日立ベーシックマスターシリーズ レベル11
今は亡き日立ベーシックマスターシリーズ の11スレ目です
前スレ
日立ベーシックマスターシリーズ レベル3 Mark6
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/i4004/1345048044/ >97
それで拡張カードが品揃え豊富で安けりゃよかったんだけどな・・・ カードでできることとできないことがあるからなぁ
グラフィック関係とか 横8ドットで同じ色だとエロゲが作りにくいよね。というか無理。 >>99
カラーRAMが16Kあったなら
メインの16Kと合わせてグラフィックプレーン2枚分あったということ?
うまく使えばPC-8001mkIIみたいな4色モードとか出来たかも知れないのになあ。
>>103
当時発売されてたアドベンチャーゲームは情けない黒背景にモノクロ描画だった。
Macintoshみたく白背景に黒線描画するという発想はまだ無かった。 >>104
カラーRAMは、16K x 5bit。
グラフィックプレーン(16K x 8bit)は
640 x 200 1枚
320 x 200 2枚。
→320 x 200のモードなら、メモリ容量的には8色いけるかもな。 そんな融通きく設計じゃなかったのだろうけど
たしかにそんな発想があってもよかったのかもね
S1の開発時にはそのへんよく検討したのだろうなと S1は最初からRAMを64KBにしといてFM-7のソフトを移植しまくってたら
もうちょっといけたんじゃないかな レベル3は外見は立派だけど中身をケチって値段は高い、ちぐはぐなマシンでした。 FM-7は垂直帰線中しかアクセスできない手抜きVRAMだからCPUが使える時間は3割
こんなもんに負けるとは情けない
IGなんかオプションにしてメモリをあと16K足しとけばよかった >>109
マジで?
FM-7って、垂直帰線中と水平帰線中の両方出来たんじゃないんだ……
FM-77はサイクルスチールだから、速くなっているのは知っていたが
Level III Mark5は、IGとグラフィックのバランスが悪過ぎるのは同感。 取って付けたキャラジェネだしな。
IG表示中に自在に書き換えできれば面白いことが出来たのに。 FM-7は68B09のデュアルCPUだったから
サブCPUのウェイトが多いのはそういう設計だったということだろう
レベル3は最後まで6809の1MHzだったしまぁどうしようもないマシンだったな IG載せるんならLEVEL2とかJr.の系列に載せて欲しかったな
あっちの方がゲーム向きな感じ >>113
そうだね。Jr.にIGがあったらゲームのグラフィックが大幅に向上しただろうね。
まあ、ゲームするために一番欲しかったのは「カーソルキー」だけど。 Jrはそれっぽいことできなかったっけ?
グラフィックヘルメットとか >>115
BMUGの作った汎用サブルーチンのことかな? キーボードが「復改/抹消」「英数/英記号」「カナ/カナ記号」の
旧JISから変わらなかったからなあ。
6800のクロックも旧態然とした0.75MHz
「走れ、ターボ感覚」でお茶を濁しても、所詮Jr.はJr.でしかなかった。 でも、Jr.でゲームをするのはすごく楽しかったな。
グラフィックが凝って無くてもよくできたゲームが多かった感じ。
投稿してた人のレベルが高かったというのもあると思うけど。 特に「森巧尚」氏の作品はどれもこれも発想が素晴らしかった。 見た目ボロッボロだけどちゃんと動いてるようだなー。 S1は結構いいねが付いているけど、
MB-6892は入札がまだ無いね。
I/Fは空っぽのようだし、突撃は見送ろうかなぁ。 ヤフオクにJr.が出品されてるけど、電源コードが千切れてる・・・惜しい それでも10500円までいったか
電源コードちょん切られてて動作するかもわからない本体だけでも
それなりに需要あるんだな 28歳で6890+1MB8インチFDD+ドットインパクトで給与計算システム組んだのがPC世界への始まりでした
研修は横浜工場で受けました "Oh! PASOPIA"はあったけど
"Oh! ベーシックマスター"はなかった。 >>138
マリオブラザーズの面表示がそれでなかったか? "eBASICMasterJr" - HITACHI BASIC Master Jr emulator for Win32
http://homepage3.nifty.com/takeda-toshiya/top.html >>141
すごいな。
我が家の活研は後生大事にとっておこう。 日立ベーシックマスターレベル3/Mark5用ソフト色々
https://web.archive.org/web/20151125161607/http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n161999037 スキッパーとかどこかに落ちてないですかね?
ああいう雑誌に載ってたプログラムの再配布って法的にどうなんだろう 現在のソフトの違法配布と同様
たった30年ちょい前のソフトなんて
法的には最新のソフトと変わらずだよ 著作者の死後50年までが原則
共同著作物の保護期間は
その著作物の著作者の中で最後に死亡した人の死亡時を基準に計算 じゃぁこれ見て打ち込むのはok?
ttps://archive.org/stream/Io19836/IO_198306#page/n231/mode/2up 動いた
ttp://i.imgur.com/3R7P2Im.png 152を見て打ち込んだの?
法的にはNGだが本当に152を見て打ち込んだのなら凄いな そう、152のPDFダウンロードしてOCRでテキストにしてバイナリに変換して
state saveしたメモリイメージに直接貼り付けた。
チェックサムでの確認・修正がめんどかったは・・ >>152
ゴフッ・・・懐かしすぎる・・・
マーク5が新登場らしいぜ?くらしが豊かになる・・・ ちなみに本人も公開しちゃってるが、書籍だからNGなのかね
ttps://sites.google.com/site/shimodairahidetoshi1980/skipper 久しぶりだな、このスレ見るの。
数年前は、S1のメモリが48KBしかなかったからという理由で
FM-NEW7を買ってた者がいたようだけど、今頃どうしてるんだろ? >>159
なぜS1のメモリはあんなに半端だったんだろう?
出るソフトがみんな「増設メモリが必要です」と書かれるパソコンって・・・ >>160
パーソナルユースよりビジネスユースを考えていた?
ワープロや表計算ソフトが動けばいいってスペックにしたとか 昔からベーシックマスターはメモリーが鬼門だったような
レベル3ももっと VRAM積むつもりだったという話を聞いた
横浜と DRAM作っていたところとよっぽど仲が悪かったんだろう
S1はよくできていたけど すべてにおいて一歩足りない感が グラフィックVRAMの一部をメインメモリとして使えるのはいいけど
ホビーユースで不可欠なグラフィックをあまりにもないがしろにしてる。
標準でメイン64KB、VRAM48KB以上は持ってないと
「アドレス空間1MB」が泣くってもんさ。 日立としては、プリンターみたいに
メモリで稼ぐ気だったんだろうけど、
実際には、多くの者が増設を諦めて
FM-NEW7を買ったらしいね。 富士通はメモリてんこ盛りで低価格が売りだったなぁ
全社体制で取り組んでいたから
そりゃ横浜のテレビ屋さんだけで
同じ会社のはずだけど 周りから睨まれてなんとか作っていたのとはわけが違う
日立ってそういう会社 でもペーシックマスターに携わっていた日立の人たちはいい人達ばかりでしたよ 半導体屋さんがメモリを含む半導体を売るために作ってるパソコンと
メモリ工場とテレビ工場が独立採算の会社の違いってことだね。
富士通も、汎用機屋さんあたりが企画していたら、あまり売れなかった
んじゃないのかな。 ユーザーから見れば同じ日立製作所の看板を背負ってても
中身は一枚岩でないということか。
社内でもセクト意識とかあったんだろうなあ。
でなきゃもっとチップを融通できたはず。 日立社内でも半導体部門ってのが別にあって
モトローラ系は EWS用途、インテル系をパソコンに使え、って方針だった
これは日立の人に質問して実際に聞いた話
本当は日立が 68000使ったパソコン出すべきだったんだろうけど
とてもそんなことが許される雰囲気じゃ無かったそうです
X68000は、また聞きだけと栃木のテレビ部門の責任者が日立の半導体部門と
パイプ持っていて、それで安く卸してもらって発売できたそうです
米国や欧州でのパソコン開発話と比べると 日本のパソコン開発話はドロドロとした
陰鬱な話が多いです 国民性のなせる技ですかね 一時期はお茶の水の日立本社ビルは飛び降り自殺の名所と言われていました
週の初めに各工場長部門長クラスが集められて業績発表会議が開かれていたそうで
ノルマの重務に絶えきれなくなった人が屋上からダイブしていました
もちろん、こんなことは大スポンサーである日立様のお家の事情でしたから
メディアで取り上げられることはまったくありませんでした 興の字を崩したデザインは日立グループで使用するにもロイヤリティを払わないと駄目なので使用されていない。
名刺や封筒に使うと日立本体にデザイン使用料の売上があがる >>169
SEGAのセガサターン開発に日立か全面協力してて、CPUも日立のRISC CPUのSH2が2つ使われ、メガドライブ互換性とマスターシステム互換性の為に68000とZ-80も積んでいた豪華仕様だったんだけど
もしかするとメガドライブのメインCPU68000も日立の協力があったのかも
因みにメガドライブも68000とZ-80を積んでおり、マスターシステム下位互換でもあった
(日立からもMPEG-2ハードデコードカード内蔵セガサターンを販売してた) 上位互換と下位互換と前方互換と後方互換
上・下・前・後の印象から取り違えられることの多い言葉。 >>172
そのヤル気をもっと早く出して欲しかったです・・・・・・マジで >>172
メガドライブの 68000 はシグネティクスのセカンドソースだよ Wikipedia見てきた
面白い事情があったんだねぇ
東芝の 68000はさすがに実物見たことないや >>176
それは初期のメガドラ
中期のメガドラはMC・HD・TMPが入り乱れている。
後期は本家MCばかりになった。 >>172
セガサターンのメガドライブの互換がある?? 昔のマイコン誌のレベル2の広告見たら
キャラクターディスプレイ 49.800円
ドットインパクトプリンター 14.8000円
デジタルカセットレコーダー 148,000円←コレ、いくら何でも高過ぎない? >>180
それは一般的なデータレコーダー(アナログオーディオ)じゃなくて
ティアックが1977年に出した、デジタルカセット磁気テープ記憶装置MT-2に
ttp://tms.teac.co.jp/corporate/product_history/TEAC%2050th%20anniversary.html
レベル2用のインターフェースを付けたものだと思う
FDDが普及する前の外部記憶装置だから値段は仕方ないかも
FDDも最初はかなり高かった 当時はそれでも格安だったのよ
MT-2はインタフェースが素直だったから、どんなシステムにもかんたんに繋がった
おまけにマニュアルがとっても懇切丁寧で、なにをすべきかがすべて網羅されていた
しかも、もの凄くていねいな手書きでした
もしフロッピーなら30〜50万コースだった時代 ベーシックマスターはカセットI/FがH68/TR以来の300ボー。
ROM交換した「ターボ感覚」のJr.でやっと1200ボー。
このデジタルカセットはどれくらいの速度でアクセスできたんだろうか? Webで見たら1秒間に 500バイトくらいだそうで
頭出しもできるし、信頼性も危機感の互換性も保証されているのでそんなに使い勝手は
悪くなかった記憶が 待たされるけどね ざっくり512byte/sだとすると
32KBまるまるセーブすると1分2秒。
当時としてはかなり速い外部記憶装置だったんではないか? そのあたりに関心があるなら日立が出していたCMTCの話なんかも
興味深く読めるんじゃなかろうか。
日立評論 1977年5月号より
8ビットマイクロコンピュータHMCS6800の周辺LSIとメモリ
http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1977/05/1977_05_11.pdf メモリのスペックから時代を感じるなぁ・・・・・・
今ではミニコンとかオフコンなんて死語になっちゃった >>188
いかにも学術論文的な硬い文章ですね。
IBM3740準拠とか、ビッグ・ブルーの影響力が強かった時代のものですね。
いい石いっぱい作ってるのに、それに絡むソフトウェアがあんな風では
ウォズニアックの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたくなるものです。 日本でも、優れたエンジニアの方々をたくさん輩出したよ、名は残っていないけど
そんな方々が今日の広域的な意味でのパソコン文明を構築した
日本が存在しなかったら、ここまで来ることはできなかったよ
アメリカは宣伝が上手いし、目立ったヤツが勝ち、みたいなところあるから
それに、海外のメディアはちゃんとコンピューターについても勉強しているところが
あるけど、日本のメディアは文系という言葉を楯にしてコンピューターは言うに及ばす
テクノロジー全体に無知だからしゃあない なに言っているのかよく分からないけれどHD46502CMTCは
まるで流行ることなく終わった一方でHD46505CRTCは本家が
セカンドソースを出すほどの大成功を収めたってことです
なぜかMC6845がオリジナルっぽく語られがちですが
明もあり暗もある >>193
2050のどれかでACRTC使ってなかったっけ? サッポロシティスタンダードなんてあったな、I/Oだっけ?マイコンだっけ?。 >>195
2020には使われていなかったみたいだけど
GAINの人に聞いたら、2050に載っていますよ、との話を覚えている サッポロシティスタンダードが一般流通する雑誌に最初に載ったのはトラ技っぽい(78年12月号)