日立ベーシックマスターシリーズ レベル11
>97
それで拡張カードが品揃え豊富で安けりゃよかったんだけどな・・・ カードでできることとできないことがあるからなぁ
グラフィック関係とか 横8ドットで同じ色だとエロゲが作りにくいよね。というか無理。 >>99
カラーRAMが16Kあったなら
メインの16Kと合わせてグラフィックプレーン2枚分あったということ?
うまく使えばPC-8001mkIIみたいな4色モードとか出来たかも知れないのになあ。
>>103
当時発売されてたアドベンチャーゲームは情けない黒背景にモノクロ描画だった。
Macintoshみたく白背景に黒線描画するという発想はまだ無かった。 >>104
カラーRAMは、16K x 5bit。
グラフィックプレーン(16K x 8bit)は
640 x 200 1枚
320 x 200 2枚。
→320 x 200のモードなら、メモリ容量的には8色いけるかもな。 そんな融通きく設計じゃなかったのだろうけど
たしかにそんな発想があってもよかったのかもね
S1の開発時にはそのへんよく検討したのだろうなと S1は最初からRAMを64KBにしといてFM-7のソフトを移植しまくってたら
もうちょっといけたんじゃないかな レベル3は外見は立派だけど中身をケチって値段は高い、ちぐはぐなマシンでした。 FM-7は垂直帰線中しかアクセスできない手抜きVRAMだからCPUが使える時間は3割
こんなもんに負けるとは情けない
IGなんかオプションにしてメモリをあと16K足しとけばよかった >>109
マジで?
FM-7って、垂直帰線中と水平帰線中の両方出来たんじゃないんだ……
FM-77はサイクルスチールだから、速くなっているのは知っていたが
Level III Mark5は、IGとグラフィックのバランスが悪過ぎるのは同感。 取って付けたキャラジェネだしな。
IG表示中に自在に書き換えできれば面白いことが出来たのに。 FM-7は68B09のデュアルCPUだったから
サブCPUのウェイトが多いのはそういう設計だったということだろう
レベル3は最後まで6809の1MHzだったしまぁどうしようもないマシンだったな IG載せるんならLEVEL2とかJr.の系列に載せて欲しかったな
あっちの方がゲーム向きな感じ >>113
そうだね。Jr.にIGがあったらゲームのグラフィックが大幅に向上しただろうね。
まあ、ゲームするために一番欲しかったのは「カーソルキー」だけど。 Jrはそれっぽいことできなかったっけ?
グラフィックヘルメットとか >>115
BMUGの作った汎用サブルーチンのことかな? キーボードが「復改/抹消」「英数/英記号」「カナ/カナ記号」の
旧JISから変わらなかったからなあ。
6800のクロックも旧態然とした0.75MHz
「走れ、ターボ感覚」でお茶を濁しても、所詮Jr.はJr.でしかなかった。 でも、Jr.でゲームをするのはすごく楽しかったな。
グラフィックが凝って無くてもよくできたゲームが多かった感じ。
投稿してた人のレベルが高かったというのもあると思うけど。 特に「森巧尚」氏の作品はどれもこれも発想が素晴らしかった。 見た目ボロッボロだけどちゃんと動いてるようだなー。 S1は結構いいねが付いているけど、
MB-6892は入札がまだ無いね。
I/Fは空っぽのようだし、突撃は見送ろうかなぁ。 ヤフオクにJr.が出品されてるけど、電源コードが千切れてる・・・惜しい それでも10500円までいったか
電源コードちょん切られてて動作するかもわからない本体だけでも
それなりに需要あるんだな 28歳で6890+1MB8インチFDD+ドットインパクトで給与計算システム組んだのがPC世界への始まりでした
研修は横浜工場で受けました "Oh! PASOPIA"はあったけど
"Oh! ベーシックマスター"はなかった。 >>138
マリオブラザーズの面表示がそれでなかったか? "eBASICMasterJr" - HITACHI BASIC Master Jr emulator for Win32
http://homepage3.nifty.com/takeda-toshiya/top.html >>141
すごいな。
我が家の活研は後生大事にとっておこう。 日立ベーシックマスターレベル3/Mark5用ソフト色々
https://web.archive.org/web/20151125161607/http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n161999037 スキッパーとかどこかに落ちてないですかね?
ああいう雑誌に載ってたプログラムの再配布って法的にどうなんだろう 現在のソフトの違法配布と同様
たった30年ちょい前のソフトなんて
法的には最新のソフトと変わらずだよ 著作者の死後50年までが原則
共同著作物の保護期間は
その著作物の著作者の中で最後に死亡した人の死亡時を基準に計算 じゃぁこれ見て打ち込むのはok?
ttps://archive.org/stream/Io19836/IO_198306#page/n231/mode/2up 動いた
ttp://i.imgur.com/3R7P2Im.png 152を見て打ち込んだの?
法的にはNGだが本当に152を見て打ち込んだのなら凄いな そう、152のPDFダウンロードしてOCRでテキストにしてバイナリに変換して
state saveしたメモリイメージに直接貼り付けた。
チェックサムでの確認・修正がめんどかったは・・ >>152
ゴフッ・・・懐かしすぎる・・・
マーク5が新登場らしいぜ?くらしが豊かになる・・・ ちなみに本人も公開しちゃってるが、書籍だからNGなのかね
ttps://sites.google.com/site/shimodairahidetoshi1980/skipper 久しぶりだな、このスレ見るの。
数年前は、S1のメモリが48KBしかなかったからという理由で
FM-NEW7を買ってた者がいたようだけど、今頃どうしてるんだろ? >>159
なぜS1のメモリはあんなに半端だったんだろう?
出るソフトがみんな「増設メモリが必要です」と書かれるパソコンって・・・ >>160
パーソナルユースよりビジネスユースを考えていた?
ワープロや表計算ソフトが動けばいいってスペックにしたとか 昔からベーシックマスターはメモリーが鬼門だったような
レベル3ももっと VRAM積むつもりだったという話を聞いた
横浜と DRAM作っていたところとよっぽど仲が悪かったんだろう
S1はよくできていたけど すべてにおいて一歩足りない感が グラフィックVRAMの一部をメインメモリとして使えるのはいいけど
ホビーユースで不可欠なグラフィックをあまりにもないがしろにしてる。
標準でメイン64KB、VRAM48KB以上は持ってないと
「アドレス空間1MB」が泣くってもんさ。 日立としては、プリンターみたいに
メモリで稼ぐ気だったんだろうけど、
実際には、多くの者が増設を諦めて
FM-NEW7を買ったらしいね。 富士通はメモリてんこ盛りで低価格が売りだったなぁ
全社体制で取り組んでいたから
そりゃ横浜のテレビ屋さんだけで
同じ会社のはずだけど 周りから睨まれてなんとか作っていたのとはわけが違う
日立ってそういう会社 でもペーシックマスターに携わっていた日立の人たちはいい人達ばかりでしたよ 半導体屋さんがメモリを含む半導体を売るために作ってるパソコンと
メモリ工場とテレビ工場が独立採算の会社の違いってことだね。
富士通も、汎用機屋さんあたりが企画していたら、あまり売れなかった
んじゃないのかな。 ユーザーから見れば同じ日立製作所の看板を背負ってても
中身は一枚岩でないということか。
社内でもセクト意識とかあったんだろうなあ。
でなきゃもっとチップを融通できたはず。 日立社内でも半導体部門ってのが別にあって
モトローラ系は EWS用途、インテル系をパソコンに使え、って方針だった
これは日立の人に質問して実際に聞いた話
本当は日立が 68000使ったパソコン出すべきだったんだろうけど
とてもそんなことが許される雰囲気じゃ無かったそうです
X68000は、また聞きだけと栃木のテレビ部門の責任者が日立の半導体部門と
パイプ持っていて、それで安く卸してもらって発売できたそうです
米国や欧州でのパソコン開発話と比べると 日本のパソコン開発話はドロドロとした
陰鬱な話が多いです 国民性のなせる技ですかね 一時期はお茶の水の日立本社ビルは飛び降り自殺の名所と言われていました
週の初めに各工場長部門長クラスが集められて業績発表会議が開かれていたそうで
ノルマの重務に絶えきれなくなった人が屋上からダイブしていました
もちろん、こんなことは大スポンサーである日立様のお家の事情でしたから
メディアで取り上げられることはまったくありませんでした 興の字を崩したデザインは日立グループで使用するにもロイヤリティを払わないと駄目なので使用されていない。
名刺や封筒に使うと日立本体にデザイン使用料の売上があがる >>169
SEGAのセガサターン開発に日立か全面協力してて、CPUも日立のRISC CPUのSH2が2つ使われ、メガドライブ互換性とマスターシステム互換性の為に68000とZ-80も積んでいた豪華仕様だったんだけど
もしかするとメガドライブのメインCPU68000も日立の協力があったのかも
因みにメガドライブも68000とZ-80を積んでおり、マスターシステム下位互換でもあった
(日立からもMPEG-2ハードデコードカード内蔵セガサターンを販売してた) 上位互換と下位互換と前方互換と後方互換
上・下・前・後の印象から取り違えられることの多い言葉。 >>172
そのヤル気をもっと早く出して欲しかったです・・・・・・マジで >>172
メガドライブの 68000 はシグネティクスのセカンドソースだよ Wikipedia見てきた
面白い事情があったんだねぇ
東芝の 68000はさすがに実物見たことないや >>176
それは初期のメガドラ
中期のメガドラはMC・HD・TMPが入り乱れている。
後期は本家MCばかりになった。 >>172
セガサターンのメガドライブの互換がある?? 昔のマイコン誌のレベル2の広告見たら
キャラクターディスプレイ 49.800円
ドットインパクトプリンター 14.8000円
デジタルカセットレコーダー 148,000円←コレ、いくら何でも高過ぎない? >>180
それは一般的なデータレコーダー(アナログオーディオ)じゃなくて
ティアックが1977年に出した、デジタルカセット磁気テープ記憶装置MT-2に
ttp://tms.teac.co.jp/corporate/product_history/TEAC%2050th%20anniversary.html
レベル2用のインターフェースを付けたものだと思う
FDDが普及する前の外部記憶装置だから値段は仕方ないかも
FDDも最初はかなり高かった 当時はそれでも格安だったのよ
MT-2はインタフェースが素直だったから、どんなシステムにもかんたんに繋がった
おまけにマニュアルがとっても懇切丁寧で、なにをすべきかがすべて網羅されていた
しかも、もの凄くていねいな手書きでした
もしフロッピーなら30〜50万コースだった時代 ベーシックマスターはカセットI/FがH68/TR以来の300ボー。
ROM交換した「ターボ感覚」のJr.でやっと1200ボー。
このデジタルカセットはどれくらいの速度でアクセスできたんだろうか? Webで見たら1秒間に 500バイトくらいだそうで
頭出しもできるし、信頼性も危機感の互換性も保証されているのでそんなに使い勝手は
悪くなかった記憶が 待たされるけどね ざっくり512byte/sだとすると
32KBまるまるセーブすると1分2秒。
当時としてはかなり速い外部記憶装置だったんではないか? そのあたりに関心があるなら日立が出していたCMTCの話なんかも
興味深く読めるんじゃなかろうか。
日立評論 1977年5月号より
8ビットマイクロコンピュータHMCS6800の周辺LSIとメモリ
http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1977/05/1977_05_11.pdf メモリのスペックから時代を感じるなぁ・・・・・・
今ではミニコンとかオフコンなんて死語になっちゃった >>188
いかにも学術論文的な硬い文章ですね。
IBM3740準拠とか、ビッグ・ブルーの影響力が強かった時代のものですね。
いい石いっぱい作ってるのに、それに絡むソフトウェアがあんな風では
ウォズニアックの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたくなるものです。 日本でも、優れたエンジニアの方々をたくさん輩出したよ、名は残っていないけど
そんな方々が今日の広域的な意味でのパソコン文明を構築した
日本が存在しなかったら、ここまで来ることはできなかったよ
アメリカは宣伝が上手いし、目立ったヤツが勝ち、みたいなところあるから
それに、海外のメディアはちゃんとコンピューターについても勉強しているところが
あるけど、日本のメディアは文系という言葉を楯にしてコンピューターは言うに及ばす
テクノロジー全体に無知だからしゃあない なに言っているのかよく分からないけれどHD46502CMTCは
まるで流行ることなく終わった一方でHD46505CRTCは本家が
セカンドソースを出すほどの大成功を収めたってことです
なぜかMC6845がオリジナルっぽく語られがちですが
明もあり暗もある >>193
2050のどれかでACRTC使ってなかったっけ? サッポロシティスタンダードなんてあったな、I/Oだっけ?マイコンだっけ?。 >>195
2020には使われていなかったみたいだけど
GAINの人に聞いたら、2050に載っていますよ、との話を覚えている サッポロシティスタンダードが一般流通する雑誌に最初に載ったのはトラ技っぽい(78年12月号) 元は「カンサスシティスタンダード」だな。
「サッポロシティ〜」はこれをモジったものだ。 >>202
頭出しもできたし、シーケンシャルメディアそのものでした
普通のカセットテープも使えた Jrかあ
グラフィック解像度がうらやましい
L2で漢字表示させようと頑張ったけど文字デカ過ぎで全く実用的ではなかったね
そういえば雑誌に音声合成のダンプリスト載ってて5時間かけて入力した気がする
ブザーで無理矢理音声だしているので、かなりダミ声だったけど感動したな >>141-143
地元の資源ごみの日に、S-1のBASICマニュアル持って来てた近所のおばさんに譲ってもらった俺 武田氏のJrエミュ
BREAKキーはどのキーに割り当てられているんですか? 雑誌のレベル2の広告見るとなんだか楽しそうで凄く欲しくなった。
悩んだ末、アップルIIにして正解だったが。 俺はTRS80の広告のエンタープライズ号を見て異様に欲しくなったわw SRA本のスター・トレック入力したが、ミスばかりで動かなかった 今マーク5のイメージジェネレーターをこねくり回してます。
IGを定義した後、該当キャラクタを表示させたあとで
画面をクリアせずにIGを書き換えるうまい方法はないものでしょうか?
一度定義したキャラクタを表示させてしまうと、IG定義モードに切り替えた時点で
白い四角に化けてしまいます。 ベーシックマスターのBasicってマイクロソフト製ですか >>216
初代/レベル2/Jr.のMB-688X系なら日立内製。
レベル3以降のMB-689X系ならマイクロソフト製。
起動直後の画面に(c)表記もある。 eMB_688x.exe
eMB_689x.exe http://www.mindspring.com/~thasegaw/rpcg/L3.html
マイクロソフトのBASICだと乱数が同じに発生する
なんかすげぇ
言われてみりゃ擬似乱数なんだからそりゃあそうなんだろうけど >>217
移植しやすいように
6809からMicrosoft準拠にしたんだろうね
L1(メーカーからL2 ROMとカセットI/Fのリレー取り寄せて自分で付けた)
では殆ど互換性なかったからね
画面文字出力数からして違うから ところがマイクロソフトがクソでほとんど 6800をターゲットにしたコードで書かれていた
おまけにサイズも巨大化して 予定していたいくつかの命令も実装出来なかったし
クソ重い BASICになった L1ってスペック表ではRAMが4KBだけど
実際その状態のものってどれくらい出回ったのかしら
オクとかでたまに出てもMB-6880-8ばかりな気がする >>222
本多通商へ4KB RAM x8買いに行ったよ
当時はLSIをカーテンレールみたいなプラケースに縦に入れて持ち運んだんだよね
降るとシャカシャカ
MPUやRAMは全てセラミックの高いやつ搭載してた
購入したものはプラ製 >>219
乱数の種を手入力できなかったっけ?昔使ってたけど他機種と混同したかな。
Z80だとDRAMリフレッシュ用カウンターの値を種にできるけど、6800/6809/8085にはそんなレジスタがないから仕方ないけど。 >>223
ありがとう、RAM4KBのもちゃんと(?)出回ってたのね randmize time しないといつも同じ乱数出てくるから駄目だったよな。 これも輸出版ベーシックマスターレベル。
A ring-in at #WOzFest S7,D2! Murray's Hitachi MB-6890K with three separate ?
keys and key sound effects!
Odd!
https://twitter.com/apple2europlus/status/908967108633141249 こんな仕様なのに外国に輸出していたんだ・・・・・・ と言うかPCもMZも輸出してたしな
Windows時代以降は輸入超過だけどな PC、MZの他
FM、PASOPIA、SMC、PHC、JRなども輸出されていた模様 売れたのかなぁ
mzやpcは海外にもコアなファンがいるみたいだけど ☆ 日本の、改憲を行いましょう。現在、衆議員と参議院の
両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググッてみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ 久しぶりだな、このスレ見るの。
数年前は、S1のメモリが48KBしかなかったからという理由で
FM-NEW7を買ってた者がいたようだけど、今頃どうしてるんだろ? あの当時、俺もまさにスペック厨だったもんなぁ
無難に PC-8001にしておけば良かった S1とNew7だったらスペック厨の方が正しい気がw ごめん、ベーシックマスターレベル3入手したときのこと
詐欺マシンだったもんなぁ 1980年当時は本体だけで30万円もするパソコンなんて
簡単に手が出せるシロモノじゃなかったもんねぇ。
バイトで貯金でもしているうちにFM8が出て、我に返ることができたのだろう。 最初の約束通り、CIRCLE命令とかちゃんと実装してくれて 6809向けにコーティングされた BASICだったら
まだ良かったけど 実体は 6800向けのコーティングに命令削除に カラーグラフィック手抜き そのくせ30万円
ひでーよな FM-8を見たときは衝撃だったな
何でもう一年早く出てくれなかったんだよって感じ
それでもベーシックマスターレベル3を支えてくれた当時のユーザーさんたちには感謝 レベル3の頃はBASICはまだオマケという認識で
プログラミングはマシン語という前提だったんだろうか?
8001のNがイチ早くその状況を脱却しようとして、みたいな。 PET、Apple IIからPC8801までの幾多の買換えの中で、L3だけは良い思い出が全く無いw ネーミングからして駄目
ベーシックマスターっつう名前からして学習用かと
マスターしたら、そのあとが無いと思わせる 当時はパソコンは学習用という認識しかなかった。
ゲームならゲームウォッチがあったんだもん。 ソフトは少なかったが8801(SR)やFM-7には逆立ちしても不可能な作品があったからまぁいいや ベーシックマスターは学校関係に対しては けっこう数が出たみたい
レベル3はマイクロソフトベーシック乗っけるだけで精一杯だったんだろうなぁ
>>251
うーん・・・・・・例えば? 良かったら教えて ツクモの麻雀は同じ牌が5つ出て来たりする凄いやつだった 昔小学校の頃に家になぜかベーシックマスターJrがあったけど誰も使えず置物化してた 今見ると、マイクロソフトのBASICも、8001やレベル3の頃は、
まだこなれてない感じがしてて、パソピア7やMSXぐらいの頃になって
ある程度マシになってきた感があるねぇ。 どういった点がこなれてなくて
どういった点がこなれているのか エディタの機能とかプログラム文の解析処理とか
ちょっとずつ変わってきてるようで・・・
グラフィックやPLAY文なども加わってるしね。 PC-8001はマイクロソフトベーシックの中でも秀逸の出来映えのものを乗っけていたからなぁ
あれがビジュアル化やオブジェクト化されるまでベーシックの標準だったような
レベル3はマイクロソフトベーシックを学ばせたいって言う要望に応えただけのものだったのかも
S1でちゃんと6809向けに最適化すると同じベーシックでもこんなに違うものなのかと当時は驚いたよ
ただ、S1は出るの遅すぎた・・・・・・68008最初から積んでいてくれたらなぁ 8001でマイクロソフトのBASICが採用される前って
どれぐらいの米パソにマイクロソフトのBASICが入ってたんだろう? Hu-BASICか。
あれがSH以外のマシンで採用されてたら
もう少しおもしろくなってたかねぇ?
MSXのカセットとかになったりしてたら・・・ なんでMSXにMS以外のシステムが載ると思ってんだw ん? MSXにコナミのシステムとか載ったりしなかった?
ハドソンもMSXでなにか出してただろうし。 LEVEL IIまでは制御学習用での横綱だったよね >>266
専用机に端子台までオプションあったもんなぁ >>252
一番の代表作はザ・コックピットだな
移植が雑だったせいもあるが8801版はL3の10分の1くらいの速度だったし
FM-7はキーボードがおバカで入力装置を外付けしないとどうにもならんかった
どのユーザーも不孝な時代だったなぁとしみじみ思う ザ・コックピットってもしかして、
FM-8が出る前から開発が進んでたとか? >>269
F-16の HUDを模したゲームも東大生が作っていたね
いつも出る話題だけれど FM-8はキーボードがゲームに向かない仕様だったね
最初はグラフィックゲームは無理と言われていたけどなんか特定の文字列で高速転送ができるとかで
いろいろ出てきた
グラフィックは貧弱だったけど PC-8001が一番ゲーム移植にぴったりの仕様だったような
PCGで何とかドット絵になっていたしね PCG8100持ってた
画像は8001の画面にしてはキレイだったが、所詮はあたり判定がキャラ単位で、ゲームはイマイチの印象だな >>244
いつもベーシックマスターL1/L2が無視されるんだよな
一応、完成型マイコンだったんだけどな
自分はLevel 1持ってて、自分でカセットI/Fのリレーをハンダ付けして、L2 ROMに換装して、32KB DRAM付け替えて使ってた >>249
マスターは親方じゃないのか。
マスターの次はベーシックドクター IBM-PC互換機か・・・・・・CAD用として生き残った pc-98だけ8086で他の機種は全て8088
値段はfdないが98が安かった
話にならんな Bモード(L3互換)なら使えるのにAモードにするとキーボードが反応しなくなってた
Bモードでもクロックを2MHzにするとキーボードが反応しなくなる
持ち主とともにこのまま朽ちていくしかないようだ バスが8ビットで済む 8088で何とかなると思っていたけど
NECがまた大英断で N5200をダウンサイズした PC-9801を発売した
とはいっても最初の PC-9801は他社の 8088モデルよりちょっと速かっただけだった
μPD7220を二つ積んで一つはテキスト/漢字専用にしたおかげで他社をぶっちぎった B16は N5200のライバルで法人用でした
あと 2020ってインテル機と 2050ってモトローラ機を出していて
一体何がやりたいのかよくわからない日立でした
たまたま法人や公共市場を押さえていたから何とかなったけど
ベーシックマスター16000はグラフィックチャージャーみたいな仕組みを乗っけていて
グラフィックだけは速かった あとは他の追従を見ることがなかった唯一の書見台構造
一時期持っていたけど 割とかっこよかったよ ベーシックマスターとB16はテレビ工場、
2020と2050はコンピュータ工場で作ってたはず。
X1とMZの関係に似てる。 ベーシックマスターL1/L2なんて家電として販売してたからね
普通に街のでんきやさんで買えた
シャープ系のでんきやさんは数少なかった
ソニー系は極レア
ウチは松下系のでんきやさんやってたけど
近所にソニー系のでんきやさん(ソニーショップ)があって、お互いに横流しし合ってた
ソニーショップなのに白物家電売ったりとw
ソニーからの仕入れは特殊で家電屋からは仕入れし難くかった時代
松下系でも日立やシャープ、カシオ、キヤノンは仕入れ出来たんだけどね
何故かSONYだけは難しかった
(現金問屋通す裏ルートくらいしかなかった) あれ、B16は横浜工場だったっけ?
知らんかった
横浜っていうとホビー用ってイメージあったなぁ
とうじ、日立はメインフレームで御三家と言われていたから
上層部がこれからパソコンが爆発的に普及していくと読めなかった
なので一般向けではNECと富士通の後塵を拝する羽目になった 日立版TK-80であるH68/TR
電卓みたいなコンソールが付いてて
BASICインタプリタも用意されてた
アキバの日立GAIN行くとH68/TR関係の展示に力入れてたけど
ベーシックマスターはひとつもなかった
NEC blt-inと比較して何時も閑古鳥鳴いてる状態
H68とベーシックマスターは事業部が違うからなんだろうけど、ダメだろう日立は
将来性無いとあの当時悟った TK80の頃に将来性なんてのを気にしてたほどの年齢、か・・・ B16は習志野って聞いたが どの製品からは知らない
販路は家電で変わらないんだけど 経緯については聞けなかった
産機のプログラムコントローラが系譜に S1の頃になったら GAINもまろやかになって S1の展示やっていたよ
レベル3の時代は有楽町のフードセンターのショールームがメインでした
あそこでは 68008カード乗っけた S1もデモしていた 確か BASICまで完成していて
いじってみたらものすごく高速でビックリした Lkit-16ってのも当時は流行っていた
固定長命令のちょっとクセのある石でした NEC bit-inといえば
5インチFDを3.5インチにコンバートしたくて
店内の貸し出し用初代PC9801利用申請したんだけど
MS-DOSシステムがないんだよね
文句言ったらOSをコピーされるから貸せないと言われた
そりゃ簡単にシステムディスク作成出来ちゃうけど
そんなん最早無意味と抗議したら
渋々MS-DOS起動ディスクを貸してくれた
標準コマンド一発で簡単にOSコピー出来ちゃう時代だった ベーシックマスターJrでようやくカラー表示に対応し、簡易グラフィックまで扱えるようになって羨ましいかったな
L2で強引に漢字表示させるメモアプリ作って悦に入ってた
I/Oに掲載されたL2用音声合成アプリのダンプリストを8時間かけて入力
ダミ声音声だったけど、とても感動したね ベーシックマスター16000って他が CP/M86だった頃に最初から堂々と MS-DOSだったもんなぁ
GW-BASICだったし いろいろ変な気合いが入っていたけど 埋もれちっゃたね 値段も高かったし https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c656064004
MB-S1用の68008カードの最終落札価格¥368,000!!
凄まじい価格だが、付属ソフトもないのにどうするのかな? と思ったら落札されていないのね
Hu-CARDだといくらくらいになるのだろう HITACHI MB-S1 シリーズ用 OS-9カード MPC-OS9A?
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w233837950?wr=1&iref=wlr_6
また、落札最低価格が¥199,900。
出品者は売るつもりないんじゃないの? S1って、使えるPCだったの?
フローラって日立の16bit PCだっけ? >>307
MB-S1が使えるPCかどうかは、よく分からない。
でも、プログラムをするなら、使って面白いPCだと思う。 PC-8801は漢字表示で40×25ノンインタレースだったけど
S1はインタレースだったのでチラついていた
ゲーム機としてもイマイチだったなぁ
出すのが遅すぎた もしくは MPUを 68008で出すべきだった >>309
カシオFP-1100は倍制度のBCD演算がウリだったけど遅くて難儀したって言うじゃない?
グラフィック周りも特殊で
実用ソフトならいいが、ゲームには不向き
折角セパレートキーボードなのに太いケーブル直付けの無骨さ
そういう意味で使えないPC でも FM-11はサブに 6809乗っけてて、CPUを Z80ボードで置き換えると CP/M走っていたけど
けっこう高速で実用的だった 技術力の差だったのかなぁ >>312
FP-1100のことならZ80が2個なんて載ってないよ テラドライブなんて8086系に68000,Z80だよ!
メガドラゲームとWindowsを同時に動かせた凄い奴
ドリキャスはRISC CPUを2個に68000とZ80だからねー
Windows CE動かせるからってプログラミング大変だったろうな
その上、外部メモリのビジュアルメモリにもCPU搭載されてたから、ビジュアルメモリ単体でもゲームできたんだよね 全RAMが1/2WAITが入るVRAM領域だもんな
少しでも動作速度を2MHzに近付けるために4KBでいいからSRAM載せとけばよかった ベーシックマスターレベル3のPSGカードってあるらしいが、どんな音が聴けるカード何だろ?ファミコンとか、ATARIの古いゲーム機みたいな音が聴けるなら欲しいなあ。
まあ、もう売ってないと思うけど。 >>320
パソコンの場合、FM音源チップ搭載は珍しいのかな?
米国だとPCM音源搭載やSoundBlasterになるんだろうけど FP-1100の七しのみよ」れれやらりれれれれらろ「れれらりらろれ、ろれられれらられられれららら、ろらろりら
1.サブCPUがスーパカセットビジョンに使われてるのと同じ、マイナーでおそい。
2.VRAMに書いた内容のビットが逆転する特殊な反転RAM。
3.サブとの共有領域がとても狭い。
4.640×200でRGB使うとサブのワークエリアが狭い。
5.サブのメンテナンスコマンドなんてない。存在しないコマンド番号を使うと、VRAMの途中から実行しようとするので、そのBASICからグラフィックとしてプログラムを書いて乗っ取る。
6.サブがVRAMをアクセスすると、次の水平帰線までウェイトがかかる。
7.VRAMの並びが変。 sound blasterは昔のpcではないよ
昔のpcはbeepだな ポケットに入れてたらいつの間にか書き込んでた。
世の中にはこんな悲惨なパソコンもあったんだからレベル3は幸せな方だぞ。 そういや、アキハバラにある昔のPCショップがビープだったな。 ギャーってビープ音にはなんがガッカリした
時計割り込み止めれば澄んだ音になるし、簡単な音楽なら演奏できた
PSGボード出す予定ですと発表当時はいってたけど
けっきょくサードパーティからしか出なかった
なんかあったんだろうね タイマーがなかったのでcpuがカウンタ処理してたのか 時計用のICは高かったみたいだし
かなり回路を削りまくったような気がするレベル3
晩期には時計カードもサードパーティから出ていた カードだけ出ても応用ソフトがサッパリ出なけりゃ飾りにもならない。不人気マシンの宿命だな。 欠陥だらけの設計といい、大幅値下げといい、所有した8ビットマシンの中で唯一良い思い出が何も無いマシンだった。 あれは DRAMがもっと安く仕入れられたら良いマシンになったんだけど 一ドットごとにアトリビュート指定できるはずだった
あと、M$がクソBASICを納品してきたのも良くなかった 6800のコードで組むなよ・・・・・・まるで今のWindows10みたい
ちなみにいつものネタだけど富士通は原価割りで DRAM社内融通してくれたから FM-8ができた 日立もマイコン屋だよね。家電屋じゃなくて
なんで自社で都合できへんかったん? テレビ屋の日立家電の製品です
当時のテレビと同じく販売店には部品配置図や回路図が載った修理マニュアルがあります ベーシックマスターL1も日立製作所だったな
その頃のイメージは強電メーカーだったから
家電部門じゃなかった
CPUやDRAMは安いプラじゃなくてセラミックパッケージの高い奴が載っていた 日立製作所の家電部門が設計して、日立家電販売が売ったんだろ この頃は自社のLSIを売る為にマイコンを作るもんだが、日立は違ったのか >>337
設計・製作していたのは横浜のテレビ部門
大きな会社だから縦割り上等で
半導体部門や当時のコンピューター(ミニコン・オフコン・メインフレーム・スパコン)部門とは別会社みたいなものだったらしい
で、大きいことは良いことだってことで日立の上層部はマイクロコンピューターを馬鹿にしていたふしがある
さて16bit時代になって なぜかパソコンは86系、68系はワークステーション系という御法度が定められた
S1で MC68008乗っけて風穴開けようとしたけど 挫折した・・・・・・けっきょく、半導体部門の知り合いだった
これまたテレビ事業部であるシャープの矢板工場のさる部長さんがが念願の 68000ホビーパソコンを誕生させた
だけどもその後 68000系は凋落の道を辿っていくことに >>341
6800のキットはあったよ
TK-80みたいなやつ
これはベーシックマスターとは関係があまりない ただ、MicrosoftBASICは PC-8001に搭載されたものより
新しい世代の考えを盛り込んだものになってました
入出力先を明示できる'COM1:'とか、ON KEY GOSUBとか用意されていました
だけどクロスアセンブラで 6800向けにコーティングしたものを無理矢理 6809に乗っけたせいで
いろいろな約束されていた命令、特に CIRCLE命令とかは削除されてしまっていました
おまけにとっても遅い BASICになってしまいました
これの実現形が FM-8の BASIC、チューニングされ完成されたものが MB-S1の BASICでした
簡単なお絵かきソフトが BASICだけでコーティングできてしまうくらい応答性に優れたものでした 過去の日立評論読むと日立が半導体事業で世界をリードしようという意気込みが感じられて面白いのだが、
内情は自社グループ内のパソコンを育てなかった(汎用機とオフコンとワークステーションだけを重用した)ツケが、
今の日立のIT分野での凋落を物語っているように見える
半導体の外販に拘りすぎてグループ内への融通をしないのも如何にも日立らしい レベル3の頃は、BASICはまだそんなに
重要視されてなかったみたいだったな。
どいつもこいつも容赦なくマシン語つかいやがって。 >>343
日立ゲインで、展示販売されてた
お客居なかったけど
日立が設計製作したRISC CPUのSHシリーズ
当初はセガが大得意先だったね
メガドライブはMC68000,Z80
メガCDはMC68HC00
Super 32XはSH2 x2
セガサターンになってSH2 x2とMC68EC00,Z80
(日立もHiサターンとしてmpegハードデコード内蔵)
ドリームキャストでSH4
日立、ヤマハ、セガのタッグが成立して、ドリームキャスト用に日立がHDD配給しようかとの話まで出た
モトローラもMC68000の最大の顧客はセガと宣伝に使ってた位だから
(北米版メガドラのジェネシスが任天堂よりバカ売れ大ヒット)
現在もSH4は組込用途やカシオのグラフ電卓に使われている RXがSHの置き換えになってないのが不憫だな
逆にSHは車載に向いていない 秋月のSH-2Aとかおもちゃとして面白そうだけど、Basicインタプリタとかあんのかな?
H8や古いSHには整数BASICあるけど。 当時の文部省ルートってのを日立が押さえていて、ダメなパソコンでも
教育機関にはどんどん流れていくってのがあったから切磋琢磨というものがなくて
妥協の塊みたいなパソコンばっかり出してしまった S1だって内部アドレスバス幅見れば
本来、何をCPUに据えたかったのかモロ分かりという・・・・・・ワープロ代わりに使おうとしても
互換性が足引っ張ってインタレースで専用モニターでないと 640×400画面は使い物にならない レベル3にして
これから標準でなるであろうマイクロソフトBASICの学習用に使ってもらおうって魂胆もあったみたい
おかげでクソBASICになったけどね 2020年からの小中学校の授業においても
教材とかで日立がシキったりするかねぇ? もうさすがにそれはないでしょ
もっと良いもので安いのがあるからねー
英語なんかよりそっちの方をもっと進めるべきだと思ったり
しかし 2020と聞くと・・・・・・86系の「自称」ワークステーションを思い出す
要はメインフレーム主流だった頃の職場端末のクセしてなーにがワークステーションだ 日立評論で過去記事検索すると、1980年代の日立の足掻きが見えて面白いわよ NECごときが8001でスゲーことになったのは
他社にとってはさぞやショックだったんだろうな。 そうかなぁ
8ビットパソコンってホスト屋から結構馬鹿にされてて、
ホスト屋で真剣に8ビットパソコンもやってたのはNECと富士通くらいじゃないかな
ビジネスの本命は16ビットだと思われてたしね 2020
専門学校にあったわ
信じてくれるかどうか知らんけど、
オレは98版のチェスゲーム(I/O誌に掲載)を
2020に移植したんだぜーーー!
思考ルーチンのみはマシン語で
画面操作とかのみBASICだったので
マシン語部分は変更なしでそのまんま動いた
BASIC部分だけ2020にあわせれば動いたよ パソコン自体、個人に売れるなんて思ってなかったんだろうね。 おしいなぁ
CPUは6309や64180出したりして攻めてたのにどうしてこうなった( メインフレームのダム端末なら8bit機でも十分なのに
VT100だって、8080使った8bit機だった
京セラ製のTRS-80 MODEL 100も端末として大いに役立ったろう
富士通FM-8もVT100準拠の端末を意識して設計されてたからね >>356
NECだって半導体屋のお遊び扱いだったように見えるけどなあ
Micro8も周辺機器扱いで存在を許された感がある
ただそれをFM-7に繋げられた富士通と、駄目だった日立の差は何だろうなあ
日立はTV屋が作ったから、コンシューマの意見に耳を傾ける気はなかった、
というあたりなんだろうか ベーシックマスター会報とか出したり、パソコン教室とか開いたり
ベーシックマスター始めた頃からとてもユーザー思いだったよ
昔のフードセンターではユーザー同士の交流もできたし担当者も親切だった
富士通はたまたま経営者がこれからはパソコンを無視できないと思っていたそうで
満を持して FM-8をあの値段で出した 最初は絶対に一台売るたびにいくらか損しているぞとまで
言われていた
だけど日立はそこまで危機感無かったんだろうな たぶん
NECも本当に儲かり始めたのは PC-8001の系列部隊と違うところが出した PC-9801からだったというし
PC-8001の部隊が出したのが PC-100だったそうだけど OS/2だったか Windowsが間に合わなかったのと
あまりにも高価だったので・・・・・・ さあ 16bit機だという頃合いになって 他のメーカーが 8088でお茶を濁していたときに
(企業向けなので値段いい加減だけど)市販すると軽く100万はする N5200からフロッピードライブと
モニターを取っ払って一部回路を変更した PC-9801をバーゲン価格の30万切りで発売したのが
効いたのかなぁ(でも周辺機器揃えると100万くらいになっちゃう)・・・・・・あとはPC-9801の担当部長が
各ソフトウェアハウスを回ってソフト出してくださいと頭を下げて回ったという逸話もあります
一太郎(JS-Word)で一気に花開いたし それから社内文書は手書きとかから一太郎で作るのが当たり前に
その後のライバルメーカーの 16bit機への対応が各メーカーグダクダだったり致命的に遅れたのは
メインフレームとセットで売っていた社内用通信システムと職場用端末とモロにぶつかる性能の機種を
より安価に社内で出して混乱するのを恐れたのか 個人向けに 16bit機は不要と考えていた
(当時、どっかの企業担当者がインタビューでそう言っていたの覚えてます)のか わからん
日立の横浜部隊最後の力作 MB-16000は CAD専用としてひっそり生き残ったそうです >>356
なので
テレビ屋さんがパソコン出すことになったわけで
シャープでMZ-80Kを開発した人のホームページありますけど 読むと当時の苦労がひしひし伝わってきます
海外ではマイクロコンピューターに可能性を見いだしていたけど
日本ではそんなオモチャ、って意識が強かったみたいですね 特にメーカーでは
だけどそんな日本のメーカーもメインフレームでは IBM/360のコピー機作っていただけじゃん >>355
実はパソコン自体がとっても高価だったので
少なくとも個人相手では そんなに売れまくったわけでもないんです
ただ、当時は雑誌に載ったプログラムを手入力して遊ぶのが普通で
PC-8001用のプログラムの投稿が圧倒的に多くて 毎月何かしら新作が載るので
入力して遊びきれないくらいでした 名プログラマーも PC-8001オーナー多かったし
ベーシックマスターレベル3のプログラムなんてたまにしか載らなかった
だからつまらない、売れない 高いし遅いしねで かつてパソコン御三家だった場所から脱落
富士通はさすがに危機感もって全社体勢で FM-8を開発 後に TOWNSも社内公募で
スペシャルチームを編成して立ち上げるという力の入れよう 社内てんでバラバラだった
日立が勝てるはずが無かった 大企業で技術力があれば何とかなるという幻想に
足をすくわれたんでしょうね かつてのお茶の水本社ビルは飛び降り自殺の名所でしたし ごめんなさい 書き方が悪くて
MZ-80Kはテレビ部隊からでは無くて 以降 MZシリーズとして続いていきます
けれども MZ-80Bはオールインワンに拘りすぎるあまり 方向性を間違えてしまいました
それから MZの苦悩が始まります
そこへ 8bitでも「使える」パソコンが作れるところまで来たってんで パソコンテレビX1を
矢板のテレビ部隊が登場させます パソコンコケたらテレビとして使ってねという
おおらかなコンセプトとして企画通したようなことを伺ったことがあります >>365
富士通と日立はそうですけど、NECと東芝は別のじゃなかったかな >>362
スマホ教室とか開いて親切なんだけど作るスマホに魅力のない日立と
別に不親切な訳ではないがそれより戦略的な重要さを認識した富士通
みたいなかんじなのかな。
いやでも日立のケータイは一部で人気だったよねぇ。
上で出てきたと思うけど6309みたいな、おまえらこういうのが欲しいんだろ?俺も欲しいぜ
そんなものを作る能力もあったのだろうになあ。
やっぱ、うちのこれが売れなくなったらどうしてくれる!に対して
商品に魅力がないのはそっちのせいだろ?とか言い返せる人がいなかった
ということなのかねえw >>361
後年の資料では、PC-8001立ち上げ時は汎用機グループの協力を得られなかったので、
テレビグループ(HEかな)の協力で作ったとありますね。
実はテレビの方もPC-6001を同時期に開発していて、後に統合されたとか。
ただ、ちゃんとしたプロジェクトで、お遊びという感じではないです。 >>365
考えてみれば、海外、というか、アメリカはベンチャーが作って出したPCが市場を席巻していったのに対して、
日本はほぼ終始大手企業主導で市場展開していったんだよねぇ。
大まかに言えば、いわば、こんなことができそうだぞと作ったものと、自社の半導体を売るために作ったものと…。 9801が凄すぎたからなぁ
画面の為だけに白いICを2個積むとかやりすぎでしょ PCがベンチャー???
IBMは当時既に大企業だーよ。社内ベンチャー()まで含むならベンチャーだけど。 日本で黎明期からのパソコンベンチャーといえばソードだけど
M5を出すまではスモールビジネスが最重点でマニア市場は気にしてなかった感じ
(芸夢狂人氏が最初に買ったのはM100だそうだが)
ベーシックマスターは対ユーザーの活動は頑張ってたみたいだけど
アスキーのレベル3のロードテストで外部バスの仕様をマニュアルに書いてないと苦言を呈されていたり
サードパーティーの力も借りて市場を形成するって考え方は薄かったんじゃないの
>>374
PC-8801がPC-8001由来のCRTCの画面とグラフィック画面とを合成しているのと
同じような構成にしようとしたら(そうしないとBASICの互換を取るのが果てしなく面倒になる)
自然とそうなったってことじゃないのかなー 372のいうPCはベンチャーのアップルやコモドールのことだろう。
当時日本で生きてたなら、PCがNECかIBMかパーソナルコンピューターか、注意深く読むのは当然の習性のはずだが。 >>374
GDCを二個も積んで
8086乗っけて
メモリーが 128KBってのは 化け物級のスペックだったよね
Cバスはアドレスバスが 20bit なぜか 86系ではあんまり必要性のない REQ/ACKも定義されていました
つまりは情勢によっては 68000も乗っけられるようになっていた(有名な話ですが・・・・・・)
地味だけど当時は超先進的なパソコンでした ゲームがまだ揃わなかったのでホビー向けには
しばらくそっぽ向かれたけどね 当時の ASCIIは NECIIと揶揄されていたから・・・・・・ PC-8001が出てくるまではコモドールが流行っていた
AppleIIは高価に過ぎたので お金持ちだけ
お医者さんとかがよく使っていた
システムズフォーミュレートは残念だった サードパーティーに盛り上げてもらおうって発想を強く打ち出したのは
PC-9801からかなぁ
それまではユーザーとフレンドリーになろうっていろいろペーパー出したり
ハムショップとかで催し物をやったりしていたけど
日立は日立製品の卸会社が定期的にイベントやったりしていた
でも高価だから 買ってね、とまでは言ってこなくて
持ってますと言ったら 逆に良くこんな高いもの持ってるね、とレベル3の時に言われた >>375
8ビットPCからの話をしててIBMが出てくる、って知ったかぶり丸出しよ キアヌ主演のジョン・ウィックにコモドール64が使われてた
コンチネンタルホテルのオーダー担当者が使う端末
「コード11-11-1、1時間後にウィック追放!」
2014年製作だから、既に骨董品だな
MZ-80シリーズはニュージランドで唯一販売されたPCなので現在でも熱狂的ユーザグループあるらしい
国策で海外PCの輸入が制限されてて唯一シャープだけが許されていたかららしい スレチになってしまうけど
MZ-80K/C良いよね
今、発売になったら買うよ
コモドールは PETがインパクトあった デカい重い 変なキーボード(MZ-80Kもそうだったけど) The PCは社内ベンチャーみたいな誕生をしたらしいよ
中心人物は飛行機事故で亡くなってしまった
ちなみに まただけど ベーシックマスター16000は The PC つまり IBM-PCの互換機でした
まんざらスレチでもないです
あまりにも早すぎたもくろみだった・・・・・・日立オリジナルのパソコンって、確かに凄い部分があるけど
徹底的に致命的に間抜けな部分や 後追いされたり 時代を読み切れない悲しさがあったよね
ベーシックマスターが滅んだ後 そのキーマンが今のスマホを当時の技術でデッカい筐体に詰めん込んだ
複合機を提案して発売したけど やっぱりダメだった 技術的には評価されたけどね 日立の失敗は、やっぱりレベル3で互換性を断ち切ってしまったことかな
なぜかMZも同じことするんだけどね
あと、ベーシックマスターと言いつつ、実質マシン語マスターにならなければ使いこなせないのもね
Jrの広告、ひどかったな;ぁ。「機械語重視の8ビット」ってどんなキャッチコピーやねん
初心者向けじゃないんかいw 日立はワークステーションでも毎回互換性断ち切ってたよね。
2050から3050、3050から3050RXかなにか。
下手に日立がシェア取ってたら回りとしてはやっかいだったかも。 NがマイクロソフトのBASICでヒットかまして
それでヨソがこぞってBASICをマイクロソフトにしちゃった被害を
最も大きく被ったのがこの日立ってことかな? >>389
そうなんだ
さ す が 日 立
ワークステーションでも迷走 S1が拾ってくれたら良かったかもね。
それ以降、フローラまでぱっとしなかった印象。 >>388
LEVEL 2系はjr.に互換性が引き継がれるじゃん レベル2というか初代が酷すぎて誰も見向きもしないという(笑) >>395
む!初代ユーザーだけど?
カセットI/Fのリレーは部品取り寄せて
自分で半田付けしたよ
Level2 ROMも取り寄せて自分で換装
DRAMも換装して32KBへ
酷いというか、マシン語の解説があまりにもおざなりなんだよ
ニーモニック対象表と簡単な説明、マシン語モニタの簡単な使い方
例として、INKEYルーチンが載ってた位
本体は、アームレスト部分の塗装が剥げて下地のアルミが剥き出しになったので、糊に大理石の粉混ぜた美術用パテ塗ってヤスリ掛けして補強した
毎日5時間以上操作してたからねー
雑誌ではBMは相手にされず、仲間も居ないから、全部自分の想像と工夫でなんとかするしかなかった時代 そんなやつらが集まって天下をとったのがベーマガだったの巻 2020とか2050とかHi-UXとか動かして1986年にしては野心的な作りやったんな 初代ベーシックマスターが発売された当初は
もっといーかげんなマイコンもたくさんあって面白かった >>396
凄いね
その点 Z80はシャープのテクニカルマニュアルの出来がものすごく良くて
MZ-80Kユーザーは本当にマシン語書くのに抵抗無い人多かった
PC-8001も恩恵を受けた口なのかな アルゴ船には本体回路図とかIOCSのソースコードも載ってたからねえ >>399
ソフト的にはアップルIIコンパチだけどフロッピーディスクドライブが繋がらなくてどうにもならないマシンがあったな。 >>402
オレンジという、パクりなのか相乗りなのか分からない無骨な筐体のが当時I/O広告ページに8万円位で載ってたのをよく覚えている
>>403
BMUG?なんだっけ?
Macユーザーズグループ?
Beep!メガドラ、じゃないな オレンジはsc/mpというどマイナーcpu使ってたな
やはりz80でないと売れないな H68/TRはあの当時に拡張性を考慮した設計だったんやな H68/TR用にもBASICが提供されてたよね
それがベーシックマスターシリーズ搭載のと関わりあったんだろうか BMUGはベーシックマスターユーザーズグループだろ BMUGなんて有ったのか!
当時も今も知らなんだ
何しろ情報が無くてね
日立GAINに聞いても知らんと言われるし 日立の方のベーシックマスタークラブとは別らしいね
クラブの方の会報は一つの号を除いてまだ持ってる HITAC-10なら学校で使ってた
すでに国立科学博物館に収蔵されてんのに
物持ちの良い学校やw
リレー式コンピュータがまだあった学校だからなー
(机代わりに使われてた)
そのおかげで、紙テープやテープR/W付きタイパーも使えた
歴史になったモノを使えたってことはある意味ラッキー 工場にまだある
>紙テープやテープR/W付きタイパー(NEC製)
もう使っていないけどね ベーシックマスターレベル3 mark5は和製Apple][と呼ばれていたとかなんとか ソフトの数は百分の1、いや千分の1もないかもだが。 8801、FM8よりはるかに扱いやすいマシンだったが
VRAMがメインメモリ兼用なのとドット単位で色を変えられないってのが致命傷だった
ノーウェイトVRAMが虚しい >>417
I/Oの速報記事でそう書かれていたような
実際は・・・・・・でも後で和製 IBM-PCになれたけどね
あと、グレープってのあったような ベーシックマスターの方がPC-8001より早く出たのに、アドバンテージを活かせないのは如何にも重電志向な日立流なんやな 日立評論の過去記事検索でも、2020や2050のことや半導体デバイスは頻繁に取り上げても、ベーシックマスターシリーズはホントにサラッとしか書かれて無くて泣ける >>416
専用電源12,000円が笑わせてくれる
>8色カラーBASIC
本体のガワが8色だったら更に笑わせてくれたのに
モノクロ表示BASICだったりして
8bit OSが3〜4万、FDD2台で35万円
恐ろしい時代だったね ベーシックマスターL2用にもFLEX販売されてたな
高過ぎて自分には非現実的だったが
専用電源や周辺機器が本体デザインと統一されてて未来的なのは良かった オプションが1万〜20万台でも、それを買えた時代やったんや… PC-8001は値段がまだ安かったからね
当時、レベル3の 298,000は異常な値付けだった
縁あって最初のロットのを買ってもらえたけど
流通途中で何度も箱から出して使われた痕跡があるわ
箱はボロボロだわでとても悲しかった
NECはそういうことは無かったと聞く キヤノンがだしたハンドヘルドのX-07っての新品で買ったのに、何故か音楽演奏プログラムが本体に保存されてたww
あまりに売れず、車載コンピューターとしての活路も上手くいかず消えていった可哀想なマシン
プリンタが4色ボールペンヘッドのX-Yプロッターしかないのが敗因だな
X-Yプロッターでプログラムリストを印刷させるもんじゃない MZ-731をdisるのは(`・д・´)コラ、ヤメタマエ!! 愛社精神は封印して6502使えば倍は速くなってたのに 無理に 6809使わないで Z80使っていれば良かったりして・・・・・・
当時は究極の 8bitプロセッサ 6809ってのが殺し文句だったからなぁ
レベル3が出た頃は もうザイログ(インテル)とモトローラに絞られてきていたから
6502は難しかっただろうなぁ 当時は愛好家も多かったけど 63C09も出してたしHD64180も出してたし
技術はあるのに80桁固定フルウェイトのバカマシンに完敗とは情けない OS-9をイチオシしてたけど
結局Z-80ボードだしたから完敗だね
OS-9はマルチユーザ、マルチタスクだ!
なんていってたが、マルチユーザで使ってた人いるのかね? 6502だったら、アップルやアタリ、コモドールの進んだソフトウェアが容易に移植できてバカ売れしたかも?? 米国は兎に角、マルチプランとかの表計算ソフト無いと売れない時代だったが
日本ではホビー色強かったから
ロータス1-2-3出た辺りから日本でも表計算ソフトが注目され始めたかな
Apple][ですら、表計算ソフトを作れ!と販売店から注文されたんだっけか >>日本ではビジカルク売ってなかったし
それが事実がどうかは知らないけど
同じ日本に住んでいながら知っている人もいる以上は
知らない人の勉強不足でしょう
見苦しい言い訳するな
>>Apple][ですら、表計算ソフトを作れ!と販売店から注文されたんだっけか
知ったかするな 一太郎のおかけで PC-9801勝利したよなぁ
Fでだいたい勝負が見えてきて Vmで確定したって感じ
B16触ったことあるけどいいパソコンでした でもホビー向けじゃ無かったし
S1も最後はパソコン通信で生き残ってましたっけ z80のパチモンは作ったのにpcには採用しなかった 日立もレベル3の時代から純正ソフトでBMカルクって表計算ソフトを用意していたから
それなりに需要があるって認識はしてたはず
レベル3マーク5にはカセットテープ版がおまけで付いてた
かなり遅かったしデータもそんなに入力できなかったから実用になったかはちょっと疑問だけど 富士通がFM-7にPIPSを付けてたけど
使っていた人少ないんじゃないかなぁ
共同でPIPS採用してデータ互換が有るとでも宣伝して
キャンペーンしてたら面白かったかも
PISP参考
ttps://aozla.exblog.jp/21014804/ YouTubeを見る限りだとbmcalcはそれなりに使えそうな感じ
関数とかは少ないかもしれないが FM-7に付属してたのはデービーソフトのnew VIP X-07は赤外線通信が売りだったかな。
ETみたいな赤外線送受信部が格好良かった。 >>438
そっちこそ知ったかするな
wikiに書かれた事が全てと思うな
販売店から指摘されて、そのビジカルクを移植するハメになったんだよ
ビジカルク開発会社が小さなガレージで僅か3人で作り出された超ローカルマシンの事なんて知るわけないだろう
同時期発売されたPET2001のコモドールと比べようもないんだぞ? 銀行だって相手にしてくなかった零細企業なのに
ジョブズたちが移植しないで誰がしてくれるってんだw >>449
ビジカルクのオリジナルは間違いなくアップルIIだよ。
しばらくアップル専用で、後にTRSやPET、ATARIに等に移植された。
恥の上塗りは止めなさい。 ビジカルクはアップル2版が元相。
ひどい嘘つきがいるな。w 449は頭おかしいか、どこぞの並行世界の人間だろw
ジョブズはビジカルクの価値が理解出来ずに売り込みにきたブルックリン氏をけんもほろろに追い返したんだよw
その後大ヒットしたビジカルクを見直して、後継機アップル///を開発した際に権利を買い取ってアップル社のブランドで売り出したんだよ http://ascii.jp/elem/000/001/462/1462002/ から引用
さてそのVisiCorpの話をする前に、Software Artsという会社を紹介したい。この会社は、Dan Bricklin氏とBob Frankston氏の2人により、1979年に創業された。
そもそもBricklin氏は1973年にマサチューセッツ工科大学のコンピューター科学学科を卒業後、DECに就職するものの、1976年にはキャッシュレジスターを製造する会社に転職する(なぜかは知らない)。
ただここに飽き足りなかったのか、1977年には退職してハーバード大で経営学修士を取得することにした。1978年からBricklin氏は再び学生となるわけだが、この講義を受けている最中に氏は表計算ソフトのアイディアを思いつく。
当時講義の中で、さまざまな金融モデルの式にいろいろなパラメーターを与えてその結果を算出する、ということが行われていたらしい。
これをするのに、黒板を升目状に分解し、おそらくは左端にパラメーターを書き、その次のカラムに数式を入れて、その次のカラムに計算結果を入れ、という形で行なっており、
例えば計算結果が間違っていたらそのカラムを消して正しい計算結果を入れ、その結果を元に次のカラムの計算をやり直し、……という具合に講義は行われていたようだ。
これを眺めていたBricklin氏は、「これをコンピューターでやらせればもっとスマートにできるのに」と閃いた。
最初のプロトタイプは1978年の春、Apple II上で動いた。これに先立ち、ハーバード大のTSS(タイムシェアリングシステム:端末がたくさんぶら下がった大型コンピューター)上でBasic言語を使い画面レイアウトをいくつか試作し、
アイディアが実際にコンピューターに実装できることを確信したらしい。
できればマウスを使いたかったようだが、これはApple IIのゲームパドルを代用したものの、精度が悪くて自在に扱うのは難しいということで、最終的に矢印キーを使うことにした。
ちなみに最初のプロトタイプは、Apple Basicで記述されたという。
中略
このプロトタイプは名前も決まっておらず、“Calcu-ledger”という仮の名前がついていた。
VisiCalcという名前そのものは、最終的にFylstra氏が決めたものだ。“Calcu-ledger!という名前はいかにも泥臭く、それもあっていくつかの名前がリストアップされており、その一覧の中から決められたのだという。 >>449
うあ・・・
こりゃ何のネタだよ
何を演じてるんだよ
>>wikiに書かれた事が全てと思うな
wikiなんか知らんがな
wikiに何書いてあるかなんて知らないよ
何故そこで突然にwikiが出てくるのか・・
指摘されて慌ててwiki読んだの? 痴呆が進んでるからな
意味不明なことばかり書き込まれていく なんでベーシックマスターでVisiCalcなんや… BMカルクという黒歴史が
MB-16000ではIBM-PC版の lotus1-2-3動いたよ いつからAppleスレになったんだ?
完全完成品として国内初のベーシックマスターL1なのに
MZ-80Kのおかげで日陰者になった
海外製のカッコイイPET2001やAppleIIなんてものが発売されて益々追いやられたってのに
表計算なんて、どーでもいいんだよ! 弩アホウが余りに戯けたこと抜かすから突っ込まれただけだろw 当時、Z80の方が使いやすいと周囲の人が言っていた
6800は考え方としてはミニコンの縮小版だったらしいのでスケールバランスが取れていないところが
Z80は 8080を改良したものだったからマイクロコンピューターならではの機械語の書きやすさがあったと思います メモリなどが少ない時代には早すぎたんだな、6800系は。
で、ちょっとメモリが増えたら8086になってしまったの巻。 6800はアキュームレータはAとBの2つあったが
インデックスレジスタがXの1個しかなかった。
しかもPUSH/PULLできるのはAとBだけで、Xはできない(6801で追加されたが)
8080はアキュームレータこそAの1個だけだったが
インデックスレジスタはHLと、命令一発でHLと交換できるDEがあったので実質2つあった。
さらに緊急避難的にBCもインデックスとして使えた。しかも3つともPUSH/POPもできた。
さらにZ80ではIX/IYが追加されて、より便利になった(ただしクソ重たかったが)
なので早い段階で6800にインデックスYを追加し、EXG X,Y相当命令とPSHX/PULXの3命令だけでも
追加してれば、8080にはもちろん、Z80にも多少は対抗できたかと思う。
まぁ68kとQ極の8bitCPU 6809の登場が控えていたので、戦略的に低いままにされたのかもね。
(ただし6809は6800バイナリ非互換だったが)
ようやく6800バイナリ互換でインデックスYが追加されたのは6811だったが、
さすがにこれは(組み込み向けとしては兎も角、PC向けには)登場が遅すぎたと思う。
まぁモトローラの戦略ミスだろうね。 はじめからDEとHLがインデックスレジスタで
BCがループカウンタ用レジスタみたいな位置づけだったっぽいねぇ。 >>467
それはZ80以降だな。
8080にはブロック命令系やDJNZ命令は無かった。
もっとも8080でもブロック転送しようとすると、アドレス計算の利便性から転送元/転送先にHL/DEを割り当て、
一時データ格納用にAを使うと、BCしか残らないので必然的にBCがループカウンタになっちまう訳だが。
とにかく8080ではDE/HLを交換するXCHG命令(EX DE,HL)の存在は大きかった。
XCHG命令自体はJK-FlipFlop1個を叩くだけの命令(だから4clockで済んだ)で、
そのJK-FFの出力Qの状態でDE/HL選択信号をひっくり返す・返さないという単純仕様だったようだ。
この仕組みを応用したのがZ80の裏レジスタ群だな。あれもEXA命令やEXX命令一発でひっくり返せた。 当時、6800マシン語解説本あればなー
ニーモニック表だけ掲載して、どないせーちゅーねん セグメントがーと言いつつも
当時のたいていのプログラムは 64Kbyteあればなんとかなったもんなぁ
セグメントレジスタ使えば 1Mbyte使えたし Z80の本はたくさんあったよね
それに参考になるお手本もたくさんあったし
いちおうベーシックマスターレベル3にも Hu-ENGINEって Z80ボードがありました
64kBフル実装で贅沢な仕様でした 日↑立のお店↑を覗上いてみません↓か〜♪
……ってテレビCMはもっと後かな? 何気にZ80は、I/Oで64Kアクセス出来るのが大きかったと思う
もちろんクソ重いが単純バンク切り替えとか使い方が面倒な
メモリマッピング機能を使わなくて済むのは楽 結局国産PCは完全な敗者なんだよ
98ですら結局死滅したし DOS/Vが革命もたらしたからね
PC98はゲーム市場とパッケージソフトで縛りあったから
Wlndowsゲームや98から安いDOS/V機へのリプレースで98は淘汰されていった まあ9821が負けてくれたおかげで、シロウトでも
パソコンが安く買えるようになったんだから、いいじゃねーか。 造りは国産パソコンの方が良かったけどね
DOS/Vブーム初期の頃は拡張カードがケースのスロットと干渉して上手く入らなかったり
鉄板むき出しで下手するとすぐ怪我をするとか 安ければいいわけでもないしな
当時は買うのも大変だったが少ない情報でそれなりに使い込んでやりがいはあったな パソコンが面白かったのは、ファミコンがでるまでの
ホンの数年だけだったのかもしれないねぇ。 このスレで、レベル3やMB-S1以外でフロッピーディスクを使っていた強者はいますか? >>483
日立のマシン限定なのか
他社の8bitも含むのかで回答が変わるけど
他社なら
MZ-80k/c
FM-8,7
PC-8001から以降
FDは使っていた >>482
そんなんやからいつまで経ってもプログラムの一つも書けんのやで ノスタルジー込みってことで
あの当時は何にもできないのに夢だけはあったなぁ
8bit時代のフロッピーは夢だけで終わってしまった >プログラムの一つも書けん
うぐっ
Excelマクロも立派なプログラムだぞ(必死 6809→Z80→6502→68000→8086→SH2→MIPS→ARM7のアセンブラは書いたことあるけど、
愛着ある6809よりZ80のニモニックの方がとっつきやすいと思った。 >>483
あ〜、すみません。
ベーシックマスターのJrの話です。
Wikiを読む限りでは、JrにLevel II Mark5の頃に登場した、3インチ(コンパクト)フロッピーが接続可能とありましたので。
そうなると、JrにDisk BASICがあれば物凄い価値がありそうだなぁと思ったりします。 >>483
デジタルカセット装置のカタログを指をくわえて眺めるだけだった
BM L1/L2用にも5インチFDDあったっけかな
FLEX動かすのであったかもだな
自分はPC-8801からだなFDD繋げたのは
外付け2台構成で中古のを3万位で買った覚えがある
8801(無印)も1万5千円の中古
CRTも中古
全部中古w
新品はBM L1、PC98、McIntoshだな
>>490
Jrでカラー化され、グラフィックも低解像度ながら装備してたんだよね。羨ましいかったな
L1/L2は擬似グラフィックとして、キャラクタを4分割したものしか扱えなかったから(うろ覚え) カラーアダプタとrfモジュレターを内蔵して値段変わらなければp6と互角の勝負できたかも basicやmonitorのromをネットには放流してくれる人はいないかな NEW ON 7 [RETURN] だったような。 ベーシックマスター L1/L2は、復改
ベーシックマスター Jrは、RETURN
ベーシックマスター レベル3は、RETURN 復改って、機械式コンソール(タイパー)の名残りだよね
復帰・改行(CR,LF)
ミニコンの名機HITAC10のタイパーもCR、LFとKEYが分かれていた
だからこそ、CRだけやって、同じ行で文字を重ねて原始的なアスキーアートを作った作品が沢山あった。
一番の力作は「モナリザの微笑み」
作者は誰だったんだろう 復改/まっ消/英数/英記号/カナ/カナ記号
これって旧JISキーボードそのものじゃないか。 うちは、TK-80BSとTK-80だった
木製の机を改造して、TK-80BSが組み込まれてたw >>511
写真残っていない?
画像を見てみたいわ。 >>512
当時はフィルムカメラの時代だし
撮影する程のこともなかったから
当時はTK-80BSなんて珍しくなく現役PCだしね
自分はベーシックマスターL1使ってたけど
今はスマホでお手軽にいつでも撮影できるから良い時代になったね
もし撮影したとしても、写真をPCに取り込むなんて夢の世界。発想すら無かった時代
というか、PCで撮影画像表示なんて誰も考えてなかったから
粗い解像度で画像表示なんて夢のまた夢 当時はカラーの写真表示するためだけのグラフィック端末あったからなぁ
べらぼうな値段でした https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q285291346
ヤフオクで日立のMB-S1/40が出品されているけど、
なんでカテゴリーが、
コンピュータ>サプライ>記録用メモリ>SDメモリーカード、MMC>SDHCメモリーカード>32GB
という変なところになっているんだ? 写真が全て、の文面通り
写真入りSDメモリが送られてくるんじゃね? 「裸同士で激しく抱き合う」写真と称して送られてきたのは力士の取り組み写真って、ネタは本当の話
ノーカット、女性のあの部分満載と謳った如何にも怪しげなiOS Appが103円で売られてたのは本当の話
(英語版wikiへのリンクを表示の中華製) 今どきはユーチューバーとかがワザと詐欺に引っかかってくれるから、
詐欺としてもやりたい放題なんだろうな。 まあ、髪の長い巨乳たちがTバックandトップレスでNHKに
なんてのは、昔からの定番中の定番だったもんねぇ。 ネタと分かってて金振り込んだら本当に力士の写真だったが、名勝負の取り組みだったので、結果儲かったという話も聞いた
良心的な詐欺グループもいたもんだ 初代ベーシックマスターは日本初の完成品パーソナルコンピューターとして一定の価値はあるがレベル3はゴミだね。
マルチ8やFPと同等ののクソPC。
そんなもんをアップルIIを下取りにして買ってしまった俺… 当時は和製アップルと言われていたもんな
メモリーもっと積もうとしていたけど 社内価格にしてもらえず
ベーシックはM$に騙されて 6800用のを掴まされてしまった
半年辛抱していたら FM-8買えたという悲劇 ただ、自分でシステム解析して
機械語書けるレベルだと面白いマシンだったらしい 機械語できないと使いこなせないなんて
ベーシックマスターなのに… それ故に標準となりそうだったマイクロソフトベーシックを搭載しようとして
ゲイツに騙された 大きく性能で上回るFM8が登場してショックだったが、それ以上に10万円も値下げしやがった日立には殺意がわいたねw
それだけ値下げしても性能差がひっくり返るわけでもなく、まるで売れなかったのは言うまでもないが。 FM-8は安かった。そしてRAMがたっぷり
そもそも自社の新製品である大容量DRAMを使って、何か作ろうというコンセプトで作られてるしね
日立は伝統的(?)にRAMをケチるよな。自社生産してただろうに、安価で供給してくれなかったのかな >>540
FM-8買ったら1年も経たないうちにFM-7がでて悲しかったぜ 今であれば、FM-8のバブルメモリというのがミニコンみたいで味があると思うが、昔はHDD的な電源切っても記憶できるストレージなわけだけど、価格がね
容量も8KBや16KBじゃなかったっけ?
BM3は、ステップスカルプチャーキーボードが自慢だったけど、ユーザーの反応はどーなの?
FM-8は配色が地味過ぎる
反省してかFM-7でよくなったけど
OKIのIF-800みたいに思い切った真っ赤くらいのインパクトないとね そうか。
X1の前にif800があったか。
燃える男の赤いマイコンw >>541
> 自社生産してただろうに、安価で供給してくれなかったのかな
工場毎に別会社みたいなものだったからなぁ >>541
S1の時代になってもそうだったものな。
増設メモリがないと市販ソフトが動かないなんて・・・ >>543
バブルホルダー
当初は32KB、後に128KBが出た。
外部記憶をカセットテープに頼る時代に
当時のメモリエリアの半分(あるいは4倍)の記録媒体は
十分使い道があったと思う。 >>547
アクセス速度はどうなの?
ランダムアクセスに対応してたり? >>546
日立は同じことをMSX2でもやらかすのです
H3はVRAMをケチって悲惨な事に…
まあ、これはちゃんとした規格だし、他のメーカーもやらかしてたけど
RAMが少ない方に寄せてるのが日立っぽいというかw 真面目にサイクルスチールやってるいいマシンなのにな
FMや8801では不可能な作品も多かった >>548
シーケンシャル・ランダム両方OK
低レベルな読み書き命令(BUBR/BUBW)も用意されていた。
さすがにRAMの読み書きに比べれば遅いけど
電源を切っても消えない不揮発性メモリとして十分実用的だった。
アーケードゲームのEPROMの代用として使われたのは周知の事実。
(コナミ「グラディウス」とか) fanucの制御装置にもバブルメモリは採用されていた
他の工作機器会社でも採用例があったようだ
可動部がないので環境の厳しい工作機械には良かったのかも 電源を切っても消えない不揮発性メモリとコナミってったら
ハイパーオリンピックぐらいしか思いつかん。 組み込みPCは非スピンドルが原則だよね
バブルメモリはEP-ROMよりは便利だったけど、
大容量EEPROMが安くなってきたらあっさり消えたな >>541
富士通は全社一体になってプロジェクト進められる良いところがあった
当時原価割れで FM-8用に DRAM供給していたそうな
後に TOWNSも社内プロジェクト組んでまで立ち上げた 独自アーキテクチャで長生きしたマシンでした
日立は教育用とか販路がもうあったので どうしてもテキトーな造りに制約されてしまっていた
縦割りでメインフレーム部門がパソコンなんてオモチャに投資できるかアホって役員会でのたまわったといううわさも
ギリギリまでパソコンを蔑んでいた社内風土もあったそうな 馬鹿じゃねーのって感じ マイクロコンピューター自作するときはちょっと高いけど SRAMで組む機会が多かった
その方が楽だし そんなにデカいプログラムは入れなかった >>555
日立のメインフレーム部門は2050/2020とかのワークステーションを持っててB16とかのパソコンとは別路線だったからねぇ
そもそもそのワークステーションすらメインフレームのおまけみたいな感じだったし
それぐらいメインフレームは儲かってた
あの時代にパソコンの台頭を予測できる奴はそんなにいなかったよ 2020系列はx86、2050系列は68000の不文律(笑) >>555
しかし俺のFM-7は日立のDRAMだったという... 68000、高級品
個人所有できる環境には小躍りした人いたんじゃないかな >>559
なるほど
一体何やってたんだろうね>日立
日立でも横浜テレビ事業部のベーシックマスターの親分はマイクロコンピューターの将来を見据えていたみたい
だけど身動き取れなかったんだろうね NECはわりと最初から本気出し始めていて 富士通は FMを皮切りに
このジャンルで橋頭堡取っておかないと未来がないって危機感があったような 今でもこの2社は頑張っているね >>560
X68000が出たときはかなり話題になったね あれもシャープの親分と日立の半導体部門の人に
つながりがあってあの値段で出せたそうな じきに i386が出て 68系の凋落が始まったけど
日立は S1用に 68008ボード出したけど こっそり、って感じだったもんなぁ
あれも社内でゴタゴタあったのかもね 最初から S1を68008付きで出せばいい線いったかもね
死んだ子の年を数えるようなものだけど たぶんmk5の頃はもうMSXが見えてて、独自アーキをあきらめてたのかも
最後までつき合ってくれたS1ユーザへのサービスに、
68008ボードを格安提供というのは有りだよな
シャープは特定の系列店に在庫を投げてたみたいだけど、
日立はそういうの無かったのかな 宣伝通りソフトがたくさん出れば問題なかったんだけどね PC-9801は N5200ってオフコンを少しだけスペックダウンして個人用に売り始めて
部長があちこちのソフトハウス回ってソフト作って下さいと頭を下げて回ったという逸話がある
あれだけ本気出されちゃ日立なんて足下にも及ばなかった・・・・・・ただ系列会社や教育販路には
強かったらしいけどね
ベーシックマスターUの頃は家電店にテレビ修理を教えるための教育施設を使って、親子でパソコン教室とか
クラブ会報なんかも配っていたんだけど その流れは続かなかったのが残念 横浜もできる限り精一杯の
ことはしていた N5200とPC-9801とじゃ
使い方とかマシンに対する考え方とか
根本的に全然別ものじゃない
スペックダウンとかじゃなくて全くの別系統だと思うが 日立がだしたMSX1のH-1は酷かったな
キーボードなんて長時間打てる代物じゃない
打鍵が硬く、グミを噛んでる感じ
カーソルキーなんて、正方形をクロスした4分割の変則キー(ファミコンの十字キー意識か)
電源部とセパレート構造なのはBMの名残りかw
持ち運びには合体させて、キャリングハンドルでぶら下げて持ち歩けたが、なんだかなって感じ
それでもベーシックマスターL2よりも遥かに強力なBASIC だったが、もうプログラミング熱なくなっちゃった
BM L1/L2のキーボードは意外と打ちやすかったな >>565
確かに日立のPCは、所謂「日立のお店」でしか見たこと無かったな。
パソコンが出始め、ちょっと広い電気屋や無線屋(死語だな)でパソコン展示場みたいなのが流行った頃。
不思議と日立のPCは置いてなかった。NEC、シャープ、富士通のは必ずあったのに。
ベーシックマスターは高いから敬遠されていたのか、既に店に見限られてたのか、
それとも他のメーカーは直営店以外にも無償貸し出しを行ってたのか…
ちなみにカシオのPCは文具店でした見たこと無かったです。 >>568
Level 1/2の頃は家電屋にそこそこ置いてあったけどLevel 3は見たことないな
まあ本体が最初30万近くしたしひらがなが表示のために専用長残光ディスプレイが必要とかスクロールが極端に遅い(ただしローレゾモードだと他機種と変わらない程度)とか野心作だけどちょっとこなれてなかったから
そこら辺の課題はS1でほぼ解決したけど時すでに遅しだったな
S1じゃなくてB16000を推してたらワンちゃんあったかも >>566
表向きはそういう解説になっているけど
両者のハードウェア構成を比べてごらん 内緒のインタビューではそれを認めているのもありました
他所が 8088で濁していたのを一気に潰しにかかった
Fで覇権を取って Vmでその地位を確固たるものに
ベーシックマスター16000は日立謹製の CAD専用マシンとして生き残ったです
異様にグラフィック早かったからなぁ もし IBM互換機の波がバカ早く来ていたらもっと売れたかも いちおうレベル3にも16ビットカードと称して 8088カードってのがありました
なんか動いていたのは見たけどあれは MS-DOSだったらしい 月刊ASCIIのエイプリルフールネタでベーシックマスター16000が使われてた
書見台がどうのこうので
BM16000本体に何故か書見台付いてるのが謎なんだけど
L2のオプションのデジタルカセット装置がもう少し安ければね
月刊I/Oの広告にパソコン用MTが50万で載ってた
汎用機で使われるMTの小型版でフル規格のMTがそのまま使えるらしい
外部記憶装置はどれも高額だったからねえ わたしの知っている範囲では基板屋さんが基板データをやりとりするのに
MT使っていて、複製作ったり編集したりするのなら 8bitパソコンで充分でした
他にも一部の業界ではよく 8bitパソコンに MTが二つくらい繋がっていて
いろんなことをしていました
アンリツが小形のやつ作っていたかな
ベーシックマスター16000は安く出ていた中古を買って遊んでいました
本体が大きくなってしまったので書見台に仕立て上げたのでしょう
今出しても機能的なデザインだったと思います IBM PC-XT互換機だからROM BASICは無かったんじゃないかな MS-DOSのGW-BASICと漢字BASICの二つ >>579
CPUを8086以上にして
グラフィックをEGA同等ケベルまでにして
漢字BASICを実用レベルに発展させれば
AXもDOS/Vも98もいらんかっただろうな プライドを捨てて最初から堂々とIBM-PC互換機と謳っていれば
天下を取れたかも。 >>581
ただ、DOS/Vないと日本語がな
BM16Kは第1水準漢字ROMがオプションなんだよね
45,000円って暴利すぎ
第2水準使えないし 拡張バスは ISAではなかったような記憶が>16000
画面表示はキャラクターベースまで互換あったのは、IBM-PC用の MS-DOSとか Lotus 1-2-3動かしたり
MS-BASIC動かしてみて確認しました BASCOM通したプログラムまでちゃんと動作してました
値段が高かった 当時台湾製互換機だとビデオカード無しで当時の円換算で10万円だったような
たまたま会社で扱っていた米国製の装置にくっついてきてたので値段を向こうの人に聞いた話
本物の IBM-PC/ATで30万くらいだったような
どっちにしても早すぎた互換機でした なら、エスケープシーケンスも互換で手直しなしで動かせたんだね
termcapにBM16000のエントリーあったかな?w
あの頃は何かと機種毎のエスケープシーケンス収集してたな 確かにそういうことになるね
日立って技術力があるにはあるんだけど社内政治的理由で実効性が低い
原発ビジネス崩壊したら潰れかかったりして >>587
だから造船屋さんが杜仲茶売るわけですか。 > 原発ビジネス崩壊したら潰れかかったりして
そんな遅れた知識でドヤるなよw すごいサイト見つけた
ttps://mb-6885jr.blog.so-net.ne.jp/2019-04-02 L2の市販ソフトあるなんて知らなかった
雑誌みてもほぼ掲載されてなかったから
まだ、Jrが出る以前のこと
まあ、持ってたのはL1でL2 ROMとカセットI/F用リレーパーツを取り寄せて、自分でROM交換、半田付けしたので
RAMも本多通商で32KB分8個のRAMを8000円で購入
RAMは筒型のレールケースに入れられたので、振るとカシャカシャ音が
ベーシックマスターはCPUもROM/RAM全てが高額なセラミックパッケージなんだよね
本多通商で購入したのはプラスチックパッケージだったので安かった
>>590
記事みると、32KB分で500円!激安w
時代の違いなんだな 活用研究の第二版にdebug記事載せられても買えんよな
高速16bit乗算ルーチンくらい校正しろや >>593
月刊誌でないムック本の悲しさよ。
今みたいにインターネットがあれば・・・ 以前は活用研究、いつまでも本屋にあったんだけどね
今となっては古本屋頼み だけど連中もプレミア付けてやがる I/O系活用研究は、Kindleのアンリミテッド化してほしいよ
バッ活や電波新聞系統活用研究みたいに 著作権の扱いが大変そう
今でも連絡つく人ばかりではないだろうし 工学社健在なんだし、月刊I/Oも発刊し続けてるんだからねw
原本残ってないのかな 原稿等はあるだろう。
その気になれば復刻版も出せるだろう。
権利の帰属も、投稿作品だけに限って言えば工学社(と日立?)にあるだろうし。
ただ、その復刻版をどのくらいの人が欲しがるかというニーズの問題がある。 紙媒体にするからコストが嵩む
pdfでええやないか 原稿を編集者のスマホのカメラで撮影したjpegでええやん
それをzip化w 疲れているんだろうか
電波新聞系 総括用研究と読んでしまった >L2の市販ソフトあるなんて知らなかった
調べたら何十本もあったよ。なんか似たようなパクリソフトが重複で出まくってるけど。 ゲームといえば、本体の特別おまけのムック本に載ってたミニスタートレックくらいだなあ
だから、自作のしょうもないゲームで遊んでたさ
楽器屋で楽譜買ってきてMUSIC文で演奏させたりと
和音出せないから、ピアノ練習曲の幻想曲を流してた
初歩的なDTMですな
後に98でふとしたきっかけでジムノペディ第1番聞いて感動したw
これをL2で演奏させればよかったな
(ジムノペディ第2番もあるんだね。結構地味な曲調) 当時、ベーマガに載ってたシューティングゲームでサルのように遊びまくってたけど、
久々に遊んでみたら今でも結構面白いね。 BASICがシンプルなだけに、わずか0.75MHzのクロックでも高速にどyさしたんだよね。 どyさじゃなくて動作だったorz
一連の「森巧こうしょうな 切れた!
一連の森巧尚氏謹製の作品は、よく考えられたゲームが多かった。
オールBASICでこれだけのゲームが出来るというのが自慢だったようだ。 来夢来人がオクに出てるな
キーボードケーブルが崩れていない上にソフトまで付いてる L2 BASICは整数型の指定ができなかったので、遅くなりがちだったが L1のマニュアルに、INKEYのシステムコールが載ってた
その価値を当時理解不能だったけどw
(システムコールじゃなくて、マシン語作成例だったかも) インテルなんて
自前の64ビット命令(32ビットと互換性皆無)を押してたものの
競合が勝手に拡張した64ビット命令(32ビットと互換性あり)に負けた途端
プライドと共に前者を捨てて後者を採用するしな >>615
Itaniumと別の64bitもあったけどマイクロソフトにゴルァ!されて渋々引っ込めたんじゃなかったか >>616
現在主流のCPUと規格が違うCPUがItaniumだろ。
なので>>615で自前の64ビット命令(32ビットと互換性皆無)と言うCPUがItaniumだろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Itanium
それとも君は現在主流のCPUやItaniumとは違う第三のCPUのことを言ってるのか。 追伸、補足
Itaniumだけでは誤解を招く、正確には「IA-64」
IA-64は、従来のx86-32との命令セットレベルの互換性という制約を捨てる >>614
凄く面白い話ですね。
中で出てくるZTATの63701はどこかでみたなと思ったらナムコがシステム86やシステム1に使ってましたね。MCUとありますが何用途でしょうか。6800アーキテクチャだから86年当時でも古いけど、EEPROM内蔵を活かした使用法なんでしょうね。 >>619
http://www.shmj.or.jpまで上がるといろいろ読み物があって面白いですよ。
驚いたのは日立のマイクロコンピューター部門ってわりと真面目にやっていたんだ・・・・・・ってところ。
なんでパソコンの出来があんなのばかりだったのか不可解になりました。
2050の MPUが MC68010ってのは調べてみて驚きました。
なのになんであんなに高価だったのか不思議。
ショールームで触らせてもらった時は全体的にもっさりしていて、てっきり MC68020くらい乗っけてんだろうと
思っていたわたしは日立ってやっぱパソコンとか EWS作ると全然ダメだなと勘違いしていました。 >>617
Itaniumが思ったほど性能が出ず失敗が濃厚になったのでamd64とは別のx86の64bit実装を作ろうとしたがMicrosoftに却下されて頓挫したのは有名な話だと思っていたのだが
この件で西麻布氏が醜態をさらしていたような 別の実装じゃなくてAMD64との非互換部分をなんとかしろって話だったんじゃない? >>620
2050はパソコン屋じゃなくてコンピュータ屋が作ったから 同じ看板背負ってても、事業部が異なるとまるっきり別の製品が出来上がるという典型。
まあNECも似たようなもんか。 >>622
むしろインテル的には32ビットは互換CPUばっかで旨味ないから
64ビットは個人向けも含めて完全新規アーキテクチャで進めたかっんだと聞いたが? インテルとAMDって良きライバルだよなぁ
モトローラは消滅したって Wikipediaに書いてあるし
殿様商売のツケが回ったか
i386で完全にインテルとの差を付けられちゃったし
かつて86系はコントローラーと馬鹿にしていたモトローラファンからすると
今の Core iプロセッサーは機能がかつてのメインフレームより凄くてビックリだ >>623
それであんなにダサくて高価だったのか・・・・・・でも大学とかにはけっこう納入したんだろうなぁ
ヘタに安定した販路があったばかりに日立のパソコンはパッとしないというかいつも一歩遅れていた感じ >>620
2050がもっさりしてたのは主に画面のせいだね
一応ビットマッププロセッサーなんてのが載ってる事になってるけど、ウィンドシステムが自社開発だったせいかほとんど有効活用しきれてなかった
しかも解像度は当時としては高解像度だったから10MHzの68010には荷が重すぎてスクロールが波打つしまつ
あとかな漢字変換も文節変換まで可能だったけど3行分くらい入力して変換させるとコーヒー飲みに行って帰ってきた頃に変換されてるっていう状態
ただOA用WSと言うだけの事はあってワード相当のOFIS/TEXTにExcel相当のOFIS/POLの表を埋め込めるとかかなり高機能だった
まあ2050は試作機みたいなもの本番は2050/32からだね >>631
まあコンピューター屋から見たら数百万程度の端末なんて所詮おまけレベルだしねw 上の読み物にあったが重電メーカー日立は今も変わらないわな。 >>634
コンシューマ向けは無理だと悟った分、よくなったと思うがw 富士通みたいに、日立は汎用機のリモート端末として考えてたんじゃないかな
まあ、シェアの問題もあるけど
爆発的に売れたミニコン時代ならいざ知らず、汎用機のシェア低下で日立は悟ったんだろうね >>636
> 爆発的に売れたミニコン時代ならいざ知らず、汎用機のシェア低下で日立は悟ったんだろうね
M68X/M66Xがアホほど売れたのは2050の後だぞ? CP/M 68kってデジタルリサーチと日立の共同開発やったんな >>637
当初はそう言う需要が少なからずあった。
汎用機にいっぱいFM-8ぶら下げてマルチユーザーやってたりしてた。 >>639
ならCP/M80のサブセットである”CP/M6809”があったらよかったのに。 >>641
FLEXを知らないとは、お前、どこのにわかだよ >>638
680は開発が遅れた関係で値段が安かったんだよな
空冷機だったのも成功の一因か。
ちなみに660は680の次世代機w
そのくらい680は遅れた >>644
> 680は開発が遅れた関係で値段が安かったんだよな
特に遅れた気はしないけど?
> 空冷機だったのも成功の一因か。
これはあると思う
> ちなみに660は680の次世代機w
660は260の後継機種だぞ… >>643
懐かしいな
それと、まだFLEX使ってるひといるのねw
6800エミュレータ上でFLEX9 >>643
FLEXもOS/9も知ってるけど
これらのOSでCP/MのWordStarとか動かんでしょ。 >>647
CP/M 6809があったって動かないだろ クソ高いfdd買ってその上、英語版の情報の全くないosを当時何に使ったのか >>649
CP/M配下のソフトが動かんものは最早CP/Mですらない。
SONY FilerやMSX-DOSと言ったヘンテコな亜流はあったけどね。 >>648
輸出の話か?
てか言いたいことあるならちゃんと語れよ
内部コード知ってる俺かっけーとか思ってそうw >>651
そう言うのは>>641に言ってやれよw >>652
輸出じゃないよ。
680と660は開発時期が違う話をしてる。 >>654
シリーズで開発時期が違うのは当たり前だが?
まともに語れないなら黙ってなよ >>655
話が通じないバカだな
本来シリーズが違うと言ってる 意味わからん
680と660の関係もわかってないのか?
取り敢えず具体的に語れないなら黙ってなよ 具体的に書いてんじゃん
680は開発が遅れたから次期シリーズの下位機の660と一緒になった
なにが理解出来ないんだ? >>658
いつから660が680の次期シリーズになったんだよ…
68X/66X/640/630/620でM-600シリーズだし発表時期は660の方が1年くらいズレててこれは280/260なんかと同じ
まじで何を言いたいのかさっぱりわからん CP/Mもあんまり日本語の情報なかったね
OS/9は日立が販売してたからそらなりに情報はあっただろうけど
何にしても当時MS-DOS以外のOSはバカ高いから個人で正規購入したヒト少ないんじゃないかな?
>>650
マイコン本体と同じくらいの値段したものね
CP/M 80は違法コピー使ってましたが、おまけでもらったLispインタープリタで遊ぶくらいしか使い道なかったな
(そのCP/MはPC-8801用。BMでFLEXは別世界のものと諦めてた) FDD前提のOSなんて
FDDそのものが別世界のものだったから
Oh!mz誌のS-OSの記事なんぞを遠巻きに見る程度だった。 >>632
画面もっさりはレベル3に通じる所があるのでやっぱり仲間なんだなぁ
S1で挽回したもののインタレース画面を捨てることができなかった
X68000は頑張ったんだなぁ・・・・・・X68000も開発部隊の親分が日立の半導体部門とコネクションあったから
HD68000安く卸してもらえて実現したって話だけど そういう意味ではベーシックマスターの血をわずかだけど
受け継いでいたのかも>X68000 M68本体は手に入ったがキーボード・システムの入手も絶望的
キーボードのプロトコルが判らん
Z80とM68000の2台入りみたいなマシンなんだな 現在、68000が使われてるのはTI社のグラフ電卓(TI社はハンドヘルドと呼んでる)位かね
かつてはモトローラが68000最大の顧客と宣伝してたSEGAのメガドラも、純正40 in 1なミニメガドラを発売予定だけど、MPUエミュレーションだろうな >>663
知り合いが購入したことがあって
一回だけ実物を見たことがある これもキーオードが無い…
ビンテージものはキーボードが無いと辛いなぁ ソード自体は生き残ってるので、技術資料が欲しいとお願いしたら協力してくれるかも? ライトペンも付くようになっていたんだな
分解して部品撮り用か >>667
この業者も哀れだなあ
M68数台抱えて困ってんだからなあ
また、今時98VXも需要あるのかね?
5インチFDD部品取り? >>669
>技術資料が欲しいとお願いしたら協力してくれるかも?
その可能性を確かめるに出品者が確認することが筋だと認識する。
技術資料があれば落札され、金額が上る可能性もある。
コピー機能と言うグレーゾーンかも知れないけど下の結果は驚く。
FC 珍品! QDC 拡張子変更機能 / フォーマット機能 / Read&Write機能 / エミュレーター機能
ディスクシステム MZ1500 MSX 対応
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e359212313
開始日時 :2019.06.02(日)10:28
終了日時 :2019.06.09(日)22:28
開始時の価格 : 300 円
落札者 : N*Y*I*** 評価:8756
開始日時 : 6月 2日(日) 10時 28分
終了日時 : 6月 9日(日) 22時 33分
現在価格 : 51,505円 (税0円) オクでMB-6881本体のみってやつを落札してしまった。
落札してから電源外付けなのことに気がついて、
まあ適当なACアダプタでいいだろうと甘く考えていたんだけど、
調べたら+17V, +9V, -10Vの3種類の電圧が必要なのね。
おまけにピン配置もわからん。分解して調べてみるか。。。 >>675
68系は5V単一のはずだからD-RAMが3電源なのかな?
投入順序とかあると面倒だな ACコード直結じゃないのか!
って、BM L1/L2か
自分持ってるじゃん
箱詰めして、保管してある
売れるものなのかw
ビデオ出力コードなんてあったっけ?
RF出力しか無かったような 個人保有で動作確認できてて箱、説明書、付属品が揃ってたら
安くて2万、高くて8万ってとこかな 7805とか7905のシリーズレギュレータ方式だろうから
DCDCコンバータ入れて5V化した方が扱いやすいかも 開腹してみたら、レギュレータではなくトランジスタの電源回路っぽいのがあった。
外部端子の17V, 9V, -10Vはぱっと見ただけじゃ
どの端子がどの電圧か判別できなかったけど、
電源回路の先に-5 +12 G +5 のシルク印刷とコネクタを発見。
ここに電力注入すればいいっぽい。
この電圧ならPC-8001から取り出した電源が余ってるからそれを流用するか。
https://i.imgur.com/Rr7GVDr.jpg >>681
手でアートワーク引いていた時代だったんだろうな >>681
遅レスですがそれで正解です
やりやすい方法はその画像の右端あたりで見切れてる
ジャンパーピンが-5 +5 +12 と3本並んでるのでそこをつかうと簡単
GNDはボディとかRF回路の箱とかでいける >>685
>>681です。
余ってた8001の電源は-12Vだったので、別途-5Vを作らなきゃいけないことがわかり、
せっかくだからちゃんとした電源を作ろうと思って部品だけ集めて時間が無くて
まだ作れてないんだけど、
単にこのコネクタ外してそこに電源つなげりゃいいんじゃないの? >>686
そう、そこのコネクタを外してつなげればOK
でも基板から飛び出てるジャンパーピンを使うと簡単、それだけです
汎用電源にワニ口クリップとか付けただけのやつでもできるからチョー簡単だよ 面白そう
【日立レベル3】 スキッパー 【再録】 - YouTube
ttps://www.youtube.com/watch?v=Lg6fkqWELdE レベル3マーク2A(AB-6896)というのはどんなものですか?
ヤフオクに稀に出ているのだけど、詳しいことがネット上に何一つとして情報が無い。
出品物2点とも漢字ROMが付いてるっぽいので、漢字ROM標準モデルなんだろうか?
ちなみに、子供の頃うちにあったレベル3初代で使っていたプリンタが AR-1046 という型番で、
MP-1041と同じ形なのだけど、
「AB-6896」と同じくHumanicationのロゴが付いていた。
仕様の違いは分からなかった。 >>689
ベーシックマスターは日立家電販売の扱いだったので
日立本家のOA部門で扱えるようにした製品ってことみたいですね
ただ非効率だったということなのか1983年くらいには型番分けずに
日立本家でも扱えるようにしたみたいですね
(ベーシックマスター16000の広告に途中から日立本家のHumanicationのロゴが入るようになった模様) 誰か持ってませんか?
ベーシックマスターJr.のエミュレータ eMB-688X(EMB688X.EXE)
レベル3のエミュレータ eMB-689X (EMB689X.EXE) レベル3ならS1のエミュレータをレベル3モードで使えば良くね?
出来るか知らんけど 間違い探し(3箇所)
ベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスター
ベーシックマスターベーションマスターベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスター
ベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスター
ベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスターベーションマスター
ベーシックマスターベーシックマスターベーシックマスターベーションマスターベーシックマスター >>681
シルク白極性とコンデンサのマイナスを示す白線が逆に設計するメーカーは嫌い
ICソケットと半固定抵抗の形状が懐かしい ベーマガにホリ工モンが移植したプログラムが載ったのって何年何号か分かります? 何年ぶりか倉庫からレベル3引っ張りだしたけど、奇跡的に通電はしました。
カセットI/Fケーブルが失い見たいなんだけど、まさか特殊なやつで入手は困難ですかね? レベル3ユーザーです。
久々に引っ張り出してBASICで遊んだりしています。
FDDを接続したいと思ってますが、純正以外のドライブを接続されてる方いますか? L3→Mk2ときて、なんでMK5?
何か理由があったのでしょうかね? レベル スリー の マーク スリー
どんだけスリーつくねん?!って社内でつっこみがあったんじゃね
(どんだけと言ってもふたつだけだけどさ) >>705
MARK5は日立の小型テレビ(5型)のブランドでもある。 >>707
まさかと思いつつも、そうかもと。。。
ややこしいからとか、言いやすいとか、他愛もない理由かもしれませんね。
当時のCMを見ると、ベーシックマスター・レベル3の部分は省略して、マーク5って呼んでるし。 >>710
最初は、コロナ・マークⅡって呼んでましたね。3兄弟の頃は、マークⅡだけになってましたが。
ベーシックマスターの方はCMでマーク5って呼んでたのを、昨日初めて知りましたわ(笑)
仲間内では、初代~マーク5まで、ごっちゃにしてベーシックマスターレベル3って呼んでましたが。
当時、S1になって急にシンプルになったなと思ったもんです。 MB-6880 ベーシックマスター
MB-6880L2 レベル2
MB-6881 レベル2II
MB-6885 Jr.
メモリ容量やBASICインタプリタの違いはあれど
0.75MHzのクロックはそのまんま。
HD68B00とかに換装するとか考えなかったんだろうか?
(一気に2.6倍の性能) そうですね。Jrを68B00化して、カラーアダプタを内蔵した、JrMk2があったら・・・なんて考えてしまいます。
実際のところは、46800が沢山余ってたのですかね。 真面目に馬鹿正直にサイクルスチールやってノーウェイトだと
32桁は0.75MHzor1.5MHz
40桁は1.0MHz(2.0MHzはサイクルタイムが厳しい)
〇士通みたいなペテンもアリだったかも カタログスペックよりも、堅実さを重視したのでしょうかね。
購入検討する時に、意味も分からず、クロック周波数を結構見てましたもんね。
Z80が4MHzが標準になって、68系は80系に比べてやや損だったか。
分かる人には分かるってのではね。
FMユーザ-の中には2×2で4MHz相当だって言う人もいましたが。。。。
FMもサイクルスチールは77からでしたもんね。7でもサイクルスチール化改造はあったみたいですが、ハードルは高かったようです。 チラシ(カタログ)が、なかなかいい値段で落札されてる。。。
人気あるんだね。 学校向けで生き残っていたので、下手に仕様を変更するのは御法度でした
S1に無理矢理 MB-6890モード付けていたのもその現れ オクでも出品少なくなったね。8001は、まだまだ出てるのに。 ベーマガでベーシックマスター使いだった森巧尚は覚えているな
森巧尚のBASIC MAGICは持ってた
今でも書籍だしてるのね >>719
初代マーク3は特にですね。運よく本体を手に入れても周辺機器が希少かつ高価ですし。
まぁ、6809を触ってみたいならFM-7or8がハードも書籍もソフトも圧倒的に手に入れやすいから、そっちに行くかな。
それに比べて、レベル2やS1は動作するか分からないものでも高価ですね。 >>720
いいですね。今でも持っておられるのですか?
自分的にはレベル2とFM-7の人ってイメージだったのですが。
色々な機種で発表されてたオールラウンダーみたいですね。
分かりやすくて、ナイコン&他機種ユーザーだった自分にも、とても参考になりました。