森田和郎さんを悼む
コンピュータ将棋のパイオニア・森田和郎さんが2012年7月27日に亡くなっていたことが、週刊将棋6月5日号と将棋世界7月号で報じられています。
http://book.mycom.co.jp/blog/shogi/2013/06/01/3063/ >>1
将棋記事の中の二人のイギリス人が気になるな。 アルフォス
初代8801でプレイしたのでサウンドはアレだし、動きはさほど速くない、所詮ゼビウスクローンだし、あまり面白いとは思わなかったが、低性能のマシンの能力を引出した凄く丁寧に作りで好感がもてた。 森田和郎氏 率いるプログラマーズ集団ランダムハウス
X1用ソフト リグラス RIGLAS (ランダムハウス)1986年
http://ameblo.jp/koorogiyousyoku/entry-11552737751.html#main 肥満っていってもモリタンの場合はふっくらしてる程度でしょ? あちこちで宣伝しやがって
本気でうざいわ糞コオロギ ふっくらモリタン可愛かったのに。
抱きしめてあげたかった。 >>22
この人の印象ってこれに尽きるわw
森田将棋・アルフォスその他いろいろあるのはもちろん知ってるが、それでも…。 保守age
森田さんと言えば、
・オセロや将棋等の自分も相手も全て情報が分かるゲームのAIを作るのが好き。
・スクロール・ルーチン(アルフォス→リグラス)を作るのが好き。
くらいしか知らないけど、他に担当したゲームでなくアルゴリズムで有名な話ってある? テクノポリス誌上でのプログラミング連載を思い出した。
BASICで組むと1分以上かかるグラフィック描画も
森田ルーチンにかかればわずか8秒
そのバカっ早さに驚いた。
ご本人をして「解決の目処すら立たなかった」と言わしめた「箱入り娘脱出パズル」を
パソコンで解こうとする特集も面白かった。 BASICのCIRCLE文で円を描くアルゴリズムに言及し
F-BASICで正64画形を描いてごまかしていることを揶揄していたな。
N88-BASICは1/8の円弧を反転反転して8倍拡張することで円を描いていた。 半径が大きい円ならそこそこまともだが
径が小さくなるとアラが目立ち
極小の円ではひし形みたいになってしまう。 FM-7のBASICってN88のワールド座標みたいな仕組みってなかったの?
N88なら円の中心を画面外にして半径の大きな円を描き、画面上に円周の一部だけを
描くみたいなことできたけど、64角形じゃ粗すぎてどうしようもない結果になりそうだな。 >>FM-7のBASICってN88のワールド座標みたいな仕組みってなかったの?
ない
N88BASICって当時としてはかなり機能豊富だと思う 非公式だが「レベル4BASIC」と言われていた。
ワールド座標系やビューポートの設定が出来て
タイルペイントやラインスタイルの指定が可能
飛び先にラベルが使えて
モニタの中にはインテルニモニックの逆アセンブラやメモリテスト機能があった。
プログラムエリアとデータエリアは明確に区分されていて
ディスク付きでも広いフリーエリアが魅力だった。 その一方でグラフィックの描画は極端にノロく
グラフィック消去が目で見える程だった。
Vブランクを無視した高速書き込みモードや
ビューポートを考慮しない拡張CLSなどの
涙ぐましい努力もあった。 >>45
そうそう。初代88の時点でそこまでテンコ盛りなのは
かなーり気合入れて作りこんでるよね。
やっぱあの時代のNECは凄いわ。
速度は別として。 でもN88BASIC 1.0は致命的なバグ付きでROMの交換は有料だったんだろ? >>49
あれは回避できるし致命的というほどではないと思うから違う話では >>42
ASCIIの投稿に
「circle文の描く図形が多角形なのに円と呼ぶのは文化に対する冒涜だ 」
と言うのがあったのを思い出すよ >>52
まあ有限である点の集合は円とは呼べないかもしれないが。 ファミコンの森田将棋は
CPUの思考時間が異常すぎた
(´・ω・`) 森田のバトルフィールドPC-88であった
感動したよ
友人のいえではまった
FM-7持ちだったので移植用にASCII形式でセーブデータ貰ったが、32KBごえでどうにもならない
Kコンパイラーでマップの部分だけ自作した
思考ルーチンは全くわからない状態
テクニックはテクポリ誌に連載されていたので色々参考になったわ
今さらながらご冥福お祈りします 森田和郎が作ったゲームは
爽快感がまるで無かったのが
悔やまれる 「リグラス」で特定の人物を無為に殺してしまうと
周りを取り囲まれてボコボコにされてしまうところが怖かった。 ギンコ
「社長、こっちです。
あれ?マリちゃんは?」
修理工場の社長
「森田さんの車がまだこんなところに?」
ギンコ
「どこに行ったのかな?
車も無いぞ…。ひょっとして!?」 好みの音楽は?しかし「リグラス」のそれについてはどこからもコメントされてない。 エニックスの第一回プログラムコンテストで大賞の最終選考に残ったのが、森田のバトルフィールドと中村光一氏のドアドア
マシンの性能を完全に引き出しきった技術作とゲームとしての発想が秀逸な秀作
その後、中村氏はチュンソフトを設立してゲーム会社社長になり、森田氏はフリーランスのプログラマとして開発活動に邁進した
森田氏は経営者肌ではなく研究職肌だったので、自分の考案したアルゴリズムやテクニックを惜しげもなく公開して後進の育成に励んだ
そういう意味ではアップル黎明期のスティーブン・ウォズニアックのスタンスと重なるところがある
ご冥福をお祈りいたします。