義経は頼朝を倒せたか?
司馬の「義経」を読んでフラストレーションがたまったので建ててみた。
うまくやってたら頼朝と北条氏を倒して義経が天下取れてたと思うんだよね。
なんか頼朝ってやたら評価たかいみたいだけど
具体的になにがすごいの頼朝って? >>101
武家にしては良い血筋。
征夷大将軍となって初めて武士のみに近い状態の政治を行った
鎌倉幕府を開いた
13歳で流罪になってから、父の仇をとった
・・・と名目上は言われている事。 武家による政治ってなんであんな形になったんだろう?
幕府を開くって発想はどこからきたのかな?先人に倣うなら
平将門みたいな事しちゃいそうだが。 独立しようとした平将門は失敗した。
独立というのは、相手が(朝廷が)諦めるまで戦い続けるしかない。
平清盛は朝廷内で政権を取ったが貴族になってしまい、新興台頭貴族として反感を買った。
いずれも、朝廷の味方をする勢力に滅ぼされた。
頼朝は、そこで「朝廷の味方をする勢力」に徹したのが勝因だと思う。
後の枠組みは奥州藤原氏に近いかもしれない。
藤原秀衡は陸奥守にして鎮守府将軍、またそれを頼朝が討伐対象にしたこと、源氏はかつて
奥州支配を企て(頼義・義家)その連想から征夷大将軍を望んだのだろう。
朝廷の存在を前提として、実質的に政治を行う組織となった。 けど平将門の時代と違って貴族達より武力があったわけだから
簡単に転覆できたと思うけどな。承久の乱なんてそうだし。 お山の大将を目指していたんではなく武家社会を治めたかったんだろ >>107
なぜ伊豆の流罪人頼朝に関東の武士が集まってきたかといえば
「源氏」だからだろ?
そして源氏ならなんで集まってくるかといえば、貴種、すなわち
都の高貴な人の一種だからだ。
そんなセンスの日本人が貴族を倒せるわけがない。
武力で倒せても滅ぼしたりしない。
頼朝にしたってそうだ そんなことをしたら自己否定だ。
源氏は三代で滅びたけど、摂家将軍や皇族将軍を迎えて幕府を
存続させたことを考えると、結局日本人が望む求心力って自分
から作ることができずに既存の権威を頼むという発想でしかない
事が良くわかる。
しかし日本人はだから「応用力」が身についたんだと思う。
一から発明はなかなか出来ないけれど、既存のものをより良く
便利な風に仕上げていく能力というものは日本人には昔から
備わっていたんだな。その能力は現代の日本人も受け継いでいるよ。 義経みたいな馬鹿でも法皇には頭が上がんなかったもんな
日本では馬鹿でも応用力があるんか? 武家政治ってようは朝廷を傀儡にしてみたいな事なんだろうけど
言ってしまえば中国の宦官がやったこととさほど変わりないんだよな。
自制して真面目に政治したから良かったのかね。 朝廷を倒そうとしたのっていなかったのかね。
義仲はちょっとそういうところあったと思うし。
後は信長ぐらいかね。 平将門は関東一円を支配できれば満足だった感じだしなあ 足利義満ってそういえば中国から日本国王みたいな判子もらったんだっけ?
あれって日本史上どういう位置づけになってるだろ?
皇室を優先する大日本史だっけ?とかでは大悪人かな? 頼朝も奥州藤原氏の関東版をやるつもりが義経が
西国で平氏を滅ぼしちゃったんで勢いで全国統一しちゃったって感じな気がする
最初から統一までしようとはしてなかったように見える
自分の周り(関東)の武士が土地持てればいいじゃん程度じゃねーかな元々 >>118
それでは平将門と同じなんじゃ?
平忠常もだめだったし、関東・東海くらいじゃ済まない
対抗勢力をすべて排除しなければ根本的な解決にはならないと思ってたはず
そして朝廷とは別に政権をという考え方もあったとオモ
「天下草創」だしね
これは奥州藤原氏も滅ぼした後の書状(九条兼実宛て)に出てくる言葉だけど
平氏も奥州藤原氏も打倒しなければ関東は安穏とはできないという考えはあった
平氏も関東を平定しなければ平氏の天下が続かないと思ってただろう
奥州藤原氏はちょっと別格
これは蝦夷の地域が昔から別の地域だという発想があったからでは?
>>118
東国の武士を動員するにはそれなりの理由があったはず 実際義経がいなかったら
平氏が西日本 頼朝が関東 で東北が奥州藤原
で三国時代に突入してたんじゃないかな? 京都まで来た東国武士の数は、誇張で千騎程度が実際かなぁ
と思ってたけど、九州まで東国武士の兵站と士気がよく持った
なあと思ったら、西国の戦いでは朝廷のお墨付きの力も借りて
九州とかの西国武士を動員してるんだな。
★源頼朝
政治◎ 奸悪 卑怯 家康がかわいく見えるほどタチが悪い
軍事△ ほとんど戦功はなし 陰湿な暗殺指令を連発
★源義経
政治× 白痴のレベル
軍事◎ 信長と並ぶ世界史上の不世出の天才
★木曽義仲(源義仲)
政治× 白痴のレベル
軍事○ 源氏の中では義経の次に優秀
★新宮行家(源行家)
政治◎ 根回しで源氏を平家討伐に立ち上がらせた策士 卑怯で恩知らずで節操がなく自滅
軍事× 戦うと必ず負けるw
★源範頼
政治× 白痴のレベル
軍事× 白痴のレベル
★北条政子 頼朝の妻 女で実質的に将軍になった唯一の人物 頼朝を強チンした元祖肉食系女
政治◎ 奸悪 卑怯 冷血 頼朝が善人に見えるほどタチが悪い まさに鬼女
軍事−
>>125
義経と義仲の政治力が同じという事は無いだろう
義仲は△か△〜×あたりにしておくべき。
あと、載頼・・・。
源平初心者が考えそうな表だな・・・。 >>126
確かに義仲の方がマシだけど、レベル的には似たようなもんじゃねw
だって、義仲は行家を立てて、裏切られ振り回され、自滅してるから
義仲より政治痴呆だった義経も、行家を立ててたが、騙されてはいないからねw
どっちもどっちだよw 新宮行家って司馬の「義経」見て知ったけど政治◎でもないでしょ。 >>130
一人の人が書いているんだから当たり前なんだが、
作家にとっての
歴史上の人物に対しての印象の良し悪しなんかが出やすいんだよ。
特に司馬の作品は、「功名が辻」で山内家から言われているように
偏っているといわれている。 つか司馬はAの歴史エピソードをBのエピソードにすり替えるというパターンをよくやる ちなみに司馬の「義経」ではどの部分が印象で書かれてるの? >>133
唐綾の描写や彼女か話した奥州関連のことは
根拠のないものが多いからな…。
ここは、あまり鵜呑みにしないことだ。
あと司馬は義経を
「政治能力皆無で、愛に飢え、軍事だけは世界の三本の指に入るくらい天才」と
評しているが、人によっては
「軍事の天才じゃなくて、ただの卑怯者」とか
「実は後白河法皇に取りいったから、政治能力もあるんだよ」とか
言ったりもするし…。 当時は軍団みたいな機能がなかった
みたいな主張は正しいの?正面からぶつかるだけだったの?
人によってはじゃなくて、普通にただの戦知らずの大将だろう
司馬のは適当に書き飛ばしただけ
少なくとも平家を追い込んだ上で神器と天皇の奪還と引き換えに降伏を許す、
と言う戦略には齟齬を来たしてる つか自分が源頼朝の弟であるってことをサッパリ忘れて行動しているよな
御家人連中を功績を争ったりしたらダメだろ 司馬の小説だと義経は戦に美意識持ってた
みたいに書かれてるのと当時卑怯とも取られかねない
戦法取ってたことがかみ合ってなかったと思うんだが
どうなんだろ? チート使って俺tueeeeすることに美意識を持っていたゆとりってことだろ? けど頼朝が不意打ちした時はなんかこれが戦なのか?
みたいに疑問視してるんだよな。
司馬の義経。 司馬はノリで小説書いているんだから整合性気にしちゃダメだ
話の途中で「筆者は〜」とか言い出してしょっちゅう腰を折る時点で気づけ 貴族気取りで平和ボケしてた平家相手に慣習破りで勝っただけなんだよな
同じ東国武士相手の戦いだと義仲相手に圧倒的大軍で勝ったのか
平泉で圧倒的大軍になすすべも無くやられたのしか無いからなあ
勝つ為になんでもやるってやり方は天才とは違う気がする >>116
天皇はその名の通り「皇帝」って位置づけだし
位の下がる王なら問題ないんじゃね
家康だって貰ってるし 司馬義経は稚児のとき慰みものにされるシーンしか覚えてない 司馬の義経ってあれ人気なくて打ち切りとかだったのかね?
小説ってマンガみたいに連載してるのかどうかしらないけど
ジャンプの10週打ち切りマンガみたいだった。 義経が逃げる途中でウンコ漏らしてたら勝ったかも知れないとふと思う >>151
帰ってから自分を絵師に自分を描かせるくらいでないとな >>138
頼朝の弟であることに意味なんかないよ。
頼朝の言う通りにしたところで、蒲と同じ道を辿るだけ。
てか、頼朝が無力だから義経も蒲も死んだんじゃん。
北条は良き補佐役になってくれるであろうし、邪魔者は片付いたし、
これで未来は頼家のものって、この無邪気さこそが痴呆というんじゃないの。
義経と頼朝が仲良く出来れば、北条を駆逐できたかも。 会話ってw
当時は兄弟は相続上の敵でしょ。親・子でさえ犠牲にしても自己の権力を
維持しないといけないわけだから。 ∧∧
( ,,) 『やっぱり・・・・。』
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〜(__) 郎党を食わせていかなきゃいけんもんね
大将は辛いよ 義経が北条政子に夜這いをかけ、堕とせば頼朝を倒せた >>162
「追捕使」「地頭」でもって武士の地位を「非人」から「国の公職」にまで高めた事で、
鎌倉殿(頼朝)は、全国の武士の圧倒的支持を得たから。 庶弟は家子であって欲しいもんだけどな。
欲で以て要らない翼を付けたもんだ。 最初、頼朝に追われる身となって、義経は西国にいこうと思ったが、
出港の前日に嵐に見舞われ、船がみんな沈んでしまい行けなかった
らしい。 既に頭が居る平泉より
義経を担いでくれそうな奴を西国で探す方が展望はあるような 義経は、日本を捨ててユーラシアへ雄飛し、ジンギスカンになった、
でいいじゃね。 島津氏が鎌倉から薩摩入りしたのは1275年
それまでは鎌倉に居住していた 頼朝を倒す以前に平教経が義経を仕留めたら源氏の負けだったかもね 秀衡の言うとーり、大人しく奥州に留まってれば良かったんだよ。
そしたら源氏と平家は相討ち・・・いや、屋島や壇ノ浦のような
義経の活躍がなかったとするなら、間違いなく頼朝が敗れてただろうに。
そのうち清盛が死んで、自動的に天下が回ってきたかもしれない。 むしろ立場が逆だったら面白かったかも。
頼朝:平治の乱の後の落ち武者狩りを逃げ切り、改名して奥州に逃げ込む
義経:常磐と共に伊豆に島流しされる(今若、乙若は別の所に島流し) 司馬の「義経」俺も読んだよ。行家が本当にジャマだった。
九州落ちの船が難破してしまったのがつくづく悔やまれる。難破して助かってからどうして落ち延び先を奥州に変えてしまったのかな。
山陽道へは出られなかったの?
義経を豊後で迎えようとした緒方は上野沼田に配流
他に味方らしい味方の武士がいなかったんだろ
>>182
義経の逃亡ルートは解明されたわけではないが、
義経が美作国の山寺で亡くなったいう「噂」はあった 頼朝って無能だよね、政治的なことは北条がやってただろうし
藤原氏が全面協力すれば鎌倉倒せただろうがその後、グダグダになりそう 義経が九州に逃げてたら
足利尊氏とか西郷隆盛みたいに力を蓄えて
反革命とかできたかもなあ。 承久の乱とかで義経が先頭にたち幕府軍と戦うとかありえたんじゃね。 さらに奥州藤原もあるから
義経 頼朝 奥州
の三国志時代になったかも。義経と藤原が組んで
同時に鎌倉に攻め込むとか。 義経は平家の残党をなんとか助けようとした
みたいな話なかったっけ_?