源義経=チンギス・ハン説を議論しよう
俺も北行伝説の地なら北海道以外大概行ったし
鎌倉、吉野、安宅の関といった場所にも行ってるが
そんなもんがなんになる?
少なくとも吾妻鏡や玉葉が「ずいぶん後になって書かれている」
と悪口言ったあとで、自慢げに言う台詞じゃねえよ。
てめえで思い込むぶんには別にかまわんし、それでポエムだ創作だと
気取るのもよしとするが、ここは日本史板。
それなりにしっかりした根拠を提示できんのなら論外もいいとこ。
いずれにせよ↑のひとりごとは気持ち悪い。 238の人
あんたも
・・・それなりにしっかりした根拠を提示できんのなら論外もいいとこ。
・・・いずれにせよ↑のひとりごとは気持ち悪い。
このスレを覗いた第三者がどう思うかは自明だと思うが、
まあ↑は聞くという能力がないんだろうな。
一応好き者が集まってるとされている2chのスレがこれだと
今後義経北行伝説について調べてみよう、なんて人は激減するだろうに。
つーか北東北の知られざる歴史、みたいなスレって
東日流外三郡誌もそうだったけど、
なんでこういう「俺だけは全部分かってる」みたいな輩がでかいツラしてるわけ?
長年こうだったのなら、「中央から黙殺され」るのも自業自得だぞ?>>ALL もうちょっとまともな日本語を使いな。
小谷部氏の「・・・義経なり」を読んでないだろう。
読んでから批判しな。 有色人種を搾取して成り立っていた欧州もギリシャからの破綻(がん細胞)が始まって
イタリア・スペインにまで及んでいる。
先延ばしもいつかは終末を迎える。
アメリカも財政赤字が天文学的数字になっている。
五黄の年に戦争か地震が起きることになっている。ところが、地震と津波は2011年に起きてしまった。
アメリカの地震兵器という噂もある。五黄の年に起きるのは戦争ということになるのか。
朝鮮半島か?台湾海峡か?中華人民共和国内部か?
日本にミサイル(原爆)を打ち込むのか?
日本にミサイルを打ち込んでも何の解決にもならない。富が失われるだけであり、
放射能に汚染され、その後に住めなくなる。
やはり、朝鮮半島の内乱でシリアのように武器消費で死の商人が儲けるのか?
アンゴルモアの大王の出現が近づいてきている。 ぜんぜん懲りてねーよこのバカwwww
ツッコまれたら逃げて、いなくなったら再開とかww
どの面下げて偉そうな口叩くんだっつうの 243のコリアン
韓国の学校でとんでもない歴史教育しているみたいだねえ。
世界四大文明ではなく、世界五大文明でコリアン文明なる捏造文明が存在したと?
そして、日本はコリアン文明の属国だったと?
*ツッコまれたら逃げて、いなくなったら再開とかww
何をツッコんだのか言ってみろ・・・
百済の王様が和人であった事は三国史記に書いてあるだろう。
ツッコミ?素で見ても
>少なくとも吾妻鏡や玉葉が「ずいぶん後になって書かれている」
>と悪口言ったあとで、自慢げに言う台詞じゃねえよ。
こことか。
てかそれ以前の問題だよねあんた。アンゴルモアとか言っちゃうあたり
いい年なんだろうに。可哀想とは全く思わないけどwww
それはそうと、この夏普代のうねとり神社に行って来ましたよおまえら。
もしまだ住人が残っていてき○がいにスレを占領されてるのが嫌なら
なんか話題を振ろうぜ。 言っている意味がわからないぞ。
もう少しまともな日本語を使いな。 平泉の事件から200年後に書かれた「吾妻鏡」が正しくて、500年後に書かれた
「大日本史」が間違っている・・
平泉事件を京都で書いた日記「玉葉」が正しくて、現地へ行って地形や伝説・物的証拠を
調べて書いた「・・・義経なり」が間違っている・・・
以上の理由を説明してください。
どれも間違ってるかもしれないし、正しいかもしれない。
同様に、1000年近くあとの今になって行ってみた個人の感想が、
おのおのの史書より真実に迫っているとは限らない。
もちろん何百年に渡って常識とされてきたことが否定されることもあるが
「○○は間違っていて本当はこうだった」と言いたいなら
よりはっきりした根拠を誰にでも分かるかたちで提示しないといけない。
要するに宗久って人はうざいと思います。 「成吉思汗は義経なり」は肯定も否定もされてないぞ。
斜にかまえて最もらしい事を言っているが、結局は答えになっていない。
「うざい」という日本語にもなっていない音だけか。
否定するなら藤原三代の栄華の象徴である「中尊寺の金色堂」「毛通寺」「経典」
の資金の源泉くらいは提示しな。
一の谷の逆落としの現場(2m位の樹木で覆われている)を見て騎馬でどのように
攻め落としたか説明してみな。
また、答えは「うざい」「まじ気持ちわるい」だけか。
北東北とは何語だ。
それから、今年になって歴史人など多くの雑誌に「ジンギスカン・義経」の特集が
出てきている。
あーあ…。
東日流外三郡誌スレにおまえみたいなトンチンカンがいて、
思わず書きなぐったことを転載しといてやる。
>静かな住宅街で「一たす一は二なんだー!!!」って叫んでる奴がいて
>うるせー!と怒鳴ったら「反論してみろー」とか言われた感じ。
>(いや、ここの場合は「一たす一は三なんだー!!!」なんだけど。)
>正しいも間違いもへったくれもなく、とにかく迷惑なんだが、
>当人は「反論できまい、うふふふふ」とご満悦みたいな。
自分のどこをツッコまれてるか分からないってのは
バカと思われても仕方ないんじゃないか? それから、10年ほど前の新聞だと思うが、三菱商事が成吉思汗の墓と思しき所を
発見して発掘作業に入るとの報道があった。
のちの報道でモンゴル政府が許可を出さないため発掘中止となった。
ノータリンのあんちゃんだけの掲示板では、新しい情報収集は無理か。 あんちゃん
あんたの前提は・・*静かな住宅街で・・・だろう
この掲示板は「源義経=チンギス・ハン説を議論しよう」ではなかったかな・・
「東日流外三郡誌」は1970年に青森県の旧家で発見されたものだろう。
旧家の新築が100年前だとすれば、1870年以後にその場に置いたことになる。
大日本史は水戸黄門が1600年代に当時の優秀な歴史研究者を集めて編纂したものである。
もうちょっとまともな返答をしてみな。 自分の書き込みがこの板のこのスレッドにふさわしいと言うなら、
ageにageて、多くの人の目に留まっているにも関わらず
オレみたいなツッコミ要員にしか相手されてない理由を冷静に考えてみたらいい。
その大陸書房のオカルト本の劣化コピーみたいな文体とか
話を膨らませる工夫がないどころか長文で頭ごなしな否定をすることとか、
気に入らない相手はチョン呼ばわりとか、しかも話は自分のことばかりなこととか。
「おまえらバカだから分かんないんだ」みたいな態度もろ見えの住人が
一人でぶつぶつ言ってるスレに誰がカキコしようと思うのか。
小学生でも分かることなんだけどな。
それなりにメディアでも取り上げられて来て、一般受けしやすいはずの義経伝説のスレが
○○氏スレみたいな専門スレより過疎ってる理由に全く身に覚えがないというなら
俺はもう何も言わないよ。 これだけ挑発しても帰ってくる返答がこれだけか。
それなりの連中がみてるはずなのに。
やはり学会のメンツか。 そのくらい戦術に長けてたって話が元なんじゃ?w
まともな根拠あんのかね?www 平泉で死んでないという話とチンギス・ハンになったという話は
別箇に考えた方がいいとおも。
国威掲揚のためとしか言いようのない宣伝のされかただったのがチンギス・ハン説。
義経一行がここを通って逃げてったという話は岩手沿岸から青森をきれいに結んで残ってるんで
まともに研究してみる価値はあると思うけど。
しかし
>そのくらい戦術に長けてたって話が元なんじゃ?w
という発想は見たことなかったな。 日露戦争ではマルクス主義に出資した日本であるが、第二次世界大戦ではコミンテルンに陥れられている。
因果応報である
義経によって国土を荒らされ、エスニッククレンジングされた露、朝鮮、シナは日本への復讐心と警戒心に満ちている。
賠償しろとはその事である。
新たな因果応報が日本に迫り、それは義経の復讐かもしれない。 ロスケとチャンコロ良く聞け。
俺は清和天皇の直系の源義経である。天下の命により大陸に渡り各部族を統一し、
ユーラシア大陸を支配した。
孫のフビライは俺のあとを継いでシナ大陸も支配した。
それから、傍系の子孫のヌルハチとその子供が清という国号にしてシナ全体を支配した。
シナ共産党の連中が尖閣に石油が出ると知って俺たちのものだと言ってるようだが、
あの島は叔父の源為朝が見つけたものだ。
いくら文献を改竄しても、この事実は変わらない。
その証拠に二年前、習キンピラが天皇陛下に「この地の支配者になってもいいですか」
とお願いに来たではないか。
わかったか。
近代デジタルライブラリー - 成吉思汗は源義経也
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019510
こうやって誰でも元ネタが読めるんだから
いい時代になったね、夢のようだ
皆で読んで検証していこうか そういえば、乾隆帝自筆の「朕の姓は源、義経の裔なり〜」の件
これ、高木彬光『成吉思汗の秘密』では実物がナントカ財閥の手元にあるみたいな話だったけど
そんな話、他では全く聞いたことがないんだよな
『秘密』は小説だからあくまでフィクション上の話なんだろうか
それにしてはやけに入手の経緯を事細かに書いてあったけど
小日向 白朗(こひなた はくろう、
1900年(明治33年)1月31日 − 1982年(昭和57年)1月5日)とは、
単身で中国大陸に渡り、捕虜から「中国全土の馬賊」の総頭目にまで上り
詰めた日本人の馬賊の事である。新潟県三条市出身。本名は健松
中国名は尚旭東。民衆からは小白竜とも呼ばれた。 上記の馬賊の進軍歌をパクったのが、中国の国歌です。 >>218
ネタ(説の根拠)に関しては全くと言っていいほど無い
何もかもパクリ、オリジナルに見える部分も徹底して誤魔化てあるだけ
今ならネットで袋叩き、作家生命失うレベルだね
後世まで読み継がれる面白おかしい読み物に仕立てたのが唯一のオリジナルかな 乾隆帝の自筆は写本であるため検証不能
成吉思汗の花押であったなら義経の花押と検証できた >>257
そういう決めつけでなんでも否定しちゃいかん。
嘲り笑うような否定は言語道断。
それでなくてもこの説を決定的に裏付ける証拠は難しいのだから。
否定する時も論理的に。 俺の所に金国の「完顔福興」が使者としてきたが、その時、「成吉思汗」と署名して
渡したらびっくりしていた。俺の名前をジンギスカンとカタカナで書く歴史家がいるが、
いい加減にして欲しい。正しくは成吉思汗である。 チンギス・カンは「源氏」スカン。
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/46/305.html
チンギス・カンの発音は、ほとんど、「ゲンジ・スカン」。
自分が源氏でありながら、「スカン」というところが、いかにも○○だ。 ★★★チベットの独立は日本の核心的利益である★★★
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1226114724/78
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¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥ 勧進帳で知られている安宅関の時点で義経は別人と入れ替わっていたという説がある。
美談になっているが、義経ではない人物だから弁慶は痛めつけたのだ。
涙を流しながら(泣きながら)とあるが、季節的に弁慶は花粉症だったのでは?という説を唱える歴史研究家までいる。
では、安宅関の以前に入れ替わった義経は何処にいったのか?
答えは東尋坊にある。
地図を見ていただければ一目瞭然だが、このあたりだけ地形が突出している。
東尋坊の名前の由来も「東(東北)の位置を訪ねた坊主」からきているらしいが
方向音痴として知られる弁慶らしいエピソードである。
この東尋坊で義経は弁慶と別れ船に乗り、能登へ移動(義経の舟隠し)。
そこから現在の禄剛崎まで徒歩で移動、再び船に乗り一旦、舞鶴に行ったとされる。
ソース
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/river/1356991283/ 強国に囲まれ異民族に蹂躙されてきた千敗の超賤な民はヒャッハーなお兄さん達に
A、T、G、Cによる情報をインストールされ続けたため、その子孫が気性の荒い
強姦魔になったのは無慈悲な地政学敵宿命。 世紀始覇者 チン○スハーンのYを
継ぐ者だけでも現在全世界で1600万人(つまり男性200人に1人!)程いるが貢献大。
恨の文化や歴史熱造癖は惨め歴史故のことだがおかげで体格はよくなりましたとさ。 つか義経女性説どうなった?
こちらに関係あるなら源義経、上杉謙信、織田信長
こいつら全て女性でも不思議じゃねえぞ 怪しいんだよな
チンギスハン説は義経隠しじゃないかなーと
謙信不犯説やら信長の妻、帰蝶もいたのかいな
いのか分からん状態だしな_φ( ̄ー ̄ ) 信長は、武田征伐直後の遠江巡覧中に、徳川家特殊部隊により拉致された。
従って、本能寺の信長は徳川家が仕立てた影武者。
どこかおかしいと探知した光秀が征西軍をリターンさせ、
老ノ坂まで南下して来て、徳川軍と睨み合い。
別途に、光秀与力で淀城代であった、斉藤内蔵助なる武将がおり、
この直前に人事変動ありて、徳川与力に直されていたが、
徳川から天皇と親王とを御所に囲めと命令を受け、
その意図を探知して故意に命令を取り違え、
偽の信長と信長夫人とを本能寺に囲んだ。
斉藤軍の集結を目印として、老ノ坂の高みから徳川軍が夜間逆走、
明智の先手を名乗って、
彼らを攻め殺してしまった。これが、本能寺の変の真相。
拉致された本物の信長が死んだことを、
乳兄弟の池田勝入が探知したことにより
勃発したのが、小牧・長久手の役である。 シーボルト先生の思いつき。
江戸時代の間は義経=清祖説がポピュラーで
義経=ジンギスカン説なんて誰もいっていない。
てゆーか、鎖国時代でモンゴルの知識なんかまともになかった。 そうそう。モンゴルのわけがない。
西シベリアにはハンチマンシースク民族自治区というのがあるが、
これは源氏の守り神八幡氏が語源だと言われている。
だから義経が向かったのはモンゴルよりもはるかに遠い西シベリアだった。
異論は認めるが賛同は認めない。 そういえば南北朝って長兄だか末子が継ぐかで揉めたんだよな
俺思うに元って日本と戦う意味なかった、だって同じ仏教圏だし
語族も同じ蒙古班がでるほど遺伝子にだってそう違いはない
密かに内部から侵攻しててもおかしくないわ ていうか大陸の言語はどうやって覚えたの?飯をもらうにも難儀しそう。北へ逃げた可能性は否定しないけど逃げすぎる大将に家来は付いてこないよね。家族は付いていくと思うけど。 北条氏は源氏を三代で滅亡させた。義経の孫と和解などできない。そこでフビライの使者を
龍ノ口で処刑したのだろう。もし、文永弘安の役がなかったなら歴史は違った方向に進んで
いたかもしれない。 源義経、名前がそんまんまチンギスハンだし。
英語表記だとGhen gi sei Khan つまり 源 義 経 汗。
議論の余地なし。モンゴル人は経をせいとしか発音できなかった。
家紋も同じ笹りんどう。国号もゲン で 源 と同じ。
ジンギスカンの別名はクロー、義経も九郎義経という。
源義経が成吉思汗であっては困る奴らがいる。
アーリア人とシナ人と朝鮮人である。 福岡黒田藩家老を祖父に持つ若狭和朋氏の話(ニコニコ)によると、測量技術士の舛添氏が
朝鮮半島から渡ってきた白丁の使用人が名前を持ってなかったので舛添の名前を与えて名乗るようになったのが
舛添要一の始まりであったと。 この手の説の信奉者の一番おかしなところは
源義経=ジンギスカン説と
源義経の子孫=清朝皇帝説を
いっしょに信じているんだな。
ユダヤ陰謀論者が
日ユ同祖論もいっしょに信じているみたいなものなんだが。 成吉思汗の秘密の結末ででてくる天城山心中事件って
よくよく考えると
源義経の子孫=清朝皇帝説にとっては輪廻だか運命のめぐりあわせでも
源義経=ジンギスカン説にとっては何の意味もない。
てか、むしろマイナスなんじゃ。 ヘイトスピーチと騒がれているが、ヘイトスピーチをしているのは在日韓国朝鮮人である。デモ隊に途中から
入り込んだ在日韓国朝鮮人が日本人に成りすましてやっている。 【偽史】トンデモ歴史を語ろう【珍説】 - 日本史板
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1392376970/
190 :日本@名無史さん :2014/03/26(水) 13:50:57.42
本能寺の変や坂本龍馬暗殺の黒幕探しはイデオロギーと言うより、
小説家が好き勝手に面白おかしく解釈して膨らませるのが原因ではないの?
義経のモンゴル逃亡説や上杉謙信女性説なんてその典型。
191 :日本@名無史さん :2014/03/26(水) 13:54:35.15
>>189
アテルイの時代の蝦夷は日本馬の産地だったらしい。
大和だけじゃなく大陸にも輸出して大きな財源になっていたそうだ。
田村麻呂との戦いでも騎馬戦に長けていたので大和軍は苦戦した。 このスレまだあったんだな
>>297-298
2001年に立ったスレか、ずいぶん古いね
少しづつ読んでみるか >>297大体読んだけど、うーん・・・
お馴染みの話が繰り返されるだけで目新しい展開は無いかなあ
ちょっと>>330のソース書いとくか
「天平の渤海交流」(2009)と「渤海の歴史と文化」(2010)
前者は新書的で入門編として読み易い感じだったかな
後者は辞典並に分厚くて対外関係も詳しく拾い読み向き
これで渤海後は日本との関係を示すものは特に無いことが分かった 下のウィキペディア中の「3.2.1 日本海沿岸部における10 -13世紀までの女真族」が勉強になるな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80%E4%BC%8A%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%AF%87
なるほど、沿海州にいた女真は早々と滅んで交易も北のアムール川の方に移ったのか 久々に小谷部全一郎「成吉思汗〜」も読み直してみた
この辺が沿海州関係↓
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_7.htm#1
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_7.htm#2
上の方のリンクの最後にある「漢文を能くする日本人が漢詩を以て應答せり」は
渤海国のウィキペディア「5 文化」にある「菅原道真と渤海の使者との間で漢詩の応酬が行われた」と対応してる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7_%28%E5%9B%BD%29
「日本の歌妓即ち鎌倉時代の所謂白拍子も居りたり」ってのもホント
遣渤海使が数十人単位で向こうまで連れて行った記録が残ってる
小谷部を初めて読んだ時はどこまでホントだろ?と思ったけどw
ただ正史として残るのはあくまで渤海国時代の話だけなんだよな そういえば「小谷部全一郎の世界 成吉思汗は源義経也」ってサイトは
ウィキペディア義経=ジンギスカン説の最後の外部リンクにも載ってるけど
目次のページには第五章と第六章へのリンクが無いんだな
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/oyabe.htm#mokuji
でも実際はちゃんとページ作ってあって全文読める↓
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_5.htm
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_6.htm
ただ第八章以降は見つからないから最初から作って無いみたい、残念 http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/25560558.html
98: 日本@名無史さん 2001/11/27 01:14:00
>>93
滅ぼされた元の子孫、成吉思汗の末裔はどうなったのでしょうか。
実は、その子孫たちが明を滅ぼし清を建てたのだというのです。
イギリス公使デビスの『清国総録』によりますと、
『成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、
蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
彼らはやがて勢力を増し、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。
清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、このためである。』
となっているのです。 ↑
これも定番お馴染みだけど改めて読むと何だかなあ
出所を辿ると恐らく義経再興記辺りまで遡るんじゃないのか
だとしたら百年以上前のコピペが延々出回ってるわけで
このデビスって人や本、あるいはこの文が実在するのか
今まで誰も検証してないんじゃないのか
実際その辺って全然見たこと聞いたこと無いし ちょっとメモ
このサイト、画像も充実してて初心者向けだけど
アフィ貼りすぎててやたら重いのが難点
下のサイトはテキストだけで軽い
↓
成吉思汗の孫、忽必烈(フビライ)の子孫は、明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ、長の娘と婚して、諸公子を産んだ。
彼らは朔地に割拠して勢威をふるい、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。
清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである。
――デビス著、『清国総録』より
http://electronic-journal.seesaa.net/article/5940903.html
http://intec-j.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=155692206 そういえば
成吉思汗の父エスゲイが蝦夷海の訛りは
末松が言いだしっぺってよく言われるけど
ホエルンイケ+センシ皇后で池の禅尼ってやつ
これも末松の発見というか発明でいいのかな?
でもこのセンシ皇后ってソース何だろ?元史?
これもちょっと今まで見た記憶が無いな 以下、高木彬光『成吉思汗の秘密』から清国総録の部分
小説が手元に無いから正確そうな引用をネットで探してみた
↓
イギリス公使デビス著の『清国総録』という本に、「成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
・・・彼らは(以下略)、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。清帝(愛新覺羅)を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである」という文面が見受けられた
ttp://d.hatena.ne.jp/raita24/20110513/1305256679
イギリス公使デビスの「清国総録」の中に「成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と婚して諸公子を産んだ。
彼らは朔地に割拠して勢威をふるい、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。清帝は成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである」の文章がある
ttp://kilkhor.cc.iwate-u.ac.jp/~hitoaki/cgi-bin/hw_form.cgi?FName=../hwi/ih85.txt >>310
これは>>306>>308とほとんど同じだな
とりあえず
2ch含めネットで出回ってる清国総録の文は
『成吉思汗の秘密』が引用元だとわかる >>309の続き
ホエルンイケセンシでググるとセンシの漢字が分かった
http://www.eonet.ne.jp/~tajikara/Rekishi/yoshitune/yoshitsune.html
>ジンギスカンはこの母に宣懿〈センシ〉皇后という名をプレゼント
この宣懿も加えて更にググるともう一つ出て来たけど
http://blog.livedoor.jp/mumeikai/archives/2006-01.html
>成吉思汗は彼女の死に際し、「宣懿(せんい)皇后」の諡(おく)り名をした
ん?せんし?せんい?どっちだ? 試しにウィキペディアで探してみると宣懿皇后の項があった
読みは「せんい」が正しいのか、でもホエルンの話は何も出てないな
ホエルンの項にも宣懿のことは書いてない
↓
宣懿皇后 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E6%87%BF%E7%9A%87%E5%90%8E
ホエルン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3
読みは「せんし」じゃなかったし、ホエルン=宣懿皇后のソースも不明なまま
ホントに成り立つのか、「イケ+センシ=池の禅尼」説ってw >>310-311続き
昭和に書かれた高木『成吉思汗』から更に遡ると
大正期の小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』
これは>>305のサイト内で検索できた
↓
清朝時代の駐清英国公使デビス著清國総録に記して曰く、成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は明朝の為に放逐されて満洲の故地及び蒙古に逃れ、酋長の女と結婚して諸公子を生んだ。
彼等は朔北に割拠して勢威を振ひ、後に大拳して明朝を亡ぽし、國を清と號した。清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の裔なりとするのは、けだし是れが為である云々と。
苛くも時の駐清大英国公使たる責任の地位にある人が、清朝時代に清帝を成吉思汗の裔なりとその著書に発表するには確乎たる論證に拠ったものであろう。斯のように清朝は成吉思汗の裔苗であること外書に明記している
http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_1.htm#4 思ったとおり高木彬光の訳文はほぼ小谷部の丸コピペ
英国公使が根拠無く書くはずが無い(キリッってとこまで同じ
でもこれ小谷部が自分で読んだり訳したのか?
それとも小谷部もまた先行書の丸コピペなのか?
やっぱり末松著・内田訳「義経再興記」まで遡ってみる必要あるな 義経再興記の中の該当箇所やっと見つけた、ふう
原著の百六頁にあった
↓
支那二駐在シタル英國(国)全權(権)公使「フランシスダビス」氏著支那帝國總(総)録中二曰ク
成吉思汗ノ孫、忽必烈ノ子孫、明朝ノ爲(為)メ二放逐セラレ東韃靼中二隱(隠)レ土人ト婚シ乃チ滿(満)洲諸公子ヲ生メリ
是レ天命ヲ受テ明朝ヲ亡ボセシ人ナリC(清)帝ヲ忽必烈ノ裔ナリトハ乃チ之ガ爲(為)メナリ云々
若シ此記事果シテ事實(実)ナラバ成吉思汗ハC(清)朝ノ遠○(祖)タラザルベカラズ うーん
>>314と>>318を比べると基本的には同じなんだけど
末松・内田「是レ天命ヲ受テ明朝ヲ亡ボセシ人ナリ」
小谷部「彼等は朔北に割拠して勢威を振ひ、後に大拳して明朝を亡ぽし、國を清と號した。」
ここの部分がハッキリ違うかなあ
小谷部はダビスだかデビスだかの原著を読んで変えたのかな えーっと
>>306>>308>>310>>314>>318とコピペ元を遡ってきたけど
予想と違って末松・内田→小谷部の間に違いを発見
どうも清とか支那の総録という本も実在しそうな感じ
でもググってもそんな題名の本は出てこないしなあ そういえば>>318までざっと見た限りでは
エスゲイやホエルンイケの語呂合わせも無かった
明治の本だし更に読み進めるのはもうキツイわw
再興記の現代語訳はネットには無いんだよな >清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである。
ヌルハチがホントにジンギスカンの子孫なら
最初の国号が「金」なんてことはないだろうに。
ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に就いたのが、
300年経つと曲解されて、そんなことなったんだな。 >>325
>ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に
>300年経つと曲解
あー、なるほど
清とモンゴルってそういう関係だったのか
中国史とか知識無いから、全然考えたことなかったわ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%B8#.E7.94.9F.E6.B6.AF
天聡5年(1631年)にはチャハル部のリンダン・ハーンに勝利し、天聡9年(1635年)にはチャハル部を組み入れ、元の玉璽をリンダンの息子エジェイ(中国語版)から譲り受けた。
1636年、ホンタイジは玉璽を手に入れたことを機に、満州族・漢族・モンゴル族の三族から推戴を受けた。すなわち国王から正式に皇帝となり、国号を大清とし、併せて崇徳と改元した。 >>1もそうだけど
義経=成吉思汗説って高木彬光の小説から入る人が多いわけだけど
清と元の関係について小説ではまず
「清は満州族の王朝で元と関係無いでしょ」
とヒロイン役の大麻鎮子が突っ込んだ直後に
「いやデビス著の『清国総録』によれば〜」
と探偵役の神津恭介が言い張って強引に話が進むんだよな そういえば
>>314のリンク先ではデビス清国総録の話のすぐ前で
「クロパトキン著、満蒙処分論」という本の話をしてて
この本は「クロパトキン 満蒙処分論」でググればすぐ出る
近デジでもGoogleブックスでも直接読める
一方、清国総録の方は定番コピペ以外に出てこないw
この本、たぶん邦訳されてないんじゃないかと思うけど
それだと原題が分からないから探し様も無いんだよな
(近代デジタルライブラリー 満蒙処分論)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951337
(Googleブックス 満蒙処分論)
http://books.google.co.jp/books/about/%E6%BA%80%E8%92%99%E5%87%A6%E5%88%86%E8%AB%96.html?id=JK1AusYTVYQC >>325-326
>ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に就いたのが、
俺はこの知識を
荒山徹先生の「柳生大戦争」で初めて知ったw
柳生友矩と檀君のお導きだな。 >>329
ちょっとググってみたけど
何かずいぶん楽しそうな作者&作品&読者だなw
アマゾンのレビューとか、なんだあれw
あんな2chみたいなレビュー初めて見たわwww えーっと
ウィキペディア読み直してみたら間違いが結構あるな
せっかく義経の項目から独立したのにもったいないわ 「『江戸時代初期には、金の正史である『金史』の外伝という触れ込みで、「12世紀の金の将軍に源義経なる者がいた」と記した『金史別本』なる書が、沢田源内の翻訳によって出版されている(『金史別本』は偽本である)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E6.A6.82.E8.AA.AC
↑
金史別本はそもそも実在しない(実物が確認されたことは無い)から出版されたことも無い
加藤謙斎「鎌倉実記」の中に金史別本からとする引用文が載ってるだけ
だから金史別本の作者は加藤謙斎その人とする説があるんだと思う
あと1717年って江戸初期なのか?
↓
鎌倉実記 加藤謙斎著 1717年
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/19_yoshi.html 「この論文は内田弥八訳述『義経再興記』(明治史学会雑誌)として明治18年(1885年)を嚆矢としてそののち和訳」
↑
この明治史学会雑誌というのも意味不明(説明不足?)
義経再興記でググってると時々この名前が出てくるけど
(例)http://ee161655.mizubasyou.com/5.html
(例)http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n32669
明治史学会雑誌という出版物を探してもこれしか出てこない
↓
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010920597-00
これは明治期に発行されてた「史学会雑誌」(論文誌)の中から選んだ論文を転載した本
現物を確認したことあるけど義経再興記が載ってるわけでもないし関係無いんじゃないか 「3.3 小谷部全一郎による「成吉思汗=義経」説の提唱
(中略)
モンゴル文字にかなりの平仮名からヒントを得たとしか考えられない文字が存在する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC
↑
これは現役の義経=成吉思汗説研究家の丘ナントカさんが言い出した比較的新しい説
小谷部全一郎とは何の関係も無い
あと丘さんの指摘は4文字くらいだから「かなりの」とは言えないな 「『成吉思汗』の「汗」を「水と干」に分けると、「成 レ吉 思 レ水干」となり、遠くモンゴルの地で良きこと「吉」を成し遂げ、「吉成りて、水干を思う」となる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E4.BC.9D.E8.AA.AC.E3.81.AE.E3.81.9D.E3.81.AE.E5.BE.8C
↑
これ高木彬光著・成吉思汗の秘密のクライマックスの説明だけど
「吉成りて」の解釈は正しくは「(静御前との)吉野山の誓いが成就して」
小説のネタばらしした上に、内容間違ってるって何だかなあ 「3.3 小谷部全一郎による「成吉思汗=義経」説の提唱
(中略)
沿海州ナホトカとウラジオストクの間に「ハンガン」という岬と泊地があり、九郎判官が上陸した土地ではないか。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC
「28. 小谷部はまた、ロシアのウラジオストックから120キロメートルほどのところに、蘇城(スウチャン)という古城の遺跡があり
(中略)
ハンガン岬から東北に120キロメートル離れたところにあるこの「スウチャン」は中国語であり」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E8.84.9A.E6.B3.A8
↑
これ「ナホトカとウラジオストクの間」が間違ってると思って小谷部著・成吉思汗は源義経也をざっと読み直したんだけど
ハンガン岬についてどこにも書いてないんだな、これは俺も驚いたw http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019510
成吉思汗は源義経也を更に再読したけど
やっぱりハンガン岬は記述が無いw
あれだけウラジオ・ニコリスク(双城子)・蘇城(スーチャン)辺りを書いてるから
ハンガン岬も当然書いてあると思い込んでたな
小谷部の他の本にでも書いてあるんだろうか 名著とされるドーソンの『モンゴル人の歴史』は、殺戮と破壊についてはかなり誇張して記述されたことが、今日では知られている。
名著であるが故にその後多くの論文や小説等に引用された。
同様なことは他の著者によっても行われ、結果として成吉思汗は殺人鬼にされた。
そして、その固定化されたイメージが我々に伝えられた。
ttp://www011.upp.so-net.ne.jp/nariyoshi/ushiwaka_38.htm モンゴルの英雄を日本人が奪うな的な批判ならともかく
チンギス自体の評価に踏み込むと色々と難しいよね
今だとパックスモンゴリア的な再評価もあるわけだし >>341のサイトざっと読んだけど下記の指摘がちょっと面白かった
即位が第一次と第二次あるのは従来の義経ジンギカン説でも議論されてるけど
金の百人隊長の話、というかその時期に注目した議論は初めて読んだ気がする
↓
1194年に成吉思汗が金の百人隊長に任じられたという記事はいくらかの信憑性があるのかも知れない。
金の百人隊長に任じられたことは、モンゴルのかなり有力な部族の指導者の地位についたことを意味しよう。1189年に奥州を出立し、大陸に渡りモンゴルに行き、きっかけを掴んで部族の指導者となったとすれば、5年間という時間は不自然でない。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/nariyoshi/ushiwaka_32.htm
鎌倉知友 トップ.
http://www011.upp.so-net.ne.jp/nariyoshi/index.htm そうそう、金といえば
金史別本は出版されたことは無い、何度も繰り返すけど
昨日ちょっと気になって宝島文庫「陰謀大全」を立ち読み確認したけど
長山靖生の小谷部批判の項、やっぱり金史別本が出版され云々と書いてあった
長山は影響力あるから金史別本出版という間違いは当分続くんだろうね
初出の別冊宝島「陰謀がいっぱい」は画像が幾つか載ってたと思うけど
文庫版の大全の方は載ってなかったな さっき気付いたけど
義経ジンギカン説ウィキペディアが先月くらいから頻繁に更新されてるな
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC&action=history
俺の指摘も少しは反映されてるかと期待したけど全然関係無かった、残念w
ていうか、なんか本来の説そのものとは直接関係ない知識自慢合戦になってるような ああそうだ、>>344に関して忘れないうちにちょっとメモ
長山は末松(謙澄)が英国で出版した義経ジンギスカン論文について
「グリフィスによれば」などと架空の説を述べてる、と書いてた
この長山の指摘を以前に読んだ記憶があったから
英国公使デビスによれば〜とか言われても
実物確認出来るまで俺は信用したくないんだわ (以下、Yahoo!知恵での袋義経ジンギスカン説の回答から)
これが仰々しく広まったのは伊藤博文の娘婿、末松謙澄がイギリス留学中に匿名で発表した論文が始めです。これは架空の参考文献を捏造する等かなり怪しい代物です
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1350385798
末松謙澄がイギリスで発表した論文は「金史別本」をさらに誇大拡張した物です。末松が後に自らの論文を「でっちあげ」と告白したのは論文の参考文献としたものが「架空の作品」とバレたからです。
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1262991687
末松はイギリスに留学していた時に偽名を使い論文として「義経=チンギスハン」説を発表しています。
「金史別本」を誇大拡張したもので、後に参考文献として挙げた物が「架空の書物」とバレたために自ら「自分の論説はでっち上げ」と告白しています。
つまり「義経=チンギスハン」説は偽書を捏造した史料で証明していると言う代物です。
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1064916935
「義経=チンギスハン説」の形を作ったのは、伊藤博文の娘婿で伊藤内閣でも通信大臣や内務大臣を歴任した「末松謙澄」です。
末松は英国留学時代、偽名を使い英文で「義経=チンギスハン説」を論文として発表しています。
さらに架空の参考文献をでっち上げあたかも信憑性が高いようにつくろってます(これは参考文献が架空である事がバレた為に後に末松本人がデタラメな説話だと言う事を認めている)。
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1476195584 >>347訂正
× Yahoo!知恵での袋義経ジンギスカン説の回答
○ Yahoo!知恵袋での義経ジンギスカン説の回答 最近の本。高井忍『蜃気楼の王国』に義経ジンギスカン説ネタの短編。
シーボルトが悪ノリしてでっち上げたら
朱子学の林家を怒らせて国外追放くらった。 >>347-348
この回答は全て同じ人でベストアンサーにも度々なってるけど
グリフィスという人はそんな説は言っていないということなのか
グリフィスという人物自体も架空なのかがちょっと気になる >>349
お、これは是非近いうちに読んでみよう
短編だと立ち読み出来そうだしw
義経ジンギスカン説ネタだと何年か前に
柴田哲孝「草原に咲く一輪の花」(『異聞太平洋戦記』所収)を読んだ
小説自体は上手いなとは思ったけど
肝心の義経ジンギスカン説の扱いがショボくて残念 >>341
チンギスの虐殺話しが多少の誇張があったのは事実。
しかし、あくまで誇張があったというだけの話しで
虐殺話し全体が否定されるわけではない。 あと>>341のサイトで
モンゴル人は血を流すのは好まず一気に殺すみたいなことが書いてあるけど、
これってもしかすると「モンゴルでの貴人に対する処刑法」の事だろうか?
処刑する人物の全身を白い布で覆って馬で踏みつけて処刑するというのが
モンゴル人にとっての高貴な人物を処刑する方法として知られ、
チンギスの旧友のジャムカなどもそうやって処刑されたらしいが、
モンゴル人以外にとっては「とても残虐な処刑法」としか思えない。
勿論、日本人から見てもとても痛々しくて旧友をこんな方法で殺したくない。
これなら縛り首とか斬首のほうがよっぽど人道的だが。 いやモンゴルの人が聞いたらどう思うかという流れが>>341-342
自民族の英雄が外国人扱いされるのも
英雄じゃなくて虐殺者扱いされるのも
どっちもイヤだろうね あと大地を血で汚すのはタブーなのがモンゴルの伝統らしい
羊を解体する時も血が落ちないよう独特の技法でやるとか さっきウィキペディア見たら外部リンクにYouTubeが加わってたw
こんな動画あったのか
てかこれ面白すぎワロタwwwwww
もうツッコミどころ多すぎて一体どうすればw
↓
【歴史ミステリー】源義経は生きていた!?北の大地・アイヌ民族との奇妙な接点!! - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=M__nvvf9XyY >>353
>英雄じゃなくて虐殺者扱いされるのも
は?
英雄と虐殺者は普通、重なるもんだぞ。
ましてや、自国の英雄が他国では虐殺者とか極悪人なのはもっと普通だしなあ。
我々、日本人は織田信長を英雄詩するが彼が虐殺者でもある事は
子供でも知ってるしなあ。
もっとも、信長も延暦寺の焼き討ちとかは誇張されたものである事が最近わかってるが。
それにモンゴルの人なら当時のモンゴル高原の部族間抗争が「殲滅」に近いものだったことなど
誰でも知ってるだろうし、チンギス=英雄=虐殺者だなんてすんなりと受け入れてると思うぞ。 チンギスはソ連の影響で「文明の破壊者」「大殺戮者」という史観が公式で
自国民にそういう教育もなされてきたそうだけど、
共産主義が崩壊してつい近年になって、
チンギスを英雄とまつりあげる史観が少しずつ出てきたとか。
それでも、人々はチンギスが虐殺者の一面持ってたことはよくわかってるだろうな。 そもそも、チンギス・ハーンって
「モンゴルの礎を築いた」という一点以外に功績があるんだろうか?
「功罪」とは言うもののチンギスの場合は「罪」の部分ばかりな気がする。
信長とか始皇帝の場合は虐殺はしても「国家統一」という大義名分があるし
スターリンも毛沢東ですら虐殺ばかりではなく「功績」の部分は数多い。
ヨーロッパが世界中を植民地化し虐殺したのも世界中に文明を伝えたのも事実だし、
絶対悪とは言い切れないし、イスラムも同じ。
しかし、それに比較してチンギスは一時的に世界的大帝国を作ったがなにか良い事したか?
チンギスの虐殺が彼を憎むイスラムやヨーロッパや中国や中央アジア諸国の憎しみや怒りからなんて意見もあるが
そりゃ彼らがチンギスを憎んで当たり前なのではないだろうか?
とにかく、チンギスは恐るべき侵略者なのは確かで、
日本にとってもフビライの侵略を受けた。
日本はたまたま強かったから撃退できたから憎しみは薄いが、
チンギスやモンゴルに支配されたり虐殺されたり
西夏みたいに殲滅された人たちにとってはたまったものではない。
しかも信長の天下統一のような大義名分もない。 なお、ロシアの元が実はチンギスの長男の家系のバトゥハン国だったという説があるが、
確かにロシアの侵略性や領土拡張性はチンギスやバトゥの帝国に通じるものがあるが、
もし、そうだったとしたら、なんて迷惑な話なんだろう・・・
世界中の国がロシアに領土を取られ、日本も酷い目にあって樺太千島を取られたりしてる。
中国やモンゴルも被害にあってる。
チンギスとはつくづく罪作りな男だ・・・ 明治の日本は、今の韓国と同じ捏造大国だったのさ。どの国も一度は通る優秀民族主義。
ジンギスカンが義経ならモンゴル軍を率いて最初に日本へ逆襲してるよ、心情的に。 日ユ同祖論、キリスト渡来説、ブッダ、マホメット、モーゼは日本に渡来して学んだ。
そして竹内文書の人類は三千億年前に富山県あたりにプレアデス人が降りて開闢した。
あと、人類は琵琶湖で発祥したなんて説もあったな。
明治あたりは日本の外国に対するコンプレックスからこの手の説が花盛りだった。 それは平成になってからも変わってないよ。
「人麻呂の暗号」万葉集は古代朝鮮語で読める
「維新の暗号」明治維新も坂本龍馬暗殺もフリーメーソンのせい
「信長と十字架」信長の黒幕は南欧グローバルなんちゃら、いろいろあって本能寺の変も黒幕
「写楽閉じた国の幻」東洲斎写楽の正体はオランダ人
「もうひとりの写楽」東洲斎写楽と十返舎一九の正体は朝鮮人
他に何があったっけ?
島国コンプレックス丸出しの珍説ばかりが持て囃される。 まず、義経が何とか北へ逃れても、ど田舎の東北地方には大陸に渡る航路とかもまだ開発されてないわけで、仮に渡ったところで言葉を習うところからスタート⇒そしてモンゴル帝国とか。
子供でも分かる『無理ゲー』 >>363
>「人麻呂の暗号」万葉集は古代朝鮮語で読める
>「もうひとりの写楽」東洲斎写楽と十返舎一九の正体は朝鮮人
言いたい事はわかるが、この部分に関しては
日本の優れた文化は朝鮮のものと言い張る半島根性だろ。 「もうひとりの写楽」はそうだが
「人麻呂の暗号」は日本原産。
藤村由加で検索かけてみ。
昭和の間は日本文化は何でもかんでも半島経由
「くだらない」は「百済じゃない!」みたいな論は
TV局や出版社を中心に支配的だった。 だいたい論文って自分の仮説を論理的に文章にして発表するだけだろうが。論文を論拠に『義経⇒チンギス汗』とか言ってたら韓国人なみの脳みそだぞ? 韓国人による『韓国起源説』みたいなところが、明治の日本にもあったということだ。 >>357-360
「チンギスみたいな大虐殺者と義経を一緒にするな」
こんなこと言われたらモンゴルの人も怒るだろ
元はそういう話題(>>340)なのに一体何の話してるんだか 最近もまたウィキペディアが更新されてるな
熱心に細かく直してて興味深いけど
肝心の義経ジンギスカン説そのものが相変わらずボロボロ
この説自体をよく知る人がウィキペディアにいないんだろうな
もともと学説でも何でもないからしょうがないけど
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC&action=history >>370の「中世の藤原氏北方貿易」本文は渡党にリンク付いてるね
渡党のここまで詳しい概要説明って初めて読んだわ
こういう正規の歴史分野だとウィキペディアも勉強になるな
渡党 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E5%85%9A >>370お前、バカ歴女か?ジパングの金の家が奥州平泉の金色堂なのは解る。だが大陸への東北からの海路は不明。論文はあてにならない。 マルコポーロのジパングも全然正確では無いのはすぐに解るだろ。金の家なんかやっと一軒あるだけなのにあたかも黄金の国であるかのような記述。
つまり記述の信憑性をまず疑えよ、>>370。 ちょっと気になって>>350を改めて考えてみたけど
架空の文献って普通は実在しない人の名義にするよな
明治初期の日本で発表ならともかく末松の論文って英国で出版だし
実在する欧米人が言ってない書いてない話を捏造したら
本人にもバレやすいしバレたら当然大問題だろうし
とりあえずグリフィス某は実在しないという方向で考えるか >>344も再々度繰り返すけど
金史別本は実在しないし出版も当然されてない
ネット上のソースとしては最近見つけたこれが一番
↓
源義経チンギス・ハーン説 - ASIOS -
http://www.asios.org/yoshitsune.html
>『金史別伝』は偽系図作りで有名な沢田源内(1619〜1688)がその「逸文」のみを偽作したもので実在しない書物だ。
↑
これ原田実が書いてるんだよな
さすがプロだけあって簡潔明瞭でソツの無い名解説
ウィキペディアの外部リンクにも是非載せるべき
ただ沢田源内説は俺は保留中だけど うん、実在しないのを論拠にしている時点でその部分に関しては論理が崩れている。
例えるなら魁男塾の『民明書房刊』と同じで存在しないものを論拠としているようなもの。
ちなみに20年以上前だが、俺は神保町の三省堂書店へ行き「民明書房刊の本は有りますか」と尋ねた。
10分ほど待たされて「そうした本は有りません」と言われた。ひどくがっかりした経験がある。 >>376
「普通は」実在しない人物を作者にするけど、
たまに実在の人物を作者にする架空の本もあるんだよ。
間抜けな話しだが・・・ いや、リアリティを持たせるために実在の人間を作者にすることはある。
自筆原稿だけで出版されてないんだよ!とか
自費出版だから少部数しか発行されてないんだよ!とか。
大文学者なんかじゃなくて、そんな有名ではない人間を選ぶのがミソ。 タチの悪い歴史の謎解き本だと
実在の人物が書いた実在の文書なのに
読者が原文を調べないだろうと思ってか
意訳してぜんぜん違う内容で紹介されていたりするぞ。
坂本龍馬の暗殺本とかな。 >>353
アッバース朝のカリフをそうやって殺したせいで、イスラムの反モンゴル感情は極限まで達したそうだしな >>306-328
ごくろうさん。
清朝皇室=成吉思汗の子孫って、昭和に入ってからの説だろうと何となく思っていたんだが、末松が出どころだったのか。
満州国どころか、清朝もまだあった頃にそんな主張するなんて大胆だ。
いまの感覚だと、北朝鮮に向かって「金日成は李成桂の子孫で、李成桂は日本人だったんだぞ!」といいだすようなものかな。 でも日本にはこの説をマジで押してる学者が居るんだよな 英国公使デビス〜というのは
どうもこの人のことぽいな。
Sir John Francis Davis
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Francis_Davis 中国関係の著書もいくつかあるが
『清国総録』がどれのことかは分からない。
元の子孫から清が出たというのも
どれに書いてあるのやら。 ジンギスカンなんてヒトラーと一緒じゃん
侵略しまくり虐殺しまくりで人類史の汚点
日本だって二度の元寇で被害受けてるし
元のフビライハンはフランクリン・ルーズベルトやカーチス・ルメイと並ぶ日本史三大悪役の一人じゃん
そんな奴の先祖と義経を同一人物なんて説を出した阿呆は
義経が嫌いで卑しめたいだけなんだよ
シナ中共の胡錦涛を実は元旧日本軍の日本人だったといって
シナのチベット人虐殺を日本人の犯罪って事にするくらいの暴論
こんなのはオカルトネタだし日本人の大多数は全く信じてないけど ジンギスカンなんてヒトラーと一緒じゃん
侵略しまくりで虐殺しまくりで人類史の汚点
日本も二度の元寇の被害受けてるし
義経を卑しめるようなオカルト話なんて胸糞悪いだけだ ジンギスカンなんてナチスドイツのヒトラーと一緒だろ
日本だって二度の元寇被害を受けてるし侵略しまくり虐殺しまくりの人類史の汚点 チンギスハンは侵略しまくり、虐殺しまくりの人類史の汚点だからヒトラーと同じ
アレクサンダーもカエサルもナポレオンもヒトラーの同類
こんなクズどもを英雄扱いする人間は野蛮人 チンギス・ハンは侵略しまくり虐殺しまくりのクズだからヒトラーと一緒だし人類史の汚点 ジンギスカンなんかを英雄扱いするから黄色人種は野蛮人だって馬鹿にされるんだし
こんな奴は人類史の汚点で黄色人種の面汚しと軽蔑するのが当然 大国に囲まれたほぼ無勝、千敗の超〜賎な民は馬や船に乗って来たヒャッハーなお兄さん達にGo韓
され続けたため、その末裔こそが周辺より気性の激しい△△魔となってしまったのは無慈悲な地政
学的宿命。リアル性器待つ覇者○○○○ハーンのYを継ぐ者が現在全世界で1600万人もいるが貢献大。
恨の文化や歴史捏造癖は、ドラマと異なり惨めな歴史故だがお陰で若干体格は良くなり一部のオバ
様達をあ〜逞しいと言わしめましたとさ。あ〜キムい、キムい。 >>393
> チンギス・ハンは侵略しまくり虐殺しまくりのクズだからヒトラーと一緒だし人類史の汚点
ヒトラーは民主主義が歴史に登場してからの民主主義の手続きを経て独裁者になって、侵略しまくったから、人類の汚点なのだ。
民主主義が登場する以前の国家は、強い王国が敵対する弱小王国を属国にするか、滅ぼすか、逆に滅ぼされるかしかないような時代だ。
現代史を乱暴に古代や中世に当てはめるものではない。 >>394
> ジンギスカンなんかを英雄扱いするから黄色人種は野蛮人だって馬鹿にされるんだし
> こんな奴は人類史の汚点で黄色人種の面汚しと軽蔑するのが当然
白人のアジアの植民地支配も、十分野蛮だと思うがな。スペインのコルテスなぞはインカ帝国を小部隊で征服して、南米は見る影も無い。インディアン側に経てば北米も似たり寄ったり。
これらも充分野蛮だと思うぞ。
>>394は知らず識らずのうちに白人至上主義に毒された意見だ。 動物虐待者リスト
犯罪者◆樋口昭彦(44)◆日本興業銀行行員◆東京都世田谷区砧3◆猫を洋弓銃で殺害
犯罪者◆北田哲生(33)◆さくら銀行行員◆川口市栄町二◆猫の頭部切断して玄関先に放置
犯罪者◆大久保雄路(21)◆中卒無職◆宇都宮市清住1◆ハムスター20匹以上殺した後、飼い犬、猫を蹴りやゴルフクラブで撲殺
犯罪者◆森山博人(37)◆無職◆神戸市須磨区東落合1丁目◆自宅のベランダから猫6匹を投げ落とし殺す
犯罪者◆長谷川正宏(33)◆那覇市立神原中学校教諭◆那覇市樋川のマンション8階◆猫をマンション8階から投げ捨て
犯罪者◆上原宏之(38)◆川崎市建設局土木管理部主査◆東京都大田区西六郷2◆猫を粘着テープ巻きにして車に放置猫23匹殺
犯罪者◆松原潤(27)◆九州大学工学部卒無職◆広島県呉市焼山西3丁目◆ネットに猫虐殺写真公開
犯罪者●栗山龍(40)●猫虐殺が出来るSMクラブ経営者(検索おすすめ)
犯罪者●松本誠(28)●無職●大阪鶴見花博公園で猫を岩に叩き付け池に投げ殺す
犯罪者●村元隆俊(32)●飼い犬を虐待死火を点けて殺す、止めに入った祖母も灯油をかけ殺害
犯罪者●増田和春(57)●農業●犬の悲鳴に気がついた、無職女性の飼い犬の首を切って殺す。
犯罪者●館山祐子(50)●北海道苫小牧市、元ペットショップ経営●犬計6匹餓死させる「エサをやったが食べなかった」
まだいますので、お楽しみに! チンギス・ハーンの子孫=ヌルハチ説って
源義経生存説信者の他に支持している人いるの? 何をどうすればツングース系の女真人がモンゴル人の子孫になれるのか
まだ金哀宗の末裔ヌルハチのほうが信じられる 末松謙澄論文や小谷部全一郎「成吉思汗ハ源義経也」は
ネット上にも情報はたくさんあるけれども
福地桜痴『義経仁義主汗』と木村鷹太郎『義経ジンギスカン』については
調べても何も出てこない。 義経仁義主汗は講談物、正直どうでもいい内容
ただ渡英前の末松と桜痴は仕事で面識があった
木村鷹太郎の義経ジンギスカンは多分実在しない
元を辿っても八切止夫のエッセイに名が出てるだけ
単に八切の記憶違いだと思われる
キムタカは戦前で既にトンデモの代名詞だったから
義経=成吉思汗もキムタカと思ってた人は結構多い >義経仁義主汗
この表記だと
Vシネマのやくざ映画みたいだ
>元を辿っても八切止夫のエッセイに名が出てるだけ
素で勘違いか
分かっていてテキトーなこと書いているのか
どっちなんだろな。 清和源氏のDNAもジンギスカンのDNAも特定されてるし全然違うから別人 >>406
ソース出せよ。
そんなガセネタで釣るなよ。 史海钩沉——浅谈历史推理小说
http://www.shu4.com/file/624.html
中国のサイトで高木彬光の三部作への言及があるが、
中国人の目から見て「成吉思汗的秘密」ってどうなんだろ。
ジンギスカンの子孫からヌルハチが出て、しかもジンギスカンは日本人。 今、テレ朝で放送してる番組で義経、チンギスのネタ流すっぽいなw
みんな見てたか? ジンギスカンの男系遺伝子はC3c系統で1600万人くらい同じ遺伝子持ってる人間がいるってロシアの学者が解明している
一方で義経の男系遺伝子は男系の天皇の子孫や清和源氏の子孫の男系遺伝子がD1b系統だった事からD1b系統だったと思われ
男系遺伝子が全く違うからジンギスカンと義経は別人 >>410
数十のコロニーが数十万のコロニーに紛れ込んだ時、いくら男系遺伝子が男から男へ遺伝していくとしても、統計的処理を施す系統に変化を及ぼすとは思えない。仮にモンゴルに日本人が数十人帰化したところで系統は少しも変化しない。
系統でもって、義経チンギスハン説を否定するには無理がある。
モンゴル人一人残らずDNA解析をして、D系統が一人もいなかったなら別だが。そんな調査は誰もできないだろう。 『成吉思汗の秘密』
井村助教授との対決あたりまではまだ考証ゲームの体裁保てているけれど
成吉思汗の子孫から清朝の皇帝が出てきたという話題のあたりが本当に意味不明・・・
いや、メタ的には従来からある成吉思汗説と清朝皇帝先祖説をいっしょに採用してしまおうと欲張ったんだろうけれども。
清朝皇帝先祖説が昔からある(といおうかこっちの方が歴史は古い)ことを伏せたまま
神津が自分で思いついたアイデアにしてしまったせいで
なんでこんな仮定が成り立つのか意味わかんない感が倍率ドンさらに倍増しになっている。 今日の大相撲を見ても
日本人がモンゴル征服するのはムリだろと思う これ、北行伝説や清朝皇帝の御先祖説はけっこう成立の経緯がはっきりしているんだけれど
ジンギスカン説がどこから出てきたか分からない。
幕末明治になって突然発生する。
ホントにシーボルトのアイデアじゃないかと疑いたくなる。 『成吉思汗の秘密』のタチ悪いところは
トンデモ説そのものより、
研究者disっておいたら
トンデモ並べても説得力があるように見える、という手口を確立したこと。 >>414
韓国人が
天皇の祖先(神武だったり崇神だったり)は韓国人!
韓国から日本へ渡った!
といっているのと本質的には同じなんだろな。 >>412
うーん
俺が初めて『成吉思汗の秘密』 を読んだ時の印象で言うと
良い意味で斜め上というか怒涛の展開で意外と面白かったけどな
もともと『成吉思汗の秘密』 は天城山心中の章で終わりだった(初出時)
つまり本来の終章だった愛新覚羅の悲恋話へ結びつける効果を考えれば
「元祖説→清祖説」の順に出した方が効果的だったのは確かじゃないかな
ていうか、ググって初めて知ったけど天城山心中も異説(無理心中説)があるんだなw
↓
天城山心中 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E5%B1%B1%E5%BF%83%E4%B8%AD
天城山心中 - Google 検索
https://www.google.co.jp/#q=%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E5%B1%B1%E5%BF%83%E4%B8%AD そういえば、元と清の関係について最近たまたま見つけたのがこれ
これ読む限りで言えば、元≒清みたいな話も一概に噴飯物とは言えないのかなあと思った
↓
東アジア歴史人物辞典【北元・モンゴル】
http://homepage1.nifty.com/history/history/beiyuan.htm
教科書によると『元』は中国人王朝である『明(みん)』によって滅ぼされ とって替わられたように書いてある。
「えらくあっさりと滅びたなあ。」 俺も、そう信じ込んでいた。でも、実際は全然違ったんだよね。
中国とモンゴルは別のモノなんだから 明王朝が中国を奪還しただけであって 元の皇帝は本国であるモンゴル高原に戻っただけなんだよね。
んで、その後もずーっと存続した。これを「北に行った元」という意味で『北元』というんです。たぶん。
中国・明王朝の時代から清王朝が始まるまで北の強国としてがんばってた。中国に攻め込むことたびたび。
最後は分裂して、同じく北方民族の満州族に吸収された。この満州族が明を滅ぼし、清王朝を作る。
そのときの大義名分は 「我々はモンゴル大ハーンの後継者である」だった。
俺、この「元の末裔たち」について調べようと思ったのだけれど しろうとが近所の図書館で探した程度では何も、なーんにもわからんのですよ。
あちこち資料を探し回って、ようやくなんとなーく解ったような気がしてきたので、とりあえず彼らの系図を作ってみた。
本職の研究者が見たら笑われてしまうだろうがわかりやすい系図を作ってくれないあんたらが悪いんだよ!
実際、文献がほとんど無い時代らしくて、研究者もわからない謎の時代らしいから、しかたないんだけどね。
日本で言うと、邪馬台国の時代みたいなもんだ。…と思う。 >>415
うーん
シーボルトより前というと、先ずは吉雄忠次郎(※)の線になるけど
「吉雄本人が何か書き遺してないか遺品を探し出して確認する」
とかはもう流石に俺は全然ヤル気無いw
そもそも遺品なんか残ってるかどうかも分からないしなあ、、、
(※)以下参考
謎解き 超常現象3 - ASIOS - Google ブックス
https://books.google.co.jp/books?id=7MhdDAAAQBAJ&pg=RA2-PA196&lpg=RA2-PA196&dq=吉雄忠次郎 ウィキペディアの「義経=ジンギスカン説」を久しぶりに見直してみたけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC
俺が指摘した間違いについて一部は直してるところもあるみたいだけど
( >>331-337 >>344-345 >>371 >>377 )
全体としてはむしろ明らかな間違いがより増殖・悪化しててワロタ
全然気が進まないけど(他の編集者と揉めそうだし)ウィキ編集に俺も加わった方がいいのかなあと というわけで約2年ぶりにこのスレに来てウィキも見たけど
とりあえずウィキは最後の外部リンクを充実させた方がいいのかも
この説について一気読みできる入門的なサイトを並べてみたいな
あと>>387-388も、せっかく見つけてくれたから是非追求してみたい
まあ時間があればまた来週w 生活再生支援ならNPO法人STAで
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詳しくはHPもご覧下さい。 ふう、一気読みできそうな入門的なサイトをどうにか集めてみた
>>424は昔からある定番的なサイトが多いかな
>>425(「37.義経=ジンギスカン説」)はなぜかNGワード扱いで貼れないんで
google検索結果を貼ってみた、検索トップに出るのが該当サイト
>>426は明確に否定的立場からのもの
web.archiveのサイトは直リン出来てない様だからアドレスを手動コピペして見てくれw >>428の「北行伝説」「Electronic Journal」は古くからの定番
特に「Electronic Journal」は成吉思汗説までの集大成
北行説から始まり成吉思汗説に至る内容詳細がほぼ分かる
「源義経死なず」「新・成吉思汗」はまあ余力があればw
最後の「モンゴル・ウルス」はとにかく独自の見解展開で
個人的には超読み応えがあったんで貼ってみた 今日貼るのは入門的なサイトのみのつもりだったけど
次に来れるの何時か分からんし本格的なのも貼ってみた
じゃ来れたらまた来週w >>419
>我々はモンゴル大ハーンの後継者である
たぶん、それは>>325-326の
ホンタイジが北元を併合してハーン位に就いたという話をいっているんじゃないだろか。 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカメラを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心から起きた事で、どこに訴える訳にもいかないのですが、
何とかあの人たちと縁を切った上で、新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 「成吉思汗の秘密」の最後の方で
「成吉思汗」を万葉仮名として読んだら「なすよしもがな」になると書いてあったけれど
万葉仮名は一字一音で読むんだから「せきしか」とか「なよしか」になるんじゃないか? 別にモンゴルに渡る意味が無いように思える
北海道でも行った方がまだ解る >>436
伝説では北海道からモンゴルに渡ったという伝説だよ。
積丹半島から渡ったそうなw
あの当時(平安末期)の小船で日本海の荒波を渡るとか、ちょっと有り得ないと思うけどw エッセイストの木屋隆安氏はメキシコの旅行社から送られた英文パンフレット『メキシコの伝説』にある話として、次の「伝説」を紹介している。
「兄頼朝に追われた源義経は、かつてメキシコの領地であったカリフォルニアの地に漂着して、アステカ族の大酋長となり、テメフ王国の始祖になった。
こうした多くの伝説のため、アメリカ・インディアンやメキシコ人の中には、自分たちと日本人は同じ祖先を持っていると信じている者が多い」
いわゆるジンギスカン義経説の一変種といえよう。
(「偽史列伝 古代中国人のアメリカ渡航」より。アドレスはNGワード規制で貼れず) 【歴史】直虎は「女城主」ではなかった?別の男性とする新たな新史料見つかる
959 : 名無しさん@1周年 2017/04/12(水) 03:41
義経ジンギスカンまであと一歩
ttp://itest.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1492482101/
【悲報】井伊直虎は「女城主」ではなかった?別の男性とする新たな新史料がまた見つかる
71 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 2017/04/11(火) 13:56
> 54
それならそのハッキリした人で女城主やればいいだろ
直虎を女と決めつけるなら義経がチンギス・ハンになる大河ドラマだって出来るわ
ttp://itest.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1491882053/ 「源義経北行伝説」の謎 _ 歴史人 _ KKベストセラーズ
千葉信胤
http://best-times.jp/category/rj-column-yoshitsunehokko
第1回 _ 史実と伝説が渾然一体となった謎めいた源義経の人物像
2017.3.23
http://best-times.jp/articles/-/5036
第2回 _ 義経の伝説が生まれた背景にある「あまりにも静かな最期」
2017.3.26
http://best-times.jp/articles/-/5047
第3回 _ 義経伝説のエンディングは「衣川の戦い」で分岐する
2017.3.30
http://best-times.jp/articles/-/5048
第4回 _ 源義経が海を渡り大将軍に!蝦夷地に渡る「偽書」の流通
2017.4.6
http://best-times.jp/articles/-/5049
第5回 _ 義経=チンギス・ハン説を唱えたのは、あの有名な「外国人医師」だった!
2017.4.9
http://best-times.jp/articles/-/5237
第6回 _ 源義経人気に火を点けた、江戸の「メディアミックス」
2017.4.13
http://best-times.jp/articles/-/5250 第7回 _ “伊藤博文の片腕”の卒論は「源義経=チンギス・ハン説」だった
2017.4.20
http://best-times.jp/articles/-/5251 【日本 武器】義経=チンギス・ハン説を唱えたのは、あの有名な「外国人医師」だった!
https://ヤフコメ.com/comments.html/20170409-00005237-besttimes-cul 義経=チンギス・ハーンはシーボルトがいいだしっぺというのは
高井忍が小説で書いていたなあ。
清朝皇帝の先祖が
いつからチンギス・ハーンになっちゃったのか
そっちの方がいいだしっぺを知りたい。末松でいいのか? 第8回 _ ファン、研究者を駆り立てる「源義経北行伝説」のロマン
2017.4.27
http://best-times.jp/articles/-/5252 昭和33年(1958)推理小説作家高木彬光が『成吉思汗(ジンギスカン)の秘密』を発表して再び「義経=成吉思汗説」が話題になった。
本書は戦前の小谷部説にいたるまでの経緯を大略踏まえているだけでなく、アームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)ならぬベッド・ディテクティブの傑作としても名高く、今なお読みつがれるロングセラーである。
「北行伝説」は本書によって歴史ミステリーとしてよみがえったといってもいい。そのことは、現在に到るまで、しばしばマスメディアが好奇の眼でもってこの伝説を取り上げていることと深く結びつく。
ttp://best-times.jp/articles/-/5252 この説で一番ムチャなのは
ジンギスカンの子孫がヌルハチだってことだと思う。 「義経=成吉思汗」本・基本必読書一覧
1.高木彬光『成吉思汗の秘密』1958、光文社
(1960〜、カッパノベルス/角川文庫/ハルキ文庫/光文社文庫)
2.佐々木勝三/三大町北造/横田正二『成吉思汗は源義経 義経は生きていた』1977、勁文社
(『義経伝説の謎 成吉思汗は源義経か』1986、勁文社)
(『義経伝説の謎 成吉思汗は源義経か』1991、ケイブンシャブックス)
(『源義経と成吉思汗の謎 衣川偽戦!義経は生きて北へ』2000、勁文社)
3.『歴史への招待 9』1980/復刻版1994、日本放送出版協会 ー「義経は生きていた?」
(『NHK歴史への招待 第5巻 無敵義経軍団』1990、新コンパクトシリーズ/日本放送出版協会)
4.NHK歴史発見取材班『NHK歴史発見 5』1993、角川書店 ー「義経渡海伝説、ここに始まる」
5.丘英夫『新ジンギスカンの謎』2002、叢文社
6.荒巻義雄/合田一道『義経伝説推理行』1993、徳間文庫
7.森村宗冬『義経伝説と日本人』2005、平凡社新書 (>>449解説)
どれも一般読者向けに書かれてるからそんなに難しくないし、5と6を除けば大きな図書館だと置いてる所が多い。
1は最初に出た1958単行本には第16章(最終章)が入ってない。光文社文庫版は高木彬光の関連エッセイとかも一緒に入っててお得。
2は同じ三者共著で何度も出てるけど題名変えてるだけで内容はどれも同じ。
3は大型ムック本で写真も多く楽しい、1994復刻版も同型ハードカバー。1990版は新書判で手に持って読み易いけど写真は無い、ただ編集が違ってて「無敵義経軍団」も入ってる点はお得。
4は小さい白黒写真だけど、加藤謙斉『義経実記』中の金史別本の引用ページが載ってるのが珍しい。
5の丘さんは後にもう1冊出てるけど、たぶん内容同じで題名変えただけだと思う。
6はロシア領の蘇城(義経の城とされた所)に行こうとしたら案内人に誤魔化されて素通りされた話とか。
7はAmazonから電子書籍も出ててそっちが便利そうだけどちょっと高いな(\1780)。 このスレ、ずいぶん久しぶりに来たな
>>449のリストは以前に画像アドとかも含めたメモ作ってたはずだけど、PC内に見つからないから書誌情報だけ改めて作った疲れた、ふう
>>449以外にも「義経=成吉思汗」本は色々あるけど、別に新説は無いとか入手が難しいとかネットで十分とかがほとんど
ずいぶん間が空いたけど、これでネット上のサイトも活字出版本も基本の紹介は終わったから
後は実在や真偽が怪しい文献の検証とかウィキペディアの改訂案とかに本格的に入りたいっす そういえば
『義経伝説と日本人』を探しに本屋に行った時、同じ新書棚で目に入った『偽書「武功夜話」の研究』もざっと立ち読みしたけどなかなか面白かったな
その『偽書「武功夜話」の研究』のAmazonレビュー読んでみたら面白いの発見、民明書房恐るべしw
↓
「戦国から江戸初期を舞台にした歴史小説では」「『ザビエル河童説』などの民明書房の優れた文献群ぐらいである。(一部に記憶違いがあれば許して欲しい)」
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4896916263 もう一つ
栗原柳庵の名が出てるの発見
この人の著書がシーボルトの「義経=成吉思汗」説関連で出てくるから、図書館行って確認したばかりだわ
↓
「栗原柳庵「真書太閤記」で,永禄5年に秀吉が墨俣城を作った,それも奇計で一夜で作ったように見せかけたという筋立てにした」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R18P1EO3KB60SV /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ャ、
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イ´ヽ:::::::::/ ≦三モ廴、 |:::丿
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! 匕 ,:: ,::.. .弋´モ与 ::. ..:: _ _ ノ゙ 屋上
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ヽ`´ ':: :.. : |ノ
ー!: ':. r'..: .:{ !
|:: ( rュ__ r .} ノ
| !:: ,:: i__!;.. /
! i::. r 二、ヽ ::. /
l ', .:弋` ̄‐了 ノ
l ヽ  ̄ イ
! .\;.. `´ ノ .|
丿 ` _::::......... .,彳 ヽ、
ノ  ̄ ̄ ー _ (以下訂正)
>>449
× 2.佐々木勝三/三大町北造/横田正二
○ 2.佐々木勝三/大町北造/横田正二
>>450
× 「無敵義経軍団」
○ 「無敵義経騎馬軍団」
× 加藤謙斉『義経実記』
○ 加藤謙斉『鎌倉実記』 wiki改訂は以下3通りの方向で一応考えてみたけど、うーん
1は最初の案内(概説)、2と3は全体的な私案を作ってはみた
1.直接改訂(間違いなく荒れそうでイヤ)
2.新章を作り充実させる(「架空文献の章」)
3.別のwiki(『成吉思汗の秘密』)で充実
義経=ジンギスカン説 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/義経%3Dジンギスカン説
成吉思汗の秘密 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E5%90%89%E6%80%9D%E6%B1%97%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86 義経=成吉思汗説のwikiは何かアレな感じの人が居座ってるみたいだし、編集合戦とかドン引きなことやる気無いから、1(改訂)ではなく2(増補)の方向で考えてたけど、もし俺が一から作り直すとどうなる?と遊びで冒頭だけ作ってみた
意外とよく出来たかな?とも思うし、他に発表する場も無いからここで披露してみる
↓
義経=成吉思汗説(義経=チンギス・ハーン説)
[概説]
義経=成吉思汗(ジンギスカン)説または義経=チンギス・ハーン説とは、日本中世の武将・源義経(1159-1189?)と、モンゴル帝国の創始者チンギス・カン(1162?-1227)を同一人物とみなす歴史上の異説(奇説・珍説)。
主に江戸期を通じ成立した義経生存伝説(北行伝説及び入夷伝説/蝦夷渡海伝説、いわゆる「義経伝説」の一種)の変型・発展型として幕末頃に登場し、
明治から昭和期を通じて広く国内で認知され、現在も一部で根強く主張され続けている一方、モンゴル始め諸外国では基本的に認知されていない。
国内でもアカデミズム(正統史学)の立場からは一貫して否定されてきたが、話のスケールの大きさから一種の大衆向けロマンとして受け入れられやすい傾向があり、
第ニ次大戦での日本敗戦後に大陸(満蒙)への関心が薄れる中で、一人二役トリック・暗号ミステリ的な興味に特化した形でも定着した。
代表的文献としてはオランダで出版されたシーボルト『日本』(1833/天保4)に見られる記述を初出として、
末松謙澄・原著『義経再興記』(1885/明治18) → 小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』(1924/大正13) → 高木彬光『成吉思汗の秘密』(1958/昭和33)と辿ることが出来る。
なお明らかな偽書が論拠とされやすく政治色が付きまといがちでもあったため、現在では偽史・偽書や対外意識を巡る研究対象としてアカデミズム(歴史学及び社会学)で扱われることも多い。 投稿の際に「長過ぎる行があります」と出てブツ切り気味になったけど、まあいいか
>>457(冒頭概説)を前提に各論の章立ても考えてみた
↓
1 判官びいきと『御曹子島渡』(前史)
2 蝦夷地経営と『金史別本』
3 義経清祖説の発生と流布
4 シーボルトの主張と影響
5 末松謙澄と『義経再興記』
6『成吉思汗ハ源義経也』(小谷部全一郎・中島利一郎・金田一京助・鳥居龍蔵)
7 満州日日新聞 VS 岩崎克己
8 郷土史と歴史ミステリ(佐々木勝三と『成吉思汗の秘密』)
9 平成以降の研究者紹介(丘・中杉・七海・森村・橋本・池田・ASIOS)
10 モンゴル史研究におけるチンギス・カン像
付・架空文献とシベリア義経遺跡
↑
上記の内、2〜8の各章は目安600字で最大800字以内でまとめ、1は現行wikiの「7 義経不死伝説と御曹子島渡説話」を更に2/3に要約、10は「6 モンゴル史研究におけるチンギス・カン像」をそのまま使えばいい
以上で、ぼくのかんがえたりそうのうぃき終わり >>456の2(新章追加)について
義経=ジンギスカン説wikiの一番最後に「架空文献(非実在文献)」の章を新設して詳述する案
これは半年位前から考えて資料もだいぶ揃ったし計10項目ほどが完成間近まできた
ただ現行wiki自体が既に無駄に長いのに更に新章追加はどうよ?とここにきて躊躇
このまま完成しても、せいぜいこのスレで披露するだけで終わるかも 最後に>>457の3について
2から転じて『成吉思汗の秘密』wikiの方を増補・充実する案
現行は簡単で短いんであらためて章立てし詳述する方向で検討
先週に思いついてあれこれ考えたけどこれが一番楽しかったw
↓
1 ストーリー
2 解説
3 海音寺潮五郎「義経と弁慶」
4 金田一京助「英雄不死伝説の見地から」
5 解題(本作の虚実)
↑
1は現行をより詳しくして2〜4は作品トリビア満載で原案完成
続けて5で義経=成吉思汗説をあらためて詳述説明する予定が
wiki編集方法が義経=成吉思汗説と違っててより難しいと判明
そもそも1〜4はともかく5までやっていいのかも迷って挫折w 先にちょっとメモ
昨日遠出した帰り、光文社文庫版『成吉思汗の秘密』がないかなと思ってブックオフに寄った
最初何気に見た百均棚で鯨統一郎『邪馬台国はどこですか?』が目に入りゲット
結局『成吉思汗の秘密』は無かったが光文社文庫版『邪馬台国の秘密』があり
何気に手に取って解説誰だろ?と開いたら、鯨統一郎だった
『成吉思汗の秘密』が大好きで、それで「邪馬台国は〜」が産まれたらしい
買って帰った『邪馬台国はどこですか?』の奥付見たら第32版(2011)
『成吉思汗の秘密』並みにロングセラー化してて驚いた 昨日は遠出した際に余った時間を使って
高井忍『蜃気楼の王国』所有の某所に寄って「蒙古帝の碑」を再読
前にスレで話題になった時に書店でざっと立ち読みした際は
捏造ワロタの印象しか残らなかったが、あらためて再読すると
かなり興味深い内容なのに気付き、半分ほどコピーさせてもらった
21C版『成吉思汗の秘密』と言っていい内容だと思う
wiki作りも飽きたんで、個人的にはしばらくこっちを検討したい (>>461ちょっと追記)
「邪馬台国はどこですか?」再読して気付いたけど
これ、高木彬光『邪馬台国の秘密』のパロディだわ
発表当時に誰か指摘した人いたんだろうか?
(具体的には以下3点が同じ)
・魏志倭人伝の読み下し文ズラズラ並べてスタート
・倭人伝内の方位方角は現代と違う(ズレてる)説
・2つある奴国は一周ぐるっと回って戻ってきた解釈
『秘密』は方位が黄道修正説でトンデモ化したから(※)
「どこですか?」も狙って超トンデモ方位を出したのか あ、>>463は最後の一行が抜けてた
↓
(※)今出てる『秘密』は黄道修正説を全削除した「改稿新版」 「蒙古帝の碑」だけど、これ間違ってるわ
↓
「嘉永三年(一八五〇)年、永楽舎一水『義経蝦夷勲功記』を著す。」
(『蜃気楼の王国』単行本P136.L10)
↑
嘉永3年出版と言われてるのは同じ永楽舎の『義経蝦夷軍談』で
義経がジンギスカンになるらしいけど震災で燃えて現存してない
『(義経)蝦夷勲功記』の方は序に嘉永6年(1853)と明記してて
ネット(国会図書館デジタルコレクション他)で全文読めるけど
ジンギスカンやら全く出てこない、蝦夷を平定しただけで終わり
(蝦夷平定だけなら先行書がいくつもあって独創性は別に無い)
『蜃気楼の王国』は去年12月に文庫化されてるけど直したのかな ↑(>>465)の該当箇所
http://dl1.getuploader.com/g/gikei/6/136.jpg
以下、永楽舎一水『義経蝦夷軍談』(嘉永3/1850)に関するソース
義経=ジンギスカン説 - Wikipedia
1.16 江戸期の小説など
通俗小説の世界では、嘉永3年(1850年)に、永楽舎一水の『義経蝦夷談』に義経がジンギスカンになったとする話がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC#.E6.B1.9F.E6.88.B8.E6.9C.9F.E3.81.AE.E5.B0.8F.E8.AA.AC.E3.81.AA.E3.81.A9
「通俗小説の世界では、嘉永三年(一八五〇年)の序を有する永楽舎一水の『義経蝦夷軍談』に、ジンギスカンになったとする話がある。」
(H・V・シーボルト『小シーボルト蝦夷見聞記』1996/平凡社・東洋文庫597、「訳注」、P136.L11-12)
http://dl1.getuploader.com/g/gikei/7/173.jpg
「通俗小説の世界では、シーボルトとほぼ同時期の嘉永3年(1850)に至って、小川一水(永楽舎)は自著『義経蝦夷軍談』で義経がジンギスカンになったと書いている(島津久基『義経伝説と文学』)。」
(ASIOS『謎解き超常現象III』2012/彩図社、「第6章/33.源義経=ジンギスカン説の真実」、P196.L23-24)
http://dl1.getuploader.com/g/gikei/8/196.jpg 義経=ジンギスカン説のウィキペディアはシーボルトの章を中心に
『小シーボルト蝦夷見聞記』の訳注から大量に転載引用してるけど
「義経蝦夷談」の様な誤記(正しくは「義経蝦夷軍談」)も多いのな
転載元を明記してないのも問題だけど、まず誤記をどうにかしてほしいわ そういえばASIOSは森村宗冬を批判して
吉雄忠次郎が義経=ジンギスカン説を最初に唱えたのは
充分に在り得る話じゃないの?といった指摘してるけど
義経=ジンギスカン説は吉雄や永楽舎よりもっと前から
誰が思いついても不思議は無かったんじゃないかと思う
それを示すソースにちょっと前に気付いたけどまた後日 ・・・おい、それよりもよ。
ヤマタイ国はエジプトだった!とか、聖徳太子は4人いた。とか、日本列島
はムー大陸だった。なんて、お話をしよーぜ。
「 ○○と××とは=同一人物 」なんてお話は、江戸時代からあるけど。
例えば、松尾芭蕉=水戸黄門は同一人物だった。本当に諸国漫遊をしていた
とか、服部半蔵=千の利休は同一人物だった。とか、ベッキーと卑弥呼は
同一人物だった。とか、キミと俺とは同一人物だったとか。 >>465
文庫本、手元にあるよ。
「嘉永六年(一八五三)年、永楽舎一水『義経蝦夷勲功記』を著す。」
あちゃ。内容じゃなくて、題名に合わせて年の方を修正しちゃったかー。
「孫引きに決まっているではないか」by北斎(馬琴の本について)
きっと↑でそのまま書いちゃったんだね。
同じ作者の他の短編でトンデモ歴史家大戦をやったことあるが(八切×キムタカ×小谷部!)
参考文献に挙がっていたのは長山靖生や原田実の本ばかりで当人たちの著作はなかったし。
たぶん直接は読んでないな。 >>468
ASIOSって何かと思ったら
謎解き超常現象か。
義経=ジンギスカン説もあつかっていたんだね。
最初に誰が考えついたのかと考えると
証拠はないからフィクションとしてしか通用しそうにないけれども
薩摩藩主の島津重豪あたりがいいだしっぺじゃないかとオレは疑っている。
世界史の知識がないことにはまず思いつかない説だし
源頼朝の落胤から島津家が出たと自称していて
支配下に置いていた琉球の為朝伝説を参考にしたとも考えられる。
シーボルトは源為朝の子孫=琉球王も詳しく紹介しているものね。
おまけにシーボルトどころか、
シーボルトのネタ元のティチング先輩とも大の仲良し。国内情報を渡しまくり。
こんな人は他にいないよ。 >>470
おー、わざわざ確認ありがとう
斜め上の修正やっててワロタ
高井先生、何やってんすかw
高井はキムタカ登場作も書いてるとどっかで見たことあったけど
八切や小谷部とトンデモ歴史家大戦って何ぞそれ、面白すぐるw >>471
ASIOSは原田実もいるからジンギスカン説まで扱ったんだろうね
ジンギスカン説の項を書いたのはメンバー中の藤野七穂って人だな
ASIOS - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ASIOS
島津重豪って蘭癖で藩の財政を傾けたあの人か
シーボルトやティチングとの関係とか初めて知ったわ
誰がシーボルトに義経ジンギスカン吹き込んだのか、容疑者が色々いるなw
島津重豪 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E9%87%8D%E8%B1%AA あと、一人二役その他の奇説珍説は色々読んだことはあるけど
これは面白いとかオススメとかなると、うーん
藤本泉(推理作家)の「源氏物語の作者は紫式部じゃなかった!説」
(著作は『源氏物語99の謎』その他)
まあ言われてみれば確かにそうかなという感じだったし
学者さんも敢えてそこには触れないことにしてるらしいし
「楊貴妃は殺されず日本に亡命したんだよ!説」
説の詳細は和久峻三『楊貴妃幻想殺人旅行』これ一冊で十分
意外と面白いとは思うけど、今更追求しようも無いのが難点
「大塩平八郎は死なずに天草から大陸に逃げ延びたんだよ!説」
これ話がやたら具体的だから戦前に天草で現地調査やってるんだな
だいぶ前にネットで読んだけど結局該当者見当たらずで終わってた
フランス鉄仮面は有名だけどロシアも似たような話があって面白い
桐生操「亡き皇帝に生き写しの男」
https://books.google.co.jp/books?id=ZQ8OkqbPR9kC&pg=PT15&lpg=PT15&dq=%E4%BA%A1%E3%81%8D%E7%9A%87%E5%B8%9D%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E5%86%99%E3%81%97%E3%81%AE%E7%94%B7 あとは写楽別人説(一人二役説)とか
高橋克彦『写楽殺人事件』
渡辺保『東洲斎写楽』
明石散人『東洲斎写楽はもういない』
島田荘司『写楽 閉じた国の幻』
↑
これらは浮世絵自体にほとんど興味や知識が無い俺でも楽しく読めた本
高橋は確か乱歩賞受賞作、秋田蘭画とか知られざる江戸期地方文化の話が面白かった
渡辺は説そのものより江戸の町を彷徨いあれこれ探し歩く感じが読み物として面白い
明石は博覧強記&物量大作戦で写楽の正体探し(別人説)を実質終わらせてる
島田は明石以降に敢えて挑んだ最大最後の一人二役説、もちろん超トンデモw 「シベリア・ヤクート死の谷の大鍋」
これはまあ義経も遺跡ある(ことになってる)シベリアつながりということでw
この話の日本での初出は並木伸一郎『謎の怪事件ファイルX 海外篇』
この本、並木先生だし他の事件は全然覚えてないアレな内容だけど
ヤクート大鍋案件だけはスゴかった、忘れられんw
シベリア奥地に眠る奇怪な超科学の謎物件をナントカ教授の詳細現地レポで淡々延々と紹介
こんだけ具体的なら誰かもっと調べるだろ、なんか続報無いのかよと長年思ってたけど
実際やってたんだな、取り上げてくれてありがとうオカクロw
↓
ヤクート死の谷の謎―永久凍土に眠る大鍋
http://okakuro.org/yakutia/ >>457を加筆訂正してみた、「概説」としては文量的にこれが限界かな
義経=成吉思汗説(義経=チンギス・ハーン説)
義経=成吉思汗(ジンギスカン)説または義経=チンギス・ハーン説とは、日本中世の武将・源義経(1159-1189?)とモンゴル帝国の創始者チンギス・カン(1162?-1227)の二人が、実は同一人物だったとみなす歴史上の異説(奇説・珍説)。
[概説]
主に江戸期を通じて成立した義経生存伝説(北行伝説及び入夷伝説/蝦夷渡海伝説、いわゆる「義経伝説」の一種)の変型・発展型として幕末頃に登場した。
国内で記録された義経生存伝説が、鎖国下でも貿易関係にあったオランダを通じて海外に紹介され、それが義経=チンギス・ハーン説として発展し明治期に逆輸入されるという特殊な経過を辿っている。
海外での初出はオランダで出版されたシーボルト著『日本』内での記述(1852/嘉永5)で、説自体の単著としては末松謙澄が「K.SUYEMATZ」名で1879(明治12)年にイギリスで出版した論文。
明治以後、昭和期までに近代日本の大陸(満蒙)進出政策とも連動する形で広く認知され、現在でも一部で根強く主張され続けている一方、モンゴル始め諸外国では基本的に認知されていない。
国内でもアカデミズム(近代史学)からは一貫して否定されてきたが、話のスケールの大きさから一種の大衆向けロマンとして受け入れられやすい傾向があり、
また第ニ次大戦の敗戦で植民地としての満蒙を失って以降は、一人二役トリックや暗号ミステリ的な興味に特化した形で歴史推理小説の分野でも定着している。
この説を主張した代表的著作(ベストセラー)としては、末松謙澄・原著,内田弥八・訳『義経再興記』(1885/明治18)、小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』(1924/大正13)、高木彬光『成吉思汗の秘密』(1958/昭和33)などが挙げられる。
一方、これらの著作で論拠とされた文献に対する本格的な史料批判は、第二次大戦中に自費出版された岩崎克己の大著『義経入夷渡満説書誌』(1943/昭和18)で多くは完了しており、その主な内容は森村宗冬『義経伝説と日本人』(2005)でも知ることができる。
なおこの説は明らかな偽書が論拠とされやすく政治色も付きまといがちであったため、現代では偽史・偽書「や対外政策・意識に関わる研究対象としてアカデミズム(歴史学や社会学)で取り上げられることも多い。 高井忍「蒙古帝の碑」について
蒙古帝の碑でググると、東北にある蒙古の碑が出てくる
燕沢碑は偽作説があって面白い、同じ東北の碑石だと蛇田道公古墳や多賀城碑も後世の捏造説があるね
この辺が「蒙古帝の碑」の発想元なんじゃないかなと思う
蒙古帝の碑 - Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%92%99%E5%8F%A4%E5%B8%9D%E3%81%AE%E7%A2%91
燕沢碑 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%95%E6%B2%A2%E7%A2%91 >>457
>>477
お疲れさま。
幕末になってから初めて出てきた説だということと
外国からの逆輸入で広まったという点は重要だよね。
もちろん従来の義経北行伝説や清祖説の発展なんだけど
ジンギスカン説はちょっと異質といおうか、
突然変異でいきなり出てきたみたいな感じ。 この説の弱点といおうかツッコミどころは
義経とジンギスカンを直接結び付ける証拠はないから
源平合戦やその後の権力争いで死んだことになっているけれども疑いの余地がある武将は
誰でもジンギスカンの前半生だったことに仕立ててしまえるし
逆に義経が死んでから表舞台に出てきた人間なら
誰でも義経の後半生にこじつけられてしまえること。 >>480
ですね。
だから、歴史の定説にはなり得ないし、逆に異説として残るんでしょうね。 万が一、義経=チンギスハンだとして、世界史上同じような例ってあるのかな?
一人二役が共に有名人というか英雄で、かつ違う国の民族っていうパターンは。 義経が平泉から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった
信長が本能寺から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった
明智光秀が山崎の合戦で敗走し大陸に渡りジンギスカンになった
豊臣秀頼が大阪城から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった
天草四郎が原城から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった
安徳天皇が船でそのまま大陸に渡りジンギスカンになった
坂本龍馬が近江屋から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった
西郷隆盛が城山から脱出して大陸に渡りジンギスカンになった 杉目小太郎とか杉目太郎が義経の身代わりと言う説は
どうなんだろう? 源氏の血を引く人のY染色体と、チンギスの血を引く人のY染色体の、
DNA鑑定をやれば、結論が出るだろうって。 >>478
間宮林蔵は大陸へ渡って
義経の史跡を本当に探していたらしいから
それが元ネタなんじゃない。 >>482
マルコポーロの東方見聞録の共同編集者ルスティケロと
エドワード1世の廷臣であったルスティケロは同一人物という説がある
アーサー王や円卓の騎士、聖杯伝説を著した人物
この辺は憶測になるが、エドワード1世の命で獄中に潜入したのかも 『成吉思汗の秘密』を改めて読んだが
こいつは推理小説としてもねーよ。
なんで傑作あつかいされているんだ? むしろケッサク。
都合の悪いことは文献が信用できないといって押し切っているだけだし
義経が大陸へ渡ったのも、ジンギスカンになったのも、
証拠は何もなくても百パーセント有り得ないとはいえない!で事実認定している。
いや、それは悪魔の証明だろ。推理にも何にもなってないだろ。
清の皇帝一族がうやむやのままジンギスカンの子孫になっていたり
モンゴルに巴御前みたいな女豪傑がいたことまで
ジンギスカンが日本人だったからだと説明されていたりして
ツッコミどころが多すぎる。
小説で書くんだったら、隆慶一郎の『影武者徳川家康』(徳川家康別人説)や
宇月原晴明の『黎明に叛くもの』(松永久秀イスラム説)みたいに
トンデモ設定の歴史小説の形で書いた方がよかったんじゃないか。 >>486
いくらDNA鑑定をやっても、チンギスハンは義経ではないという証明はできない。
両方の末裔は滅んでいるから、確かにY染色体を受け継いでいるという確証が持てない。
もし、それらしき人物が見つかったとして、どちらもD系統でYAP遺伝子を持っていたら、説はかなり濃厚にはなるが。 >>485
あれ、墓の実在やら話が出来過ぎてるし
いかにも後世の創作としか思えないわ 「源義経=チンギス・ハーン説」の真相は?現代の医師が解説|AERA dot. (アエラドット)
https://dot.asahi.com/dot/2017103100068.html
https://dot.asahi.com/dot/2017103100068.html?page=2
いずれの研究でもこのY染色体は、日本人には全く見られない。この事実から、同時代の軍事的天才だった九郎判官、源義経が平泉を脱出し蝦夷から大陸に渡り、チンギス・ハーンになったという伝説は否定できる。 >>493-494
あーあ、結論出ちゃった。
次はジンギスカンの子孫が本当にヌルハチだったかを
検証しないとな。 源義経がチンギス・ハーンになったことより
源義経の子孫からヌルハチが出たことより
チンギス・ハーンの子孫からヌルハチが出たことになっている点について
中国人に聞いてみたい。 >>498
これか、第一話が読めるな
↓
【新連載】『ショート黒松』の新鋭・瀬下猛が描く一大叙事詩。一人の漢が世界を駆け回るスペクタクル新連載『ハーン 草と鉄と羊』、今週のモーニングにて堂々開幕!
http://morning.moae.jp/news/4081
ハーン 草と鉄と羊_瀬下猛
http://www.moae.jp/comic/khan?_ga=2.102213378.204672533.1514602671 >>500
連載第2回(2018年04-05合併号)と第3回(06合併号)も読めるよ
http://manga-town.net/z/34/
もうジャムカと盟友になってる
10回くらいで終わりそうな速さ 『人生はリベンジマッチ』
↑
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Rock54: Caution(BBR-MD5:fc5433912aa55592f73f2dda4d43bdf8) やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい(現在スレが荒されてますので、テンプレと87の連絡先さえ確認して頂ければokです)
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/1-87 wikiでたまたま義経伝説の記事見つけたけど
少なくとも北東北沿岸にのこると言われる義経伝説・伝承地は
戦後なってから作家や郷土史家達が創作したフィクションが多数混在してる
遺物も義経とは無関係な物をわざわざ関連付けした物があるから注意ね
古文書も江戸時代どころか
古びた紙に昭和になって字が上手い人に書かせた物が混在してるはず
知人が義経北行伝説を広める運動をやってたのを見聞きしてたけど
歳で死んじゃったし>>494のDNA鑑定の結果もでてきたから
wiki使ったことないからここに書いとくわ
信じるか信じないかはあなた次第だけど 元寇は高句麗渡来系比企氏の北条家への復讐陰謀説はどうなの?
フビライは日本とは友好を結ぼうと2回も国書を送っているんだろ
それを、比企氏が再三、攻め滅ぼすべきだと説得した どうなの?って言われても
それ電脳ナントカの人の主張だし
その人、極右とか国粋主義みたいな人だしね 512です
亡くなった義経北行伝説を研究していた知人から
生前に譲られた物を整理したけど
よくよく見ると素人が見ても絶対ありえない内容の資料がいっぱいあった
岩手県内から北海道に続く義経伝承の地があるけど
どう見ても意図して手が加えられた痕跡が残ってる
解りやすい例は 明治時代に新しく創建された村社に
義経が立ち寄っていたり遺品を残したことになってる所がいくつもある
あと直接氏子から聞いた話では神社が本で紹介されるまで
氏子自身が神社と義経伝説と関連があるとは知らなかったとか
知人は作家や郷土史家とも親交があって資料の提供をしてたけど
渡した資料その物の信ぴょう性がかなり低い物だったかも
知人とは地縁で知り合った間柄で
知人からもらった物には興味が薄くてよく見てなかったけど
遺品とは言え処分したらいいのか困りますね 日本人が好きな日本の歴史上の時代
http://honkawa2.sak ura.ne.jp/3998.html
>昭和(戦後)がトップであるが前回より率は大きく低下。
>見直しブームを反映し江戸時代が2位に上昇。
年代別の藩校及び教科目の設置数
http://honkawa2.sak ura.ne.jp/3998a.html
>江戸時代、藩政改革とともに設置数が多くなった藩校。
>科目も初期の儒学から洋学など多様化。
戦後、日本の社会に大きな影響を与えた出来事
http://honkawa2.sak ura.ne.jp/2640.html
>3つまでの複数回答結果の上位は@東日本大震災・福島第一原発事故(55%)、
>Aバブル経済とその崩壊(41%)、B高度経済成長(40%)の順 吉成りて汗を思う
祖は清和源氏なり、よって国号を「清」とす。
義経=チンギス・ハーン説が昭和に流布した理由が
八紘一宇、大東亜共栄圏思想と相まって日本がアジアを支配する根拠付けのための国策だった
という説があって非常に萎えたなあ
いかにもありそうだし当時の日本人ならやりそうだもの 日本の宣伝担当が外交上ヨーロッパに日本を知ってもらうために出版した創作話が元ネタ。
さまざまな理由で、海外ではあまりいい顔されないので自粛するように。 ビザ無しで渡航できる時代にせよ、文明の利器無しで個人で赴くには遠すぎるよね 北朝鮮の木船がたくさん流れ着いているから不可能じゃないと思うけど。
むしろ今よりも漁師らの腕や勘は確かだったかも知れない。 判官贔屓というぐらい義経はちっちゃかった。
義経はどこに行ったのか、義経が生きてたらどうしても放っとけないと思うのだが、白鵬とかでかいんだよね。 何もないのに無理矢理にこじつけるのやめてほしかった。ロマンでもなんでもなく果てしなく無駄な時間を過ごしたと後悔が酷い。 源義経も京では女性にモテモテで壇ノ浦の戦いの後で
平時忠の娘を妻にしたとか安徳天皇の母建礼門院に言い
寄って手籠めにしたという話があるから、チンギス・ハン
とは女好きで敵方の姫や妃を籠絡するところが共通してい
るというぐらいか。きっと別人だろうな。 >>526
建礼門院と源義経の関係は頼山陽の小説、
壇ノ浦夜合戦記がソースだろ? 幸福の科学の教祖大川隆法によると
中国の習近平国家主席はチンギス・ハンの生まれ変わりらしい。
そのチンギス・ハンはアッシリア王ティグラト・ピレセル3世
の生まれ変わりだそうだ。大川氏が何を言わんとしているのかは
大体想像がつく。 NHK ダークサイドミステリー[終]
▽“怪しい歴史”禁断の魔力 あなたもだまされる!? あなたは信じてませんか?幕末夢のオールスター集合写真!?源義経は大陸に渡りチンギス・ハンに!?東北に幻の古代王朝が実在!?怪しい歴史を徹底検証!謎の真相に迫る。
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&ch=10&date=2019-10-01&eid=02708
https://megalodon.jp/2019-0928-1515-31/https://www4.nhk.or.jp:443/darkside/ _-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
>ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_| 〜 プーン
了| "~`、 "~"` {,',; ;} 。 |;;;;;;;;;;ノ∪ ^ ,,, ^ヽ 〜
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6∪ ー─◎─◎ ) 〜
'| / レリ* |ノ (∵∴ ( o o)∴) 〜
+ i ( }ィ' |∪< ∵∵ 3 ∵ノ
` ー--- /|` + \ ⌒ ノ
ヽ  ̄ / |__ \_____/
平敦盛 源義経
今日けふは九郎大夫判官義経、先陣に供奉ぐぶす。これは木曽などには似ず、
もつてのほかに京慣れたりしかども、平家の中の選えり屑よりもなほ劣れり。
面長くして身短く、色白くして、歯出たり
平家物語より 白鵬がチンギス・ハーンの子孫であるって言う話は聞いていたが
その白鵬が去年、遺伝子検査を受けた時に「日本人、アイヌや沖縄人に多い遺伝子の持ち主」だと判明したそうな
義経=ハーン説はトンデモだろうが、日本人がモンゴルに渡り日本人の遺伝子を持つモンゴル人がいても不思議ではないと思うがな
逆に日本人だけど先祖を遡ればモンゴル人とかな
そういや義経も非力なチビだったようだが、同じく小柄でガリヒョロだった白鵬が日本で158キロの大横綱になったのを見ると
案外チビガリ義経がモンゴル帝国を築くってのもありえたのではw 源義経は、チンギスハーンにはなっていないけれど、平泉藤原世界最強軍団はモンゴルに渡って、チンギスハーン軍団と併合してしまった。
だから、藤原軍団が開発した軍馬を斜対歩を側対歩に調教する方法を会得して世界征服を成し遂げた。 この説って、こんなこという人は日本人として恥ずかしい////これ違いますよ〜///誤解しないで〜///みたいなのばかりネットで見るなw
俺は胡散臭せーオカルトみたいな話を聴いて気持ちよくなりたいんだよ! 大多数の日本人が骨董無形な与太話扱いしかしてないし
チンギスみたいな侵略しまくって虐殺しまくった屑と義経を同一人物扱いすんなよ
義経アンチが義経を卑しめる為にやってるようにしか思えなくて不快だ >>540
「源義経=ジンギスカン説の謎に迫る」
文・取材/原遥平
(P82〜85)
https://i.imgur.com/Rq9wPDp.jpg 源氏は北魏太武帝の始祖から分かれた氏族
ハーンは北魏太武帝の始祖が名乗っていた君主号
鮮卑が元祖 >>542
源氏は清和天皇の六男である貞純親王の子供(清和天皇の孫)が臣籍降下されて源経基になったのが始まりだし
でたらめな嘘ついてんじゃねえよ。 10年以上前に平泉から岩手の海岸沿いに義経の足跡をたどるツアーにいったこたがあるんだが
義経が残したといわれる遺品がどう見ても新しすぎたな
小説の伏線や都市伝説てきな流れならフィクションとして楽しめたが
誰かが無理矢理史実らしく作ってるのが見え見えで途中から飽きてきた
釜石で食べた海鮮ラーメンが美味かったのが救いではあった もう話してもいい時代かもしれないが、義経が立ち寄った地の殆どには、タコ部屋や大陸から連れてこられた強制労働者の集落や軍事基地があったと土地の古老から聞いたな。
ざっくり調べたら、世界遺産に登録された釜石橋野鉱山や宮古田老のような戦争前からの鉱山や製鉄所が数多くあって、近くの神社には義経が立ち寄った伝説が残っている。
大陸に思いを寄せる強制労働者や人身売買された人々ような社会的弱者のより所となって創作されたのかもしれないし、国威発揚の名残がその地に残って伝説と化したのかもしれん。
当然それ以前から義経チンギス・ハン説はあったわけだが、アイヌの地に義経伝説が残っていたりと、時代が代わるにつれて色んな人々によって語りつがれたんだろうな。 >>22
あれも年代は合うんだっけ
そもそも説の出典はどこよ? 512です
亡くなった郷土史家からあずかった義経北行伝説の資料を捨てきれずにいるけど
一部を整理してわかったこと書いとくね
一つは、ネットのチンギスハンの物と言われる笹リンドウの紋を
東洋史を研究している方に見せたら「蓮の花」をデザインしたもので
笹竜胆の可能性はまずないとのこと
蓮の花を上下逆にしてるから笹竜胆らしくみえるだけ
シルクロード周辺や東アジアの多くの民族の間で広く使われている伝統模様で
ラーメンの丼の模様のようなものだそうです
「蓮花 文様 デザイン」でググるとアリババとかで似たのが出てくる
それと岩手青森方面に行ったついでに義経伝説のある集落の人達に聞いたけど
鎌倉時代に義経が立ち寄った家系は
実際は戦国時代の落人や戊辰戦争で修験者の変装して逃げてきた人達?らしい
とそっと話してくれました
家の構えが大きくてもお墓の初代が幕末だったり新しいものばかりだそうです
もっと夢がある話だと思っていたけど実際はこんな物なんだね… 自分の近所では昭和やバブル時代に建てられた寺社が廃墟になって、
台風で屋根が飛んだり、風紀が乱れて問題になっているし、
中世や江戸時代の廃寺や神社跡の遺跡が、いくつも発掘されている。
ドラマの舞台の鎌倉周辺でも鎌倉時代から残る寺はごく一部と言う。
神社も寺も庇護者が没落したり、地域が衰退して維持できなくなれば、
半世紀も持たずに廃れる。
平泉の名刹は別として、東北から北海道まで800年以上も
旧家や神社が都合よくルート上に現存しているとは考えられない。
言うまでもなく後世の作為だろう。 ユダヤ人埴輪でトンデモ古代史をリードする田中英道東北大学名誉教授、
最近は何をやってんのかと思ったら、
源義経=ジンギス・カン説に手をだしていたのか・・・
https://www.youtube.com/watch?v=wUUWX2HCBLY
小谷部全一郎も日ユ同祖論の信奉者だったし
原点回帰といえなくもない。
この手のトンデモは根っこで繋がっているんだろうな。 >>555
ゆかりの地に訪ねてずうーーっと不思議だったのは
義経ゆかりの神社の近くに
殆どに日〇財団とか笹〇平和財団系のレジャーや研究施設があるんですよ。
三陸海岸から北海度の積丹町までずっとね。
内陸部の遠野市、十和田市にまで笹〇傘下のB&G海洋センターと言うのがあって
不思議で不思議でしょうがなかったなぁ。
昔の笹〇会長とかは神社庁系とは切っても切れない縁のはず。
日ユ同祖論を検索すると笹〇氏とか財団の名がでてくる。
昭和には瀬戸内の源平合戦の研究者を支援してたとある。
これは単なる偶然なんだろうかね…。
ちょっと気になったのでレスしてみました。 ニュースプラス板の
全国のバブル期に建てられ巨大観音像が老朽化して
住民の負の遺産になっているという記事でここを思い出した。
松尾芭蕉が見た金色堂は
伊達家の保護下で廃墟寸前でやっと残っていた。
なのに義経北行に出てくる小さな神社が
村の氏子の管理で800年以上
平泉から蝦夷地まで残っていると言うのは無理があるな。
北行は近世に創作で間違い無い。 バグダードの戦い、あるいは「バグダッド包囲戦」
1258年にチンギス・ハーンの孫にあたるフレグ率いるモンゴル帝国と当時世界で最も栄華を誇っていたと
言われるイスラム帝国アッバース朝との間に起こった包囲戦である。
モンゴル軍によって攻略されたバグダードは徹底的に破壊され、市内に存在していた知恵の館や数々の図書館に
収蔵されていた何十万冊もの大量の学術書はモンゴル軍によって燃やされるか、または、川に捨てられた。
これによってメソポタミア文明ならびにイスラム文明が築いた多くの文化遺産が地上から消失した。
ムハンマドによるイスラム開教(610年)から連綿と続いていた「カリフ」の系統も殺されて途絶え、市民は皆殺しにされ、
その後数世紀間にわたって当地は無人の廃墟となった。
多くの歴史的記述がモンゴル軍の残虐行為を詳述している。
バグダードの市民は逃げようとしたがモンゴル軍に捕らえられ、子供から老人に至るまでことごとく虐殺された。
14世紀の歴史家ワッサーフは「死者は数十万人であった」と記述している。
ニューヨーカー誌のイアン・フレイザーは「20万人から100万人に及ぶ死者を計上した」と記している
1258年当時のイラクは現在のイラクとは違う。
農業は都市の運河によって数千年守られ、バグダードは世界一輝かしい知の中心地だった。
モンゴル軍によるバクダードの破壊はイスラム教に回復不可能な心理的な痛手を負わせた。
既にイスラム教は保守的になっていたが、このバグダードの蹂躙によって、イスラム教の知的開花は潰えてしまった。
アリストテレスとペリクレスのいるアテネが核兵器により消滅する様を想像してほしい。モンゴル軍がどれだけ
残虐であったか理解いただけよう。モンゴル軍は灌漑運河を徹底的に破壊した。
これと殺戮による過疎化とによってイラクはもはや再起不能の状態に陥り、衰退の一途を辿ることとなった。”
―――スティーブン・ダッチ(ウィスコンシン=グリーンベイ大学) ロシアまで源義経=チンギス・ハン説を検証しに行った人のブログによると
戦前に小谷部全一郎が源義経の墓と主張していた石碑が博物館に残ってて
写真ものってたんだが
読んでみると女真族のエスイクイ将軍と言う別人の石碑で「源義経」の墓とはどこにも書いてないってよ 古代で朝鮮半島南部を制圧
高句麗や唐を退けること出来りゃ、唐の没落以降更に領土を拡大し、
本物誕生前のモンゴル高原にも手を出せたかもなあ ネットが発達してここまで検証ができるようになると
義経ジンギスカン説や義経北行伝説って歴史の捏造のレベルだね
地球平面説と同様にYoutubeで削除になってもおかしくない あまり有名でないけど、
12世紀の文永の役前のに、モンゴルの樺太侵攻と言うのがあって、
モンゴル「元」が樺太から侵攻して、樺太や北海道のアイヌを征服しようとした。
仮にジンギスカンが源義経だったとしたら、
義経の子孫がアイヌをが征服したり虐殺しにきたことになるのに、
アイヌが義経を創造神オキクルミやハンガンカムイとして信仰するのは、
まず有りえないでしょう。
アイヌの義経信仰には作為しか感じない。 最近、救急車のサイレンを、頻繁に聴くようになった
://egg.5ch.net/test/read.cgi/119/1651730996/l50
>>555
その講演大学でやったんだろ
いくらなんでもやばくね? 源義経=チンギス・ハーン説て、ロマンと言うより、ネタでしょ。
村おこしのため、観光客の呼び込みのため、お金のために作られた歴史でしょう。
行政が建てた看板にも、伝説をさも史実のように書いたから、
信じちゃった人が続出したんでしょうね。
なんか義経がかわいそうだは。 義経と言うビッグネームが付くと儲かるから嘘でも生きててもらわないと困るんだろw 本当は義経とは別人の判官の職を持った人が滞在した言い伝えが
九郎判官源義経にすり替えられたと言う神社もあるな
なのであたかも義経が生きて逃げた軌跡のように見えると言うわけだ
何時の時代でも朝廷があるからには判官の職がいるのだから最もな話だな 義経がチンギスハンだったら元軍が和弓を使ってるはずだけど
実際はそんな事なかったし別人なのは明らか >>570
しかも元軍の鎧は騎馬戦に使いやすい革製だった
義経が身に着けていた日本式の鎧ではなかった 飛行機の墜落事故にあったはずの
ワグネルの創始者プリゴジンが生きていると伝説になっている ジンギスカンはウクライナに対して破壊と殺戮の限りを尽くし、
プーチンよりはるかに酷いことをしたことが史実に残っているわけだ。
義経=ジンギスカンであって欲しいと言う人の神経がわからない。 歴史上、最も衝撃的な残忍な復讐行為をした人物と言われてるチンギス・ハンと源義経が同一人物とはね… ラマ教寺院に残されたチンギス・ハーン像の写真
どうみてもコラージュだろ
そこまでして義経に似せたいのかよw やはり義経伝説は帝国政府や陸軍省が関与している説は農耕だろう
東北・北海道間で義経や弁慶の伝説が残る神社は明治政府が制定した”諸社”、
つまり府県社・郷社・村社は帝国政府の命令で県や町村によって建立された”明治時代以降の新しい神社”
ここですでに義経一行と明治政府が建立した神社が無関係であることが子供でもわかる
大陸進出の口実に源義経が征服した大陸を大日本帝国が統治して当然と言う世論を作りたかったのだろうな
陰で暗躍したのが陸軍省通訳官の小谷部全一郎だから、軍部が大きく関与したと言っても飛躍は無い 宮城の金成では
明治時代の文書に杉目太郎行信が義経の身代わりになった
と言う伝説が急に出てきて
源義経の胴塚より杉目太郎の墓のほうが立派に整備される
何のためにやったのか地元民でもよくわかっていない 弁慶「仁王立ちして、忠義示すか...」義経「すまんそいつ影武者なんやw 妻子おいて海渡ったろw」妻子「ファ!?」
嫌やろ?あとそんなことなったらまず藤原は、頼朝の性格的に拷問でもされてないと辻褄合わんやろ そういえば…藤原泰衡を裏切って主君泰衡の首を打ち取った河田次郎と言う家臣は、
首を届けた鎌倉で、源頼朝に自分の主君を打ち取った不忠義者とされ、その場で処刑されたんだってな。
平泉が滅んだ後、源義経が平泉で死んでないと、生きていると東北一円に流布し、反乱を起こした大河兼任と言う藤原の残党も打ち取られるし。
せっかく平泉滅亡後に義経・チンギスハン説より面白い歴史があったのに、全く注目されない気がする。 杉目太郎行信も弁慶のような架空の人物だな
奥州南部封域志や大木戸合戦記で義経伝説を創作するために作られた人物 死んだはずの義経が訪ねて来たと嘘っぱちで言ってしまった手前、引っ込みがつかなくなったのでは?