は高校一年生です。中2の時に母が…そして高校に入学して少しして、祖母も亡くなりました。今は、親戚の力を借りながら生活しています。
高校に入学してから、今までの経験を活かして、安定した学校生活を送っています。
もし長崎に転校していなかったら、きっと私は世間知らずのガキに育っていたでしょう。今にしてみれば、転校することは良い経験だと思います。
長文&意味不明でゴメンナサイm(__)m 私は今中三です。何日か前に転校しました。
前の学校では転校する事がよく分かっていなくて、実際転校為てみたら生活も日程も違うし、もちろんいつも一緒にいた友達もいませんでした。
どうしてお母さんに転校しても大丈夫なんて言ったんだろう、嫌だって言っておけば良かったといつもいつも後悔しています。
二年間も一緒にいたのに、一緒に卒業出来ないと思うと、とても辛いです。
こっちの学校では、奇数クラスの上、三年目なので、仲間に入りづらく、移動教室も一人で、皆の群れについていっているだけです。
こんなときに前の学校の友達の事を考えると涙が出てきます。
元の学校に凄く帰りたいです…
小五?位に転入してきた男の子に一目惚れして六年の修学旅行の前に告白した。その後またすぐ転校していった。
今23なんだけど、できるなら会いたい。
お父さんが自衛官だったから、きっと何回も転校してるんだろうな。 私は名古屋市に住む中二なのですが、今年の春に神奈川県に転勤する事に
なりました。前回の転勤は小6の2学期。また卒業前にかよ・・・と思いました。
今学校では一足早く修旅の話し合いをしているんです。
みんなが楽しくその話をしていても、私はただ単にその姿を見ることしか出来ず、
憂鬱な気分で残りの学校生活を送っています。 親が離婚して
自分転校して
離れてしまった親友にもういっかい会いたい・・・。
元気にしてるかな・・・。。
卒業寸前でもないけど
夏休み終わったら転校します。
中3だからいろいろ不安orz 最高の親友が小六で転校した。
それ聞いたのが小五のクリスマスのパーティで「マジかよ・・・」ってなった。
転校の話を聞いた時、親友の両親だけで、親友は俺の部屋で遊んでた。他にも友達はいた。
少し飲み物を飲もうと思った時に親友の両親に呼び止められた。
転校する時期六年後半で「転校しなくていいじゃん、せめて卒業終わってからでも・・・」って思ったけど確定事項らしかった。
親友は両親から転校の話は聞かされていたらしいけど、俺には直前に話すつもりだったんだろう。
実際に直前位に話した。
転校すると言われた時からしょっちゅう遊んだ。寝泊りもした。学校だっていつもはすんなり帰るのに、夕方まで残った。
夏位かな・・・夕日が差すころに
「俺、転校するんだ」
って凄く無理して笑ってそう俺に伝えたんだ。
「そっか、元気でな」
としか言えなかった。本当は転校して欲しくない。でも人には迷惑を掛けるなって教えられたから言わなかった。
俺が最初から、去年から知ってたって言ったらなんて答えたんだろうか
卒業式終わらせてから転校先に行けって言ってやりたかった
でも、言えなかった。から馬鹿は馬鹿らしく振舞った。親友も笑った
こんな日が続けば良かったのにと思った。
でも、転校した。
お別れ会の時に俺は家族の事情で他県に行ってた。(転校ではない)
だから親友に手紙を残した。
まぁ、親友とは今でも会ってんだがな
だけどな、その当時の担任が何かふざけてて軽い気持ちで、お別れ会の準備中に「ばーか」って言った。
馬鹿って言った俺も悪いけど担任がマジギレして
「お前は特別にお別れ会の準備をさせてやっているんだからな」とか言ってきた
まぁ、何も言い返せなかった訳だが、よく考えるとマジで糞で死ねって思った
それだけだったら死ねと思ったが
「皆と一緒に卒業したいんだよ」
とか泣きながら言ったくせして六年後半でうつ病になって休みまくり、さらに学校を辞めた。小学生と言えど進路選択の大事な時期に
矛盾してんだよ、この野郎
・・・スレチだったな、すまん 小6の時に転校しました。
そのころ神奈川県川崎市にある団地に住んでいて俺は3号棟に住んでいました。
2つ年上の団地の友達が2人いて小4の時にもうひとりと同級生の女子が転校してきました。
他にも4号棟の4人男兄弟とも遊びました。
一緒に野球をしたり遊戯王やデュエルマスターズで遊びました。(確かデュエマの方は大会も行った。)
やはり団地のいいところは年齢の差に関係なく遊べるところですね。
続きです。
ある日二つ上のDが転校しました。 まぁその友達は転校した後も遊びに来ていましたけどね。
理由は分かりませんでしたが 多分転勤です。
それに引き続いて俺も転校することになりました。
理由は団地の老朽化と親の仕事の都合でした。
俺は転校したくない 俺だけでもここに残る と言い張りました。
が現実は甘くありません。 転校が決まりました。
なかなかみんなに打ち明けられず向かいの方の棟にいる同い年で唯一親友と呼べるWに打ち明けました。
それからWと毎日のように遊んで知らない間に団地のみんなにも広がっていました。
しかし二つ上の友達はすでに中学1年生だったので部活などで忙しかったのか全然遊べなかったです。
でも同級生と一緒にゲームで遊んだり泊まったりもしました。
同い年の女子やその友達とも遊んだりもしました。
とても楽しい時間を過ごせました。
お別れ会は普通に行われてみんなが書いた寄せ書きをもらいました。 今でも大事にしています。
引越しの日は平日だったので誰も集まらなくて寂しかったです。
5年経った今でもみんなのこと忘れない。
たとえ十年 二十年経っても絶対に忘れません。
また会いたいです。 また遊びたいです。 俺の心はあのときで止まったままです。
長文&駄文失礼しました。 小学校は市街地中心部でそれが小学一年の夏、いきなり全くなじみのない隣の県へ引っ越す事になって、
よりにもよって農村部の小学校に転校。
で、こんどはベッドタウン化が進み人口増加のために別の所に小学校が新設。市の方針で強制的に二度目の小学校転校。
中学校も3年になろうというときに新設された別の中学に移動し、そこで卒業。
つーことで、卒業したのはなじみ薄い「新設校」。前の学校にそろそろ愛着がと思った瞬間に強制移動。
愛しの校舎?なにそれおいしい?
未だに懐かしく思えるのはまともに卒業できた高校と大学だけだわ。 22年程前ですが、
私は中学3年生の時いじめられていました
あの時、天理中学に転校していたら
人生変わっていたと思ってしまうのですが、
天理中学って寮がありますか?
当時中学最後の三ヶ月だけ詰所から通ったり出来ますか?
また小学生の時だと転校出来なかったでしょうか? 何故いじめて恥ずかちいことをしてしまうか分かりまちた僕ちんは体を使う仕事をしています。
頭が悪いから一生体を使う仕事をしないと行けません。ましなんで工場やお店の管理職になれるかです。生きているのが恥ずかしいです汗かいて帽子かぶって体使う仕事なんて世の中の底辺です
それに気付いて恥ずかしくなったから他の人をけなして自分より醜い人を作りたいのです
ボクみたいな「人をけなすのが楽しい」なんて恥ずかしい生き物が生きて居て良いのかな?生きて居て恥ずかしいよー
ボクなんかが生きていたらまわりに迷惑を掛けてしまう
死んだ方が世の中の為なのは分かっています
でも根性ないから自殺する勇気もありません
ボク見たいな体使う仕事なんて社会のゴミだからもっと下がいたら良いなと思って人の邪魔をしてしまう
恥ずかしいヨー
恥ずかしいヨー(〃д〃) 名前:大阪府三島郡島本町で壮絶なイジメを受けて廃人同様になった島本町民
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
名前:大阪府三島郡島本町で凄惨なイジメを受けて命からがら逃げ出した元島本町民
>>大阪府三島郡島本町で壮絶なイジメを受けて廃人同様になった島本町民さんの言う通りや
大阪府三島郡島本町で壮絶なイジメを受けて廃人同様になった島本町民さんも早う島本町から逃げ出す方がええで
大阪府三島郡島本町みたいな腐った町は陥没して地球上から消滅したらええんや
>>大阪府三島郡島本町で凄惨なイジメを受けて命からがら逃げ出した元島本町民さんへ
「20世紀少年」で、『ともだち』が人類を滅亡させようと企てたのも、小学生のときに受けた陰惨なイジメ(葬式ごっこ)が
原因だった。『大阪府三島郡島本町みたいな腐った町は陥没して地球上から消滅したらええんや』と思う気持ちはよく分かる。 >>18
最後で見事にぶち壊したなwww
転校は今まで経験ないからわかんねーが 辛い時は決意の朝にを聞きなさい「どうせならもうへたくそな夢をえがいていこうよ」
俺は友達いないから転校しても恥ずかしいだけでそれ以外なんとも思わなかったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています