義経は頼朝を倒せたか?
司馬の「義経」を読んでフラストレーションがたまったので建ててみた。
うまくやってたら頼朝と北条氏を倒して義経が天下取れてたと思うんだよね。
お、建てれた。
平泉が動けば結構簡単に鎌倉は倒せそうだとおもうんだが 仮に義経が天下を取れても、彼に頼朝のような政治手腕はなく、室町幕府のような不安定な政権になったと思います 政治的手腕ないのかな?朝廷から官位もらったりしたのって
意外と対鎌倉を考えてたんじゃないかと思うんだが。
まあそれにしても部下に政治のうまい人がいればな。あの時代武士で
政治うまいのなんてほとんどいなさそうだが、 弁慶は僧侶だしもっとちゃんとしたのが付くべきだったかな。 朝廷から官位貰う時点で、政治的駆け引きダメダメなような気もするが
それに戦術的天才であっても
あのやり方は古参の武士には受けが悪いような気がす
結局は誰もついてこなくなるのがオチなような? 西国での平氏追討は戦術家としては優れていた。
しかし、問題なのは、官職云々もだが、御恩と奉公の関係が分かっていなかったのでは。
義経は頼朝の名代だ。だから手柄を立てるべき立場ではない。
作戦は考えても良いし、実行しても良いし、戦っても良い。実は戦闘そのものはあれで
まったく問題なく、勝利した。三種の神器の問題はあるが。
問題は、その戦果を義経の手柄にしてはいけないという事だった。
例え義経のおかげで勝ったとしても「鎌倉の御家人たちの奮闘のおかげで勝つことができた」
という風に義経から頼朝に報告するような形があれば、その後の展開は大きく変わっていた
ことだろう。 ん?頼朝は実はたいしたことないと思う。後の歴史考えると
多分北条一族が凄かったんじゃないかな?頼朝は北条一族の操り人形
って感じするわ。 頼朝の頃はまだ頼朝自身の方が際立っていたんじゃ?
頼家・実朝の外戚が北条氏だから、そこで北条氏が際立ってきたような
外戚文化だからねえ、この頃は >>12
けど北条氏がそれほど力持つまでになるのを
止められなかった頼朝ってのはどうなんだろう?
結局、義経やノリヨリだかを遠ざけ、北条氏独占の時代を
作ってしまったし。結果実朝で滅んでしまったわけだし。
北条政子が一番の化け物な気がするな。 >>15
平氏一族の奢りと没落を見ちゃったからだよ。
平氏は身内に甘く次々に昇殿した結果、
清盛の妻の兄まで恩恵にあずかった。
挙句が、
平氏に非ずんば人に非ず
だし。
だから身内に厳しくしなければ武士や世間に示しがつかないと考えたんじゃ? けど徳川は身内で固めたりしてるし、頼朝はどうなんだろう?
けどさ平家を倒せたのは義経だけだったと思うから。下手に
平家と戦わないで鎌倉と平家が弱ったところに義経が出てったら
もっとうまい事やれたんじゃないかな? 頼朝と対立するまでは義経が関東から独立しているわけではないので無理 いや、例えば義経が平泉にいたままで頼朝に会いに行かなければ良かったということでは?
藤原秀衡に大局観がなかった? 義経の戦法は関東の武士にバレバレなんだから頼朝は倒せないだろ 木曽と連合組めてたらどうだろう?木曽残党あたりをまとめてたら。
無理かな。
やっぱ平泉が味方について西で勢力伸ばし
関が原で頼朝と決戦とかになってたら面白かったんだが。 義経は西国ではエグい戦さをしたからな
相手を調略するようなやり方で攻略したら、平氏の残党を味方にできたかもしれないが
一の谷、屋島、壇ノ浦って奇襲戦法や船のかじ取りを射殺すなど、相手からしたら卑怯千万
のやり方で勝った。これが後世に至るまで義経の武勇を高めたけれど、反面支持基盤が
拡大しないその場限りの戦いという事もできる。
義仲の残党も一緒じゃないかな。義経に帰順しようなんて残党はまずいないんじゃ?
関東の武士たちは頼朝あっての関東で、義経はその名代くらいにしか思っていないから
頼朝と義経が対立したらみんな義経から離れるよな。
この辺り、後世の楠木正成、織田信長、坂本龍馬にも似ている。
反面、徳川家康など、信長と共に滅ぼした武田の残党を抜け目なく配下に組み込んでいるし、
後北条氏滅亡後は関東で北条残党も組み込んでいる。遡れば今川の残党も。
敵を滅ぼすか、大将だけ倒して部下は引き込むかで、その後の運命が違うような。
徹底的に倒せばかっこいいけど最終的にはしりすぼみ。
うまく妥協して支持者を増やせば最終的に勝利者、天下人。
でも後世の評価は前者の方が高くなる。
どちらが幸せな生き方なんだろうな・・・・・ もののふは命を惜しむな 名を惜しめ
なんてのは大抵最終勝利者が部下に言うキレイゴト けど義経は平家の娘を嫁に貰ってたりしたわけでしょ。
これは平家を味方につけるためではないの? >>31
本当に金槌を投げるようにルールを改めたら見直して貰えるかも知れない >>3
鎌倉幕府も十分不安定な幕府だったと思うが。
やっぱ徳川幕府に比べると鎌倉も室町も駄目だったと思う。 >>37
朝廷に贔屓にされてる義経なら征夷大将軍ぐらいもらえるでしょ。
頼朝倒したらだけど。 倒されない
それに征夷大将軍だからといって幕府を開いたことにはならない 幕府は武士の支持がないと開けないだろ
安定するか不安定なのかは状況にもよるけど、多くの支持がないと幕府は開けないぞ
むしろ江戸幕府などは戦国の果てにできた例外的安定幕府で、不安定ということは
それだけ下の武士の勢力が強かったわけでこちらの方が普通なのかもしれない 幕府作れなくても関白ぐらいになれたりしないもんかね?
清盛はなったでしょ。 >>42
鎌倉武士はともかく
朝廷や一般庶民には義経は人気があったと思うけどね
やっぱり、武士の人気がいまいちなのは致命的だよな >>43
なっとらんよw
平清盛は太政大臣
>>44
当時の一般人は義経のことなど知る由もない
平家物語以降だよ
なんか最近、無知蒙昧が増えてるな・・・・・・・・ >>45
そういうものなのか?
普通、その時代の著名な人物くらいは知っているものでは?
特に都の人なんかは、当然義仲のことぐらいは知っているだろうし、義経のことも「平家を倒した人」くらいには分かっていそうなものだけど。
凱旋もしているんだし、知らないことは余程興味が無い限り、ありえないのでは? >>46
「一般庶民」という話もいろいろで、地方の人間は源氏だ平氏だが分かるかもしれない。
都に住んでいる人間はやや消息通だろうが、それでも義仲を倒したのも、平氏を追討したのも
「源頼朝軍」という認識だろう。その武将である九郎義経は、よほどの消息通でない限り
知らない名前だ。朝廷から叙任を受けた後は少しは知られるようになっただろうが、その
活躍であるとか、こんにちの我々が義経について持っているような情報は、そのほとんどが
平曲(平家物語)が琵琶法師などにより広まって以降の話となる。 >>48
なるほど。そういうことなら理解できる。
ありがとう。 頼朝は安房から再起したのに、義経は再起出来なかった。 後世の人気者は当時の不人気者
源義経、楠木正成、坂本龍馬
ヒーローは次第に作られていく >>48
この分野に関してあなたは部外者です
「門外漢」ではありません「部外者」です
違いが分かりますか?
この世界で食っている「大人」であれば誰もが知っていて当然の、
学生さんが学校で習う程度の常識も知らない
あなたはこの世界では「学生さん」以下の子どもです
基礎的な常識を身に付けようとする努力もなく専門知識の事ばかり質問しても
せっかく説明してくれている事を全く理解できなくて当然なんです
専門知識というものは美味しい所だけ都合よくつまみ食いできるほど甘いものではありません
質問者のそのような態度・姿勢は、答える側の人間に対して失礼です >>51
そこで終わってしまうようでは「知ったか」なんだよw
では何故ヒーローというものは次第に作られていくものなのか? 義経は権力欲は無かっただろうから無理でしょう
腹芸も出来なかったろうし
義仲未満 いや検非違使に任ぜられて狂喜乱舞
腰越状の中でもそのことを偉そうに書いてるから「権力欲」はあったんじゃね?
幼稚なレベルでw 朝廷で出世しようとしてた義経に対して頼朝が
対朝廷だったわけでしょ?
頼朝もちゃんと義経に説明してれば良かったと思うんだがな。 >>56-57
欲があったかどうかは微妙なとこだが、
政治のことがさっぱり分かってないよな
ただ単に何も考えず検非違使になれるらしいのでなった(ある程度の権力が手に入ると知っても然り)、や
兄に喜んでもらうために検非違使になった、はまだ理解できるが
義経自体が検非違使になって後白河上皇と頼朝を対立させようとした、は過大評価しすぎだな
>>60
その過大評価してる奴って????????????? >>61
いや、ここの住人が
>ただ単に何も考えず検非違使になれるらしいのでなった(ある程度の権力が手に入ると知って) と
>義経自体が検非違使になって後白河上皇と頼朝を対立させようとした
のどっちの意味で「権力欲」の有る無しの話をしているのか微妙なところだったから・・・
どっちの意味なんだろうと思って鎌をかけてみた。 >>19
亀レスだが、徳川は身内で固めたりしていない。
というと誤解の元かもしれないが「譜代」と「親藩」の違いでいえば、
徳川一族はむしろ政治に参加できないようにした。
本家の後継者となれば別だが。
譜代は、鎌倉時代で言えば義経ではなく、関東の御家人たちだ。
だから、この部分は源頼朝と徳川家康は共通するものが大きい。
家康は政策の要諦として「吾妻鏡」を読んでいたというから参考に
した可能性もある。
創業者一族を過剰に優遇したら、拠って立つ組織が長持ちしない。
これは現代の企業も似た傾向があるが。 藤原秀衡がもっと長生きしていたら義経が頼朝に勝てたかに興味があります 奥州17万騎だっけ?の実力はどんなもんだったんだろう?
小説とかだと。義経がいなくなった後、頼朝対奥州になって奥州
はあっけなくやられたみたいな感じになってるけど
戦闘行為はあったんだよね?それこそ壇ノ浦とかレベルの戦だったんじゃないの? 秀衡は66で亡くなったんだろ?
当時では順当な死だよ
それに秀衡死後の奥州はバラバラ
泰衡の急襲で討ち取られるような義経が勝つわけねーよw >>66
>討ち取られる
これは、正しくは間違い。細かいところを気にしないんだったら別にいいんだが 政治的に奥州は追い詰められたからな
で、秀衡が生きていたら頼朝に勝ったかもしれないけどそれは秀衡が勝ったのであって義経の勝利ではないね 義経は、頼朝と戦いたくなかった。
頼朝も、義経と戦いたくなかった。
けれど、状況が、彼らを戦うように仕向けた。
それは仕方がないこと。
弟が、兄を倒したということは、あまり聞かない。
その逆は、結構聞く。
?上杉謙信のケースがあった・・・
一応筋は通したはずだが・・・
よく分からなくなった。。。 天武天皇は、(兄では無いけど)
兄の子供を倒しているよね。
でも、これは天武天皇の出自にいろいろな説があるから
微妙なとこだけど・・・。
載頼は自力で平家討伐出来ずに援軍に頼ったところがあるから、
立場が弱いんだろ・・・
結局彼も頼朝に追い詰められるが・・・ 範頼を追い詰めたのは頼朝じゃなく北条時政
殺されたのかもしれない
藤野巻狩りの後の消息不明
北条時政が殺したかの確証もないが御家人たちは結局源氏については最終的には抹殺したかったのでは >>80
いや、頼朝が原因で、位の意味だった。
分かりにくくて申し訳ない。 ケキョーク義経は頼朝に勝てないのかよ?
秀衡が100まで生きても頼朝がどれほどドジを踏んでもそうなのかよ? 頼朝ならドジ踏みそうだなw
後白河法皇死後に征夷大将軍となったのはいいが、大姫入内問題で朝廷工作失敗。
長年の同志九条兼実とライバル関係になってしまい、挙句その敵対勢力である
源(土御門)通親と丹後局に接近するが、これが目論見はずれ。
結局大姫は入内できないだけでなく、入内したのは通親の娘w
頼朝はいいようにアシラワレテしまった。
義経は、藤原秀衡死後、すぐに平泉から行方をくらませばよかったのではないかな?
完全でなくともよく、例えば国衡や忠衡あたりには相談しておくとか。泰衡だけだろ?
やばそうなのは?
頼朝は奥州討伐の名目を失い、奥州と鎌倉は膠着状態。
法皇の死後、頼朝は大姫入内問題を起こすがうまく行かず、ここで朝廷と鎌倉の蜜月が終わる。
そこで奥州藤原経由で、義経は通親派と結託して、後鳥羽天皇から頼朝追討の宣旨を受ければいい。
承久の乱が前倒しで起きるわけだ。
承久の乱と違うところは、奥州が頼朝の敵対勢力であること。
承久の乱でさえ、圧倒的に鎌倉有利なのに決着がつくまでに1か月もかかっている。
西国の中立勢力や残党を朝廷の権威で糾合し、奥州藤原氏と義経が南下すれば、鎌倉は窮地に
陥るだろう。 頼朝って戦らしい戦はしてないよね。戦場に出させたら普通に負けると思う頼朝って。
馬もろくに乗れないみたいだし。 頼朝の周りはみんな戦らしい戦をして勝ってる奴ばっかだぞw 小笠原武田土岐足利で固められたら北陸か海路しか通路はないけどな。 平家を西国で生かしておいて奥州へ。
平家、鎌倉、奥州の三国時代。で平家と手を結んで
鎌倉討伐とかだったら鎌倉は滅ぼせただろう。
一の谷で義経が奥州に戻ってたら勝ってた。 なんか頼朝ってやたら評価たかいみたいだけど
具体的になにがすごいの頼朝って? >>101
武家にしては良い血筋。
征夷大将軍となって初めて武士のみに近い状態の政治を行った
鎌倉幕府を開いた
13歳で流罪になってから、父の仇をとった
・・・と名目上は言われている事。 武家による政治ってなんであんな形になったんだろう?
幕府を開くって発想はどこからきたのかな?先人に倣うなら
平将門みたいな事しちゃいそうだが。 独立しようとした平将門は失敗した。
独立というのは、相手が(朝廷が)諦めるまで戦い続けるしかない。
平清盛は朝廷内で政権を取ったが貴族になってしまい、新興台頭貴族として反感を買った。
いずれも、朝廷の味方をする勢力に滅ぼされた。
頼朝は、そこで「朝廷の味方をする勢力」に徹したのが勝因だと思う。
後の枠組みは奥州藤原氏に近いかもしれない。
藤原秀衡は陸奥守にして鎮守府将軍、またそれを頼朝が討伐対象にしたこと、源氏はかつて
奥州支配を企て(頼義・義家)その連想から征夷大将軍を望んだのだろう。
朝廷の存在を前提として、実質的に政治を行う組織となった。 けど平将門の時代と違って貴族達より武力があったわけだから
簡単に転覆できたと思うけどな。承久の乱なんてそうだし。 お山の大将を目指していたんではなく武家社会を治めたかったんだろ >>107
なぜ伊豆の流罪人頼朝に関東の武士が集まってきたかといえば
「源氏」だからだろ?
そして源氏ならなんで集まってくるかといえば、貴種、すなわち
都の高貴な人の一種だからだ。
そんなセンスの日本人が貴族を倒せるわけがない。
武力で倒せても滅ぼしたりしない。
頼朝にしたってそうだ そんなことをしたら自己否定だ。
源氏は三代で滅びたけど、摂家将軍や皇族将軍を迎えて幕府を
存続させたことを考えると、結局日本人が望む求心力って自分
から作ることができずに既存の権威を頼むという発想でしかない
事が良くわかる。
しかし日本人はだから「応用力」が身についたんだと思う。
一から発明はなかなか出来ないけれど、既存のものをより良く
便利な風に仕上げていく能力というものは日本人には昔から
備わっていたんだな。その能力は現代の日本人も受け継いでいるよ。 義経みたいな馬鹿でも法皇には頭が上がんなかったもんな
日本では馬鹿でも応用力があるんか? 武家政治ってようは朝廷を傀儡にしてみたいな事なんだろうけど
言ってしまえば中国の宦官がやったこととさほど変わりないんだよな。
自制して真面目に政治したから良かったのかね。 朝廷を倒そうとしたのっていなかったのかね。
義仲はちょっとそういうところあったと思うし。
後は信長ぐらいかね。 平将門は関東一円を支配できれば満足だった感じだしなあ 足利義満ってそういえば中国から日本国王みたいな判子もらったんだっけ?
あれって日本史上どういう位置づけになってるだろ?
皇室を優先する大日本史だっけ?とかでは大悪人かな? 頼朝も奥州藤原氏の関東版をやるつもりが義経が
西国で平氏を滅ぼしちゃったんで勢いで全国統一しちゃったって感じな気がする
最初から統一までしようとはしてなかったように見える
自分の周り(関東)の武士が土地持てればいいじゃん程度じゃねーかな元々 >>118
それでは平将門と同じなんじゃ?
平忠常もだめだったし、関東・東海くらいじゃ済まない
対抗勢力をすべて排除しなければ根本的な解決にはならないと思ってたはず
そして朝廷とは別に政権をという考え方もあったとオモ
「天下草創」だしね
これは奥州藤原氏も滅ぼした後の書状(九条兼実宛て)に出てくる言葉だけど
平氏も奥州藤原氏も打倒しなければ関東は安穏とはできないという考えはあった
平氏も関東を平定しなければ平氏の天下が続かないと思ってただろう
奥州藤原氏はちょっと別格
これは蝦夷の地域が昔から別の地域だという発想があったからでは?
>>118
東国の武士を動員するにはそれなりの理由があったはず 実際義経がいなかったら
平氏が西日本 頼朝が関東 で東北が奥州藤原
で三国時代に突入してたんじゃないかな? 京都まで来た東国武士の数は、誇張で千騎程度が実際かなぁ
と思ってたけど、九州まで東国武士の兵站と士気がよく持った
なあと思ったら、西国の戦いでは朝廷のお墨付きの力も借りて
九州とかの西国武士を動員してるんだな。
★源頼朝
政治◎ 奸悪 卑怯 家康がかわいく見えるほどタチが悪い
軍事△ ほとんど戦功はなし 陰湿な暗殺指令を連発
★源義経
政治× 白痴のレベル
軍事◎ 信長と並ぶ世界史上の不世出の天才
★木曽義仲(源義仲)
政治× 白痴のレベル
軍事○ 源氏の中では義経の次に優秀
★新宮行家(源行家)
政治◎ 根回しで源氏を平家討伐に立ち上がらせた策士 卑怯で恩知らずで節操がなく自滅
軍事× 戦うと必ず負けるw
★源範頼
政治× 白痴のレベル
軍事× 白痴のレベル
★北条政子 頼朝の妻 女で実質的に将軍になった唯一の人物 頼朝を強チンした元祖肉食系女
政治◎ 奸悪 卑怯 冷血 頼朝が善人に見えるほどタチが悪い まさに鬼女
軍事−
>>125
義経と義仲の政治力が同じという事は無いだろう
義仲は△か△〜×あたりにしておくべき。
あと、載頼・・・。
源平初心者が考えそうな表だな・・・。 >>126
確かに義仲の方がマシだけど、レベル的には似たようなもんじゃねw
だって、義仲は行家を立てて、裏切られ振り回され、自滅してるから
義仲より政治痴呆だった義経も、行家を立ててたが、騙されてはいないからねw
どっちもどっちだよw 新宮行家って司馬の「義経」見て知ったけど政治◎でもないでしょ。 >>130
一人の人が書いているんだから当たり前なんだが、
作家にとっての
歴史上の人物に対しての印象の良し悪しなんかが出やすいんだよ。
特に司馬の作品は、「功名が辻」で山内家から言われているように
偏っているといわれている。 つか司馬はAの歴史エピソードをBのエピソードにすり替えるというパターンをよくやる ちなみに司馬の「義経」ではどの部分が印象で書かれてるの? >>133
唐綾の描写や彼女か話した奥州関連のことは
根拠のないものが多いからな…。
ここは、あまり鵜呑みにしないことだ。
あと司馬は義経を
「政治能力皆無で、愛に飢え、軍事だけは世界の三本の指に入るくらい天才」と
評しているが、人によっては
「軍事の天才じゃなくて、ただの卑怯者」とか
「実は後白河法皇に取りいったから、政治能力もあるんだよ」とか
言ったりもするし…。 当時は軍団みたいな機能がなかった
みたいな主張は正しいの?正面からぶつかるだけだったの?
人によってはじゃなくて、普通にただの戦知らずの大将だろう
司馬のは適当に書き飛ばしただけ
少なくとも平家を追い込んだ上で神器と天皇の奪還と引き換えに降伏を許す、
と言う戦略には齟齬を来たしてる つか自分が源頼朝の弟であるってことをサッパリ忘れて行動しているよな
御家人連中を功績を争ったりしたらダメだろ 司馬の小説だと義経は戦に美意識持ってた
みたいに書かれてるのと当時卑怯とも取られかねない
戦法取ってたことがかみ合ってなかったと思うんだが
どうなんだろ? チート使って俺tueeeeすることに美意識を持っていたゆとりってことだろ? けど頼朝が不意打ちした時はなんかこれが戦なのか?
みたいに疑問視してるんだよな。
司馬の義経。 司馬はノリで小説書いているんだから整合性気にしちゃダメだ
話の途中で「筆者は〜」とか言い出してしょっちゅう腰を折る時点で気づけ 貴族気取りで平和ボケしてた平家相手に慣習破りで勝っただけなんだよな
同じ東国武士相手の戦いだと義仲相手に圧倒的大軍で勝ったのか
平泉で圧倒的大軍になすすべも無くやられたのしか無いからなあ
勝つ為になんでもやるってやり方は天才とは違う気がする >>116
天皇はその名の通り「皇帝」って位置づけだし
位の下がる王なら問題ないんじゃね
家康だって貰ってるし 司馬義経は稚児のとき慰みものにされるシーンしか覚えてない 司馬の義経ってあれ人気なくて打ち切りとかだったのかね?
小説ってマンガみたいに連載してるのかどうかしらないけど
ジャンプの10週打ち切りマンガみたいだった。 義経が逃げる途中でウンコ漏らしてたら勝ったかも知れないとふと思う >>151
帰ってから自分を絵師に自分を描かせるくらいでないとな >>138
頼朝の弟であることに意味なんかないよ。
頼朝の言う通りにしたところで、蒲と同じ道を辿るだけ。
てか、頼朝が無力だから義経も蒲も死んだんじゃん。
北条は良き補佐役になってくれるであろうし、邪魔者は片付いたし、
これで未来は頼家のものって、この無邪気さこそが痴呆というんじゃないの。
義経と頼朝が仲良く出来れば、北条を駆逐できたかも。 会話ってw
当時は兄弟は相続上の敵でしょ。親・子でさえ犠牲にしても自己の権力を
維持しないといけないわけだから。 ∧∧
( ,,) 『やっぱり・・・・。』
/ |
〜(__) 郎党を食わせていかなきゃいけんもんね
大将は辛いよ 義経が北条政子に夜這いをかけ、堕とせば頼朝を倒せた >>162
「追捕使」「地頭」でもって武士の地位を「非人」から「国の公職」にまで高めた事で、
鎌倉殿(頼朝)は、全国の武士の圧倒的支持を得たから。 庶弟は家子であって欲しいもんだけどな。
欲で以て要らない翼を付けたもんだ。 最初、頼朝に追われる身となって、義経は西国にいこうと思ったが、
出港の前日に嵐に見舞われ、船がみんな沈んでしまい行けなかった
らしい。 既に頭が居る平泉より
義経を担いでくれそうな奴を西国で探す方が展望はあるような 義経は、日本を捨ててユーラシアへ雄飛し、ジンギスカンになった、
でいいじゃね。 島津氏が鎌倉から薩摩入りしたのは1275年
それまでは鎌倉に居住していた 頼朝を倒す以前に平教経が義経を仕留めたら源氏の負けだったかもね 秀衡の言うとーり、大人しく奥州に留まってれば良かったんだよ。
そしたら源氏と平家は相討ち・・・いや、屋島や壇ノ浦のような
義経の活躍がなかったとするなら、間違いなく頼朝が敗れてただろうに。
そのうち清盛が死んで、自動的に天下が回ってきたかもしれない。 むしろ立場が逆だったら面白かったかも。
頼朝:平治の乱の後の落ち武者狩りを逃げ切り、改名して奥州に逃げ込む
義経:常磐と共に伊豆に島流しされる(今若、乙若は別の所に島流し) 司馬の「義経」俺も読んだよ。行家が本当にジャマだった。
九州落ちの船が難破してしまったのがつくづく悔やまれる。難破して助かってからどうして落ち延び先を奥州に変えてしまったのかな。
山陽道へは出られなかったの?
義経を豊後で迎えようとした緒方は上野沼田に配流
他に味方らしい味方の武士がいなかったんだろ
>>182
義経の逃亡ルートは解明されたわけではないが、
義経が美作国の山寺で亡くなったいう「噂」はあった 頼朝って無能だよね、政治的なことは北条がやってただろうし
藤原氏が全面協力すれば鎌倉倒せただろうがその後、グダグダになりそう 義経が九州に逃げてたら
足利尊氏とか西郷隆盛みたいに力を蓄えて
反革命とかできたかもなあ。 承久の乱とかで義経が先頭にたち幕府軍と戦うとかありえたんじゃね。 さらに奥州藤原もあるから
義経 頼朝 奥州
の三国志時代になったかも。義経と藤原が組んで
同時に鎌倉に攻め込むとか。 義経は平家の残党をなんとか助けようとした
みたいな話なかったっけ_? 義経っていまいち人気でないよね。なんでだろう。
女性受けしそうな人物なのに。 >>202
伝説だけが一人歩きしてるからね。桃太郎伝説の桃太郎のようなもん。
戦時教育の反動(逆恨み)で、義経を貶めようとする人もいるけど
結局は誰も本当の義経を知らないし、知ろうともしないという。
司馬や宮尾が描く義経像もえらく稚拙で伝説の域を出ないし、
あんたらは本当に「作家先生」ですか?と。
個人的にはすごく興味深い人だし、やっぱり特別な人だと思う。
だって、実父が源氏の棟梁、義父が平家の棟梁、養父が奥州王ですから。
義経の存在そのものが時代の縮図になってるといってもいい。 >>204
作家が正確な人物像を描けくことは困難というのは理解するけど、
より正確な義経の行動なりを知るには何を読んだらいいですか。 戦術に優れた項羽は3万で劉邦率いる50万の連合軍を蹴散らすことさえあったが
最終的に勝ったのは劉邦のほうだった
アルプスを越えイタリア半島に攻め込んだハンニバルは無敵だったが
非難されても戦いを避け続けたファビウスが最終的な勝利を得た
義経が挙兵してたとえ1、2度大勝したとしても歴史は変わらなかったと思う 武家政権は確実に立ち上がったろうけど
頼朝が天下を取れたかはわからんよ 奥州は義経自身が味方につけ、朝廷工作は異父弟の能成や叔父の行家がやるとしても義経自身の兵や武士の味方が少ないな
義経の身近に武士が何を求めて戦っているか理解している人はいなさそうだし、いたとしても頼朝以上に上手く取り込むことはできまい
後白河がもう少し頭よくてせめて西国は鎌倉の支配下に入らないようにしておけば奥州だけでも自立できただろうけど
義経の立場からどうこうできることじゃない
ロシア帝国初代皇帝は源頼朝と源頼家を記念
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0204/48/314.html
ロシア帝国初代皇帝ミハイル・ロマノフの誕生日は、源氏そのものだった。
義経=ジンギスカン説はここに結実する。
ミハイルが皇帝に選出された日は、日本の建国記念日だった。
つまり、アメリカの初代大統領ワシントンは誕生日が2月11日。
ロシアの初代皇帝は皇帝就任日が2月11日という、傑作な世界史になっていた。 そもそもなんで奥州はあそこまで義経に味方してくれてたの? あの時の鎌倉相手ならまだ勝つ見込みがあると思ってたんじゃないか?
鎌倉と戦うに当たって武勇名高く京でも人気の義経を担ぎ上げたとか けど京で名を上げる前も義経かくまってくれてたりしたわけじゃn。 義経にしても『平治物語』(下巻)によれば、騎射を行うのは鞍馬を出てからである。
つまり義経は下総を根拠とする坂東武者である陵助重頼を語らってその手引きで鞍馬を出る。
その重頼を誘う義経の言葉の中に「物射て遊ばん」というのがあるが、義経は鞍馬を出て近江の鏡宿で自分で元服した後、
重頼に弓箭と馬を用意させ、東国への道すがら、重頼に「馳挽、物射」(つまりは騎射、歩射)を習いながら下ったという。
その後、義経は下総で一年ほど過ごすが、そこで狩猟をしていたことが記されている。
いずれにしろ義経が騎射術を習得したのは、鞍馬を出てからと考えるのが妥当であろう。
とすれば『平治物語』にみえるように、奥州に向かう途中(諸国流浪中)や、また、名馬の産地である奥州に行ってからであろう。
義経の身体能力をもってすれば、騎射術の修得も早かったのではなかろうか。
それにしても、戦術的能力の向上には実戦経験が重要である。
自力救済(公権力に頼らず当事者相互で紛争を解決すること)の私戦を繰り返している東国武者とは違い、
義仲追討戦以前の義経に実戦経験があったかどうか疑問である。
あったとしても、鞍馬にいた時の辻冠者原との戦闘ぐらいであろうし、奥州では戦闘はなかったと考えられる。
そうした実戦経験という面では、義経が鞍馬から直接奥州へ赴かずに、諸国を流浪し、しかもその間、恵まれた生活はしておらず、
山賊や野盗まがいのことをしていたと考える方が、戦士能力の育成をという面では、筆者には説得力がある。
しかしその一方で、義経の戦士能力は、戦術的能力よりも戦略的能力にあることを第三章で指摘した。
その点では、戦術的能力が劣っているのは、実戦経験が少なかったからであるとも考えられる。
結局は類推の積み重ねで何とも言えないのだが、鞍馬を出てから義仲追討戦に向かうまでの義経の実戦経験の有無については気になるところである。
近藤好和『源義経』ミネルヴァ書房(2005年) >>213
それは奥州藤原氏の盟友・藤原基成と義経の義父・一条長成が親戚だったから
京で育てれば平家から目をつけられ、寺に預けても逃げ出してしまう、かと言って愛妻の子なので殺すのも忍びない
長成はそんなどうしようもない義理の息子を遠くの親戚に預けたということ >>213
やっぱ、ウマがあったんじゃないかな・・・。
単に源氏の「血統書」が欲しかったという人もいるけど
平家全盛にそんなもん、たいして価値ないだろうし。
後の頼朝がしたように、下手したら逆に足元を救われかねない。
なんとなく浮かぶんだよね。
犬コロのように檻を脱走し、泥塗れて白河の関を超え、
その先に広がる奥州の都を目にした時の、義経の衝撃的な顔が。
少年時代が暗く閉ざされていたからこそ、黄金の浄土都市で過ごした日々は
義経の骨の髄まで影響を及ぼしたはずだと自分は思う。 もしタイムマシンがあったら1186〜87年頃の鎌倉に行って原爆を落とす
頼朝も北条一族もその他関東の御家人連中も皆殺し
この状態で義経が一から国を作り直すか見もの 義経が頼朝を倒すって構図はありえなさそうだな。義経に政治、戦略的視野が無さ過ぎる。
藤原秀衡がもうしばらく健在ならなぁ・・・。後白河も奥州側の勢力が固まれば何をするかわからんお人だし。 もし義経が天下を取っていたら日本人の気質そのものが変わっていたかもしれない。 >>218
義経は馬鹿というより若すぎただけ。
31で死んだんだっけ?
清盛や頼朝が31才の時どうだったか考えてみなよ。 むしろ頼朝があと20年長生きしていればどうなっていたかな 難しいな。あまり、変わり映えしない気もする。
源氏将軍がもう少し続いて、北条氏独裁が遅れたか。
厚遇・冷遇を問わず源氏一門は評定衆の外、いわば外様に変わりない。
となると、頼朝親裁後はよほど力の均衡が保たれない限り、評定衆を占める
御家人間の権力闘争。
よほど変わり映えするとしたら、頼朝自身が北条時政を討つパターンが
ある時だけじゃないだろうか。 頼朝は優秀な息子が居なかったのが痛いな
義経と範頼をしっかり自分の膝元にでも入れて庇護してれば息子達守ってくれたかもしれないのに
義経も義経で周りに武辺者しか居ないのが致命的だった
弁慶も戦略とかは考えられても政治とかはできなさそうだし
秀衡がもうちょい長生きしてくれたらと言うのもあるが ただ北条氏ってなり上がり方が陰湿で嫌な感じするけど
政治家としては一流でしょ。元寇耐え切ったりしたわけだし。
北条一族(特に時政と義時)はただの政治屋って印象だな。
将軍を名乗るだけのカリスマもない、陰湿な性格ゆえに仁徳もない、
なにより華がないのが致命的で現代の評価は石田三成にすら劣る。
正直、実務能力なら大江広元の方が上だと思うし、
義経の配下にもそういうタイプの人間が一人か二人はいたのではないのかな?
能力を発揮する機会がなく歴史に埋もれてしまっただけで。 義経の配下には権力がある奴がいないでしょ。
奥州の人らぐらいか。
義経の配下ではないけど異父弟の一条能成は公家として義経に協力している
最終的には参議にまで登ってる人だから有力な政治家ではあったんじゃないかな 公家じゃなあ。
兵隊をまとめる家柄とか器のある人物が少ないでしょ。
頼朝は関東の武士まとめてたわけでしょ。
奥州と関東の戦力差がどれくらいあったかわからないけど。
せめて平家の残党とか取り込めてたらなんとかなったのかもしれないが。 頼朝が義経討伐の兵を挙げる前に死んでいれば義経にも十分勝ち目あったと思う。 >>230
頼朝がいなくても北条政子がいればなんとでもなったような気がする。 上策・義経直属の兵で鎌倉を奇襲する。
中策・宇治勢多を固め西国の武士を集める。
下策・九州四国に退く。 >>233
義経直属の兵ってどれくらいいたんだろう?
少なそうだな。
朝廷を味方に付けて勢力を増やし奥州と組んで挟み撃ちで関東に攻め込む
ってのがベストだと思うんだけど。 直属はせいぜい二百じゃない?
「中策」に奥州を足した戦略がベストだろうが、
下策をとらざるを得なかった理由があったはずだ。 義経の手勢じゃ京は守りきれないだろう
かと言って畿内の武士が義経の味方になって頼朝を防ぐとも思えないな
朝廷工作と平家の取り込みを成功させていればまだどうにかなりそうだけどねえ 奇襲作戦なら成功させれそうだけどな。鎌倉を裏側から奇襲とかできないものか。 修験者とか浮浪者に変装させた直属部隊をバラバラに鎌倉に侵入させて期を見て各方面から奇襲とかどうだろう 気づかれたら個別撃破だからリスク高すぎだが面白い。 そもそも義経が頼朝の弟と信じていたひとがどれだけいたのかね >>233
比叡山に逃げ込むってのはどうだろう?
当時あそこは日本版梁山泊ともいえる存在だったし
>>240
それ、まんま水滸伝の北京大名府攻めだな 当時の中国に亡命って手段は駄目かね?
源実朝がやろうとしてたらしいし。 >>243
本来は西国武士と比叡山の兵力を期待して「中策」の予定だったみたいね。
でも西国武士は義経に味方する義理もないから兵力不足、比叡山も荷担に踏み切れなかった。
やっぱ奇襲が一番だよ。危険だけど。 危険って言うか無理だろうね
まとまった兵力が無いんじゃまず鎌倉まで行けないし
全員隠密活動で一城砦都市を落とすってのはちょっと現実離れしてる
もし仮に鎌倉を落とせたとしてもすぐに潰されるのがオチだ 船を使えばどうだろう?鎌倉なんて海岸沿いなんだから
船で近くまで寄って上陸すればいいじゃん。
あの時代船は西国の専売特許だったんでしょ? それだと上陸後は徒歩で戦わなきゃならなくなる。
騎馬による鎌倉奇襲より可能性が薄いだろうな。 鎌倉ってさ。
山山山山
山鎌倉山
山町町山
海海海海
って地形じゃん。山から火矢で攻撃すれば簡単に壊滅できそうだけど。 山は城壁代わりそこで敵を防ぐ。山を取られたら攻め落とされたも同然。 >>251
見張り所ぐらいはあったんじゃない?
それに昔は鎌倉への山道は狭かったから守備側の兵士は少数で守れる。
その間にいざ鎌倉へと武士が集まってくるのを待つんじゃないか? 鎌倉って凄い狭く感じるんだけど、
当時何世帯ぐらい住んでたんだろう。 九州にいけてたらなあ。足利尊氏とか西郷隆盛みたいに反革命ができたかもしれないのに。 先の乱で源氏の家系が少なくなく厚みがない。
頼朝には北条氏(まぁこれも弱いが)がついていたが義経にはそういうものがなかったので局地戦では勝てても大局では負ける。 末代までの恥とかいって、武士は死後まで名誉を重んじるじゃん。
最期がアレで、「大頭」と馬鹿にされた頼朝に引き換え
伝説のヒーローになっちゃった義経は、完璧な勝ち組。間違いなく。
伊東祐親ってのもどうしようもない人間のクズだよな
子孫の伊東義祐が悲惨なのは先祖の因果応報かもしれない
【速報】 塩 鬼 容疑者、違法駐車
まさしく現代に降臨した悪鬼の化身!
てか単なる犯罪者。
>>257
まあ当時の関東武士団=字も読めない野蛮人の集まりだったからしょうがない。 なかなか興味深い記事を発見。
ttp://okwave.jp/qa/q3333302.html
やはり当時の関東武士の識字率はかなり低かったようですね。 ▽都人からみた吾妻男
東人は常に云わく、額に矢は立つとも、背に矢は立たじと云ひて、君を一心に護るものぞ(聖武天皇/続日本紀)
あずまをのこは いでむかひ かへりみせずて 勇みたる 猛き軍卒(大伴家持/万葉集)
相模国鎌倉は、下界の鹿渋苑、天朝の築塩洲也。武将の林をなす、万栄の花よろづにひらけ、勇士の道にさかへたり(海道記)
戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんや(吉田定房/吉田定房奏状)
▽江戸っ子から見た京女
水 水菜 女 染物 みすや針 御寺 豆腐に 鰻鱧 松茸(大田蜀山人/一言一話)
京によきもの三つ 女子、加茂川の水、寺社(滝沢馬琴/羇旅漫録)
京は石地小砂利のみ多く、土気すくなし。故に人きれゐなり。女などはいにしへより美人多きぞ(二鐘亭半山/見た京物語)
京地は婦人よし(司馬江漢/西遊日記) >>1
悪いことは言わないから、司馬なんかやめとけ 「真・三國無双6 Empires」のエディットで鎌倉幕府チームがアップされてたのでDLしたが
5人中3人が悪逆だったのにはワロタw 【世界遺産明暗】鎌倉不記載に「信じられない」神奈川県知事 - MSN産経ニュース
ttp://sankei.jp.msn.com/science/news/130501/scn13050114230002-n1.htm
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議が「武家の古都・鎌倉」(神奈川県)について登録にふさわしくないと勧告してから一夜明けた1日、
同県の黒岩祐治知事は県庁で取材に応じ、「大変ショック。絶対に認められると確信を持っていたが、不記載という最も低い評価で信じられない」と残念がった。
これまでユネスコ関係者らに直接アピールしてきただけに、夜遅くに職員から不記載の報告を受けたときは視界が真っ暗になったという黒岩知事。
低評価の原因については「歴史的な意味は認めていただいたようだが、鎌倉は生活の場でもあり、
ぱっと見て世界文化遺産としての印象がストレートにつながってこなかったのかな、と思わざるを得ない」と推測した。
今後の対応については「侍文化発祥の地としてのコンセプトは非常に良かったと思うが、違った形で再チャレンジしていこうということになるかもしれない。
(取り下げの可能性についても)みんなで協議していきたい」と話した。
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所詮DQN集団が作った都など世界遺産の器ではなかったってことかw これで世界的にも平泉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>鎌倉が確定したということかw
奥州藤原氏、頼朝へのおよそ800年越しのリベンジ成功おめ! もし頼朝が義経に敗れていれば鎌倉幕府は不成立→神風はなかった→太平洋戦争の敗戦もなかった
→竹島問題も尖閣諸島問題も北方領土問題も沖縄の基地問題も全部なかったことになるに違いない。 >>267
敗戦がなければ、今の日本の国土も人口も経済力も史実より強大になっているのは確実だな。
その代わり治安と環境が史実より悪化している可能性もある。 もし日本で文化大革命が起こっていたら、頼朝や執権北条一族の墓は跡形もなく破壊されていただろうな。 そういえば、梶原景時の墓って小学校の裏側にあるらしいね。
もし文革が起こってたら取り壊されてそこに校舎が立てられていたかも。 ちなみに初代執権・北条時政の墓と、
後北条氏の祖・北条早雲に滅ぼされた足利茶々丸の墓は同じ寺にある。 パリテロはやっぱりヤラセ!
クライシス・アクターさんがスターダムに! 早くも偽旗作戦の証拠映像が挙がりました!
ボストンテロとパリ襲撃事件テロ両方に居合わせた世界一不運な女性ですw
◆BOOM! Exposed Crisis Actor from Sandy Hook and Boston Bombing found at Paris False Terrorist Attack
https://twitter.com/hotaru123a/status/665888328193937408
ISISに襲撃されたパリのバタクラン劇場のオーナーは2015年9月11日に劇場を売却済み。
https://twitter.com/tokai amada/status/665992523878301696 >>226
北条一族は源氏(足利も含む)に比べ名門でないから、地道にやるしかなかったんでしょ。
泰時とか評判いいじゃん。 >>226
北条一族は源氏(足利も含む)に比べ名門でないから、地道にやるしかなかったんでしょ。
泰時とか評判いいじゃん。 頼朝は北条一族の操り人形
安倍みたいなもの
義経殺しはまだしも、頼朝が範頼殺す理由は皆無
全部北条の源氏抹殺政策 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>130
建礼門院が宗盛、義経と通じたとかいうクソみたいな俗説を史実かのように平然と書いて宗盛と建礼門院を貶めた 司馬って歴史の妄想、ねつ造を広めたゴミだろ
このゴミが坂本龍馬を英雄のように小説で盛りまくって
ネットがない時代、ゴミ妄想小説を読み「龍馬ってすげーよな」って龍馬語りしたときに「それってゴミ司馬の妄想だろw」
と歴史好き少年を嘲笑の対象にさせてしまったゴミ司馬
許さん 【漫画家うげっぱ(44)心不全、また連載中】 阿藤快、大瀧詠一、鶴ひろみ、前田健、木村拓也、松野莉奈
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1541124659/l50
なんで漫画家がよく死んでるの? 何で?
なんで2011年を境に毎年30万人も人口が減ってるの? 何で?
なんでこの問題を国会やテレビで取り上げないの? 何で?
なんで無関心なの? 何で? 北条氏は源氏が邪魔だった
頼朝は家来の裏切りは大嫌いだから表立って滅ぼせない
だから義経の討伐で味を占めた後は弟たちを殺していく
範頼も全成も
頼朝の死後は頼家を殺した
実朝は三浦氏が殺したけど _-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
>ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_| 〜 プーン
了| "~`、 "~"` {,',; ;} 。 |;;;;;;;;;;ノ∪ ^ ,,, ^ヽ 〜
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6∪ ー─◎─◎ ) 〜
'| / レリ* |ノ (∵∴ ( o o)∴) 〜
+ i ( }ィ' |∪< ∵∵ 3 ∵ノ
` ー--- /|` + \ ⌒ ノ
ヽ  ̄ / |__ \_____/
平敦盛 源義経
今日けふは九郎大夫判官義経、先陣に供奉ぐぶす。これは木曽などには似ず、
もつてのほかに京慣れたりしかども、平家の中の選えり屑よりもなほ劣れり。
面長くして身短く、色白くして、歯出たり
平家物語より >>1
日本歴史鑑定っていうマイナー歴史番組、一時期神護寺像の偽頼朝像使わなくなって木像にしてたんで、ちゃんと勉強してるなと思ってたのにまた神護寺像源頼朝として使い始めたな
歴史を鑑定するとか言いながら、ダメだなこの番組 もう予約全部解除するわ 世間を上下左右に渡り歩いてきたからこそ義経は頼朝より遥かに冷静、客観的だった
・・・義朝の死は「自業自得」だったって
むしろ恨み骨髄だったのお家志向の頼朝の方(長田のリンチ然り)
平家に復讐してどうする?その先は?
義経は父親の汚名を返上した上、「新しい源氏」を目指そうとしただけ
そしてそれは自分を受け入れ育んでくれた平泉のように美しくあって欲しいから
「源氏の天下」なんて間違っても望まなかった
平家を容赦なく追い詰めたのは神器を持ち逃げしたから・・・結果、
国が救いようのない血の海になるのが目に見えてたたから(南北朝の動乱を考えればいい)
「存念あり、この戦にて命を落とす覚悟」
この混乱にケリをつけなければならない、即ち、奥州が巻き込まれ鎌倉と衝突してはならない
その為ならこの身など惜しくない・・・そういう意味だと思う
坂東の野武士達は(平家もだけど)いつだって吊られた人参を追っかけるだけだよ
後白河に存念の内訳なんて分からないだろうけど、義経こそ本物のサムライという言葉はその通り
現代に持ってきてもとてつもなくカッコいい人だと思う、この人は どのみちすぐ終わる頼朝の世が義経の大活躍で多少早く終ったとして、義経には「次」になるための手駒もツテも全く足りない
義経の手元に残るのは奥州藤原氏くらいだがこれが救いようのないボンクラしかいない 頼朝が鎌倉幕府の最高権力者だと考える時点で、大きな事実誤認がある。
頼朝の立場はわかりやすく言うと、平氏との競争に負けて倒産した会社の息子。
北条氏をはじめとする東国の武士団は、清盛を中心とする京都の政権に対抗できる看板として流人の頼朝を選んだ。
東国の武士たちはそれぞれ兵と軍資金を出資した株主で、頼朝の立場は金も兵士もない雇われ社長。
頼朝に軍事的手腕があれば実権を握る可能性もあったが、軍事的才能に欠ける頼朝は、公平に恩賞を与え、公平に土地争いを裁定するだけの機関に過ぎなかった。
義経もその実態が最後までわからなかったから、頼朝に甘えればどうにでもなると勘違いしていた。 「源平合戦」といわれる戦いの本質は、農場経営者として力を蓄えた関東武士団の「独立戦争」です。
ただ、それだと分かりづらい(一般ウケしない)ので、、「この戦いは、平家に親を殺された源頼朝公の
仇討である」という看板を掲げているに過ぎません。
実のところは、「頼朝の挙兵に関東武士が味方した」のではなく、「関東武士の挙兵に、頼朝が旗頭として担がれた」のです。
このことは関東武士団はもちろん、頼朝本人も、よく分かっていました。
ところが、これを全く誤解して、表看板の「仇討ちストーリー」をまるごと信じてしまっていた無邪気な男が、あとから参加してきた義経です。
彼は京都の貴族社会で育ち、「関東での生活経験」が全くないのだから、まあ仕方ないのですが、
最初から「平家を滅ぼすことが戦争の最終目的である」と勘違いしています。
頼朝の命令で義経に付けられた軍勢は、みんな「関東独立」を願う関東武士です。
当然、義経の「仇討ち」をお手伝いするために命がけで戦っているわけではありません。義経に忠義を尽くす理由は何もないのです。
義経は確かに天才的な軍事指揮官ですが、戦争目的を間違えていたのでは話になりません。 「関東独立」という大目標からすれば、平家が西国に落ちて勢力をなくしたのなら、
ムリして全滅させる、皆殺しにする必要なんてないんです、実は。
追い詰めたところで降伏させて、三種の神器と安徳(元)天皇を無傷で取り返したほうが、よっぽどいいに決まっています。
京都に恩を売れるし、なによりこっちも無傷で済みます。無駄に危険を冒すことはないでしょう。
ところが、この戦争を「仇討ち」だと信じる義経は、遮二無二平家を追っかけて無茶な作戦を繰り返していきます。
崖を馬で駆け下りろ? 逆櫓をつけるな? 何を無理ばっか言ってるんですか。死んだらどうすんですか。
義経は、関東武士たちを自分の「家来」だと思い、こき使います。家来が自分の指揮に従うのは当然だと
思い込んでいたでしょうが、これが典型的な「貴族の発想」です。
関東武士たちはうんざりしていたに違いありません。武士の根本原理は「御恩と奉公」なのに、義経はどうやらそれが全然分かっていないのです。
関東武士は、義経に従って戦って、平家の公達を皆殺しにして、大勝利して、大喜びしたか? 否です。
「別にそういうことのために戦ってるわけじゃない」からです。 彼らが「鎌倉殿」つまり頼朝の家来になったのは、頼朝を棟梁として「自分たちの権利を主張していく」ためです。
つまり真の敵は、後白河法王を頂点とする京都朝廷なのです。
関東武士を虫ケラと考えていて「黙って服従して年貢を送ってくればいいんだ」と考えている貴族たちです。
政治家・頼朝は、朝廷に対して「これからは、そうはいきませんよ」と軍事力を背景に強力に主張していかねばなりません。
若いときからずっと関東で武士に混じって暮らしていた頼朝は、自分が「担がれた身」であり、そうすることが自分の
存在意義であることを、いやというほど理解しています。
ところが義経は、自分勝手な戦争に勝っていい気になった挙句、こともあろうに、その「敵の巨魁」に丸め込まれ、
鎌倉の頼朝を無視して勝手に官位を貰い、搾取側の貴族の仲間に入れてもらって喜んでいます。頼朝が激怒するのは当然です。
本当の敵は平家ではなく朝廷なのに、それに丸め込まれて得意になっているのですから。
弟にコレをやられては、示しがつかない、どころの話ではないのです。
これじゃあ、武士を忘れて貴族になってしまった平家と同じだ、所詮は京都の貴族社会で育った御曹司、
こんな男に、協力するいわれはない、と、関東武士たちは皆、義経からソッポを向いてしまいます。当然です。
「弟だから偉い」というのは、まるきり「平家」の考え方、貴族の発想です。断じて許すわけにはいかないのです。
義経が「人気があった」と言われますが、それは京都の貴族や庶民の間で、です。肝心の関東武士に
は「まるで不人気」だったというのは、当然だというのが分かります。
頼朝が、義経の人気に「嫉妬」したのだ、という人がいたら、それこそ「貴族の発想」です。関東武
士の棟梁、いや、関東独立国の王という、いまだかつて誰もやったことのない、もんのすごい難しい立場を
こなしていかなければならない頼朝が、義経を羨ましがる理由も、暇も、何もありません。
義経は当然のように、鎌倉から追討されます。関東武士は誰も義経の味方をしませんでした。
当たり前です。武士の権益を守ろうとしない義経が勝っても何もいいことはないし、
「戦う目的がまるで分かっていない」義経が勝つはずもないのです。馳せ参じる物好きはいません。
義経が孤立するのは、歴史の必然なのです。 義経に貴族社会を垣間見る機会があったのでしょうか、物心つく頃から奥州へ行ったきりだと思ってました >自分勝手な戦争に勝っていい気になった挙句
よくそう言うけど、そうは思えないし、あくまで個人的想像なんだけど・・・
頼朝が西国遠征から義経を外したのは公家達から要請があったからだし
後白河が「そながいないと京が心配」と呼び戻そうとしてるのは事実
義経が来てから、京は明らかな変化があった
壇ノ浦から凱旋したときにこの世の終わりか?と思うくらいに民衆が狂喜したのは
戦が強かったからじゃない、検非違使をず〜っと頑張ってきたからだと
神器は取り返した、源氏の名誉も回復した、戦う必要も無く、頼朝に叛意なんてあるわけ無く
義経は都を再建しようとしたのでは?
元々治安が悪い上、平家の焼き討ち、義仲にかき回され、荒廃しきっていた
やることは山のよう、時間はいくらあっても足りない・・・他の誰にも任せられない、俺がやるしかないと
頼朝には理解できない情熱だろうねw
義経の才覚はよく知ってるからこそ政治家としてぶっ潰したんだよ 戦の天才というより、変な奇襲やなりふり構わぬ手を打つ変人 >>298、
掟破って漕ぎ手だけ射る、掟守って漕ぎ手だけは射らない、どっちも揺れる船上では不可能
倍の敵を相手に倍の矢を消費していった平家が先にガス欠した・・・こんな簡単な物理も分からない人は人生オワコン 戦に関しては裏技を思いつき実行する変人
政治に関しては知的障害者レベルの絶望的なセンスのなさ 司馬厨とかゆー終ってる人種はいい加減棺桶に入ればいいのに