5000年前から歴史をやり直すスレその3
紀元前3000年から歴史を全てリセットしてやり直し年表を作って行きます。
前々スレにて時代と文明は合わせる予定でしたが現在11世紀にも関わらず21世紀並の文明が出来上がってしまい、どうにもならないのでリセットされました。
なので以下のルールを守り書き込みをして下さい。現在前スレは1933年まで進行中です
・ひと月一レスで1300年まで進め、その後は新しい歴史を再び作ること
・新しい歴史を作る際は以下のレスの進む速度を守ること。
【レスの進む速度(西暦)】
紀元前から1年まで⇒1レスごとに30年の速度
1年から1000年まで⇒1レスごとに5年の速度
1000年から1600年まで⇒1レスごとに3年の速度
1601年から1800年まで⇒1レスごとに1年の速度
1801年から1900年まで⇒1レスごとに3ヶ月の速度
1901年から2000年まで⇒1レスごとに1ヶ月の速度
・年代に適していないレス、現実離れしたレスなどはスルー
前スレ
5000年前から歴史をやり直すスレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1192861996/ 人口増加率が多すぎるし減らすかぁ、普通数千人まで減った人口がたった160年で回復する古代文明なんてねーぞ?
紀元前2020年
この年世界的な異常気象が続き、主要穀物は日照りや豪雨によって殆ど全滅状態に追い込まれた。
食糧不足による飢えから、各民族は食料を求めて蜂起内戦、もしくは文明を捨て遊牧民族化した。 宇宙から隕石激突。
アッパーカットをうけた地球はグロッキー、人口さらに減少でagってしまう。 学研の『ムー』2月号(2010/1/09発売)に「アルファベットのピラミッド魔術」の記事が掲載されてる。
これ、ひょっとして歴史が変わるんでは。
[PYRAMID]にアルファベットの順番に数字を入れると、P=16,Y=25,R=18,A=1,M=13,I=9,D=4と
なるけど、このうちR=18,M=13,を除けて残りの文字の数を小さい順に並べると、これ全部平方数になっていて、
A=1^1,D=2^2,I=3^3,P=4^4,Y=5^5,と並んでしまうのだ。ここで1を立方体1個と見て、これを順番に積み上げると、きれいな5段のピラミッドになる。
ところがビックリなのは、除けたR=18,M=13,とA=1^1,D=2^2,とを足すとR+M+A+D=6^6となって,今度はI=3^3,P=4^4,Y=5^5,(R+M+A+D)=6^6と、これまた4段のピラミッドになってしまうことだ。
ところが、これだけではなくて、アルファベットの歴史を遡っていくと、ラテン語の時代に入っていくんだと思うけど、そこでの配列も全部ピラミッドになってる。これ、いったいどういうことなの?
アルファベットの歴史に詳しいの教せえてくれ。 隕石の落下地点のアフリカ中部で狩猟民達による巨大クレーター崇拝が始まる。
ブリテン島でストーンヘンジの建設が始まる。
>>205
すれ違い ガリア地方で遊牧民の間で受け継がれていた仏教が復活、
年月を経て宗派はカルヴァン派大乗教に統一されていた。 マレー半島のオランウータンが突然変異を起こして
石器を使用しはじめる。隕石からアトランティス人
が出てくる、何と隕石はシェルターだったのです。 このスレって
> ・年代に適していないレス、現実離れしたレスなどはスルー
という約束だったよな?
超展開多すぎだろ
過疎ってるし、やり直しを提案したいんだが、どうよ? タイムパトロールの秘密兵器スーパージェノサイドフォトンウェーブが炸裂。
紀元前2010年からやりなおし。 ユーフラテス地方で野牛の放牧が始まる。
フィリピンで首狩が始まる。 ギルガメシュ大王がメソポタミア諸邦を統一
シュメール神権王国が成立する 高崎山でニホンザル対アカゲザルの天下分け目の大合戦。 モノリスがメソポタミアに降下し、知性を超進歩させる。
モノリス回収のため飛来したアンドロメダ星人が、
「超展開はバカの証拠」と1000ヶ国で書き残して去る モノリス回収前に凄く賢くなっちゃた人間達がメソポタミア共和国を建国、周辺民族を奴隷化して栄える。 メソポタミア共和国が全地球を征服
国外にいた全ての人間をことごとく捕捉して本国に強制連行したため、メソポタミアとその周辺以外の土地から人類は姿を消すことになる。 メソポタミア共和国で原始的な蒸気機関が発明される。 中央アジアで史上最初の国家・アーリア王国が建国される メソポタミアからシリアにかけての地域に都市文明が発生 メソポタミアに住むノア一族、洪水によって故郷を追われアルメニアに移住
アララト王国を建国する アララト王国の2代目・セム大王がメソポタミアを統一。バビロンを首都に定める
イラン方面にも進出し、戦車部隊を駆り南下してきたアーリア王国と衝突 アーリア王国、アララト王国を滅ぼしメソポタミアを制圧
アララト王国からの亡命者・難民が周辺地域に文明を伝える アーリア王国、シリア地方を制圧
インド西海岸地方にメソポタミア系移民による都市国家群が築かれる 小アジアにヒッタイト王国成立
鉄器を発明し、戦車も導入。アーリア王国の新たなライバルとなる コーカサス・黒海沿岸地方にコルキス王国が建国される ヘブライ人がエジプトにヨセフ王朝を建国
フェニキア人が地中海各地に進出 学問を軽視して現場経験ばかり重視する八巻正治氏の立場には、正直疑問を感じた。
どうしてそこまで繰り返し強調していたのか。しかし、「週刊現代」の記事を読んでわかったような気がする。
彼は学問が苦手なのだ。
ニューポート大学日本校から怪しげな博士号を取ることは、学問がなくても可能だろう。金さえあれば。
彼の現場重視の姿勢は、本音の部分では、学問からの逃避なのだ。それだけのことだ。八巻正治氏の学問への劣等感は、実際図星かもしれない。
現場主義はそれ自体は悪い考え方ではないが、八巻正治氏の悪いところは、自分と違う立場の人、意見
の違う人を必ずといっていいほど見下すことだろう。低次元、低レベルだの、低いセルフイメージだの…
いずれにせよ現場重視のそうした態度を貫くなら、彼の職場は、大学ではなく専門学校であるべきだろう。そこなら存分に体を動かせるはずだ。
かずかずの学校を渡り歩いてきた偉大な八巻正治教授(なぜそんなに大学を変わらねばならなかったのか)、
次はどこへ行くのか。そこでどんな新たな問題提起、斬新な問題提起を行うのだろうか。
今後も八巻正治氏の取材を継続したい。情報求む!!
シベリア極東にあった小国家
(紀元前3500年頃建国とされるが、その詳細はベールに包まれている)
を追放になった100人ほどの一団が、命の危険を冒してベーリング海峡を渡航、
無人であったアラスカの地にたどり着いた。
一団は苦労して生活基盤を整え、数年後には主に漁業による自給自足の生活を成立させた。
彼らは指導者の青年(彼の本当の名ももはや明らかではない)を王に推戴、
国王ユピック1世を戴く、記録に残る中でアメリカ大陸最古の国家ヌナブト王国が静かに誕生した。
建国記念日は紀元前2653年4月20日とされる。 【アーリア王国】中央アジア・メソポタニア
【ヒッタイト王国】小アジア
【コルキス王国】コーカサス・黒海沿岸地方
【ヨセフ王朝】エジプト
【ヤマト政権】日本
【ヌナプト王国】アラスカ
なお、このほかにも小規模な国家が多数存在するものと思われる。 この年、ヌナブト国王ユピック2世の世継トルヤ、
近隣に住む部族の族長の娘と結婚。
当時の祝宴の様子は、『レイルガの令嬢』と名付けられた長短数十の唄になり、
ヌナプトの部族民の間で永きにわたって口伝されることとなった。
ヌナプトに限らず、当時の記憶に残る出来事の多くは小唄として語り継がれていたのだが、
国家の根幹にかかわる政治・軍事的な事例を除けば、その多くは時代の経過とともに失われた。
そうした状況の中で、ごく普通の婚礼の儀を題材にした『レイルガの令嬢』が後世に至るまで残ったのは、
この婚礼が当時の人々の間にいかに強い印象を与えたかをうかがわせる。
『レイルガの令嬢』の中には、紀元前27世紀の漁村に生きる人々の生活を生き生きと読み込んだ作品も多数存在し、
文献資料としても超一級品の待遇を受けている。 【紀元前26〜25世紀】
当時東アジアで最も文明が進んでいた黄河流域で様々な社会が誕生し、
時には助け合い、時には戦いながら、所狭しと活躍していた。
もっとも、当時の文明の実態は神話の域を出ない。政治上の出来事は唄になってはいたが、
興亡激しかった当時の社会では、滅んだ社会の出来事は
(その歴史に対する勝者の意識が低かったため、あるいは意識の有無にかかわらず、
物理的、能力的にその余裕がなかったため)大半が失われた。
仰・韶・汶など有力的な数か国が残り、力の均衡が保たれた紀元前2500年頃には口承文化も盛んになった
(もっとも、9割以上は政治・軍事・国王家の嫁の出自にかかわる話であり、
『レイルガの令嬢』のような庶民の日常を描いた作品は皆無に等しい)。 【紀元前2477年】
中国平野に伝わる伝説では、この年、
徳に満ちた聖帝が史上空前の大帝国「夏」を建国、
清く正しい政治を行い東アジア文明の礎を築いたとされる。
以降、漢民族を主体として成立した王朝は例外なく、夏王朝の末裔を自称している。
ただし上述の通り、現実の当時の平野地方では、
黄河流域では数か国が離合集散を繰り返している状態、
そのほかの地域では国と呼ぶことすら憚られるような
数十〜数百人レベルの生活共同体が多数存在するのみで、
夏帝国伝説は伝説の域を出ない。 【紀元前2448年】
1000年以上にわたって数か国が並立していたナイル川流域を、征服王メネスが統一。
古代エジプトがここに誕生した。 【紀元前25世紀末】
南アメリカ大陸最南部に発見された遺跡は、古いもので紀元前25世紀末と推定される。
つまり、このころまでに人類は、離島・秘境を除いて全世界に散らばったことになる。 【紀元前2370年】
この年、マダガスカルが一つの政権によって統一される。
エジプトをはじめとするほかの文明との接触をほとんど持たず、
島内の自給自足で需要と供給が完結する社会システムを構築、
科学技術や文化の発展度は世界一であった。(少なくとも、1500年は進んでいた。)
ところが国が円熟期を迎えた紀元前2303年、突発的な疫病が発生し、
島民の99パーセント以上が死亡、国家は自然崩壊を迎え、
社会を構成していた何もかもが根底から覆り、
文明は消滅した。
…というのが、実際に起こったこと。ここで、手元にある21世紀初頭の世界史の教科書を見てみよう。
≪先史時代の南アフリカ≫
サハラ以南の遺跡で興味深いのは、マダガスカル島にあるそれである。
1XXX年から断続的に行われる発掘調査では、全島にわたって遺跡が点在しており、
そのすべてが紀元前24世紀前後のものと推定される。
また、これ以降数百年間の遺跡はまったくといっていいほど発掘されていない。
そこから推定されるのは、紀元24世紀ごろにマダガスカルに統一政権が誕生し、
わずか100年足らずで一気に消滅した、ということだ。(以下略)
なるほど、決して間違ってはいない。
しかし、事実と比べたら不明瞭な点が多いのは致し方ないだろう。
この文明は大陸との接触を持たなかったので、大陸の集落なででの伝承には登場しない。
自国の歴史書には登場した(彼らは、文字を持っていた)が、国家崩壊後に文字通り風化してしまった。
また、伝承も存在しない。疫病によって語り手の主体であった老人衆がほとんど病死したうえ、
その話をおぼろげながら覚えている若者は、インフラが破壊しつくされた世界を生き延びるのに必死で、
失われた王国の歴史を語り継ぐだけの余裕がなかったからだ。
よって、事実を物語るのは、朽ち果てた遺跡のみ。
古代マダガスカル文明は、世界が終るその日まで、世界史最大の謎として残ることになるだろう。
えっ?
どうしてそんな細かいことまで知っているのかって?
ふっふっふっ……………
To be continued!! 【紀元前2336年】
古代エジプト、太陽神ラーを信仰する一神教を国教として取り入れる。 【紀元前2301年〜2284年】
アーリア王国の建国以来の国王家の血筋が途絶え、政情が不安定化、内乱が勃発する。
17年間に及ぶ内乱の末、辺境を抑えていたトリツ族の族長スダースが
国王家の出身母体であったバラタ族を滅ぼすなどして勝利し、国王に即位。
ライバル部族が滅亡した国内各地に族長時代からの家臣を事務官僚として派遣し、
強力な中央集権国家を樹立した。
後世の歴史家は、スダースを歴史上初めて実在した皇帝と認定している。 【紀元前2254年】
ヒッタイト王国にて、記録に残る初の外科手術が行われた。 【紀元前23世紀後半】
ヨセフ王朝下のエジプトにおいて、天体観測技術が発達。
大型建造物の建設や都市整備などに一役買う。
また、星座が考案され、エジプト神話の原型となるものが数多く創られた。 【紀元前2180年頃】
オーストラリア大陸東海岸で、アボリジニによる緩やかな連合政権が形成される。
都市内のありとあらゆる建造物に描かれた美しい壁画など、
主に当時世界最高水準を誇った絵画を中心とした芸術が花開く。 【紀元前2145〜43年】
この年、朝鮮半島沖の島国を治める政権の使者が朝鮮半島を伝って、
黄河の河口付近に存在したに存在した韶へ朝貢に訪れる。
日本列島の歴史が大陸文明の歴史書に記された最初であった。
当時の韶は黄河の河口という地の利を活かして、
小規模ながら海軍を持ち、東アジア圏内で最も文明のすすんだ国であった。
また黄河文明の周縁部は300年以上に及ぶ平和な時代の間に広がり、
北はアムール川、東は朝鮮半島、西と南は平野の続く限りに及んでおり、
長江流域の都市国家との交流も盛んに行われていた。 【紀元前2110〜09年】
アーリア王国にて、国王ジャスールが急死。
トリツ族内で王位継承を争っている間に
バラタ族と血縁関係にあったフラニ族が首都を急襲、全権を掌握する。
青年ムウェテが皇帝に即位、スダース以上の過酷さをもって粛清に取り組む。
絶対的中央集権が達成されると、隣国コルキス王国を全軍率いて急襲、わずか50日余りで併合してしまう。
コルキス王国の国民は殺されるか、奴隷にされるか、あるいは北方の不毛な大地への流浪を余儀なくされた。
その後も断続的に周辺諸国へ出兵し、諸国を震え上がらせる。 【紀元前2109〜2081年:ムウェテの治世】
絶対君主ムウェテ帝率いるアーリア王国の勢いはとどまるところを知らず、
コルキス王国の滅亡とコルキス人の悲惨な最期、そして北方、東方への連戦連勝の進撃に恐れをなした
ヒッタイト、エジプトの近隣の先進2ヶ国は、ムウェテが押し付ける法外な朝貢要求に
言われるがままの存在に成り下がっていた。
アーリア王国の版図は拡大を続け、その治世が30年に達しようとする時点では、
東はビルマやヒマラヤ山脈、北は広大なシベリア高原、さらに西もヒッタイト・エジプトを
じわりじわりと侵食するまでに至った。重税に苦しむ国民の不満を恩賞の配分などで巧みにかわすムウェテ体制は盤石に思われた。
紀元前2081年9月21日、ヒッタイト征服を企てていたムウェテは、ヒッタイトから送り込まれ、
参謀の地位にまで上り詰めていたスパイ・ボアズによって暗殺された。享年51。
アーリア首脳部がムウェテの死を公表するより前に、暗殺成功の報を聞いたヒッタイトは
軍を率いてアーリアへ侵攻。遅れてエジプトも、弱腰外交で権威の失墜したヨセフ王朝を倒した民衆が
のちに第二マナセ王朝を開くマナセを総司令官に侵攻。国無き民となっていたコルキスも
国家復活をかけて参戦する。さらに暗殺の真相を知ったアーリア国民の間では、
2度の内乱と粛清で粗末な境遇にあった部族や、東方の被征服民が反旗を翻す。
かくて200年に及んだアーリアの専制体制はもろくも崩壊し、剣と陰謀の交錯する内乱が始まったのである。 【紀元前2081年以降の中東地方】
ムウェテ暗殺後、領土回復をかけた周辺諸国や国内の反乱分子の暴発によって
旧アーリア王国領土はハチの巣をつついたような騒ぎになっていた。
しかし、アーリア王国をこれほどまで巨大な版図たらしめていたのは、
スダースやムウェテなどの専制君主率いる統率のとれた大軍勢あってのものだった。
領土の大半を失っていたヒッタイト、直前に王朝交代の起こったエジプト、
国土そのものがなかったコルキスなどの周辺諸国は、士気こそ高けれども、
アーリア内戦の主役に躍り出るほどの軍事力も、またその財政的ゆとりもなかった。
また国内の部族の力は、それらに比べるべくもなかった。
馬を兵士の足として活用する習慣がなかった当時は、
いったん小さくなった版図を再び大きくするのにかかる時間は並大抵ではなかったのである。
かくて中央政府・国軍が一瞬にして崩壊したアーリア国内には数十、数百もの
事実上の国家が誕生し、今日の盛者が明日の敗者へと、目まぐるしく情勢が変わる時代が
何十年にもわたって続くことになったのである。
なおこの時代の歴史書、特に最初の20年ほどの間の記述は、あまりあてにならないというのが学会の通説だ。
絶対数が少ないうえに、混乱の中での書き間違いや落丁、根拠のない推測による
楽観的・悲観的に過ぎる記述が多いのだ。 【紀元前2022年】
韶の使者が東シナ海を渡り、日本列島に到着、前2145年に使者がやってきた集落を訪れた。
集落の代表は、沖合にある列島の全土を統べているように述べていたが、実際に訪れてみると、
そこにあったのは、定住せず、主に狩猟や漁業をしながら細々と暮らす半原始人の姿であった。
使者はいったん帰国した後、伊豆半島や能登半島にまで及んで調査するが、集落は見つからなかった。
先に朝貢してきた住民の正体は長年の謎だったが、後年、九州のの山奥に大規模な集落の跡が見つかり、
この集落の代表であったと分かった。しかし、その集落が滅亡した原因はいまだ明らかでない。 【紀元前2000年現在、各地域まとめ】
≪アフリカ≫
最も文明が進んだのはエジプト第2マナセ王朝。中東の戦乱に積極的にかかわっている。
ほかの地域では、小さな集落が延々と続くのみ。マダガスカル島では、天然痘大流行から300年が経過し、
大帝国の遺跡が自然に覆い隠されだしていた。人口は300年で倍増した程度で、漁港など数か所に寄り添って細々と暮している。
≪ヨーロッパ≫
ギリシャに都市国家が成立しているが、ほかの地域はほぼ未開。
≪近東〜中東≫
アーリア王国が諸地方を征服し、最も文明化が進んだ地域だったが、内乱に突入、生活水準は低下の一途をたどっている。
≪極東≫
黄河文明と長江文明が並立状態。黄河文明が若干リードしており、朝鮮半島や日本列島にも調査団を派遣している。
≪東南アジア・オセアニア≫
オセアニア東海岸にアボリジニの連合国家がある。ほかの地域は少数部落のみ。
≪アメリカ大陸≫
大国は無し。ヌナブト王国は特に抜きんでているわけではない。 【紀元前1963年】
黄河文明諸国は、ここ数十年は戦いや確執もなく、
交易をおこなって互いに支えあい、共に反映する
共同体のような関係になっていた。
一方、長江文明では良渚を頂点とする社会秩序が前2000年ごろまでには成立し、
黄河文明を虎視眈々とにらんでいる状況だった。
これに危機感を抱いた黄河文明諸国は、20年近くにわたって断続的に続いた交渉の末、
前国家が合同して韶となり、他国の王は地方領主または中央貴族として
韶に協力することを決定した。 【紀元前1920年代】
韶、長江文明に対抗するため、周辺諸国を教化し、
将来的には自身の対良渚体制に組み入れようと画策し、
砂漠地方・満州地方・半島地方・列島地方の各地に出張所を設け、地元住民の育成にあたった。
日本列島では、紀元前1922年、志賀島に列島郡庁が、対馬・長崎・熊本・下関の各地に支郡庁がおかれ、
農耕など技術教育などが現地民に対して徐々に行われるようになった。
また、支郡庁も、教育の進歩によってゆっくりと東へと拡大し続けた。 【紀元前1900年前後】
旧アーリア王国領における内乱は、交戦諸勢力の疲弊により、このころまでに
なし崩し的に収まり、小規模な合戦が散発的に発生する他は表面上は小康状態が訪れた。
結局最後まで中東全体、あるいはその大部分を征服する勢力は現れず、念願の祖国回帰を果たしたコルキスが
フラニ族を皆殺しにして首都を領土としたほかは、ほとんどの部族は現状維持ないし近隣数部族の征服にとどまった。
200年近くに及ぶ内乱を経て、1000年に及んだアーリア王国の高度な技術や文化は完全に破壊され、
中東地域は「暗黒の時代」を迎えていた。
各国は疲弊した民衆の生活基盤を一時も早く立て直して近隣国の攻撃から身を守るため、
あるいは体力消耗によってかえって効用を増した情報戦に対抗するために、
有能なものを家柄によらず登用する制度を相次いで採用。
いわゆる「諸子百家」の思想が花開き、新たな文化の土壌が芽生えたのであった。 【紀元前1862年】
良渚、韶の領土へ出兵、両陣営の平野部統一戦争が表面化する。
良渚は兵力・装備の点で若干勝っていたが、韶も地方統一以降に打ち立てた
統治機構がよく機能して健闘、被害は最小限に抑えた。
以来、中規模な軍事衝突が続く。 【紀元前1830年代】
アボリジニによる連合政権は、領土内で調達できる食物が限られていたため、慢性的な栄養不足に苦しんでいた。
そんな中、ニュージーランド島など沖合の島々と物々交換をおこなう一部の漁村の住民は比較的健康であることに目を付けた政府が、
船団を建造してニュージーランド島へ出向き、特産品を持ち帰って国民にふるまった。
するとたちまち国民は健康を取り戻した。
これ以降、政権は国策として交易に乗り出すことになる。 【紀元1800年前後】
南アメリカ大陸の太平洋岸に、連合政権が形成される。 【紀元前1755年】
韶の教化政策において、
半島群庁(本庁:トンチャンリ)担当区域は、沿岸部が支庁設置に関しては終了し、
内陸部進出へと移った。そのほかの地域でも進んでおり、
このころの日本列島では、太平洋沿岸では紀伊半島、日本海沿岸では能登半島まで支庁が拡大していた。 【紀元前1721〜19年】
良渚、黄河流域に大軍を持って攻め込み、韶本国を完全制圧する。
韶首脳は四郡本庁に散り散りになって亡命し、現地民の教育・使役を急いで態勢を立て直し、
黄河流域を取り戻す作戦に出る。
一方の良渚は、韶を完全に滅ぼすのは後回しにして、征服地の統治を開始。
戦功のあった将軍に領土を与えるとともに、軍事上の用地には有能な人材を本国より派遣して、
統治機構を整え始めた。 【紀元前1683年】
アボリジニによる連合政権、更なる交易の発展を求めて、
さらに外洋へ乗り出すことを決定。
いわゆる「海軍省」にあたる組織を作り、船大工らに大型船を作らせ、
航海を始める。同時に、天体観測技術の向上にも努めた。 【紀元前1650年】
韶、本国難民からなる義勇兵に四郡からの徴兵を加えた大規模軍隊で本国奪還出兵に出るも、
良渚の巧みな戦術にあって大敗。
兵の大半を失い、経済に大ダメージを与える。
現地民教育の範囲拡大も完全にストップした。 【紀元前1633〜26年】
良渚、韶の領土へ歴史的な大軍を率いて侵攻。
補給路や兵士の交代がスムーズに進んだ良渚はじわりじわりと韶の領土を侵食。
列島地域を除いては31年ごろまでに制圧する。
海を挟んだ列島地域の制圧には手間取るものの、26年には完全制圧に至った。
韶が各地に設置した郡庁の機能はそのまま統治機関として継承したが、
韶による300年間の教化政策で技術・文化が進んだ現地民から反乱がおこることを警戒。
職業訓練所を廃止し、地域間での交流・交易や一部地域に認められていた住民による自治を
徹底的に禁止・弾圧するなど、「教化から監視へ」の姿勢で臨む。
この転換により、東アジア周縁部の文明が100年以上退化するとともに、
教化政策に関する資料もその多くが失われた。 【紀元前1590年】
アボリジニの交易船が大海原へ乗り出してからおよそ100年、
その行動範囲は近隣の島およそ10との交易を達するまでにいたった。
この年、ある交易船が嵐に遭い交易ルートから外れ、太平洋上の無人島に打ち上げられる。
難破した船の修理を行うために数か月駐留したが、船長が新たな領土として開拓することを思いつく。
本国に戻った船長の提案に中央政府も賛意を示し、
政府関係者駐留を条件に無人島への植民・開発を認める方針を打ち出した。 【紀元前1560年頃】
ギリシャ都市国家にて、名門出身のヘラクレスが頭角を現し、豪胆な政策を数多く実行。
ギリシャの国力は大いに増した。 【紀元前1540年代】
中央アジア高原の騎馬民族が南下し、中東からヨーロッパに至る各地域を荒らしまわる。
組織立った行動をとってはいなかったため占領の憂き目にあうことはなかったものの、
突然襲来して荒らしまわってはたちまち去ってゆく騎馬民族に、各国政府は対応に苦慮。
旧アーリア領の地域一帯では、そこらじゅうに騎馬軍が闊歩する状態が慢性的に続くこととなる。 【紀元前1510年代】
騎馬民族がエジプトにも到来、エジプト王国を滅ぼす。
この民族は例外的に、そのまま実効支配を開始した。
また、ギリシャにも襲来があったが、ヘラクレスの一族率いる市民兵の奮戦によって
撃退に成功する。 【紀元前1480年代】
エジプトを追われた難民たちによって、イタリア、スペイン、北アフリカなどの各地に都市国家が建設される。
すでにこれらの地方に既得権益を持っていたギリシア系住民とは小競り合いが頻発する。 5000年前に人は存在してない
宇宙からきた究極の意思によって作られた産物
その昔、恐竜の化石を発見した人々は
皆神々が生命に息吹を与えたときにでてきた
失敗作であると考えた
歴史とは、人の記録の中にしか存在せず記憶にはない ドキュメンタリー動画(中国関連)ー135件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=ACwJcQit3m0&playnext=1&list=PLAF90E662881D388C
【青山繁晴】中国に狙われる沖縄 26:44
http://www.youtube.com/watch?v=XEOX81ABrM4&feature=relmfu
尖閣諸島が中国領ではない5つの理由 15:08
http://www.youtube.com/watch?v=05x4iciT_z8&feature=related
中国軍事力の真実[桜H24/2/25] 3本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=YeMo1JaOm0U&feature=list_other&playnext=1&list=SP742E374F1A55EBAD
尖閣諸島・日中もし戦わば[桜H24/6/9] 3本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Itu8VN7UrSo&feature=list_other&playnext=1&list=SPE6A5B81B8A7DB63E
!】日本が核武装したら世界はどうなる[桜H24/6/23] 3本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=C8lGIqJV_k8&feature=list_other&playnext=1&list=SPF6E7CF849E89964C
宮脇淳子と語る真実の中国史
http://www.youtube.com/watch?v=SEuE0sDu_dc&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=tUY_Siu-BFk&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=IiJ2iF-zHlc&feature=relmfu
【井上和彦】韓国軍の実力を徹底分析![桜H22/6/24] 25:14 A22:15
http://www.youtube.com/watch?v=tSyG0amF6Xk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DVQ6T4DZ1_k&feature=relmfu
【井上和彦】北朝鮮軍分析 Part1[ー 23:43 Part2 ー22:47
http://www.youtube.com/watch?v=A54RvpIpQqw&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=2RIAyW9p6jE&feature=relmfu
竹島問題-31本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=BRE4DdgG-Rk&feature=rellist&playnext=1&list=PL879B0C2ABBBC157E
ch桜 討論ー178本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=buBpYJO3Vro&feature=relmfu
天才!小室直樹 資本主義講座 1:14:18
http://www.youtube.com/watch?v=u8GoJ7SDvB0&feature=related
天才!小室直樹ー37本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=AKhnvjV6ZIQ&feature=rellist&playnext=1&list=PL6DF427CB2A6A0F04 >>96-218や>>230-279で続けたい人居る?
いないなら初めからやり直してもいいと思うんだけど >>290
やり直したからといったって、人が来るのかね?
ある程度下地ができたうえで引き継いだほうが、楽に進めるような気がするが。
>>290がオリジナルで始めようと思っているのなら、引き留めはしない。 >>43
超震災とか不謹慎乙と思ったら09年の投稿か・・・ とは言え、絶対起きる訳がないと思われていたM9クラスの地震も原発事故も起きてしまったからなぁ……
あと考えられるとすれば、第二次関東大震災に触発されて東海・東南海・南海の三連動地震が引き起こされるくらいしかないだろうなぁ。 >>294
三陸地方沿岸と関東地方沿岸は、
巨大地震が短期間に響きあうんだぜw
1605年 慶長巨大地震
房総半島沖と南海トラフが同時連動したと見られる、関東地方太平洋南沖での超巨大地震。 規模はM8.8
房総半島沿岸、鎌倉、横浜に10m以上の巨大津波襲来。
1611年9月 会津直下型大地震 M7.7
1611年11月 慶長三陸超巨大地震 M9.2
1614年
慶長東日本同時多発巨大地震 M9.2
古文書に遺された被害記録が正しければ、日本海側と関東地方太平洋岸、
南海トラフ、中央構造線が同時連動した同時多発超巨大地震と推定。
銚子から伊豆の関東地方太平洋岸にかけて大津波が襲来。
1677年11月
延宝関東巨大地震 M8.7
古文書に遺された被害記録が正しければ、今の宮城県南部から福島県、茨城県、千葉県、八丈島かけての500kmの
沿岸に10m〜15mの巨大津波が襲来。
半年前の1677年4月には、
延宝三陸大地震 M8クラスが発生。
1703年 元禄関東巨大地震 M8.2
1707年
宝永南海トラフ超巨大地震M9.2と富士山大噴火 紀元前1450年代
韶から南九州に渡来した邇邇芸尊が良渚の勢力を排除して九州に統一政権を打ち立てる