蕎麦屋で飲むのをよがってる それは自分のなかにもある
が 的外れだ
食いもんは酷い 酒のよさを引き立てるもんでは到底ない 金をせびる商魂がすさまじく酷い
その見え透いた嘘のおぼろな薄さを こざっぱり と 知りながらわざと曲解してるに過ぎない
貧相なもんだ 気取りは その痩せているが故に逆説的に膨らまされた蕎麦の味わいとともに
それが 今風の今日の文化だ粋なんだ と言われりゃ返す言葉も無いが

昔のジジイはお新香だけでささっとやってささっと啜ってささっと帰っていったもんだ
昭和30年代を振り返っても詮ないが 子供心に 気負いと寂しさと乏しさを感じたもんだ

今は 味が兎に角向上した 酒 醤油 ダシ味の発見 何よりも蕎麦の質汁の質 それに生山葵
そんな今日 板ワサ¥600 ぶったまげる 直近に滅びるな 蕎麦屋という存在は 
楽しいと言っちゃ楽しいが ベニヤ板に囲まれた学園祭の模擬店舗のようだ 僕らのIKIって