田沼意次を語るスレ2
前スレが終わってからが長過ぎる。
しかも板が・・・・・・・・・・・・・ あれま。
日本史板にあったスレの続編なんですかね。
最近田沼関係のスレがちょくちょく散見される。ブームでもないし、不思議。
ちなみに最近まで井沢元彦が逆説の日本史で連載していたこともあって
自分もそのスレで田沼意次についていろいろ書いていました。
まだこのスレの流れが良く見えないから、まとまった意見を書くのは
もう少し様子を見ますが、史学ではちょっと評価高すぎ。
賄賂なんて当時は空気みたいなモン。田沼は小者に入る。
言論の自由、権力への批判が許されない当時、田沼と大塩は例外的にヤリ玉に挙げられた。
スケープゴートであることの、なによりの証拠だね。
第一、民主制資本主義の現在と封建制絶対主従主義の当時とでは善悪も違う。
田沼は例外的な【成り上がり】であり、それだけで権力纂奪の容疑者である。
下剋上は当時の最大悪であって、田沼自身が最も警戒しなければならなかった。
王翦将軍なる人物がいた。古代中国、秦の始皇帝に使えた。
この将軍が中国統一戦争をやり抜いたのだが、開戦前から屋敷だの荘園だの権力とは縁遠い恩賞を重ねがさね求める。
戦地にあっても皇帝への方向に併せて、恩賞への約束に確認を求めた。しつこく。
他の廷臣が始皇帝に『造反の疑いあり』讒言におよぶ。
始皇帝、一笑に付して曰く
「小利を貧る者、大それた野心は持たぬ」
王翦は一度隠居しており、苦戦した始皇帝自ら頭を下げての再任官であった。
最も成熟した主従体制の中、田沼が常々口にする。『贈答品の中でくつろぎ眺めて暮らすのが最高の幸福』
公坊に最も近付いた成り上がり、田沼は最も小利を求めなければならなかった。
>>13
面白い見解ですね。
しかし、人間は猫を被ることもある。
徳川家康など、豊臣政権からしてみれば簒奪する訳がないのをやった存在かもしれないですよ。
まあその程度の考えなら、徳川家康のホンネが分かっていないという事か。
石田三成は簒奪は出来ないでしょうね。 皇位はともかく世俗の権力を求めることは、現在、悪事ではない。
当時、賄賂は悪事ではなく権力纂奪は巨悪である。困窮する民衆にはスケープゴートの材料になるだろうけどね。
現在の物差しで田沼を斬ることはマチガイ。
失脚直前まで田沼は民衆救済に奔走しており、スケープゴートは不当な扱いである。 光圀タソの方が、よっぽど悪人。
諸国行脚なんて脚本家の大ウソ。
江戸表に詰めっぱなしで政治工作に血道をあげる。
発育不良(140aもなかったらしい)綱吉を、堀田と組み五代に擁立。波長が合わなくなり、軋轢の果てに家老を斬る。太平の世に、かなりの暴君。
コンプレックスと政務ストレスの綱吉タソは嫡子が出来ず、史上最悪の悪法を執行。
光圀タソはタソで領民に重税を課し、日本全土から集めた口証伝承をムリにつなぎ会わせた【日本書記】
後世、ファシズム日本のバイブルとなる。
>>20
いいんじゃね?
田沼意次だけだととても1000まで持たないぞw
前スレ、後半は盛り上がったが立ててから終わるまで3年半もかかっているw 沼を干拓して新田にしようとしたから田沼というのか? おい、おまいら、田沼意次なら必須のキャスティングを忘れていないか?
一橋民部卿治済だよw >>15-16
でも信長がいた頃の秀吉も、どちらかといえば>>16に当てはまるかも知れない。
当時なら、戦に強いことや人殺しは悪ではないが、信長に反抗することは巨悪。
秀吉は、勢力が拡大すればするほど、逆に家中では卑屈になっている。
「羽柴」なんて名字を名乗ったのもそうだろう。
権力を脅かす存在と見られることを極度に警戒している。
だから、信長死後、天下を窺う頃の秀吉は、そのギャップを埋めるために苦労することに。
田沼意次にしても、豊臣秀吉にしても、世渡りの妙を心得ているなw
しかし、最後は明暗を分けたような希ガス 定信タソの子孫は、かなり意識している。
とりあえず【その時】だったか?田沼の名誉回復を司会した。 定○というN穴は親戚かも知れんが、子孫じゃないのでは? 松平アナウンサーは、
久松(松平)定勝、松平定行から始まる伊予松山藩主家の分家。
あの人近くで見たことあるけど凄く小柄ででもガッチリしていて、それで真っ黒な日焼けした顔だった。
冬だったと思うけど。 田沼意次の賄賂路線はしっかりと徳川家斉治世下で水野忠成に引き継がれたよw
政策は忘れられたけどw 賄賂、袖の下なんて
徳川時代全般を通じて上は大老、下は茶坊主まで血液みたいなモンだったのだが。 >>45
何か勘違いしているようだが。しかも歴史に対する基本的考え方を誤らせる。
確かに当時は贈収賄罪も政治資金規制法もないから、現代で言えばそうなる場合でも何の制約もなかった。
しかし、一般的な漁官に賄賂が横行したかどうかについては、明らかに時期により差異がある。
例えば、他人にものを頼む場合、手ぶらじゃまずいだろうという考えは現代日本人でも分かる感覚だ。
それで、たっての願いで本人がどうしてもその地位を手に入れたい場合に個別ケースで賂(まいない)を贈る。これは江戸時代全般を通じて見られる。
また、吉良上野介が浅野匠頭から儀礼を伝授する見返りに要求するもの(これ自体は忠臣蔵の脚色もあるが、一般的にこのようなケース)もあり、程度により現代では賄賂と考えられるもの。
これも当時はあった。
しかし、何でもかんでも賄賂で片をつけようとした訳ではない。それが頻度・程度共にエスカレートしたのが、田沼意次や水野忠成の時代であることは間違いない。
つまり、人事一般で考課される基準の中で、過度に賄賂の占める割合が多くなった時期は確かに存在する。
感覚的な点で、現代のようにはっきりしていないので解り難いかも知れない。
例えば、戦国時代は、現代人の感覚での「殺人」に対する考え方は適用出来ない。もっと人を殺す行為について抵抗感はなかっただろう。
しかし「殺人は悪いことだ」という基本認識は、この時代でも存在する。ただ、戦闘や当時の風習上殺す局面が現代よりかなり高いものの、強盗殺人などはやはり「人殺し」の部分も咎とされたのだ。
そうか・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、人事一般で考課される基準の中で、お金大好き路線となった時期は確かに存在する。 わかりましたです。
その伊沢元彦なる者をくくって来ます! このスレの住人は大石慎三郎を読んでないんだろうか?
井沢の議論は大石の業績にのっかったものだ。
ついでにいえば君たちがナントカの一つ覚えのように参照するネットの
データも
おおむね大石の学説からのパクリだ。
しかしバカばっかだなW 井沢なんかどうでもいいけど大石慎三郎氏の著作なら読んでいますよ。
内容的に前向きなのは良いですが、前向きばかりの時代じゃないし。 >>60
勘違いされてたらアレなんだけど、
私は大石のいい読者じゃない。 アリの巣コロリってあるじゃん。蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。そいつをマネして何匹も入る。毒とも知らずにツブツブを運び出す。
一匹が一粒づつ。
いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
蟻さんって働き者だなと思う。俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。
探してもいない。
泣きたくなった。
このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。信じるか信じないかはあなた次第です。
>>63
だったら始めからアリの巣コロリなんて仕掛けんなよ、結果は分かりきってるだろ?
バカか、こいつは?
とマジレスしてみるw たーーーーーーーーーぬーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
きw 未都肛門萬遊記と同じウソ歴史。
反復学習で刷り込まれた、曲解と先入観の塊に過ぎない。
日中古文を教えて靖国誹謗に怒るオジイチャン先生が
テレビを本気にしていた。 >>67
おまいは何を刷り込まれてそんなに曲解と先入観をもつようになったんだ? 肛門さまが勧善懲悪の善玉だと、教えるスレは
ここですか? ミトコンドリアが作り話だってことはみんな知ってる
で、何がそれと同じウソ話なんだ?? 日本史板にあった元スレと比べたら、シンジラレナイくらいに内容が薄いスレだな。 学問板なら一言あるような奴がすぐに食いついてくるが
趣味じゃ田沼意次は人気ないだろ タヌマニアはいないのか・・・・・・・・・・・・・・・・ このスレは死んだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 平賀源内を喪ったことが、老中田沼にイタかった。
源内が生きてたら、流通危機に及んでコメ問屋の認可拡大など愚策は採らなかったと思う。
意次の代から、田沼家はオボッチャマである。人間のあざとさを知らず、間違った自由主義に進んだ。
前スレも変なところから急に盛り上がったが・・・・・・・・・・・