大乗エセ仏教は根絶やしにすべき
釈尊は、いまだ悟っていない方には自殺を認めず悟った方には容認した。
人間の根本欲求で生存欲があるから >>31
修行者には脇差を持たせないようにしないとな
悟ってない行者が命を絶つ可能性がある
>>32
正確には悟った者の自殺を容認したというわけではなく
引き止めなかった >>32
「脇差し」というより「短刀」や「短剣」と聞きますね。どう違うのかは分かりませんが。
強制ではなくとりあえず自意ではないかと。自害つまり行断念は江戸時代(といっても約400年)の頃にはあったという話は聞いたように思います。
具体的にいつとは無いですね。大正や昭和ではないのでしょう。
行者の信念と意志でしょう。満行した酒井さんだったかな、それでも悟っていないといっていた気がしますが、もしかしてそれが悟りなのかも。
危険だとなると自害でなくとも身体生命を危険にする回峰行自体、止めるべきかも。 >>33
>危険だとなると自害でなくとも身体生命を危険にする回峰行自体、止めるべきかも
まさしくこれ!
時には引くことを知るのも大事なんだよね
仏陀の教えの根幹が執着を捨てることにあるから
行そのものが執着になってしまっては意味が無い 話を戻しますと
>>14
天台の千日回峰行では、行者が行が続けられなくなった時点で手持ちの脇差で自害せよと説く
「自害せよと説く」この根拠って一般人で探せる範囲でないんですよ
そう言われている、そういう話を聞いたまでどまりで。 https://true-buddhism.com/teachings/suicide/
まれに「お釈迦さまは自殺を容認された、止められなかった」
などと主張する人がありますが、
それは、すでに仏教を聞いてさとりを開き、
死ねば涅槃に入るような人が、自ら死期をさとり、
「これから涅槃に入ります」と言っただけです。
それはお釈迦さまも分かりますので、止めるも容認するもありません。
それを明確にせずに、すべての人に対して
自殺を止められなかったように主張するのは、
仏教の教えの理解が浅いだけで、悪意はないでしょうが、
あまり仏教を知らずにそんなことを言っていると、
多くの人を混乱させ、自殺する人を増やしてしまうのでよくありません。
お釈迦さまは、自殺を禁じられたことが、戒律の由来を記された『根本説一切有部毘奈耶こんぽんせついっさいうぶびなや』や『鼻奈耶びなや』に伝えられています。 【お釈迦さまの自殺と自殺幇助の禁止】其の1
お釈迦さまはある時、「不浄観ふじょうかん」を説かれたことがありました。
私たちは、この世にきよらかなものがあると思っていますが、それは迷いであって、真実は不浄である、ということです。
例えば、どんなにきれいな人がいても、一皮むけばウミ血が流れており、それをきれいだと思う人はありません。
どんなハンサムな人もレントゲンをとれば、骨の連鎖です。
唾を吐いて、それを飲んで下さいと言われても、自分のであっても飲めません。
誰もが共通して、そのようなものでできているのが人間なのです。
また、心の中もきれいな心があるように思っていますが、実際には人に言えないような悪いことばかり思っています。
みんなきよらかなものがあると思っているのですが、トイレの中にいると鼻がバカになって臭いと感じなくなるようなもので、実際には不浄なのです。 【お釈迦さまの自殺と自殺幇助の禁止】其の2
このお釈迦さまの説かれた不浄観を聞き誤って、修行していたお弟子が、極端に自分の肉体を嫌うようになり、自殺しようと決心しました。
あるお弟子は、自ら刀で自殺し、
あるお弟子は、毒薬を飲んで服毒自殺をし、
あるお弟子は、首に縄をかけて首つり自殺をし、
あるお弟子は、高い崖から飛び降りて飛び降り自殺しました。
その中でもあるお弟子は、ある他のお弟子がもともと猟師だったことを思い出して、殺してくれるようたのみます。
快く引き受けたそのお弟子は、刀で斬り殺してしまいました。
その刀を川で洗っていると、どこからともなく
「お前は実に立派なことをした。
涅槃に入りたくても入れなかったお弟子を涅槃に入れてやったのだ」
と悪魔の声がしました。
それを聞いて自分は善いことをしたと思い込んだそのお弟子は、他のお弟子にも希望者を募ります。
すると、不浄観を勘違いして、肉体を嫌いになっていたお弟子たちが次々と「この命を断ってくれ」と希望します。
こうして60人が刀の露と消えていきました。 【お釈迦さまの自殺と自殺幇助の禁止】其の3
やがて次のお釈迦さまのご説法の日になると、いつもより参詣者がだいぶ減っています。
お釈迦さまが、
「どうして今日はこんなに少ないのか」
と聞かれると、阿難は、
「不浄観を聞き誤ったお弟子が、自ら命を断ってしまったのです」
と答えます。
それを聞かれたお釈迦さまは、お弟子を集めてこう尋ねられました。
「お前たちは、みんなが死んで行くのを放っておいたのか」
「はい、おっしゃる通りです。
自ら死にたいという人を引き留めるのもどうかと思いました」
それを聞かれたお釈迦さまは強い口調でこう言われます。
「お前たちのしたことは、出家にあるまじきことであり、仏教にかなわない。
まったく不浄なことである。
明らかに聞くがよい。
本日ただ今をもって戒律を定める。
仏の教えを聞く者は、自殺してはならない。
人に刀を与えて自殺を助長してはならない。
罪深い肉体に何の価値があるかと間違った不浄観によって死を勧めたり、人を死に至らしめた者は教団を追放する」 【お釈迦さまの自殺と自殺幇助の禁止】其の4
このように、お釈迦さまは、自殺も、自殺幇助も固く禁じられているのです。
仏教は人間に生まれたときしか聞けませんから、仏教が大事であればあるほど、肉体の健康が大事なのです。
もちろん最初に出てきたように、お弟子以外の、まだ「仏教を聞いていない人」に対しても、
もちろん自殺を止めておられます。
現代の自殺をしようという人は、
ほとんどが仏教を聞いてさとりを開いた人ではないでしょうから、
死んだら大変なことになります。
もしあなたがお釈迦さまに自殺の相談をすれば、
お釈迦さまはもちろん自殺を止められるでしょう。 自殺について釈迦さまの見解はわかりません。
少なくとも一般人については容認してはいないと。
天台の千日回峰行では、行者が行が続けられなくなった時点で手持ちの脇差で自害せよと説く
実は本当にそう指導したのか、本気でそう説いたのかが証明できないんですよ。
失敗した人が約100年くらいで考えると実例を聞かないとなると余計に 【死ねば涅槃に入るような人が、自ら死期をさとり、「これから涅槃に入ります」と言っただけ】
死ねば涅槃に入るような人が、自ら死期をさとり、
「これから涅槃に入ります」と言っただけです。
それはお釈迦さまも分かりますので、止めるも容認するもありません。 >>42
http://true-buddhism.com/teachings/suicide/
お釈迦さまが自殺を容認された?
まれに「お釈迦さまは自殺を容認された、止められなかった」
などと主張する人がありますが、
それは、すでに仏教を聞いてさとりを開き、
死ねば涅槃に入るような人が、自ら死期をさとり、
「これから涅槃に入ります」と言っただけです。
それはお釈迦さまも分かりますので、止めるも容認するもありません。
それを明確にせずに、すべての人に対して
自殺を止められなかったように主張するのは、
仏教の教えの理解が浅いだけで、悪意はないでしょうが、
あまり仏教を知らずにそんなことを言っていると、
多くの人を混乱させ、自殺する人を増やしてしまうのでよくありません。
お釈迦さまは、自殺を禁じられたことが、戒律の由来を記された『根本説一切有部毘奈耶』や『鼻奈耶』に伝えられています。 >>43のリンク元が・・・アレなんです。その点でどうかな?と思います。
死ねば涅槃に入るような人が、自ら死期をさとり、「これから涅槃に入ります」と言っただけです。
この方が自殺したしようとして止めたなら関連性がありますが、そうでもないようで自殺の是非と「これから涅槃に入ります」といったさとりを開いた方との関連が無い。
全く違う話を持ち出して結論に結びつけている。
やっぱりアレだからかな。
東大卒の高学歴の方なら『根本説一切有部毘奈耶』や『鼻奈耶』から具体的に戒律の由来にて自殺を禁じた事の根拠を書き出せると思うが、していない。
やはりアレだからかな。 解脱者とされる瞿低迦・闡陀・婆迦梨の三人の自殺は特例中の特例じゃないかと。
@最初の瞿低迦は一時的な解脱は得るも何度も退転してしまう苦しみに悩み自殺。何度も退転することから真の解脱は得ていないと思われる。
A後の2人は激しい苦痛を伴う重病を患っていたという条件があった。
3人に共通するのは耐えられぬ苦しみに悩んでいたということ。
すでに解脱している者が自殺を選んだのではなく、自殺するその直前に解脱したとされること。
つまり釈尊は阿羅漢の自殺を認めていたのではなく、苦の果てに自殺を選んでしまった3人に対して慈悲を投げかけ罪過なしと言ったのではなかろうかと。
実際に自殺をしようと思いたった3人は直前まで解脱していなかったわけで、未悔悟者の自殺を禁じるとしている釈尊の教えとは齟齬が生じる。
なので、このような特例にない阿羅漢が「私は今から自殺します」と言ったところで釈尊がそれを許したかとうかは疑問。
逆にお前は悟ってない、阿羅漢から降格と言われるかもしれない。 日本には宗教法人だけの免税特権は無い。
NPO・公益財団法人・社会福祉法人・赤十字社・宗教法人、皆平等に特権が与えられている。海外の宗教法人も免税特権があります。
宗教法人に課税するようになると不動産や、カネをたくさん持って活用している所だけが生き残る。そういう所はたいていカルトかヤクザに乗っ取られた宗教法人。 ブッダは必ずしも自殺に反対していないよ。
それどころか、状況によっては、自殺を容認している。
しかも、自殺した故人が立派に涅槃に入ったと認定さえしている。
原則として、涅槃に入れるくらいの境地に達していれば、
自殺もやむを得ないと認めていたからな。 方便です。
容認してなどいない。
特例条件にあった弟子の自殺を死後に庇っただけ。 ブッダは自殺に反対もしていないし、状況によっては自殺を容認してるよ。
嘘だと思うなら、初期仏典の『相応部』や『雑阿含経』に実例がある。
『相応部』では、病苦に苛まれるヴァッカリという人物が刀で自殺したのに対し、
ブッダはヴァッカリは完全な涅槃に入ったと述べていて、まったく非難していない。
同じく『相応部』や『雑阿含経』では、ゴーディカという修行者が、
それまで六度も悟りを得ながら、その悟りがすぐに消え去ってしまうのを嘆いて、
七度目の悟りを得たときに、剣をもって自殺したことに対し、ブッダはゴーディカは
完全な涅槃に入ったと認定している。
とくに、この場合は、悪魔が自殺を止めようとしたのに、
ブッダは自殺を止めようともしていない。
だからブッダは自殺に反対もしていないし、
状況によっては自殺を容認してるよ。 >>49
容認しているんじゃなく事後に許してるだけ
悟りを開いたという理由を添えて
ブッダの慈悲だよ、慈悲
病苦に苛まれた弟子に関しては自殺する間際に無常を悟って解脱したとされる
つまり自殺を願った時点では無常観すら悟っていないただの比丘
6度も悟りを得たのに退転するのは本当は悟ってないからだよ
覚鑁の求聞持法失敗と似たようなもの
7度目の悟りと6度の悟りがどう違うの?退転しない証拠は?
そもそもブッダがその弟子らが自殺する場面に居合わしたのか?
ブッダが覚っていない衆生の自殺を禁じていることは文献から明らかなので
悟ってない奴の自殺を容認するわけないだろ
>>45の言ってることの方が正論 >ブッダは自殺に反対もしていないし
これはマズいだろ
反対はしてるわな なるほどw
つまり仏教は悟っているなら何をしても構わないということかw
やはり仏教は御利益もなく効き目も無いのだなw >>50
だよな
釈尊が自殺を容認していて
無余涅槃を推奨して有余涅槃を不完全だと考えていたなら
釈尊だって自殺するはずだ
でも釈尊は自殺ではなく自然死をしている >>53
確かにそうだ!
釈迦も生きている限りは有余涅槃者だからな
仏教の本質を正しく理解しないと>>52のような危険な奴を生むことになる 死は医学的に、自然死、病死、災害死、事故死、自殺、他殺に分類される。そうです。
釈尊は自殺ではなく自然死(老衰によって死ぬこと。生理的に諸機能が衰えたために死ぬこと)ではなく
チュンダの供養されたキノコ入り粥により食中毒を起こして涅槃に入られてと聞くので
直接の死因は食中毒で、それによる病死ではないかと。
ただし、釈尊は高齢となり体調を崩し気味でそれをおして最後の遊行されたとも聞きます。
それで>>14についてはどうしますか。 細かいなw
確かに医学的にはそうだけどさw
四苦を生老病死と表現するなら病気も自然の一描写だろ?
病死も自然死に含めてもいいじゃんw ブッダは有余涅槃なのに自殺はしなかったというのがポイントだからね
自然死であろうと病死であろうとそんなのはどうでもいい まあ、>>49で初期仏典からの実例で示したとおり、
ブッダは自殺に反対もしていないし、状況によっては自殺を容認してもいるわけだが、
自殺が厳しく禁止されるのは、日本仏教特有のことだわな。
日本仏教の祖師たちのなかからは、自殺者が一人も出ていないからな。 >>58
正しく経典を読み取ることができないとは愚かな奴だな
ブッダは自殺の容認なんてしてない。平気で嘘を書くな。
自殺が厳しく禁止されるのは、日本仏教特有??
「捨身渡海」を知らないのか?
だから無知な奴は困るんだ 大乗がエセ仏教であることには激しく同意するが、所謂日本仏教は大乗ですらなく、仏教を名乗るただの詐欺師集団だろ。w 仏教と自殺については、個人的にはこう考える。
仏教とは、出家者に対して道を示すものだから、求道の際にどうすべきかが説かれる。
故に、「自殺をどう扱うか」は問題とはならない。
但し、亡くなった方に対しては礼を以て、勿論自殺しようとしているなら止めるべき。
釈尊も亡くなった方に礼を尽くたしし、死のうとしている人がいたら止めたでしょう。
こんな話は、仏教以前の問題。
自殺の善悪については、というか、善悪などの心の中の分別については、先人達の多くが説かれているので今さら話す事でもありません。
「短刀で○ね」とされていても、そのままの意味なのか、そういう覚悟で行えという話なのか、仏教以外の思想が混入したものなのか、はたまた単なるその場の冗談だったかもしれない。
個人的には修験道の影響だと思うが、
伝授を受けてない第三者が伝聞だけで読み取れる訳もなし。
渡海にせよ、即身仏にせよ、その宗派の教義からではなく、その地域の文化、他宗教と結び付いて生まれたものなのは異論の無いところだろう。
チベット僧の焼身なども、やはり仏教教学に従った行動ではなく、中国共産党に対する抗議行動として、西側世界に惨状を知らしめる為に行われたと聞きます。
キリスト教的な価値観では、「自殺は絶対悪」ですが、例えば昔の日本では葉隠れが記され、また相対ジニとか殉死や殉葬などの記録があります。
古くは大国主命もそうなされましたが、此を悪とするのも善とするのも筋違いかと思います。
修行者的には、そうした他者の人生の選択の話よりも、己がどのように行ずるかでしょう。
その結果、「自殺に見えた」としても、第三者の心に生じた善悪の分別は、当人の問題。
「大乗はエセ仏教」というのも同じ話で、大乗仏教としての行法がどのように第三者に見えようと、大乗仏教側には預かり知らぬ話で、
「エセに見える」のはその当人の自由ですね。
大乗仏教側には、各宗派に教判があり、いかな縁起で法脈が継承しているか伝えられており、
「エセだ」という思想と同様に、その信条は重んじられるべきでしょう。
これを「根絶やし」というのは、西側の価値観ではなく、
共産主義的な幼稚な視点と言えます。 どこかの霊能者によるとマルクスは地獄の池沼で悶え苦しんでいるそうです アホな奴ほど長文を書きたがる
そして変なコテハンを使いたがる 5ちゃんねる、荒らしに来る子は、悪魔名乗らんの、そこがあやしい。 どうでもいいがwwwwwwww
護摩が悟りとは無関係と言ってるキチガイ語尾wという馬鹿についてどう思う?wwwwwwww 東条家の智慧は、わかるまい。親鸞和尚、仏弟子、悪魔やりたい仏弟子、排除せえ、仏教をちょこっと、5分ぐらいの子の勘違い小僧>>65がここで、批判しとっても、説得力ない、2時間してからいえ。東条家の言いたいことがな、奈良の東大寺の、本当に意味わかっとらんのに、聞いとってもわからんのに、仏教したい、おまえら、キリスト教にかえろ。先祖が地獄で苦しむ勘違い小僧>>65は、悪魔不動明王と惨めな最後を送る >>4
スッタニパータの393以降によると
出家者より難しいものの在家者も悟れることが書いてある 称名念仏宗開祖にして総本山他力本願寺住職を務める三毒禅師又の名を煩悩上人と申す。
称名念仏宗他力本願寺総合スレッドを立ててくださらぬか。 >>72
おい、10年前の芦田愛菜でオナってる変態童貞ジジイwww
お前去年から書き込んでたのかよwww 四年制大学理系学部卒桓武平氏は世界一幸せ
百レスつけて発狂するロリコンは世界一不幸
人類皆がそう言っているw 確率、重複の計算も知らないのに4年生理系大学卒を名乗るホラ吹きは10年前の芦田愛菜でオナるロリコン童貞パヨク
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どうすればいいか書いてて可愛いと思うけどなかなか思うようにスイッチが切り替わり同時に配当控除できなくなるんだよ
GPF4連覇出来なかったね残念 含み損は簡単に増えでもしないとは思わないけどね
あくまで噂だけど、
みんなで一緒に居て
結婚を前提に付き合ってもらう。 >>22
メンバーみんな過去の遺産パクパクしとるな