NHK連続テレビ小説「本日も晴天なり」★3
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立てられない人は踏まないでね
【放送予定】
2022年9月19日(月)より
毎週月曜から土曜 午前7時15分から午前7時30分
毎週日曜 午前9時30分から午前11時 1週間分6話連続
15分×全153回
BSプレミアム・BS4K 同時放送
【公式サイト】
https://www.nhk.jp/p/ts/ERGGXR3JKK/
【前スレ】 NHK連続テレビ小説「本日も晴天なり」★1
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/natsudora/1663023799/
NHK連続テレビ小説「本日も晴天なり」★2
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/natsudora/1666958531/ >>1
本当にすみませんねえ。
お嬢に代わってこの通り、お礼を言わせてもらいますよ 河内山の発狂ぶりが草
カーネーションの善ちゃんみたいに
大火傷すればよかったのに >>6
あれ、本当にパニクっていたのでは
よく演技を続けて1カットに出来たなと思う
宮本信子が素晴らしいわ >>1
誠に申し訳ございません!まさかスレを立てて頂けるなんて思ってもいませんでした。巳代子さんも喜んでると思います >>1
乙です。おーきに
>>6
娘でも嫁にだしたらそっちの家の人思考がまったくないパターンの父親
しかも地方の旧家の長男に嫁いだのにね 大介って河内山の隔世遺伝だろ?
平将門の首塚も竹の棒で引っ叩きまくる池沼ガキ 順平はどこにいるの?
地方の大学とか?
元子が18才の時に3年生くらいだったから
今元子が28才なら大学生くらいだよね
>>13
大介、今2才か3才… 軽く見るタイプの朝ドラではあるけど
河内山や人形町の何がそんなに偉いのかと思うわw >>15
順平は終戦時3年生だから昭和11年生まれ、昭和28年は高2
吾郎は2歳上だから高校は卒業してる このまま松江にいるまま元子が作家になるって事はないよな ラストの元子が庭でよろけるシーンの表情は事故に遭うパターンだろ 藤井が本性現して会社をわざと潰した、と鬱展開を予想したけど、本気で失敗しただけなのか。 共同経営者の玉置がいるはずだから
藤井の責任でもないような
大原はいったい何日松江にいたのか 正道に出版社をやろうと話を持ちかけた人物
実際に登場したことは無い
元子や藤井の台詞で語られたのみ 年内は松江編か。
お祖母様の書道講師としての姿、子供の頃の硬筆教室を思い出しながら観ていた。 Wikipediaより
原 泉(はら いずみ、1905年2月11日 - 1989年5月21日)は、島根県松江市出身の日本の女優
初めは書の才能を生かして書道家の岡本高蔭の弟子となったが、在京している妹の学費を稼ぐために谷中のモデル事務所に所属し、主に彫刻家のモデルになる。端正な容姿や佇まい、面影が好まれ、平松豊彦、堀江尚志などの彫刻家に採用される。
その後、プロレタリア演劇研究所に入所。
1928年、東京左翼劇場に合流して旗揚げ。メンバーとなる。
同志であり生涯の盟友でもあった中野重治と1930年に結婚。 >>29
もともと松江の方で書道を嗜んでいらっしゃったのか……。
道理で。 美代子はあのデカい腹だったから巨大女児産んだんだろうな 原泉さん、放送当時76歳なのか。今の感覚で見るともっと老けて見える。 当時の大流行を記憶してる「おしん」
タイトルだけはうろ覚え「まー姉ちゃん」
そんな朝ドラがあったのは後から知った「本日も晴天なり」 20年間の専業主婦期間を埋めるためなのだろうが
なんでモデルの方とは縁のない松江なんだろう
81年当時って松江で何かあったの? 歌舞伎の河内山で、宗俊が強請をかけて失敗するのが松江出雲守のお屋敷
であることにかけた洒落
と前スレに書いておられた方がいた
亡くなった鬼平の吉右衛門の当たり役でした それだと脚本家の意図で松江を出したことになるよね
NHKから松江を出せという要請が先にあって、そこから河内山宗春を思いついたのかもしれない 原さんの配役が早い時期に決定していて名女優に本物のお国言葉で「だんだん」言わせるため
かな? 大介「東京のおばちゃんより松江のおばちゃんの方がきれいだからこっちにいる」 >>35
モデルの近藤富江さんの実際は幼い頃に人形町を離れてる
なので愉快な下町の仲間たち話はまるで創作
激動の時代の元NHKアナで後半生は作家として成功した人なんで
朝ドラに!だったのだろうけど
半年朝ドラにするにはその中間のネタが足りなかったんだろうね
>>36
河内山宗俊は白鸚、吉右衛門の両丈を何度も見てるけど
このお役については自分は白鸚のほうが好きかな
「ばかめ」のとこがうさん臭くてね(個人の好みです) >>42
青木富枝さんは話し方や態度が下町風の威勢のいい方だったらしいので舞台を人形町にしたんじゃないかな
ドラマ化したのは(おそらく終戦時最年少の)武井照子さん(ブルースのモデル)が >>43
途中で送ってしまった
武井さんがNHKを定年退職すると終戦時の事を知る人がNHK内部にいなくなるから戦争末期から終戦時の記録を残す意味でドラマ化した面もあると思う
(本放送終了時に定年退職) 今日は朝ドラらしくていい展開だったな
今迄見た中で一番面白くて泣き笑いがあった 東京にいればずっと「お嬢、お嬢」に「さすがはガンコちゃん」で楽ちんだし
旦那の実家でも地方の旧家とは思えないような優しい人ばかりの中で過ごせて
人生楽勝なヒロイン 兄の恋人のその後より弟の順平どこにいったのか気になる >>44
武井さんが退職してから、武井さんモデルということでやっても良かったと思う
実際、NHK局内の話は武井さんのエピソードがほとんど
子どもを失ったのも武井さんなのに、それも近藤さんの経験のようになってしまって私なら嫌だ >>44
その人形町はごくごく幼年時代に離れてて田端で成長
この朝ドラは母親が何故か見ていなかった
騒々しいのが嫌いな人だったので見るのを止めたんだろうと思う
自分も近藤富枝さんの著作はきもの本とか何冊か読んでるのに
朝ドラの存在はホントに知らなかった
>>48
その武井さんは局内で立派な業績残してても
作家として成功した近藤さんのほうが一般周知度高いから
こういうカタチになったのだろう そういえばプロレス視聴組の中に順平も吾郎もいなかったな 興奮してショック死した人もいました、
ってマジすか。。
そんなにプロレス人気凄かったの ブラッシーがかみついて流血したやつな
ずっと後の話だけど >>55
今とは大違いの世界で
刺激を受ける度合いが違うんだろうな >作家として成功した近藤さんのほうが一般周知度高いから
そんなに知られた人ではないような
放送当時の81年はまだそんなに本も出してなかった
放送後には本もたくさん出してるから朝ドラで名前が売れて活動が広がったのではないか >>56
ブラッシーさんの記事見てきました
11人亡くなってとかびっくり 大介へのいじらしい不安を見せる宗俊が可愛い
玄関で「おじいちゃん」って呼ばれた時の宗俊の表情が最高だった 元子も久しぶりに宗俊の軽口を聞いて
懐かしくて嬉しかっただろうね 原泉さんと言えば今日からテレ玉で始まった必殺仕舞人に、鎌倉の駆け込み寺庵主兼殺しの指令みたいな役でご出演 >>58
本好きだけど
「本郷菊富士ホテル」とか「鹿鳴館貴婦人考」とか
この放送以前の出版でそこそこ話題になってた記憶がありますが 誤った江戸っ子風情の描写が払拭されて静かなドラマになったな 虫がきたのをはらいながらしっかりセリフ言う津川雅彦いいな
そしてそれをそのまま放送するのもいい >>64
放送当時大学生だったけど、本郷菊富士ホテルや田端文士村は大学の先生も推薦していた記憶がある。
本郷菊富士ホテルをベースに当時NHKが短期連続ドラマを制作していた。
夢路の恋人で責め絵伊藤晴雨のモデルでもあったお葉さんを原田美枝子が演じていた。 >>59
フレンド・ブラッシーをさん付けする奴を初めて見た >>70
昭和11年生まれだから、昭和20年4月に高校卒業してる 松平の殿様が生きておられたら〜と大姑さんが言ってたから、
この婆さんは江戸時代の生まれなのだと思っていたが
明治元年生まれでも昭和30年には87歳だ
殿さまの記憶があるなら95にはなってるな、ほぼ100歳だ 今が昭和30年だから、順平は高校を卒業して働いているか、大学に進学しているかと言った年頃か。 >>73自己レス
訂正
昭和11年生まれ(終戦時小学3年生)だから、昭和30年4月に高校卒業してる 宗俊は元子が幸せそうにしていたのが
気に食わなくてムクれてたんだろうな
相変わらず根性の悪い癇癪親爺だ 孫達との惜別が辛い事を悟られないよう振舞ったと解釈した。 >>69
フレッド・ブラッシーをフレンド呼びする奴初めて見た 複雑な元子の心中を察する場面が良かった
元子、いい夫もったよな いや東京でお手伝いでも雇ってバリバリ働きゃ良かったのに
田舎に嫁がせるなんてね
自分で選んだ道だからいいけどね 松江の正道実家周辺の人はみなやけに理解があって優しいし
出雲大社やお城やらの観光シーンはふんだんに入ってるし
どういう押しがあったのかは根ぞだけど
松江観光誘致キャンぺーンのために東京を離れなければならなかった。 >79
松江への往路では、宗俊がミカンを上等にむいてやって、トシ江が黙り
復路では、トシ江がお茶や巻き寿司を勧めて、宗俊が黙る
それぞれの心の機微がでてて良いシーンだった
行きはよいよい帰りは嫌だっていう宗俊が可憐 >>82
正道は旦那の鑑だよね
元子も良い奥さんだけど
お互いの心中を察する思いやりがさらに関係を良くするかんじ
まさに好循環 >>75
松平家は明治2年の版籍奉還とともに華族に列し
明治17年(1884年)の華族令で伯爵に叙爵されている
普段地元の人に言われる
いわゆる通称の「お殿様」はいたんじゃない? 元子のモヤモヤ伝わったわ
あの田舎でこの先一生を終えるのかな
かわいそうで仕方ない
東京にいたら放送の仕事が出来るのに
あの好奇心が強くて元気な元子が友達もなく外に出ても城と神社くらいしかなく
家の事と病人の看病と本家の老人を奉って子育てするだけの毎日を過ごしているのを見て宗俊も心配しているだろうな 元子のお人好しにも程がある
あんな風に行ったっきり戻って来ないなんて、自分の母親のこともっと大事にして欲しいわ てか、田舎の長男のくせに東京で働くのが悪い
田舎で嫁貰えば良かったんだ あの辺りはこの先もしばらくテレビは写らないし民放も開局しない 順平が東野英心みたいに成長して草
料理教室の収録でマイクの前で語る巳代子がうどんさんみたいで大草原 日本の最先端の地で生まれ育ってそれが当たり前だから
自分だけが田舎で取り残されて置いてけぼりを食っている気持ちになるんだろうな
「なんで自分だけ……」となるのも分からなくもない
鹿賀丈史は優しさがあるさとし方だったな >>87
横
調べたら最後の10代藩主は婿養子の定安氏
9代藩主が愚鈍で財政悪化し主君押込で強制隠居、美作から定安氏を婿養子に迎えたらしい
明治4年、定安氏は東京に土地を求め転居している
明治5年、定安氏は家督を9代藩主の実子直応(なおたか)氏に譲ったが
明治10年、直応氏が隠居、定安氏が再び家督を継ぐ
明治15年、定安氏が三男直亮(なおあき)氏が家督を譲り、死去
という流れ
明治17年に伯爵になったのというは直亮(なおあき)氏
もともと三男で大阪の商家天王寺屋(あさきたの山王寺屋モデル)に養子にやられていた人で
だからあまり松江にはあまり縁が無かった
明治以降に松江に居たとしたら直応(なおたか)氏かな
実父が家臣に強制隠居させられてるから、どうなんだろう 磯村みどりってその後会社の社長になったんですね。
ウィキペディアに書いてあります。 妹に嫉妬してるんだね
最後のBGMおどろおどろしくて怖かったー、ヨコミゾ映画みたいだったわ >>90
それを言ったら
東京に住んだ場合
「正道は行ったきり戻ってこないなんて、自分の母親のことをもっと大事にして欲しいわ」になる
大原家に嫁にいったんだから仕方ない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています