【真っ二つ】あのナイフとの別れ【紛失】
なぜなら、後日、御徒町のマルゴーにて、彼と偶然再会したのだが、その際に彼が
購入していたナイフが、G・SAKAIのキャンプ用包丁セットだったのだ。
そして、「やはり、あれからウェーブエッジの必要性を、感じたよ」と、スパイダルコを
レジに追加していた。かく言う自分も、スパイダルコを買いに来たのだが。
カーショー、いやKERSHAW、頑張ってくれたのに、本当になんだか、ゴメン。
でも、この季節には毎年、あの時の出来事を思い出す。あのナイフと共に。
以上、長ったらしい乱文長文、失礼いたしました。 主人公として登場するナイフの名前を、間違って記憶しておりましたorz
カーショーのエクスチェンジブレード
↓
カーショウのブレードトレーダー
と、読み替えてくださると幸いです。書き込む前に商品名確認のためにググればよかった。
KEASHAW、本当にごめんなさい。 激しく乙
面白かった
俺もセレーションのナイフ買おうかなぁ・・・ 確かに一緒にポケットに入れたはずなのに。
なぜガムは無事でビクトリノックスのクラシックがなくなってしまっているんだ。 飛び出しナイフ 二振り盗られた。
一度目は多分 スタンドの奴
洗車の時に盗ったにちがいない
二度目は 引越しの後
実家の倉庫の修理した業者と思う
証拠がないと厳しいな >>348
スタンドの奴て、そっちのスタンドか。
にしても、飛び出しナイフは違法じゃなかったっけ?
>>322
クルーザーのエンジン2基がけって、たとえばこんなんか。
ttp://www.yamaha-motor.co.jp/marine/lineup/boat/cruisingboat/luxair/
船体めっちゃ高価。船体も、人命も無事で何より。カーショウの犠牲は、決して無駄ではなかったのだ。 >>322氏って、4年前の>>187氏なのか。今やっと気づいた。
それにしても、新しい話、カーショウの立ち位置が微妙すぎてワラタ。 船上ネタ
食う分は十分に釣ったので、入り江にアンカーいれてひとやすみ(レンタル船ですけど)。
早めに道具を片付けて、魚の処理も終わった。
帰港のためにエンジンをかけて(暖機)掃除開始
いつもなら、バケツに汲んだ海水でナイフなどの血を洗う→デッキを流すのだが
その時はなぜか先にデッキを流して、ナイフ洗い忘れ。バケツを仕舞ってしまった。
横着して船べりから身を乗り出し、海中でバシャバシャやっていた。
魚の脂でヌメル手からナイフはすっぽ抜けて海中へ。
一瞬キラリと陽光を反射させ、すべる様に海中へ消えていくナイフ
しばし固まる私
安価なナイフだったけどお気に入りだった。
なにより自分の不注意で海の藻屑にしてしまったナイフに申し訳なかった。 実際その時の船上では
「アワワワワ・・・」→ボーゼン
かなりブザマだったと思いますよ。
心に残ってるのはこの一件ぐらいです。 もう大学卒業になる長男が小学校中学年の頃かな、俺のレザーマンPSTが無くなった。
レザーマンが雑誌で紹介されたころ俺は飛び付いた。正規輸入だと本当に初期のだった。
仕事に生活に、バイクや車のトラブルに乱暴に扱ったが、タフで使いでがあった。一度ネジがどこかにいってしまって修理にだしたりしたが、それなりに愛着のある一本だった。
でもそのうちWAVEを購入して、そっちがメインになってPSTはバイクのハンドルポーチに入れっぱなしにしていた。 長男の友人で当時よく遊びにきていた、小学生にしては体格のいい「彼」は寡黙な印象で、いつも黙って長男とゲームをしていた記憶がある。
彼が我が家に来るようになってから、俺の趣味品が無くなっていった。
最初は「またどこかに仕舞って、場所を思い出せないだけだ」と思っていたが、そうこうするうち彼の母親が我が家に現れた。
彼の母親が言うには彼は病的なまでの盗癖の持主で児童相談所だかにも行ってるらしく、最近遊びに来ていた我が家で何か無くなったものがないか確認に来たようだった。
最近おかしい?と思い出していたいた俺は、確実に無くなっていたエアガン一丁(しかそのとき思い浮かばなかった)のことを伝えた。 数日後母親は俺の、ホルスターに入ったエアガンを持って我が家に来た。
平身低頭で、他にも何かなくなった物はありませんか?と聞いてきたが、無くなったとしても今まで困ることもなかったわけだから、俺もそれ以上は何も言わなかった。というか、同じ親として追及出来なかった。
本当はレザースキャバードに入ったマグライトや、他にも心当たりはあったのだが、まあ子供が持っていてもそれほど問題にならないだろう物だったから。 それからしばらくたってから、バイクのケーブルを軽くいじろうとしてハンドルポーチをまさぐった。
PSTが無い。
「ああ、これもやられたか。」
まあ仕方ない。今さら異議申立てするほど野暮でもない。素直に諦めた。
小学生に刃物を、なんて今のご時世ならちょっとした問題になりそうな話だが、不思議とその後に起こりうる問題を予見することができなかった。
俺自身小学二年ごろ肥後の守三得から刃物に目覚めた記憶があるので、彼の気持ちもわかるような気がした。
人の道から外れるのも、小学生当時の俺がPSTを見つけたら、当時の俺ならやっちまっていたかもしれない、そんな気がした。 ただまあ残念なことに、その後噂で聞いたことには彼は盗品を自宅の外に隠していたそうな。トンビのはやにえのように。近所の空き地やら裏山に。
そしてまさしくはやにえのように、その存在を忘れてしまうようだった。
それはそうだろう彼の親も息子の部屋に不審なものがあったなら、その本来の持ち主を捜し歩いていただろうし。俺のPSTもどこかに埋まっているのかもしれない。
でもいまだにPSTだけは彼が手元に隠し続けていてほしい。他の遺失したものは俺にもそれほど愛着があったわけではない。俺がPSTに、肥後の守に対してときめいた気持ちを、彼が継いでくれるなら俺はすべて許すつもりだ。
なぜなら、さらに残念なことに、うちの息子どもは(当時のナイフマガジンのマイク真木の記事にならって)10歳の誕生日にナイフを贈っても、大してときめきも感動もおぼえていなかったからだ。泣 >>359
> トンビのはやにえのように。
モズ、だなw 飼い猫に火をつけ、2階からポイ…高校生2人逮捕 青森 [04/03]
http://unkar.org/r/liveplus/1207196916
1 : CASIOPEA(第拾三期卒業生)φ ★ : 2008/04/03(木) 13:28:36 ID:???0
友人の祖母(60)が飼っていた猫に火をつけるなどして死なせたとして、青森署は3日まで
に、動物愛護法違反と器物損壊の疑いで、青森市の16歳の男子高校生2人を逮捕した。
調べでは、2人は2月18日、青森市内に住む10代の女友達の部屋で、女友達の祖母が
飼っている猫に殺虫剤などを吹きかけ、ライターで火をつけて2階の窓から外に投げて死な
せた疑い。青森署は「犯行は悪質」として逮捕に踏み切った。
高校生の1人が猫が嫌いだったことから、いじめ始めたのがエスカレートしたらしい。
この高校生は調べに「自分は猫アレルギーだ」などと話しているという。
女友達はそばで見ていた。祖母は不在だった。
隣家の住人が敷地内で死んでいる猫を発見し、通報していた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080403/crm0804031312019-n1.htm 諸刃のダイビングナイフ、ダガー規制で泣く泣く普通のナイフみたいに改造。
ある意味違うナイフに成ってしまった、元ダガーナイフとの別れ。 初フォールディングナイフは安くて得体の知れないものだった
刻印はサージカルスチールとだけの中華製だと思われる
バックロックでブレードはドロップポイント、ハンドルはボーン
仕上げも動作もそこそこでフォルダーのあらゆる事を教わった気がする
釣りへ行ったときに紛失
その後は安物ナイフの教訓を活かした製品選びをしているのだが、なぜかいつも紛失した
アイツを探している様な気がする。同じ色のホーンのハンドルが目に入るとつい反応して
して、デザインを良く見て違う事が分かるといつも落胆するのだ。25年以上前の無銘の
製品が見つかるとは思えないがそんな事を繰り返してきた。でもオレには分かっている。
同じ型を見つけ手に入れてもそいつはヤツじゃないってことを・・・
ヤツは取り返す事の出来ないオレの一部も持って行きやがったんだ。 >>363
切ない思い出ですね。
でも、使わずしまわれているよりも、使ってもらって無くされたほうが
そのナイフも幸せだったでしょう。 セベンツァ21スモールを今日無くした
高校2年の時バイトした初任給で買った 持ってるナイフの中で一番高いナイフ
いつもポケットに挟んで持ち歩いていた 剃刀みたいに鋭くして
分解掃除でグリスも縫って どんなお守りより信頼できるツールだったのに
今日いつのまにかポケットから消えていた バイクで2回こけても落ちなかったのに
価値の解らない奴が拾って腐ると思うと涙がでる
でも全部俺が悪いんだ いつもポケットに君がいるからそれが普通になっていた 夢の中でもポケットにあるぐらいだ
もっと気にかけてやればよかった 体の一部を失った気持だよ 俺も初任給でセベンザ買った口だ
この世の中、価値が分からない奴ばかりでは無いし
分からなくたって、良いものに触れていけば分かるようになるんだ
元々、ナイフに興味が無ければ拾わないんだろうし、扱いはどうにしろ拾った人は大事に使ってくれるだろう 先日、クーパーのナイフを、某キャンプ場で拾った。
例の、真鍮ヒルトがブレードに鍛接してある、あの銘品だ。作者亡き後も、いまだ人気だと聞く。
そこそこ砥ぎ減りしており、ハンドルにも大小の擦過傷と持ち主の手の形であろう擦り減り。
そのままにしておくには忍びなく、最寄の警察署に届け出たのだが…
関東の悪名名高い、焼売県警に届け出たのが間違いだったか。
警官は受け取ったそのナイフを、レンチや万力などの重金属ぽい
拾得物の積まれた箱の中に、無造作に放り込んだ。
おまけに、刃渡り6センチ以上のナイフを持ってきたとして、銃刀法違反で
取り調べられた。不起訴処分となった今も、胸糞悪い。
「拾ったナイフだとの主張を、一応採用しておきますよ」って何だ。ネコババしといたほうが賢いってか。
もう二度と、警察に協力などしない。 警察に持っていくよりキャンプ場に預けたほうが良かっただろうな。
思い入れがありそうだし無くしたとわかれば持ち主も探しに来ただろう。 >>293
粉末といえば粉末冶金製法。
粉末ハイス鋼という材質が出た当時、HRC65以上を謳う硬
度に興奮しました。
某ナイフショップで、粉末冶金製法の鋼のことを、勘違
いして「粉末治金」と連呼してしまい、店主に「まぁ、そん
な鶏肉は、訊いた事が無いね」とpgrされてしまい、ようや
く事の重大さに気づいて首まで赤くなり、しばらくその店
に通えなかったチキンな私。でも今さら乍らやっぱり恥ず
かしいですorz。
ハイス鋼といえば、ファクトリーで商品展開を手広く行
ったのは、ガーバーのM2ハイスピードスチールを使った、「
アーモハイドシリーズ」と、ちょっと高級志向の「C(カスタ
ム)シリーズ」が、先駆者と呼んでも差し支えないのではな
いのでしょうか。 1970年代から90年代前半まで、分厚いクローム鍍金に覆
われたHRC61前後のハイス鋼の切れ味と永切れ、研ぎ易さは
ハンターの憧れでした。北海道のハンターが、クローム鍍
金ハンドルのビッグハンターを所有しているのを、羨望の
眼差しで見た記憶があります。
さて、アーモハイドシリーズですが、釣り人用にも商品
展開がありました。
マスキーというモデルと、コーホーというモデルです。こ
の二モデルは、ハイス鋼ではなく当時としても良質な440C
ステンレスをブレードに採用し、耐食性を持たせた上で、
研ぎやすい素直な鋼に処理されており、またその切れ味も
素晴らしいものでした。
かつて、コーホー6インチを愛用していた時期がありまし
た。そして、想わぬ別れをしてしまった経験があります。
今回は、そんなエピソードです。
では、以下に記述します。極度の感情移入防止のため、口
調等表現を改めます。ご容赦下さい。 今では、その個体数の減少からキャッチ、タグ&リリー
スがエチケットのカジキ釣り。まだ20世紀の頃は、釣り上
げたら漁港まで持ち帰り、秤で計量後に食べたり配った
り・・・要するに釣り上げた魚は殺すのが当然の頃、ちょっと
仕事が上調子だった自分は毎年、金持ちのたしなみ(笑)み
たいなスイーツ脳で、ある離島の漁船を借り切って、一定
期間カジキ釣りに精を出すような、贅沢を行っていた。
当時自分は時代に動かしてもらっていたのだという現実
を知らず、己の力で若くして成功者に成り上がったと言う
自惚れが強く、周囲の意見を碌に聞かずに我が道を行く、
ワンマンな恥知らずだったと、今では思う。若気の至り、
と言えばそれまでだが、随分と不快にしてしまった方も多
かったことだろう。
ご存知の方も多いだろうが、カジキ釣りは船で沖まで行
く。ポッパー、タコベイトなどと呼ばれる疑似餌(以下ルア
ーと呼ぶ)を、海面に落として糸を長く張り、船の推進力で
ルアーを流し、海面を意識している魚を誘う。あとは魚が
ルアーを獲物と間違えるか、あるいは興味本位、または怒
りに任せて食いついてくれれば、そこから釣り人と魚のや
り取りが始まる。
首尾よく船縁まで魚を寄せることができれば、釣り人の
勝ち。途中で針が外れたり糸が切れたりしてしまったら、
釣り人の負け。特に糸が切れてしまうと、口にルアーを咥
えたままになってしまう魚の、その後の生活に関わる深刻
なダメージを与えることになるので、糸切れだけは避けな
ければならぬ、と言うのが大まかなカジキ釣りのルールだ
った。 しかし、それも狙い通りに"カジキが釣れれば"のことで
あり、結構な割合で目的以外の魚(釣り人は外道「げどう」
と呼ぶ)が、その針に期せずとしてかかってしまうものだっ
た。その代表格が、シイラという魚だ。シイラ自体はそれ
を狙えば結構引きも強いし楽しい魚だが、大枚叩いたカジ
キ釣りでは、一日のうちの少ない時合い(一日のうち魚が食
いつきやすい、僅かしかない貴重な時間帯)を、外道のやり
取りに費やしたり仕掛けを絡まされたりと、実際には煩わ
しい事この上ないものだった。
ところが、シイラも刺身にすると水っぽいが、揚げ物や
塩焼きにすると淡白な味わいでかなりイケる。そんなわけ
で、外道に煩わされた腹いせに、数匹だけはリリースせず
に食用として持ち帰る為、腰にはフィレナイフを装着する
のが常だった。自分の場合は、それがガーバーのコーホー6
インチだった。これはハンドルのアーモハイド(アルミハン
ドルに特殊な滑り止め加工を施したもの)
のグリップエンドがスプーン状に加工されており、腹を割
いたあとの魚の血合いを抉り出すのに最適だったし、何よ
り滑りやすい船上で、その膨らんだグリップエンドがすっ
ぽ抜けを防いでくれるので、先述通りの優秀な鋼材も相ま
って気に入りの一本だった。 毎年、数日間も漁船を借り切って居れば、自ずと馴染の
船宿と家族ができてくる。当時支払いはかなり弾んだほう
だった為、特定の船長が付き、通年の漁の合間に好意で探
しておいてくれたマル秘ポイントに、特別に案内してくれ
るようなパターンになっていた。おこがましいが、都心で
心が汚染されていた自分には、金銭の対価としての釣果と
して、それが当然と、思っていた。
その船長は、当時結構な年齢だった。気さくだが遠慮が
無い。漁についてはどんな質問にも淀みなく答えるが、払
いのいい顧客である筈の自分にも、間違いがあれば容赦な
く罵声を浴びせる。そういえば、どうして当時ワンマンな
自分がそんな船長に逆上しなかったのか。多分本当のとこ
ろ、叱ってくれる人を求めていたんだろう、と思う。こん
な未熟でありながら、一丁前に人様には意見を申し上げて
いたのだ、と思うと 今更ながら顔から火が出る。
子供の頃、田舎の祖父母に会うのを、楽しみにしていた
。懐が広く、いつも笑顔で優しく受け入れてくれた。しか
し一線を越えると、とても厳格でおっかない。そんな懐古
的な楽しみも手伝い、この年もかの老人を尋ねて、かの島
に渡った。予約も葉書(ネットはパソコン通信の時代、電話
では方言と鈍りで意思疎通が困難な上、呼び出しになるの
で却って面倒)で済ませており、準備は万端な筈だった。
大きな島のフェリー乗り場から更に待機していた渡船で
渡った小さな離島のいつもの漁港。しかし、そこに待って
いたのは、いつもの翁ではなく、うら若い女性だった。 「歓迎 ○○様」の画用紙を掲げた、気乗りしない表情の
彼女は、年の頃、二十歳過ぎだろうか。量の多い、太い長
髪を束ねて、日焼けした浅黒い顔に筆でサッと刷いたよう
な太目の眉毛。その直ぐ下に切れ長な二重瞼と長い睫毛。
彫りの深い顔から、南国育ちの少女の面影が感じ取れた。
背は高くは無いが(胸も大した事は無いが)、引き締まった
体つきに、楽ではない島の生活の名残が窺い知れた。
「○○様」とは自分の事だ。と言うより、この渡船から降
りた客は自分ひとりだというのに、わざわざ思わせぶりに
画用紙を掲げている彼女の姿に、訝しいよりも妙な違和感
さえ、感じた。
「○○さんでしょ、狭苦しい××島へ、ようこそ。」
両手両肩に荷物満載で桟橋に降り立った自分への、これ
が彼女の、最初の挨拶だった。
いくら当時に未熟とはいえ、自分よりもはるかに上(?)を
行くしたたかな連中との駆け引きに慣れていた自分は、彼
女の無礼な振る舞いに漂うわざとらしい雰囲気に、「誘われ
て不快な表情をしてはならない」と直感し、
「お世話になります。よろしくお願いします。」
とだけ答えて、なるべく笑顔を作った。人間、出会いとい
うものは、本当に大切だと思う。これは、僅か数年前にバ
イクツーリングで出合った紳士、W氏の処世術を真似たも
のだった。当時はその真意を理解もせず、ただ本当に猿真
似だったのが情けないが、当時としては精一杯の「大人ぶっ
た対応」だった。
彼女の大きな眼の、その大きな割合を占める黒目が、そんな虚
勢を張った自分をヒタと見つめる。自分は鳶色の瞳の為か
、真黒い瞳に見据えられるのはとても苦手に感ずる。キョ
ドッてしまうというのだろう。それまでのあしらいの自信
は、まるで根拠の無いハリボテだったと強く実感した。所
詮、猿真似はそれ以上のものではない。 彼女の運転する、スバルサンバーはMT車だった。その
助手席に収まるまで、結局荷台に荷物を乗せたのは自分だ
った。いつもなら翁とその息子が桟橋から至れり尽くせり
なのに・・・そんな不満はあったが、彼女の運転に眼を見張り
、不満を口にする所では無かった。
船着場代わりの漁港から翁の所有船がある漁港までは、
山一つを超える。下り坂の連続急カーブで、彼女はダブル
クラッチ、ヒール&トゥーを継ぎ目無くこなし、リアをス
ライドさせつつカウンターを当てながらガードレールの無
い道路ギリギリに車をコントロールする。
まぁ、彼女に歓迎されていないことだけは、充分に分か
った。荷物、固定もしてないのに大丈夫かなぁ。少なくとも、翁に苦情くらいは申し立ててもよいか
な、と思いながら、足を踏ん張った。
しかし、翁の家に到着するや、信じられない申し入れを
受けることとなった。
聞けば、翁は葉書を受け取った時点で既に持病の腰痛が
悪化しており、今年は自慢の操船技術が発揮できそうに無
い状態であったこと、息子に代役を託すつもりだったが、
当時役場勤務のご子息は、ちょうど50代の管理職、離島
の観光事業を立ち上げている責任上、数日間も客の相手に
出ずっぱりになるわけには行かないこと、その他に船舶免
許を持っている親族といえば、今夏休みで大学から帰省し
ている、翁の孫娘しか居らず、今回はその孫娘のガイドで
我慢して欲しい旨・・・
数年続いた関係でなければ、大枚叩いて来た条件に釣り
あう様なものではない。しかし、他の船宿に直ぐ乗り換え
るのも、翁やご家族の申し訳なさそうな表情を前にすると
、ちょっと言い出せそうに無い雰囲気だった。
「分かりました。気にせんでください。では、そのお孫さ
んをご紹介下さい。」
一応、ここまでは大人の対応ができた、と思った。翁が、
「さっきから、あんたの相手をしとったろう、あの娘よ」と
言われるまでは。
今日は、とりあえず風呂と食事を済ませて、早々に寝床に
就こう、と思った。 一応、これでも忙しい身なので、万障繰り合わせての休暇。もちろん、一時たりとも無駄にせずに精一杯楽しみ、そしてまた都会の雑踏へと帰ってゆく・・・
それが更に仕事の活力となるはずだった。心地よいカジキのファイトの余韻に浸りながら。
だが、今年は何だか不機嫌な小娘と二人きりで大海原か。嫌だなぁ。自分は、こんな離島まで来て、何で人間関係に煩わされるんだろうなぁ。
そんな事を思いつつ、また布団の中で焼酎をちびり、ちびり、懲りずに深酒をしてしまった。いっそ、このまま寝て過したいような気分だった。
しかし、全ての人に平等に、朝はやってくる。時合いが大切な釣り、容赦なく朝の暗いうちから目覚ましが、それでなくても宿の女将さんにせかされて布団を出る。
なんとなく二日酔いのまま、食事をしていると、女将さんが「あれまぁ!」と、テレビを見ながら素っ頓狂な声を上げている。ボーっとしか内用が頭に入らなかったが、
先日まで全く気配の無かった低気圧が大型化して、早晩台風となる可能性が高いと言う報道を見てのことだったらしい。
後に、このニュースがその後の大きな出来事に結びつくとは、到底考えも至らないことだった。 ようやっと鴎が鳴きだす頃、漁港では既に件の「船長」が操船準備にかかっていた。腰まである長い黒髪を一つの太い三つ編みに束ね、末端を白いシュシュで留めている。
白いTシャツの上から青いツナギを着ているが、気候のせいか、ツナギの上衣部分ははだけたまま、腰で縛っていた。当時目新しい、二酸化炭素での自動膨張式救命胴衣を着用し、
とりあえずのマナーは大丈夫なようだ。船内を所狭しと動き回り、きびきびと動く様は、一応信用しても良さそうだ。
むしろ、良く見るとなかなか眼の保養になる、ちょっとした容姿とスタイルの持ち主だと気付いた。
だが、昨日からの不快な態度を思い出し、またぞろどんよりとした気分になり、船への足が重くなる。第一、彼女だってとうにこちらが漁港に大荷物を持ってきていることくらい知っているはずなのに、
顔も向けるつもりは無いらしい。
まぁ、自分はおねーちゃんではなく、魚と遊びに来たんだ、あのおねーちゃんはキノコだとでも思えばいいさ、そう、見た目は綺麗だが、実は毒キノコだ。
腰のベルトにガーバーのコーホーが装着されている感覚を、確かめる。船に乗るのに腰にナイフを装着すべきか否か―これは両論分かれるだろう。
転倒の可能性が高いデッキで、腰のナイフの所為で大怪我をするかもしれない、だが、いざという時手元に無いと、重大な危機から救われないかもしれない
―そして、これは実に大きな意味を持つことになる・・・かも、知れないのだ。 「おはよう、今日は宜しく。」
そういいながら、荷物を積み込む。「船長」は、ようやくこちらの存在に気付いたようなしぐさで、
「あら、もうそんな時間?こちらこそ、宜しく。」
とだけ、返してきた。デッキブラシでバケツの中をかき回しながら―
一体、何が不満なのか?こうなると、むしろ彼女の態度に興味がわいてくる。反抗期か、いや、そんな年ではないだろうし、夏休みが数日潰れることに不満か?
しかし、バイト料は結構な額になるし・・・個人的事情?失恋とか?−いや、それに振り回されたら、こっちが馬鹿みたいだから考えるのは止めよう。
スターンデッキ(船尾)にタックル(釣竿、リール、ルアーなどの総称)をセットする。ファイティングチェアーなどと言う豪華な装備は無いが、
一応それなりに古い漁船を改造して、遊漁船としても使えるような改造を施してあるこの船は、翁の所有船だ。
あまり会話に気が進まないが、一応今日のプランを海図を元に、聞いて見なくてはなるまい。海図は海域ごとに毎年更新されるので、
最新の海図は船長が持っていなくてはならない。
「海図の見方、分かるの?」
御嬢さん、こう見えても、貴女がまだこんなに小さかった頃には吾輩既に小型船舶一級免許所持者でして―といいたいのを堪えながら、
とりあえず船長のプランを聞く。翁の教えを忠実に守る予定らしく、一応時刻、潮位、当日の予報による風向きを考慮した上での予想を元に立てた、
ソツの無いプランを聞き、一安心。
「帽子、飛ばされないようにネッ!!」
漁港を出るまではデッドスローだった彼女の操船は、一気にフルスロットル。
ハルが波を割りながら、プレーニング状態で船は進む。
しかし、妙に波が高くは無いか?毎年、こんなんだったっけ??
翁はこんな乱暴運転しなかったし、比べようが無いから分からないなぁ。 朝靄の中、ポイントを変えながら何度も有望なコースをトレースする。しかし、どうもカジキにありつけない。カジキは、ルアーが波を下るような姿勢になったときに、最も食いつく可能性が高い。
双眼鏡を手に、船長に細かい指示を出すが、上手くいかない。船長は、決して操船が下手なわけではない以上、カジキが釣れないのは指示するこちらの技量か。
ちょっと休憩をとった後、昨年の爆釣ポイントを思い出す。確か、ここから4海里ほども行けば、時間帯的にもOKな筈だ。早速船長に移動を申し入れるが、あっさりと却下された。
「そこは無理よ。岸から五海里以上は離れられないもの。私の場合は。」
ああ、ありましたねぇ。そういう規定が。当時の小型四級船舶免許所持者ですね。船長は。早く言ってくれ・・・今更船長交代できない(一応航海上のルール)し。
仕方が無いので、海図を参考にあちこちトレースして見る。時間は過ぎるが、カジキは釣れない。ようやっとルアーを咥えた魚は、80センチはあろうかという、シイラだった。
まぁ、それでも何もつれないよりはマシだ。それに、これはこれで結構面白い。しかし、カジキが先に釣れていればシイラもついでにキープする気にもなろうが、
今はとてもキープする気にはなれない。
船縁まで寄せたシイラを、リリースする。そのとき、直ぐ後ろに、人の気配を感じて振り向いた。船長が、仁王立ちになってこちらを睨み下ろしていた。 「ねぇ。今の魚、逃がしたじゃない。カジキだって、どうせ逃がすんでしょ。」
何か言いたげな口調だ。真意を測りかねながらも、不意な問いかけに、面食らう。
「まあ―あれだ、サイズ的に満足いかなければ、逃がすだろうね、カジキでも。」
「貴方にとって、それは何なの?」
「・・・?・・・?」
畳み掛けるような問いかけをする船長の表情に、初めて見る表情が窺えた。当方に不快を抱くというよりも、何かを探し、焦っているような表情だった。
折りしも、日が高く上り、波の状況もあまりよくない。少し休憩が必要だった。
―船長に休憩を申し入れた。薄曇りの日差しが注ぐデッキで、訥々と船長の本音が出始めた。船長には、分からないという。わざわざ遠くから、
魚を釣りに来たくせに、妙な形式ばった釣り方しかせず、逃がしたりする。全くそれは、生産性の無い行為だという。今、本州の親戚に身を寄せて、
国立の大学に通っているが、大学の同期も遊びほうけて、先を見据えず、無意味な日々を謳歌している。そんな日々が嫌で、夏休みの間だけでも島に戻ってみたが、
島の皆ものんびり暮らしているだけ。こんな環境で、私だって今現在―
「一日を、無駄に過しているような気がして、仕方ないのよ。特に、貴方のように無駄な一日を、わざと過しているような人のお供には。失礼な事言って、ごめんなさい。
でも、こんな事して、なんになるって言うの?」 ―そうか、彼女の当初からのしぐさは、そんな鬱憤が噴出した結果だったのか。
しかし、それはそれとして、接待は別と割り切るのが然るべきだろう。気持ちが行動に現れるなんて、大人気ないなぁ。
まぁ、学生なら、しょうがないのかな。しかし、それよりも気になることがあった。実は、彼女の本音が出始めた頃から、自分の右の鼻の穴に
デカイ鼻糞の存在を、感じ始めていた。しかも、凄く気になる。一度気になると、もう居ても立ってもいられない。
だが、今のシチュエーションは、鼻腔に指をねじ込むには、相当無理があることだけは明らかだった。
船長は、またあの真黒な瞳で、ヒタとこちらを見つめている―
拙い経験から、理想論を言って、この話をとりあえず切り上げたかった。
とりあえず、あれだ。過去の偉人の言葉を借りパクして、何かそれらしいことを、立派ぽい言葉を、羅列することを試みた。
結論まで至らないところで、船長はまくし立てた。
「だから、その人たちに恥ずかしくない一日を生きろって言うんでしょ!貴方の今日一日は、どうだったっていうの!?」
ネ タ バ レ し て た ! 万事休す。
呼吸するたびに、気になる。超気になる。 いろいろな思考が頭の中を駆け巡る。ふと、場違いにも鉄砲を担いで原野を闊歩していたときに出合った、老紳士から頂いた挨拶が、頭をよぎる。
彼は確か、会うなりにこやかに、こう言ったのだ。
「撃てましたか」
猟とは、獲物が獲れればよいというものではない。山の空気、枯れ草の臭い、木漏れ日の温もり、そんな風景を全身で感じながら、
不意に出会う稀有な獲物との瞬間を期待する感情―そう、「獲れたか」ではなく、「撃てたか」なのだ。
肩に担ぐ獲物の有無ではなく、楽しめたか―
「今日一日を、有意義に楽しむことができましたか」
という、ハンターの魂の真髄を突いた、単純にして素晴らしい言葉と、後刻無性に感心した記憶があった。それが、不意に蘇った。
この感情を、もっと船長に分かりやすい例え話にして説明したかったが、どうにもこうにも眼前に据え付けられた大きな黒目に見詰められて
キョドッてしまい、そのまま「自分は、今日一日を、有意義に過ごしたい。こんな話があってね、分かりにくいかもしれないけど―」と、話した。
話し終えると、船長は視線をデッキに落とした。件のハンターの挨拶について、反芻しているようだった。よし、今がチャンス、右手の小指を鼻腔に突っ込んだ瞬間、
船長がガバッと顔を上げて、こっちを見据えた。万事休すパートU。
しかし、船長の口からは思いも寄らない言葉が出てきた。
「・・・エンジンが、止まってる・・・!!」 ヤスリ削って作ったナイフ
スローイングナイフとして使ってたらいい音させて折れたわ カーショーのシャッフル
何の気なしに薪にプスッと刺したら折れた
残念ながら当然の結果
あんな薄くて華奢なナイフなのに普段から荒く使いすぎてたからだな 懺悔
小2の時父に買ってもらったナイフを小5の時学校で落とした
そもそも学校に持っていくなって話だが当時はナイフの存在が当たり前すぎて常識とか法律とかがわかってなかったんだな、今考えると何て馬鹿な子供なんだと
先生に聞きにいったが追い返されたから回収のち捨てられたんだろう
十年単位の過去だがいまだに後悔していて父にも言えていない
そのナイフはオピネルの6〜8あたりだったと記憶している
幼すぎて番まで覚えてないのが悔しいが
父の本を見て一目惚れしてこれが欲しいって言った自分に初めて買ってくれたナイフだったんだ
店で選んだ時のことを今でもはっきり思い出せる
白木のハンドルでカーブがよく手に馴染んだ
どんなに後悔してもあれはもう戻ってこないが今でも一番好きで愛用しているのはオピネルだ 今から20年ぐらい前だけど会社の独身寮にいた時に同室の奴に
ビクトリノックスのチャンプを盗まれたわ。
会社を辞める直前に現金5000円ぐらいと共にやられた。決定的な証拠がないので泣き寝入り。