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源義経=チンギス・ハン説を議論しよう

0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/12(月) 17:31:04
高木アキミツの成吉思汗の秘密を読んだのだが、義経がチンギスになった可能性はあったのだろうか?
俺は衣川で死なずに逃げ延びたぐらいはあったと思うのだが。
0239宗久
垢版 |
2012/08/07(火) 20:51:41.34
238の人

あんたも
・・・それなりにしっかりした根拠を提示できんのなら論外もいいとこ。
・・・いずれにせよ↑のひとりごとは気持ち悪い。

0240名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/08/07(火) 23:15:02.52
このスレを覗いた第三者がどう思うかは自明だと思うが、
まあ↑は聞くという能力がないんだろうな。
一応好き者が集まってるとされている2chのスレがこれだと
今後義経北行伝説について調べてみよう、なんて人は激減するだろうに。

つーか北東北の知られざる歴史、みたいなスレって
東日流外三郡誌もそうだったけど、
なんでこういう「俺だけは全部分かってる」みたいな輩がでかいツラしてるわけ?
長年こうだったのなら、「中央から黙殺され」るのも自業自得だぞ?>>ALL
0241宗久
垢版 |
2012/08/08(水) 07:05:18.76
もうちょっとまともな日本語を使いな。

小谷部氏の「・・・義経なり」を読んでないだろう。
読んでから批判しな。
0242宗久
垢版 |
2012/08/28(火) 05:26:36.91
有色人種を搾取して成り立っていた欧州もギリシャからの破綻(がん細胞)が始まって
イタリア・スペインにまで及んでいる。
先延ばしもいつかは終末を迎える。
アメリカも財政赤字が天文学的数字になっている。
五黄の年に戦争か地震が起きることになっている。ところが、地震と津波は2011年に起きてしまった。
アメリカの地震兵器という噂もある。五黄の年に起きるのは戦争ということになるのか。
朝鮮半島か?台湾海峡か?中華人民共和国内部か?

日本にミサイル(原爆)を打ち込むのか?
日本にミサイルを打ち込んでも何の解決にもならない。富が失われるだけであり、
放射能に汚染され、その後に住めなくなる。

やはり、朝鮮半島の内乱でシリアのように武器消費で死の商人が儲けるのか?

アンゴルモアの大王の出現が近づいてきている。
0243名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/08/29(水) 06:43:44.63
ぜんぜん懲りてねーよこのバカwwww
ツッコまれたら逃げて、いなくなったら再開とかww
どの面下げて偉そうな口叩くんだっつうの
0244宗久
垢版 |
2012/08/31(金) 12:45:35.22
243のコリアン

韓国の学校でとんでもない歴史教育しているみたいだねえ。
世界四大文明ではなく、世界五大文明でコリアン文明なる捏造文明が存在したと?
そして、日本はコリアン文明の属国だったと?

*ツッコまれたら逃げて、いなくなったら再開とかww

何をツッコんだのか言ってみろ・・・

百済の王様が和人であった事は三国史記に書いてあるだろう。


0245名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/08/31(金) 18:42:56.92
ツッコミ?素で見ても
>少なくとも吾妻鏡や玉葉が「ずいぶん後になって書かれている」
>と悪口言ったあとで、自慢げに言う台詞じゃねえよ。
こことか。
てかそれ以前の問題だよねあんた。アンゴルモアとか言っちゃうあたり
いい年なんだろうに。可哀想とは全く思わないけどwww

それはそうと、この夏普代のうねとり神社に行って来ましたよおまえら。
もしまだ住人が残っていてき○がいにスレを占領されてるのが嫌なら
なんか話題を振ろうぜ。
0246宗久
垢版 |
2012/08/31(金) 19:17:39.59
言っている意味がわからないぞ。

もう少しまともな日本語を使いな。
0247宗久
垢版 |
2012/08/31(金) 20:05:52.03
平泉の事件から200年後に書かれた「吾妻鏡」が正しくて、500年後に書かれた
「大日本史」が間違っている・・
平泉事件を京都で書いた日記「玉葉」が正しくて、現地へ行って地形や伝説・物的証拠を
調べて書いた「・・・義経なり」が間違っている・・・

以上の理由を説明してください。
0248名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/01(土) 23:42:15.07
どれも間違ってるかもしれないし、正しいかもしれない。
同様に、1000年近くあとの今になって行ってみた個人の感想が、
おのおのの史書より真実に迫っているとは限らない。
もちろん何百年に渡って常識とされてきたことが否定されることもあるが
「○○は間違っていて本当はこうだった」と言いたいなら
よりはっきりした根拠を誰にでも分かるかたちで提示しないといけない。

要するに宗久って人はうざいと思います。
0249宗久
垢版 |
2012/09/02(日) 04:17:50.52
「成吉思汗は義経なり」は肯定も否定もされてないぞ。

斜にかまえて最もらしい事を言っているが、結局は答えになっていない。
「うざい」という日本語にもなっていない音だけか。

否定するなら藤原三代の栄華の象徴である「中尊寺の金色堂」「毛通寺」「経典」
の資金の源泉くらいは提示しな。

一の谷の逆落としの現場(2m位の樹木で覆われている)を見て騎馬でどのように
攻め落としたか説明してみな。

また、答えは「うざい」「まじ気持ちわるい」だけか。

北東北とは何語だ。

それから、今年になって歴史人など多くの雑誌に「ジンギスカン・義経」の特集が
出てきている。

0250名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/02(日) 04:43:02.61
あーあ…。
東日流外三郡誌スレにおまえみたいなトンチンカンがいて、
思わず書きなぐったことを転載しといてやる。

>静かな住宅街で「一たす一は二なんだー!!!」って叫んでる奴がいて
>うるせー!と怒鳴ったら「反論してみろー」とか言われた感じ。
>(いや、ここの場合は「一たす一は三なんだー!!!」なんだけど。)
>正しいも間違いもへったくれもなく、とにかく迷惑なんだが、
>当人は「反論できまい、うふふふふ」とご満悦みたいな。

自分のどこをツッコまれてるか分からないってのは
バカと思われても仕方ないんじゃないか?
0251宗久
垢版 |
2012/09/02(日) 04:46:59.14
それから、10年ほど前の新聞だと思うが、三菱商事が成吉思汗の墓と思しき所を
発見して発掘作業に入るとの報道があった。
のちの報道でモンゴル政府が許可を出さないため発掘中止となった。

ノータリンのあんちゃんだけの掲示板では、新しい情報収集は無理か。
0252義経
垢版 |
2012/09/02(日) 16:12:47.30
あんちゃん

あんたの前提は・・*静かな住宅街で・・・だろう

この掲示板は「源義経=チンギス・ハン説を議論しよう」ではなかったかな・・

「東日流外三郡誌」は1970年に青森県の旧家で発見されたものだろう。
旧家の新築が100年前だとすれば、1870年以後にその場に置いたことになる。

大日本史は水戸黄門が1600年代に当時の優秀な歴史研究者を集めて編纂したものである。

もうちょっとまともな返答をしてみな。
0253名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/03(月) 01:24:06.86
自分の書き込みがこの板のこのスレッドにふさわしいと言うなら、
ageにageて、多くの人の目に留まっているにも関わらず
オレみたいなツッコミ要員にしか相手されてない理由を冷静に考えてみたらいい。

その大陸書房のオカルト本の劣化コピーみたいな文体とか
話を膨らませる工夫がないどころか長文で頭ごなしな否定をすることとか、
気に入らない相手はチョン呼ばわりとか、しかも話は自分のことばかりなこととか。
「おまえらバカだから分かんないんだ」みたいな態度もろ見えの住人が
一人でぶつぶつ言ってるスレに誰がカキコしようと思うのか。
小学生でも分かることなんだけどな。

それなりにメディアでも取り上げられて来て、一般受けしやすいはずの義経伝説のスレが
○○氏スレみたいな専門スレより過疎ってる理由に全く身に覚えがないというなら
俺はもう何も言わないよ。
0254宗久
垢版 |
2012/09/03(月) 08:25:21.25
これだけ挑発しても帰ってくる返答がこれだけか。

それなりの連中がみてるはずなのに。

やはり学会のメンツか。
0255名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/10(月) 13:14:57.38
あげ
0257名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/11(火) 03:12:57.19
平泉で死んでないという話とチンギス・ハンになったという話は
別箇に考えた方がいいとおも。
国威掲揚のためとしか言いようのない宣伝のされかただったのがチンギス・ハン説。
義経一行がここを通って逃げてったという話は岩手沿岸から青森をきれいに結んで残ってるんで
まともに研究してみる価値はあると思うけど。

しかし
>そのくらい戦術に長けてたって話が元なんじゃ?w
という発想は見たことなかったな。
0258名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/13(木) 19:33:27.95
日露戦争ではマルクス主義に出資した日本であるが、第二次世界大戦ではコミンテルンに陥れられている。
因果応報である
義経によって国土を荒らされ、エスニッククレンジングされた露、朝鮮、シナは日本への復讐心と警戒心に満ちている。
賠償しろとはその事である。
新たな因果応報が日本に迫り、それは義経の復讐かもしれない。
0259名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/09/18(火) 11:35:53.00
ありえるな
0260成吉思汗
垢版 |
2012/09/24(月) 19:40:13.16
ロスケとチャンコロ良く聞け。

俺は清和天皇の直系の源義経である。天下の命により大陸に渡り各部族を統一し、
ユーラシア大陸を支配した。
孫のフビライは俺のあとを継いでシナ大陸も支配した。
それから、傍系の子孫のヌルハチとその子供が清という国号にしてシナ全体を支配した。

シナ共産党の連中が尖閣に石油が出ると知って俺たちのものだと言ってるようだが、
あの島は叔父の源為朝が見つけたものだ。

いくら文献を改竄しても、この事実は変わらない。

その証拠に二年前、習キンピラが天皇陛下に「この地の支配者になってもいいですか」
とお願いに来たではないか。

わかったか。



0261名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/04(木) 04:40:29.01
近代デジタルライブラリー - 成吉思汗は源義経也
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019510

こうやって誰でも元ネタが読めるんだから
いい時代になったね、夢のようだ
皆で読んで検証していこうか
0262名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/08(月) 02:04:26.87
そういえば、乾隆帝自筆の「朕の姓は源、義経の裔なり〜」の件
これ、高木彬光『成吉思汗の秘密』では実物がナントカ財閥の手元にあるみたいな話だったけど
そんな話、他では全く聞いたことがないんだよな
『秘密』は小説だからあくまでフィクション上の話なんだろうか
それにしてはやけに入手の経緯を事細かに書いてあったけど
0263成吉思汗
垢版 |
2012/10/10(水) 12:22:54.01
小日向 白朗(こひなた はくろう、
1900年(明治33年)1月31日 − 1982年(昭和57年)1月5日)とは、
単身で中国大陸に渡り、捕虜から「中国全土の馬賊」の総頭目にまで上り
詰めた日本人の馬賊の事である。新潟県三条市出身。本名は健松
中国名は尚旭東。民衆からは小白竜とも呼ばれた。
0264成吉思汗
垢版 |
2012/10/10(水) 21:38:02.92
上記の馬賊の進軍歌をパクったのが、中国の国歌です。
0265名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/10/10(水) 22:29:47.44
>>218
ネタ(説の根拠)に関しては全くと言っていいほど無い
何もかもパクリ、オリジナルに見える部分も徹底して誤魔化てあるだけ
今ならネットで袋叩き、作家生命失うレベルだね
後世まで読み継がれる面白おかしい読み物に仕立てたのが唯一のオリジナルかな
0266成吉思汗
垢版 |
2012/10/12(金) 01:58:09.39
乾隆帝の自筆は写本であるため検証不能

成吉思汗の花押であったなら義経の花押と検証できた
0267名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/06(火) 12:30:50.21
>>257
そういう決めつけでなんでも否定しちゃいかん。
嘲り笑うような否定は言語道断。
それでなくてもこの説を決定的に裏付ける証拠は難しいのだから。
否定する時も論理的に。
0268名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/11/11(日) 14:14:30.09
俺の所に金国の「完顔福興」が使者としてきたが、その時、「成吉思汗」と署名して
渡したらびっくりしていた。俺の名前をジンギスカンとカタカナで書く歴史家がいるが、
いい加減にして欲しい。正しくは成吉思汗である。
0269名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/01/10(木) 05:32:54.59
チンギス・カンは「源氏」スカン。

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/46/305.html

チンギス・カンの発音は、ほとんど、「ゲンジ・スカン」。

自分が源氏でありながら、「スカン」というところが、いかにも○○だ。
0270名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/01/10(木) 11:16:31.79
  ★★★チベットの独立は日本の核心的利益である★★★
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1226114724/78

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0273名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/05/17(金) 18:46:57.34
勧進帳で知られている安宅関の時点で義経は別人と入れ替わっていたという説がある。
美談になっているが、義経ではない人物だから弁慶は痛めつけたのだ。
涙を流しながら(泣きながら)とあるが、季節的に弁慶は花粉症だったのでは?という説を唱える歴史研究家までいる。
では、安宅関の以前に入れ替わった義経は何処にいったのか?

答えは東尋坊にある。
地図を見ていただければ一目瞭然だが、このあたりだけ地形が突出している。
東尋坊の名前の由来も「東(東北)の位置を訪ねた坊主」からきているらしいが
方向音痴として知られる弁慶らしいエピソードである。
この東尋坊で義経は弁慶と別れ船に乗り、能登へ移動(義経の舟隠し)。
そこから現在の禄剛崎まで徒歩で移動、再び船に乗り一旦、舞鶴に行ったとされる。

ソース
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/river/1356991283/
0275ガッ
垢版 |
2013/05/25(土) 17:21:57.00
むるぽポルノ
0278名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/06/13(木) 18:54:18.52
強国に囲まれ異民族に蹂躙されてきた千敗の超賤な民はヒャッハーなお兄さん達に
A、T、G、Cによる情報をインストールされ続けたため、その子孫が気性の荒い
強姦魔になったのは無慈悲な地政学敵宿命。 世紀始覇者 チン○スハーンのYを
継ぐ者だけでも現在全世界で1600万人(つまり男性200人に1人!)程いるが貢献大。
恨の文化や歴史熱造癖は惨め歴史故のことだがおかげで体格はよくなりましたとさ。
0279名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
つか義経女性説どうなった?
こちらに関係あるなら源義経、上杉謙信、織田信長
こいつら全て女性でも不思議じゃねえぞ
0280名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
怪しいんだよな
チンギスハン説は義経隠しじゃないかなーと
謙信不犯説やら信長の妻、帰蝶もいたのかいな
いのか分からん状態だしな_φ( ̄ー ̄ )
0281名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
信長の遺体もでてきてないんだろ?
0282名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN
信長は、武田征伐直後の遠江巡覧中に、徳川家特殊部隊により拉致された。
従って、本能寺の信長は徳川家が仕立てた影武者。

どこかおかしいと探知した光秀が征西軍をリターンさせ、
老ノ坂まで南下して来て、徳川軍と睨み合い。
別途に、光秀与力で淀城代であった、斉藤内蔵助なる武将がおり、
この直前に人事変動ありて、徳川与力に直されていたが、
徳川から天皇と親王とを御所に囲めと命令を受け、
その意図を探知して故意に命令を取り違え、
偽の信長と信長夫人とを本能寺に囲んだ。

斉藤軍の集結を目印として、老ノ坂の高みから徳川軍が夜間逆走、
明智の先手を名乗って、
彼らを攻め殺してしまった。これが、本能寺の変の真相。

拉致された本物の信長が死んだことを、
乳兄弟の池田勝入が探知したことにより
勃発したのが、小牧・長久手の役である。
0284名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
シーボルト先生の思いつき。
江戸時代の間は義経=清祖説がポピュラーで
義経=ジンギスカン説なんて誰もいっていない。
てゆーか、鎖国時代でモンゴルの知識なんかまともになかった。
0285名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
そうそう。モンゴルのわけがない。
西シベリアにはハンチマンシースク民族自治区というのがあるが、
これは源氏の守り神八幡氏が語源だと言われている。
だから義経が向かったのはモンゴルよりもはるかに遠い西シベリアだった。

異論は認めるが賛同は認めない。
0286弁慶が鍵かな?
垢版 |
2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN
そういえば南北朝って長兄だか末子が継ぐかで揉めたんだよな
俺思うに元って日本と戦う意味なかった、だって同じ仏教圏だし
語族も同じ蒙古班がでるほど遺伝子にだってそう違いはない
密かに内部から侵攻しててもおかしくないわ
0287名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/16(月) 13:52:47.00
ていうか大陸の言語はどうやって覚えたの?飯をもらうにも難儀しそう。北へ逃げた可能性は否定しないけど逃げすぎる大将に家来は付いてこないよね。家族は付いていくと思うけど。
0288名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/10/14(月) 13:24:59.00
北条氏は源氏を三代で滅亡させた。義経の孫と和解などできない。そこでフビライの使者を
龍ノ口で処刑したのだろう。もし、文永弘安の役がなかったなら歴史は違った方向に進んで
いたかもしれない。
0289白髪三千丈
垢版 |
2013/11/04(月) 11:04:38.98
源義経、名前がそんまんまチンギスハンだし。
英語表記だとGhen gi sei Khan つまり 源 義 経 汗。
議論の余地なし。モンゴル人は経をせいとしか発音できなかった。
家紋も同じ笹りんどう。国号もゲン で 源 と同じ。
ジンギスカンの別名はクロー、義経も九郎義経という。
 
0290名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/11/14(木) 02:16:56.10
源義経が成吉思汗であっては困る奴らがいる。
アーリア人とシナ人と朝鮮人である。
0291名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/27(月) 23:28:06.39
福岡黒田藩家老を祖父に持つ若狭和朋氏の話(ニコニコ)によると、測量技術士の舛添氏が
朝鮮半島から渡ってきた白丁の使用人が名前を持ってなかったので舛添の名前を与えて名乗るようになったのが
舛添要一の始まりであったと。
0292名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/06(木) 12:26:00.21
この手の説の信奉者の一番おかしなところは
源義経=ジンギスカン説と
源義経の子孫=清朝皇帝説を
いっしょに信じているんだな。

ユダヤ陰謀論者が
日ユ同祖論もいっしょに信じているみたいなものなんだが。
0293名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/07(金) 15:27:34.14
成吉思汗の秘密の結末ででてくる天城山心中事件って
よくよく考えると
源義経の子孫=清朝皇帝説にとっては輪廻だか運命のめぐりあわせでも
源義経=ジンギスカン説にとっては何の意味もない。
てか、むしろマイナスなんじゃ。
0294天皇叩くのも公務員の仕事らしい
垢版 |
2014/02/07(金) 21:20:40.81
>>291
朝鮮人にそんな細かい仕事無理だろ
0295名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/01(土) 08:12:35.17
ヘイトスピーチと騒がれているが、ヘイトスピーチをしているのは在日韓国朝鮮人である。デモ隊に途中から
入り込んだ在日韓国朝鮮人が日本人に成りすましてやっている。
0296名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/01(火) 07:15:43.45
【偽史】トンデモ歴史を語ろう【珍説】 - 日本史板
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1392376970/
190 :日本@名無史さん :2014/03/26(水) 13:50:57.42
本能寺の変や坂本龍馬暗殺の黒幕探しはイデオロギーと言うより、
小説家が好き勝手に面白おかしく解釈して膨らませるのが原因ではないの?
義経のモンゴル逃亡説や上杉謙信女性説なんてその典型。

191 :日本@名無史さん :2014/03/26(水) 13:54:35.15
>>189
アテルイの時代の蝦夷は日本馬の産地だったらしい。
大和だけじゃなく大陸にも輸出して大きな財源になっていたそうだ。
田村麻呂との戦いでも騎馬戦に長けていたので大和軍は苦戦した。
0299名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/21(月) 02:09:02.16
このスレまだあったんだな

>>297-298
2001年に立ったスレか、ずいぶん古いね
少しづつ読んでみるか
0300名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/22(火) 02:12:15.37
http://www.logsoku.com/r/history/1005124090/11
http://www.logsoku.com/r/history/1005124090/42
http://www.logsoku.com/r/history/1005124090/46

とりあえず沿海州との関係で言うと
渤海国の頃は結構日本と行き来あるんだよね
でもその後は少なくとも記録上は何も見えない
次に金や元が起こる前の空白期に当たるから
義経渡海説の検証も現状ではやりようがない
0301名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/23(水) 00:56:33.20
>>297大体読んだけど、うーん・・・
お馴染みの話が繰り返されるだけで目新しい展開は無いかなあ

ちょっと>>330のソース書いとくか
「天平の渤海交流」(2009)と「渤海の歴史と文化」(2010)
前者は新書的で入門編として読み易い感じだったかな
後者は辞典並に分厚くて対外関係も詳しく拾い読み向き
これで渤海後は日本との関係を示すものは特に無いことが分かった
0303名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/25(金) 00:45:15.02
下のウィキペディア中の「3.2.1 日本海沿岸部における10 -13世紀までの女真族」が勉強になるな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80%E4%BC%8A%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%AF%87
なるほど、沿海州にいた女真は早々と滅んで交易も北のアムール川の方に移ったのか
0304名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/25(金) 01:07:35.41
久々に小谷部全一郎「成吉思汗〜」も読み直してみた
この辺が沿海州関係↓
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_7.htm#1
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_7.htm#2
上の方のリンクの最後にある「漢文を能くする日本人が漢詩を以て應答せり」は
渤海国のウィキペディア「5 文化」にある「菅原道真と渤海の使者との間で漢詩の応酬が行われた」と対応してる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7_%28%E5%9B%BD%29
「日本の歌妓即ち鎌倉時代の所謂白拍子も居りたり」ってのもホント
遣渤海使が数十人単位で向こうまで連れて行った記録が残ってる
小谷部を初めて読んだ時はどこまでホントだろ?と思ったけどw
ただ正史として残るのはあくまで渤海国時代の話だけなんだよな
0305名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/25(金) 01:25:02.49
そういえば「小谷部全一郎の世界 成吉思汗は源義経也」ってサイトは
ウィキペディア義経=ジンギスカン説の最後の外部リンクにも載ってるけど
目次のページには第五章と第六章へのリンクが無いんだな
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/oyabe.htm#mokuji
でも実際はちゃんとページ作ってあって全文読める↓
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_5.htm
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_6.htm
ただ第八章以降は見つからないから最初から作って無いみたい、残念
0306名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/04/26(土) 00:13:29.71
http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/25560558.html
98: 日本@名無史さん 2001/11/27 01:14:00
>>93
滅ぼされた元の子孫、成吉思汗の末裔はどうなったのでしょうか。
実は、その子孫たちが明を滅ぼし清を建てたのだというのです。
イギリス公使デビスの『清国総録』によりますと、
『成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、
蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
彼らはやがて勢力を増し、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。
清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、このためである。』
となっているのです。
0307名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/04/26(土) 00:27:45.62

これも定番お馴染みだけど改めて読むと何だかなあ
出所を辿ると恐らく義経再興記辺りまで遡るんじゃないのか
だとしたら百年以上前のコピペが延々出回ってるわけで
このデビスって人や本、あるいはこの文が実在するのか
今まで誰も検証してないんじゃないのか
実際その辺って全然見たこと聞いたこと無いし
0308名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/04/27(日) 00:49:11.47
ちょっとメモ
このサイト、画像も充実してて初心者向けだけど
アフィ貼りすぎててやたら重いのが難点
下のサイトはテキストだけで軽い

成吉思汗の孫、忽必烈(フビライ)の子孫は、明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ、長の娘と婚して、諸公子を産んだ。
彼らは朔地に割拠して勢威をふるい、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。
清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである。
――デビス著、『清国総録』より
http://electronic-journal.seesaa.net/article/5940903.html
http://intec-j.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=155692206
0309名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/04/27(日) 01:18:29.70
そういえば
成吉思汗の父エスゲイが蝦夷海の訛りは
末松が言いだしっぺってよく言われるけど
ホエルンイケ+センシ皇后で池の禅尼ってやつ
これも末松の発見というか発明でいいのかな?
でもこのセンシ皇后ってソース何だろ?元史?
これもちょっと今まで見た記憶が無いな
0310名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/04/28(月) 04:03:09.38
以下、高木彬光『成吉思汗の秘密』から清国総録の部分
小説が手元に無いから正確そうな引用をネットで探してみた

イギリス公使デビス著の『清国総録』という本に、「成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
・・・彼らは(以下略)、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。清帝(愛新覺羅)を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである」という文面が見受けられた
ttp://d.hatena.ne.jp/raita24/20110513/1305256679
イギリス公使デビスの「清国総録」の中に「成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と婚して諸公子を産んだ。
彼らは朔地に割拠して勢威をふるい、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。清帝は成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである」の文章がある
ttp://kilkhor.cc.iwate-u.ac.jp/~hitoaki/cgi-bin/hw_form.cgi?FName=../hwi/ih85.txt
0312名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/04/28(月) 04:34:43.54
>>309の続き
ホエルンイケセンシでググるとセンシの漢字が分かった
http://www.eonet.ne.jp/~tajikara/Rekishi/yoshitune/yoshitsune.html
>ジンギスカンはこの母に宣懿〈センシ〉皇后という名をプレゼント

この宣懿も加えて更にググるともう一つ出て来たけど
http://blog.livedoor.jp/mumeikai/archives/2006-01.html
>成吉思汗は彼女の死に際し、「宣懿(せんい)皇后」の諡(おく)り名をした

ん?せんし?せんい?どっちだ?
0313名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/28(月) 04:47:45.23
試しにウィキペディアで探してみると宣懿皇后の項があった
読みは「せんい」が正しいのか、でもホエルンの話は何も出てないな
ホエルンの項にも宣懿のことは書いてない

宣懿皇后 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E6%87%BF%E7%9A%87%E5%90%8E
ホエルン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3

読みは「せんし」じゃなかったし、ホエルン=宣懿皇后のソースも不明なまま
ホントに成り立つのか、「イケ+センシ=池の禅尼」説ってw
0314名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/04/29(火) 02:11:10.06
>>310-311続き
昭和に書かれた高木『成吉思汗』から更に遡ると
大正期の小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』
これは>>305のサイト内で検索できた

清朝時代の駐清英国公使デビス著清國総録に記して曰く、成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は明朝の為に放逐されて満洲の故地及び蒙古に逃れ、酋長の女と結婚して諸公子を生んだ。
彼等は朔北に割拠して勢威を振ひ、後に大拳して明朝を亡ぽし、國を清と號した。清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の裔なりとするのは、けだし是れが為である云々と。
苛くも時の駐清大英国公使たる責任の地位にある人が、清朝時代に清帝を成吉思汗の裔なりとその著書に発表するには確乎たる論證に拠ったものであろう。斯のように清朝は成吉思汗の裔苗であること外書に明記している
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_1.htm#4
0315名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/29(火) 02:34:49.17
思ったとおり高木彬光の訳文はほぼ小谷部の丸コピペ
英国公使が根拠無く書くはずが無い(キリッってとこまで同じ
でもこれ小谷部が自分で読んだり訳したのか?
それとも小谷部もまた先行書の丸コピペなのか?
やっぱり末松著・内田訳「義経再興記」まで遡ってみる必要あるな
0318名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/05/01(木) 03:58:24.87
義経再興記の中の該当箇所やっと見つけた、ふう
原著の百六頁にあった

支那二駐在シタル英國(国)全權(権)公使「フランシスダビス」氏著支那帝國總(総)録中二曰ク
成吉思汗ノ孫、忽必烈ノ子孫、明朝ノ爲(為)メ二放逐セラレ東韃靼中二隱(隠)レ土人ト婚シ乃チ滿(満)洲諸公子ヲ生メリ
是レ天命ヲ受テ明朝ヲ亡ボセシ人ナリC(清)帝ヲ忽必烈ノ裔ナリトハ乃チ之ガ爲(為)メナリ云々
若シ此記事果シテ事實(実)ナラバ成吉思汗ハC(清)朝ノ遠○(祖)タラザルベカラズ
0319名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/01(木) 04:10:04.22
>>318の書き起こしは以下から
http://kindai.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F993759&;contentNo=57&outputScale=4
俺はGoogleブックスの再版PDFを落として読んだけど
複数ある近デジの中のこの5版が一番読みやすいかな

近代デジタルライブラリー - 義経再興記(1886 5版)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993759
義経再興記 - 末松謙澄, 内田弥八 - Google ブックス(1885 再版)
http://books.google.co.jp/books/about/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%E5%86%8D%E8%88%88%E8%A8%98.html?id=_FjO5Rg-NlMC
0320名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/05/01(木) 04:27:58.46
うーん
>>314>>318を比べると基本的には同じなんだけど
末松・内田「是レ天命ヲ受テ明朝ヲ亡ボセシ人ナリ」
小谷部「彼等は朔北に割拠して勢威を振ひ、後に大拳して明朝を亡ぽし、國を清と號した。」
ここの部分がハッキリ違うかなあ
小谷部はダビスだかデビスだかの原著を読んで変えたのかな
0321名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/05/01(木) 11:47:24.12
>>316 これは愉快w
0322名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/05/01(木) 22:00:02.19
>>316
源義経の幼少期の逸話アニメいいね。
0323名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/05/02(金) 01:22:18.16
えーっと
>>306>>308>>310>>314>>318とコピペ元を遡ってきたけど
予想と違って末松・内田→小谷部の間に違いを発見
どうも清とか支那の総録という本も実在しそうな感じ
でもググってもそんな題名の本は出てこないしなあ
0324名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/05/02(金) 01:35:03.45
そういえば>>318までざっと見た限りでは
エスゲイやホエルンイケの語呂合わせも無かった
明治の本だし更に読み進めるのはもうキツイわw
再興記の現代語訳はネットには無いんだよな
0325名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/05/03(土) 10:46:39.55
>清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである。

ヌルハチがホントにジンギスカンの子孫なら
最初の国号が「金」なんてことはないだろうに。
ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に就いたのが、
300年経つと曲解されて、そんなことなったんだな。
0326名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/05/07(水) 01:24:34.96
>>325
>ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に
>300年経つと曲解
あー、なるほど
清とモンゴルってそういう関係だったのか
中国史とか知識無いから、全然考えたことなかったわ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%B8#.E7.94.9F.E6.B6.AF
天聡5年(1631年)にはチャハル部のリンダン・ハーンに勝利し、天聡9年(1635年)にはチャハル部を組み入れ、元の玉璽をリンダンの息子エジェイ(中国語版)から譲り受けた。
1636年、ホンタイジは玉璽を手に入れたことを機に、満州族・漢族・モンゴル族の三族から推戴を受けた。すなわち国王から正式に皇帝となり、国号を大清とし、併せて崇徳と改元した。
0327名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/07(水) 01:48:46.34
>>1もそうだけど
義経=成吉思汗説って高木彬光の小説から入る人が多いわけだけど

清と元の関係について小説ではまず
「清は満州族の王朝で元と関係無いでしょ」
とヒロイン役の大麻鎮子が突っ込んだ直後に
「いやデビス著の『清国総録』によれば〜」
と探偵役の神津恭介が言い張って強引に話が進むんだよな
0328名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/07(水) 02:23:57.45
そういえば
>>314のリンク先ではデビス清国総録の話のすぐ前で
「クロパトキン著、満蒙処分論」という本の話をしてて
この本は「クロパトキン 満蒙処分論」でググればすぐ出る
近デジでもGoogleブックスでも直接読める

一方、清国総録の方は定番コピペ以外に出てこないw
この本、たぶん邦訳されてないんじゃないかと思うけど
それだと原題が分からないから探し様も無いんだよな

(近代デジタルライブラリー 満蒙処分論)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951337
(Googleブックス 満蒙処分論)
http://books.google.co.jp/books/about/%E6%BA%80%E8%92%99%E5%87%A6%E5%88%86%E8%AB%96.html?id=JK1AusYTVYQC
0329名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/09(金) 15:40:43.88
>>325-326
>ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に就いたのが、

俺はこの知識を
荒山徹先生の「柳生大戦争」で初めて知ったw
柳生友矩と檀君のお導きだな。
0330名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/11(日) 01:04:02.87
>>329
ちょっとググってみたけど
何かずいぶん楽しそうな作者&作品&読者だなw
アマゾンのレビューとか、なんだあれw
あんな2chみたいなレビュー初めて見たわwww
0331名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/13(火) 21:53:09.41
ちょっと読み直したいんで貼っとこう


源義経 - Wikipedia
6.1 不死伝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C#.E4.B8.8D.E6.AD.BB.E4.BC.9D.E8.AA.AC
6.2 義経=ジンギスカン説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C#.E7.BE.A9.E7.B5.8C.EF.BC.9D.E3.82.B8.E3.83.B3.E3.82.AE.E3.82.B9.E3.82.AB.E3.83.B3.E8.AA.AC

義経=ジンギスカン説 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC
0332名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/14(水) 23:50:43.26
えーっと
ウィキペディア読み直してみたら間違いが結構あるな
せっかく義経の項目から独立したのにもったいないわ
0333名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/15(木) 00:17:19.77
「『江戸時代初期には、金の正史である『金史』の外伝という触れ込みで、「12世紀の金の将軍に源義経なる者がいた」と記した『金史別本』なる書が、沢田源内の翻訳によって出版されている(『金史別本』は偽本である)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E6.A6.82.E8.AA.AC

金史別本はそもそも実在しない(実物が確認されたことは無い)から出版されたことも無い
加藤謙斎「鎌倉実記」の中に金史別本からとする引用文が載ってるだけ
だから金史別本の作者は加藤謙斎その人とする説があるんだと思う
あと1717年って江戸初期なのか?

鎌倉実記 加藤謙斎著 1717年
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/19_yoshi.html
0334名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/15(木) 00:48:00.17
「末松謙澄は伊藤博文の知遇を得て、明治11年(1878年)から12年にかけて外交官としてロンドンに赴任、ケンブリッジ大学で学んだ。『義経=ジンギスカン説』を卒業論文にまとめて発表した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E6.9C.AB.E6.9D.BE.E8.AC.99.E6.BE.84

この卒業論文という話は何故か義経=成吉思汗説関係でしか見ないんだな
それ以外だと単に英国で論文を出版としか書かれてないし
渡英した翌年にもう卒業というのはちょっとおかしいと思う

明治十二年に『成吉斯汗』(じんぎすかん)を英文で出版
http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/009/01.html
明治11年 1878 英国公使館付一等書記官見習で、英・仏・歴史編纂方法取り調べのため渡英。
明治15年 1882 ロンドンで英訳「源氏物語」を出版。
明治19年 1886 帰国。
http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/009/suematsu_nenpu.html
0335名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/15(木) 01:17:33.85
「この論文は内田弥八訳述『義経再興記』(明治史学会雑誌)として明治18年(1885年)を嚆矢としてそののち和訳」

この明治史学会雑誌というのも意味不明(説明不足?)
義経再興記でググってると時々この名前が出てくるけど
(例)http://ee161655.mizubasyou.com/5.html
(例)http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n32669
明治史学会雑誌という出版物を探してもこれしか出てこない

http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010920597-00
これは明治期に発行されてた「史学会雑誌」(論文誌)の中から選んだ論文を転載した本
現物を確認したことあるけど義経再興記が載ってるわけでもないし関係無いんじゃないか
0336名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/15(木) 01:32:42.90
「3.3 小谷部全一郎による「成吉思汗=義経」説の提唱
(中略)
モンゴル文字にかなりの平仮名からヒントを得たとしか考えられない文字が存在する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC

これは現役の義経=成吉思汗説研究家の丘ナントカさんが言い出した比較的新しい説
小谷部全一郎とは何の関係も無い
あと丘さんの指摘は4文字くらいだから「かなりの」とは言えないな
0337名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/15(木) 01:48:06.91
「『成吉思汗』の「汗」を「水と干」に分けると、「成 レ吉 思 レ水干」となり、遠くモンゴルの地で良きこと「吉」を成し遂げ、「吉成りて、水干を思う」となる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E4.BC.9D.E8.AA.AC.E3.81.AE.E3.81.9D.E3.81.AE.E5.BE.8C

これ高木彬光著・成吉思汗の秘密のクライマックスの説明だけど
「吉成りて」の解釈は正しくは「(静御前との)吉野山の誓いが成就して」
小説のネタばらしした上に、内容間違ってるって何だかなあ
0338名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/05/15(木) 02:07:33.72
「3.3 小谷部全一郎による「成吉思汗=義経」説の提唱
(中略)
沿海州ナホトカとウラジオストクの間に「ハンガン」という岬と泊地があり、九郎判官が上陸した土地ではないか。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC
「28. 小谷部はまた、ロシアのウラジオストックから120キロメートルほどのところに、蘇城(スウチャン)という古城の遺跡があり
(中略)
ハンガン岬から東北に120キロメートル離れたところにあるこの「スウチャン」は中国語であり」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E8.84.9A.E6.B3.A8

これ「ナホトカとウラジオストクの間」が間違ってると思って小谷部著・成吉思汗は源義経也をざっと読み直したんだけど
ハンガン岬についてどこにも書いてないんだな、これは俺も驚いたw
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