孔雀明王は美しい。

美しいのだ。女神だし。


憤怒の相が特徴である明王のなかで唯一、慈悲を表した菩薩形をもち、パーンチャ・ラクシャー(五守護女神)の一柱でもある。

孔雀明王を本尊とした孔雀経法とよばれ密教呪法は、真言密教において鎮護国家の大法とされ最も重要視された修法で四箇大法(しかだいほう)の一つにあげる。

経典:大孔雀明王経(仏母大孔雀明王経)、大孔雀明王画像壇場儀軌

別名:摩訶摩瑜利、孔雀仏母、孔雀王母菩薩、金色孔雀王

真言:おん まゆら きらんてい そわか

釈迦は呪術を否定していたが、孔雀明王の真言は許可していた。
釈迦が舎衛城(しゃえいじょう)の林の中にいたときに、若い僧が教団の風呂用の薪割をしていた所、毒蛇に噛まれてしまった。これを見ていたアーナンダ(阿難)が釈尊に救いを求めた所、釈尊は孔雀王呪で解毒を行って彼を救うとともに孔雀王呪が蛇毒類などの生物の毒の他にも諸魔や諸病を斥ける力を有する事を説く。

また空海の開いた密教において、孔雀明王は釈迦如来を元とする存在であると言われる。人間を教化するために釈迦が変化した姿が彼なのだと。

さらに伝説では、飛鳥〜奈良時代に生きたとされる修験道開祖の役小角が、17歳の頃に元興寺で孔雀明王の呪法を学び、30年、葛城山(現在の金剛山・大和葛城山)の岩窟に住み、葛の衣を着て、松の葉を食らい、清い泉の水を浴び、孔雀明王の真言を唱え続けながら修行していたところ、空中を飛行する力や鬼神を従える力などを手に入れた、とも言われる。
その後、葛木山で山岳修行を続け、熊野や大峰(大峯)の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いたとされている。