源義経=チンギス・ハン説を議論しよう
ユダヤ人埴輪でトンデモ古代史をリードする田中英道東北大学名誉教授、
最近は何をやってんのかと思ったら、
源義経=ジンギス・カン説に手をだしていたのか・・・
https://www.youtube.com/watch?v=wUUWX2HCBLY
小谷部全一郎も日ユ同祖論の信奉者だったし
原点回帰といえなくもない。
この手のトンデモは根っこで繋がっているんだろうな。 >>555
ゆかりの地に訪ねてずうーーっと不思議だったのは
義経ゆかりの神社の近くに
殆どに日〇財団とか笹〇平和財団系のレジャーや研究施設があるんですよ。
三陸海岸から北海度の積丹町までずっとね。
内陸部の遠野市、十和田市にまで笹〇傘下のB&G海洋センターと言うのがあって
不思議で不思議でしょうがなかったなぁ。
昔の笹〇会長とかは神社庁系とは切っても切れない縁のはず。
日ユ同祖論を検索すると笹〇氏とか財団の名がでてくる。
昭和には瀬戸内の源平合戦の研究者を支援してたとある。
これは単なる偶然なんだろうかね…。
ちょっと気になったのでレスしてみました。 ニュースプラス板の
全国のバブル期に建てられ巨大観音像が老朽化して
住民の負の遺産になっているという記事でここを思い出した。
松尾芭蕉が見た金色堂は
伊達家の保護下で廃墟寸前でやっと残っていた。
なのに義経北行に出てくる小さな神社が
村の氏子の管理で800年以上
平泉から蝦夷地まで残っていると言うのは無理があるな。
北行は近世に創作で間違い無い。 バグダードの戦い、あるいは「バグダッド包囲戦」
1258年にチンギス・ハーンの孫にあたるフレグ率いるモンゴル帝国と当時世界で最も栄華を誇っていたと
言われるイスラム帝国アッバース朝との間に起こった包囲戦である。
モンゴル軍によって攻略されたバグダードは徹底的に破壊され、市内に存在していた知恵の館や数々の図書館に
収蔵されていた何十万冊もの大量の学術書はモンゴル軍によって燃やされるか、または、川に捨てられた。
これによってメソポタミア文明ならびにイスラム文明が築いた多くの文化遺産が地上から消失した。
ムハンマドによるイスラム開教(610年)から連綿と続いていた「カリフ」の系統も殺されて途絶え、市民は皆殺しにされ、
その後数世紀間にわたって当地は無人の廃墟となった。
多くの歴史的記述がモンゴル軍の残虐行為を詳述している。
バグダードの市民は逃げようとしたがモンゴル軍に捕らえられ、子供から老人に至るまでことごとく虐殺された。
14世紀の歴史家ワッサーフは「死者は数十万人であった」と記述している。
ニューヨーカー誌のイアン・フレイザーは「20万人から100万人に及ぶ死者を計上した」と記している
1258年当時のイラクは現在のイラクとは違う。
農業は都市の運河によって数千年守られ、バグダードは世界一輝かしい知の中心地だった。
モンゴル軍によるバクダードの破壊はイスラム教に回復不可能な心理的な痛手を負わせた。
既にイスラム教は保守的になっていたが、このバグダードの蹂躙によって、イスラム教の知的開花は潰えてしまった。
アリストテレスとペリクレスのいるアテネが核兵器により消滅する様を想像してほしい。モンゴル軍がどれだけ
残虐であったか理解いただけよう。モンゴル軍は灌漑運河を徹底的に破壊した。
これと殺戮による過疎化とによってイラクはもはや再起不能の状態に陥り、衰退の一途を辿ることとなった。”
―――スティーブン・ダッチ(ウィスコンシン=グリーンベイ大学) ロシアまで源義経=チンギス・ハン説を検証しに行った人のブログによると
戦前に小谷部全一郎が源義経の墓と主張していた石碑が博物館に残ってて
写真ものってたんだが
読んでみると女真族のエスイクイ将軍と言う別人の石碑で「源義経」の墓とはどこにも書いてないってよ 古代で朝鮮半島南部を制圧
高句麗や唐を退けること出来りゃ、唐の没落以降更に領土を拡大し、
本物誕生前のモンゴル高原にも手を出せたかもなあ ネットが発達してここまで検証ができるようになると
義経ジンギスカン説や義経北行伝説って歴史の捏造のレベルだね
地球平面説と同様にYoutubeで削除になってもおかしくない あまり有名でないけど、
12世紀の文永の役前のに、モンゴルの樺太侵攻と言うのがあって、
モンゴル「元」が樺太から侵攻して、樺太や北海道のアイヌを征服しようとした。
仮にジンギスカンが源義経だったとしたら、
義経の子孫がアイヌをが征服したり虐殺しにきたことになるのに、
アイヌが義経を創造神オキクルミやハンガンカムイとして信仰するのは、
まず有りえないでしょう。
アイヌの義経信仰には作為しか感じない。 最近、救急車のサイレンを、頻繁に聴くようになった
://egg.5ch.net/test/read.cgi/119/1651730996/l50
>>555
その講演大学でやったんだろ
いくらなんでもやばくね? 源義経=チンギス・ハーン説て、ロマンと言うより、ネタでしょ。
村おこしのため、観光客の呼び込みのため、お金のために作られた歴史でしょう。
行政が建てた看板にも、伝説をさも史実のように書いたから、
信じちゃった人が続出したんでしょうね。
なんか義経がかわいそうだは。 義経と言うビッグネームが付くと儲かるから嘘でも生きててもらわないと困るんだろw 本当は義経とは別人の判官の職を持った人が滞在した言い伝えが
九郎判官源義経にすり替えられたと言う神社もあるな
なのであたかも義経が生きて逃げた軌跡のように見えると言うわけだ
何時の時代でも朝廷があるからには判官の職がいるのだから最もな話だな 義経がチンギスハンだったら元軍が和弓を使ってるはずだけど
実際はそんな事なかったし別人なのは明らか >>570
しかも元軍の鎧は騎馬戦に使いやすい革製だった
義経が身に着けていた日本式の鎧ではなかった 飛行機の墜落事故にあったはずの
ワグネルの創始者プリゴジンが生きていると伝説になっている ジンギスカンはウクライナに対して破壊と殺戮の限りを尽くし、
プーチンよりはるかに酷いことをしたことが史実に残っているわけだ。
義経=ジンギスカンであって欲しいと言う人の神経がわからない。 歴史上、最も衝撃的な残忍な復讐行為をした人物と言われてるチンギス・ハンと源義経が同一人物とはね… ラマ教寺院に残されたチンギス・ハーン像の写真
どうみてもコラージュだろ
そこまでして義経に似せたいのかよw やはり義経伝説は帝国政府や陸軍省が関与している説は農耕だろう
東北・北海道間で義経や弁慶の伝説が残る神社は明治政府が制定した”諸社”、
つまり府県社・郷社・村社は帝国政府の命令で県や町村によって建立された”明治時代以降の新しい神社”
ここですでに義経一行と明治政府が建立した神社が無関係であることが子供でもわかる
大陸進出の口実に源義経が征服した大陸を大日本帝国が統治して当然と言う世論を作りたかったのだろうな
陰で暗躍したのが陸軍省通訳官の小谷部全一郎だから、軍部が大きく関与したと言っても飛躍は無い 宮城の金成では
明治時代の文書に杉目太郎行信が義経の身代わりになった
と言う伝説が急に出てきて
源義経の胴塚より杉目太郎の墓のほうが立派に整備される
何のためにやったのか地元民でもよくわかっていない 弁慶「仁王立ちして、忠義示すか...」義経「すまんそいつ影武者なんやw 妻子おいて海渡ったろw」妻子「ファ!?」
嫌やろ?あとそんなことなったらまず藤原は、頼朝の性格的に拷問でもされてないと辻褄合わんやろ そういえば…藤原泰衡を裏切って主君泰衡の首を打ち取った河田次郎と言う家臣は、
首を届けた鎌倉で、源頼朝に自分の主君を打ち取った不忠義者とされ、その場で処刑されたんだってな。
平泉が滅んだ後、源義経が平泉で死んでないと、生きていると東北一円に流布し、反乱を起こした大河兼任と言う藤原の残党も打ち取られるし。
せっかく平泉滅亡後に義経・チンギスハン説より面白い歴史があったのに、全く注目されない気がする。 杉目太郎行信も弁慶のような架空の人物だな
奥州南部封域志や大木戸合戦記で義経伝説を創作するために作られた人物 死んだはずの義経が訪ねて来たと嘘っぱちで言ってしまった手前、引っ込みがつかなくなったのでは?