昔飼っていたペットとの思い出について
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俺は小3の頃に泣く泣く引越しで置いてゆく事になった
愛犬(善太)と離れ離れになって、預けた親戚の家でその死に
立ち会ったときには泣いた。
俺は今、そいつの分まで生きていろだろうかと思うと、涙が出てくる。
小学2年生のときから2年間くらい飼ってたザリガニ。
失踪してから、もう15年くらいになるけど、今はどこにいるんだろうか? 昔、子供の頃飼ってた猫や犬などの名前をおしえてください?!。 こま…三毛猫 、しろ、くろ、ちょび・・いずれも「こま」の子、
いれも昭和30年代 3歳くらいの時か、おばあさん子だった私は、おばあさんと一緒にまだ小さなこまを
もらいに行ったかすかな記憶がある。帰り際楽しかったのか、60年近くたつのに、
おばあさんの懐に入ったこまを何回も身ながら帰ったような、かすかな記憶がある。
その後小学校、中学校と楽しみを与えてくれたが、昭和34年、中2の3月24日になく
なった。悲しくて裏の竹山に「こまの墓」をつくってあげた。おばあさんも高校
卒業した38年秋、菊の花咲く頃になくなった。 俺が幼稚園の頃、
幼稚園でドジョウを貰った。
なんだかよくわからんが俺はそれを妙に気に入って水槽で飼っていた。
なんとそのドジョウは確か、小3くらいまで生きたんだ
実に5年の歳月をともに過ごしたドジョウ・・・ある日水槽の掃除をしようと
家の駐車場で水槽の水を傾けたところ、ドジョウが地面に流れ落ちてしまった
焦った俺は流れ出たドジョウを追ったんだがドジョウ故につかめず・・・・
ドジョウは下水道の溝に・・・長い歳月共にしたわりに別れはあっけなかった。
もしあの時奴が下水道に流れなかったら何年くらい生きたのか気になって仕方ない。 金魚すくいで2匹とった
家の玄関で一匹落として死亡 さらにもう一匹台所の床に落として死亡
ごめん金魚 わざとじゃないんだ 油断しただけ 、、、、
ミ・д・ミ ほっしゅ ほっしゅ
"""" おばあちゃんの家で飼ってた犬(パグ♂)が私が近付くとチンコ剥けてた ↑
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( ´・ω・)∧∧ イイ話で泣けてきたお…
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"" "'゙''` '゙ ゙゚' ''' '' '' 子供の頃の俺はずっと犬を飼いたいって思ってた。弟と妹と一緒に出掛けてよくノラ犬を
つれた帰って親に怒られたもんです。散歩してる友達がすごくうらやましかった。
小6の時、兄弟3人分の一生のお願いを使って、親に犬を買ってもらった!
そいつは柴犬だったけど、なぜかジョンと命名されたんだ。
最初は喜んでた俺たちだったけど、所詮あきっぽい子供。テレビゲームやらに熱中して
、ジョンの楽しみである散歩もメンドクサイって思う様になっていった。
中学に入ってからは部活を理由にあんま散歩にも行かなくなっていったな。
弟や妹も同じで、しまいには反対してた親が主に散歩とかするようになった。
高校になってからはパチンコや、女の事ばっかり。大学は家を出てたので滅多にジョンに
は会う事もなくなっていった。
決して嫌いな訳ではない。すごく可愛い。天邪鬼で内弁慶なやつだが、基本的には甘えん坊
の弱虫。いるのが当然の様に毎日過ごしてたから、一緒に暮らすありがたみとかはなかった。
入社して実家に戻ってからは毎日7時に家を出て12時に帰宅。でも朝の見送りと帰りの出迎え
は毎日してくれた。ジョンが抱きついて来ても、スーツが汚れるからって俺は引き離してたけど、
そんな風景も日常のものにしか思ってなかった。
4年後結婚して家を出たんだけど、その頃には髭も白くなりジョンもだいぶ年をとってた。
この頃から俺は犬の寿命とか考えるようになったかな。それまでは何とも思わなかった
けど、実家を出て新婚生活するのに後ろ髪を引かれる様な思いだった
数ヵ月後、仕事中の俺の携帯に実家の母からジョンが死んだってメールが来た。
昼前だったけど、俺は仕事も手につかず早退して実家に向かった。
家に着くと座布団の上にピクリとも動かないジョンが寝ていた。冗談だろ?って
力が抜けた。いつもの様にチョッカイ出しても反撃してこない。隣で泣いてる母と
妹を見て実感がわいてきた俺は実家の自分の部屋にこもって色々思い出してきた。
生きているときに何でもっと構ってやれなかったのか・・・すごく後悔した。
次の日庭に埋める時は、ジョンの姿を自分の目で見るのはこれが最後なんだって
思うと涙が出てきた・・・
悲しい思い出だけど、命のはかなさや、生きている今を大事にするって事や、
生き物に対する思いやりなど、色々教わったようなきがします。
子供が出来たら犬でも飼ってあげようかな・・・とか思ったりする
なぜ犬でも…なんだ?ぜひ犬を飼いたい!なら分かるが…
また犬を不幸にするだけ!止めておけ! ベランダで買っていたザリがカラスにくわえられて
飛んでった。 他人の犬を虐めて凶暴化させた事
現在、その犬はどうなっているか知らない。
>>169
俺だって、ああなるとは思わなかった。
凶暴と言うか逆に臆病にもなっていた希ガス >>170
飼い主も凶暴化になった事に気が付いてなかったし。
まっ、いっか(^_^;)b うちの犬はチワワなのに猫に目ん玉引掻かれて大手術、コードかじって感電、階段から転がり落ち、タクシーにもひかれたのに16年生きました!最後の一年はボケが始まり徘徊、そして寝たきりになりましたが
最高に可愛く男前な犬でした。 最後の最後で枯らせた玉蜀黍
後、もうちょっとだったのになぁ〜
今思うと惜しいよ 家の犬はとても謙虚で頭いい。
俺が餌をあげても、決して食べない。俺が犬の視界から見えなくなったら食べ始める……
俺の学校にも度々脱走してはついていく。お母さんとスーパーに行った時もついてきた。
番犬としてもとてもハイレベル。
一緒に遊ぶとしっぽをふるアイツ。あれほどの犬はもう出会えない。
しかしそんなアイツ突然脱走をして帰って来ない。
俺はたぶん今年から隣の隣の町に行った姉貴のあとでも行ったのかと思う。
でも帰って来ないorz
しかし噂で家の犬がどこかで拾われて飼われてると聞いた。もしも飼われてるなら幸せになってもらいたい。
秋田は寒いから気を付けろよ。コタロー♂(犬の名前) 小学一年になりたての頃の話。
四月のある火曜日(日にちは忘れたが曜日はしっかり覚えてる)、朝。
庭掃除してた母親が何か拾ってきた。怪我をして飛べなくなった子コウモリだった。右の翼から血が出ていた。僕らはとりあえずそのコウモリに「コウ」と名付けて飼うことにした。
続く。長文スマソ その日学校で僕は朝の学活の時間を少し借りて、この事をクラスのみんなに話した。
動物好きな男の子が「子供ならばミルクあげなよ。」と言ってくれたり、「コウモリは暗い所が好きだよ。」と教えてくれる女の子もいた。
僕は子供ながら「コウのお陰で友達が増えた。」とコウに感謝した。 僕は近所の友達と一緒にコウをかなり可愛がった。
駄菓子屋にある偽コーラの空き容器に温い牛乳を入れて、簡易ほ乳瓶を作った。
コウが入った段ボール箱と、このほ乳瓶はいつでも持ち歩いていた。
夜はコウが死んでしまわないか心配でなかなか寝付けなかった。
そんな僕を見て父親が「木曜の夕方、知り合いにたのんで動物のお医者さんを連れてきてあげるよ。」と約束してくれた。
水曜日。
この日の夜コウちゃんが段ボール箱から姿を消した。
僕は泣きながら探した。結局コウは、段ボール箱付近の網戸上方にぶら下がってるだけであった。
これを見た母親が「仲間の所に行きたいのかもね」と言った。
僕は「元気になったら逃がしてやろう。」と心に決めた。
そして、木曜日の放課後。
「今日でコウとお別れだ。」と思い、最後に友達みんなにコウを見せようと段ボール箱を持って出かけた。 友達の家につくとみんなが庭でサッカーをしていた。
僕はコウの事は後で話そうと決め、サッカーをする事にした。
コウはなるだけ暗い所(物置の日陰)にかくまってもらった。
2、3時間くらいだろうか、日も暮れてきたのでサッカーをやめた。
僕はコウの箱を取りに行き、中からコウを手の平に乗せた……あれ?
コウが冷たい。コウが動かない。
僕は箱を抱えて、バイバイも言わず友達の家からはしって帰った。 家につくと母親が「どうしたの?真っ赤な目で。」と言った。
知らぬ内に僕は泣いていたのだ。
「コウが…コウが…。」その事実は悲しすぎて最後まで言えなかった。
コウは近所の空き地にある木の根本に埋めた。
「コウがこの木の栄養になるから」と母親は僕に言い聞かせていた。
それからほんの30分くらい後、獣医をつれた父親が帰ってきた。
「間に合わなかったか」獣医の呟きを聞いた瞬間、僕は大声で泣き出したのをよく覚えている。
金曜日。
また朝の学活の時間を借りた。
「火曜日拾ったコウモリが昨日死んでしまいました。」
もっとなにか言おうと思ったが声が震えだしてしまったので、一礼をして席に着いた。
また泣いた。
その後先生が僕を褒めるような事を言っていたらしいが、泣きじゃくっていてあまり覚えてはいない。
あれ以来、時折僕は、夜中飛び回るコウモリを見ては、コウの家族が居るんじゃないかと考える。 つい数年前まで鶏に似たやつを買っていた。庭に畑があるのでたまに野菜とか採ってやっていた
死因に関しては猫に虐殺されたorz 私が小1の頃、父の買い物に付いて行った帰りに地元ペットショップで子猫を見つけた。
私は気付かずに通り過ぎようとしたが父の視界にはチラッとその子猫が目に入った。
父は子猫を見るなり私に『この子買うぞ』と言った。父曰く、一目惚れだったらしい。
買った子猫は男の子でたちまち我が家の人気者になった。
末っ子の私は下の兄弟ができたみたいで凄く嬉しかった記憶がある。
その子はあまり首輪をしたがらない子で、母が買ってきた首輪もいつの間にか外してしまっていた。
ある日たまたま、私が作ったゴム紐に子供向けのビーズを通したブレスレットをその子の首に着けてあげたら不思議と嫌がらず、死ぬ日までずっと着けていてくれた。
その子が死ぬまでの数年間、我が家の中心にはずっとその一匹の猫がいてくれていた。
なんだか守り神みたいな存在で、幼い私はしょっちゅう『●●(私の名前)がお嫁さんになる時はちゃんと見てね』なんて到底無理なことも真剣に猫に話していた。
続きます。長文失礼。
189の続きです。
猫を飼ってから3〜4年した頃から父と母は突然、毎週日曜日はその子を連れてどこかへ行くようになった。
でも私は行っている場所は知っていた。病院だった。
その頃から猫はよく吐いたり、足取りもフラフラして高い場所には飛び上がれないようになっていた。
子供だった私は何故か『どうしてこんなに具合が悪いのか』とは聞けなかった。
猫は毎週日曜日、多い時は週三回のペースで注射を打ちに病院に連れて行かれた。
そのお陰で、少し経った頃には、最初の本当に辛そうだった期間に比べると随分楽になっているように見えた。
たまに咳き込んだりしていたが、それでも遊んで欲しいと私に擦り寄るぐらいの元気もあったし、食欲も回復していたせいで、私はこのまま治るんじゃないかと半ば安心していた。
ある春休みの夜、朝から塾に行って返りが遅くなった私を待っていたのは毛布の上に横たわった猫の亡骸と、呆然とした母と姉の姿だった。
猫の身体は冷たかった。
何が起きたのか全然分らない私は母に凄い剣幕で何があったのかと詰め寄った。
母は涙を浮かべて、嗚咽が混じった声で経緯を話してくれた。
私が塾に出かけたすぐ後に、猫はいきなり血を吐き、意識を失った。
家にいた母と姉はひどく動揺して猫をすぐに病院に連れて行った。
後から聞けば元々猫はペットショップにいた頃から既に病気だったらしく、初めて病院で医者に診せた時はもう身体の中がボロボロであまり生きられないだろうと両親は聞いていたらしい。
医者は『今回はもう・・・』と言って、せめて最後は苦しまないようにと安定剤を打ってくれた。
家に帰ってから数時間後、母と姉が見守る中で毛布に寝かせた猫は眠るみたいに静かに息を引き取った。
本当に最後はちっとも苦しまずに穏やかな最後だったという。
私が帰ってきたのは猫が死んでから30分も経たない時だった。
次でオワリです
数日後、猫のお葬式を済ませ火葬に移る時、母は私に猫の首輪代わりだった、私が作ったオモチャのブレスレットを見せて『コレはどうするの』と聞いてきた。
私は未だ泣きながら首を振って『いらない』と言った。
正直、遺品を持つのは辛かったし、ブレスレットの首輪はその子が唯一身に着けていた物だったから天国にまで持っていってほしかった。
火葬を済ませ、白い壺につめた小さな骨は病気のせいでスカスカになってとても痛々しかった。
骨を入れた壺は動物の共同墓地に入れてもらい、今でも毎年のお墓参りはかかさない。
私は人生の中でもう二度とあんな猫に会えないだろうなと思います。
時々リビングに飾ってあるその子の写真が話題になると父は、『いい子だったなぁ。アイツと会えたのはきっと運命なんだろうなぁ』なんて言っています。
辛いことがありましたけれど、やっぱりペットを飼って今でも良かったと思います。
長々と長文失礼しました。
>>189-191
語り語ったな、お前。
まぁ、良くやったと思うぜ。
蛙かっていたけど、親に「何処かへ逃がしなさい。」と言われ
仕方なく休日に山に行って逃がしてやった。
ちなみにその蛙は達磨蛙。 ハムスターが死んで名前を叫びながらわぁわぁ泣いてたら
父にうるせー!黙れ!!って怒鳴られた 冬は冬眠だとカメを土に埋めたら春先みたらミイラになってた。
すごくせつなかった。
猫をひろってきた。若いときはサッカーをして遊んでいた。
一緒にお布団で顔を出して寝てた。
冬は暖かかった。
昔じゃなくて今部屋に居る(小型犬)。
夜中にフラフラしてたから、とりあえず家に連れてきた。居候5日目。
今日交番に届ける予定。
まだ飼い主は届け出て無いらしいんだけど、どうなるんだろ? 中学の頃親が拾ってきた雑種の犬。最初の1年は月1ペースで何かと医者に行く事ばかりだったけど、その後はとても元気な犬でした。
私は結婚しても実家には結構遊びに行っていたのですが、ある日を境に見る度に犬の後ろ足が弱っていき段々歩けなくなってきました。でも帰る度に1番喜んでくれて嬉しそうに声をあげ、不自由な足で何度も転びながらもなんとか私の元へきてくれていました。
長文ごめんなさい・続きます。 そしてしばらく帰れなかったある日親からの電話で、もう自分で歩く事もほとんどできずオムツで過ごしている。もう長くないかも…と伝えられました。その電話口では、犬がなんとも言えないとても悲しそうな声で鳴き続けていました。
しかし当時私にはお金がなくてただ心配で毎日電話をかける日々が続いていました。
そうこうしているうちにとうとう犬は昏睡状態に…。私は無理矢理お金を用立てて実家にむかいました。
新幹線があれ程遅く感じられた日はありませんでした
もう1回続きます。 間に合って!ずーっと祈り続けながら恐る恐る家の玄関をあけると痩せ細ってしまった犬は目を開いたままただ息をしている…そんな状態でした。
私は、待っててくれてありがとう。帰れなくてごめんね。本当にごめんね。もう頑張らなくていいから。
と謝り続けていました。話を聞いてくれたのかしばらくすると大きく息をして亡くなりました。
後で聞いた話ですが母が昼帰ってきた時今日お姉ちゃんが帰って来るからね。と言ったら昏睡状態にもかかわらずうんうんと頷いたらしいです。
長文すいませんでした。
m(_ _)m >>201きっと父上も、悲しみを怺えるのに必死だったのだろう。 黒猫が四駆に跳ねられたのを見かけた
二、三週間後、家に片足が骨折した猫が現れた
最初は片足が不自由なのを不憫に思い餌を与えていたが、ふと 事故を思い出した…
その黒猫の名前はクロ ♀だった
神戸の震災で彼女を失い帰郷していた時だったからクロの世話をする事で癒された もうあれから10年以上が過ぎ クロも生きては いないが今でもクロに感謝している。 飼い主が見付かった。
マルチーズかと思ったがシーズーだった。
犬ってかわいいね。 友達の犬の名前。
メスなのに、タロウ
黒柴犬だから、クロ
秋田犬なのに、チビ
もうちょっと考えて名前付けてやれよー? 物心ついた時からずっと一緒で、家族の中でも一番私になついてくれた
茶トラ♂の猫を飼っていた。名前は、まる。
雑誌に「家の猫が子供を産んだので誰か可愛がってやって下さい」というのを見つけてだった。
その時から既に名前は付いてて、私が「名前を変えるなんてかわいそう」と
言ったのが原因で名前は「まる」のままだった。
ほんとにいつも一緒で、かなり変わり者で変な猫だった。
母親が買い物に行くたんび自転車の後ろのカゴに乗るし、
家族で祖父母の家に行く時、父親の車に乗ってコッソリ着いてきた事もあった。
家に着く寸前でひょっこり出てきてもうどうしようもなかった。
猫は車が苦手なんじゃないの?と不思議に思ってた。
で、私が小5になった頃から病気になっちゃたんだ。
そして次の年の冬、まるは空に旅出っちゃったね。
友達の誕生日会から帰ると、ふたが閉じた段ボール箱があって驚いたよ。
とても中身は見れなくて、悲しくて動物の共同墓地にもずっと行けないままだった。
あんなに仲が良かったのになんで最期だけ逃げちゃったんだろう。
ほんとにそれが、ずっと後悔として残ってる。
高一になってまた子猫を貰った。名前は、にゃん。同じ茶トラの女の子。
もう今で三年半経つよ。その子はちゃんと最期まで逃げないからまるも見てて欲しい。
そして私もいつかそっちに行くから、その時はまたよろしくね。
にゃんと一緒に遊ぼう。
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"" "'゙''` '゙ ゙゚' ''' '' '' 動物が好きだった私は誕生日に鳥のつがいを買ってもらった。
数年たったある日、餌をかえようとしてうっかりオスの鳥(名は太郎)を逃がしてしまった。
家は田舎で、敷地のなかに竹林があったんだが、太郎はそこに逃げ込んだ。
長年、籠の鳥だったからあまり飛べなかったんだ。
捕まえようと四苦八苦していると、近所の猫がやってきて、太郎を狙い始めた。あっと思った瞬間、パクッ
すぐに泣きながら猫を殴って口をあけさせて太郎を救出したが、もう死んでた。
トラウマだ‥ 小学生の頃飼っていたハムスターの舞夢(まいむ)くん。 ゲージの掃除は俺の担当だったんだ。
あの日うっかりゲージのドアを閉め忘れてしまった。朝起きると舞夢がいない!家中を必死に探しまわって勉強机の裏で発見した。
電気のコードを噛ってしまい冷たくなってたね…。
母と姉にすごく怒られたが反抗期だった俺はふてくされて、逃げたあいつが悪いんだ!なんて言った。
ごめんな、ほんとはすごい泣いたんだよ。誰もいないとこで。 子供の頃、家でお袋がセキセイインコを飼っていた。この子は産んだ卵を取りあげられたせいかどうかは知らないけど
確か狂って氏んじゃいました。
取りあげたタマゴは孵化して雛になりました。名前はピーコ。
雛にはお袋がふやかした餌を注射器みたいので与えていた。
ある日、買い物に出掛けたお袋の帰りが遅いので、腹を空かしているであろうピーコに兄弟が見守る中、俺が見よう見真似で餌を食べさせてみた。
そして、お袋が帰って来てから、自分が餌を与えた事を告げた。
で、明くる朝、ぺしゃんこに潰れて氏んでるピーコをお袋に見せられ、責められた。
曰く、餌が足りなくて潰れて氏んだらしい。
これ凄いショックでさ、毎晩泣きながら神様にお願いしたよ。「生き返りますように」ってね。
あと、自分が飼いたかったハムスターの代わりに買って貰ったリスが、秋だか冬の夜に風呂場で冬眠してそのまま死亡ってのもあった。
冬眠の時期に風呂場に置く意味がさっぱりわからん。 今、順番に読んでる。
いつか自分にもおとずれるときのために。
そして、そのときまで、この子をいっぱい愛してあげるために。
あげておこう。 俺がまだ生まれてない時から我が家には
一匹のシベリアンハスキーを飼っていた
んで俺が幼稚園児だったころ俺は犬が大好きで
いつもシベリアンハスキーの方に近付いていった
でも親からまだ子供の俺には手を出すなとしつけられたせいか
俺が近付いていってもなにもしないでいつも一緒に居てくれた
本当に嬉しかった
でもそのシベリアンハスキーは俺が小2の時寿命で死んだ
土曜の朝学校に行く時死んでいた
ショックだった。あんなに大好きだったのにと
その日は学校で一言も喋らず俺の頭の中は
シベリアンハスキーとの思い出が走馬灯のように駆け巡っていた
そして家に帰ってからこんなに人って泣けるんだってくらいに泣いた ふらりとたどり着きました。
初心者です。
昔飼ってた犬のことを思い出しました。涙がとまりません
当時私は実家から出て、遠い土地で暮らしていました。
実家の家族達は、身内の借金で住む家を失いました。
妹の進学も取り消し。
犬も飼えない状況になりました。
犬は11歳。私達家族が初めて飼ったペットでした。
私達は犬のしつけの仕方もわからず、彼をわがままに育ててしまいました。
彼は、家族以外の人間には牙を向く駄犬でした。
臆病で甘ったれ、「弱い犬ほど良く吠える」まさにそんな犬でした。
それでも家族でした。
可愛かった。
買い続ける手段はないか、貰い手はないか、そう思って両親は色々探しましたが
子犬と違って性格が形成されてしまっている成犬を欲しがる人などおらず
有効な手段の見付からないまま
家を立ち退く日はどんどん迫ってくるばかりでした。
母は洗面台が真っ黒になるくらい頭髪が抜け落ちました。
そして両親は決意しました。
最後の日、保健所に連れて行く車の中で
彼は何かを悟ったかのように怯え、それでも大人しく従い
心臓を早鐘の様に鳴らし、両親のひざの上でじっと座っていたそうです。
「遊ぶか?」
父はわざと保健所から遠回りの道を選び海岸で彼と遊びました。
リードを外し、自由におもいきり走れと、彼を砂浜に放ちました。
父は「いっそこのまま逃げて行ってくれ」と泣いたそうです。
彼がこの世から居なくなった日、父は大酒を飲んで号泣し
新しい住処となった狭いアパートの小部屋で暴れたと母から聞きました。
本当にごめんなさい
あんなことをして本当にごめんなさい
大好きでした 去年、夏の暑い日、飼っていたオカメインコを外に逃してしまった。
自分の部屋だけ網戸が無くて窓を開けるとインコが逃げるから、
放鳥している最中は窓を開けることは出来なかった。
暑くて暑くて仕方ないし、インコにも外の気持良い空気を吸わせてあげたくて
少しなら大丈夫だろうと思って、5cmくらい窓を開けた(カーテンもずっと開けていた)。
それから大好きな小松菜を持ってきてあげようと部屋で待たせていた。
その子は一人(一羽)になると、いつも私を呼んでキャアキャア鳴くくらい、なついてくれていた。 いつものようにキャアキャアと私を呼ぶ。
バサバサと音が聞こえた。私を探して部屋の中を飛んでいるらしい。
私はそのまま小松菜を洗っていると、いつもの呼ぶ声が何故かどんどん遠くなっていった。
イヤな予感して、すぐ部屋に戻った。
もう既に逃げてしまった後だった。
探すこともせず、その場で大声で泣いた。
すると寝ていた母が起きて私のところに来たので逃げたのを説明し、すぐに探しに行った。
ずっと探したけど見付からなかった。
その後の数日間、貼り紙をして、早朝から何時間も探した。
でも見付からなかった。 すごく淋しくて悲しくて、自分が情けなくて仕方なかったけど、もう忘れることにした。
本当にごめんね…
どんな思いで数日間、外の世界に居たんだろう。
怖かったよね…淋しかったよね…
それでも私が来てくれることを信じてくれていたのかな?
私が住む、寒さの厳しい北海道、冬になれば帰ってこれる可能性はゼロに近い。
もう今年で二度目の冬。
今でも、もし誰かのお家に保護されて幸せに暮らしていたら…と思っています。
もっともっと、あの子と一緒に遊びたかった。
いっぱい撫でてあげたかった。
私のせいで、罪の無いかわいいあなたを酷い目にあわせてしまって、ごめんなさい。
母が今年の私の誕生日にまたオカメインコを買ってきたけど、やっぱりあなたが居ないと淋しい。
ごめんなさい。
また会いたいよ… 俺の元恋人である刈谷春奈の家に行った事があるが、
刈谷春奈は犬を5匹飼っている。
しかもその犬は教育されていないのでその辺で糞をする。
しかも刈谷春奈は[犬と一緒に風呂へ入って犬に乳首を嘗めあげるの〜。]とか言っていた。
刈谷春奈は美人な女性であるが心の汚い女性であると言うのはよく分かった。
俺は刈谷春奈と何回かデートしたがまだキスもしていない!
でも刈谷春奈の家に行った時、犬と何回もキスした所を見た。
つまりその刈谷春奈は彼氏の事より犬の事のほうが大事なのである。
それ以降、俺は気分が悪くなって刈谷春奈とは別れたのである。 >>236
○[犬と一緒に風呂へ入って犬に乳首を嘗めてあげるの〜。]
×[犬と一緒に風呂へ入って犬に乳首を嘗めあげるの〜。]
最近、うちのノミ代、ダニ子、シラ美、ゴキ江ちゃんたちが姿を消しました。
よほど、うちが居づらかったのでしょうか。なんだか私も体調が悪いです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています