先祖供養の是非
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
墓を粗末にして亡者が暴れるなら
最初から墓など作らなければよいのではないか?
祭司に縛り付けず自然の循環に返すのが吉 >>2
たしかに・・それもひとつの「真理」かもね。
個人的には、亡くなった御霊のためには「墓」は必要ではないと考えている。
一般の人間が墓を持つなど、江戸時代後期ではないだろうか。
だとすれば、それ以前の長い歴史では、多くの人は墓など持たなかった。
墓がなければ、墓に関わる様々な経済的負担も祭祀負担もなくなる。
勿論、墓を持つことで成り立ってる「寺」も今のような形でなくなる。 鳥居はゴミ
神社はいらないゴミ
神道はウンコ
Fateが正義 「墓」を持たない習慣が定着することで、生きている人間が
目に見えない呪縛から開放されるメリットは大きい。
墓なんかなくたって、「位牌」でも先祖への祈りの窓口は成立する。 墓はいらないから骨は燃えないゴミに出すように遺言状に書いとけよw 先祖供養は続く。続かないのは今の仏教の「檀家制度」だろな。
亡くなった人を供養したいという気持ちは、人間が居る限り続く、でもその供養に対し
信頼してお任せ出来る寺院や僧侶が余りに少ないと感じている点が問題。 先祖の遺産を受け継ぎ利益にするなら先祖供養は必要という道理
先祖の遺産も守護もいらぬなら供養の義務もないということになる 先祖供養、祈り2時間せんと守護霊が働かんで、働かんと破産とかするぞ。2時間祈らんと元気ないぞ。 >>15
人の体の形をした大根だとか切り口が人の顔になつている果物だとか
どう見ても脳味噌型もキャベツだとか心臓型のトマトだとか肺の形のナスだとか
できそうで怖い。。。 先祖供養は大事だけど
阿含宗みたいにそれで金取るのはな 「先祖供養」という言葉が適切かともかくとして
そもそも日本の仏教の原点が先祖供養にあるのは事実だと
思う。
いやそもそも先祖供養が先で仏教が後だったのが事実では
ないのだろうかと最近思う。
それが最近、仏教の方を前面に押し出しすぎてきて
本来の先祖供養がうしなわれつつある気がしてならないのである。 先祖供養は、今ある自分に命をつなげてくださってありがとうございます。という感謝の気持ちからなので、必要かと思うが(謙虚な気持ちを身につけるためにも)
墓は正直いらんやろと思っている。
実家の一帯が「墓なし、お骨は本廟へ」だったのもあるが、墓を潰して、自分とこの宗派の本廟にってのは問題ないだろと。
ただ、拝む人がいる対象物を粗末にしたらアカンのも本当だろうなとも思う。
血縁関係者の了解をとるなら、先祖供養のやり方を変えるのはありかと。墓の購入とか維持とか高いもんな。 >>23
そのとおりだと思う。霊的な意味でも「墓」は必要とは思わない。
今後は墓を持つ人はどんどん減ると思う。
各家の人墓から、遺骨を一緒に収める合葬墓へ移行する墓も増える。
そうなってくると、墓地を持つことで成り立っている「霊園」や檀家寺は厳しくなって行く。 先祖供養だけじゃ足りない。因縁の供養もしないと。
先祖の供養、宅地の供養、家系因縁の供養、有縁無縁の供養…
供養を本気でやるならきりがないんだよ。それではじめて因縁が変わる。
もっとも、十分な金と体力気力が必要だが。 悲惨な死を迎えた場合の供養のためのモニュメントは一定期間必要
役目を終えれば速やかに撤去されるべき対象
ましてやただ普通に死んだのに墓など建てるに至っては
醜い執着にほかならない 縁がないなら気にしなくていいけど陰宅はそこそこ人間に影響を与えるのは知っておいたほうがいいと思います 後は人間の運期を知ると開運期がわかるし面白いものだと思います 死ねば人間は来世に転生します
人間の思念の残りかすやその依り代となる体が現世や子孫に影響を与えるだけです
その人間のカルマにより個人の運命が強い場合はそういった事はしなくても大丈夫ですがある程度子孫である自分に影響があることは一考に値する事柄ではあります 「仏教」が間違い
日本における仏教とは本来先祖供養の形を借りたものだっただけ
仏教の教義なんて関係ない 先祖の意味がわかってない、戦後民主主義脳の厨房が多すぎて
話にならない 坊さん本人が「死んだら終わり」と思ってるんだから檀家が墓じまいするのも当たり前というか 嫌々家業を継いだだけの坊さんの生活を支えることに意味はないと思うんだよなあ 先祖供養は魂の残りかすの魄を処理しているだけなんて虚しくなる 不況になって墓を建てられない貧乏人が増えて
ビル墓、散骨、樹木葬等になった。
日本人ならなるべくしたくないものだ。
景気が良いなら墓も建てるし何でも買う。
すべては経済状態だ。 七分獲一でさ、先祖供養の功徳もほとんどが施主に戻ってくるんでしょ
だから、供養という名前の祈祷の一種と考えれば良いんじゃないの 日本仏教とはつまり先祖供養だろ
先祖供養から離れて「釈迦の教えは〜」とか「本当の仏教では〜」
とか言い出したのが日本仏教衰退の原因 団塊世代がアカになってメディアを支配し、オウムがサリンまいたのがとどめ 世代別政党支持率では団塊が頑強なアンチ自民で、立憲民主党の支持基盤ですが…。
自民党は超高齢層と若者が支えている。 関係無いようで、実は大いに関係ある。
一家が安泰ということは結局、国も繁栄することになるからな。 欧米は先祖供養してねえのに世界の先進国になったのは何故だ?
西洋は古代にケルト文化つうので先祖供養してたらしいが?? キリストが引き受けてたけどキリストが近代になって「疲れた」つうんで
仏教に助けを求めた。
んなもんで、現代欧米人は仏教に傾倒してこれをどうにかしようと思ったのさ。 マスク具着用宜しく先祖供養という頭がない欧米人は「さてどうしたものか?」と戸惑い
仏教の「汎有仏性説」とキリスト思想から、環境自然保護、動物愛護という思想を編み出して
各地で保護活動を展開してるが、押し付けがましい物が多く有名な反捕鯨団体のような
過激なことをしている。
却ってカルマを重くするようなものである。 逆に先祖さんが供養行き届きすぎて神さまみたいになったって話しも聞いたことあるけどどうなんやろね
お盆とお彼岸春秋に確りしとくと確実に積み重ねがあるよ
特にその時期なんか供養の効果があらわれやすいらしい
よかったらためしにお寺に施餓鬼やら精霊供養やらたのんでみて
自分は供養してもらったらむっちゃ楽になったー
供養したら供養したぶんは積み重ねや消えることはあらへんで 正直何故先祖なんか供養するの?
あいつらのせいで俺は産まれてこなければならなくなった。
色々悩まされた!怖い思いも味わった!嫌な事も沢山あった!産まれて来なきゃ良かった!真面目に思う! 良い事は悪い事の十分の一位しか無い!
こんなツマンナイ人生返上させて頂きますよ!
といっても自殺なんか恐くて出来ないしクソつまらんわ! 58の意見も一理あるな、目上や親が絶対な封建主義、感謝とか反省、努力と言う言葉を悪賢く使い弱者を洗脳搾取しているみたいに見えるの僕だけ?相続人いらん、絶家でいいなら、先祖供養いらない、枯れてくだけだから >>58
前世で合格点取れなかったからだろ。
今の人生でがんばればイイじゃん。 先祖供養の朝鮮や中国が繁栄していないとおかしい理屈 先祖供養の意義が理解できないのは今の自分の霊格が低いからに過ぎない >>64
どう言う理屈?
中国と朝鮮にはそう言う理屈があるの? >>58
考え方は自由だがその考えで行くと結婚したらアカンぞ
子供も作るなよ 歪んだ形の繁栄だな
嘗ての日本みたいに家族を省みないモーレツ社員のパワーでそうなったが
省みられなかった家族が疲弊して破綻して社会がドキュン化したのが今の日本
あとそれにアンチリズムで対抗したバカアカ団塊が社会解体に加担したのであった 生きている時から先祖供養の習慣や考え方がなければ、肉体を失った死後も、
何らかの形で、子孫に影響を及ぼそうという考え方も無いのかもしれない。 アメリカに奴隷で連れてこられたアフリカ人は死んだらどうなルト考えてたんだろう
ちょ〜原始的聖霊信仰で草木土水の、または獣の精霊になると考えてきた
故に彼らは聖霊信仰が専属様だったのだろう
しかし教理体系に乏しかったので原始的共同体を維持するに留まったと考えられる
アメリカに来たら無りやり先祖供養思想のないキリスト教化でヒップホップのアDQNアホ踊りになった 死んだら無だよ
なのにやれ戒名だ卒塔婆だ
墓に供物にお花
仏壇だって線香だって
ぜーーんぶ金だよ
いらんものに くだらない
うちは兄弟とも子なしで閉じる家系だからいいんだよ もうどうでも
どうにでもなってくれ 先祖なんてどうでもいいから、
私は食事前に食べ物に感謝をしてる。 死ねば無なら食べ物に感謝する必要など無いだろ。
食べ物は全て敗残者にすぎん。勝者であるお前がなぜ感謝する。
宗教心がないというのなら貫けよ。 宗教心有る無しに拘わらず、感謝する事で物事が変わるのは多くの識者が言っている。
だから、食べ物に拘わらず「感謝する心」は生き方として良いこと。 墓に執着して生者に災いをなす亡霊を醜悪の極みと昔から思っていた
その結果散骨に魅力を感じるようになってしまった ポジテブシンキングダム。
クヨクヨしない国。
あえて言えば米国。
なのでコロナがバカ広まり。 オカルト界隈の人は伝統、新興どちらも先祖供養が開運の基本て言うよね。
周囲の運のいい人や成功している人もそこらへん抑えている人が多い気もする。
皆さんはどう思います?
俺は何となくそうかな〜位
俺自身はパッとしない人生なので気になっちゃって。 先祖を祭り上げるという点では中国や朝鮮が日本より上だと思うが
まず近代化に成功して発展したのは日本だった 散骨するのは勝手だが、山の上で気持ちよく撒いたら、
麓では地元の人が生活していることを忘れないように。
大海原に散骨すれば、その骨を吸い込んだ魚を食べる人がいることも
忘れないで。
昔からそうしてきたからいいだろう、と言う人もいるが、考え方の違いで
あって散骨を快く思わない人も同じ世界にいるということに思いを巡らし
てほしい。 化学物質や放射能、ウイルスに汚染された死体を山海野に放置するのは今の時代では産業廃棄物不法投棄。ただの死体放置では済まされない。。。 法律的に「産業廃棄物」が何であるかは、決まっている。
生身の人体が「産業廃棄物」出ないことは誰でも分かるだろうが。
その人間が死んで、火葬され、遺骨となって、家族に引き渡された残りの
遺骨は「産業廃棄物」扱いのハズ。
同じものでも、それがどのような経過で、どのような形に変わっているかで
扱いが異なってくると思う。 >>99
火葬された残りの灰は、「死体」ではない。 >>100
火葬された残りの灰を、「死体」などとは一言もいってないよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています