>>30
>>>28
> DD54(1,800PS)はDD51(2,200PS)より1クラス下の亜幹線用が計画主旨じゃね?

しかし、最終的にはDD51に置き換えられています。
つまりは、DD54の任された仕事は、DD51でもできる仕事だったわけです。

>> DD51が最初から良くできた機関車なら、DD54を三菱から買う必要はなかった。
> C53が最初から良くできた機関車なら、C59を沢山造る必要はなかった。

時系列を考えてみて下さいよ。
C53がそんなにダメな機関車なら、C59のような後継の幹線大型機はもっと早く
世に出ていたはずです。いかに不景気だった時期を挟んでいるとはいっても、
満鉄パシナは1934年から「あじあ」を牽いているし、内地でも貨物用のD51は
1936年から投入が始まっています。そしてC59が世に出てきたのは1941年。