そういえば、元と清の関係について最近たまたま見つけたのがこれ
これ読む限りで言えば、元≒清みたいな話も一概に噴飯物とは言えないのかなあと思った

東アジア歴史人物辞典【北元・モンゴル】
http://homepage1.nifty.com/history/history/beiyuan.htm
教科書によると『元』は中国人王朝である『明(みん)』によって滅ぼされ とって替わられたように書いてある。
「えらくあっさりと滅びたなあ。」 俺も、そう信じ込んでいた。でも、実際は全然違ったんだよね。
中国とモンゴルは別のモノなんだから 明王朝が中国を奪還しただけであって 元の皇帝は本国であるモンゴル高原に戻っただけなんだよね。
んで、その後もずーっと存続した。これを「北に行った元」という意味で『北元』というんです。たぶん。
中国・明王朝の時代から清王朝が始まるまで北の強国としてがんばってた。中国に攻め込むことたびたび。
最後は分裂して、同じく北方民族の満州族に吸収された。この満州族が明を滅ぼし、清王朝を作る。
そのときの大義名分は 「我々はモンゴル大ハーンの後継者である」だった。
俺、この「元の末裔たち」について調べようと思ったのだけれど しろうとが近所の図書館で探した程度では何も、なーんにもわからんのですよ。
あちこち資料を探し回って、ようやくなんとなーく解ったような気がしてきたので、とりあえず彼らの系図を作ってみた。
本職の研究者が見たら笑われてしまうだろうがわかりやすい系図を作ってくれないあんたらが悪いんだよ!
実際、文献がほとんど無い時代らしくて、研究者もわからない謎の時代らしいから、しかたないんだけどね。
日本で言うと、邪馬台国の時代みたいなもんだ。…と思う。