今日は智山派になっていても事相は小野流なんてことはあったりします。
成田山なんてそうです。あそこは智山派になったのは明治からで、江戸時代までは大覚寺の末で、
神護寺に不動尊の借り賃を払っていたぐらいです。

川崎大師は清瀧権現堂の清瀧権現を醍醐寺から勧請しているようですし
何やら小野流との縁を感じさせなくもないようです。
智積院は、歴史的な自事情で智山派に所属した大寺に関しては、その大寺の伝統を尊重し
事相についての一致にそれほどこだわりがないんじゃないんでしょうか・・・