装束について語るスレ 其の8 [無断転載禁止]©2ch.net
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装束について語るスレ 其の7
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1336988763/ >>842
有職の専門家にNHKが考証を依頼してチェックが入ったんだけど、NHK側の諸々の都合で考証が生かされず。
依頼された専門家の方から直接聞いた話。 束帯の内側に着る単というオレンジ色の上半身だけの下着は
衣冠や狩衣の内側に着る単と共用できるものなの? 女物の単でも袿のそれと女性神職用のそれでは互換性無いのかな?
(女性神職服は袿を短く切り詰めたものだから) 染色家の故吉岡幸雄の追悼番組を見ていたら、天然の紅花を使って染めるというのがいかに手間ひまかかるか良く分かった。
そりゃ値段も高くなるわな。 愛子さまが高校を卒業したことを報告するために宮中三殿に参拝された。
どんな装束を着られたのかな?
袿袴かな?
十二単は成人しないと着れないよな。 葵祭、勅使が参向してひっそりと行われた。
勅使の装束も略式の「衣冠」を着ておられた。 秋篠宮さんが結婚して29日で30年となるのか。早いなー。
紀子さんの十二単の色目を見て少々がっかりとした記憶がある。 >>860
略式の「衣冠」とは神職の正服と比べてどう違うの? 大河で思い出したが、
風林火山で由布姫がお御渡りのシーンで巫女装束だったのはどういう意図だったんだろう
白衣に緋の差袴に千早の組み合わせは当時既にあったっぽいが、
諏訪の姫がその装束でいいのか? と現代の感覚だと思ってしまう
時代劇で祭祀に携わる女性は、とりあえず巫女装束にしとけ、
みたいな理由ではないと思いたい 今日みたいな夏の日に神職正服着てあるいてみたいなぁ。 >>865
15日に正装じゃないけど白衣白差袴の出仕の格好で月次祭のお手伝いをやるよ
襦袢夏用に替えても暑い 暑い時にわざと正服着てみたいんだよ。
しかも冬服を。 奈良県立美術館で江戸から昭和初期の公家装束の展覧会をしてるけど、コロナが流行ってるから行けないんだよな >>868
俺も行かない。秩父宮妃殿下の十二単は一度見たことあるし。 >>871
買ってない。
明日は、仲秋の名月。狩衣を着て、月見を楽しもう。 今宵の月は素晴らしい。
装束を着て雅楽の笛を吹いたり、今様を舞おう。 直垂や大鎧を着て乗馬してみたいなぁ。
それを敵の侍から騎射されて複数の矢を受けて落馬とか最高。 流鏑馬装束の男たちに馬で追い回されてハンティング感覚で射られて仕留められるとかもいい。 褐衣がかっこいいと思って調べてたら袖が縫われているタイプと狩衣タイプ両方あるようだな。 来月の8日に立皇嗣の礼が行われるが、皇右さまや紀子さまはどのような装束を着られるのだろう?
平成の立太子の礼の時は、皇后は袿袴を着ておられた。
今回も袿袴を着られるのだろうか?
今日行われた習礼では紀子さまも装束を着られてリハーサルされたらしいが、どのような装来を着られるのだろう? 北野天満宮の曲水の宴の装束はケバケバしい色合いの装束だった。
黒人が狩衣を着ていた。 >>879
レリコだろうか?
どこの神社でも曲水の宴をやるようになったな。 立皇嗣宣命の儀での雅子さまの袿袴の文様は何と言う文様だろうか?
また紀子さまの文様は? けして秋篠アンチじゃないけど(むしろ贔屓だけど)、やっぱり50過ぎての黄丹の袍は無理があるな >>882
なるほど。まぁ、おニ方とも年齢もあるから控え目な色合いとなっているね。 >>883
でもな、今上だって一々公開されてなかったけどつい最近まで宮中祭祀で三殿に昇殿拝礼しなきゃならないとかずーっと黄丹袍だったんだぜ…五十過ぎられても。
もっとも上皇陛下も昭和末期五十過ぎで黄丹袍を披着されてたけど。
どうしても最近の皇室は即位が遅めだから仕方ないっちゃ仕方ないんだが。 >>885
だから上皇が生前退位したんだろうね
グダグダしたけど秋篠宮が皇嗣になったから悠仁親王までは、皇位継承は決定事項だね
何処ぞの怪しげな連中は、皇嗣なんか暫定なんだ!とか言い張ってるけどね
悠仁親王も数年後には、雲鶴の束帯を着るんだろうね 早く悠仁さまの成年式が見たいな。
加冠の儀の時に着る装束は何と言うんだっけ? >>888
それは見たら分かるけど、その袍の正式な名前は? >>889
以前に斎宮歴史博物館の資料で、闕腋袍の黄丹袍の絵を見て調べたことがあるけど、未成年用の黄丹袍てだけで特に名称はなかったから
未成年用の闕腋袍の束帯に特に名称はないんじゃあないの 童形装束って言い方もあるけど、でも正式名でなく単に成年との対比を指してるだけだもんな。 >>890
なるほど、そうですか。
秋篠宮さまも結婚の儀以来、初めて賢所の殿舎に上がって装束を着て拝礼されたそうですが、皇太子夫妻以外は皇族でも装束を着る機会は滅多にないみたいですね。
賢所の殿舎の中に入ることもほとんどないなんて、そりゃ祭祀にもあまり関心がなくなってしまうのは仕方ないですね。 八條忠基著「詳解 有職装束の世界」という本を読んだ。
十二単の写真がしょぼく思えた。
書評には「いつの時代のものか分からない」という意見もあった。 女性神職の服装はなんでお雛様の三人官女みたいなデザインなんだろ? >>894
完璧な唐衣じゃ動けない。
動きやすい室町以降の武家などの女房装束じゃ神前での所作には男性の装束と対比すると今一品が無い
さりとて古代の想像上の貫頭衣はアレ過ぎる。
で、動きを考え宮中女官の旅行用装束をモチーフにしてみました、が現行の女性神職装束。
鎌倉まで居た宮中の御巫などの装束の記録や資料があったら良かったが、全く持って彼女らが具体的に何をしてたかすら残ってないんでこの現状。 壺装束は笠にレースをつけてるけど、レースをめくって顔を覗くってセクハラになるのだろうか? >>893
あの十二単、全然安くないんですがねぇ
綿はいれてませんけど
いつの時代かわからないと書いてあるのはamazonレビューのことかな
一応そういうのも書籍の本文中に触れてあるけどきちんと読んでないんじゃないの 大河ドラマ「麒麟がくる」の正親町天皇の御引直衣って、襟の部分が大きいな。 つか戦国時代の装束の遺物が無いから、時代考証も細かい所はアレなんだろな。
大体かの寛永の装束の整理の時点で、戦国時代に朝儀衰微でかなり崩れてたから整理考証するというのが目的だったのだし。
でもそれすらどうしようもない酷い代物だったんで、享保以降の朝儀御再興で現行装束の原型が再考証されたのは皆さんご存知の通り。 >>901
今の装束の仕様が江戸時代に伝統仕様を復活させた(けど平安時代そのものとまではいかなった)ことは知ってるけど、当時はそんなにカッコ悪いものになってたの? >>902
寛永のは丸で能衣装な感じで、唐衣の腰帯を肩に引っ掛けるとか珍無類の風体だった。
改訂された筈の寛永がこの有様なので、それ以前は相当崩れてたと考えられる。戦国時代の天皇御影や装束を着けた武将の肖像ではそう変には思えないけどね。
黄櫨染御袍も染色技術が廃れて染められなくなり、青色御袍が即位の礼服に次ぐ最高位の御袍になったりと色々あった。冠に使う本来の羅織りも既に廃れつつあったが戦国時代に完全に製法が消えて享保以降の研究でも再興出来ず現在のは代用の製法になる 「麒麟がくる」で正親町天皇の玉座の間も良かった。現代の京都御所の小御所にあるような屏風も良いな。
「美の壺」では、「新年を彩る 正月飾り」で冷泉為人のおっちゃんが狩衣を着ていた。年齢のわりにはハデな青色の狩衣だった。袖口の紐は啄木の紐ではなく、細い白い紐だった。 麒麟がくるの正親町天皇の御引直衣の襟の部分て山科流になってるよな
義昭追放の回の信長、あの時点で従五位なのか?
で、従五位なのになんで束帯が黒なんだよ? 義昭追放されたら服装がいきなり烏帽子直垂か素襖から露頂烏帽子無し肩衣にいつの間にやらガラリと変わってたが、今日から直垂は無しでみたいな令が出たのだろうか 今日の大河ドラマ「麒麟がくる」では、蹴鞠保存会のオッサンらが出ていた。
あの蹴鞠装束は、新調したりすると高価だしね。 麒麟がくるの蹴鞠のシーン、烏帽子を被ってたけど宮中だと冠じゃあないの?
それとも蹴鞠の時は烏帽子なの? >>906
信長の位階推移の年表見たら義昭追放時点では正四位下だから黒で合ってるよ 伊勢神宮の舞楽の襲装束の半臂の刺繍は、機械刺繍だったな。残念だな。 北野天満宮の文道会館に置いてある西陣織の金襴の几帳には舞楽の「散手」と「貴徳」が織られている。
京都の随心院の襖絵に描かれてある「散手」と「貴徳」に構図が全く同じである。
ただ残念なことに、「散手」が紺色の袍になっており、「貴徳」が赤色の袍となっている。
有職故実を知らないと、こんないい加減なことになってしまうんだな。 別表神社の神主でも数万円の狩衣しか着ていないんだね。 それでも新型コロナ退散させていっている現実なのは素晴らしい 有職雛を買いたいと思い、丸平さんの店に買いに行ったけど、袖が縮んでいたり、腕折りがヘタだったりで出来の良い物は無かった。 談山神社で蹴鞠装束を着て蹴鞠を体験出来る。
2人以上からで、1人4000円。 束帯や狩衣の襟の高さ、現代式と高い平安式はどちらがお好み? 俳優の生田斗真が映画「源氏物語 千年の謎」に出た時は、天理大学雅楽部の青海波の装束を借りて舞を舞ったらしいね。 今更だけど大河ドラマ麒麟がくるで近衛前久は、衣冠で参内してたけど関白だったら冠直衣じゃあないのか?
それとも戦国時代だと関白でも外戚じゃあなくなって雑袍勅許が降りなくなったの?
それとも番組の制作の都合なの? 今年も葵祭は中止と発表された。
ニセモノの斎王である斎王代も今年も選ばないとのこと。 法隆寺での聖徳太子の1400年御聖諱法要で、法隆寺の僧侶に付き従う従者の素襖や侍烏帽子が新調されていることに気付いた。 装束ファンの人のツイアカをフォローしたら装束写真が時々流れてくるようになったが装束女子って結構いるんだな。それまでさほど興味なかった女子の装束も好きになってきた。 今年も葵祭は、関係者のみの略式の祭儀となりました。
勅使の装束も略式の「衣冠」でした。
勅使は、賢所に仕える掌典の方が来られますが、今年の掌典さんは「堅物の事務員のオッチャン」という感じの人でした。 眞子さまが十二単姿で賢所を参拝されるのを拝見したかったな。 私的参拝の体だから、今回の例では昇殿参拝勅許されないからなぁ。
これは仕方ない。そしてもう半永久的に賢所に昇殿所か私的参拝すら出来ない。
強いて宮中三殿に近づけるとするとしてあり得るなら、天皇即位などの慶事の時に元皇族待遇で招待して貰うとか、どうにかして内掌典に就職する位だけど元皇族で内掌典に就いた人って居たっけ? >>933
おそらく眞子さま自身が「賢所なんてどうでもいい。潔斎してダサイ十二単なんて着たくない。髪型は変えないといけないし、着るのは面倒くさいし。」と思っていると思うよ。 神宮祭主なら皇籍離脱された元皇女のお方がなさって
おられるけど眞子様にお鉢が回って来る可能性は・・・ 立場上は現時点でもゼロではない。
が、今後アメリカ在住で生涯過ごすなら年数回伊勢に通いその度数週間は伊勢で潔斎生活なんてパターンは多分無理。
日本とアメリカの生活スタイルの格差自体かなり大きいし、潔斎は更に拘束された生活だからアメリカスタイルに慣れたら最後耐えられない。
また伊勢祭主になると神社本庁の総裁も後から追々付いてくるので、日本在住で無くなるならば実質祭主も無いだろうと思われる。
ご本人が皇族であるのを嫌がってるから、要請があっても断るでしょ。 黒田清子さんが伊勢の祭主だった時のあの衣装いいなぁ。あれって女物に見える? 宝生流の能で初冠に老懸つけてるのに垂纓にするのは
どう考えてもおかしいんだけどな?
他の流儀では絶対にそんな事しない。 >>940
宝生流は、「雷電」を「来殿」にしてしまうような流儀だから滅茶苦茶なんだよ。 >>941
なるほどね。尉の鬘は耳出すから耳4つもあるしw 愛子さまの成年式は、ティアラを付けての洋装で朝見の儀しか放送されないだろうから、十二単姿は見れないだろうな。
男性皇族の加冠の儀は、悠仁さまが成人するまでお預けだな。 京都御所や皇居で記帳する時の机に敷かれているテーブルクロスは、「市松卓被」と呼ぶんだな。
遠州緞子のような宝尽くし文様なんだな。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。