スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争~27年目
>>739
739 な、美久 だが、
740 詰れ(荒らしは) だが、 >>746
746 詰ろう だが、
747 無しな だが、 このスレも落ち着いたみたいだね。
大木の不良仲間のハリーと滝沢が短距離で勝負したとき。
このときひ滝沢は足を痛めてたんだよね。
だこら現実に沿って滝沢が負けるべきだったと思う。
ハリーが勝って大木は約束通りラグビー部を辞めると言う。
しかし大木は森田や山崎から滝沢は足の負傷を抑えてお前の為に全力で走ったと聞かされる。
それで心打たれた大木は『先生、知らなくて済まなかった、俺はラグビー部に戻るぜ』となってハッピーな締まりに。
この展開の方が現実味あって良かったと思うね。 俺は滝沢と水原の決闘では水原にももっと見せ場与えても良かったと思う。
あの決闘で水原は蹴り一発しか出してなかった。
最初はある程度の互角の展開にした方が後の展開が光ったとも思うけど。
でもラガーマンが本気出したら高校生の不良など相手にならないという描写かな。
『酒やタバコを喰らって遊んでる連中のなまくらゲンコツなどラグビーで鍛えた滝沢君には通用しない』
山城校長のこの言葉通りの展開にしたのかも。 滝沢賢治を神格化し過ぎてる部分はあった。
モデルの山口良治氏は『ワシはあんな立派やなかった』と苦笑いしたとか。 役所浩二主演浅間山荘映画で当時実際に陣頭指揮取った佐々敦之がモデル
本人曰く私はあんなに男前ではなかったwと苦笑い 実話を元にした実録物だとどうしても実際(実物)より見栄え良くなるよね。 山下真司
松村雄基
小沢仁志
伊藤かずえ
この4人が集まった動画チャンネルがある。
小沢仁志と伊藤かずえは架空の人物役だったから好き放題できたと。
伊藤かずえは出番は意外にも少なかったから思い出はあまりない。
これは予想外だった。 『少なかった』とは思えなかったけどね。
でも伊藤かずえの富田圭子は川浜の生徒ではなかったし。
まあ本人が『私は出番が少なかった』と言ってるからね。
見返すと恐らく半分以上、3分2は登場してるはず。 本人の印象が薄いんやろね
語るのはいつもレモンと白馬のシーンのことばっかりだし
ほんとはマネージャー手伝いで練習シーンにもよくいたし、
結構出てるんだけど 本人はかなり出てたよね。
メインキャストだったし。
前26話で出てない回の方が圧倒的に少ないはず。
しかし富田圭子も何年高校生やってるの?だった。
最初の『港南女学院3年』との滝沢への挨拶。
当時は留年前の2年だった森田より年上設定? あの当時は大映ドラマ全盛期でTBS以外にフジでもやってたし
終わったと思ったら次のドラマに同じ俳優出てたしね
松村雄基、岡田奈々、伊藤かずえはほぼ出ずっぱりだったから
忙しすぎて覚えてないのかも
伊藤かずえは主演もあったし 松村雄基 伊藤かずえ 岡田奈々
この3人はずっと出てた。
・不良少女と呼ばれて(1984年4月〜1984年9月)
・スクール★ウォーズ(1984年10月〜1985年4月)
・乳姉妹(1985年4月〜1985年10月)
・ポニーテールは振り向かない(1985年10月〜1986年3月)
・花嫁衣装は誰が着る(1986年4月〜1986年7月? 10月?)
・スクールコップ(1988年4月〜1988年7月) スクールコップとかいういつの間にか終わってたのが実質ラストだった スレが伸びてるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 87年は大映はプロゴルファー祈子で全く別キャスト。
キャストが一新されたと思ったら。
88年スクールコップで元のキャスティングに戻った。 松村雄基 伝説の「スクール☆ウォーズ」撮影裏話披露 極寒グラウンドでの過酷ロケ中に山下真司は… [朝一から閉店までφ★]
ps://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1712266401/ 動画で同窓会みたいなのが幾つもあるね。
山下真司、松村雄基、伊藤かずえ、小沢仁志
それぞれのチャンネルで同時撮影。
山下真司のチャンネルは続いてないみたいだけど。
こういうのは向いてないと自ら言ってたけど。 音楽だけ聞いてると4つくらいのやつを場面によって使いまわしてるだけなんだよね
最後はだいたい「ヒーロー」で終わるけど ふと賢治の脳裏に中学時代の恩師の言葉がよぎった、、、何回よぎるねん! いや~当時から俺は今からお前たちを殴る!!は???だったよ >>771
バックの曲はいいのが多かったね。
またその場面、その場面にマッチしていた。
ヒーローのオーケストラバージョンとか。
ヒーローがゆつまくりしたテンポで流れる曲。 >>774
ゆつまくりしたテンポ
↓
ゆっくりしたテンポ 「悔しくないのか~!!」「いや、特に、、うちらこんなもんなんで、、おつかれ~っす」だったらどうなってたのか。 森田は留年して悔しい思いをした。
そして109ー0でまた悔しい思いをした。 自分の兄がドラマが放送してた時期の伏見工のラグビー部
この2〜3年はミーハーばかり入って、経験者は敬遠し、強豪校の空気が薄れて一番弱い時期だった
予選の準決勝で普通の公立の洛西高校に負けるほど
その様子を見て、ここなら1年生から出られると思った中学の京都選抜達が固まって入学して
、その世代が三年生のとき5年ぶりに花園出場し、そのまま二回目の全国制覇
伏見工は練習試合でもベンチを並べて父兄が見に来れるようにしてるんだが、しょっぱい試合になった後の円陣で、その父兄の目の前で鉄拳制裁を平気でやってるのを見て
父兄の目がブレーキになってない状態が怖くなって自分は入学を止めた 昭和ならではの話だね。
今なら一発でアウト。
バッターアウト 試合終了〜