>>518
【あきまへん】
京都16師団の戦闘振りは、友近軍参謀長(愛媛県出身)をはじめ多くの上級兵団の不満を買った。
水際陣地よりの早期後退、カトモン山の放棄は、航空作戦実施中の南方総軍をがっかりさせた。(昭和19年10月)31日付電報で、ペリリュー島の敢闘(水戸、高崎連隊)を引用しつつ、方面軍の作戦指導を避難しているくらいである。
レイテ戦記(上)327頁

【チバニアン】
この非現実的な作戦にも拘らず、左翼を受け持った佐倉57連隊の二個大隊の奮戦は賞賛に値しよう。
圧倒的に優勢な砲兵と化学兵器の圧迫の下に、闘志と白兵戦闘の技術を生かして、支えられるはずのない北方稜線を10日、錯綜した東方山嶺を30日以上支えたのであった。
12月21日転進命令の出た時は参加人員約2,500のうち、91名しか残っていなかった。
レイテ戦記(上)399頁


同じ日本人、同じ兵隊でありながらなぜこうも違うものかと精神力の差をまざまざ見せつけられた気がしてならないよね。
ではではー

押忍!