寺院建築とか模型とか
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>>448
ですよねーー。
舌に三つ穴が開いてるので軒の風鐸の画像だと判断できますが、16センチはおかしいです。
相輪−水煙の風鐸悩んだ末、模型に入ってる軒ー風鐸部品を使うこととし、糸を接着して乾燥ちゅう。
建築に関するお話が出来ず申し訳ありませんが一点・・・。
古代史が好きで関連本を何冊か読んでますが・・・、仏教伝来前の神社建築について教えて頂けませんか?
まず、神社建築で日本で一番古い物はどこで、どのような形式だったんでしょう?
仏教と共に建築技術も伝わって来たとすると、神社建築もそれ以降となるでしょうし、法隆寺より古い木造神社建築は無いとは思われますが・・・。
一番古い神社を調べましたら、奈良の大神神社と推定されており崇神天皇(紀元前)の時代・・・とあります。
画像を見ますと、茅葺の屋根ですが斗栱・隅木があります。 >>449
神社建築の本殿で仏教伝来前の古い形式のものは
住吉造り、大社(おおやしろ・たいしゃ)造り、神明造りです
これらは、弥生時代の高床式の倉(掘立柱の上に箱を乗せたもの)の様式で
日本独自の建物です
そのため神社は床が高くなっており、それで寺院と神社を見分けられます
どれが一番古いのかはちょっとわかりませんが
住吉造りは大嘗会(天皇が即位の後に神様と食事をする儀式)のための仮説の建物を
受け継いだもので、神明造は校倉の転用だそうです
大社造りの一番古いとされているのは神魂(かもす)神社で1583年再建で
神明造は仁科神明宮(長野)で1636年です 続き
大神神社には本殿はなく、拝殿というのは平安時代に仏教の影響で作られたものなので
古い形式というのはないのではないかと思います >>451
神明造・・見てみました。
伊勢神宮に見られる様な形で、日本古来の物なんですね。いたって簡単な構造で装飾のようそが多いですね。
「組物」は重量屋根を支えたり、複層(重層)の荷重を耐えるために出来たものですよね。
二階建ての神社を探しましたら「富士山本宮浅間大社 本殿」が見つかりました。
神明造+組み物+懸魚・・・でお寺みたいな神社でした。
また、奈良県桜井市にある「談山神社」は7世紀ころ「十三重塔」からお寺として始まったみたいですが、今は神社です。
五重塔彩色してみましたので掲げます。 水煙懸架の風鐸はまだですが・・。
https://i.imgur.com/8Te0Tc6.jpg あそこは「センゲン神社」と音読みで明治以前はほぼ寺だった名残
基本神社は訓読み
宇佐ハチマンも同じ
アサマ と ヤハタ が本来の読み方 >>452
やっぱり本物みたいですねえ
それっぽいところに置いた写真を見せたら本物だと思われそうですw
浅間神社本殿はその名も浅間造りという名称で
二階部分は富士山を遥拝するためという見方があるようです
二階部分は流れ造りという向拝方向に屋根が長く出ている造りで
本殿によく使われています
これは屋根が曲線なので仏教建築の影響を受けています
談山神社はお寺だったんですね
談山寺と言い間違えることが多いのですが語呂がお寺の時の方がいいのかもしれませんw >>453
そういう決まりがあるんですね
大社造りはおおやしろづくりが本当の読み方と本に書いてあったのは
そういうことなんですね >>452
天然光のもとで撮影したらもっとリアルかと >>454
いつも過分のお言葉ありがとうござます。
「模型とは本物に近づける物」ですので注力が報われる様でうれしい限りです。
金堂・五重塔の「模型」についてまとめてみようと思い資料を探して居ましたら、したの
中川詠子氏の論文に出会いました。 近畿能開大学の先生らしいです。
法隆寺金堂・五重塔の模型を授業で製作されたようで、すんごい成果物&文章なので
読んでみて下さい。
検索ワード=「古建築の構造模型の製作と構造技術の理解 〜法隆寺金堂」
PDFマーク付きです。 途中割り込みで寸ません
何処かの有名寺院の境内にある五重塔なんですが
建築物にしては小さいし模型にしては大きいのがあるのです
それは軒の高さが子供の背丈程度で人が入って宗教行事をするには窮屈そうでした。
仏像を安置するだけなら十分かも知れませんが、これは実用建築物なのか模型なのかよく分かりません。
ストゥーパが元なのは知っていますが、礼拝と建立目的上は大きさは関係無いのでしょうか
ご教授下さい。 >>458
建築には詳しくありませんが、興味ありますね。
画像やその他の情報とかお教えください。 所在地、県名とか・・ >>458
行ったことがないのでサイズ感は分かりませんが、とても小さい五重塔といえば室生寺ですかね
塔は中に入って何かをするという性格のものではないので小さくても問題ないかと思います
五重塔は法隆寺のころは金堂と同等以上の扱いだったようですが
室生寺のころには重要度が低くなっていたと思われます
元興寺や海龍王寺には古式を良く残した五重塔の模型がありますし
瓦塔(がとう)という塔の形の焼き物も作られていたので
五重塔は外から拝むものなのだと思います >>460
>>458
室生寺五重塔見てみました。 日本で一番小さい五重の塔だそうですから、これでしょね。
1998年台風で大損壊、そのご修復されたようですね。
高さ16メートルちいさいですね! でも初層軒高さは2メートルはありそうですが・・。
で2010年 平城遷都1300年を記念して、「改修時発見された」五智如来が公開され、初層扉も開けて公開した様です。
↓ 先頭h無し
ttp://www1.kcn.ne.jp/~ongaku_m/tourist/rediscover7.html
心柱も立派で法隆寺五重塔の次に古い塔らしいですね。
立派な塔なのに、なぜ小さいんでしょうね?
金堂(本堂)以前に建てられたものなので、開山の時のなにかの事情でしょうか?
屋根も瓦ではなく、板です。 予算かなー? 山の斜面で広い土地もなさそうです。 >>455
そうそう
出雲大社も正式にはいずものおおやしろ
でも実は出雲大社と名乗るようになったのはごく最近で古来からの正式名称は1000年間以上 杵築神社 きづきのかみやしろ 458です、そうです、室生寺のやつでした。
解説ありがとうございます。あの中に人が入るのではなくて、あれ自体を拝むものなのですね。
元々がストゥーパなので納得出来ます。
海老名のイオンショッピングモールの中庭にもありました。あれはイミテの塔?。
中途半端な大きさの五重塔ならぬ七重塔でした。調べたら、あれは模型の部類らしいです。
昔あった相模国分寺のを1/7にしてショッピングモール開設記念に作ったと言います。
まだ東部ワルドスクエアーのやつが潔いでしょう。 >>463
>>460
法隆寺金堂・五重塔の模型について先人の模型と比べてみようとしてます・・・。
前掲の「北九州」の先輩の模型もすごいですが(レス番271参照)、今日また下も見つけました。
五重塔が見事です。屋根が綺麗です。
”東京国立博物館表慶館の日本のたてもの展” 2020〜2021
ttps://togetter.com/li/1675803 >>461
仏教寺院は当初は平地伽藍と呼ばれ街中(?)にあったのですが
奈良時代も終盤になってくると密教系の影響で山地に進出しだします
これを山地伽藍とか山岳伽藍と呼ぶのですが、室生寺はこれに当たります
といっても、室生寺は密教系ではなく興福寺の別院としての創立ですが
しかし山地にあるので山地伽藍の特徴を備えた寺院になっています
山地伽藍の特徴は
周囲の自然環境を生かして堂塔の配置に決まりはなく、屋根も瓦よりも
自然素材(室生寺五重塔と金堂は檜皮葺)が好まれます
色も彩色せずに素木造りになる場合が多いです 続き
室生寺五重塔が小さい理由は、別院ということや場所の問題だったのかは
よく分かりませんが、斗栱が二手先だったり屋根が丁寧に作りこまれているので
経済的な問題ではないと思います
軒も二軒で地円飛角(じえんひかく)になっていますし
地円飛角というのは法隆寺金堂や五重塔には見られませんが
古い様式の一つです
地垂木が丸材で飛えん垂木(軒を伸ばすために地垂木の上につけられる垂木)が角材になっています
室生寺五重塔以降の遺構は地垂木も角材になっているので最後の地円飛角と呼ばれています
ちょっと寂しいですね >>462
神社も「かみやしろ」なんですね
では神宮も「かみのみや」になるのでしょうか
それとも「じんぐう」読みに引っ張られて「じんじゃ」になってしまったのでしょうか >>463
全国の国分寺は七重塔だったようで、しっかりと監修された復元模型は
結構作られているように思われますが、これはちょっと違いますねw
市制50周年の年は五重塔になり100周年になると十重塔になるというと面白い塔ですが
一番大きな復元模型は大阪万博で造られたようで、
その時の巨大な相輪が東大寺に展示されています
国分寺の総本山の東大寺は100m超えの巨大な七重塔が二基建っていたとされていますが
発掘調査をした結果、基壇が思いのほか小さくて、とても100mを超えるような塔は無理ということになり
関係者たちが困っている様子をNHKの番組で見たことがあります >>465
これは創建時を復原した模型でしょうか
基壇が黒くないのは公式見解なのか気になりますね 書き忘れていましたが、室生寺五重塔の相輪は宝珠と竜車ではなく
宝瓶(ほうべい)と宝蓋(ほうがい)が用いられています
が、これは後補で創建時はどうだったかは分からないそうです
日本では他に例がないですが、中国や半島には多いようです >>466
室生寺、五重塔・・密教系なんですね。なるほど山の中ですものね。
「二軒で地円飛角」も初めてみました。 丸材を垂木にするなんて面倒でしょうに!
七重塔・・・すごい物ですね。 もはや美しさより「どーだ」感が感じられます。
>>472
日本の垂木は角材にしてから丸くしています
中国と半島は丸木を持ってきてそのまま並べているようです
どっちも違う方向で非常に手間がかかっています
この違いは垂木の並べ方にあるようです
日本は平行垂木が多く中国と半島は扇垂木です
東大寺などの国分寺は国が造営した寺なので
国が威信をかけて建てたんでしょうねえ・・・
国分寺が廃れていったとはいえ現存していないところを見ると
あまり頑丈ではなかったのかもしれません >>473
五重塔ほとんど進んでなく、申し訳なし。
角材を作ってから丸材ですかー。大変ですね。丸材と角材とを組むのも大変そうですね。
ところで、大きな神社などで、手斧初め式てありますよね。
お寺さんではやらないんでしょうか?一寸調べたら金剛組では自社内でやっているようですが・・。
そして2019年時点で宮大工は、兼業含め1000人、専業では300人程・という記事を見つけました。
またこの記事では、「宮大工が継承してきた伝統工匠がユネスコ無形文化遺産へ登録が進んでいます。」も
有りました。
佐渡金山より重要だと思います。
ドイツと日本の大工さんが技を競うテレビ番組を大分前見たこと有りますが、木組み
技術だけでも十分誇れるとも思います。
無形文化財に登録申請するのには「宮大工」を如何訳すんでしょうか? ままではお寺さんがかわいそうな気もします。
宮大工の呼称をどう思ってるのか、「宮大工さん」に聞いてみたいです。 >>474
寺院も起工式や上棟式はあるようです
西岡棟梁の「木に学べ」によりますと
神式と仏式の両方をやって、白装束の宮大工が仕切って行うそうです
新築の場合は地曳きから建前などの式もあります
建前の時はカンナで部材を清めあげる儀式があるそうです >>なるほど、大工さんも大変ですね。
寺院建築は大阪の四天王寺が一番古いそうですね?
大陸から建築技術が渡来し、一気に高度な建築物が出来ちゃったようですね。
そこで、神社建築がそれまでの形から寺院建築にどのように移行していったか・・が興味沸きます。
やはり突如組物・瓦の寺院ふうの神社が出来たんでしょうか?
昨日ニコニコ動画の「ニコ美」で奈良博物館開催の「お水取り展」を見ました。 (なんかお水取りは気になってましたので)
二月堂で修二会が開始される前日(2月28日…昨日)に神道の「お祓い」をするんだそうです。
修二会の始まった752年(天平14年)当時は神仏習合だったらしく、東大寺も神様を大事にしてたらしいです。
修二会勤行中には「神名帳」なる神様の名前が書いて在るのを読み上げるんだそうです。
日本史は詳しく無いので、大化の改新あたりは良く分かりませんが、そのころの神社建築の
変容・・・なんて研究が有ったら読みたいです。
また今日から2週間、毎晩7時から有名な「お松明」がニコ動で見られるらしいです。
さっき見に行ったらもう終わってました。 写真なんかだと深夜に1〜2時間くらいやるんだと思ってましたが、意外に早い時間で、短時間で終わる物の様です。
(ニコニコ動画無料ですので、よろしかったら。) >>476
「古寺再現」(藤島亥治郎著)によりますと
四天王寺は日本で一番古い伽藍の一つだそうです
古いといっても全部焼失したことが少なくとも7回もあって
近世以前の建物は残っていません
昭和4年の室戸台風で仁王門とともに倒壊した五重塔は文化年間に再建されたもので
ずんぐりした大きな塔で普段は開放して五重目まで登れるようにしていたようです
そのために台風の強風で倒れたのではないかとされています
現在は鉄筋鉄骨コンクリートの伽藍に再建されていますが
これは建築基準法で木造が無理だったのと、寺側が木造を嫌がったためだそうです
二月堂のお松明を昨日やっと見られました
二月堂に火がつかないかとヒヤヒヤしてしまいますね
12日にお水取りがあるようです
閼伽井屋(あかいや)の板蟇股(いたかえるまた)の写真です
https://i.imgur.com/RWm1ZVz.jpg
閼伽井屋前の説明板
https://i.imgur.com/U95jNDk.jpg
二月堂の隣には三月堂(法華堂)があり、こちらは半分だけ奈良時代の建築になっています 四天王寺古いよね
あと善光寺も凄いよな 仏教が数多の宗派に別れる前からの寺 また五重塔で申し訳ない。
震災の話題に乗る様で恐縮だが、五重塔耐震構造云々が良く言われる。
実は私は震災当時、日野の高幡不動に参詣していた。
あそこの五重塔が各層、互い違いにスライドする様に揺れていたのを覚えている。
伝統的に木造で作られたものはその様に揺れて減震する作りなのは知っていた。
しかし、そこの五重塔は戦後昭和の鉄筋コンクリートの筈。
基礎から天辺まで鉄筋で通して造ってあるのだが、それがその様に揺れるのが不思議。
鉄筋でがっしり通して造ってあるのならそんな揺れ方はしないと思うのですが。。。 >>476
日本に仏教が伝来したころに、寺院を建立するための人も
日本に渡ってきたそうなのでその人たちが指導して造ったのだと思われます
新しい技術に日本の大工さんたちも驚いたことでしょう >>478
日本に伝来したころに仏教と現在の仏教は
仏教建築みたいにいろいろ違っているんでしょうかね >>479
すごい体験ですね
西岡棟梁も慌てて観察したそうですし
画像を見ると木造建築にしか見えないくらい精巧に作られてますね
実際に建てた桜建設という会社のサイトによると
実際の古代の五重塔と同じ構造になるように作られているようです
そのために同じ揺れが起こったのだと思います
素晴らしい技術ですね >>479 です。ありがとうございます。
わざわざ調べて下さって。なるほど、実際の古代の五重塔と同じ構造に作ったのですね。
長年の疑問が解けました。
実は塔頂の水煙部が落ちてすごい音がしました。
その時は護摩堂に居たのですが、軒に吊してある風鐸が落ちたのかと思いました。
幸い落ちてきた時に人に当たったり護摩堂に当たったりの被害はありませんでした。
これも御仏のご加護でしょう。
今日、震災時刻に参拝をしてまいりました。(合掌) すみませんスレ違いかもしれないのですが質問よろしいでしょうか?相輪橖の所在地についてなのですが… 相輪橖は全国で8基現存しているそうなのですが、@比叡山延暦寺A日光輪王寺B茨城県西蓮寺C徳島県太龍寺D太宰府とスマホで調べてこれだけ分かったのですが、残りの3基は何処にあるのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃったら教えていただけませんか? >>483
事故がなくてよかったです
古来、五重塔の被害というのは相輪が折れたり傾いたりするくらいなようなので
金属の相輪が一番脆いのかもしれません >>485
仏教堂塔事典(前 久夫著)には主な遺構として
7基挙げられていて、四天王寺と身延山にもあるようです
四天王寺のものは江戸時代で身延山は?マークになっています
身延町のサイトを見ますと、近代以降に作られたものも含めると17基あるとなっていて
数が増えてしまいますね >>485
検索したら群馬県藤岡市の浄法寺にもあるようです 485です、すみません番号をふったのですが?マークになってしまっていました。
487さんありがとうございます!四天王寺 相輪橖と検索しましたら写真出ました、身延山 相輪橖もサイトを見つけることが出来ました!教えていただきありがとうございます。 485です、488さんありがとうございます!重要文化財のサイトで検索もしてみたのですが、国指定だったようでだいぶ狭い検索をしてしまっていたようです。検索して下さりありがとうございます。藤岡市のサイトで相輪橖確認出来ました!これで現存しているという8基全てを確認出来ました、書き込んでくださった方々ご協力ありがとうございましたm(_ _)m >>485
>>488
相輪橖…初めてみました。 相輪のみが立ってるんですね!?
丸太のみの仏塔もあったらしいですが、随分と豪華ですねー。
中に心柱は有るんでしょうか?
オリジン好きの性癖と共に日本の古代史本を数冊読んでますが、日本史をまともに理解してません。
法隆寺の模型を作りつつ日本の寺院建築や神社建築の原初も知りたいのですが、先ずは知識の断片を紙にかいて
整理を始めました。
時間的にみると日本の建築史ではBC2000年の高床式倉庫が木造では一番古そうですね。
それからAC300年代に出雲大社ですか・・・。
BC370年に高句麗に仏教伝来・・・で593年頃四天王寺ですね。
出雲大社の建築様式は気になります。この頃(大和朝廷時代)の建築はどんなものだったのでしょう?
あと、読んだ本でおもしろかったのは、「飛鳥寺の日本書紀の記述は・・刹塔を立てた」です。
四天王寺も中門を入ると正面が塔のようで、やはり仏塔が寺院では重要なんですね。
模型の五重塔は中断中です。ご寛恕ください。 >>492
多重塔や多宝塔から屋根と軸部を取り除いたものということと
高い位置にあげる必要もないので心柱を必要としてないんじゃないでしょうか
「仏教堂塔事典」によりますと
古くは蘇我馬子が大野丘に建てた塔というのも
切り倒して焼いたそうなのでこれだったのではないかということです >>492
仏教建築伝来以前の日本の建物は掘立柱です
ただ掘立柱だけだと柱が沈み込んでしまうので
掘立柱の下の地中に礎板という板を入れて対策をしていました
仏教建築とともに礎石も入ってきたのですが
その後も重要ではない建物は掘立柱で建てられていました
掘立柱の利点は礎石の上に建てる柱と違い、柱だけで直立できることなので
斗組のような柱同士を連結させる仕組みは必要がなく
古来の神社建築のような単純な建物で済みます >>494
掘立て小屋と言えば聞こえが悪いですが、掘立て柱の歴史はふるいんですね。
日本の木造建築の源流は「三内丸山遺跡」(〜BC40C)でしょうか?
掘立柱建物として高床式建物、六本柱建物が復元されてますね。高床式では正倉院の壁構造の様な木組みになったました。
また、その後の「吉野ヶ里遺跡」(〜BC4C)の復元された物見やぐらでは「柱の通し貫き構造」が見られます。
そこで木組み技術の歴史は・・と見つけたのが↓です。 BC70Cで中国ではもうこんな技術が有ったんですね!すごいです。
日本のBC40Cでも大陸との交流があったのでしょうね。 (先頭のhは割愛)
ttps://songye.exblog.jp/27423834/
出雲大社、大和三輪神社・・・あたりも検索してみましたが、古墳時代・大和王権時代はほとんど分かった居ない事が分かりました。ww
纏向遺跡の発掘で、日本の建築技術研究が進んでいるようですが・・↓、これからですね。
ttps://www.tokyo-np.co.jp/article/12610
ちなみに山内丸山のアレは6つの穴からあれこれ想像した5つだかの候補から選んだモノを建ててみただけ
実際はどんなんだったのかは永遠の謎
この事情を知ってればあんなもの作るべきじゃなかった 奈良の佐味田古墳出土の家屋文鏡に描かれている4棟の家屋が4世紀前半くらいの
豪族の建物とみられているようですね
竪穴式住居のような建物も描かれていますが
竪穴式住居は中国や半島にもあり、それぞれ風土に根差した発展がされたようです
校倉造りは世界各地で見られるメジャーな工法のようですが
日本が他と違うのは高床式になっていることだそうです
これも風土に根差してそうなったといったとこでしょうか >>496
出土品にこういう絵が描かれていたというわけではないんですね
他の復元建物は建物としてのクオリティが高いのに
このなぞの建造物だけ時代が違う感じですね >>499
家屋文鏡・・・4Cですか・・・。
確かに柱は認められますが、縄文時代から2000年以上も経過していることを考えると、
あまり建築技術は発展しなかったんでしょうか?
竪穴住居もまだ有ったとは・・・にわかには信じられませんねー。
(家形埴輪の検索から↓の5C頃の 埴輪工房の復元家屋を見つけました。 家形埴輪と上記の家屋文様は似てますね)
ttps://intojapanwaraku.com/culture/161903/
同時代の創建と言われている出雲大社、大和三輪神社とこの「家屋」との乖離は一体何なのでしょう?
>>501
奈良・平安時代までは農民は竪穴式住居に住んでいたようですよ
住んだことはありませんが、住み心地はそれなりによかったのかもしれないです
当時は大工道具も種類が少なく発達してなかったので
現在出雲大社でみられるような洗練された本殿ではなく
もっと素朴なものだったのではないでしょうか
大和三輪神社は大神神社のことでしょうか
当時の大神神社は建物自体がなかったと思われます
神社に建物を常設するという発想自体が仏教寺院の影響を受けたといわれています 相輪橖に似た(?)ものとして傘堂がありますね
一本の柱の上に屋根が載ってるお堂です
本柱一本では心細いのか一本だけ控え柱というか補助してる柱が入ってはいますが YouTubeに奈良文化財研究所の「なぶんけんチャンネル」があるのですが
最近アップされた「第13回東京講演会」のシリーズが面白いですよ
山田寺がテーマで寺院建築の東アジアとの関係とか瓦とか分かりやすく説明してくれています >>502
竪穴式住居は平安時代までですか! なんか雨仕舞が悪そうですけど、何か工夫が有ったのでしょうね。
大工道具ですが、手元のカラーブックス「古墳」では・・・
百舌鳥大塚山(古墳)で鍛冶道具の 鉗(かなはし)、鋸、斧、手斧が出土しているようです。
大和三輪神社は大神神社とも言われてるようです。
3月29日にまーたBBX頂いてまして、出禁でした。 (´;ω;`)ウッ… >>503
傘堂 見てみました。 なんとまあ不思議な形ですね。
奈良県の物しか探せませんでしたが、17Cの物の様ですね。
江戸時代のなぜこんな物を、不思議ですね。
画像検索dうぁ、タイにもあるようですね。 建設時代は分かりませんが・・。
「カラタゥンの傘堂」で検索してみて下さい。 屋根がまた不思議な形で、これもおもしろいです。
もう先頭hハズシのURL添付も、怖くて貼れませんので、御免ください。 >>505
壁のようなものができていたりして形は進化していたようです
半島からの渡来人の集落跡ではオンドルの形跡が発見されているそうです >>506
カラタゥンの傘堂は初めて見ましたが面白いですね
日本のお城みたいなものが屋根に載っていると思いきや
登れるところまではとても簡素なので
屋根の部分も軽い材料でできているのでしょうか >>508
ご無沙汰です。
「なぶんけんチャンネル」、山田寺・・見ました。
しっかり仕事されてるのが分かります。
山田寺の連子窓が発掘されたのですね! すごいですね。
それとやっぱり現存する法隆寺ー金堂・五十の塔のすごさを改めて知らされます。
古墳時代の住居、居館の木製遺物の発掘があると良いのですが、中々無いのでしょうね。 模型全然進捗有りませんが、金堂も一年以上経過し、ホコリがひどいのでケースを新調したので
記念写真を撮りました。
狭い居間の片隅、いつもの汚い画像で申し訳なし。
作品(?)の置き場所を設えたので過去の物も合せてお目汚しまで・・。
https://i.imgur.com/fQ33V36.png
@法隆寺 金堂 1/150 内陣に壁画・仏様安置
A法隆寺 五重塔 1/150 内陣に壁画・塑像安置、相輪全再現 (ベース未)
B招き猫 胡粉塗り原型を購入、彩色 (後ろはネット購入の骨とう品)
Cイチロー紙人形 7年前製作タテバンコ風
D豊田章男社長ラリーデビュー(2012)記念 自働車模型 (タミヤ製1/24模型に社長ーモリゾウ人形制作し搭載)
E昨年金堂を野外撮影した際の 五重塔
書斎が欲しいです。 >>508
五重塔のベースも完成してませんが、1/150の金堂・五重塔のプラモメーカーには同縮尺の
法隆寺・夢殿がありました。
夢殿は製作する積りは無かったのですが、一寸調べている内に↓のすごい模型を発見してしまいました。
1/20スケールでとても精工な模型で、闘争心が湧いちゃいました。
内陣には救世観音像もあり、宝珠もすごいので作り甲斐がありそうなので、トライしてみます。
お時間在りましたら・・YouTube で 「木製模型 法隆寺 東院 夢殿」で検索してみて下さい。
ただメーカーでは絶版らしく、あまで6000円、楽天で10000円・・・安いの探します。
・・・と思ってましたが、ヤフオクで3500円(定価より高い)でゲットしました。 >>509
山田寺で出土した土砂が流入して倒壊した東回廊の一部は
法隆寺より50年以上前のものだそうです
山田寺跡に行ったことがあるのですが、畑に囲まれたのどかなところで
土砂が流入するような山もなく不思議な感じがします
現代に至るまでに全部流入しちゃったと言うことなのでしょうかねえ >>510
ケースに入れてもらって大事に扱われて
金堂も五重塔も喜んでいるんじゃないでしょうか
本物の方もこうやって大事にされながら現存しているんですね
自動車にイチローに招き猫に仏堂に五重塔が並んでいるさまは壮観です
見る人は飽きずに見ていられるんじゃないでしょうか >>511
夢殿は東院伽藍の本堂です
じつは鎌倉時代に大改造を受けていて創建時の姿ではありません
しかし創建時の模型を見るとちょっと簡素というか素直な感じなので
今ほどのカリスマ性は放ってなかったと思われます
模型の完成が楽しみです >>514
本堂なんですか、すごいんですね。
このあたりの模型は金堂・五重塔・夢殿は必ずラインアップされてますね。
夢殿検索してて、鎌倉時代に大幅に変更された図面(比較断面図)みました。
また野小屋追加したんですね。
ところで、いくら探しても建物の大きさ(寸法)が分かりませんでした。
資料お持ちでしたらお教えください。
断面図は見つけましたので、基壇寸法だけでも、在りましたらお願いします。
スケールモデルは、まずは寸法・形状が分らないと先に進めませんので。 >>515
夢殿は一般的に有名で人気のある建物ですがそのわりに
専門家の方にはあまり人気がないようであまり詳しい記述がみられません
基壇は当初は一重の基壇でしたが、のちに現在に見られる二重基壇に改造されたそうです
基壇のサイズは最大径は11.3mです
建物自体の一辺は5mで、他の寸法は見つかりませんでしたが
野屋根によって屋根が2m高くなり軒は80センチほど深くなったようです
参考になればいいのですが
柱は内転びで八角柱です
ちなみに八角堂の柱は八角柱で六角堂の柱は六角柱です 本に載っている図を測ってみたところ
11.3mは基壇ではなく建物の最大径だと思うのですが
本には基壇の最大径だと書かれています
上層基壇の端と建物の距離は5mの三分の一くらいです
それだと狭いような気もしますが、もともとは一軒(現在は飛えん垂木がついて二軒)で
軒の出が少なかったのでそんなものかもしれません 明日図書館に行く用事があるので、ちょっと見てきますね
市のセンターに併設された図書館ですが寺院関係の図鑑があると思います >>518
ご面倒掛けます!
八面の側壁の横幅はお教えくださった寸法より現物が小さかったので、当方も調べてみました。
奈良県見県庁の文化財保護課に問い合わせましたら、色々ありましたが、資料のデータをメールで送ってくれる事になりました。
電話口で先ず、上記の幅を教えてもらったところ「柱中心幅で15.403尺(455.7cm)」であることが分かり現物とは10センチ程度の誤差です。
わざわざ図書館にまで・・申し訳ありません。
資料名は「國寶建造物法隆寺夢殿及東院廻廊修理工事報告 」 昭和14年の修理の報告書らしいです。
(法隆寺国宝保存工事報告書の第9冊め?)
(国会図書館ではWEB公開はしてませんでした。”CiNii 国立情報学研究所 学術情報ナビゲータ”のサイトで書名を入れると
所蔵の機関の一覧が見られる様です。 これで見るとこの書籍を所蔵してるのは上記保護課の他、奈良文化財研究所、奈良県立図書情報館等23ケ所でした)
>>519
昭和に解体修理をしただけに寸法のわかる資料があるんですね
小さな図書館なのでさすがに工事報告書は置いてませんが
とりあえずどんな説明がされているか見てきますね
送られてくる資料データが楽しみですね >>520
資料送られてきました。
第6図 平面図
7図 立面図
8図 断面図
11図 隅行詳細図
12図 斗栱詳細図
13図 軒規(矢巨)図
第7図以降はスケール(尺)が記入されてます。
第7,8図ネットで見られる画像とおそらく一緒です。 模型屋さんもこの資料を入手して製作してるものと思われます。
ただし、スケールは小さくて読みづらく、印刷しても読み取り精度は高くなりませんでした。
電話口のオネイサンの「15.403尺」は読み取れませんでした。ww
各部の寸法をチェックして行こうと思います。
第11図以降は私には宝の持ち腐れで、申し訳ないです。 せっかくの花金の午後の時間を浪費させてしまいました。
先生にも何とかにもPDFお送りしたいですね。 こういう時にはツイッターなんかが便利そうですが、やってませんし・・・・。 >>521
無事に資料が来たんですね
古い報告書なので字が潰れてしまっているのは残念です
そのせいで詳細が出てないのかもしれないですね
さすがにそんなことはないと思いますがw
どの本に書いてあったのか分からないのですが
自分で書いたメモだと基壇の一辺が5mとなっていました
でも手元の本の平面図を見ると5m以上になるという謎現象が起きています
図書館には「日本の名建築写真選集 法隆寺」という大型本で
法隆寺の建築物についての本がありました
やはり西院伽藍がメインで、夢殿の写真は3枚ほど
内部の写真も一枚ありました
差し渡し径は天平尺38尺(11.266m)だそうです
天平尺は1尺が29.6mです
尺にも高麗尺、唐尺などの種類があり、物差しを作る人によって
結構バラバラなことがあるようです >>522
差し渡し径38尺は基壇です
言葉足らずでした 検索していたらサイズの書いてあるページを見つけました
文化遺産オンラインです
ttps://bunka.nii.ac.jp/suisensyo/horyuji/APPENDIX-8/appendix8c.html >>521
基壇の上部側面の一辺は、貰った資料からの推算だと〜6.6メートル位だと思われます。
内部の写真いいですね。 文章の説明でも結構なので、お教えください。
内部の情報も殆どネットには上がってませんね。
>>524
凄い資料ですね。
丹念に調べればある物なんですね!
しかし英語とは・・・・。なぜ国民には知らせてくれないんでしょう? 外人の方が良くし知ってる何て・・・。
左上の図は四半敷の床のパターン図でしょうか?
今日は最初に紹介した1/20の模型の動画と図から、基壇上は更に二段の段がある様なので八角の部品を二つ作り始めました。
断面図を見るとドーム状の構造物が中央にあり、上部から心柱が宝珠に向かって立ってますね。
心柱も一本物出もなさそうで、上部は継いである様ですが、ドームとの接合は、この断面図だとどんな構造なのかは
分りません。
不思議な構造ですね。この辺は内陣の様子どころか画像は先ずなさそうですし、お先真っ暗です。 >>525
入側柱(内陣柱)も八角柱で地垂木はまだ朱色が残っていました
地垂木の上に張られている板は白く塗られています
入側柱も側柱(外側の柱のこと)と同じ8本で
上に掛けられたドーム状のものに張られた板も白く塗られていました
板は横向きで少なくとも8枚見えました
入側柱と側柱の距離は1,6mと書かれている本がありました
連子窓は裏側に扉が付いています
これは他でも見られるので一般的な装置だと思いますが
扉が全部閉じられていたので、どのような装置になっているのかよくわかりませんでした >>526
入側柱の外側にも何やら段があるんですね
その段から外側が通路ということで1,6mということかもしれません 「法隆寺」(浅野清 著)には
内部は凝灰岩の二重の仏壇があり
二重目の壇が内陣一杯を占め、その外を囲って八本の八角柱が立っていると書かれています
内陣(身舎)には八角形の円蓋形の天井がつくられていて、仏壇の中央には
漆塗八角の厨子が置かれています
これは夢殿の修理が完成した昭和15年に、元禄に改装された不調和な厨子に変えて
新調したものだそうです >>525
床のパターンは恐らく図の通りになっていると思われます >>529
有難うございます。 金堂、五重塔の同様に四半敷貼り込みます。
側柱+ドームの構造も何となく分かり、救世観音像の厨子の形も画像で見つけましたので、
何とかなりそうです。 心柱は先端の宝珠部分まで有りそうですね。
内陣の中の像も一杯あるらしく、賑やかになりそうで楽しみです。
宝珠周りの「光芒、光明」はどーした者か困ってましたが、↓の模型屋さんで過去販売されているのを発見。
問い合わせたところ、再販の予定があるとの事(〜半年)でした。
寸法チェックしたところ、1/150で高さ10mm程度でほぼ正確で、形状も実物に限りなく近く、すごい物です。
見てみて下さい。
検索ワード=「石屋 エッチング 商品概要」
一番最初の「商品一覧」・・・の下方に画像あります。 >>529
以前スパイカメラで金堂の内陣を撮りたいと思い失敗しましたが、
今回「大人の科学ー2013年、付録=USB特撮カメラ」を購入し再度トライ。
結構接写がきいてよいのですが、カメラが大きく内陣内部までは入れられませんでした。
何とか画像撮影・保存まで出来ましたので、スンゴイ汚い画像ですがあげてみます。
法隆寺金堂が夜間ライトアップされていた・・がありましたが、その疑似体験をちょっとだけ出来た感じ・・だと良いんですが。
https://i.imgur.com/wCZZUho.png
夢殿は基壇の途中です。 >>530
宝珠は芸術的ですが、作るのは大変そうですね
精巧なものが売っていてよかったです
しかも大きさもそれ用に作られているのでピッタリそうですね
>>531
金堂、本物みたいですね
本物と違ってガラス板も入ってないので、本物よりもリアルだと思います >>532
石屋産のエッチングはすごいです。 530のWEBの「組立説明書」では
夢殿の修理報告書にも言及しており、更に光明の配置まで考察してますね。
USBカメラで金堂・五重塔・夢殿の内陣画像をまた(今度は綺麗に)撮りたいと思います。
夢殿の入側柱(八角形)を製作してますがどーも旨く行かず苦戦中です。 二面幅2.5mmの八角形は難しいです。
建物自体の八角形も、矩形に比べれば余程難しかったと思われます。
基壇上の2段の八角形も、COS62.5度なんぞが出て来て往生しました。
数字はともかく部材の加工も八角形は難しい! 八角柱って難しいんですね
八角堂は現存数も少ないですし、実際にもあまり建てられなかったのかもしれないですね >>534
今日は夢殿の入側柱8本に白壁を取り付け基壇上で組付けてみました(画像略)。
柱自体八角には見えず、上部に白壁(プラバン)を貼り付けるも、垂直・上面からの八角も
全然マトモでなく、しばし沈吟。どーした者か思案中。
連子窓も今回はΦ0.5の真鍮線で密に組み入れようと試作しましたが、やはり「密」は難しく、
何やら鉄格子の様に見え、監獄の様になってしまうので中止。(真鍮線20本も買ってしまい・・・しばし沈吟)
相変わらず夢殿の内部の様子の画像が一枚しか見当たらなくて困ってます。
それに救世観音像のお身高さがほぼ等身大らしく(1.2センチ 1/150)御厨子は大きそうですが、
見栄えがしなさそうで、これも心配。
「金堂の釈迦三尊は大きかったんだなー」としきりに感心してます。
この救世観音は元は金堂・釈迦三尊の左に安置されてたそうです。 >>535
内部の画像は、本当はダメなのですが撮影してしまっている人がいて
それをアップしていたりするのでGoogleで夢殿内部などで画像検索をしてみるといいかと思います >>536
なるほど、撮影禁止なんですね
出版社もやはり恐れ多いので撮影許可取らないんですかね?
USBカメラが面白いので、夢殿動画がアップできるかテストしてみます。
如何かな?
https://i.imgur.com/9hRrI2I.mp4 >>537
グーグルで赤い太子像が写ってる画像見つけました。 有難う御座いました。
先生が見つけられた夢殿図面が海外版だったのを思い出し、海外サイトを見てましたら
内陣の一枚をやっと見つけました!
これでおおよその内陣の様子が分かります。
Yahooアメリカ・・・yahoo.com で
「JAPAN – Horyu-ji day trip from Osaka/Kyoto: world’s oldest wooden structures」
・・・の検索ワードで見てください。 このタイトルのサイトです。 ・・ Christratravel bog でGB BLOBA ・・・・の書き出し。
下の方の画像群の下の方にあります。 >>536
夢殿救世観音のお厨子の大きさが気になり、前掲の模型やさんー石屋さんならと思い、
メールでお尋ねしましたが、資料はお持ちでないとのご返事をいただきました。
・・が宝珠の光芒のエッチング部品の在庫が1個見つかったとの連絡をいただきました。ラッキーでした。
今後、1/150金堂・五重塔の模型を作られる方々のために、石屋さんに勾欄の卍模様のエッチング部品をつくってもらいたいです。
その後厨子の画像をネチネチ探してましたら厨子の上部に何やら金色の宝珠があるらしいことが
分りました。 この厨子は新しいんでしたよね? 意匠の元は何処なんでしょうか?
ダメもとで奈良県の軍家財保護課さんに又問い合わせメールをしました。
今日までに一層朱壁の連子窓をやっつけました。 実際は一窓に16本の連子子なのですが、10本がやっとです。 >>539
在庫を見つけてもらって一安心ですね
宝珠は最難関ですからねw
厨子は救世観音像が一体あるだけなんですね
8面もあるから何体か納めてあるのかと思っていましたw
厨子は正木直彦が呼び掛け、岸熊吉が設計したそうです 正木直彦さんは東京美術学校(東京芸術大学)の学長だった方で
岸熊吉さんは東京美術学校の出身で法隆寺の大修理にも携わった技師のようですね
製作をしたのは昭和の大修理をしていた宮大工なんでしょうかねえ
厨子金具は清水南山(彫金師)と魚住為楽(金工家)という二人の名前が出てきました
他は手持ちの本やネットではたどれなかったので
正木さんも岸さんも厨子については触れていないと思われます
今となっては大いに自慢してほしかったですね >>540
救世観音像の厨子は昭和の修理時にお二方の尽力で作られたんですね。
凄い事ですね。金具も塗りもさぞすごいんでしょうね。 金色宝珠迄あるんですものね。
でも作り変えられる以前の厨子も木みたいです。
奈良県文化財保護課さんの返答はまだ有りません。
例の修理報告にそれまでの厨子と新規の厨子に関する情報があり、また資料送ってくれると良いのですが・・・。
夢殿の4面の連子窓は金堂モカイの物に比べて正面開口率が極端に少なく、図面では概算で17%でした。
前期の内陣写真をみますと、おっしゃられたように内部から板で覆われており、蔀戸なのかメクラ板なのかわ分かりません。
4つある入り口の「遮板」の真ん中の開口部には蔀戸が設えてありますね。
扉とこの蔀戸は夜間は閉じる物なんでしょうかね? 閉じるとするとどのように閉じるのかは謎です。(どこから閉じて外へ出るのか?) >>540
奈良県の文化財保護課の方から昨日↓の丁寧なメールをいただきました。
「夢殿の修理報告書と昭和資材帳を調べましたが、どちらにも厨子の高さは記されていませんでした。
形については修理報告書に八角形と記されており、大きさについては昭和資材帳に幅と奥行きがともに
227.0?であることが記されています。
また昭和11年に制作された黒漆塗の厨子であることがわかります。
手元にある資料でお答えできるのは以上の内容になります。」
高さの情報はいただけませんでしたが、二面幅が2270mm(〜7.5尺)で正しいと思われます。
有難い事です。
高さは石屋さんのおっしゃられる如く、画像からの推定しかなさそうです。 >>543
創建時の厨子とは違うデザインの厨子なので
あまり重要ではなかったのかもしれないですね
玉虫厨子みたいな凝ったものでもないですし
連子窓の内側は栄山寺八角堂は板扉付き連子窓などと説明されて
実際に扉を開けてる古写真もありますし、中に入った時に扉があることを確認したのですが
夢殿は空いてる写真もないですし、どこにもそのような説明が見られないですし
中は暗くてよく見えないですし板で塞がれているかもしれないですね
法隆寺は五重塔もそうですし >>544
栄山寺八角堂の連子窓は板扉付きなんですね。
やはり密閉出来る構造が基本なんでしょうね。 夢殿の窓にも蔀戸つけましょう。
ところで、栄山寺八角堂の連子窓の開口率はやはり小さいですか?
窓の縦幅が大きいので、採光量を計算してると推察します。
今日はつべの曲を。 先週は嬉しい事も、悲しい事も色々ありましたので・・・。
YouTubeで「【感動】プロ本人が登場した路上ライブ、最後の演奏に拍手が止まらない。」・・で
検索してみて下さい。 POPS曲が元曲らしいです。 >>545
紹介された動画の元曲は中島美嘉の冬の華ですね
中島美華の歌声も聞こえてくるようないい演奏でした
さて、「栄山寺八角堂 文化庁」で画像検索すると
白黒の古そうな写真があるのですが、その写真は珍しく連子窓の内側の扉が開けてあります
特別公開で見に行ったときは閉じてあったのでめったに開けてないと思われます
珍しい画像なので是非ご覧ください
扉は上下の長押に軸穴をあけてそれで開閉させています
この時代はこれが一般的な扉の吊り方です
夢殿も内側にも長押があるので扉でもいけると思うんですけどね >>546
栄山寺八角堂 内側の扉・・・の画像見つけられませんでした。
画像元のサイトはどこでしょうか? 是非見たいです。
この画像以外に、開閉構造が分かる物はありますか?
今日は夢殿基壇床に「床パターン」を張り付けました。
「四半敷」と思ってましたが、堂内画像を見ると金堂などの様な小振りなタイル形状を
敷き詰めるのではなく、大振り(60p角)の基壇構成石材を敷き詰めているように見えます。
堂の周りの回廊部分は平らで境目も小さいですが、堂内はゴツゴツですね。
>>547
Googleの画像だけを検索できる機能で「栄山寺八角堂 文化庁」で
検索すると上の方に白黒の写真が出てくると思います
文化庁の事業で何か募集した時のもののようです >>548
有難うございます。 見つかりました。
8世紀建造で、内部に彩色画が残ってて国宝・・・すごいですね。
夢殿より小ぶりですね。
連子窓の遮蔽はなんと観音開き、扉構造。
窓の覆いといえば蔀の上下スイング構造しか思い浮かびませんでした。
入側柱構造を基壇に接着し、いよいよドーム屋根に取り掛かってます。
先ずドーム形状を粘土で製作中。 この後どーするか思案中。
法隆寺ライトアップを検索していて↓の五重塔の画像発見。 雰囲気いいです。
今回作った五重塔と同じものを組み立て完成品を販売してる会社があり、それを購入した人が
レビューで画像をアップしてました。 お時間在れば・・・・グーグルで。
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