そういえば、司馬遼太郎の初期の作品に「白い歓喜天」という短編小説があって、その帯には、歓喜天を祀っていたとされる今東光の推薦文があることから、もしかしたら彼も聖天信仰をしていたのではないかと。
後年の「街道をゆく」でも、旧知の住職がいる寺として和歌山の聖天宮法輪寺を紹介していることから無縁ではないはず。
今読み返すと、どれも大した作品じゃないのに、サンケイ新聞の記者から「国民的作家」へと登り詰めたわけで、この急激な出世を遂げるパターンは聖天様の験の出方そのものだしね。