【川崎】Jリーグ中継を語るスレ【横浜M】
1993年、Jリーグが開幕。その頃は毎節地上波での中継が必ずあった。
しかし、人気が低迷しだしたのと同時期に地上波での中継が減り、BSやCSでの放送がメインとなった。
そして、2002年以降は、フジとテレ朝ではリーグ戦の中継自体やらなくなってしまった。
現在では地上波(関東)では生中継がNHKとTBSが不定期で土日の昼間、日テレが深夜に緑メインの試合を放送する程度。
そんな毎節放送していた頃のJリーグ中継を語ってみましょう。
>>173
無観客除いて1部のリーグ戦で最低動員は1998年に神戸ー市原戦で記録した2091人。
当時神戸は神戸ユニバーで試合していた。 >>179
テレ朝中継の場合、サッカー通のタレントがゲスト出演することが多かった。
1996年の中継では副音声で清水圭のオフサイドトークってコーナーもあった。 今はなくなったが「オールスターサッカー」もテレ朝が中継してたな。
確か、「やべっちFC」が開始したころの新潟での開催だったか、
地デジの本放送開始のころに、矢部と当時テレ朝の前田有紀さん(今はフラワーアレンジャー)が
現地の放送席から副音声で放送していたのを記憶してる CS放送でのJリーグ中継
・当初はスポーツアイが全試合中継(うち生中継は1−2試合)
・1997年は1試合をCSN1ムービーチャンネルを利用した「Jスポーツ」枠で放送。
残りはGaora、スカイA他に販売
・1998年から旧Jスポーツで中継開始
・1999年、ディレクTV(サッカーテレビイレブン)で全試合放送
・2000年、ディレクTV廃止→スカパーに統合、Jスポーツとパーフェクトチョイスで全試合生中継
・2002年、TBSとサブライセンスを結び、TBSニュースバードで生中継(毎週1試合)
・2006年、TBSでのCS中継をTBSch1に移行
・2013年、大阪・朝日放送ともサブライセンスを結び、スカイAで毎週1試合生中継(J2も適宜放送)
・2017年、スカパーとの契約更新を結ばず、DAZNでのネット中継に移行
ということになるが、同じようにネット中継に特化したBリーグが、
スカパーにサブライセンスして、GAORAやスカイA、日テレジータス・ニュース24、
あと今年はやってないがJスポーツでも放送していたように、
JリーグもDAZNからサブライセンスしてもらえないものだろうか ところで、そのDAZNだが、事実上6月からスポナビライブと統合するらしいな。
https://www.softbank.jp/corp/group/sbm/news/press/2018/20180208_01/
僕は一応スポナビをスマホ会員で見る権利を持っているがJリーグは配信してない。
小沢一郎(といっても政治家ではなくスポーツライターだが)はスポナビがDAZNに統合される理由を
『権利元としての最低限の責任も放棄した』と糾弾されても致し方ない異常事態といってるそうだが、
やはりJリーグ中継の配信権利をスポナビが得られなかったことが大きなハンデとなったみたいだな どうせネット放送するのであれば、amazonプライムビデオでも配信すべきだな。
amazonプライムも一応僕加入しているが、映画とかエンタメが主だろ
スポーツコンテンツも充実させないとな >>183
Jの球宴はテレ朝独占。
今は野球の球宴がテレ朝独占。今年も全てテレ朝が中継。 >>183
やべっちが始まった時には既にテレ朝はリーグ戦中継から撤退している。 >>188
その当時の地上波でのテレビ中継はNHKとTBSが共同で放映権を持っていたが、
まともに全国放送していたのはNHK1で月1−2試合程度(ない月もある)だったよな。
TBSがまともに全国放送できたのは、確か2004年の第2ステージの仙台主催の試合
(鹿島戦か横浜M戦のどっちかだったと思う。8月ごろ)と、
当時あった年間チャンピオンシップの第1戦「横浜M対浦和@横浜国際」の2つしかなかった。
(本来は2002・03年もCSが予定されていたが、02年は磐田、03年は横浜Mが
前後期完全制覇してしまったため放送自体もおじゃんになった) >>189
2002/8/31 仙台-鹿島戦
これがTBSが現時点で最後のリーグ戦ナイトマッチを行った中継。
仙台はこの年が初J1。
初J1の最初の試合は仙台-東京V。
宮テレが中継したが、ヴェルディの親会社の日テレにはネットしなかった。 >>175
博多で試合したのは他に1994/5/18の横浜M-市原も。
この試合はTBSで放送。因みに裏の日テレでは槇原の完全試合を中継した日だ。 関東クラブの福岡遠征
まだアビスパも無かった頃の時代だね。
博多の森陸上競技場は今のレベスタの隣にある。
1996年5月18日には福岡-横浜MをRKBの制作でTBSにもネットしている。 >>190
TBSの仙台-鹿島は当初全国中継の予定はなかったが
この時間に放送していた、「筋肉番付」で出演者が重症を負う不祥事を起こしたため
番組打ち切りになり、その埋め合わせのために急遽編成されたもの。 フジやテレ朝の中継が撤退したのはサッカー中継やるよりも2時間ドラマの再放送をやってたほうが視聴率取れるからだそうだよ。
鹿島アントラーズの主催なんかフジやテレ朝が多かったから撤退してからめっきり関東広域で鹿島アントラーズのホームゲーム中継しなくなってしまった。 >>170
等々力は陸スタだけど2階席からだとあまり違和感なく見れるから問題なし。
ビックスワンなんかも同じ。 >>192
福岡のJ昇格前は特に九州遠征は多かったな。
横浜Fはスポンサーが全日空(ANA)なので、特例として第2ホームタウンとするも、
福岡では1試合も主催せず、長崎陸(現トラスタ=V・ファーレンの本拠地)、
水前寺(ロアッソの準本拠地)、鹿児島・鴨池(鹿児島Uの本拠地)で年間の半数を均等に割り振って行っていた。
横浜Fの九州撤退後は、京都が水前寺と鹿児島、清水が長崎で主催していた記憶がある。福岡も年に2−3試合は水前寺でゲームをしていた
福岡・博多の森は、95年にV川崎主催の広島戦が球技場で行われた以外は、
陸上競技場での開催で、集客がJ1基準を満たすスタジアムが足りなかった理由で、
浦和、V川崎、横浜M、名古屋も主催試合をしていた記憶がある。
あと、大分(市陸のほう)で広島が95年までだったか1−2試合やってたな。 >>196
そのANAがくしくも、同じ横浜のDNAベイスターズの協賛スポンサーに就任することになったとのことだが
https://www.ana.co.jp/group/pr/201802/20180220.html
フリューゲルスの解散→マリノスへの統合から早いもので20年目になる。
フリューゲルスサポが作った横浜FC、
およびフリューゲルスの母体全日空FCから枝分かれしたYSCC横浜を支援するつもりはないのだろうか? 水前寺で思い出したが、1995年第1ステージの横浜F対広島戦、
あれはBS1でやってたと思うのだが、
広島の選手は本来なら紫色の1ユニをまとう予定だったが、
手配ミスで白の2ユニしか持参できなかったというのがあった。
当時、白は2ユニが圧倒的だったが、横浜フリエは1ユニが白だったため、
アウェーチームも必然的に1ユニにしなければならなかったので、
慌ててサポーターからレプリカの1ユニを借りて試合に臨み、Vゴール延長で勝利を収めたとかいうやつ。
確かVゴールは今長崎の監督である高木琢也だったか >>198
1995年4月1日だな。
因みに関東地上波は15時から日テレでV川崎-清水戦、19時からテレ東で鹿島-C大阪戦を放送。 >>192
一方、1996年9月14日の横浜M-福岡は、横浜マリノスのホーム扱いだが、現・トラスタで開催。
この試合はBS1で中継。 アビスパが昇格してくるまでは関東クラブの九州遠征も多かったが、四国も年数回地方開催があった。
四国開催は主に関西を本拠地としてるクラブが多かった。
ニンスタは広島主催試合も開催されている。 >>196
横浜Fのレゲエ森が3ヶ月の出場停止喰らったのも長崎陸での試合(後期1節 対浦和戦)。
因みに後期3節の1995年8月19日は関東広域局から深夜の録画放送を含めサッカー中継が姿を消した。生中継もBS1の横浜ダービーのみ。 >>202
Wikipediaではそう書いてあるけど地方局は深夜に録画中継してたのかな。 V川崎の主催試合で地方開催は1995年3月25日に富山で柏戦が行われてる。
この日は日テレが中継。北日本放送が協力したかは不明。 東京V、川崎時代の最初3−4年は名目上は等々力を本拠地としても、
流浪の球団状態だったな。
wikiにあるが、等々力・国立以外では、札幌厚別、岩手陸(盛岡)、新潟、富山、
博多陸、さらには水前寺とほぼ全国巡業になっていた。
極めつけは1994年、これはテレビ東京・大阪の共同制作で放送されていたのだが、
準地元のガンバ大阪をアウェー扱いにして神戸ユニバーで主催した試合があった。 >>201
ニンスタが愛媛陸と名乗っていた時代の1993年6月だったか、
前期2巡目の広島対鹿島がそこで行われたが、BS1でのテレビ中継に配慮して
ナイターで行われるも、当時の愛媛陸はナイター設備が常設されなかったので、
特別に移動照明車を駆り出したうえで開催したという事例がある。
これは特例だったが、あくる1994年に同じ広島主催の試合でナイターの常設が完成。
1995年には現状唯一の国際Aマッチで日本代表もやってきていた。
移動照明塔というと、今年はW杯ラグビーの都合でコンサが4−5試合ほどする厚別とか、
Jリーグでの使用事例はまだないが、なでしこジャパンの親善試合が福島のとうほうみんスタで使われたケースもあった。 ヴェルディが神戸ユニバーでホームゲームを行った試合。
1994年4月13日
https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=508
これだな。
当時の新聞のテレビ欄とかあるかな。 1994/04/13(水)
ttp://i.imgur.com/gTIBEeN.jpg
ttp://i.imgur.com/vTtwcgX.jpg
ttp://i.imgur.com/w2Lc5uN.jpg
ttp://i.imgur.com/5MvGQrf.jpg >>208
サンクス!
TSSは深夜に広島-清水戦録画放送か。 >>208
在広局が4局ともJリーグを放送したのは、この数年ぐらい後までだった気がする。
ここ最近民放ではRCCが年1回やるかやらないかという状態。
以下スレチでスマソが、ラジオを見ると、
RFが本番・予備とも非巨人カード(本番・広島対ヤクルト、予備・日本ハム対オリックス)で、
RSKがJRN単独でRCC裏のJRN本番(広島対ヤクルト)を受け、
RNCがNRN単独とでLF発のNRN本番(横浜対巨人)というのに時代を感じる。
テレビを見ると、SUNが珍しく大江戸捜査網の再放送。
関西自主路線スレでは、なぜSUNやKBSでの再放送がないんだという書き込みが以前あったけど、
(大抵広域局で再放送)やっていた時期もあったんだな。 >>208
当時のNHK BSのサッカー解説者は豪華版だったな。
田嶋現会長、金田喜稔(TBS兼務)、加茂周(フリエ引退後)、
松木安太郎(v川崎退任後。先日も「相葉雅紀のぐっとスポーツ・槙野智章編」で
ちょい役で出てたが)、山口素弘、宮沢ミッシェル、早野宏史と豪華メンツだったのを覚えてる >>208の一番上
「ダイナミックサッカー」
これは、1988年で終了した第1期「三菱ダイヤモンドサッカー」のリメーク版。
海外の主要サッカーリーグ、まだWOWOWが開局したてで、
専門衛星放送がケーブルテレビ向けでそれほど普及してなかった頃に、
世界のサッカーの試合を放送していた貴重な番組だった。
実況が当時のテレ東のサッカーのエースだった久保田光彦アナウンサー。
ちなみにこのころの「三菱ダイヤモンドサッカー」は確か日曜日の午前中だったか、
川平慈英氏、佐々木明子アナウンサー、元日本協会長の大仁くにや氏と、金子勝彦アナウンサーの4人がMCを務めていた。
Jリーグ情報番組で、現在でいうBS1の「Jタイム」か、テレ朝「矢部浩之のやべっちFC」のポジションだろうか >>207
関西勢アウェーで、他地区の球団がホームゲームをする例のもう一つに、
1996年頃の「清水エスパルス対京都パープルサンガ」があった。
本来は日本平スタジアム(アイスタ)でホームゲームをするのだが、
この試合はなぜか神戸ユニバーでゲームを行った。
当時のエスパルスはテレしずが筆頭株主だったためか、
系列局のカンテレが後援し、試合の開催告知もカンテレでやっていたが、
生中継はカンテレではなく、テレしずからのネット受けの形でKBS京都が放送していた。
1994年も、エスパルス主催の静岡県ダービー・ジュビロ戦を神戸ユニバーでやってた試合もある。 >>212
三菱ダイヤモンドサッカーは93年度は日曜午前。94年度は日曜夕方。95年度は土曜深夜。 >>212
ダイヤモンドサッカー第2期
ttp://i.imgur.com/shIdJUO.jpg
Wikipediaでは関東ローカルとなっているが、TSCでも9日遅れでネット
ttp://i.imgur.com/zXSO6aP.jpg
さらに10月からは同時ネット >>212、>>215
ちなみに1993年度の女性MCは、当時岩崎由美という芸名だった女優の川原みなみさん
最近はCSで開運ストーンのテレショップとかいうのをやってたので見たことがある。 >>216
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ttp://i.imgur.com/0EKzVSn.jpg >>217
川原みなみで思い出したが、
今は韓国人サッカー選手の嫁さんになった阿部美穂子も昔サッカー番組をやってたらしいな。
残念ながら関東ローカルとBS-i(TBS)だったので見ることはできんかったけど >>218の読売新聞1番目と4番目
Jリーグは企業から市民参加への脱皮を図るということで、
企業名を排除することが原則とされている。
1992年の当時のナ杯は企業リーグ時代の日本リーグからの名残で、
「三菱浦和レッズ」「JR古河」「読売ヴェルディー」「日産横浜マリノス」
「横浜ASフリューゲルス」「パナソニックガンバ大阪」という
企業名との並列表記が暫定で認められた時代があったが、
1993年以後はこれらはすべてホームタウンの市区町村名に変更させられた。
ただ、読売新聞はあのナベツネが「プロリーグといえど企業名を露出しないと発展しない」と
ボヤキまくり、「読売ヴェルディー」と企業名を露出、
フリューゲルスは横浜と第2ホームとして九州があったという事情で「AS」としていた。
報知スポーツは折衷案で「読売ヴェルディー川崎」「横浜ASフリューゲルス」「三菱浦和レッズ」などとしてたが、
1994年いづれもJリーグの本来の表記にのっとって地域名+ニックネームとなり今日に至るようになる。 >>221
あと、この当時だが、CX「プロ野球ニュース」でJリーグ速報をやった時、
マリノスは単に「横浜」、フリューゲルスは「AS」として表記していた。
これは当時ANA全日空が番組の協賛社の1つだったためによるものだった 1994/3/12 開幕戦
関東地上波
14:45〜 NHK総合 鹿島ー磐田
19:00〜 日テレ V川崎ー平塚
25:25〜 TBS 横浜M-浦和(録画) >>224
Jリーグ2代目の「ナショナルダービー」の記念すべき初戦だったんだな。
初代の「日産→マリノス対読売→ヴェルディー」は、
カズが退団して以後ヴェルディーが低迷してナショナルダービーとは言えなくなった。
今は「浦和対ガンバ大阪」がナショナルダービーだといわれるが、
2015年の年間CS決勝の「広島対ガンバ」も若手育成でともに成長し、
J2も経験した強豪同士なので、これもナショナルダービーに匹敵すると思える >>224
この横浜M-浦和戦は今ならTBSは喜んで生中継しそうなゲームだな。 >>226
当時の本拠地はマリノスが三ツ沢サッカー場(約15000)
レッズは駒場競技場・大宮サッカー場(いづれも約1万)と、
今のビッグスタジアム(日産スタ=約7万、埼スタ=約6万)を本拠としていた時代に比べると
本当に雲泥の差だな。
まぁ、今は三ツ沢も駒場も、Jリーグライセンスで本拠地として使うにしても、
屋根が不足(ニッパツサッカー場は屋根全然なし)で、罰金を取られるところ >>221
>>224
ttp://i.imgur.com/aexbNO1.jpg
ttp://i.imgur.com/eqd7iP9.jpg
讀賣新聞に掲載される日本テレビ系列局の広告なのでチーム名表記は当然こうなる
しかしテレビ欄は東京ニュース通信社配信なのでリーグ推奨表記
ttp://i.imgur.com/1Sd2eTG.jpg
ttp://i.imgur.com/0JIvMmH.jpg
SUNがネット受けしてる市原−大阪はCTC制作かな?
>>223
ttp://i.imgur.com/H6Ayyj7.jpg
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ttp://i.imgur.com/1Sd2eTG.jpg
ttp://i.imgur.com/j2ApL05.jpg
KTVは平成教育委員会の方を優先 >>228
サンクス。
1994/9/3の広島ーV川崎戦は制作協力:広島テレビ、制作:日本テレビかな。
実況が笑点放送事故のニュースキャスターだった多昌アナだから。 >>227
レッズの改修前の駒場での開催はこの年のサントリーシリーズまでだな。
ニコスシリーズでは駒場は改修工事のためNACK5スタで開催。
改修前の駒場は小さな競技場だったから1万人行くか行かないかのレベルだった。
三ツ沢は今は横浜FCとY.S.C.C横浜が使ってる。Y.S.C.C横浜主催の時はバックスタンドとゴール裏は閉鎖。 http://i.imgur.com/3ZvW1EG.jpg
1981年4月5日 朝日関東版
東京12「サンデースポーツアワー」で日本リーグ時代の三菱重工業対ヤンマーを国立から生中継。
その解説がのちのJリーグチェアマンを務める川渕氏だった。
当時の観客動員はJ3・JFLのボトムクラスにしか過ぎなかったんだろうな >>228の3・4番目
見たことある。千葉テレビ制作をサンテレビがそのまま放送した。
94年10月の熊本(水前寺)での横浜F対G大阪も体裁上はTVK神奈川の制作だが、
実際にはKABに委託したものが放送されていた 当時の市原
これはhttp://mao.5ch.net/test/read.cgi/stadium/1091313690 に詳しいが、
当初予定していた習志野・秋津サッカー場(現在の第1カッターフィールド)が
周辺が住宅街であるためということで反対されたため、
やむを得ず市原臨海に移ったが、もろに突貫工事、仮設丸出しというスタジアム。
やっとこの年、メインスタンドの増築がなされ、体としては現行J1基準を満たすものとはなったが、
ゴール裏とバックスタンドは、現在開発中の「セミ・パーマネント」よりもひどい超低コストスタンドでごまかしていた。
この後2004年にバックスタンドが増築され、二層式とはなるが、これも無理やり既存席に上乗せしただけ。
ゴール裏は芝生席に戻された現在はJ1開催不可になってしまい、
J2開催は可能も、結果的に市原での開催は2005年9月をもって強制打ち切りとなる羽目になってしまった。 >>234
市原臨海なんかバックスタンド立ち見の最前列はトラックの上だったし
トラックシートは万博でやってた頃のガンバや山形なんかもやっている BS1「岡田武史とレジェンドたちが斬るワールドカップ」
1993年ドーハの悲劇。Jリーグ元年、誰もがW杯の扉を手にかけて、
アメリカというサッカーの新大陸に進めると思ったその寸前でイラクに閉ざされたシーンを再現。
そこで当時30代後半の古河社員だった岡ちゃんが映ってた。
司会は、Jリーグタイムの大前身「速報!Jリーグ」をやっていた友田幸岐さん。
今いづこ… >>236
NHKの実況は現法政大学の山本浩教授だが、
当時は地上波はCXが担当してたな。
あの時のサッカー中継のエースが長坂哲夫だったが、
セクハラで干されて、今は完全に裏方になってしまった。 >>237
スマン。
長坂はジョホールバルの奇跡だった。
ドーハの時は民放は系列が少ないテレ東系。
その時の実況はやはりTX系のエースだった久保田光彦さんだった。 >>238
ところで、その当時のテレ東系、フルネット6局はともかくとして、
それ以外の地域は時差ネットだっただろうか? >>239
ttp://i.imgur.com/Mur9vab.jpg
ttp://i.imgur.com/rhnZKrB.jpg
ttp://i.imgur.com/9vMaRc2.jpg
ttp://i.imgur.com/GRDoAVO.jpg
RCCは約2時間遅れ
ラジオはLF発NRN >>240
ということは、広島・愛媛・山口の視聴者は
(TSCせとうちとTVQ九州が見れる地域はともかくとしても)
半分ネタバレの中でRCCからのニアライブを見たという感じだな >>242
まぁ、確かにそうだけどまだBSも普及してない時代だったのでは? 茨城県はいまだに、独立Uがないので、千葉テレかかつてはケーブルテレビ向けに
配信したTVK神奈川のご厄介だったが、
鹿島の主催試合、最初3年ほどはTVK神奈川が大半を放送していたみたいだな。
放送比率的には、神奈川勢よりも割と多めで。
神奈川勢は今は亡き横浜フリエぐらいで、三ツ沢では半数しか行われなかった時代も
九州遠征をテレ朝系各局から映像抵抗して放送してたそうだが 今日、NHKで
サッカー天皇杯県予選決勝を
中継している県
高知
愛媛
和歌山
大阪
滋賀
三重
岐阜
静岡
山梨(Eテレ)
福島 https://i.imgur.com/kgXtlwR.jpg
Jリーグ発足1年前の1992年5月16日の読売新聞大阪朝刊。
Jリーグ第1回参加10チームのそれぞれのニックネーム名が決定。
Jリーグはフランチャイズというよりホームタウンという形で、
地域密着、身近に会いに行ける存在という今日のAKBなどご当地アイドルと同じ考えを示す、
そのきっかけとなったわけだが、
いわゆる正式名称(日本サッカー協会登録申請チーム名)に地域名を入れていなかったのは3チームあるということみたいだな。
読売新聞の配列にそって
・名古屋グランパスエイト
・鹿島アントラーズFC
・東日本JR古河・ジェフユナイテッド(ジェフ市原→現・ジェフ千葉)
・三菱浦和FC・レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)
・読売日本サッカークラブ・ヴェルディー(ヴェルディー川崎→現・東京ヴェルディー)
・日産FC横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)
・全日空佐藤工業FC・ASフリューゲルス(横浜ASフリューゲルス→横浜フリューゲルス。98年マリノスに統合)
・清水FCエスパルス
・サンフレッチェ広島FC
・パナソニック・ガンバ大阪(ガンバ大阪)
ただ、ガンバ大阪のホームタウンは大阪市とされている。
おそらく将来的に長居スタジアム(現・ヤンマー長居スタジアム)に本拠地を移すつもりも
あったのかもしれないが、大阪市(長居)にはヤンマー(当時JFL1部)が尼崎から本拠地を移して
セレッソ大阪が本拠地とするようになったのだが 今日の24時まで
Jリーグ元年開幕節の試合JリーグYOUTUBE公式チャンネルにて配信中。 >>250
まぁ、ヤンマーは元々本拠地が尼崎で、JRの尼崎駅前にもヤンマーの工場、
そしてそれに付随したサッカー場があるので、その事情を考えると尼崎ではJ1基準を今は満たすことが不可能なので、
神戸に本拠地を置いてもおかしくはなかったな。
ヤンマーが神戸でJリーグを目指すということになれば、ガンバが長居スタジアムか長居球技場を使う可能性は高いとみるか、
ガンバの移転がなかったら、関西リーグの田辺製薬、大阪ガスのどちらかでプロを目指すかだっただろうな >>253
https://i.imgur.com/cVo1Cdo.jpeg
1974年11月3日(当時は今と同じ春〜秋制)
サンケイ近畿D 現・ヤンマー長居の前身である初代長居競技場で
そのヤンマーと新日鉄八幡の対戦が開催されサンテレビで中継していた。
今でいえば「セレッソ大阪対ギラヴァンツ北九州」に当たるだろうか >>246
そのZAオリプリを本拠としているヴォンズ市原が今年Jリーグの準加盟になったな。
まぁ、JFL・J3に参加するとなったらば、まだオリスタを使えるからよいし、
バックスタンドの得点盤もオーロラビジョンに変わったが、
焦点はJ2以上に昇格した場合だな。
かつて、2002W杯用に予定していた千葉スタジアムが、
開催地落選によりアボーンになり、草サッカーの会場「市原スポレクパーク」となった。
ジェフも事実上千葉への移転・市原撤退でそのスポパーは練習会場に使わず。
フクアリに隣接したユナイテッドパークが拠点になっている
そのスポパーの一部をJ1基準に満たすということはできんだろうか https://www.youtube.com/watch?v=g6TS00FrPEA
1979年・80年ごろの日本リーグのスポーツニュース映像。
当時まともに実況中継していたのはNHK Eか、日曜の東京12、あるいはローカル局による
地方開催ぐらいしかなかったが、
この映像を見る限りでは、国立・西が丘・駒沢では大会場にも関わらず、
推定50人から100人ぐらいしか入ってなかっただろうか。
企業主体ながら、応援団やチアガールなんてほとんど見当たらない。
しかし地方都市の北九州にあった新日鉄八幡は、三菱重工との対戦、
当時はまだ本城ではなく、新日鉄八幡の鞘ヶ谷陸上競技場を使用していたが、
地元の子供たちが熱心な応援合戦。 https://www.youtube.com/watch?v=9m9FhtceJ14
1983年の現・キリンカップの下となったジャパンカップという大会から。
当時は日本代表に加え、当時の日本リーグ1部や天皇杯の前回の優勝クラブ、
さらに海外強豪クラブを招待した大会。
今でいう「明治安田Jリーグワールドチャレンジ」に当るようなもの https://youtu.be/wg9_fgqjmqk
1981年のスポーツニュースから
釜本邦茂200得点の大記録 https://youtu.be/wg9_fgqjmqk
1981年のスポーツニュースから
釜本邦茂200得点の大記録 https://www.youtube.com/watch?v=PlHu4BN0RhY
1982年のスポーツニュースから
当時はまだホームタウンという概念が薄かったせいもあり、
大宮サッカー場(NACK5)で、古河主催扱いの三菱戦(今でいえばジェフ千葉対浦和レッズ)とか、
場所は不明だが、小さな河川敷のグラウンドと思わしきところで、ヤンマー対古河が行われたり、
ヨドスタにお株を奪われた、靭公園サッカー・ラグビー場でヤンマー主催の試合が行われていたりする
都市対抗野球やほかのスポーツリーグ同様、当時は企業の大応援団が主であり、
応援リーダーやチアガール、ブラスバンド部がいたりする。
当時からパフパフなどでの応援は定着していたが、最近はお蔵入りになってしまったな
三ッ沢(球)、神奈川ダービーの日本鋼管川崎対古河電工、バックスタンドがほとんどガラガラ。
地味すぎる https://www.youtube.com/watch?v=n34EWNLnprw
1983年、舞台は静岡県磐田のヤマハ東山グラウンド。
現在のヤマハスタジアムで行われた日本リーグ1部のヤマハ対古河の一戦。
現在ヤマハスタジアムは収容人員が15000人とかろうじてJ1昇格基準を満たしたものだが、
当時は約3000人程度収容。メインスタンドがないが、企業の所有グラウンドでは割としっかりした
バックスタンドがあり、都市対抗張りのブラスバンド部やチアガールが応援に花を添える。
それから11年後の1994年、ヤマハから変わったジュビロ、初年度のJリーグ加入を果たせなかったが、
当時の2部に当る旧J1でフジタ→湘南ベルマーレに次ぐ2位で2年越しのJリーグ加入を決める。
バックスタンドが増築され、あの巨大ビッグフラッグがジュビロの応援の目玉となるが、
ここ数年は1部と2部を行き来し、残念ながら名門ヤマハの色合いが薄れているのが残念 https://www.youtube.com/watch?v=z6iiUsv7um8
1984年8月24日 テレビ東京20周年を記念して行われた、
釜本邦茂引退記念試合「ヤンマーサッカー部対日本リーグ選抜」
この映像の18分20秒当たり 釜本が自らの引退試合で先制点を挙げる
今回の引退試合のため特別入部したブラジルのペレ、当時の西ドイツのオヴェラートや、
日本リーグのライバル・古河の永井、谷中、日産の木村、水沼、金田、読売のラモス、与那城らが、
引退試合を大いに盛り上げる https://www.youtube.com/watch?v=TZ4pn0F7qnI
1979年、日米親善試合・ゼロックススーパーサッカー
ペレ、ベッケンバウワーらが率いるアメリカの伝説のサッカークラブであるニューヨークコスモスが来日し、
日本リーグ選抜と神戸中央球技場で対戦。会場は当時のオーバースペック14000人ものサポーターでにぎわう。
1-1の同点ゴールを挙げたのは釜本
アメリカもサッカー不毛地帯といわれており、NASL(北アメリカリーグ)としてスタートしたものの、
ペレ・ベッケンバウワーの引退後はアメリカ代表選手がなかなか育たないということで失敗し、
1984年に一度解体されるが、10年後の1994年のW杯誘致を成功させたことによって、
再びアメリカのサッカー文化を広げようと、現在のMLSが開幕した。 https://www.youtube.com/watch?v=uYCfmjfctM4
1979年9月 日本で行われた現U-20ワールドカップに当る世界ユース選手権大会決勝
マラドーナ率いるスター軍団・アルゼンチンが旧ソ連との死闘の末3-1で勝利し、
世界ユース初優勝を決めた試合。
決勝戦は15年前の東京五輪さながらに、試合終了後のノーサイド後の両国選手・サポーターが一体となって、
互いの健闘を称えあう風景が展開された。
果たして2021年7月23日の開会式、8月8日の閉会式はどのような風景で、
新たなコロナ時代の式典はどのように迎えるのだろうかが気になる https://www.youtube.com/watch?v=V8oKKyvbfkA
1967年6月 駒沢五輪公園競技場で行われた
日本代表対ブラジル・サンパウロ州リーグのパルメイラスとの一戦。
あの、釜本によって銅メダルに導いたメキシコ五輪へ向けた強化試合として行われた。
ブラジルが今日のように全国的なリーグ戦を行うようになったのは1970年ごろからで、
それまでは全国大会は現在の日本の天皇杯のように、
各州のリーグ戦優勝チームを招いて行われたカップ戦のみが存在していた。 https://www.youtube.com/watch?v=xniPDFvaaI8
1983年、日本リーグ屈指の同一地域ダービーマッチ「天竜川決戦」
舞台は浜松市本田技研工業浜松製作所都田工場サッカー場
日本リーグの老舗・本田技研浜松対当時は新興勢力ながら躍進を遂げているヤマハ発動機。
浜松と磐田の超近距離同士の対戦は、両者の応援団・市民が大挙会場に集まり、
まさに遠州灘の覇権をかけた死闘が繰り返された。
しかし、Jリーグ発足後、この両者は第1回Jリーグへの参加申請をするも、
準備不足を理由に参加を断念。
ヤマハは自前の東山グラウンドをJ1基準を満たす専用サッカースタジアムにリニューアルし、
1993年JFL1部(旧J1=現J2相当)で2位に入り、Jリーグ(現J1相当)へ昇格し、
以後1997年の初優勝以来、J1で3回優勝するが、その後低迷が続き、昨年2度目のJ2降格も
1年でのJ1復帰は果たせず。
対して本田技研浜松は、1996年にJFLで念願のリーグ戦優勝を果たすもJリーグ準会員資格がないため、
Jリーグ昇格が果たせず、1997年にそれを下地に浜松FCとしてJリーグ準会員取得も、
本拠地のスタジアムの改築予定費用が想定額を上回ったことから経営を圧迫するという理由で昇格を断念。
ホンダFCとなった今日に至っても、企業の社員選手を主体として、ソニー仙台と並ぶ、
JFLの企業チームの雄、なおかつ、J3リーグ昇格を目指そうとする準会員(100年構想クラブ)のライバルとなり、
Jの門番といわれている状態が続く。
浜松の新スタジアム構想次第では、30年の悲願であるJ3昇格の可能性も間近いか? https://www.youtube.com/watch?v=E0AcFVo79jg
1982年開催の日韓親善サッカー試合。
なんと後楽園球場の人工芝の上で行われた、日本の読売フットボールクラブ対韓国のハレルヤ。
宗教色が強い韓国、ハレルヤはその宗教団体が運営母体となったプロクラブである。
韓国ではこの年、プロリーグという名目も、実質的にプロ・アマ混在の形による5チームのセミプロ大会
「韓国スーパーリーグ」がスタートしていた。
まだ企業主体のアマチュアにしか過ぎなかった日本リーグの読売は防戦一方であり、
1-2のスコアで敗れ、いかにこの当時日本のサッカーのレベルが世界より格下であるかがわかる https://www.youtube.com/watch?v=WpQSY4x3gck
1980年、日本代表の現役・OB対抗戦。
現役チーム監督はのちのチェアマン川渕
今では考えられない現役・OB対抗戦。当時はまだ国際Aマッチで強豪国と
対戦するレベルにはやや程遠く、海外のクラブチームとの対戦が多かった日本代表が、
先輩の胸を借りて臨むいわば力試しマッチという異例の試合だった https://www.youtube.com/watch?v=NhLBjDwWv5Q
1984年日本リーグ・国立で行われた読売FC対古河電工
古河は典型的な企業チームであるゆえ、応援団もチアガールがいて華やか。
読売はクラブチームであるので、応援団はどちらかといえば南米並みのサポーター。
パフパフはお約束。
試合後、両軍入り乱れての乱闘事件が起きてしまったが、
これはプロ化された今日であれば、当該人物は数試合出場停止処分に該当するものといえる https://www.youtube.com/watch?v=bceiZqrj-yQ
事実上セミプロ化へ動き出した1990年代。
1990年11月 今でいえば「川崎ダービー」だろうか、読売FC対東芝と
「横浜ダービー」に当る全日空横浜対古河電工。
東芝は1996年北海道に移転、現在コンサドーレ札幌となる。
全日空横浜はのちのフリューゲルスだが、ビッグクラブ・マリノスの後塵に排す。
そして1998年10月にそのマリノスと統合され、フリューゲルスは消滅となるが、
そのサポーター有志により改めて横浜FCが設立。2020年、13年ぶりのJ1復帰を果たす。
古河は当時工場や社宅があった横浜に本拠があったが、
Jリーグ発足後は市原市に千葉工場を持つということで千葉県に移転。
悪評高く臨海(オリスタ)を経て、現在は千葉市のフクアリを主戦場として戦うも、
2008年以来J2に低迷。一時期J3降格圏内を味わうなど名門のプライドに傷がついている https://www.youtube.com/watch?v=_4LOsGhqa1E&t=6s
1979年10月 >>264に続いて開催されたゼロックススーパーサッカー、
アメリカ・ニューヨークコスモスを招待した日本代表との一戦。5万人を集めた大一番。
ただ、試合終了後、ファンの多くがピッチに乱入して大騒ぎをするというくだりがあり、
これは今だと警備上の観点から次回の開催ができなくなるという警告をさせられるところである。 https://www.youtube.com/watch?v=FzudRBNzzeM
1991年、セミプロ化し、2年後のJリーグ発足へ向けて機運が高まった日本サッカー。
6月の代表強化期間を利用して行われた伝統のキリンカップ。
これまで世界の強豪に苦戦を強いられた日本代表が、三浦カズをはじめとする
Jリーグ1期生の主力選手を擁して、めでたくキリンカップ(その前身のジャパンカップを含む)
13年の歴史で史上初の国際大会優勝を達成した。
当時のキリンカップは、国際Aマッチではなく、海外クラブチームなどを招聘した
親善トーナメントであり、80年代は日本リーグや天皇杯の優勝チームまでもが参戦した。
このあくる1992年から国際Aマッチとなり、世界へ通用する日本代表のスパーリングマッチとなる。
現在は並行してキリンチャレンジカップも行われている。 https://www.youtube.com/watch?v=QE0i0CjxIdM
1986年、当時は秋〜春制の日本リーグ開幕前、ブラジルにあるジュベントス(サンパウロ)というクラブが、
日本リーグの古豪・古河電工と対戦する試合。
綴りが「Juventus」とあるが、イタリア1部・トリノの古豪であるユベントスとは綴りは同じも、全然関係がない。
国内リーグから地域リーグまで数えたらきりがないブラジルのサッカー。
その本場のサッカーから古河の若手がどのような収穫を得ただろうか? https://www.youtube.com/watch?v=NclwR2hq0DY
1992年、ヴェルディー川崎(当時は読売FC)が、イタリア遠征をおこない、
イタリアの五輪代表とのスパーリングマッチを実施。
Jリーグ黎明期、海外の強豪チームとの練習試合・プレシーズンマッチを通して、
世界への道筋を模索していた時代 https://www.youtube.com/watch?v=tXyO3thfRaM
同じ1992年、ブラジル1部のサントスが結成間もない清水エスパルスと対戦。
静岡のチームながら国立競技場約5万を飲み込む。 https://www.youtube.com/watch?v=DrLGJEFVXO4
1981年梅雨時と思われるが、オランダ・エールディビジの古豪・エクセルシオールを招待し、
日本リーグのヤンマー、マツダ、古河、フジタを相手にした親善試合・アシックス招待。
「アカイ」とは、エクセルシオールの当時のユニフォーム協賛スポンサーの赤井電機のことである
当時は2部リーグに低迷していたエクセルシオールだが、日本リーグのチームを相手にプロらしさをまざまざと見せつけられた https://www.youtube.com/watch?v=FeUiP5aKoqQ
https://www.youtube.com/watch?v=iUqjS6WteGc
1992年8月、神戸ユニバーと国立で2試合にわたって行われた、
日本代表対イタリア・ユベントスとの国際親善試合。
イングランド・スペイン・ドイツ・オランダ・フランスと並ぶ世界の6大リーグの一つ、
イタリア・セリエAの名門チーム、バッジョ、ロベカルらを擁したユベントスに、
Jリーグ開幕プレ1期生となる面々が互角に挑んで2試合とも引き分けと大健闘した試合。 https://www.youtube.com/watch?v=8Zf9OzE6djw
1979年、東京五輪から15年が経過した国立競技場を舞台に、
世界ユースサッカー選手権大会が盛大に行われる。
その開会式直後のオープニングマッチ・日本対スペイン、夏休みの終わりに
3万人の大応援団を背に戦う日本。
強豪スペインを前に0-1の惜敗。当時はまだ日本と世界のレベルの高さ、格差が大きかった https://www.youtube.com/watch?v=KtaGLxf-AdM
当時、三菱ダイヤモンドサッカーからスピンオフした形で放送されていた
「少年サッカー教室」という番組から。
当時のユース(u-18)代表のメンバーによる実技の前に、選手一人ひとりが自己紹介される。
指導者は元ヤンマーの釜本氏。 https://www.youtube.com/watch?v=X8K4_2eFWkU
1983年、駒沢で行われた読売FC対三菱重工
三菱の主催のようだが、盛り上がってるのは読売の応援団。
当時から読売は名目上等々力を本拠とはしているが、
東京志向が強く、三菱・古河・日立が主催してても読売の応援団が目立ったんだろう