喜多川氏はすでに亡くなっているんだから、公的な調査や捜査はやるべきではない、という声を耳にしました。完全に間違った考え方です。

 調べが行われることでしか、正義はなされません。それは警察が関与し、公的機関が関与し、もちろんジャーナリストたちも関与することを意味します。公的機関に対し、責任を持って、完全かつ徹底的な調べをするよう求めたいです。

 私はきょう、藤島氏に改めて、取材に応じてほしいと訴えるつもりです。それも事務所にとって、進展の一部だと思うからです。本当に透明性と意思を示したいのであれば、公的機関やジャーナリストも受け入れるべきです。

「徹底的に調べられるのは警察だけ」
 ――警察が捜査した場合、どんな作用をもたらすと考えられますか。

 私は番組のなかで、4人の被害者らに話を聞いています。そのうちの1人は、自分たちに起きたことは誤ったことであり、虐待だとはっきり言っています。ただ他の人たちは「間違ったことかもしれないけど」などという言い方をしました。つまり、被害者ですら、問題だったことを認識するのに長い道のりを経ているわけです。

 警察が関与する重要性はここにあります。デビューした人、できなかった人、短期間しか事務所に在籍していなかった人。喜多川氏と接触した人物は何千人といるわけです。そのなかで虐待を受けた少年の数を正確に知ることはおそらくできません。

 ただ、徹底的に調べる必要性はあります。それをできる能力を持っているのは、警察のような公的機関なのです。

https://digital.asahi.com/articles/ASR9803CMR97UHBI042.html