平山さんが京都で儲けてた時代は本当に良かった。
オオクワガタが1頭、何万から何十万だから、客は金持ちしかいない。
どこぞの社長やら部長やら。少なくとも中産階級以上の大人の趣味だったよ。
西武百貨店がオオクワの生体を扱ったり、信じられない時代だった。
シイタケの廃材と菌糸ビンが出てきて、すべてが終わった。
オオクワが大量生産されはじめ、そうなると貧乏人でもどうにか買えてしまう時代が訪れた。
虫屋の店内を得体の知れない作業着姿の中卒がうろつきはじめ、俺は店へ行くのを辞めた。
低学歴の貧乏人の価値観は浅い。そして薄っぺらい。
「サイズ、値段、カッコ良さ」その程度がすべて。
学術的、文化的な会話など望むべくもない。
あいつらが口をひらけば血統かサイズか金の話。
俺はあれだけ好きだったオオクワガタさえ嫌いになりそうだった。
だから、そうなる前に虫屋の界隈を出入りすることを辞めたのだ。
オオクワガタとは、低学歴の虫である。