豊臣秀吉は朝鮮出兵したけど本当の目標は中国征服だった
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島津義弘は7000の寡兵で明朝鮮連合軍20万を殲滅 二度目行ったら朝鮮にちゃんと対策されて逃げて帰ったの舐め過ぎてて笑う >>9
応永の外寇じゃ対馬600人で李氏朝鮮17000人相手にしたそうじゃないか
話盛ったにしても雑魚すぎるだろ朝鮮 意外と戦国武将て外国の情報仕入れてたんだよな
織田信長もイギリス人の三浦按針抱えてたし ここの戦闘での戦闘力的には十分行けたけど海軍が弱すぎたのと歩兵中心だから無理げーだった🐓プ あのころはどこまでがどの国の領土とか確定してない切り取り次第の世の中だったんじゃないの
少なくとも日本の中では
そもそも国という概念があったのかどうかすら怪しい それは近代的の意味での国とは違ったというだけでしょ 朝鮮半島はとくに国として見られてなかっただろうな
宙ぶらりんだけど一応中国のものって程度 ウクライナもこうやってロシアから情報線で侵略されてたんだぞ その当時の日本の戦国大名的には「単純に誰が統治している領土はどこまで」という認識だった感じじゃね
それが今の日本の領土の範囲にとどまると考えるのは今の領土の範囲を知っているから 秀吉か家康が渡海してれば余裕で勝てたのに行かないから統制が取れなくてグダグダ 鄭成功は明が滅びるとき家康に援軍を要請したけど断ったんだよね >>28
当時、日本って概念がなかったと思ってる? 実際は徳川前田ら諸侯を動員して秀次を総大将とする大軍を送り込む予定だった
これがうまくいってれば少なくとも秀次はああいう死に方をしなくてよかったかも ただの通り道の朝鮮に負けてるようじゃお話になりませんな 秀吉は「明を攻める道案内しろ」と朝鮮国王に伝えたんだよ 属国の使者が来たら宗主国は10倍の土産を持たせて返す
属国ってのもわりとオイシイんだよ >>38
実際に戦ったのは明軍
チョンは宗主国の明に泣きついて明に戦ってもらった 中華の冊封体制ってのは一部ガイジ系ネトウヨが言ってるようもんじゃないからな >>32
鄭成功の母親って日本人だろ
当時どうやって知り合ったんだ? 9条信者の論理で考えると、当時の朝鮮は日本に降伏して明への道案内を
すべきだったんだよ
そうすれば満州が主戦場になって朝鮮は戦禍を免れたのに・・ (鄭成功の父芝龍は)1621年には、台湾や東南アジアと朱印船貿易を行っていた中国系商人の李旦、または、顔思斉(中国語版)の傘下に加わる[1]。
日本の肥前国平戸島(現長崎県平戸市平戸島)に住むうち、平戸藩士田川七左衛門の娘であるマツと結婚。
息子の鄭成功が生まれている。 こういうの韓国ではどんな歴史に改変されて映画とかになってるのか気になる 足利義満は中国から「あなたを日本の王と認める」という親書を持った使者が来て大喜びしたらしいけど
秀吉は同じような使者が来たら激怒したそうな >>1
植民地支配の毛等がシナを奪いそうだから
秀吉が先に攻めた >>47
明にそれまでは南朝の懐良親王が日本国王認定されていて足利は賊徒あつかいだったからだよ アジアを奴隷にした野蛮けとうは叩かないバカチョンパヨク 加藤清正が朝鮮半島を縦に突破してオランカイ=満州まで到達して女真族と遭遇したって読んだとき
地の果てまで行ったような気がしてなんか心細い気持ちになった 南蛮からの侵略に危機感を覚えて先に中国を占領してしまおうという意図があった
秀吉が死ななければ南蛮も中国側もこりゃ負けると思ってたそうな 対馬藩(宗氏)の朝鮮道案内役(+小西との姻戚、後に離縁)から撤退後の朝鮮関係修復
(柳川一件;国書偽造)までの苦難の流れが面白い >>55
秀吉は明の皇帝に臣下の礼を取れと言ったのに
明の皇帝にお前を日本国王と認めてやる(=明の臣下ということ)と返されたから >>49
降伏してくれると思ってたら日本王に奉じると上から云われただけで交渉役の小西行長にブチ切れ再出兵 封建制だから政権秩序を保つには新しい褒賞としての新領土が必要だった
済州島くらいにしとけばよかったのにな 朝鮮通過しても当時は北方民族が北京の目前まで侵攻してたから女真と鉢合わせ 本当の目的はキリシタン大名の弱体と全滅らしいぞ
秀吉は竹中直人のせいで
アホみたいなイメージになってるけど
本当はかなり頭いいと思う 乞食同然から天下をとったんだから地頭はいいなんてレベルをはるかに超えてる ただ天下をとって権力の座についてからの晩年は若い頃と同様の頭のよさ、判断力を維持していたかどうかってことになる アジアを野蛮けとうから守った日本
アジアを裏切ったシナ朝鮮 >>1
李舜臣
朝鮮「李舜臣は日本軍を大いに撃破し、これを追撃している最中に鉄砲の弾丸で戦死した」
中国「ケ子龍の救援に赴き、死亡した」
日本「小船で先出してきたケ子龍が従卒200余兵とともに討ち取られるのを救援するために進出したところを、和兵に囲まれ船を乗っ取られた」 秀<明を攻めるから領土の通行を許可せよ
朝<属国で決めれないので答えられない
秀<怒!攻め入る
朝<ニダァ 秀吉は「戦に勝って領土を増やす」拡大志向を止められなかったんだろうな
折しも大航海時代で欧州諸国は盛んに侵略を行っている
日本には戦国時代に鍛え抜かれた強力な軍事力がある 作家の陳舜臣はその名前のせいで韓国でめっちゃウケがよかったらしい >>72
武士の社会(封建制度)になって支配者が部下に与える報償が土地(所領)になった
結果、戦に勝って与える(新恩給与する)新たな土地を獲得することが必要に
元寇のあと北条氏が衰えたのは戦に勝っても外国からの侵略者を
撃退しただけだから与える所領がなかったことが大きい
秀吉は戦国時代に裸一貫から成り上がった人なんでその段でいくと国内の天下統一後の
海外侵略は必然の成り行きになる 徳川家康つかえば良かったのにな
まあ加藤清正も島津義弘もそんな浪費してないし良い経験になってたが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています