ところで奥州藤原氏の勢力圏ってどれくらいまであったんだ?
吾妻鏡によれば基衡が鷲の羽とアザラシの皮を贈ったとのことなので
北方と交易をしていたということはいえそうだが、それがシベリアや
モンゴルまで及んでいたかどうか気になる。

逃げるにしても北海道やシベリアの地理知識の有無、交易の結果としての
外国語知識、支援してもらうにも奥州藤原氏との友好関係があるかないか
といったことは逃亡の成功率に大きくかかわると思うのだが。