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X68000に足りなかったもの

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0001ナイコンさん
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2022/02/22(火) 02:37:36.35
パターン定義用のSRAM
スプライトのサイズ
高品質なADPCM音源
0900ナイコンさん
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2022/04/25(月) 10:14:00.58
きょうもはってみる

p156-p160 貞本義行

Q:しかしそれほどまでに愛される二次元の、描線でできた造形物とは、不思議なものですね。それを生み出す能力とは、それだけで天才的な才能だと思います。

貞本:ただ、キャラクターが描線でできているといっても、僕の場合は二次元の造形にこだわってはつくってないですよ。
ナディアの例にしても、やっぱり自分がそれまでに実際に見てきた女の子のコラージュというか、「あの子はすっごい暗かったけど、なにか魅力的だった」とか、
そういう僕自身が会ったことのある人の印象が、重なりあって出てきているんです。
庵野さんもキャラクターを考えるとき、ヴィジュアルを主体にしていないと思います。あの人の場合、そのキャラクターを演じる声優さんの性格だとか、
過去のエピソードをライブ感覚でストーリーの中に入れこんでいったりするんですよ。
血液型だとか誕生日だとかも聞き出して、作品が進む中、脚本で追いかけてそれを反映させていく。それはそれで面白いなと思います。
でもそうなると果たしてそれが、純粋に二次元の世界の中で遊んでいるキャラクターなのか、現実の人格の反映なのか、境界線がわからなくなってきますよね。

Q:しかしどこかで、その貞本さんが経験した抽象的なイメージの積み重ねが、紙の上の具体的な造形に変換されるわけでしょう。
それは、そうした能力がない人間からすると不思議な瞬間にも感じられます。

貞本:でも、似顔絵ってわりと誰でも描くじゃないですか。人の特徴をとらえて似顔絵を描いていこうとすると、特徴を表せば表すほど、その絵は、
どんどんどんどんキャラクターになっていくと思いますけど。
「王立」のときも、実際に身のまわりにいる人をモデルにしてしまうことから始まっています。
0901ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 10:14:17.99
山賀監督に「このキャラクターってどういう人?」と聞くと「この人はB型で、こういう人で、こういうときにこういう行動をする人」と、性格を詳しく解説してくれるんですけど、
それが全部誰のことか丸わかりなんですよ(笑)。ああ、あの人ね、この人ねと。そうするとやっぱり、その人の顔を思い浮かべながらデザインしていくことになります。
ただ、そっくり描いてしまうと似顔絵にしかならないんで、そこは特徴を自分の中でアニメのキャラクターとして翻訳しながら、デザインしていきました。
でも描いてみて絵になる人と、ならない人ってあるんですよね。僕なんかは絵にならない(笑)。
ただそういう現実の絵から発想していく方法も、やりすぎると「王立」みたいに、絵的に地味な作品になってしまってあまり売れなかったりもする(笑)。
そのつらさも味わっていますので、「ナディア」では、アイドルアニメをつくろうと「王立」とはがらっと方法を変えて取り組みました。
その後、またちょっとリアルな方向に戻して「エヴァ」をつくってみたりと、僕としてはいろいろな作品の中で、
キャラクターづくりの方法のヴァリエーションを楽しんでいるような感覚がありますね。

キャラクターデザインの試行錯誤

Q:しかし「王立」は地味といっても、線に荒々しさがあっていいですね。

貞本:荒々しさというか、迷っている感じがしますよね。自分で言うのも妙なんですけど、その迷いがかわいいみたいな(笑)。
まだいろんなものに染まっていない感じが、伝わってくるんですよ。「気負っているところが青いなあ」と感じます。
今見直すと、「こうすればいいのに」と、過去に戻って自分にアドバイスしてあげたくなるんですよ。そういう心境になって見てしまいます。
0902ナイコンさん
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2022/04/25(月) 10:14:51.66
Q:どういうアドバイスを送ります?

貞本:やっぱり目とか鼻とか、一つひとつのパーツの処理ですね。特に僕の場合、宮崎駿さんのいた会社の出身なので、どうしてもどこか宮崎さんっぽい絵柄になってしまうんです。
だからあの頃は、なんとか宮崎さんから離れた方向でキャラクターをつくれないかと、試行錯誤していた。
かと言って、その頃は『機動戦士ガンダム』の安彦良和さんのようなリアルな傾向の画風もありましたけど、そちらにも行けないし。
「王立」のときは、まだ誰もやっていない、見たことのない画って、どんなものだろうと考えながら取り組んでいました。
あの頃の、中途半端にリアルなものを描くしかできなかった僕のところに行って、「エヴァンゲリオンってのがあるんだけどね」と、ちょっと見せてあげたいですね(笑)。
でも「王立」は「エヴァ」よりは、やはりリアルな造形の方向になりますから、それこそプロダクションI.Gの沖之さんとかを、そのまま過去に送りこんだほうがいいかもしれませんね。
「この人に手伝ってもらえ」という感じでね(笑)。

Q:ただ「王立」は貞本さんのみならず、各パートにスタッフの皆さんのそうした試行錯誤が伝わってくる作品で、それを含めて魅カのある作品ですね。

貞本:そういうふうに「当時はほかに方法はなかったんだ」と見てくれるといいんですけど。脚本とかストーリーは、時代が経ってもそんなには色あせないですけど、
作画面、技術的なものは、どんどん新しいものが出てくるので、やはり後の時代のほうが良く見える。最新の映画と並べられると、ちょっとつらいものがありますね。
0903ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 10:15:15.91
Q:男性キャラをつくる場合は、女性と感覚が違うものでしょうか。

貞本:女性の場合は、自分の経験の中で、魅力を感じた人を発端にしてデザインしていきますけど、男の場合はわりと真面目に(笑)、
「こういうことをする人はいったいどんな顔をしているんだろう」と考えてつくっていきます。
「トップ2」の鶴巻の場合は男にも注文が多いんですよ。髪型がこうで、と写真を持ってきて。それを見て描いても「いやそうじゃなくて」と、ものすごく注文が厳しくてですね。
「微妙な違いだよなあ」と僕は思うんですけど、「こういった男に憧れてんの、実はホモ?」というくらい、具体的な注文が細かいんですよ(笑)。
「こういう感じの男になってみたい」とか、そういう感覚で男性キャラクターをつくっていくことは、あまり自分にはないですね。鶴巻はそれがあるみたいですけど(笑)。
庵野さんは、キャラクターの細かいデザインには、あまり文句は言わないですね。もうちょっと年齢を下げてとかそれくらいで、わりと観念的な注文になります。

Q:自分の携わった作品を、「ここがいいんだよなあ」と見返したりとかはします?

貞本:いや、「いいよなあ」というよりは、「あそこの俺は天才だった。なんであれができたんだろう」という気持ちで見直すことは、それはたまーにありますね。
「なんてあのときの俺は天才だったんだろう」と。まあ、一瞬だったわけなんですけど(笑)。
そのときの感覚、あのデザインの神様が僕に降りてきたときの感覚を思い出せないかと、あせっていろいろ試してみたりするんですよ。
原宿に出て一日中、ずうっと目の前を歩いている女の子を観察するとか、わけもわからずやりましたからね。
0904ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 10:16:28.13
Q:それは参考になりました?

貞本:いや、効果ありましたよ。まず面白い服装に関して、鼻が利くようになりました。
「原宿に、ちょっと派手でおしゃれな女の子が集う店があるよ」と聞いて、その店の前で、ジュースを飲むふりをしてですね(笑)、
ガードレールに座ってそこに出入りする女の子をずっと観察してみたことがあるんです。「わー、すっげえ服着てるな」とか感心しながら見ていましたけど、面白かった。
実際に変わったファッションをしてる人を見かけて、それがデザインのヒントになったこともありましたよ。たとえば「エヴァ」のミサトの服は、街で見かけた、
男物のライダースーツみたいな服を上に着て、それでスカートをはいてた女の子が参考になっているんです。
スカートをはいている以上、その人は絶対バイクには乗ってないはずですけど、それなのに首からゴーグルを下げていた。こういう女性はいいなと思いました。
だからミサトの服って、実はオートバイ用のものが原型なんです。ただ男ものをそのままだとカッコ悪いところもあるので、そこを考えていじっていって、あの形になりました。
あとは、そもそもファッションというものに興味を持てるようになったのが大きいですね。僕自身は地味な服が好ァッション雑誌を見るなんて、やっぱり抵抗ありましたもん。

Q:わかります。

貞本:男気があったんで。

Q:わかります、わかります。男子たるもの、そんなもの。

貞本:そうそう、「バイク乗りはこんなの読んで、ブランドがどうのこうの言っちゃいかん!」みたいな。「百歩譲ってアディダスなら良し!」と(笑)。
0905ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 10:16:49.01
アニメーションは現場が楽しいんです

Q:「王立」で、劇場映画のキャラクターデザインと作画監督を担当して、その後アニメーションの世界でさまざまな仕事を残し、貞本さんの名前は映像の世界でビッグになりましたが、
そこでなにか変わったことはあったのでしょうか。

貞本:や、これが意外とないですねえ。イベントとかに行ってファンの前に立つ機会があっても、目立たないようにほかのゲストの間にまぎれたいと思っちゃうんですよ(笑)。
あんまり「ここにいますよー」というタイプじゃないんです。見た目も派手じゃありませんしね。
普段、僕がつき合ってるような仲間って、車とかバイクの関係の人間で、あまりアニメーションの世界に関わってない人が多いんですよ。
そういう人たちに「こういった作品、やってるんだよ」と言っても、「へえ、すごいね」で話が終わっちゃいますからね。

(2003年5月ガイナックススタジオにて)
0906ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 10:29:42.62
こういう著作権無視と迷惑行為がX68ユーザの典型だな
0908ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 11:06:19.78
スペハリの改造だね。大量に出回ったな
絵のパッチじゃなくて、ソフトそのものをコピーしまくったんだっけ
X68000のコピー蔓延の象徴
0909ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 13:51:32.22
>>889
そりゃ当然
68のグラフィック性能の不満点解消してんだし
スパグラのグラフィック性能が開発時の元の仕様だったわけだし
0910ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 17:18:16.25
ネットに公開してたソフトをコミケで有料で配布してた、なんて話しがあったのもX68じゃなかったかな?
0911ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 17:48:25.20
.───┐    ∠_      \L
 ̄ ̄ ̄| |     llヽ _|      ヽ  
      | |     |l ̄| |       l X68終わったな
      | |    /  ´\     /        
      | |     ヽ、_   `^イ          
二二二 」 _ __ lニ二二l、           ____
─┴┐ ⊆フ_)__./   ┌ヽ ヽ┐   /´       `\
二二二二二二l  /    |  |   | |.  /             ヽ
_l_____| /`ー─‐|_|   |_| /             ヽ
  |       /`ヽ__, ─ 、ノ |─l  l               l   
  |───/  /lニ/  /二ニluul.  |                 !  終わってんのはお前だよ
  |    ___| ̄ |  |  |_|.      l                /
 └─(    )(ニ|  ̄|./二ニ)     ヽ              /
      ̄ ̄  /   )            >━━━━━━ く
            `ー ´            /               ヽ
0912ナイコンさん
垢版 |
2022/04/25(月) 20:09:45.53
>>909
シャープは技術者に逃げられたのか?
0915ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 00:28:52.42
あのハドソンに逃げられるとかどんだけシャープが技術者を蔑ろにしていたんだよwww
0916ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 05:00:58.16
任天堂のファミコン開発者もシャープからの転職だったね。
0918ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:00:09.97
きょうもはってみる

樋口真嗣 1965年、東京都生まれ。そのキャリアは1984年公開の映画「ゴジラ」にて、特殊造型助手を務めたことよりスタートする。
「ゴジラ」の後、樋口氏は大阪を拠点とする映画自主制作集団DAICONFILMの活動にその身を投じ、自主制作特撮映画『八岐之大蛇の逆襲』('85)に参加。DAICONFILMの活動終了後、
樋口氏はガイナックスの第1作、劇場版アニメーション映画『王立宇宙軍オネアミスの翼』('87)に演出スタッフとして加わる。


華々しい伝統を持つ日本の特撮。しかし特撮作品は1980年代初頭、新たなる表現技法に「娯楽の王者」の座をとって代わられた。
その表現とは、かつて巨人・手塚治虫氏が情熱を注いだ映像技術、アニメーションである。特撮がアニメにとって代わられた理由のひとつに、その制作コストが挙げられる。
特撮映像制作そのものが多くの時間、人員、予算、そして高度なノウハウを必要とする上、特撮番組は、特撮部分を制作する特撮班と、本編班の2系統のスタッフを持たねばならず、
その分費用がかさむ。また、もしかするとこの時期、特撮はジャンルとしての活力を失い、新しい人材が生まれ難くなっていたのかもしれない。
日本の特撮作品は、1980年代初頭より長らく雌伏の時代に突入することになる。その時代の終焉を告げる作品が、1995年に公開された映画『ガメラ大怪獣空中決戦』。
この作品によって特撮映画の希望の星となった人が、この章に登場する樋口真嗣氏である。
樋口氏は、当時すでに特撮作品のみならずアニメーションの分野でも実績を残すという、稀有な経歴を持つ創作者だった。植口氏の世に知られたユニークな仕事ぶりのひとつはその画の発想法である。
ミニチュアセットの中に対象を置いて、それをいかに撮影するかと発想する従来の特撮に対して、樋口氏はまず脳内で画を発想し、それを具現するためにミニチュアセットを組むという。
これは「イメージしたもの以外、映像に現れない」という特徴を持つアニメーションの絵の発想に、通じるものがあると感じられる。樋口氏がアニメーションの領域でも優れた仕事を残すのは、
もしかすると必然かもしれない。

文:堀田純司 ガイナックスインタビューズ p236-p237より
0919ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:00:48.82
p247-p251 樋口真嗣

Q:樋口さんは撮影所で働いた後、DAICONFILMの自主制作映画に参加したわけでしょうか。

樋口:映画学校の同級生で山口宏という、今では脚本家になったヤツがいて、そいつが赤井孝美さんと同郷で、俺と知り合う前にDAICONFILMの手伝いもしていたんです。
『愛國戰隊大日本』で、アイキャッチの絵を描いたり戦闘員やったり。後に俺もヤツも学校を辞めて、俺はアルバイトで「ゴジラ」の現場に行ってて、
その頃あいつは「劇場版マクロス」の第2原画をやっていたのかな。終電がなくなると、いつも山口の家に泊めてもらってたんです。
そこで初めて、DAICONFILMのビデオを観させられた。その場で本当に素直に「すごいなあ」と感じたんです。「こういうことをやっている人たちがいるんだ」と思った。
その後に「今度DAICONFILMの上映会があるから」と誘われて行った九段会館で、庵野秀明さんに紹介されたんです。
庵野さんに紹介されたとき、俺は間違って「特撮のプロの人だ」と伝わってたみたいなんですよね。ただのバイトなのにね(笑)。最初は庵野さんも完全に勘違いしてました。
庵野さんは、俺に「今、大阪の連中が怪獣映画をつくっているから、遊びにおいでよ」と言ってくれました。まあ、社交辞令だったんでしょうけど(笑)、俺も馬鹿だから、言葉どおりに受け取って。
0920ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:01:05.18
Q:その怪獣映画というのが、後に樋口さんも参加して特撮パートを担当した「八岐之大蛇の逆襲」だったわけですね。

樋口:ちょうどその頃の俺は、「ゴジラ」の撮影が終わって仕事が一段落したところだったんです。しかし、映画の現場を見たくてアルバイトを始めたはずだったのに、
生意気なことに「これじゃ、いかんのじゃないか。こうしたほうがいいんじゃないか」というようなことを感じ始めていたんですよ。ほんと生意気なんですけど。
俺の「ゴジラ」での仕事は、造型部の「つくり物付き」というやつで、現場でつくり物のメンテナンスや、ゴジラのぬいぐるみを役者に着せたり、脱がせたりする役割なんです。
だから、撮影中の不測の事態に備えて、いつもゴジラのそばにいなきゃならない。つまり「つくり物付き」の担当者は結果的に、「いつも被写体の中心のそばにいる」ということになるんですよ。
カメラは絶えずこちらを向いているし、撮影部の人がメジャーで焦点距離を測りにきたり、メーターで露出を測ったりとか、いろんな人が入れ替わり立ち替わりで俺のところにやってくる。
監督も来ます。まあ俺のところに来るんじゃなくて、俺の隣にいる主役のところに来てるわけなんですけど(笑)。これが今にしてみると、俺にとってものすごい幸運でしたね。
初心者のくせにいつもステージの真ん中にいることで、現場の様子がよく見えたんですよ。それに、ぬいぐるみの中に入る役者のお世話も俺の仕事ですから、
そのために「今から何を撮るのか」という段取りを、嫌でも把握している必要がありました。
同じようにバイトで入って、バックヤードでひたすらに物をつくっているヤツもいたし、スタジオの入り口でお茶を配ってる人もいました。
しかし、ラッキーにも俺はステージの真ん中にいることができた。でね、その場所から現場のいろんな状況を見ていると、「なんでああやってるんだろう、俺だったらこうすんのにな」と、
そのうち勘違いをしはじめるわけですよ(笑)。「なんでカメラ位置がこんなに高いんだよ」とか。
0921ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:01:21.99
大阪への旅立ち

樋口:それに撮影所でバイトしていると、「誰よりも先に映画を観る」ことの最たるものとして、前日に撮ったフィルムを次の日に試写室で確認する、いわゆるラッシュを観ることができた。
しかしそのラッシュが歴然と......「これじゃ、ただ見たままを撮っただけじゃん!」という映像だったりする場合があった。そういうものを観ているうちに、失望と同時に、
「こうすればいいのになあ」という気持ちが、むくむくと芽生えてきたんです。DAICONFILMの作品、特に『DAICONFILM版帰ってきたウルトラマン」なんかを観ると、
明らかにそちらのほうが画づくりに対する、正しい取り組みと工夫を感じる。「本物ではないものを使って、どのように本物に見せるか」という意志が伝わってきた。
あの頃、プロの現場にいて、「大阪の学生でもこれだけやってんのに、大の大人が集まってこの体たらくはなんだ」と感じて、やっぱりがっかりしてきたんですね。
いろいろなことを考えましたけど、正直なところ、そこまでしてプロの撮影現場にしがみつきたいという気持ちをかなり......。

Q:失ってしまった。

樋口:そう。「いっか、もう......」と。ということで撮影所のアルバイトを辞めてしまったんです。で、どうしようかと考えたときに、なぜかあのメガネのもじゃもじゃ頭の人を思い出しまして(笑)、
「大阪は楽しそうだなぁ」と考えたんですよ。それでとにかく大阪のDAICONFILMに遊びに行かせてもらおうと、庵野さんに電話してみたんです。
庵野さんは「もうちょいで仕事も終わるっス」みたいなことを言ってくれたので、その場で「じゃあ、いついつ行きましょう」と予定を決めた。
それでいざ、その当日に庵野さんのところに行ってみたら『メガゾーン23』かなにかの仕事をやっていて、「ちょっと待ってて」と言われました。
それでちょっと待ってたら、そのまま二晩待つことになった......。今にして思うと「あの当時からそれか!」みたいな(笑)。
0922ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:02:04.73
Q:うはははははは。

樋口:桜台にあったグラビトンというスタジオだったんですけど、そこの押し入れで二晩寝て待ちました。それから「じゃあ、終わったから行こうか」と、庵野さんとふたりで大阪に向かったんですよ。
あの頃は庵野さんも俺も貧乏でしたから、大阪に行くのに新幹線なんて使えないわけです。8時10分発だったかな。大垣行きの快速に青春18きっぷで乗り込んで、大阪へと向かった。
あのときは車内が混んでいて、連結部分、車両を頭同士でくっつけているあたりの、運転席周辺の余裕のあるところで、ふたりで互い違いになるようにして床で寝ていました。
大阪に着いて、淀川の『八岐之大蛇の逆襲』の撮影現場に行ったら、これがやっぱり楽しそうなんですよね。まあ、一応こちらはプロの現場にいたわけですから、
その目で見れば「素人だな」と思えるところがいっぱいあるわけです。たとえばミニチュアを吊るすのに、テグスを使ってて、これがすぐ切れてしまう。
「ピアノ線でやんないんですか?」とたずねると「おお、さすがプロの人だあ」なんて、すごいテクノロジーをもたらしたように受け取ってもらえたり(笑)。
俺のつたない経験がこんなにお役に立てるなんて!(笑)。しかし、逆に「え、これでいいの?」みたいなやり方で効果を生んでたりして、驚くこともありました。
ビニールプールをふくらませるポンプで、ホコリを吹き上げてみたりとか、むしろ「なんだ、これでいいんだ」と思うことが多かった。
それは素人映画をつくっている人たちをバカにするとかじゃなくて、「あれ、この程度でもあんな画をつくれるんだ。これでいいじゃん」という、新鮮な感動がありましたね。
その場所で初めて「俺はここにいてもいいんだ!」と感じたんですよ。東京のプロの現場に居場所がなくて、今にして思えば自分を探しに大阪に出かけたら、
そこに「あっ、ここは僕がいてもいいんだ」と思える場所があった。
0923ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:02:52.38
Q:プロの現場ではそれほどまでに、「自分のやることがない」という感じだったんですか。

樋口:そうですね。かなりその、距離感を感じていました。いや、それよりも、プロで自分のやりたいことを獲得するよりも「大阪に行ったほうが楽しそうだ」という感覚だったんです。
あの頃はまだ18歳かそれぐらいですから、刹那的で、10年後のことなんかまったく考えずに「明日さえ生きられればそれでいい」という、
快楽だけを求めてケダモノのような生き方をしていたんですよ。通常であれば、その世代が求める快楽って、セックスや麻雀、改造バイクだったりするわけじゃないですか。
それが俺の場合は、なぜか特撮だった(笑)。「より良きものがそっちにある。じゃあ大阪だ」とか言って、本当に押しかけて、そのままスタジオに住み込みました。

Q:庵野さんといっしょに出かけて、そのまま大阪に移住なさったんですか。

樋口:最初に遊びに行ったときは、一度東京に帰ったんです。そのときに「また来てもいいっすかねえ」と頼んだら、「おいで、おいで」と言ってくれたんです。
俺は「ああ?本当?マジマジ?」とよろこんでいましたけど、しかしまあ、それって社会人としての社交辞令ってもんじゃないですか。でも俺は、まったく額面どおり鵜呑みにして、また押しかけた。
みんな「えっ、ホントに来たの?」と驚いていましたよ(笑)。しかも俺、家出して大阪に行きましたからね。実家では捜索願まで出していたらしいです。

Q:現場としての「オロチ」はいかがでした?プロの現場に感じていた距離感が、一気にゼロになったという感じだったのでしょうか。

樋口:そうですね。「オロチ」は、手を挙げたヤツが、なんでも勝手にやっていく、逆に言えば、そうやっていかないと何も進まないというすごくオープンな現場だったんです。
それは楽しかった。通信販売で、40キログラムもあるでっかい鋳物の戦車を買ってきて、映画に出てくる新型戦車に改造してるヤツがいたりとかね。
絶対画面に写らないようなところまで、ずうっとひとりで、来る日も来る日もその巨大戦車をいじってるんですよ。完全に目的を見失ってましたね、あいつは。
「どうすんだよ、それ?」「俺にもわからん」(笑)。まあ、それが今のGONZOの村濱章司だったりするわけなんですけど。結局1年半ぐらい大阪にいたんですよね。
0924ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 09:03:10.53
Q:その期間の生活費はどうしていたのでしょうか。自主制作だからみなさんボランティアで参加していたんですよね。

樋口:「ゴジラ」のときのアルバイトで稼いだお金がほとんどそのまま残っていたので、あの頃は1年くらいは暮らしていけるくらいの莫大な(笑)お金を持っていたんですよ。
ただ後半はやっぱりきつくなってきて、武田さんとかに無心をするようになった。それがまた自分の運命を大きく変えたんです......。そこで初めてガイナックスが出てくるんですよ。
「オロチ」の後半は、だいたい月に4万円ぐらいおこづかいをもらって暮らしていたんです。さすがにはるばる東京から来てるということで、俺だけ特別だったんですが。
俺はてっきりそれをご褒美だと思っていたんですけど......。「オロチ」が終わって「これからどうする?」って話になったときに、
すでに『王立宇宙軍オネアミスの翼」の制作に入ってた岡田斗司夫さんが、「このまま東京に出てきて『王立』を手伝うんだったら、あの借金はチャラにしてやる」って。
「ええっ!借金ってなに?ええっ?」。そんな『ナニワ金融道』みたいな!人身売買で俺はガイナックスに......。

(2004年11月 渋谷にて)
0925ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 17:11:49.72
X68に足りないのはユーザのモラルだねw
0926ナイコンさん
垢版 |
2022/04/26(火) 17:43:01.24
次スレ立てるならワッチョイ入れてくれ
0928ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 01:39:23.63
>>927
まじ!?
友達X0が還暦間近にしてようやく『モラル』という単語を覚えたのか!?
0929ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 02:20:51.33
『モラル』という単語を覚えても、意味が理解できてないのがX68ユーザ。
0930ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:26:26.42
きょうもはってみる

村濱章司氏 1964年、大阪府生まれ。
追手門学院大学在学時より映画自主制作集団「DAICONFILM」の活動に参加。

ガイナックスチルドレンのひとり

1998年に発表された『青の6号』という作品がある。前田真宏氏、村田蓮爾氏ら気鋭のスタッフが参加し、工程をデジタル化して制作された、このOVA作品は、発売当時大きな話題を集めただけではなく、
個性的な映像と音楽で、一目観れば強烈に心に残る作品として、今もなお世界中で新たなファンを獲得している。
この作品を世に送った会社が、ゴンゾであり、この章に登場する村濱章司氏は、この設立メンバーのひとりにして『青の6号』のプロデューサーである。
村濱氏は1964年、大阪府生まれ。追手門学院大学在学時より映画自主制作集団「DAICONFILM」の活動に参加。赤井孝美氏による特撮映画『八岐之大蛇の逆襲』のスタッフとして独自の存在感を示した後、上京。
そして1987年に公開された映画『王立宇宙軍オネアミスの翼』に、制作進行として参加する。多くのクリエーターを輩出したことで知られるこの映画は、やがて日本のアニメーションの世界で、
個性的な映像作品を生み出すグループを率いていくプロデューサーをもスタッフとして擁していたことになる。「王立」の後、村濱氏は『ふしぎの海のナディア』にアニメーションプロデューサーとして参加、
そして1992年にガイナックスを退社する。同年、樋口真嗣氏、前田真宏氏、山口宏氏らとともにクリエーター集団・ゴンゾを設立した。このグループは、早くよりデジタル技術を駆使したアニメーション制作に取り組み、
ゲームのイベントムービーなどの作品で高い評価を獲得。実績を重ねた上で、1998年に発表した作品が『青の6号』であった。
ゴンゾは、90年代初頭よりデジタルとネットワークに目を向け、既成の方法にとらわれない斬新な映像を提供してきた。『戦闘妖精雪風』の華麗な戦闘シーン、小型機の高速戦闘から、
巨大空中戦艦のスケールの大きい戦闘場面までを作品世界に持つ『LASTEXILE』、濃密な映像で広く話題となった『巖窟王』など、ゴンゾの作品はほかでは観たことのない画を見せる。

文:堀田純司 ガイナックスインタビューズ p276より
0931ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:26:58.86
p278-p284 村濱章司

キャラクター産業の市場規模はアメリカより大きいかもしれない

Q:ゴンゾの作品『青の6号』などは、国内はもとより海外での人気が特に高いそうですね。国際競争力で考えると、漫画やアニメーションが実写に優っているのが現状だと感じます。

村濱:そうですね、残念ながら。

Q:そうすると同じ国民がつくっていながら、アニメと実写ではなにが違うのだろうと疑問に思うのですが。

村濱:それには明確な答えがあって、ずばり市場の大きさの違いだと思います。やっぱり実写映像の市場規模は、日本はアメリカにまったくもってかなわない。
ただアニメーションのようにキャラクターが登場する作品の市場規模ならば、アメリカに対抗できる。もしくは、日本国内のキャラクター産業の市場規模はアメリカより大きいかもしれない。
数字的なことは切り取り方によって変わってくるでしょうが、日本国内でのキャラクタービジネスは、めちゃくちゃに競争が激しい。
そこで勝ち上がってきた作品は、「どこの国のどの作品にも対抗できる素晴らしいものだ」という原理が働いているんじゃないかと思います。
0932ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:27:36.43
Q:キャラクターライセンスを与えられた製品の総生産額は2兆円との説もありますね。

村濱:日本の、漫画作品を原作とするアニメで考えると、まずコミケというアマチュアの作品発表の場があって、そこに8万人が来ますよね。
その全部というわけではありませんが、かなりの人が絵を描いたりしていると思うんですよ。で、さらにその中の数万人が実際に漫画を描いて、そこから切磋琢磨してプロになる人が出てくる。
まあコミケの場合はプロになりたくない人もいるでしょうけど。そしていざプロになったら、今度は何百という漫画雑誌で競争して、その市場の中で勝ち上がった作品がアニメになるわけですよね。
アメリカの場合ですと、アニメーションを制作するにあたって、まずパイロットフィルムを何本か発注して、それをモニターに見せてアンケートをとるなどして、いろんなところでスクリーニング、
ふるい分けを行ってつくっていく。それだとせいぜいが10本くらいのパイロットフィルムから作品を選んでつくっていくことになるわけですが、日本の原作モノの作品だと、
実は数万の中から企画を選んでつくっているに等しい。これが競争優位の源泉じゃないかと思っています。それとゲームの分野で、日本のハードがシェアを獲得したことも大きいですね。
ゲーム機が世界市場に打って出て、ハードのシェアを獲得したおかげで、その結果、日本産のソフトも認知されやすくなった。
ゲーム機がシェアを獲得する以前は、国内でいかに優れたソフトウェアコンテンツをつくっても、海外で認知されるためにはものすごい苦労がともなったんです。
しかしそれが今では、いいものは必ず伝わるようになった。やはりもとが本当に魅力的なものですから、障害が少なくなった結果、自然に存在感が大きくなっていったんだと思います。
あとは「ポケモン」の大成功が示しているように、ゲームやカードなどいろんなものと組み合わせて作品を発表していく方法、いわゆるメディアミックスですね。
これがうまく機能していることもアニメの強さの理由のひとつかなと思いますね。
0933ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:28:17.71
Q:なるほど。ゲーム、漫画、アニメを合わせると、日本のキャラクタービジネスの市場は非常に大きいということですね。

村濱:アメリカの映像制作の高コスト化も大きな問題だと思います。それにあちらのスクリーニングの方法は非常にロジカルですから、その結果、袋小路に入っていきつつあるんじゃないか。
だって、論理的に「これはやっちゃいけない、あれはやっちゃいけない。こうすればウケるよ」と絞り込んでいくわけでしょう。それを続けているとやがては袋小路に入ってしまうことになるかもしれないと感じるんです。
日本に置き換えて考えてみると、たとえば今「メイドモノをつくると当たる」という市場調査があったとするじゃないですか。じゃあメイドモノをつくろうと企画する。これは昔、自分たちが
アニメファンだったころには考えられないことですけど(笑)。そうすると現在、市場にあふれているほかのメイドモノと差別化して、競争力をつけるために「ではメガネをかけたメイドさんがいい」と考える。
それで「うちのメイドさんはみんなメガネをかけてますよ」と、メガネっ娘のメイドさんがたくさん出てくる作品をつくってですね。仮にそれが、強い競争力を発揮して、ほかの作品に対して勝ったとします。
しかしそこで問題になるのは「じゃあ、次になにをつくればいいか」ですよ。結局またターゲットを絞ってつくっていくことになる。
でも、歴史的なヒットとなる作品は、その時代の創作の可能性をフルに使いきるような作品だと思うんですよ。今のアメリカのつくり方だとそれは出てこない。
だからコアセグメント(中心となる要素)を絞ってつくっていく限り、作品制作はどんどん袋小路に入っていく。それは「限界があるんじゃないか」という気がします。
0934ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:29:25.40
Q:アメリカでは、1本の脚本に1年間かけて、観客に受ける要素を検討してつくることが、ごく普通に行われているそうですね。
確かにそうやってロジカルにつくられる作品に観客は「もう飽きてきた」という雰囲気も感じます。そうした状況の中で、ゴンゾはどのようなスタンスで作品をつくっていこうと考えているのでしょうか。

村濱:ビジネスの面で現実的にいうと、今のアニメーション市場におけるニッチの部分を拾っていかざるを得ないところは、どうしてもありますね。たくさんの提供料を使って、
ゴールデンタイムに放映される作品の制作にも挑戦したいと思ってはいるんですけど、我々の現状の力では無理なんです。ただ、できるだけ挑戦したいとは思っています。
現時点の我々は、「アニメーションに対して、強力な購入動機を持つお客さんがコアターゲットだ」と考えています。しかしできるだけ一般のお客さんにも受ける要素を、
一所懸命入れてつくっていくようにも努力しているんですよ。なぜかというと、先のアメリカの例のようにターゲットセグメントを絞れば絞るほど、やるべきことも絞られてしまって、
やがてどうしようもないことになっていく。もちろん中心となるお客さんを設定してつくりもしますが、しかしそこにターゲットを絞りきってしまわずに、同時に、「広く一般にも受け入れられるような要素を
入れていかなければならない」と考えているんです。『LASTEXILE』や『GADGUARD』などの作品でも、そういう意味で広く受け入れられる要素を、頑張って入れたつもりなんですよ。
0935ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:29:46.82
Q:ある漫画家さんが、「アクション・スター、アホヅラ理論」というのを提唱しています。
それは「ハリウッドのアクション・スターである、アーノルド・シュワルツェネッガー、ウィル・スミス、ブルース・ウィリスなどを見渡すとみんなアホヅラである。
ゆえにアクション・スターというものはアホヅラでないといけない」というものなのですが、これは存外にエンターテインメントの本質をついている気がします。娯楽作品は美男子一辺倒で押し通すものではなく、
どこか抜けていたほうがいい。「カッコいい」ものをというよりも「カッチョいい」とでも申しましょうか。実はゴンゾの作品に対して、「非常にスタイリッシュでハンサムな作品」という先入観があったのですが、
実際に観ると必ずしも決してそのような芸風のみではありませんね。

村濱:一作ごとそれぞれに、「ゴンゾをいかに変えていくか」という、我々自身で我々を変革していく試みを行うように、常に心がけているんです。日々頑張って、努力しています。
しかし、いい意味で「ああゴンゾの作品だ」と、どの作品からも伝わってきますね。
それは私もちょっと不思議なところなんですけど(笑)。変えようと思っていても、いざ出来上がると「ゴンゾっぽいね」と、よく言われるんですよね。やっぱり演出さんたちにしろ誰にしろ、
ひとつ屋根の下で作品をつくっているからには「こういう美意識っていいよね」というカラーが、ある程度共有されているんでしょうね。
0936ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:30:44.25
Q:そうしたスタイルの源流には、やはり村濱さんの趣味も自然と反映されているのではないかと思うのですが、そもそも学生時代はわりとカッコいい音楽が好きだったとか。

村濱:大学受験の前あたりに、またテレビを見始めたんですよ(笑)。そのときにたまたま出会ったのが『戦闘メカザブングル』というヤツ。この作品を観てものすごく驚いたんですよ。
私はアニメについては、まず子供が観るものだという先入観があって、なおかつフォーマットが決まっていて、最後の5分間でヒーローが戦って悪いヤツをやっつける。
そしてその場限りで話が終わって、次回からはなにごともなかったようにまた話が始まるものだと思い込んでいたんですけど、でも『ザブングル』を観て、それがくつがえされた。
「わっ、これはSFだ。アニメってこんなことができるんだ、すごい」と感じたんですよ。
それからアニメが気になりだして、『聖戦士ダンバイン』とか、『装甲騎兵ボトムズ』だとか、そのあたりは全部観ました。
そういう土台があったところで追手門学院大学に入学して、SF研究会に入ったんですよ。「SFとかが好きなんですけど、なにかいいサークルはありませんかね」と聞いて、勧められたのがSF研究会でした。
そうしたらそこが、DAICON3やDAICON4の運営主体、「関西学生SF研究会連盟」の主力SF研のひとつで、DAICONFILMの人員供給源だったんです。
ほかには、大阪大学や近畿大学や、大阪芸術大学が人員の供給元でした。ガイナックスってけっこう、学閥があるんですよね。
って、もちろん冗談ですけど、そう言うと信じる人が出るくらいに、クリエイティブ面は大阪芸大と東京造形大で固めていて、経営とかプロデュース面は近畿大学と追手門学院大が固めていました(笑)。
私も、DAICONの活動が楽しそうだったので、まあ参加して。学校の単位をほったらかしてそっちのほうに熱中してしまいまして。そこに自分でもできることがあったんですよ。
だから活動がものすごく面白かった。
0938ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:32:17.35
Q:DAICONFILMの特撮大作『八岐之大蛇の逆襲』では、巨大な塔や、戦車を細かいディテールに至るまでほぼ村濱さんの独力でつくり上げてしまったそうですね。

村濱:それはちょっと違いますね。戦車では、細かいところばかりつくっていたら、私の進行があまりにも遅いので、今のガイナックスの神村靖宏さんにパッと取り上げられてしまった(笑)。
それで神村さんから返ってきたらもう全体の形ができていました。でもそれからまた私は、細かいディテールアップに取り組んで。
それと、皆生温泉という温泉が米子にあるんですけど、そこのビルをつくって、それを爆発させました。
しかし8ミリで撮影しているので、瓦がふっとぶところなど細かい部分は、映りづらいんですよ。当時、ソニーのベータマックスかなにかのビデオの箱で銀色のものがあったんですよね。
その箱を細かく切って屋根の上に散らばらせてみたら、爆発のとき光をキラキラ反射させながら飛び散って良かったですよ。そんな感じでいろいろ工夫していました。

村濱、東京に行かへんか

Q:「ラジエーターのスリットを一枚一枚プラ板でつくるという、気の遠くなるような作業を行って周囲を驚かせた」という証言を聞いたことがあります。

村濱:むしろ当時は、ディテールなど細かいことはできるんですけど、大きな、全体に関することはできないという自分にすごく驚いていましたね。
0939ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:32:56.76
Q:その頃に映画を監督しようとか、脚本を書こうなどと思ったことはありませんでしたか。

村濱:夢的にはありましたけど、それは思いもよらないことでした。当時の私のまわりにいた人というと、庵野秀明さん、赤井孝美さん、山賀博之さん、樋口真嗣さんというような、
優れた表現者としての才能を持つ人たちばかりなわけですよ。そんな環境で自分がなにをすればいいんですか。
「こういったものでご飯を食べられるといいな」とは感じていたんですけど、メディアの世界で活躍するプロフェッショナルな人って、そのときの自分にしてみれば雲の上の人、
「まったく自分とはかけはなれたスキルを持ったすごい人たちだ」と思い込んでいました。でも今考えると、そんなふうに最高の人たちと、若い時分に知り合えたのはすごくハッピーなことでしたね。
ただ、作品をつくる上で、クリエイティブな才能はもちろん大切ですが、プロデュースする才能も同じように大切なのだろうと思うのですが。
しかし当時はプロデューサーってなにをする人なのか、よく知らなかったですね。とにかく自分の居場所を見つけようと思って、誰かがやらないことで、
自分が得意そうなことを見つけては一所懸命やっていた。そうしているうちにガイナックスの武田康廣さん―当時はまだゼネラルプロダクツですけど―から電話がかかってきて
「村濱、東京に行かへんか」と誘われたんですよ。「『王立』の制作進行をやらないか」と。
0940ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:33:38.45
Q:「オロチ」の制作が終わった後ですね。

村濱:こちらはその場で「あ、行きます」と、答えました。即答です。プロの世界への入り口が見つかったんですよ。
「自分なんかには絶対無理だ」「声なんかかからないだろう」と思っていましたから「これは逃がしたらあかん」と思いました。
「考えます」とか言っているうちにほかの人が行くことになったら困るので、即答で「行きます」と返事したんです。で、すぐ親に話して大学を休学して東京に出ました。
なぜ、あのときに私に声がかかったのか、よくわからないんですよね(笑)。ガイナックスの人たちも、ほかの人には「さすがに大学をやめさせるのはどうか」と、躊躇したのかもしれません。
そのあたりはよくわからないけども、私にとっては千載一遇のチャンスでした。ガイナックスさんが自分を制作進行として使おうと考えなかったら、今の自分もなかった。
だからお世辞とかそういうのは抜きで、ガイナックスさんには本当に感謝しています。
0941ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:33:45.71
Q:「オロチ」の制作が終わった後ですね。

村濱:こちらはその場で「あ、行きます」と、答えました。即答です。プロの世界への入り口が見つかったんですよ。
「自分なんかには絶対無理だ」「声なんかかからないだろう」と思っていましたから「これは逃がしたらあかん」と思いました。
「考えます」とか言っているうちにほかの人が行くことになったら困るので、即答で「行きます」と返事したんです。で、すぐ親に話して大学を休学して東京に出ました。
なぜ、あのときに私に声がかかったのか、よくわからないんですよね(笑)。ガイナックスの人たちも、ほかの人には「さすがに大学をやめさせるのはどうか」と、躊躇したのかもしれません。
そのあたりはよくわからないけども、私にとっては千載一遇のチャンスでした。ガイナックスさんが自分を制作進行として使おうと考えなかったら、今の自分もなかった。
だからお世辞とかそういうのは抜きで、ガイナックスさんには本当に感謝しています。
0942ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:35:07.11
p284-p286 村濱章司  オネアミス制作進行へ

Q:「王立宇宙軍」のスタッフからは、その後長く活躍するクリエーターが輩出されていますが、村濱さんのようなプロデューサーの才能をも擁していた、というのが面白いですね。

村濱:「王立」で担当した制作進行という仕事は、アニメーションのカットなどを円滑に次のプロセスに運んで、アニメーターさんに画を上げてもらって、
それを回収してまた次のプロセスに正しい形で渡して、その進行状況を記録していく仕事なんですよ。最初はただ運転手みたいな感じで、うろうろしていました。
しかしだんだんデータベースなんかを活用して、どうしたら効率よく物事が進むかと考えるようになりましたけど、まあ、いちばんいいやり方をとっていたとはあまり思えないです。
でも当時のガイナックスの方針として、すでに自分のやり方を持っているプロフェッショナルな人というのは、スタッフとしてあまり入れなかったんじゃないかなあ。
あのころのガイナックスには「自分たちのやり方でやる。自分たちで方法も決めるし、自分たちでつくる」という風土が、あったような気がします。
だから私も、自分なりに一所懸命考えて、解決していくしかなかったんですよ。「王立」という作品そのものについては、制作進行という下働きしかやっていないんで私にはなにも言えませんが。
ただ、あの時代には特徴があってですね。『宇宙戦艦ヤマト』でアニメファンになって、『機動戦士ガンダム」で、プラモを買ったりしてアニメにお金を使うようになって、
『超時空要塞マクロス』)で業界に入ったという世代の塊が、あの時期から、アニメを自分たちのものとして、自分たちで考えてつくりだした。
あくまでも全体としての印象の話ですけど、それまでのアニメは仕事として「ああしなさい、こうしなさい」と、既存の制約に縛られながらつくられるものだった。
0943ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:35:32.16
しかし、世代が変わって「マニアの人たちが、マニアの人たちのために優れた作品をつくる」というと怒られるのかもしれないですけど、「自分たちと同じような人のために、
自分たちが満足のいくやり方で作品を提供する」という時代が来た。そういう感覚を共有していた時代だったように思います。
アニメに対する一種の思想的な基盤が芽生えて、ガイナックスはその集積率が高かったんですよね。
前後数年のズレはありますけど、あの当時、アニメの世界ではけっこういろんなことが変わっているんですよ。
ガイナックスもそうですが、プロダクションIGさんやジブリさんが生まれたのもあの時期ですし、ほかにもいくつもの制作会社が設立されています。

Q:村濱さんがかつて在籍したガイナックスは、クリエーター主体の会社というか、むしろクリエーターが制作サイド、プロデューサーの役割を兼ねてしまう会社というイメージがありますね。

村濱:ガイナックスは、制作に携わる人材を系統立てて育てていなかったかもしれないですね。自分も制作について基本から教わっていなかったので、誰かを育てることなんてできなかったですし。
今にして思えば、後継者を育てていなかったのは、ちょっと申し訳ないと思います。
0944ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:36:12.43
Q:間違っていると申し訳ないのですが、村濱さんはガイナックスから独立した当時、「プロデューサーとして世に出るためには、優れたクリエーターが会社を引っ張るガイナックスを離れたほうがいい」と
考えたのではないかと想像していたのですが。

村濱:「プロデューサーになりたい」とは考えていましたけど。と言いますのは、制作進行としてこの業界に入った人間のキャリアアッププランとして、
アシスタントプロデューサーを経てプロデューサーになるという、きれいな道筋があるわけですよ。人によっては途中で演出さんになられる場合もあるんですけど。
自分は絵が描けないですし、演出をやれるようなクリエイティブな人間とも思えなかったので、「やはり目指すならプロデューサーなのかな」と考えていました。
「プロデューサーになって自分がつくりたいと思う作品をつくりたい、いい作品をつくりたい」という目標はあって、まあ一応、そちらに向かって一所懸命に進んでいったわけですけど、
でも、辞めた当時に、自分の会社をつくって社長になるなんていうことは、夢にも想像していませんでしたよ。なおかつこんなにたくさんの作品をつくることになるとは!流れ流れて現在にいたっています。
0945ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 11:36:46.55
Q:制作作品数や社員の数でいうと、古巣よりもすっかり大きくなってしまいましたね。

村濱:今となってはそうですね。でも映像の世界への影響力では、まだまだ学ぶところが多いです。
私が独立した当時はまだ28歳。プロデューサーになるどころか、まずはなんとか食っていかないと、という状況でした。まずフリーランスで制作進行をやって。
辞めた瞬間には、「そもそも自分はアニメを続けるべきなのかどうか」と迷っていました。危なかったですよ。もしかするとあのときにアニメを辞めてしまっていたかもしれない。
「アニメでなにがなんでもメシを食うんだ」という心境ではなかったわけですか。
むしろ「アニメでは食えない」ってことが、もうわかっていたんですよ(笑)。ただ私は、物事を決めるのにあんまり時間がかからない性格なんです。
あのときも、たぶん4日ぐらい悩んだような気がするんですけど、でも「じゃあなにかほかのことができんのか」って考えると、なにもできない自分にすぐ気がつきました。
「だったらアニメをやるしかない」と考え直して、それでフリーのプロデューサーというか、制作進行として仕事をしていたんですよ。
そうしていたら樋口真嗣、前田真宏、山口宏の3人から、「刺激とコラボレーションができる場所がほしいんだ。でもコピー機とかファックスを買ったりする作業は嫌だ。おまえが買え」と
声がかかったんです(笑)。あれは樋口真嗣にかなあ、「村濱だったらできると思うんだ」と言われまして。こちらも「じゃあ、僕でよければやらせていただきます」という感じでした。

2004年3月 GDHにて取材 
0947ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 12:47:09.20
という事にしたい自演バレバレな荒らしX68ユーザーであったw
0950ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 14:16:03.27
もし5年間クロック向上以外の変更なしで通用するマシンにするなら
CPUは68020、スプライトパターンRAMは64KB、スプライトサイズは最大32×32、ADPCMは4音(独立音量付)でスタートしなければならなかった
しかしコスト的に無理であろう
つまり激動のコンピュータ界で5年通用するマシン等無理なのである
0953ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 14:33:37.77
CPU性能が低い時代の策だからそう言いなさんな
ただ、そのせいでアーケードの移植マシンで終わってしまったのは事実
0954ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 16:55:57.85
X68000の性能を活かしたオリジナルソフトって何かある?
メガドライブやPCエンジンで不可能なやつ
0955ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 17:38:10.18
アクション系のエロゲかな
98でできない動きの
D.O.とか作ってたよ
0957ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 18:58:26.29
>>954
移植不可能なソフトって、高解像度必須のビジネスソフトぐらいでしょ。

ゲームはそのままでは無理でもアレンジすればどれでも行けるぐらいの性能差しかないし。
0958ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 19:00:18.38
>>952
あの時代はCPUだけでなくメモリも遅かったからスプライトがないと60フレームで滑らかに動くゲームが作れない
メモリが高速になって全フレームバッファ描画で60fps出せるようになるのはプレステやサターン時代になってからだ
つまり1994年だな
0959ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 19:25:21.95
○○可能だった!とか後知恵バイアス全開で語るアホにはうんざりだわ
0960ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 21:17:16.53
足りなかったものって後知恵で振り返ってるスレで言われても
0961ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 21:21:20.07
PCエンジンで存在意義が揺らぎ、メガドライブでトドメを刺されたって感じ
高いだけでアーケードの移植くらいしか取り柄がない
しかもコピー天国w
0963ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 22:57:39.12
TOWNS太郎が今更矛先反らしで他の機種を持ち出しても正体バレてんだよ
0964ナイコンさん
垢版 |
2022/04/27(水) 23:35:31.25
PC-98相手に勝ち目がないと思い知らされて、昔ボロボロに負けてるのにTOWNS相手に喧嘩を売り始めるキチガイX68ユーザであったw
0965ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 00:34:02.58
>>963
TOWNSユーザー「('A`)ソーナンダーヨカッタネー」
0966ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 00:44:24.27
コピーは98の方が遥かに酷かった
当時サードウェーブが入ってたビルの近くのビルの一室で玲於奈を入れた98を3台ほど置いて
98のソフトを有料でコピーさせてた店があったけど、68でそんな店見た事無い
0967ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 05:51:52.87
という事にしたい、ピーコしまくっていた犯罪者X68ユーザーであったw
0968ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 06:51:32.22
うんkzのは疑似スプライトだからな
要するにゴミ
0969ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 08:00:23.18
横並び制限のあるスプライトってゴミだよな
0970ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 08:58:26.60
きょうもはってみる

庵野秀明 1960年 山口県宇部市生まれ。
大阪芸術大学在学中、同級生であった赤井孝美氏、山賀博之氏らとともに第20回日本SF大会(通称「DAICON3」)のオープニングアニメ制作に参加、
その後、テレビシリーズ『超時空要塞マクロス』('82)を皮切りにプロの世界に身を投じる。
宮崎駿監督「風の谷のナウシカ('84)、山賀博之監督『王立宇宙軍オネアミスの翼』('87)ではアニメーターとして世界最高水準の技量を発揮。


世界最高水準のアニメーター、そして先鋭的な演出家

庵野秀明氏は、その仕事が広く注目される映像作家である。庵野氏のキャリアは1981年に学生が中心となって主催した第2回日本SF大会「DAICON3」のオープニングアニメーションより始まった。
このアニメの打ち合わせの際、庵野氏が喫茶店でさらさらとパワードスーツを作画し、それをパラパラ動かしてみせたというエピソードは伝説となっている。
庵野氏、そして当時、庵野氏の同級生であった赤井孝美氏、山賀博之氏らが中心となって制作したアニメーションは喝采をもって迎えられ、その技量はプロの注目をも集めることとなった。
庵野氏はその後、アニメーターとしてプロの世界で活動するようになる。この時期はまた、日本においていわゆるオタク文化が産声を上げた時代でもあった。
80年代の中盤、庵野氏は河森正治監督『超時空要塞マクロス愛・おぼえていますか』、宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』などの作品に参加し、その技量を発揮する。『マクロス』で氏が描いたメカは、
そのカッコよさでファンの心をつかみ、「ナウシカ」では「巨神兵」の壮絶な作画で一躍プロの世界でも名を馳せた。1987年に公開された山賀博之監督の『王立宇宙軍オネアミスの翼』では、
貞本義行氏とともに作画監督を担当。庵野氏作画による物語のクライマックス、ロケットの発射場面は、日本のアニメーション史に残るシーンとなった。
この時期、庵野氏はメカの戦闘シーンや爆発を描くことにかけて、間違いなく世界最高のアニメーターだった。

文:堀田純司 ガイナックスインタビューズ p58より
0971ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 08:58:44.18
p60- 庵野秀明 


Q:2004年でガイナックスは設立20周年を迎えますが、この期間については長かったでしょうか。短かったでしょうか。

庵野:長いのでしょうけど、なにか短い感じがしますね。

Q:映像の世界に入ったきっかけは1981年に開催された日本SF大会、「DAICON3」のオープニングアニメを制作したこと、と考えてよいでしょうか。

庵野:結果的にはそうですね。それが、そもそものキッカケです。

Q:後の1987年に『王立宇宙軍オネアミスの翼』を監督することになる山賀博之さんは、DAICON3の当時、プロになるためのプレゼンテーションという前提でオープニングアニメを
制作していたという意識だったそうですが、それは庵野さんも同様でしたか。

庵野:それは山賀だけじゃないですかね。僕はあまりプロになろうとは考えていなかったし、プロという言葉にもあまりいいイメージがなかったし。趣味の延長でやっていて、それでご飯が食べられるのなら、
それでいいやというぐらいの感覚でした。

Q:絵を描くという技巧を持つ人の感性は、描けない人間にとって計り知れないところがあります。たとえば漫画家でも「この画を描くのを楽しみにしていた」「この画なら描いてみたい」という発言をするでしょう。
そうした楽しさが仕事の原動力なのでしょうか。

庵野:仕事になってしまうとそんなに楽しいという感覚はないですね。楽しさというより、面白さですね。
0972ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 08:59:52.58
Q:現代の日本の文化として「世界に誇る代表的なコンテンツ産業」などと語られることが多いですが。

庵野:それは世界において、日本がアニメを独占しているだけだと思います。週間ペースでアニメをこんなに量産できる方法論と余裕を持っている国は日本だけですから。
アメリカですら、もう難しくなってると思います。ほかにライバルがいなければ、世界に誇れるのは必定ではないかと。世間や官が、アニメをどれほど理解して真に評価しているかは、甚だ疑問が残りますね。
不況だとはいわれますけど、日本は物理的に時間的に経済的に豊かだから、アニメーションを今でもこんなに量産できるんだと思います。しかし、精神的には豊かだとはあまり思えない。
それよりも、民度が低いとか、見方が幼稚であるとか、トータルで子供っぽいですよね、この国は。それは当然、僕も含めてですけど。
東京の街の景観をチラッと見ても、この国の文化的なレベルはこれか、とわかりますね。最近の建築物には美意識なんてものはなく、ただ経済や物流の効率のみの、単一目的で街を造ってます。
この頃ようやく、景観や情緒を大事にしようという動きが世間に出てくるようになりましたけど、それはいいことだと思います。
もちろんこの国でつくられるすべての作品が、稚拙だというわけではありません。どれだけの確率かはわからないですけど、良いものもあると思います。僕が言っているのは一般論です。
99%、まあ言ってしまえばクズみたいなものがあって、その上で1%の良いものがあるというバランスで、文化は成り立っていると思いますから。それはアニメに限らず、すべてに言えると思います。
0973ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 09:00:16.79
けど残念ながら、その良いものを、自分の感性で感じて判断できる人があまりに少ないと思います。ちゃんと良いものを感じられる人に限って、あまり声に出さないんですね。
だから偏った言葉だけが、閉じた世界にはびこってしまう。僕もなにかその事態を糾弾しようとか考えているわけではないです。ただ「それを現実として認識しようよ」とは、思うんですよ。
この国の文化はあまりに貧しい。しかし誰もそれを言わずにごまかしているから、自分は口に出したほうがいいだろうと。言葉の演出上、挑発的にとられるだけかもしれませんが、
「これは常に誰かが言い続けてないといかんかなあ」と感じます。この国の文化の現状は実際にはこういうものなんだということを認識した上で、ものごとは進めたほうがいいと思いますから。
僕自身が少なくとも感覚的に理解できるのは戦後でしかないので、それ以前のことは知識でしかない。だから僕が言うのは戦後、もしくはこの数十年の状況についてなんですけど。
この国が育てているのはオタクであって、芸術家ではないという感じがしますね。この国に今あるのは芸術ではなく、オタク文化だと思います。オタクはものすごい勢いで量産されていると感じます。
しかしいわゆる芸術の人はそんなに今いないんじゃないですかね。なんか現代美術もオタク化していますし。マンガやアニメっぽい方向に流れつつある感じがします。
メインカルチャーというか主たるものがきちんと存在した上で、アニメみたいなものが共存共栄という形でサブとしてある、というのが本来の姿のような気がするんですよ。
今はメインのほうがパッタリとなくなって、みんなサプになってしまった。そのサブの中でもちょっと目立って大きめなアニメがものすごく肥大化して見えているのが、現状なんじゃないかと思います。
なにかアニメも、一昔前の経済的なバブルに似た状況にあると、今感じますね。アニメバブルですかね。

Q:庵野さん自身がメインになる、とは考えないわけでしょうか。

庵野:ええ。メインになるのは自分じゃないとは思いますよ。僕はその脇で好きなことをやりたいと思いますね。僕がやっているのはあくまでも観客に対するサービスの延長でしかないんです。
この仕事はサービス業ですから。
0974ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 09:01:14.85
Q:そもそもメインのものとは、どういうものなのでしょう。

庵野:メイン。なんだろう。どっしりとしてきちんと構えているようなものですよね。むしろそれがあるからみんなが安心して違うことができるような。
1960年代以降はカウンターカルチャーしかなかったと思うんですよ。なにかがあって、それに反発して、結局その反発したものに対するまた反発。この繰り返しでしかなかった。
今はその反発すべきものすらなくなっているので、創作行為はリサイクルとコピーコラージュみたいなものでしかなくなってしまった。今つくられているものはコピーペーストによるものだけですよね。
これはもうしようがないと思っていますけど。人ひとりが持っているポテンシャルがここまで低くなって、こんなに情報だけ増えた今では、コピーペーストぐらいしか出てこないんでしょうね。
いつかはこうした状況も、今の日本の社会的な状況も含めて、変わっていくとは思うんですけどね。
0975ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 09:02:19.24
Q:しかし不思議なもので、日本のものと寸分たがわぬオタク精神が、今、世界に広がっていますね。

庵野:オタクはもう万国共通だと感じます。ヨーロッパでも韓国でも台湾でも香港でもアメリカでも、オタクは本当に変わらないですね。これはすごいと思います。
オタクに対して非難めいたことを言っているようですけど、否定してるわけじゃないんですよ。単に「一歩ひいて見たらこうなんだ」ってことを自覚しようと言っているだけです。
自覚して現状を認識した上で、確信犯的にやっている分にはまったくいいと思うんですよ。ただ社会と断絶してまでのめり込むのは、いかがなものかと感じるだけで。
僕も社会に参加することの素晴らしさなんてわかりませんからね。だから「オタク的なものをやめてもっと社会的になろうよ」とまで呼びかける気はないんですよ。
ただ、世界にはほかに面白いものはたくさんあるし、拒絶することはないと思うだけです。
けど、オタク以外の人からオタクを非難されると腹が立ちますね。「うるさいバカ」と思います。なにもわかってないくせにと(笑)。実際わかってないような人が、本当にいっぱいいますからね。
そういう人たちにアレコレ言われるまでもなく、そんなことはわかってるんですよ。なにを言われても「今更」って感じがします。でもそういった批判はまだマシなほうで、完全に的外れな発言のほうが多いですけど。
理解しようともしていない人が偉そうにオタクについて語ってたりしていると、本当に頭が悪い人だなと思います。
0976ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 10:15:33.02
まんが映画は興味ないから正直どうでもいいわ
0978ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 12:10:21.87
意味も分からないし、どっちに対しての嫌がらせかも分からない
0979ナイコンさん
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2022/04/28(木) 13:19:29.99
どうみてもX68ユーザが、「X68のことを良く言わない=嘘をつかない」ことに腹を立てての長文コピペで嫌がらせしてるだけでしょ。
0980ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 13:29:47.73
自分のPCエンジン25000円はノーメンテナンスではいまだに故障せず元気だけど
X68はメンテしてないと腐ってるでしょ?50万円もするのに
0981ナイコンさん
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2022/04/28(木) 14:13:02.12
>>979
お前しかわからねーよアスペ
全文読んで解釈しようなんて一人もおらんから
0982ナイコンさん
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2022/04/28(木) 15:38:49.62
X68は高解像度モードの画面のピクセル数、低解像度モードの同時発色数以外はPC-98にぼろ負けしていると指摘され、反論()が封じられててからのスレ違いな書込みを連続する荒らしが無視されてからの長文コピペ荒らしだからな。
どう見てもX68ユーザがファビョってるのがまるわかりだよw
0983ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 17:29:12.31
初代機作って満足したのか力尽きちゃって、ACE以降は蛇足でしかない
改良すべき所は沢山あったのにな
0984ナイコンさん
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2022/04/28(木) 18:03:39.78
初代機は めちゃめちゃ輝いていた、
心踊る物があった。
0985ナイコンさん
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2022/04/28(木) 18:14:30.30
>>983
下手に改良するとturboZみたいなスペック詐欺が生まれるからな
0986ナイコンさん
垢版 |
2022/04/28(木) 19:55:59.20
最低限のCPUの高速化だけやってたPC-98は叩かれるのに、それすらサボったX68を叩けないわけがない。
0987ナイコンさん
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2022/04/29(金) 05:49:48.60
初代は8MHzで良かった
次のACEで16進数のA(=10)と掛けて10MHzで出せば良かった
0988ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 07:45:37.66
しょーもな
0989ナイコンさん
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2022/04/29(金) 08:04:08.04
モニタに3つも周波数が必要ってクソ仕様をさっさと改めるべきだったな
0990ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:23:26.67
きょうもはってみる

Q:庵野さんは学生時代に漫画を描いたこともあるそうですが、ひとりで作品をつくるのは結構つらいものでしょうか。

庵野:ひとりでつくるのが別につらいってことはないですけど......、面白くないんですよ。ひとりでつくったほうがストレスは絶対に少ないと思います。
けど、ただひとりでつくってそれで面白いモノがあがるかっていうと、僕は無理ですね。
僕ひとりの持つイメージってたいしたことないんですよ。僕がひとりでアニメをつくっても面白いモノになるとは思えないんです。
だから集団のほうがいい。ひとりよりはふたり、ふたりより3人のほうがいい。それだけ面白いモノになる確率が増えるんです。

Q:1983年に制作された『DAICONFILM版帰ってきたウルトラマン』では、制作終盤で監督の庵野さんが現場を離れ、そのあと赤井孝美さんが作品を仕上げたそうですね。
その際、赤井さんが完成させた作品を観て庵野さんは赤井さんに大感謝したと聞きますが、率直に言ってとても「いいな」と感じます。
作品がどうなろうと「自分がやったのでなければもう観たくもない」と感じるのも創作の世界では自然なことだと思いますし、そうしたこだわりもそれはそれでアリな気がしますが。

庵野:自分の至らなさから制作途中で監督を降ろされてしまって、その後の作業はすべて赤井君がやってくれました。完成まで持っていってもらえたのは、すべて彼のおかげです。
完成したフィルムを東京の上映会で初めて観たときは大泣きしてしまいました。ホント、感謝しています。あと、結果論ですけどあの作品では、編集と音は僕がやらないほうがよかったと感じます。
自分がやっていたらあれだけの作品にはなっていなかった。それもよかったと思います
0991ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:23:45.48
思いどおりにならないから実写は面白い

Q:アニメや漫画では一応、画面に現れるものすべてにイメージを持たなければなりませんが。

庵野:アニメや漫画はイメージの具現化が基本になってますので。頭の中にあるものをいかに形にするかですよね。そのための方法だし技術だと思います。
自分の思いどおりにつくるんだったらアニメをやったほうが絶対にいいですね。今の映像制作のシステムの中ではアニメがいちばんそれに適していると思います。ただ僕はそのシステムでずっと長くやってきたので、
今は思いどおりにならないもののほうがいいと感じるんですよ。「思惑とぜんぜん違う」という部分を「どうしよう」と考える過程を含めて、面白いですね。
0992ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:24:03.67
Q:しかし庵野さんの実写作品を拝見すると、「この人は現実に息づいている人間を映像として定着させる気はないんだ!」と感じるのですが......。
この印象が正しければ、相当役者さんの演技を制御しようとしているのではないかと考えていました。

庵野:役者さんの制御は、ほとんどしていないですよ。演技指導って嫌いなんですよね。しなきゃいけないときには仕方なくやりますけど。基本的にはその人のやりたいようにやってもらっています。
『ラブ&ポップ』では、特にそうでした。言葉は悪いですけど、放し飼いでしたね。女子高生をカメラの前に置いて、そこで自由にやってもらって、欲しいところだけ切り取って編集しました。
基本的には台本は無視していいと。「この言葉とこの言葉が入っていれば、後は自分の言い回しに変えていいよ」という方針でやってもらったんです。そのほうがよりリアルかなと。
それだと妙につくり込まなくて済みますからね。あの作品にいた4人の女の子は現役の女子高生ですから、その子たちがやっていることはすでに本物なんですよ。それで充分ですよね。
僕らみたいなおじさんが、余計な介入をしないほうがいいんじゃないかと。『ラブ&ポップ』では120時間以上、カメラを回しています。その中から必要なものを2時間弱、110分だけ選んで作品に入れているわけです。
その過程でどうしても監督の意図みたいなものは入ってきます。それに僕はどうもないものねだりというか、アニメをやっているときは生っぽいものに憧れて、実写をやっていると、
やっぱり生っぽいものを切り捨てようとしてしまいますよね。僕の生理的なものだと思うのですが、必要以上に生っぽいものはいらないと考えてしまうんです。
自分でも妙なんですけど。そういうところを特に感じれば「現実の人間を定着させる気はない」という感想も出てくるのだろうと思います。
『式日』では芝居そのものは、もう役者さんたちにおまかせしているんですけど、カメラだけはものすごくコントロールしています。
決められた場所にカメラを持っていってカメラ位置や画面の切り方とか実景とかにはこだわる。つまり絵にこだわる。そこはフェチっぽい感じがすると思いますが。
0993ナイコンさん
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2022/04/29(金) 10:24:25.23
実感を持ってものを考えられる範囲

Q:アニメから実写への移行は庵野さんの中では特に意識することではなく、ごく自然に行っていることなのですね。

庵野:アニメにしても実写にしても、僕から見れば現場が違うだけで、つくり方自体はそんなに違う感じはないんですよ。基本的にどちらも同じで、映画をつくっていて自分が気をつけることといえば、
客がどうやったら寝ないで済むかということだけです。それだけですね。お客さんが30分なら30分、2時間なら2時間の間に椅子が痛いなあと、どうやったら思わないだろうかとか、どうやったら寝ないだろうかとか。
フィルムをつくりながら考えてるのはそこです。
緩急とかそういうものですね。人間がひとつのことをやり続けることができるのは3分が限度らしいんです。だから5分間授業をして、その後5分休むという学校の授業サイクルが人間にはいちばん良くできているわけですよ。
人間の集中力はそうは続かない。だから始まって5分でこれぐらいの情報を提示して5分くらいでこんなもので、そろそろ飽きたかな、眠いかなというところで目の覚めるようなものを入れる。
それは編集の段階でも考えますけど。そうした作品の大きな流れにいちばん気を使うようにしています。
0994ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:24:45.96
Q:そうした発想は言語化して、誰かに伝えることができて、しかもそれをきちんとマスターした人は誰でも80点くらいまでは行けるというものなのでしょうか。

庵野:理屈ではやってないんですよ。理屈っぽくつくっているように見られがちですけど。根拠になるものはほとんど雰囲気とか気分とかそうしたあいまいなものですね。
自分の中で持っているそういった感じは大切にしようとしています。セリフにしてもカットのつながりにしても、「なんかこれ違うな」という違和感を外していくんですよ。
自分で見ていて、「ここでこういうものが来てほしい」という感覚的なものですね。
発想のとっかかりは、こういう画をやりたいとか、こういうシチュエーションを描いてみたいとか、そうしたヴィジュアルイメージであることが多いです。スタートはそんな他愛もないものですよ。
ただいちばん最初にやりたかったものって結果として、早々にどこかへ行ってしまうんです。「これいちばんやりたかったのに」というところも(笑)、シナリオとかの段階でどうしても入んなかったりして、
なぜか消えてなくなってますね。
結局、自分の好きなものってそんなに幅がないんで。結果として写っているものはたいてい似通ってきちゃいますよね。映画1本の中で、8割9割はやっぱり自分の好きなものを入れていると思います。
自分の好みじゃないものが写っても外しちゃうんですよね。ただ残りの1割2割、今回これが新たに好きになりましたとか、スタッフが好きなものを入れるようにしています。

Q:1割2割入れていこうとするのは結構大変な量ですね。

庵野:それくらいはあるかなと思うんです。ただそれは僕の感覚的なもので、お客さんから見れば一緒かもしれないですが。ここは今までと同じですけど、ここだけ違いますというものがどこかにないと、
つくっていて自分が面白くないんですよ。永遠に同じものをつくることができれば、それはそれでいいんですけど、どうもまだできないですね。そのうちにできるようになるかもしれないですけど、
今はそうはいかないですね。自分が飽きっぽいのもあるんでしょうね。あまり同じテイストでつくりたくはないです。
0995ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:25:06.84
Q:漫画でも描いてみたい1枚の絵や、キャラクターのイメージから作品全体を逆算して発想するというやり方はよくあるそうですが、その一方で、
「そもそも今なにを映像は訴えるべきか」というあたりから発想していく方法もあるかと思います。こうしたやり方を採ってみようと考えたりはするのでしょうか。

庵野:自分には無理ですよね。人間、できることとできないことがありますので、そういう方法論を採ることは可能なんですけど、自分にはそのやり方では面白いものをつくれないと思います。
そういうやり方でつくって出来上がったものがつまらなければ、あまり意味をなさない気がするんですよ。それは本末転倒であろうと。
僕の場合、社会の状況まで視野に入れてものを考えることはないです。社会の状況というよりも、自分が暮らしている環境ですね。日本の国政がどうとか、アメリカとイラクが戦争するとかっていう話は、
僕にとってはテレビや新聞とかインターネットを通してやってくるただの情報でしかない。それは僕がいる環境のかなり外側にあるものではあるんですけど、そこには僕の実感はまるで手が届かない。
そりゃあ140億光年の宇宙の果てよりは身近に感じますけど、感覚的にはそう変わらないですね。自分の環境とは、自分の手の届くところ、自分の見えるところ、自分が実感を持って理解できるところまでだと思いますが、
その環境の中で「こっちのほうがいい」とか、「こっちのほうが面白そうだ」とか判断しています。アンテナを広範囲に拡げれば、日本語文化圏全体までは実感を持って考えることができるでしょうが。
常に世界から間接的な影響は受けてはいますけど、自分の環境の外のことはもう、わからないです。
0996ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:25:22.75
Q:ゲームもプレイなさるのですか。

庵野:今はもうゲームはぜんぜんやってないですけど、以前「今はとにかく『ドラクエ』をやらなきゃだめだ」と友人らが言うので借りてやったんですよ。そうしたらさっぱりわからなくて、とにかく攻略本を見ながらプレイしました(笑)。
ゲーム中に無駄なことをするのが嫌いなんです。そこでストレスがたまるのが嫌でしたね。攻略本に載ってる「ラスボスを倒すには経験値がいくつ必要」というのをクリアして、しかもその2倍ぐらいまでいってないと、
ラスボスの前に行かなかったです。確実に殺せるというところまでいって、倒してました。で、何本かやると、なるほどこういうものがロールプレイングなんだってある程度わかったから、もうやらなくなりました。
0997ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:27:46.09
Q:ゲームはやったかいありましたか?

庵野:ゲームをやる人の気持ちが少しわかりました。あと、自分はこういうものはやらないんだっていうことがわかりました(笑)。「ちょっとゲームを好きになってみよう」という気持ちはあったんですけど、
自分の中であまり好きになれなかったです。ひとりで遊ぶゲームのシステムを楽しめなかったんですね。そんな自分でも、ハマったゲームは「スーパーロボット大戦」シリーズですね。
でもあれはゲームが好きというよりも、ゲーム制作者の気持ちに対する共感とか、登場するロボットそのもの、オリジナルの作品への思い入れとか、そういう部分で好きでしたから。
あとは麻雀ゲームくらいですね。ちょっとした時間つぶしにやってました。それももうぜんぜんやってないですけど。

Q:「スーパーロボット大戦」に「エヴァンゲリオン」を出すんだとおっしゃっていたそうですね。実現しましたが。

庵野:切望していたので、あれはうれしかったです。最近は仲間にいれてもらえなくて、寂しいです(悲)。
0998ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:28:23.88
Q:永井豪さんが『デビルマン』を執筆していらっしゃったとき、5分描いては横になって休み、5分描いては休みというのを繰り返すぐらいのテンションだったそうですが、『エヴァンゲリオン』でも、
やはりとんでもないテンションだったのではないでしょうか。

庵野:『エヴァ』のテレビシリーズでは、スケジュール的にも精神的にもどんどん余裕がなくなっていきました。そのうちにトリップしているというか、集団でイッちゃってるような感じになりましたね。
ああいう体験には、なかなかお目にかかれないです。ああいうギリギリで切羽詰まっている状態は、むしろ楽しかったですね。ものすごくハイになっていました。
ずっと脳内麻薬が延々と出っ放しになってたんじゃないでしょうかね、何ヵ月も。実際、そんな感じでした。
自分でも変なことしてるなと思いますね(笑)。スタッフも含めてそうでしたけど、「あのときはおかしなことやってるなぁ」と。たとえばアニメのキャラクターで、アイデンティティを確実に表現できる部分は、
キャラクターの持っている髪の形と色、それと声でしかないんですよ。第弐拾弐話でアスカの内面を映像化しているんですけど、現場にいた声優さん全員に、アスカの声を演じてもらった。
そして、その違う声のアスカを本来の宮村優子の声が否定しているという場面があるんです。やはりそういうのは、自分でもおかしいと思いますね。傍から見ると楽屋落ちにしか見えないと思います。
けど、当時はそういったマイナーなことまでやってました。自分のアニメの表現に対する疑問がかなり高まっていたんだと思います。セルアニメで人間の持つ生っぽさを表現できるのは結局、声というか音だけかと。

Q:庵野さん自身は、自分も体験してきたアニメ史に残る作品、「ヤマト」や「ガンダム」に「エヴァンゲリオン」は匹敵すると考えているのでしょうか?

庵野:いや、ぜんぜん。
0999ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:29:42.74
Q:評論家的な物言いはいかんとは思うのですが、なんだか日本の創作にはなにか良くない流れがある。しかしその一方でなにか新しいものが生まれるんじゃないかという感覚も感じます。

庵野:それは閉塞感というか、息の詰まった感じが延々と続いてきていますから、そろそろなにか出てきてほしいという願望が感じさせるものでしょう(笑)。
ただこれは変な感覚ですけど、世界というものは人のイメージがつくるものだとなんとなく思います。だから「変われ」という願いが満ちてくれば、変わるんじゃないかとは感じます。
でもそれも日本という狭い地域での感覚でしかないでしょうけど。この頃では、ディテール偏重とか、テクニック重視とかが蔓延して表層的な見方しか、制作者も観客もできなくなっていると思います。
互いに本質を必要としなくなってきてるんですね。自分の考えた世界、内向した世界観での安定した遊びでしか、快楽を感じられなくなってきていると思います。
その同じような快楽の中で一生を過ごしたいんですね。変化を求めないんですよ。
1000ナイコンさん
垢版 |
2022/04/29(金) 10:30:00.88
Q:その世界を変える作品を俺がつくる、と思うのはそれこそ野心ではないでしょうか。

庵野:自分がやれればそれはそれでいいんですけど、そこまでは考えないですね。もし仮にそうなったとしてもそれは結果、そうなったということでしかない。「あっ、俺だったのか」というそういう感じですよ。
どんなアニメにしても映画にしても売れないよりは売れたほうがいいし、お客さんが入らないよりは入ったほうがいい。それと同じように、変わらないよりは変わったほうがいいですけどね。
もう自分がやらなきゃいかんとなれば別ですけど、自分が真っ先にといったこだわりはあんまりないです。とは言いながらも、この現状は打破したいですね。それは常に、わずかでも。

|2003年3月、ガイナックスにて取材。
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。