【空想】もしあの機種がもっと続いていたら【妄想】
夢はあるんだが実現可能かどうか考えてしまう・・・
資金調達と人材確保さえ出来れば・・・
ATARI FALCONをPowerPCで復活させたい ATARI800 SUPER
CPU 65C816S 20Mhz Dual
Graphics RADEON9600 128Mbyet Memory
DSP ADSP-21061 Dula (音源部のエミュレートとCPUの補完的役割
インターフェイスはUSB、IEEE1394、ROMカートリッジスロット
ATARI800自体はソフトウエアエミュレーション
新世代ATARI800は究極のゲームマシンになる
ていうか思いっきり妄想過ぎるww
無茶苦茶な発想で考えてみた 当時のハ−ドが1チップでできるなら、
PCIボ−ドとして出してくれないかな。
1万ぐらいなら買うぞ。 もしIBM互換機ではなくPC-9800(と互換機)が世界規格になっていたら。
それはPC氾濫時代が訪れようとしていた矢先のこと。
IBMがNECとの汎用機戦争に破れ、遂に不渡りを出してしまった。
PC/AT互換機の株は下がり、ビル・ゲイツはますます日本製PCに熱を入れる。
何よりACOSが世界基準となったことにより、それと連動するPCとして、
PC-9800シリーズは国民機から世界標準機へと躍進した。
一方、国内でこそNECでの苦闘は続く。
宿敵富士通が送りだす、同じIntel製CPUとそのx86ベースOSをそろえ
かつ表現能力に優れたFM-TOWNSは最大の敵として立ちはだかり、
また純正98と互換しながらWindows3.0で256色表示可能としたEPSON互換機の
存在が、遂にPC-98GSからPC-9821シリーズの登場へと繋がって行く。
各社がEPSONに続けと次々PC-9800互換機のラインアップを始める。
NECは当初これを良しとしなかったが、CPUとOSの供給源がそれを
望んだ為、応じざるを得なかった。
(それでも、一度はEPSON相手に民事訴訟を起こしたが、当時の日本の司法の
コンピュータープログラムに対する意識の低さが結果的にEPSONを救った)
IBMのスピンアウトによりPowerPC路線に座礁したAppleはMC68000系で細々と
Macを続けて行くが、世界の主流には程遠く、世界皆PCユーザー時代は
PC-9800シリーズが世界の8割を握り、残りのうち1割弱を富士通FMシリーズが
占め、残りを雑多なメーカーが奪い合う形となった。
ただし、NECが持つシェアはその20%に満たない。 いや、そのPC全然昔のPCじゃないし・・・。
質問とその答えにワロタ 「壊れたPCを3万で売ります
直して返却してくれてもいいです」
・・・。 セガの究極のつなぎマシン、X32。メガドライブにX32を差し込んで拡張するセット。
さらにY64、Z128、ZZ256と次々に前の機種に差し込み拡張していく。 X68kの後継は、PowerPC搭載の"XP"だろう。
もちろんOSは"XP-windows"ってことで。
零式ってどうなったの? X68kの後継は、PowerPC搭載の"XP"だろう。
もちろんOSは"XP-windows"ってことで。
零式ってどうなったの? 昔、AVコンポやビデオデッキまで全て繋いで
コントロールできるようにならんかと思ってた。
ビデオテープやMDも記録媒体として利用可能に。
今やUSBやIEEE1394で実現可能なんだが・・・。
>>113
「ビデオテープにバックアップ取る」つーのは3〜4年前に製品として出てたなぁ。
秋葉で見かけたよ。120分テープで2GBだったかな。 >115
あのスレは"データの書き出し"じゃなくて、"映像の書き出し"のスレだろう。
途中からクソになってるが。
ところで、BD-ROM標準搭載のTowns、ってのはダメ?
DVD-RAMの方が、消し書きできて便利かなぁ…。 大人の科学シリーズで、電子ブロックやメカモが復刻されてるけど、
学研・シャープのコラボレートでMZ−80C(自作PCのはしり)
を販売というのも、まんざら有り得てもおかしくないかも。 MZ-80Kじゃねーの?
80Cといえばワインレッドの完成機体じゃん。 PC-8201の後継機として、640x200ドット1bpp/80文字x12行の漢字テキストVRAMを搭載し、
メインメモリ64KB、RAMディスク128〜256KB、3.5インチ2D/2DDドライブを搭載した
CP/Mマシンとして発展していてくれれば、モバイル環境として重宝しただろうなぁ…。
富士通のFM-77は、大ヒットした先代FM-7とソフトの互換性がほぼ100%確保されてい
たにも関わらず、記録メディアの互換性がなかったため、せっかく獲得したFM-7ユーザを
みすみす他社パソコンへと奪われることになった。。。
そんな富士通が、もしもFM-77用の5インチフロッピードライブを発売していたら。。。
5インチフロッピードライブのI/Fを自作しなくてもFM-7のソフトがFM-77で動かせるようになり、
ハード改造まで手が出せなかったFM-7のユーザが次々とFM-77に買い換える。
一部のユーザはOS-9を使い始め、その流れはFM-11からFM-11AD,FM-11EXへと受け
継がれ、ついにFM-16βでは68000CPU搭載の16ビット機となりシャープのX68000と共に
OS-9の市場を拡げていく。
「OS-9はミニコンの流れを汲むOS。電卓の親玉のx86とは格がちがうぜ」というOS-9ユーザ
の意見は、一部に反論はあったものの、数の論理でじっくりと時間をかけて世間に浸透していく。
NECから8088CPU搭載のPC-9801が発売されるが、68系のCPUが装備できず、OS-9が
動かないという理由から、いつしか人々は98のことを忘れていった。。
海外でIBM PCがヒットしているころ、日本ではOS-9が大ブレイク。アスキーの西社長が
日本ではx86CPUの市場が無い事をMS社のビルゲイツに切々と訴えかけ、ついにWindowsは
68000CPUにも移植され、OS-9のライバルとして発売されることとなったが、時すでに遅し、
日本ではすでにOS-9が市場を握っており、Windowsが普及する余地などどこにもなかった
のでした。。。
>>121
「もしあのOSがもっと続いていたら」ですな・・・。
OS−9(の直系後継OS)も、GUI化されてたでしょうね。 FM-7ユーザーで5インチドライブ持っていた人は
そんなに多かったですかね?
FM-77が5インチだったとしてもFM-7,FM-77両方買う
人も多いとも思えません >>123
当時、FM-7の資産をFM-77へ簡単に移行できるメディアがなかったことが
問題だったと思います。
そこでFM-7ユーザは手持ちのソフト資産をFM-77へ移行するチャンスを
失ってしまったと言うことです。
反面、NECはその点商売が上手でしたね。
PC-8001で獲得したユーザを、機械語レベルではほとんど互換性のない
8088マシンのPC-98へ、ベーシックレベルの互換性だけで誘導していった
のですから。
1970年代後半からのLSI集積度の向上は、多くの人々の予想を遥かに上回る
勢いで進んだため、1980年代前半には68020と1MBのメモリを積んだ
個人用コンピュータ、俗にいうパソコンが多数のメーカーから発売されました。
このとき、ほとんどのメーカーが採用したOSがバークレーUNIXです。
本家AT&T UNIXからコードが全面的に書き換えられ、ライセンスフリーの
バークレーUNIXが、パソコンの標準に採用されたことは当然のことだったと言えます。
この黎明期のパソコン市場をリードしたのが、IBM、SUN、DEC、NEC、富士通でした。
中でもDECは、他社がモトローラ製の68020又は68030を採用したなか、
唯一VAXにこだわり、エレガントなバイナリコードから一部の熱狂的な
ユーザーに支持されました。
80年代に入ると二つの変化が訪れます。
ひとつはウィンドウマネージャの乱立と、RISCプロセッサの台頭です。
ありあまるCPUパワー、高解像度ディスプレイを、セマンティックギャップを埋めることに費やすのは
当然の帰結です。各社は80年代半ばから、パソコンにGUIを搭載しはじめました。
各社が異なったウィンドウマネージャを搭載したため、それまでバークレーUNIXによって
もたらせた高い互換性が崩れ始めたのがこの頃です。
またSUNのSPARCやMIPSテクノロジーのR3000によって、68030やVAXは
CISCと揶揄され衰退していきました。
初期のRISCチップは、多くの処理で旧来のCISICと変わらないパフォーマンスしか
発揮できなかったのですが、GUIを軽快に動かすこととエンジニアリングユーズには
優れた性能を発揮したため、1990年前後にはCISCを駆逐しました。
そして、モトローラは88000、IBMはpower、DECはalphaを開発し
これまで680X0が圧倒的シェアを誇っていたCPU市場は、戦国時代を迎えます。
いや、FM-7<->FM-77でそんなに性能差があったのかなあ
ということが言いたかったんですが。。
調べてみたら77で機能が上がったのは+3.5FD、漢字ROM
ぐらいでしたので。買い替えの動機には至らなかったのではと。 >>127
その他にもたしか、サブCPUのクロックが倍速になっで画面の描画性能がアップしたと
記憶しているのですが、違ったかな?
NeXTかなあ。
当時、高校の下駄箱を見て
「キューブのラックマウントってこんな感じかな?」
って妄想してたな >>127
やっぱ知らない人は知らないのだなあ_| ̄|○
>>128の言う通りで、速度が激しくアップしてます。
またスロット数の関係で、FM−7にはFDDと漢字ROMを
つけたらFM音源カードがささりません。
7に5インチドライブをつけてる人は結構いましたよ。
別にFM−7が特別売れたとかそんなことを言うつもりはなく
88(元祖)やX1に外付けドライブをつけるがごとく、普通に。
富士通純正のほか、エプソンのTF−10とかいうのが売れ線だったかと。
ただFM−77に5インチドライブをつけられないわけではないので
移行しようと思えばできるけど、本体が2ドライブ内蔵しているのに
さらにFDDを外付けでつけるのは確かに不自然ですな。 OS-9が浸透する前に、UNIX系OSが浸透してたんじゃあ?
FM-77に5インチFDDを繋げるためのケーブルもオプションで
存在していたな。ただしTF-10はスロットの形状不一致のため
不可、自分でスロット変換してくれと(笑)。
TF-20等、そのほかの純正&サードパーティ製では使えた。
描画性能がアップしたのはたしかだが、それはサイクルスチールのせいで
CPUクロックはあがってない。
富士通は最高2倍といっていたが、メインは変わらんから平均1.5倍も
速くなってなかったと記憶。メインの介在が少ない処理ほど速くなる。
スロット数についていえば、他社製でスロット拡張カードもあったな。
FM77のフロント部には、リセットボタンの横に謎のボタンがあって、押すと
描画速度がFM7と同じになったのだが…あれはどういう場面で使うのですか?
やはり5インチ対策でしょうか? OS-9→OS-9000(マルチプラットフォーム)→OS-9(マルチプラットフォーム)
OS-9はPC用のOSというよりは組み込み用のリアルタイムマルチタスクモニタ
だったりする。高度にモジュール化されているのでソースコードがなくても
不要なモジュールを外して最小限の小さなカーネルを生成できたりするし。
それに案外コンピュータの形をしていない物(自動販売機等)として普及して
いる。
少し前ぐらいだったらITRON,OS-9あたりが「ほとんど全ての人が世話になっ
たことのあるOS」だったのじゃないか?
ttp://www.radisys.com/RSYSKK/templates/base.cfm?dir=products/software&fname=index.cfm
もれもFM-7用のOS-9のマニュアルを読んで妙な感じを受けた程度だったの
だが、10年近く後になって仕事でOS-9に再会したときに「こういう事だっ
たのか」とおもたよ X68が続いてたら新世代のXが出てたかも。
PPCでAIXベースのやつが。
8'フポッピーが存続していたら、3.5ベイなんてなかったんだろうな 近頃のMSXはものすごく早い。
アクセス速度が一桁の超高速SRAMでメインメモリとVRAM
が構成されている。2D画像の単純転送速度は最新のAT互
換機でも足元にもおよばない。
小規模システムの利点ですな。
メモリ関係は全部オンチップのほうがはやいかな。 V9958完全上位互換の新型VDP
VDPからみたVRAMは64ビット幅のバスでつながれ
異なるページ間のVRAM-VRAM転送は4-1-1-1サ
イクルで行われる。
AMIGA-G5
数字は60000くらいでいかが? バン○イとナ○コの共同開発で
GAT-X105(ストライクガンダム)
CPU Cell改 GPU ATI製改 VRAM 128M
XBOX360とPS3のゲームは動かない。 >>146
それは純粋なPCではない。スレ違い。板違い。お前は気違い。 FMの正しい進化としては…
FM-16β with 68000 (真の姿)
FM-TOWNS with 68020 (真の姿)
いずれもCP/M68kとOS9/68000付きで。もしくは
FM-11 DR (doctor)
68020、主記憶256KB、68851で仮想記憶対応。20MB HDD。68881も増設可能。
6809も搭載して7のソフトも完全動作。アップグレードカードで88100。
まさに妄想だ…でも出ていたらいくらでも無理して買ったと思う。あのときが
F社との縁の切れ目だったか。
NeXTみたいにプログラマブルなDSP搭載のPCがあったら面白いよなぁ
ま、GPUがその方向に進化していきそうだが。 欲しかったよ〜。でもビンボ学生だったので買えなかった。結局大学に入って
からMac を買いました。研究室には初代があって、4 人ボンバーマンに皆では
まってました。スト II っぽいゲームなんだっけ?あれには感動しましたよ。
X68って16ビットモードで横768ドット表示できて実メモリがもっと載せられれ
ば、業務用にもかなりいけてたんじゃないかな。SIMMになっていなかったのが
残念です。
PV-2000が続いていたら…、キボードの換装の技術とか…(; ;。 >>151
X68のメモリは充分でしょ
98が640KBの壁にぶつかってる時12MBは苦もなく詰めた。
あ、苦が一つあったな。金だ金。 X68は機能やプログラムのしやすさは当然として、
改造無しで、ちょっと細工すればスペック以外の画面モード。特に1024x848が面白かったな。
チラツキ無くすのに長残光ディスプレイが必要だったけど、シャープが安定装置出してくれれば楽に対応できたんじゃない?
SASIのはずがSCSIに変身できたり、ディスクドライブは1.44フォーマットや720Kフォーマット使えたり
カタログスペックに囚われない周辺の柔軟性が更にナイスだよね。
あんな楽しいマシンは他に無い。 >154
確かに楽しいマシンだと思います。
でも、93年以降のシャープの仕打ちはひどい・・・。あれ以来、
シャープの事は嫌いになりました。シャープ大っ嫌い!!! 93年…
はて?なんの時期だっけ?
インテルのリベートに惑わされなくAMDのCPU選択するところにも好感持てます>シャープ >>152
レストンクス
確かに出た当時は充分だった。でもその後X68030になってからもそのままだっ
たのは辛くなかった? MacはSEまでは4MBで狭くて困ったけど、SE/30・IIcx以
降は最終的に128MBまで載るようになった。128MBそろえたのは去年だけどw
もし88ユーザーが上位機種(高記憶容量モデル)にシフトしていたら・・
VA3--VA21(2TD+2HD*2) |--VC3(2TD+HDD+CD)--VC31-
|-88VA--VA2--VA11(2TD+2HD*1)--VH2(2TD+HDD)---VC2(2TD+HDD)------VC21-
|--MR--MH---MA |-----VA01(2TD+2HD*0)--VH1(2TD)-------VC1(2TD)
SR--FR
と妄想してみた。 X68000は、CRTCのハックがもっと早く進んでいれば、画面モードも柔軟に扱えたんだけどね。
256x192とか512x384でアスペクト比1対1モードとか、320x224や640x448とかも。
序盤で640x400(448)が使えなかったことや、アスペクト比1対1モードが無いと思われていたことは、
後々まで禍根を残したと言えると思う。
それと12dotフォントが主流化していればな。横512モードでも80桁(85桁)表示できたし。
まあX68kの場合はプレーンピクセルで8bit境界だったから、12dotフォントは扱い辛いが。
これも1bppのビットマップからパックドピクセルやプレーンピクセルに高速変換するロジックを
ちょっと付け足してもらえれば、高速なテキスト表示が可能になったと思うのだが。
あとはステレオのリニアPCMを搭載しなかったことが悔やまれるね。
せめて22kHzまで、実質11KHzで扱えればで良いんだけど。
あれこれ拡張する系の妄想は、始めたら留まるところが無いのが実情だけど、
落ち着いて考えてもX68kがあとこれくらい対応していてくれれば、もっといろいろ便利だったなと。
X68kは2005年になっても市販品が出る現役ですが?
とか言ってみる
まぁでもCRTCについては同意。
今年の秋にはPC-8801mk9が出ますけど。
NECパソコンフェアに請うご期待。 例のSHARPのPowerPC載せたXマシンが発売までこぎつけてたら
どうなってただろうか…とちょっと気にはなるなぁ…。 醒めたこというようだけど、まあ何がどう間違っても国産アーキテクチャが
生き残ることはなかっただろうな。
どのみち結局 Made in USAのマシンに席巻されることになったはずだ。
TRONが葬られた経緯知ってれば明らかだろう。
この国の権力者には自分の個人的な利益の為に国を売る売国奴がいるからな。 > TRONが葬られた経緯知ってれば明らかだろう。
詳しく >>162
PC-88VAΩがその後に出るよ
PC-88VAの最終バージョンだってさ。 『iTRON』と『超漢字』が生きているのは知っているけど…
半死半生ってトコかな?
>>159
320x224は24kHzモード対応の68モニタでないとダメだけど
ぷよぷよとかこのモードを搭載してて、
アーケードの移植にはもってこいの解像度だった。
でもあんまり使われなかった…。 >>170
320x224はほぼセガ専用になりますな。
ナムコ用に288x224とかもできたの? X1turboZ3twin
PC-8001mk2srFELLOW
FM77AV40SXfresh PC/AT勢に対抗すべく企業の枠を超えて誕生した国産最強パソコン PC-9868 TOWNS
PC/AT勢に対抗すべく企業の枠を超えて誕生した国産最強パソコン MSX68k TRONもPCではダメな子だったが、組み込みでは出来る子らしいしな。
PC-100の後継でもだして世間の度肝を抜いて欲しい。
NEC独自のUNIXベースのOSでDTPやWeb出版に特化させて。 >>180
ROMさえ何とかなれば多分大丈夫。Plus以前ならSCSIもないので、もっとも難
しいのはApple独自のFDDのドライバーだろう。次がサウンド(PCM)かな。中で
シリアルポートの受信処理をしているので、ごちゃごちゃしている。
えー普通に考えると一番難しいのはGUI辺りのような気がするんだけど。。
互換APIがそんなに簡単にそろえられるとも思えん。
つーか当時のマックって頑なに固定DPIだったと思うんだけど
その辺どうするんだろう。
それにマックOSってハードの抽象化なんて不完全にしかしてないような気がする。
アプリで勝手にハードにアクセスしてくれと。。
そんな調子じゃ当然バイナリレベルの互換性なんてないわけで。
まあ当時のマシンで完全にそんなことしたら実用になる速度でないだろうけど。 X68000でMac OS動いてたけど…。68ユーザーなら大抵知ってると
思うけど、68ユーザーが少ないスレなのかな? >>184
知ってはいるんだけど、実際のを見たことはないんだよなぁ。
一度実機で動いてるのを見てみたいものだ。 >>183
GUIつってもあの頃のOSはまだ充分小さいし、Inside Macにすべて公開されて
いるので手間をかければできるんでない? QuickDrawの美しさを一度見ておく
べし。
解像度については本物はその通りだが、それはX68側でモードをいじれば解決
できる話だと思う。
抽象化は、うーんMac OSって「GUIなアプリのためのプラットフォーム」とい
う作りになっていて、学校で習うようなOSとは違うよね。それにメモリー保護
のないスーパーバイザーモード爆走OSじゃ、アプリが何をやらかしても止める
手段がない。Motorolaの人が嘆いていたという話を聞いたことがある。
68kって、メモリー空間がユーザのデータとプログラム、スーパバイザの
データとプログラム、などと、メモリー空間が四つに分かれているなんて
書いてあるのをどこかで見たことあったが、メモリー空間を4倍取れるの
かしら。それとも、一本のメモリーを四種類に分けて使うのか。
でもそんな正しい設計してるハードなんて知らないが。
ナイコンこそが世界を制する。まだ戦いは終わっちゃいない。
紙に書かれたキーボード、シャドウプログラミング。
これら究極のデバイスが進化を遂げて、人体と一体化したインターナルコンピューターの時代が到来する。 1000 DATA 0000000000000000,0000022200000000,0002222200000000,0022222222000000
1010 DATA 0222222222220000,0222888808080000,0222888808080000,0222288888800000
1020 DATA 0008822222001000,0028822222201100,0111888811111110,0002288822201100
1030 DATA 0022222222001000,0022000220000000,0022220222200000,0000000000000000 ↑↑↑
こういうつまんないことするヤツの方が、よほど性格悪い&頭悪い。 >>184
68020に68451(セグメントMMU)をつけると実現できるんじゃなかったかな
スーパーバイザとユーザ,インストラクションとデータで別セグメントにすることが出来たはず
確かセグメントごとに4GBの空間があるはずでMMUのピン配置見るとSSELで4空間は
分離してそれぞれ4GBの物理メモリに入れられるんじゃないかな
まぁ空間を完全無欠に分けると使い物になりそうも無いけどw ここは旧8,16ビットパソコンなど、
Windows以前の古いパソコンの専門板です。
【話題のボーダーライン】
・PC/AT互換機については、だいたい1995年ぐらいまでが限度とお考えください。
・Macについては、PowerPC搭載機以降は新・Mac板でお願いします。
・Windows関連の話題はWin3.1までとします。PC-UNIXの話題はUNIX板でお願いします。 あの機種がもっと続いていたら、というか、
Linuxがもっと昔から普及していたら・・・
とは思う。
吸血鬼Microsoftはもう消えてほしい・・・
>>198
ってことはリーナスが史実より早く生まれてないとダメだな。 >>198
それを言うなら、TRONがアメリカでも普及していたら、
じゃないの?
日本人としては。 というより、ゲイツがPCに興味を持たない世界であったなら。 前の流れ無視して書くけど。
もし、シャープが天下を取っていたら?
国民機パソコンと言えばMZの世界だったら。
…今頃どうなっていただろうか? MZ以外のPCについていたROM-BASICや国民機パソコンの
特徴だった漢字対応ハードウェアがなくなった今の状況を考えると、
あまり違わないのではないかな。
Linuxは、Minixを元に作られた。 そしてインターネット。
なんとも素晴らしい幸運が重なったから出来上がった。 X68000の新機種を作る事が現実に可能だと思う
MC68000の200MHz版もあるし、
ドラゴンボールを使えばポータブル版も出来る。
きっとシャープも許可してくれるだろう
下地は出来ている
マザーボードだけつくれば良い
今からでも遅くは無いR800+V9990を搭載した
正真正銘のMSX3を出してくれ >>209
DragonBallではないのがミソか。
機種じゃないけど トロンというOSだかプログラム
米にけちつけられて消えてしまったが、残っていれば今の日本のOSは
トロン系統になっていたかもしれん IBM-PCでよかったと思うよ
まがりなりにも、世界共通の位置に着いた。
セカンドマシンが何になるかは自由だが >>211
今でも自販機や家電などの組み込み用OSとしては健在ですよ。
PC用にも超漢字と名を変えて生きてはいますが
こちらは健在というよりは何とか生き延びている、という感じですかね。 パソピア7
パソピアnew7
パソピア77
パソピア77AV
パソピア77AV40SX
パソピアTOWNS
パソピアTOWNSmarty
パソピアV
パソピアV DESKPOWER
パソピアV BIBLO FX-990PとかPC-U8000とか、32bitのポケコンがあったら面白いんだがなぁ MSXはMS-DOS(ひいてはWindows)互換を保ちながらX68kのようなゲームPCに進化していただろうか SMC-777
SMC-new777
SMC-777777
SMC-777777AV
以下略
>>221
もう今のWindowsマシンがそれなんじゃないの >>221
X68をゲームPCとは…w
>>222
今更ながら何て読むんだろな。SMC-777。
スリーセブンで正しいのかなぁ… 88VAが98事業部を無視して勝手に高性能化していったら・・
88VA4 98互換機能付きで98ソフトの98%以上動作可。98に対して10万円のアドバンテージ。当然バカ売れ。
88VA5 EPSON98互換機登場。コレに対抗してクロック競争に入る。もう98の存在意義無し。
10年は戦えるマシンになったな。
夢の無い合体マシンでした・・あまりにも中途半端・・。
後悔の嵐だたね。 Windowsが動いた(普及した)時点で、日本独自アーキテクチャーのPCは終焉することが目に見えていた。
日本独自アーキテクチャーのPCが残存したとすれば、MS-DOSを使わない独自OSの機種が市場を席巻した場合だ。
(CPUもインテルでない?) VAは肝心の強化された表示周りがいまいち。
使いづらい事この上ない糞仕様。 >>229
外圧に屈せずTRONが学校からオフィスまで国家指導により浸透した場合ってことですね。 だが、そのWindowsとて盤石ではないぞ
90年代末期にもっと他のOSが頑張っていれば結果も違ったかもしれん。
BeOS入りベーシックマスターレベル11とか、Solaris入りパソピア64とかな。
OS/2が入ってたIBM機もあったのにな。 OS/2はIBMが開発してたんだからOS/2入りIBM機は当たり前なんでは。
でもBeOSに日立は噛んでないし、Solarisに東芝は噛んでないからなあ。
> Solaris入りパソピア64とかな。
その64はKBじゃなくてbitなのか。 BeとWinのデュアルブートマシンって日立だったような? ゲーム機は結構頑張ってたんだけど、皆一世代でドボンしちゃうからなぁ。
ファミコンからずっと互換性が継続してたら、一大帝国を築けていたかも。 BANDAI/NAMCO
GAT-X105(a.k.a. NC-2)
CPU eZ80 50MHz
MEM 128MB(BANK SELECT方式:16MB単位)
SND CS4231+OPX+C130
CMT,USB,CDROM(RW対応),HDD(1TB,iV)標準装備 >>229
もっと古い話をするなら、Nの関本が9801VXの時点で、インテルCPU(80286)を正式採用したのが大間違い。
ゲッパート上院議員とインテル・R・ノイス率いる米国商工委員会がスーパー301片手に痛産・国産電算企業
相手に、貿易規制で脅して米国製半導体の国産製品での採用率30%を迫った、そんな外圧に負けたのが、
日本製オリジナルPCを人工開発中絶させた。当時、NはVシリーズの32bit版へとロードマップを描いていたのに。
なぜ、80286が採用されたかといえば、85〜86年頃のパソコン用半導体はすべて国産で供給可能で、CPUでも
買わなければ30%の目標値を達成できなかったから。
関本の鶴の一声が日本のオリジナルPCの成長発展の息の根を止めた。
それと、なんといっても、国産PC各社が独自OS開発をほとんどやらなかったこと。これも大きいね。
80年代パソで国産独自OSを搭載していたのはSORDと日電N5200のPTOS位なもの。あとX68Kのアレ。
日立・富士通はそもそもIBM追従伝統で論外。それと、M$のセールスマン西和彦の有能さも阻害要因。
西がエストリッジみたいに70年代に飛行機事故とかで逝ってたら、SORDは潰れず独自OSな国産PC
が群雄割拠して、もっと違った未来があったかもしれない。ASCII各誌はポシャるまでずっとM$マンセな
プロパガンダを止めなかった。こんな売国雑誌社の罪は大きい。
X68Kのアレとかでさえ、外注OS。Nも85年前後GUI-OS開発を計画して、外注先に見積もりとってた
時期がある。PC-100がポシャったちょっと後くらい。しかし、外注だし。
83〜84年頃のPC-100の開発に関わった、Justやダイナウェアが結局アプリ会社で終わったのも残念。
1人月OSと揶揄されてたCP/Mとか、その焼き直しに過ぎないDOSレベルなら、80年代のいくつかのゲーム
系開発会社でさえ互換DOS作って実装してた。あの頃ならまだ間に合った。しかし、どこもOSを育て続ける
ようなブレない経営を維持できたところはない。それができていればね。Appleみたいな会社の1社くらい、
日本に居残れたかもしれないのにね。とか思うね。 >>237-238
まあ間違ってはいないような気もするが、
世界中で、本家のIBMですらAT互換機+MicrosoftOSに飲み込まれるわけで
日本の特殊事情じゃないぞ
>>239
>世界中で、本家のIBMですらAT互換機+MicrosoftOSに飲み込まれるわけで
>日本の特殊事情じゃないぞ
事実記述としては、正しくて、そうなのかもしれないけど、90〜95年という時期は
そのM$社すら、ある意味、存亡の危機を抱えていたのであって、その危機
を乗り越えて生き残ったら結果、勝ち残った。というのが実際だと思う。
ちょうどネットが商業化・普及しつつあった時期、最も脚光を浴びていたのが
ネットスケープで、HTMLブラウザであったNCSA Mosaicをベースにしたブラウザ
の機能拡張版を無料で提供しつつサーバーソフトで収益を上げるというビジネス
モデル。しかもHTMLでは非力な動的クライアント処理をJavaScriptで補完すると
いう実装で敷居を高くすることで、ブラウザ市場への参入を困難にしてた。
結果、CommodoreやAtari 等々NetScapeがサポートしていないプラットフォームは
即死したし、OS/2 Warp/IBMは独自ブラウザの開発を放棄。AppleやM$は恩恵に与って
プラットフォーム的に主流を維持できた。だけども、NetScape依存では軒先貸して
母屋を盗られると危機感を抱いたM$が IEの無料配布とJavaScriptなどの機能強化を
しつつ、NetScape対抗でWindowsデフォルトブラウザをIE設定にするなどの我田引水
を行うなどして駆逐して、勝ち残った。もし、NetScapeがWWWサーバーの販売じゃなく
Windows2000レベルの独自NetOSの開発販売を主力に据えてたら、今の状況はもっと
違っていたと思うな。現時点は、Googleがそれをやろうとしているわけで、しかも
M$の支配力が弱いモバイル市場をとっかかりにしてる。
Windows7が示したのは皮肉にも、現在のPCユーザの大半は[XP互換OSで十分]。という
ことだから、PC世界のM$帝国主義が駆逐されてしまう可能性や余地は十分あると思う。
その変化を起こすには、高機能でセキュリティに問題がないブラウザとメーラーと
それらのためのハードやOS的基盤が必要だけれども。市場がオンライン化しつつある
今では、情報のチャネルの太さ如何で、シェア逆転は実に簡単に起こし得るかもしれないし。 PC互換機が他のオリジナル系パソコンを駆逐したのはネット対応なプラットフォームへ
と進化できなかったから。AtariやCommodoreが端的な例だと思う。
ネット以前であればPC-Jr. も 5550も、PS2も、EGAなAXも、国内シェアを大きく取った
ことはないわけで、唯一、J-3100がNoteBookの市場でそこそこ売れてたくらい。
俺の周りにもJ3100ユーザはけっこういた。互換機が互換機として売れるようになったのは、
それこそ、AT互換機として機能しなくなってからの最近の話だとオモ。
互換機をイーサ対応へと牽引したのは、IBMというより、ノベル。そのノベルも、ハード的には
台湾系互換機メーカに喰われたし、ネットOSではWin95のMS-Networkの一般化で主役引退。
ASUSやAcerなどの台湾系PC互換機メーカーが躍進した時期、なぜ日本のメーカーがその
受け皿になり得なかったのは、謎だけども。技術力というより、販路の問題だったのかな。と。
90年代はじめ、386〜486の時代のComputerShopper誌は洋書屋とかで買ってよく読んでいたが、
カリフォルニア・ベイエリアの安物互換機SHOPの広告には、そうした台湾系の互換板やら互換箱の
広告がいっぱい。個人輸入で取り寄せてみると、後々では、ASUSの板であったとわかるのだが、
当時はノーブランド扱いでマニュアルにも製造者名の記載がなかったりしていた。華僑ネットワーク
で売りさばいていたんだろうな。と想像してたりしてた。日本だと校人社=総鉄屑とかが同業だった
んだろうけど、知る限りでいえば、日本のメーカーはOEM製造が中心で、発注先のスペック事大。
そういう点で、台湾メーカーほど足回りが良いわけでなかったはず。486DX/50MHzの基板とかだと
動作不安定でも、50MHz板ですとかで売りまくってたし。そういう危うさというか、チャイナクオリィティ
が魅力でもあったけど、品質より、商品提供の速度で台湾メーカーは抜群であったのは確か。
そういう危うさを含んだ商品でもいいから、開発速度を重視で、国産PCが提供されていたら
どんなにか、面白かっただろうに。と思うけれども、国内のパソコンメーカーは大企業ばかりだから
そうもいかなかったのだろうな。残念だな。
あと、ブラウザの実装開発力が、とりあえず、パソコン延命の雌雄を決する鍵になってたことが重要で
これは昔も今もさらに将来へと痕を引くことになると思う。たとえば、近頃はやりつつある、複合携帯端末
とかでは、ブラウザをローダー・コアとしたUIとかネットサービスの多様性が売りになるだろうから。
ブラウザは、HTML/XML/Java-Script/Java/Style-Sheet等々の多様なスクリプトの
インタプリタでもあるけど、日本のソフト/PC系会社はこうしたパーサー的言語処理がまったくもって不得手。
言語処理の技術蓄積や知識伝授の伝統を欠いている。という点は、システム・プログラミング的基盤開発が
そもそも成立しない。という点で致命的だったと思う。M$はそういう点ではその道のプロであり続けてる。
大昔、某社開発から「3000万出すからC言語の実装一式をソースコード丸ごとで調達してきて」
とか打診されたことがあるけど、国内調達はほとんどムリだった。大学工学部系でも、そうした技術
で名の知れたところって、あるんだろうか? 今ならあっても不思議じゃないけど。逆に無かったら亡国だな。と。 ネット対応なプラットフォームへ と進化できなかったから。 →
AtariやCommodofreなどの非互換系PCがネット対応なプラットフォームへと進化できなかったから。
糞文・駄文で荒らしてスマソ。 まー、今AppleなんかがやってるiPadみたいなタブレットPCだって、
PenPointやPenDOSなんかがスタンダードになってれば違う世界があったわけだ。
携帯電話だって、世界市場を牛耳れる技術や機会があったにも関わらず、
一般紙にすら、ガラパゴスと言われてしまった。
結局は政治力や発言力がないから、こうなったんだよ。 米国で売れないのは主流にはなれないと早々に悟らないとガラパゴスになる アタリやコモドールもアップルくらいの企業体力があったらなあ。 FALCON 030て実は非常に高性能なのに残念な機種だ。
56001でMPEGのリアルタイムデコードも可能なんだし残念だ。
Acornも高性能だな。
TOSもGEMも非常に柔軟性が高いからAMD CPU向けに移植して欲しいな。
コンパクトで軽いし、エミュレーションしてもWIN上で動くわけじゃないからオリジナル同様軽いはず。
Motorola 56001はGPUでエミュレーションすれば良い。
幾つかの機能をモジュール形式にして、スキンを用意すれば十分売れるOSになるよ。
現実にはエミュレーション部分と混在したハイブリッド型にした方が旧ユーザー向けには良いんじゃないかな?
PLDにアーキテクチャを実装して、ボードをPCI Expressに挿して使うタイプにしても良い。
>>247
両方ともDOS/Vで失敗・・・。
AMIGAは組み込みOSとして生き長らえる・・・。 >>245
> 携帯電話だって、世界市場を牛耳れる技術や機会があったにも関わらず、
> 一般紙にすら、ガラパゴスと言われてしまった。
iPadの技術の多くが日本人技術者の手によるものだという事実は悲しいね >>248
アタリやコモドールのスマートフォンやタブレットをみたかった…。 m5の[SHIFT]+[任意のキー]でBASIC命令がカキコ出来る機能、好きだったな〜
m5の
“C言語教育版”とか“Python教育版”みたいなのが出てくれると嬉しいんだが MSXマガジンで
HDDつんでメモリを1メガとかにした
特集があったのを思い出した TOWNSマーティミレニアムが世界のゲーム機の標準となる。 PC88VAの失敗でNECのホビーパソコン事業は、スプライトを持たない
ゲームにはこの上ない貧弱でゴミ同然なPC-9801にシフトしていく方針が固められた。
かにみえたが、結果を急いでばかりのNEC首脳陣がある事件で芋づる式に逮捕。
無能なゼネラリストが一掃されたNECは現場主導で盛り上がる。
何故かハドソンの首脳部が相談役に就任。
急遽、PC88VA後継機PC88WAが発売。
CPUにV60、メインRAMは標準で1MB。
表示機能は最低640x480 1677万7216色中16色、最大1677万7216同時発色が可能。スプライトは512色。
現状存在するマシンの中でスプライト機能が飛び抜けて高く、サウンドはSB2にOPNAを1個追加したSB3が標準搭載。
専用ディスプレイが付いて10万円を切る低価格と、VAより2回りコンパクトになった筐体は
バンドルされた沙羅曼蛇完全移植版の完成度と相まって生産が追いつかないほどの大ブレイク。
NECの技術陣がかねてより作りたかった「究極のマシン」が完成する。
EPSONもこの流れに追従し、キューハチ互換事業から撤退し、PC88WAの発売の翌月早速互換機を発表。
ソフトハウスはこれまで実現に困難だったゲームデザインの可能性が広がったことでPC-98から一斉に鞍替えを行う。
それまで殿様商売をしていたPC-98事業部は本来の目的であるビジネス用途に特化せざるを得なかったが、
PC88WAに一太郎・花子・Lotus123が発売されると、1世代古いAT互換機程度の性能やEPSON不在を良い事に
価格を釣り上げていたことが災いし、大赤字を抱え消滅した。
それ以後、PC88XA、YA、ZAとシリーズが続き、SEGAの参入もあり海外でもミリオンヒット。
PC88とMacintoshの二強時代が始まるのだった。 かつてNECと訴訟問題に発展したEPSONだったが、
各種カスタムチップのライセンスを握っていたハドソンの助言もあり、
主要部品の提供を条件に互換事業が公認された。
ハドソンの株価は急上昇した。
これを皮切りにPC88WA以降はMSXのような共通規格となり、各社からPC88WA互換機が生まれることになる。
NECはソフトハウスの囲い込みに専念するようになったが、かつてのAtariショックの教訓から
一定水準以上の品質が守られるよう、ソフトウェア品質監査専門の子会社を設立。
「売れればそれでいい」かつてのNECの首脳陣を彷彿とさせる哲学もなく技術力の低いソフトハウスを市場から追放する一方で、
NECはソフトウェアハウスの育成にも力を入れる。
一方で、エロゲは「存在しないもの」として取り扱われたため、エロゲの世界は品質においてカオスな状況となった。
左派PTAとマスコミからしばしば槍玉に挙げられ、番組の後には「健全!健全!」を連呼する韓国製ゲーム機の宣伝が流れた。
そう、家庭用ゲーム機市場はPC88WAの登場でファミコンとPCEの時代から全く進化していなかったのだ。
ここでもまたまたハドソンが活躍する。
かつて子供に人気だった高橋名人を、次世代機PC-FXの宣伝担当に起用。
PC-FXはこれまでのPCEやPC88WA以降で培ったノウハウとハドソンの謎の先進テクノロジーが詰め込まれ、
任天堂ソニーの共同開発したFC後継64bitマシン、PLAYSTATIONと二強時代を築き上げるのだった。 PC88WAシリーズは大人の玩具、子供はPC-FX という後付の大義名分とイメージを得たNECは
マスコミによる避難を回避することができるようになり、PC88シリーズをビジネス面にも展開していくことになる。
それまでSilicon Graphics, Incがシェアを獲得していた3DCGと大規模コンピューティング分野に参入。
ここでのノウハウは後のスパコン「SP88」に引き継がれることになる。
1990年代末、まだまだバブル景気が続く日本は経済・科学技術共に世界第一位の座を揺るぎないものとするのだった。 VAが88mk2→SRの時を遙かに超えるスペックアップと大幅なコストダウンをしていれば
88の天下は揺るぎないものになってたかもな
>16
一般販売はされてないけど、TK-V30はありましたよ。
アルミトランクに入ったやつね。 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない深い傷になる
「暴力とイジメと口裏合わせと口封じ」の町やそういう町に巣食うヤクザ・チンピラ・ゴロツキ・不良・
いじめっ子・殺人鬼・ダニ・ノミ・シラミなどを監視して非難するのは暮らしやすい町を作るのに必要だ >>257
SEGA、富士通よりホビー部門を買収、V-TOWNSはテラドライブの新機種として専用ゲームと共に発表された。
マイクロソフトにOEM互換機T-BOXを提供し、windowsの優先供給権獲得、
AT汎用版より半年前に発売というのが恒例となり、自作機にも互換ボードを搭載するのが常識となった。
今ではチップセットに統合され、互換機能がないマザーボードを見つける方が困難だろう。 X68000の後継機種がマッキントッシュ互換機で出ていたかも?
(これは又聞きですが鳥居さんがそうおっしゃっていたそうです もう時効でしょうからいいでしょう)
うまく行っていれば、X68000ユーザーはマックユーザーになれたかも? PC-8001
Z80A CPU,32KB RAM,40*25テキスト,テンキー
VIC-1001
PCG,PSG*3,JOY-STICK,ROMカセット,家庭用TV対応
両方のいいとこ取りしたホビーパソコンを1981年末に128,000円で発売 後継機種妄想スレより
新機種妄想スレの方が伸びる気がする MSXが8088でハードウェア自体はPC-XT互換だったらとは思ったな
で、1984年の発売時にはV20にしてNECを引き込んでれば FDDは1MBで、グラフィックスは4096色中16色になっていたであろう。 そこでOSをWindowsにしちゃだめなんだよ。
差別化できなくなって消えるしかない。 順当に行けば68000が載ったマシンになったんだろうけど なぜCP/M86に進んだ
あれが最初の舵取りミスでは FM-11に6809があったのはF-BASICを動かすためであって、
後に出た16ビット版のF-BASICは8088で動いた。
16ビットはインテルCPUというのが富士通の判断。 常識的にFM-11に6809があったのはOS9のためだよ。 16βで描画用にも採用してたから互換関係だけじゃなく単に処理速度で選んだのもあるかもね
描画専用Z80て聞いたことないし FM-11の後、富士通はOS-9/68000を選ばなかったわけだ 68000にしなかったのは英断だったな
FMVに繋がったんだから x86にしたのは必然だよ、まあそれもDOS/Vに呑まれる運命だが
問題はx86でもCP/Mにしたこと 16βとFM-Rはつながっているのか?
FM-RとTownsはFM-Vにつながっているのか? 11 > 16β > R > と98に挑み続けた 結局Vでも勝ってなかったかな
11と16βは共通項も多くてでも互換はBASICだけかな 8と11もベースは同じところからだね
16βとRは拡張スロットが互換だったような、MS-DOSも一部同じソフト動いたぽい
RとTOWNSはそのままRをベースにしてマルチメディア化した感じ
そしてVTOWNSへ 早々とPCクローンに向けて舵を取ったのは英断・・・なのか? タウンズ自体がMSからOS供給してもらっていたから必然だな
タウンズ専用ソフトもろくに出なかったし。 あの頃はまだMSの勝ちが確定してはいなかったんじゃなかったっけ。
少なくとも素人目にはCP/M86とMS-DOSの2強で、8ビット機時代が
CP/Mの天下だったことを考えると迷ってしまうものはあった。 CP/M86はないかな。
DOSの方がCP/Mのソフト手直しいらないし…. 「意識高い」人の間では、あのころ既にMS-DOSがバグが多くて不安定という定評が
浸透していたしな。 CP/M86て一応windowシステムぽいのも出したんだよね
つべ動画で見た あの頃、初代Macintoshの影響を受けてWindowシステムが色々出たんだよね ソフトにはバグが付きもので仕方がないんだという概念を確立したのはMSだった。 それはMS-DOSのころ始まっていて、だからMS-DOSを嫌う人は多かった 昔、8bit機が現役だったころ、金をとって売るようなソフトはバグがほとんど無くて
当たり前みたいな空気があったと思う。たまにバグが見つかると、それがもっぱらのうわさ
になるくらいに。その空気をMSがぶち壊した。 FM-TOWNSだけじゃなく、世界的にも、Macintoshに触発されて
新しい感じのマシンが出た。だが、結局どれも長続きしなかったな。
生き残ったのは本家Macintoshだけだ。 みんな「俺が主流になるんだ」っていう気迫に欠けていた。
ただMacintoshにあやかって、というものばかりで。 >>287
FM-11が発売になった当初、OS-9はラインアップには無かった。
OS-9仕様が出たのは少し後になってから。
発売時に6809があったのはF-BASICを動かすため。 というかソフト・・・・・
DirectDrawがしょぼかったのが一番の原因
DirectX3Dで2Dやるとか正気の沙汰じゃなかった時代 >>303
それはUNIX知ってる人から見たら
雑過ぎた仕様だったからです・・・・ >1
からMACも脱落してるしな
と言うかIBM PC以外
負け犬は負け犬だから >1
むしろ
御三家やMSXや98や68やTOWNSやパソピアや
C64やAMIGAやATARI STが
初代機で爆死した時代を見たいわ SONYがPCを出してたよね。SMC-777だっけ。
グラフィックの仕様が当時としてはかなり充実してた。
SONYにはもっとがんばって欲しかったんだが。 X1turboをもっと高性能にして、X1と差別化してX1を低価格で続けて欲しかった
X1turboにZ80だけではなく8088も積んでIBM PC互換にしてダブルCPUマシンにして
グラフィックはCGA互換DCGA互換640x200x16色、640x400x16色中4色
少し高くなるが、X1と差別化しやすくなる
さらにX1turboZは80286でAT互換へと行き、Z80積んでるのが特徴なだけのAT互換機だが
AXの高いJEGAとは違い安い漢字テキストVRAMで、東芝とは違い漢字表示が速いのに低価格なのが売り
3世代全部を価格帯違いなままで続けて欲しかった と言うかなんでμ70008を他社が採用しなかったんだろ >>315
X1は88SRのようには出来なかった点、88FHのようにも出来なかった点で延命失敗してるし
8088搭載とかMZ-2861じゃあるまいしこの道もダメ。
X68000で一瞬輝いたかに見えたけど、8bit時代ならまだしもこのくらいになると資金力開発力不足 >>316
X1ではZ80系のチップセットに頼っていたから高クロック対応出来なかったのではなかったか?
MZ-2500 にしても6MHz止まりだし。
M1サイクルのせいで無駄に高速メモリを要求する事になるので
ウェイトを入れる等の工夫が必要でクロックの割に速度でないし。
88を延命したいNECと違ってZ80の時代は終わったとみていたのでは?
メモリが安くなって64kBオーバーは当然の要求の時代になったし。 >>317
そう言う機能を追加する方向では無い、単に低価格化してX1turbo系列と差別化してて欲しかったって話ですよ
ザイログチップファミリーなのが売りなので
シャープはセカンドソースのメーカーだったのだから、集積化して、画面周り以外のザイログチップを1チップ化しての低価格化
X1turboは漢字テキストVRAM売りなのは良いがZ80だけでは活かせてない
だから8088でMS-DOSでエディタやコンパイラ使える低価格機
MZ2861のような286プロテクトモード機なんて意欲作な方向では無く、
ほぼCPU追加しただけ程度のMS-DOSも走らせられるマシンのシンプルな方向で別 「これがX1誕生5年目の解答です」
・・・どういう事よ SONYにはWindowsじゃなくてオリジナルのOSで勝負してほしかった。
Appleに出来るんだからSONYにも出来るだろ。 え?
SONY FILERってオリジナルのOSで勝負に出たじゃん
そんな事も知らない>>321 みたいなのがいるって事がその勝負の結果だ それCP/Mベースだろ。
俺が期待していたのは32ビットでWindowsに対抗できるOSだ。 8ビット時代に散々だったのに32ビットなんてなおさらだ
>>Appleに出来るんだからSONYにも出来るだろ。
そのジョークはどこが面白いの? 今のmacOSもunixベースで思いっきりパクっているからな。 OS-9というと富士通が有名だが、日立にもOS-9が動くマシンがあったんだよね。
S-1とか。出る時期が遅すぎた名機だった。 >>318
B以降(μPD70008含む)に対応した高速互換チップセット作れなかったのか S-1は出る時期が遅いだけでは無く、売り方が間違ってた
良いハードさえ作れば開発環境が乏しかったり高かったりしても良い時代は終わってた
OSと言語を広いメモリ空間対応なハードを活かせるのを付けて出さないと
BASICで使えるなら良いが古い考えだったな
まあ標準メモリもあのハードとして足りなくバランス悪かったが HD64180積んだ高クロックのX1turboは見てみたかったな。
Z80との互換性に難ありだったから互換性高めた改良版が欲しいところ。
でもまあそうするとザイログ社に訴訟起こされないように気を使ったところが無くなっちゃうと思うけど……。 ザイログZ180として使えるようにだと1992年くらい生き延びなきゃならないか?
更に生き延び1997年にザイログZ80182(33MHz)を使えるようにまでなると
何処かで今の超小型デスクトップパソコンのように手のひらサイズな、別なパソコン使ってても周辺機器のように切り替えて使えるのを出してザイログ開発機として続けられてれば