二十歳になったし俺の半生をまとめるわ。
書き溜めてないから遅くなる。
ゆっくりと書いていくわ。 とりあえず小学校から始める。
入学式に隣の席だった女の子を母さんが「かわいいね」って言ったことをきっかけに
好きになった。
このときなんで好きになったかわからんし、とりあえず母ちゃんがいうんだし可愛いんだろうと思って好きになったんだと思う。
ショートで黒髪(あたりまえだけど)純和風な子だった。
その後わかるんだけどすごい名家の生まれで家も大きかった。
とりあえず俺はこの子のことが6年間好きだった。 この女の子のことをとりあえず咲(仮名)としとくわ。
そして怖いおばはんが担任で恐怖だったことも覚えてる。
当時の俺は友達は少なく粘土やブロック、虫、動物が大好きだった。
たぶんこれの影響で今理系なんだと思う。
咲とはコミュ症だったにも関わらず仲良くなれた。
ずっと毎日咲と遊んでた。
このころから太り始める。
二年生にあがりTVゲームを覚える。
親が厳しくてゲームなんて買ってもらえなかったがゲームをたくさん持った友達ができたのがきっかけだった。
これがさらにデブに拍車をかけた。
この友達を太郎としよう。 太郎は完璧なデブでいじめの標的にもなってたが俺は太郎以外に友達が咲しかいなかったしとめるのも怖かったからスルー。
三年生になって咲に対して反動形成し始める。
会うたびに罵声を吐いて、太郎には悪口だって言った。
小学生だから仕方なかったと思うけど友達が太郎だけになる。
4年生に上がった時のクラス発表で俺の人生が変わる。 クラス発表は三クラスのそれぞれの担任が受け持ちの生徒の名前を読み上げその先生の前に列を作って並ぶことで分けられる。
この時おれはB組に呼ばれた。
Bの列に並ぶとたいして話したことがない奴に
「同じクラスやん」って話しかけられて肩を結構な力で殴られる。
こいつはチビって呼ぶ。ほかにもチビと仲いいゴリと893の子供が一緒になる。
太郎とはクラスは別々になった。
太郎は相変わらずいじめられていて、俺も相変わらずノータッチだったけど
遂におれもいじめられる。いじめてきたのはチビ、ゴリ、893の三人
理由はなかったともう。俺が思うに人間がある程度集まると集団意識を固めるために同じ目標に向かって頑張ろうとするんだと思う。
ちょうどいい目標がないとクラス全員でターゲットをいじめて集団意識を固めるんだと思う。
それからも太郎と俺の付き合いは続き、咲とは疎遠で太郎も俺のいじめを黙認していた。
俺と太郎の間にはいじめ問題にはお互い不干渉で行くという暗黙のルールがあったと思う。
俺のいじめはどんどんエスカレートしていった。
最初のころは鬼ごっこでエンドレス鬼をやらされたりと可愛いものだったがリンチにあったり道具箱で飼ってたダンゴ虫をつぶされたりした。
靴を隠される王道から筆箱に正露丸とプチトマトをつぶしたのをぶち込むというコアないじめまであった。
こんなことが常習的に続いて、おれは学校に行きたくなくなった。
でも親父が怖い人だったから一応毎日学校に行っていたけど遂に限界を迎える。
その日学校から帰ったら親の前でのどに包丁を立てて死のうとした。
かんがえられるか?小学生がのどに包丁をつきたてるんだぞ?
出血はひどかったけど傷が浅かったから助かった。
これをきかっけに教師がいじめ対策に動き出す。(ここまで担任はいじめ黙認)
今思えばあの時の包丁はいじめてたやつらに向けるべきだったのかもしれない。
ただ俺はそれまで反撃したことないし、考えすらもしなかった。 だれもいないっぽいけど書いてく、自己満足な内容でごめん。
ここから担任の努力もあっていじめはなくなる。
表向きには。
いじめの方法がより陰湿になって続いた。
俺ついに空手を始める。空手をやっていても当然雑魚だった。
いじめの実態を知っている師範は柔術、古武術、テコンドー、合気道、少林拳を教えてくれた。
大会や組手で買ったことないし、相変わらずチビたちには反撃できずにいた。
学校では絶対に泣かない俺は家で泣いて親父にいじめの相談をしたら親父が俺に顔もむけず寝転がったまま
「一回くらい殴っちまえよ。」
といった。
なんかわからんが親父に言われて「やらねば」と思った。
その日の夜は震えて眠れなかったのを覚えている。
次の日もいつも通りいじめられた。
この日は三人で俺を脱がして女子に見せつけるのが目的らしい。。
チビが寄ってきて腕をつかんだのでとっさに回し蹴りをした。
試合ではあんなに使えなかった通じなかった回し蹴りがチビを吹っ飛ばした。
自分でも驚いたけどこれで調子に乗って、893も上段蹴りで泣かせた。
でもゴリはそんなに甘くなかった。
がたいがよくて元から強いゴリに少し尻込みしてる間にチビと893が復活していつも通りぼこぼこにされた。
結果はいつもと変わらなかったけど気分はすごくよかったのを覚えてる。 その夜。おれと親父は呼び出されて学校に行った。
そこにはチビと893とゴリが親を連れてきていた。
どうやらチビがアバラにヒビを入れており893はこぶができてたらしい。
当然893父がカチキレ。居合わせた担任もとめるのに必死w
怖くて本当に漏らしそうになったのを覚えてる。
そこで親父もキレた。
担任に「あんたは虐めをずっと黙認してきたんだからこの場でも出てくる権利はない」みたいなことを親父が言った・
担任は「いじめは解決しました」って涙目w
親父が「そうか。ならいじめはもうないんだからあんたは帰れ」
って言って担任はすっこんだ。
893父は、ここぞとばかりに親父につかみかかったが親父が一蹴。
あとで友達の親に聞いたんだけど俺の親父は学生時代「南の犬」って言われる有名なヤンキーだったらしい・・・
親父は893父の上に馬乗りになって、「あんたの息子がしてきたことを棚に上げてよくここにこれたな。おかげでおれが直接あんたに手を出せる。」
って言ったら893息子が大泣きし始めて事態が収拾。全員解散になった。
この次の日からいじめはなくなったし、太郎もいじめられなくなった。 いじめはなくなってもあいかわらず友達は太郎だけ。
さらにいじめがなくなったことをきっかけにして親が離婚。
ずっと離婚しそうだったけど俺のいじめがなくなるまでは母がそばにいたかったらしく家を出ずにいてくれた。
母ちゃんを心配させたくなかったのもあって俺は5年生から社交的になろうときめた。
最初のころはわざとらしくてひどかったけど一年もすれば板について友達も増えた。
六年の時も友達とみんなで遊園地に行ったりして充実してた。
そして卒業旅行。これも近くの小さな遊園地。
卒業式になって数年ぶりにあの咲と話をする。
そこで初めて咲が知らない私立の中学に行くことを知る。
当時まだ咲のことが好きだったけど反動形成で「あっそ、じゃあね」って言ってしまった。
咲は泣きながら笑って「一年生の時からずっと好きだったんだよ」といった。
おれは何も言えなくてそこで咲と別れた。 オレも43だけど読んでるよ。
イジメってのはいつの時代にもあるんね。 ■世界の一人当りのGDPランキング
あぁ〜!!
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_GDP_(nominal)_per_capita
人口1億以上でランクインしてる国は日本とアメリカのみぃぃ〜!! 男女の恋愛における年齢ごとの力関係
10代後半 女>>>>>>>>>>男
20代前半 女>>>>>男
20代半ば 女>>男
20代後半 女=男
30代前半 男>>>>>女
30代半ば 男>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>女
一部の美男美女や不細工を除いてこんな感じ
女の価値は20代中盤から一気に下がり始め30歳を超えると暴落するからな
売り時を逃したり、見誤ると悲惨なことになる 終わったスレと判断して、唐突な自分語りをお許し下さい。
自分の両親は高校生の頃から付き合い、20で結婚し、長男、次男(年子で自分です)5才離れた弟が生まれた。
5人家族で、父は父方の祖父の経営している会社で働いていた。
当時はバブルで景気が良く、順調に回っていたらしい。
そんな中、兄と自分との間で、やはり年子で同性なので小さな頃から確執は合った
玩具の取り扱い、テレビのチャンネルの取り扱い、理不尽な暴力、そして父は学校や外面、表面の良い兄を叱る事はなく、無愛想で不器用で、勉強の出来ない自分を良く叱りつけられていた。
例えば、夕食時に父親が怖くて不器用な自分はよくコップを倒したり、小さな事でも怒鳴られて殴られ、恐怖からまたコップをこぼしてしまい、怒鳴られ、そんな幼少期だった。
自分の出来が悪い事は否定はしないが、あれは父親に怒られる、怒鳴られる、殴られる、という恐怖心からで、当たり前の事が出来ない、毎回怒られてしまう、怒られなければいけない、と同じ事を繰り返す暗示のような物だったと今なら思う。
弟は年が離れていた分、可愛いがわれていた
任天堂の最新ハードを発売日翌日に手にしてる弟に、誰に貰ったん?ってきくと父親だった。
自分も欲しいと父に言うと、自分で働いて買え、と言われる。
まだ小学生なのに。
中学に入ると若気の至りもあり、家庭内での不満もあり、どんどんDQN化してく自分、言われたことだけ真面目にやる兄、異常に甘やかされてわがままな弟、という構図になった。
兄はそのまま高校、専門とやりたいことに進んだ。
自分は、どうしようもない屑だ、そう自覚していた自分は高校を些細な理由で中退した。
父は笑って、お前に学生は無理だろ?やる前から知ってたよと声高に笑われた。
中退した翌日から数年前に祖父が亡くなり、父が世襲した会社に15才で働かされた。
自分的にも、興味が全く無かったわけではないが、会社での扱いは酷かった。
社員が来る前の早朝朝5時に出社し、トイレ掃除、事務所の掃除、そしてその日の仕事の手始めをしていた。
少しでも手を抜くと全社員の前で怒鳴り散らされ、手も出された。
社長の息子がだ。
子供の頃を知っている社員さん達にも、お父さん厳し過ぎるなと言われるレベルだった。 今だから思うが、現在ある程度生活の目処がたっているのはこの厳しい環境があったからだと思い、父には感謝している。
自分の同級生にも似たような環境(社長の息子)の奴らは何人かいたが、そいつら今だにふらついてる。
16才で父の知り合いの同業者へ転職させられ、武者修行。ただただ地道に働いた。
そこの上司は父の会社の経営が上手くいっている事や、上司奥さんの体調が悪く、ストレスが溜まっていたのでしょう。
自分に沢山の嫌みや嫌がらせ、体罰をされた。
例えば、毎日カニ食ってんだろ?
欲しい物があればすぐ親父が買い与えてくれるんだろ?
反論すればワンパン。
父の紹介してくれた方だったので、胃潰瘍になるまで我慢して働いた。
沢山ありすぎてここは省略します。
19まで頑張って働いたがついにキレて上司と取っ組み合いの喧嘩になって辞めた。
上司は辞めたいと伝えた時も、父の顔色を窺っていた。 自分はなんて無駄な時間を過ごしたのだろうか。
絶望のなかにいた。
父はその時に限って何も言わなかった。
好きにしろ。乞食やるなら地元から遠いところでやれ、恥ずかしいから。
それだけだった。
本当にやりたいことも無くてしまった。
そんな中地元の悪い先輩のつてで夜の世界に飛び込んだ。
寮付きだったのでバック一つ持ち、家を出た。
家族には工事の仕事と嘘を付いて、思い切り夜にどっぷりと浸かった。
仕事だけは、兄にて真面目に取り組める素質があったのが幸いし、真面目に働けば働くだけ、真面目な人間が少ない分、出世した。
いつか店を自分達で持ちたいね、なんて語り合う仲間も会社内で増えた。
そして仲間たちと独立を夜会社の社長に伝えた。
1人1人呼ばれ、鬼のような怒鳴り、体罰があった。
でも誰一人と挫けず、意志を貫いた。 警察の介入があり、丸く収まり新しくお店を仲間と始めた。
若くして出世していた奴らが集まっただけあって、始めからかなり成功していた。
前の社長の嫌がらせのせいで、両親に夜職をしていることががバレて、家に呼び出された。
憂鬱な気持ちを抑えながら、逃げてはいけないと思い実家へ帰った。
父、母からのとてつもない批判、
女働かせて何が楽しいのよ!?
女のオマンコ売って飯食うとか頭おかしいのか!?
等、特に母に非難された。
俺は今店を始めたばかりで、辞めるつもりはないと伝えると母は泣き父も黙った。
帰ろうと家から出た数メートルの所で父が追いかけて来た 母さんの手前、非難はしたがお前が本当にやりたいことなら、文句は言わない
ただ楽な道じゃない、明日川に土左衛門として浮かんでたっておかしくない世界だ
○○は知ってるか?○○は?○○は?と自分の夜の同業で有名な社長さん達の名前を、父がスラスラと上げた
俺も伊達に社長やってるわけじゃない、夜遊びならお前の10000倍遊んでる
だから言っている。
死ぬな、くだらん意地で人が死んでもおかしくない世の中なんだ。
って。
俺は泣くのを我慢して、ありがとう、絶対親不孝だけはしないと誓うと約束し父と別れた。 そして順調にいってたある年の9月、弟が自殺したと父から連絡があった。
あんなにごっつくておっかない親父が、泣きながら電話をしてきた。
首釣ったって、もう駄目かもってと泣きながら親父が、電話してきた。
急いで病院に向かうと、自分の到着が一番遅く、兄と母に遅い非難された。
父はただただ泣いていた。
弟はわがままだったが、憎めない可愛い奴で、贔屓されていたけど家族全員愛していた。
原因はイジメだった。 葬儀が終わり、復讐に燃えた自分は後半から後半へ、DQNの繋がりを頼りに主犯数名を拉致し、山へ連れて行き尋問した。
ここも法に触れるので省略。
半殺しにはしたけど、そのガキ共のしたこと、全て紙に書かせた。
次の日包帯塗れの面々がこぞって線香を上げにきた。
ガキ共は被害届も出さなかった。
やった事を考えれば当然だと思う。
その紙を父に見せた。
父は無表情で読み終わると、自分の行動を叱った。
本来子のけじめは親が取る物だ。
お前はお前の人生を生きろ。
馬鹿なこと考えるな。
だから自分の事を一番に考えろ。
だが、真相がお前のおかげで知れたありがとう。
と父は言った。
その紙は母も兄も見る前に、父が燃やしてしまった。 それから1ヶ月、弟の部屋でなにもせず過ごした。
会社を始めたばかりで大変だったはずなのに、仲間は何一つ文句を言っては来なかった。
逆に、ゆっくり休めと言われた。
死ぬまでこいつらとは友達でありたい。
そう心から思った。
そして社会復帰して2年後の9月、子供の頃からお世話になっていた父の部下から連絡があった。
父が意識不明の危篤で病院に運ばれた、という連絡だった。
また仕事をブン投げて病院へ走った。
電車に乗っていない時は全力フルダッシュで走った。 結局、間に合わなかった。
兄より早く着いたのに、最後に着いた兄には母は批判しなかった。
こういう状況で批判するのもおさしいと思っていたが、父の死、状況が理解出来ず、ただただ自分は泣いていた。
父の葬儀も終わり、会社は解散した。
父の部下の方達の再就職先も面倒をみたが、父の会社の評判は業界でも良くて、引く手あまたであまり困らなかった。
なんとか継いでくれないか?父の部下達に何人も何度も言われた。
でも自分には無理だ。
その業界から長い事離れていたし、父と同じ事が出来る自信もなかった。
この時兄に部下達から一言もそういった話は無かった。
後から聞いたが、根に持っているらしき。
やりたきゃやれば良かったのに。 残された3人で、遺産分割の話になった。
自分の仕事は上手く行っていたし、お金には余裕があった。
遺産は母が余生を過ごすだけのお金が入るなら、自分は一円もいらない。
そう伝えた。
自分の話をした後に兄も同じ事を言ったらしい。
それから数ヶ月後、母から実家とは別の場所に家を建てたと連絡があった。
二世帯で住んでいた父方の祖母一人を置いて、新しく新居。
そこで兄と住んでいると。
疑問はあったが、母と祖母は仲が良くなかったので納得した。
会社に通えない距離ではないし俺は実家に帰り、二世帯だけど祖母と暮らすようになった。 しばらくすると祖母からお金の無心をされるようになった。
何度も積み重なると額は大きくなり、
上手くいっていた会社もドンドン経営が悪くなった。
フェイク入れてるけど転載禁止でお願いします。
子供の頃、家庭内に居場所がなく祖母の家にいつも逃げていた自分からしたら、祖母の頼みは断れなかった。
母にこの状況を伝え、月いくらかでも祖母にお金を渡せないか相談に行った。 開口一番、こう言われた
私の老後はどうするのよ!?
頭が痛くなった。
正直カチンときた。
家族だから、同じようにするよ。
今の言葉、親父が聞いたらなんて言うかな。
母は何も言わず、その件は母から聞いてるはずなのに兄からも音沙汰なし。
もちろんお金のやりとりもなし。
そんなある日、休日(当時は平日休みだった)母と新居の登記簿を取りに車で送ってあげると、びっくり、なんと新居は兄の名義になっていた。
また頭が痛くなった。 おかしい状況になっている、そう伝えると母はでもでもだって
仕事から帰ってきた兄は開口一番、何しに来た?しか言わない。
お前に用事は今後一切ねーよ、それより一つ質問だ。
いつまでママンにパンツ洗って貰うつもり?それだけは知りたいね
そう言うと兄は黙って部屋に戻った。
居心地が悪く、なんの結論も出ないまま現在。 40過ぎのおっさんの独り言でした。
どうしてもモヤモヤ吐き出したくて、でもSNSにこの内容は無理だし。
言いたい事をまとめると
夜職で働いている女の子はシングルマザーだったり、なんなりで事情がある。
もちろんホストや男に貢ぎ狂いも中にはいるけど、少数派だし、それも個々に色々な事情があるからだ。
やりたくて風俗なんてやるはずないじゃん、きったないおっさんの相手すんだぜ?
立派な会社に勤めてる人も同じでしょ?
皆今の仕事やりたくてやってんの?
答えはノーだろ
中にはやりたい夢叶えた人もいるだろうけど、少数派どころか本当に一握り
それと遺産はちゃんと貰っとけ
兄弟いるなら尚更だ
守銭奴とか言われたら、権利放棄しろって迫るお前が守銭奴だろで相手は黙るよ。
貰う権利があるんだから。
失敗だらけの人生、でも願いが叶うなら、もう一度父に会いたい。
父を除くと母と兄弟、祖母、5人、社員200人雇って養ってたんだから。
親父は社員の家族入れたら400人だ!なんてふざけてたけど本当に今ならそう思う。
父の命日には必ず墓に花があるし、本当に慕われる人だったんだと実感する。
葬儀の際も、父の幼なじみに言われた言葉が忘れられない。
しゃんと胸を張れ、お前らはあの親父の息子だぞ
カッコイイ男だった、今悲しくても前を向いて歩いて行け
死ぬまでに親父に勝てる男になれるだろうか?
俺の人生の課題だ。
以上。
書き逃げ申し訳ない。
転載禁止でお願いします。 書き逃げとかいたが最後に一つ。
親父は生前、自分にたいして厳しくし過ぎたと、母に泣いていたらしい。
恨みなんて一つもないし、本当に父親として、男として尊敬してる。
歴史好きだけど、どんな大人物より自分は親父が一番すげぇと思う。
これで名無し戻ります。
質問にも答えません。
繰り返します。転載禁止です。 |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)これやるよ
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| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)今日こそフサぬるぽ
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\わ
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梅干 高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け \ |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)これやるよ
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梅干 高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け \ タラレバチャンピオンの是松智樹とは約8年の付き合いだったけど
自分の素を出せたのは最後の1年だけだったな
それまでは会社の上司と付き合ってるような感覚で、かなり無理をしていた
自分を押し殺してひたすら”いい子ちゃん”を演じていたし、「自分ではない自分」だったわ
まあ、あんな変わり者のコミュニケーション障害相手じゃそれぐらい無理しないとまともに友達(笑)なんて出来ないもんな
上下関係は異常に気にするわ器は小さいわじゃ、10以上も年下ともなれば意見や反論なんて受け入れたくないだろうよ
現に最後の方は正論で反論してやったらかなり根に持ってたようだしw
人に話や自分の言ったことを即忘れるような脳障害のくせに、そこだけはしっかり覚えてた辺りよっぽど悔しかったのだろうw
ヤツの十八番である「タラレバ言ってもしょうがねえよ!」に関して、いよいよ我慢できず爆発した時もさすがにショックだったのか相当根に持ってたしな
まあ、あんな無責任で自覚のない脳障害ともなれば、あれぐらいボコボコに言うぐらいがちょうどよかったけどな
俺が爆発した後、必死に俺の落ち度を探して”リベンジ”してこようとしてきたのにはチンケなプライドと悔しさが伝わってきて最高に爆笑したけどw
そんなウンコ野郎に7年も我慢して無理してた自分にもムカっ腹が立つけどな
それこそヤツの十八番である「タラレバ」じゃないが、過去に戻れるならあんなヤツ即縁切ったるわ 若宮のオカルト本買って恥かいてしまったバカwwwwwwwwwwww
指摘されたのが悔しかったんだろうなwwwwwwwwwwww (-。-)y-゚゚゚zzz… (*_*)y- アチ! □□□□□□□ □ □ □ □
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