【白百合】フランスの歴史【三色旗】
南仏オクシタニア、ブルターニュ、ガスコーニュ、アルザス・ロレーヌ、
域内に多数の異民族を抱えながらもなんとか単一不可分の共和国として
成り立っているフランス共和国のスレッドです。
語る範囲はカエサルの征服〜現代までで
百年戦争、異端カタリ派、十字軍、第二帝政辺りの話題が出たら嬉しい >>1
GJ
ちょうどフランス史を深く勉強していたので。
個人的には今のアキテーヌ、ミディ・ピレネー、ラングドック・ルシオンと、
スペインのナバーラ、アラゴン、カタルーニャの関係性が気になる。 ナポレオン三世かっこよす
取るに足らない小物とか言ってるドイツ人の経済学者崩れは氏ね! >>8
クロヴィス1世の開いたメロヴィング朝から、
七月革命によって崩壊するブルボン朝まで。
教科書にも出るところだ。
メロヴィング朝→カロリング朝→カペー朝→ヴァロワ朝→ブルボン朝 ↑も濃いですが、弟のシャルル・ダンジューは更に輪をかけて濃いですね。
しかし、一時期摂政も務めていた二人の母は「モンゴルが来る」と聞いて
泣き崩れたそうですが、そんな時代に兄弟揃ってよく東方遠征などやって
いられましたね。
視野の狭さは後出しジャンケンのようなもので、今だからこそ言えること
のようですが、それにしても、モンゴルの脅威は感じていた筈。 >>13
あの二人はカペー朝の中でも濃いですよね。
歴史にもしはありませんが、もしシチリアの晩鐘がなかったら
シャルル・ダンジューの帝国はどうなってたんでしょう?
フランス王国と合同してフランスがブルグンド+イェルサレム+両シチリア+
アルバニアの王冠を手に入れたりしたんでしょうか?
それともシャルルの帝国はフランス王国から独立した勢力としてかつての皇帝のように
教皇と争いながらイタリアの統一、及びローマ帝国の復活を目指したのでしょうか?
アルビジョワ十字軍後、故郷を離れたトゥルバドゥールは
パレルモにある皇帝フェデリーコ(と書こう。イタリア人だと考えないと彼の行動は理解できない)
の宮廷に招かれ、そこでまた詩作をしていたそうですが、
フェデリーコの死後、後を継いだマンフレディもシャルル・ダンジューに敗れ
ホーエンシュタウフェン家そのものがなくなってしまったあと、
トゥルバドゥールの居場所は再びなくなってくんですよね・・・
>>14
アレクサンドリアへの攻撃なんてやる必要があったのかと小一時間(ry
マルグリッドがボンクラだったら聖王ルイが捕虜だった間に滅ぼされてた可能性も無きにしも非ず ルイ4世 海外王
ルイ6世 肥満王・戦争王
ルイ8世 獅子王
ルイ9世 聖王ルイ
ルイ10世 喧嘩王・強情王
ルイ14世 太陽王 ルイ9世って皇帝になれたかもしれないけど
高潔で正直な人物だったからあえてその機会を見過ごしたんだよね もう少し欲があったら、という気がしますね。本当にシャルルと兄弟だったのかと。
エジプトでもチュニジアでも負けていますから、出し続けても膨れ上がった挙句破
綻したかもしれませんが。
>イタリアの統一、及びローマ帝国の復活を目指したのでしょうか?
こちらも失敗しそうな気がしますね。ヨーロッパという土地は、いちゃもんをつけ
たり、いいところで邪魔をすることにかけては天才的な連中が多い。
国としては、七つの海に乗り出して以降のイングランドが特にえげつない。
それに、もう地中海帝国を目指す時代ではなかったのではありませんか。
ルイ9世の生きた時代は、古い中世と近代の前段階の時代の中間だと解説した書も
ありましたが、拡大するより地場固めに入るべきだったかと。
それに、実現できるような人物なら、「晩鐘」に対応できていたと思います。 確かカロリング朝まではフランク王国でしたよね。
あと、詳しくは知りませんがローマ時代にガリア帝国だがが一時建国あった
ような。 >>19
3世紀、ゼノビアの反乱とほぼ同時期でしたが、すぐに吸収されていますね。
元々、独立志向は強くなかったそうで。 >>18
>それに、もう地中海帝国を目指す時代ではなかったのではありませんか。
やっぱりこれに尽きますかね
バイバルスがいなくても十字軍国家はいずれ消失してたでしょうし
その通りっちゃその通りですけど、なんか残念な気分
ところでカタリ派って仏教の宗派にもこういう信仰ありそうじゃないですか? >カタリ派
現世=悪というキーワードに絞ると。
厭離穢土、欣求浄土というのに似ているかもしれませんが、浄土宗(中世に
は現在の浄土宗は浄土衆と呼ばれた。ここでは中国から伝来した欣求浄土の
教え)の思想も、現世を「悪」とまではしていませんでしたね。
現世の栄華を否定するという意味での「現世否定」や人体を穢れの集積した
もの=執着すべきではないということは言われましたが、悪とまでは。
悪いのは執着する自分の心(煩悩)であり、対象それ自体ではない。
原始仏教では、釈迦自身の言葉に「私はニヒリストではない」とあり、来世
について語らなかった彼は、現世について否定はしなかったようです。
仏教をニヒリズムとする見方は、現代のキリスト教信者にも見られますが。
ただ、その原因であろうと思われる「俗人であれば欲を断ち切れない」とす
る原始仏教の思想は、現世に生きる中で、結局は特定の(出家者の)生き方
を求めたものであるという点において、現世をそのまま容認することもして
いないと言うことは、出来るかもしれません。
しかし、中国→日本の天台宗の思想(鎌倉新仏教はいずれもこの影響を受け
ています)は、当初は「煩悩は氷であり、悟りは水である」というようにし
て、煩悩と悟りを「近いが別のもの」としていたのに、中世以降は煩悩即菩
提とする、所謂「天台本覚論」をとるようになります。
それと共に、比喩ではなく「山川草木も成仏する」と言うようになる。
こうなると、完全な現世肯定型ですね。日本人の楽天的な(罪や罰を畏れな
い)生き方には、未だに影響を与えていると思います。
大乗仏教自体に、上座部に比べて楽天的な傾向があるのですが。 現世肯定は「神道」の影響だとも言いますが、戦前までならともかく、戦後
の研究では古代以来の「純粋な神道」というものは、少なくとも中世には存
在していなかったとされています。
「神道」の現世肯定は、中世後期の吉田家以降、近世に「純粋な神道」を言
い出した儒学者・国学者、近代の国史学者まで見られますが、古代以来のも
のというよりは、仏教の影響下に成立したものではないかと思います。
今の神社のHPなどでは、本居宣長などを引用して、古代以来のものとして
いますが、「本来ある姿が一番美しい」という「唐ごころ」を排除した姿勢
は、やはり本覚論の影響抜きには考えられないと思います。
本居〜戦前・戦後の国史学者および国文学者が古代を「平和で安定した時代」
として理想視していたことは、谷沢永一氏が皮肉られた通り。
「純粋なら上手くいっていた」という、前提に基づいたイデオロギーで、根
拠は全く無かったのですが。失礼、気がついたらわき道に入りすぎました。 レスありがとうございます。
断食して完全者を目指したり、輪廻転生の考え方の存在が
基本的には欧州のキリスト教にないものなので
(アイルランドのカトリックにはあるそうですが)
こう思ったんですが、流石山野さん、お詳しいです。
つか話が難しすぎてついて行けませんw
現世を完全に悪だと切って捨てる態度はグノーシス派の影響なんでしょうが、
確かに浄土宗的な考えとは相容れない考え方でした。うかつでした 輪廻転生は仏教というか、インドのものが著名ですが、ケルトにもありましたね。
インドのものと異なり、自然に流転する(蝶を飲み込んで懐妊など)ような話で、
業とか六道の違いなどはなかったようですが。
とはいえ、聖ヨサパトと聖バルサームの例もあるので、可能性は否定できない。
類似といえば『方丈記』のようなことを「万物は流転する」のヘラクレイトスが
言っていたようですが、背後に無変化のロゴスを想定したあたり、無我論とは相
い容れませんね。大乗仏教が無我論かという気もしないではありませんが。 ×バルサーム
○バルラーム
南フランスの教会のステンドグラスにあったという話を(個人的に)聞きました。 コレラの大流行は19世紀初頭のインドで始まった。
ヨーロッパでは、まさに舞台背景となっている1832年にロンドンとパリで大流行し、
パリでは総人口65万人に対して一夏で2万人が死んだ(フランス全土では10万人死んだ)。
ラマルク将軍もコレラで死に、六月暴動の一因として、
政府が下層民の上水に毒を仕込んだというデマが流れたことが挙げられている。
コレラの流行は19世紀に入ってからたびたび起こったが、
1858年と1862年に大流行し、江戸だけで10万人規模の死者が出た。
江戸でも「ころり」の原因は毛唐が井戸に毒を仕込んだというデマが流れた。
本当の原因は上水が汚く、コレラ菌を含んでいたからだが、
当時は原因も分かっていなかった。
コレラの原因菌がコッホによって見つかったのは、ユゴーが死んだ後。
コレラの大流行は19世紀初頭のインドで始まった。
ヨーロッパでは、まさに舞台背景となっている1832年にロンドンとパリで大流行し、
パリでは総人口65万人に対して一夏で2万人が死んだ(フランス全土では10万人死んだ)。
ラマルク将軍もコレラで死に、六月暴動の一因として、
政府が下層民の上水に毒を仕込んだというデマが流れたことが挙げられている。
コレラの流行は19世紀に入ってからたびたび起こったが、
1858年と1862年に大流行し、江戸だけで10万人規模の死者が出た。
江戸でも「ころり」の原因は毛唐が井戸に毒を仕込んだというデマが流れた。
本当の原因は上水が汚く、コレラ菌を含んでいたからだが、
当時は原因も分かっていなかった。
コレラの原因菌がコッホによって見つかったのは、ユゴーが死んだ後。
今日一日かけて『聖王ルイ伝』を読むことにしたのですが・・・どうも理想
化が強くて、今ひとつ人物がつかみにくいですね。
それと、モンゴル対策は遠征後半まで「友好的なキリスト教勢力」と思って
いたのであれば、当然でしたね。プレジスター・ジョンという名は、出て来
ていませんでしたが。 よく考えたら、我が国でも聖徳太子以下、聖〜と呼ばれそうな面々の伝記は、
類型化されたものが列をなしていました。失礼。
個性がいいのではなく、類型化されたもの、先人の尊い道に倣ったものがい
いとされたのが前近代(近世は微妙ですが)。
個性を期待する方が、無茶ですね。
一応、融通がきかないのと、気前がいいのは事実だったようですし。 721 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい:2007/09/04(火) 17:47:58 ID:???
フランスではアルコール解禁は16歳以上
日本は解禁年齢に関しては世界でトップレベルの厳しさ
722 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい:2007/09/04(火) 17:53:51 ID:???
>>721
じゃ、ペリーヌの時代はもっと緩かった(もしかしたら法律がなかった?)ということだね。
724 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい:2007/09/04(火) 18:05:29 ID:???
一部はね。
蒸留酒とか強いお酒は18から
ワインとか弱いのは16でおk。
725 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい:2007/09/04(火) 18:30:29 ID:???
>>721
でも、酒飲みへの甘さも世界でトップレベル。酔っ払いに対する迷惑行為に甘すぎる。
だから自分はお酒が嫌い。 742 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい:2007/09/07(金) 17:22:20 ID:???
フランスの葬式じゃ喪服とか着るのは身内ぐらいだよ
参列する事に意味があるって感じでお洒落して参列する人も多い
まぁタキシードはないけど
744 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい:2007/09/08(土) 22:44:06 ID:???
ペリーヌの時代だと、男性の正装は燕尾服(タキシード)だったんジャマイカ。
今でもそうとう改まった場面ではそうなんだろうけど、
当時はもっと普通に着てたのかもよ。
745 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい:2007/09/08(土) 23:16:37 ID:???
平たく言えばパーティ服なんだし華やかな席で着るもの。葬式に着るのは変。
それに昼間にタキシードってのも変だな。
746 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい:2007/09/09(日) 00:31:34 ID:???
1870年代はまだタキシード(スモーキング・ジャケット)は礼装ではなかったようだが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%89
http://www.kindware.co.jp/rule_f/knowledge/knowledge01.html
流行はしてたようなので、むしろ>>742が言うようなお洒落の範疇では。
何にせよ当時のフランスのドレスコードが分からん事にはな。
フランスでは、「立法中心主義」ないし「法律中心主義」(le´gicentrisme)の伝統のもとで、
主権者の一般意思を表明するとされた法律を審査する権限を司法が有することは、これまで否定されてきた。
第三共和制期には、アデマール・エスマン(Adhemar Esmein)やレイモン・カレ・ド・マルベール(Raymond
Carre´ de Malberg)のように違憲審査制を否定する見解(1)が通説的であった。
また、第四共和制のもとで設けられた憲法委員会(Comite´ constitutionnel)も、
議会制定立法の合憲性を審査する機関というより、本質的には憲法改正手続において機能する機関にすぎなかった。
これにたいして、一九五八年の第五共和制憲法に定められた憲法院(Conseil constitutionnel)は、
他の国家機関の行為の合憲性を審査する独自の機関として設置された(2)。
しかし、憲法院は、そもそも、「合理化された議院制」(Parlementalisme rationalise´)を
担保する政治的機関として着想され、議会の法律事項と政府の命令事項の権限配分をおこなうことが当初の主たる目的であり、
最初から人権保障機関として活動をおこなっていたわけではない。
憲法院は、共和国大統領、国民議会議長、元老院議長がそれぞれ三名ずつ任命する九名の憲法院判事と
大統領経験者から構成され、憲法院長は、大統領が任命する。憲法院判事の任期は九年の一期限りであり、三年ごとに
三分の一が交替するが、大統領経験者は終身任期である
ところで、一九七一年七月一六日の有名な「結社の自由」判決、さらに、提訴権者の拡大を内容とする一九七四年の憲法改正
を契機として、憲法院は、人権保障機関として積極的な活動をはじめる(4)。
そして、その諸判決において、一七八九年宣言、共和国の諸法律により承認された基本的諸原理、
一九四六年憲法前文に列挙されたわれわれの時代にとくに必要な諸原理、および憲法的価値を有する
諸原理などの「憲法ブロック」(bloc de constitutionnalite´)が
合憲性審査の準拠法文として承認されてきた(5)。
憲法院による法律の合憲性審査は、第三共和制において確立した「立法中心主義」として特徴づけられる
ルソー的な憲法伝統と大いに緊張をはらんでおり(6)、これまでフランスにおいて支配的であった
「議会における法律による人権保障」に対置される「裁判における法律にたいする人権保障」という
定式を制度化させるものである(7)。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/96-2/nakamura.htm <産業の国有化>
フランスの戦後復興政策を特徴づける一つが「産業の国有化」だ。
1938年を100とした工業生産の指数は、44年にはわずか38、45年でも50にとどまり、
19世紀末の水準になっていた。
こうした産業を復興させる、その政策の一つが産業の国有化と考えられた。
戦後の経済政策は戦時中のレジスタンスの考えが強く反映している。
そのレジスタンスの中心に共産党の影響があった。ソ連やドイツのように政府が経済をコントロール
すべきだ、との考えは強かった。
それともう一つ、占領中にドイツに協力した企業への制裁、という意味も国有化にはあった。
どのような産業が国有化されたか、列挙してみよう。
エネルギー部門から、北部およびパ・ド・カレ地方の全国石炭公社(44年12月)はフランス石炭公社(46年3月)に再編成され、
46年4月にはフランス電力会社(EDF)、フランスガス会社(GDF)が設立された。
鉄道部門は37年に国有化されていたが、航空部門で45年6月に エール・フランスが国有化された。
金融部門では45年12月の法律でフランス銀行 と四大預金銀行 クレディ・リヨネ、ソシエテ・ジェネラル、
全国割引銀行、全国商工銀行そして後者の2行は66年に合併してパリ国立銀行となる。
46年4月に主要な保険会社が国有化され、45年1月にはルノー公社、45年5月に航空機エンジン開発製造公社(SNECMA)が国有化された。
http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/sengo.html
産業国有化は30年代の人民戦線(フロン・ポピュレール)時代に試みられたし、共産党、社会党、人民共和派などの政策に沿ったもので、国民には抵抗なく受け入れられた。
19世紀の前半、パリの人口は爆発した。ナポレオンの退場とともに、農村や町から首都をめざして、
人々の大移動がはじまる。都市は変貌した。パリの空は黄色く煤け、街路には泥濘があふれた。
が、なによりも変わったのは住民自身だった。
はびこる犯罪――。とはいえもはや大盗賊の時代ではない。
パンひと切れを盗んだジャン・ヴァルジャンのように、〈ミゼラブルな人々〉は危険な存在に
なりつつあった。冬の寒さが、コレラが、民衆を直撃する。死の前の不平等、
それが病める都市の現実であった。
http://www.msz.co.jp/book/detail/03487.html 大学の教育をグランゼコールのレベルまで持っていくことも改革の一つ。 ...
http://paulparis.exblog.jp/ 王政時代から強力な工科大学を持つドイツ型諸国,
実学のグランゼコールを擁するフランス等での大学改革は,
大量の単科大学群を昇格,教授権力をますます縮小したドイツ,
工科・技術短大部を増設,学生の権利を拡大したフランスに見られるように,
国際競争力強化のために盛んに行われている。
http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/9-1.html どうしたら信じられないくらいに劣化した建物、貧弱な図書館、
年に3ヶ月も締まっていて夏には実質的に入ることができない大学、
管理サービスの貧弱さなどを終わりにできるのだろうか。
年間に大学生に充てられる予算 (7200 E) は、高校生 (10170 E) や中学生 (7400 E) よりも少ない。
高等教育にこのような金の使い方をしている国はない。
高等教育に充てる額が高いほどイノベーションの戦いに勝つ傾向が明らかになる中で、
フランスがまだ世界第6位の位置にいるのは奇跡に近い。
http://paulparis.exblog.jp/5909647
http://paulparis.exblog.jp/5909647 グランドゼコールは1747年のポンゼショセ設立から続くフランス独特の教育制度であり、
その特殊性と特権性を説明するのは難しい。
が、例えば、歴代のフランス大統領・閣僚の多くはENA修了者(enarque:エナルク)である。
サルトルやパスツールはノルマル出身である。HECを修了すれば30代で重役になれることもある。
しかし、このようなグランドゼコール修了者の少数支配に対する反発も存在する。
現場を知らない、庶民の気持ちがわからない、入学後は遊んでいる、
というのは古くからある批判である。
一方でソルボンヌを卒業しても、15-24歳の若年層に限れば28%の失業率(1997年3月)の中で
職を見つけることは難しい。しかし新卒で就職できなくても、生活費5万円程度に加え家賃の
半額が国から社会保険給付として毎月支払われる。したがってあせって就職せず、じっくり
自分のやりたい仕事を見つけたいという人が多い。何ともうらやましい話である。
http://www2.ocn.ne.jp/~tkn/france/f6j.html フランスの労働者階級のダメなやつらは共産党とかラビット関根に似たやつの
もうちょっと左のやつまたは、ルペンの支持。
やる気があるのは、サコジの支持。
猿の組閣にあたり
法曹のダチ(マグレブ)の法曹かつ法務省職員の39のやつの
法相への抜擢とかセネガルかどっかの20代の黒人女の
副官房長みたいな人事はやる気のある黒人を刺激する。
(法務省では、次官級幹部が総辞職して意地悪をしているけれども。)
日本では、「時代を超越した偉大なドイツ音楽」「軽薄なフランス・イタリアの
音楽」という図式がいまだに根を張っているな。
中世のフランスは音楽先進国で、ルネサンス以降イタリアが音楽をリードした
時代が長かったんだが。
漏れはクープランの曲とかも好きだ。
http://medi-terra.net/med/region/province/france2m.html
フランスの南北比較早見表
まぁ、本来言語すら違うしなぁ。
というか、ペタン元帥のせいか、南仏語は戦後不遇をかこつことになっちゃったわけだが。 >>51
そういえばビゼーぐらいしか印象に残ってない 管理職の半数が「仕事を遂行するために必要な時間がない」と回答し、
「何とか終えられる」のは42%、「仕事を終えるための時間は十分に有る」のは9%にすぎない。
また、41%が「経営陣から要求されている目標事項は非現実的」と考えており、
10人中8人が「数年前に較べて仕事のスピードアップが要求されている」、
81%が「数年前に較べて仕事の量が増えた」と回答した(仕事量は同じが16%、軽減されたが2%)。
さらに「仕事を中断されることが多く」(71%)、「顧客の攻撃的な態度に悩まされ」(49%)、
「ハラスメントの犠牲になっている」(24%)と、ストレスの種は尽きない。
このため47%が「しばしばヤル気をなくし」、30%が「ストレスが原因で辞職を考えている」。
仕事と家族生活との両立も困難で(50%。仕事が原因で重要家族行事に欠席するのも25%)、
さらに、職場でも疎外感を抱いており(企業戦略から除外されているが36%、戦略について情報を得ていないが46%)
http://www.ksm.fr/shiryo/suji/fr2004/040415_fr.html