「右翼と言ってもいわゆる右翼ではなく、そもそも右翼ですらない」という。名前も顔もほとんど表に出していないため、一般にはあまり知られていない。
インタビューも写真撮影も一切許可されておらず、生きているか死んでいるかさえ、普通の人間には知りえない。
「先生」はタイミングを捉えることが巧妙で、攻めどきと引きどきを心得ており、目の付け所もいい。

1913年に北海道で生まれ、小学校卒業後に東京に上京して右翼となり、一度だけ刑務所に収監されている。
出所後は満州に渡り、関東軍の参謀クラスと懇意となり、謀略関係の組織を設立して、主に麻薬を扱っていたという。
この時期から急激に謎の人物となり、中国大陸を荒らし回った後に、ソビエト連邦が満州に侵攻する二週間前という絶妙なタイミングで、抱えきれないほどの貴金属と一緒に、満州から本土に駆逐艦で引き上げている。

戦後は占領軍に逮捕されたが、調査は途中で打ち切られて不起訴となっている。病気を理由にしているが、実際は中国大陸を狙っていたマッカーサーとの間で取り引きがあったという。
巣鴨から出所した後には、どこかに隠しておいた財産を二等分にして、保守党の派閥と、まだ広告がちらし程度にしか考えられていなかった時代に広告業界を買い取っている。
「先生」が表面に出ないのは、広告業界と政権政党の中枢を握っているため、できないことがないからであり、そもそも表面に出る必要がないからである。 
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