The Ventures(ベンチャーズ)Vol.2
アメリカ合衆国出身のインストゥルメンタル・バンド、ザ・ベンチャーズを語りましょう。
前スレ
The Ventures(ベンチャーズ)
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/natsumeloe/1426677126/ オーストラリア公演で風邪で倒れたリンゴの代役を務めたが
フランケンシュタインみたいな顔してて愕然としたよ
まさかこいつがこれからビートルズのドラマーになるのかとね
でもその公演だけのピンチヒッターだったので安心した ビートルズファンは、ジミー・ニコルはリンゴの代役のドラマーとして知っておけば
いいほどで、それ以外の音楽やザ・スプートニクスには興味なさそう。 Getting Betterはジミー・ニコルの口癖だったらしいぞ >>94
シャドウズ、アストロノウツ、スプートニクス、サファリーズ、シャンティーズの
他インストグループも当時、来日してコンサートをやっているが、
ヴェンチャーズと違って、観客はそんなに多くはなかったはずだろう。
地方公演だったら、観客が10人以下だったことも稀だったりして・・ wikiによると、
>日本滞在時にサインを求めてきたファンへいたずらを仕掛ける等、
素行不良ぶりが祟り、殆どのアストロノウツファンはベンチャーズの支持へ移行した。
ヴェンチャーズが紳士的だったのに対してアストロノウツはガキだった、と
あと日本と日本人を軽んじてた節がある (演奏も手を抜いてるような感じ)
ファンが望んだサウンド
http://www.youtube.com/watch?v=zncQ5qDVhcU
http://www.youtube.com/watch?v=aO349CSnYXs
初来日公演
https://www.youtube.com/watch?v=P-rV2-hBTfM
例えるとバルタン星人と2代目バルタンの違いみたいな
ただ、ヴォーカルグループと見れば良いんだよね
Tomorrow's Gonna Be Another Day(明日の太陽)1965年
http://www.youtube.com/watch?v=x1MpzqqEmM8
この曲は翌66年にモンキーズがファーストでカヴァーした アストロノウツは来日したとき日本ビクターのスタジオで歌謡曲も録音した
それが橋幸夫の「チェッチェッチェッ」でなかなかいいできばえで
この時には作曲者の吉田正も出向いてメンバーと対面して曲の奏法を教えた 初来日して素行の悪さをさらしたのがポール・アンカ
大ヒットした「ダイアナ」で一躍有名になったが
あの不良ぶりで評判を落とし日本では人気がなくなった
当時ポールは16歳だった ポールにはギラギラと脂ぎってる好色男のイメージしかない。
、
1960年代中期、彼が司会をするテレビショーの姿ではまだ頭髪ば健在だったがや。 あの"4人組"にヒットのお株をとられてからのPaul Ankaは、60年代後期は
不遇の時代でもあった。チャートに入っても、大ヒットにはなることはなかった。
レーベルを転々として、74年に見事にカムバックするんだよなこの後。 あの"4人組"にヒットのお株をとられてからのPaul Ankaは、60年代後期は
不遇の時代でもあった。チャートに入っても、大ヒットにはなることはなかった。
レーベルを転々として、74年に見事にカムバックするんだよなこの後。 ポール・アンカは一世代前のスターという印象だったが丁度ジョンとポールの
間の年齢 カナダのポールはリバプールのジョンより年下なんだよな ポール・アンカはABCパラマウント時代に才能を出し尽くしてしまった
ほとんどのヒット曲を量産してしまいもうヒット曲が書けなくなってしまった
アホなRCAはこれを見抜けずポールと長期契約してしまい大損をした
RCAに移籍後、何一つヒット曲を出せなかったんだから 本当だ、RCAに移籍してからはTOP 10の曲は1曲もないや。60年代前半に長期契約した
歌手たちは64年になると状況が変わってしまう。Elvis, Paulの他にも、Neil Sedaka, Rick Nelson, Pat Boone などがわかりやすい例え。あのSinatraも66年までは
大ヒット曲が出せなかった。 ロジャー・ニコルズの書いた「タイムス・オブ・ユア・ライフ」はFENでよく流れていた。 >>117
「想い出よ いつまでも」はポール・アンカの最終便だった。 RCAに移籍してから鳴かず飛ばずのポール・アンカだったが
二匹目のドジョウを狙ってかっての大ヒット曲の「ダイアナ」を引っぱり出し
「想い出のダイアナ」を出したがこれまたコケてさらに落ち込んでかっての
栄光を取り戻すことはできなかった http://www.youtube.com/watch?v=w22haP4hgsQ
クロクロ作曲の「Comme d'habitude」に英詩を付けてシナトラに提供したらスタンダードに
自分が作曲したわけでもないのに自身の手柄の様に語るポールはやはり最低野郎だった ポール・アンカが初来日したとき前座に出ていた平尾昌章と楽屋でギターを弾きながら
アイディアを出しあって曲ができた、それが「好きなんだ」という歌
ポールはこれを平尾にプレゼントしてくれた、これはYouTubeで聞ける
ポールは他にも「クリスマス・イン・ジャパン」という
オリジナル・クリスマスソングを書き
レコーディングを日本で行ない、日本のみレコード発売してヒットさせている ポールはバディ・ホリーにIt Does'nt Matter Any Moreをアネットには
Trains Of Loveを送ってヒットさせてるから ポール・アンカはフランスの歌手シルヴィ・ヴァルタンにも曲を提供している
「いつでもあなたを」がそれだ
これはリトル・ペギー・マーチもカヴァーしている
同じRCAのアーテイスト同士だったから実現できた 直訳すると「あなたの頭を私の肩の上に置いて」なのに逆になってる 1960年代初頭、RCAは欧州に目をつけていろいろな歌手を物色して商売を始めた
なかでもリトル・ペギー・マーチ、シルヴィ・ヴァルタン、リタ・パヴォーネを
三人娘としてヤング・クィーン・トリオとして売り出したが不発に終わってしまった
とくにリタ・パヴォーネなどソバカスだらけのブスでひどいオカチメンコだった >>130
邦題は「トマト・ジュース乾杯!」 “にんじん娘”と呼ばれてた。 1本でも ニンジン ニンジン
2本で ニンジン ニンジン
1本でも ニンジン
2足でも サンダル
第3の男でチターを弾いている人が「トマト・ジュース乾杯!」でも弾いてます 15歳で全米1という最年少記録をつくった
リトル・ペギー・マーチは日本に何度も来日している
日本の歌謡曲を何曲も録音してファンにはお馴染みの歌手
テレビの歌謡曲番組で「任しといて」と覚え立ての日本語を披露したときは可愛かった 最年少記録をつくった全米No.1のアーティストは(Little) Stevie Wonder
じゃなかったかな? 確か12, 3歳だったはず
(Little) Peggy Marchの1位の曲はRick Nelsonもカヴァーしてたな。 来日した外タレでも真面目な人もいれば不快極まりない奴もいた
ポール・アンカとは違ってニール・セダカはお行儀もよく好印象を与えた
1965年に日本でカンツォーネブームがおきてレコード会社の金儲け作戦で
イタリアの歌手たちが続々来日した
そのなかのボビー・ソロなど客をバカにし、なめた歌い方で大顰蹙をかってしまい
福田一郎などは激怒してキングレコードの担当者に
「もう日本ではボビー・ソロのレコードは売れないよ」とはっきりと苦言を呈し
ミュージックライフでもボロクソに酷評文を載せていた
同時に来日したヴィルマ・ゴイクのほうは真面目に歌っていたと評価していたっけ ボビー・ソロは「ロッテ歌のアルバム」に出てたよ 下手だなと思ったけど ボビー・ソロは1969年に「涙のさだめ」でサンレモ音楽祭2度目の優勝
日本で人気再燃か、と思われたがオリコン最高82位と振るわなかった
1969年3月20日にキングからサンレモ入賞曲が5枚同時発売されたが1曲(オリコン6位)を除いて全くヒットしなかった
HIT-1612 カテリーナ・カセルリ「恋の遊び」/ジョニー・トレルリ「恋の遊び」
HIT-1613 ジリオラ・チンクェッティ「雨」/マッシーモ・ラニエリ「愛の詩」
HIT-1614 ドン・バッキー「消えたほほえみ」/同「青春に歌う」
HIT-1615 リタ・パヴォーネ「ズッケロ」/ディク・ディク「ズッケロ」
HIT-1616 ボビー・ソロ「涙のさだめ」/ミルバ「消えたほほえみ」 今年に、The Venturesは9月にLIVEをやるらしいけど、正直言って、今のグループは
The Venturesの名は名乗ってほしくはないな。どうせなら、The "New" Venturesとして
改名してほしい。ま、今のメンバーには全く興味なし。
ボビー・ソロといったら、やっぱり"ほほにかかる涙"だな。 西京電発によると、16日23:37頃、村渡県小山国の広域で停電が発生しました。現在、復旧作業が行われています。
■影響地域
小山国:約48350軒(三峯、中久喜、中央州、城北、城山州、城西、儂字三拝川岸、儂字中久喜、儂字出井、
儂字千駄塚、儂字南半田、儂字向原新田、儂字向野、儂字喜沢、儂字土塔、儂字塚崎、儂字塩沢、儂字外城、
儂字小山、儂字平和、儂字西島田、儂字横倉、儂字横倉新田、儂字武井、儂字犬塚、儂字神鳥谷、儂字稲葉郷、
儂字粟宮、儂字羽川、儂字鉢形、儂字間々田、儂字雨ケ谷、儂字雨ケ谷新田、天神州、宮本州、扶桑、本郷州、
西城南、犬塚、神山、神明州、神鳥谷、粟宮、花垣州、若木州、西城南、雨ケ谷州、液南州、液西通り) フランス・ギャルなんてのもいたっけ
欧州のポップシンガーはいろいろ来日した
本場のアメリカでは全然ウケなかったけど 1947年にフランスのパリ12区で生まれた。
父は作詞家のロベール・ギャル。
母はセシル・ベルティエ(パリ木の十字架少年合唱団の共同設立者として知られるポール・ベルティエの娘)。
1963年に、フィリップスより「Ne Sois Pas Si Bête(恋のお返し)」でデビュー。
1964年には、「フランスにおける学校の創始者」とされるシャルルマーニュ(カール大帝)に対して学校で勉強することに関する不満を歌う
「Sacré Charlemagne(シャルマーニュ大王)」(作詞は父親のロベール・ギャル)が大ヒットした。
1965年にイタリアで行われた第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストにルクセンブルク代表として出場し、
父親の知人であったセルジュ・ゲンスブール提供の「Poupée de cire, Poupée de son(夢見るシャンソン人形)」を歌い優勝した。
同曲は日本語盤も発売され、1966年6月に来日公演。
60年代後半には、ドイツ語、イタリア語、スペイン語バージョンの曲も吹き込み、また、1967年から1972年まではドイツのDECCAとも契約して、
ドイツ語オリジナル曲を数多く発売した。
1968年にフィリップスを離れ、La Compagnie、Atlantic、Pathe - EMI Music France、Atlantic=WEA、と移籍を繰り返した。
1970年代に入り作曲家のミッシェル・ベルジェ(英語版、フランス語版)と知り合い、
彼のプロデュースのもと本格的な歌手として再スタートを切り絶大な支持を得る。
1976年にベルジェと結婚。
その後長女・ポーリーヌ (1978年11月14日 - 1997年12月18日)と長男ラファエル(英語版、フランス語版)(1981年4月2日 - )の2児を授かった。
1985年、日本においてホンダが同社の製品のバラード・スポーツCR-X SiのテレビCMのバックミュージックとして
「Attends ou va-t'en(涙のシャンソン日記)」を採用した。
1996年、ジャン=リュック・ゴダールが「Plus Haut(もっと高く)」(1980年録音)のプロモーションフィルムを撮影した。
1992年に夫ベルジェが死去。さらに1997年には娘のポーリーヌを嚢胞性線維症で亡くす。また自身も1990年代半ばに乳癌を患い、
以降は表舞台に出ることはなく、実質上の引退状態となった。その後は数々の人道支援プロジェクトに参加した。
晩年は療養生活を送っていたが、2018年1月7日にパリ郊外の病院で死去した。死因は乳癌。70歳没。 アナログ時代、The Venturesの次に、来日回数が多かったのが、
The Brothers Fourだという話は聞いたことがあるな。 テレビ西部劇「ローハイド」の主題歌で一躍有名になったフランキー・レイン
来日したときのポスター騒動には呆れた
あれじゃ本人が怒るわけだ、同情するよ Frankie Laineが来日していたことは知らなかったな。それはさておき、
日本では"Rawhide" "Gunfight at the O.K. Corral"の影響でC & W歌手のイメージが
強いが、実際はれっきとしたJAZZ,ポピュラーシンガーでヒット曲も多数有。
The Venturesに"Rawhide"という曲があったのを思い出したが、あれは
Link Wrayのほうで、有名なナンバーとは同名異曲。 昭和39年4月に来日
東京(新宿)京都、大阪、神奈川(横浜)で公演をしているね アメリカンポップス人気沸騰のとき外人歌手に日本語で歌わせたレコードがよく売れた
その筆頭がコニー・フランシス、流暢な日本語でファンを喜ばせた
その後いろいろな歌手が日本語ヴァージョンでレコードを出した
日本のレコード会社はこれで大儲けをした >>141
まあ、The "New" Ventures(個人的には)は、好きな人は好きで見ればいいだけの話。
やっぱりThe Venturesはオリジナル4に限る。Gerry McGeeは嫌いじゃないけど・・・ ナット・キング・コール最後のヒット曲のL-O-V-Eは世界各国の言葉で録音され
日本語ヴァージョンもある
来日もしており、じつに紳士であった
タバコが原因で肺癌になり45歳で亡くなったのはつくづく惜しまれる >>149
ジョニーソマーズも「素敵なメモリー」の日本語版出してたな 1965年にベンチャーズが来日したときのインタビューで
「日本の食べ物で何が一番好きですか?」
「ラーメン」って答えていた ザ・ヴェンチャーズが音楽の黒船体験だった世代なので、
施設に入所しても忘れかけたころにときどきは思い出すだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=MoWDj5e65Bc ローズマリー・クルーニーという歌手がいた
日本では「家へおいでよ」のヒット曲で有名な歌手だ
来日して1日だけコンサートを行い急性扁桃腺炎を理由にしてさっさと帰国してしまった
これには呼び寄せた主催者側も大赤字、とんでもない契約破りの糞BBAであった
なおER緊急救命室で一躍スターになった俳優のジョージ・クルーニーは甥にあたる 今から58年前の事をぶり返すとは困った老爺だなw
1962年頃から1977年のカムバック迄2度の離婚に5人子供を抱え喉の不調からの体調不良からノイローゼに薬物、と苦難続きだった
因みに彼女は1977年と1983年(2月と9月の2回)にも来日してこの時は好演している 1983年の9月の来日って、ひょっとして"Aurex JAZZ Festival 83"のことかな?
Les Brown Orchestraをバックに歌ってたLiveのやつ。 The Venturesのレコードで、日本での1stは"Colorful Ventures"(モノ)で、
資料によると、発売されたのが1962年4月15日となっている。もう60年前になるのか。
実際はそうだとしても、そんな感じがしないし古臭いとは思わないな。
年月は経ってもサウンドが新鮮に聞こえる。これこそがヴェンチャーズサウンドの
魅力。 日本のColoful Venturesはタイトルを無視して1曲目にWalk Don't Runを入れた
編集盤だっけ 日本で最初のThe Venturesのシングルは、Walk Don't Run(RANK-1075)で、当時は
東芝でなく、ビクターから1960年11月に"ベンチュアース"名義で発売されていたが、
全く売れなかった。この時、日本では無名だった彼等が5年後に爆発的に人気に
なるというから誰もが予想しなかっただろう。 ビートルズのマイボニー・ツイストも62年にひっそりリリースされてたからな トニー・シェリダンと彼のビートブラザース名義として、1962年4月に発売されて
いるが、当時は誰も見向きもしなかっただろう。ジャケット見ても、楽団モノの
インストと思ってしまうほどだ。"彼のビートブラザース"の連中は数ヵ月後に
名前を変え、デビューし、その後は世界を代表するバンドへと成長する。
"マイボニー"として、後に再発で出ているから日本で知られるようになったのは
この時じゃないのかな? ビートルズ関係の日本盤シングルとしては超激レア
62年当時、The VenturesもThe Beatlesも、日本ではまだ無名のままだったという
ことがわかる。
オマケに言いたいが、アメリカでは、あのグループがキャピトルから
デビューアルバムをリリースした年でもある。 The Venturesも、The Beatlesの曲のカヴァーが数曲ある。なかでも一番思い浮か
ぶのは"I Feel Fine"だろう。 VenturesのWah Watusiを聴いた時ちょっとCry For A Shadowに似てるなと思った "Cry For A Shadow"はThe Beatlesの曲としてではなく、60'sのインストナンバー
として聴けば自分は、結構楽しめるほう。
"Wah Watusi"は黒人R&BグループThe Orlonsのヒットがオリジナル。 The Venturesも"My Bonnie Lies"としてカヴァーしてたのもあったな。 The Venturesが東芝時代、The Beach Boysの曲を演奏していたのもあるのかな?と
思ったときが何度かあったが、この2曲が頭に浮かんできた。
"Sloop John B.". "I Can Hear Music" (ただし、B.B.もオリジナルではない)
あと"Surfin' U.S.A. 78"とかいう珍名曲もあったが、The Venturesのオリジナルで、
"あの曲"とは全くの別物。紛らわしい。 The Ventures - Hollywood Punk (Aka Surfin' USA '78) この曲は、このタイトルのほうでいい。作曲者はグループかと思ったら、この時の
ドラマーJoe Barileだった。やっぱ、The VenturesのドラマーはMel Taylorに限る。
Joeだと自分的にはパットしない。 The Ventures - Hollywood Punk (サーフィンUSA'78)
https://youtu.be/UDpzTrdm4eg 元々10代頃からベンチャーズは好きだったんだけど、
情けない話なんだが30歳の時(2016年)ある日ホラードラマを見てあまりの怖さに数日不眠で悩まされた事があって
その頃たまたまCD屋で買った"The Ventures Play Yuming"を聴きながらベッドに入ったら勇気が
湧いてきて寝られるようになり、それ以来ベンチャーズのことがますます好きになって本格的に聴くようになった
皆さん(特にドンさん)本当に楽しそうに演奏されますよね!
今ごろ天国で主要メンバー揃ってライブを開いている事でしょう 彼等だったら、あの世で同窓会LIVEを楽しくやってるかもね。
Don Wilsonの十八番"Feel So Fine"は元々はJohnny Preston(だったと思う)の曲
だが、Prestonのほうは聴くと、少々ダサさを感じて物足りないところもあるが、
逆にDon Wilsonのほうが新鮮さを感じて、ノリが良いのでこっちのほうが上出来。
これが彼のオリジナルだったら良かったのに・・とつくづく思ってしまう。 今年は来日60周年記念のジャパン・ツアーが開催
初日は7月23日(土) 埼玉/越谷
↓ ↓ ↓ 詳 細 ↓ ↓ ↓
ベンチャーズ ジャパン・ツアー
https://www.mandicompany.co.jp/TheVentures/
<M&I>ベンチャーズ ジャパン・ツアー2022|スケジュール
https://www.mandicompany.co.jp/TheVentures/tour.html 日本でのオリジナルメンバーは全員亡くなってしまったから、往年の作品は聴く事はあっても、
観ることはもうないな。今のは全くの別物。個人的に興味無し。 10年前にNorkie Edwardsの長崎公演を見に行ったのを思い出した。あのLiveは行ってよかったなと
そう思う。Liveの後に、彼の写真を買うと、サインをもらったり握手もしてくれた。
有名なギタリストと握手できるなんて光栄だな。
俺は親父の影響でThe Venturesを愛聴するようになったが、親父も俺もあの4人揃っての
Liveは見たこともない。親父の場合、Don WilsonのいないLiveだったらしい。息子の訃報を聞き急遽帰国。
前座をやっていた日本のバンドのメンバーが代役をやっていたそうだ。
俺が初めて見たのはDon, Gerry, Bob, Melの4人で90年の長崎でのLiveだった。別になったけど、
往年のメンバーを生で見ることができてよかったのは誇りに思う。 "Georgy Girl"はThe Venturesもアルバムでカヴァーしてたな。このヴァージョンも
派手さはないが、出来はなかなかイイ。 Mel Taylor & The Magicsのジャケットはオリジナルより、日本盤のほうが断然イイ。
本人がドラムを叩いている姿は感動もの。
The Magics名義になってるけど、どうもThe Wrecking Crewの連中が演奏していると思うんだよな。 JAZZ界のレジェンドRamsey Lewisが亡くなった。The Venturesや、Mel Taylorも、
代表作"The In Clowd"をアルバムでカヴァーしてたな。The VenturesはLewisの子分の
Young-Holt Trioのヒット曲"Wack-Wack"もアルバムでカヴァーしている。
"Wack-Wack"といったら、自分はBuddy Rich B.B.のLiveのほうが思い付くな。 映画「ロリータ」のテーマ。今見ると、どこがロリータだよの風貌だが
youtube.com/watch?v=wttgnW5ZT50 The Beach Boysのインストナンバーには"Diamond Head"というのがあるが、
The Venturesの御馴染みの曲とは同名異曲。Brian Wilsonのオリジナル 峠の幌馬車 ビリーヴォーンのアレンジが一番気に入ってるけど
ベンチャーズ版もなかなかイイネ 秋と言うとThe Venturesなら"木の葉の子守唄"を思い浮かべるな。
Mel Taylor加入前の頃の初期の音源もシンプルな構成だが聴きやすい。 久しぶりにこのスレ覗いたわw
>>179
ヤバいw「来てたの?」レベルだった
別に現行のベンチャーズをバカにしてる訳じゃないが、コロナで中止が続いて、もう来ないと思ってた The Venturesの日本でのオリジナルメンバーはご承知の通り、全員故人。
The Astronautsは存命者が1人(日本で有名だった頃)
The Surfarisは存命者が2人(オリジナル)
The Tornadosも存命者が2人(Telstar頃)
The Spotnicksはリーダー含む数人が故人となっているが、
The Shadowsの場合はHank Marvin, Bruce Welch, Brian Bennettの三羽ガラスは今も存命。
しかし彼らも年齢が80代という高齢だからそろそろ訃報が来そうだな。 おれは葬儀のときには必ず京都慕情で送ってもらおうと決めているんだ。 Duane Eddy, James Burtonも80代の高齢だから、訃報がきてもおかしくはないな。 >>195
Ten Seconds to Heaven
だろw ベンチャーズの動画を精力的に上げてるYouTubeチャンネルはいくつかあるけど、やるなら音楽動画に専念して欲しいよな
政治色のある主張はやめて欲しい・・・
とあるチャンネルの最近の様相を見てると本当にゲンナリする
まぁ、タダで観てるいち視聴者にチャンネルの方向性をどうこう言う権利は無いってことは分かってるけど・・・にしても・・・ねぇ?