北大路魯山人「日本人は本来の味を忘れ、ただやわらければうまいと思っている」
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だが年代の進むに従って、だんだんインチキが多く堕落していくのはどういうものか。ともかく、不真面目ふまじめになっていく。真剣味がなくなっていく。
それは争われぬ事実である。これにはいろいろの事情もあろう。社会的、経済的関係もあろう。
料理についていえば、料理がインチキになるとともに、材料そのものがインチキになっている。
例えば牛肉である。牛肉を研究するのはよいが、その研究の目的たるや牛肉の本来の味を作り出すための研究ではなくて、
色をどうするかというような見てくれを考慮する。
鳥でいえば、かしわはかしわそのものの本質を保存すべきであるのに、その本味を忘却し去って、
やわらかければよいというので、ただやわらかくつくることをもって能事のようにしてしまう。
もう一つは経済的事情からか安ければよいということがモットーとなって、結局イカサマものを作り出して金高を張らせないように研究する。
これは本当には決して安いということにはならない。金高はなるほど低いが品そのものがインチキなのだから、かしわを買っても本当のかしわの味をもっていない。
だから実はかえって高いものである。そこで料理の方では、材料の選択はますますむずかしいということになっている。
けれども一般がそういうインチキもので気が済むというのは、みながほんものを知らず、また知っていても、いつしかそれに慣らされて、あえて不審がらなくなっていくためであろう。
こうしてよいものがだんだんわからなくなり、従って、またよいものがなくなっていくということは、いかにも残念なことといわねばならぬ。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001403/files/49987_37763.html 北大路魯山人の「数の子」を本仮屋ユイカが朗読していた しかし、土佐作りは皮付きを手早く焼き
皮ごと食うところに意義があるのだろう。
さて
河豚の味は山における蕨のようで、そのうまさは表現し難い。
の蕨の季節が来ましたよ
琺瑯のトレイに蕨を並べ薪ストーブの灰をたっぷりまぶし
あっついお湯を根元の方から少しずつふりかけてゆき
トレイがひたひたになったら新聞紙を落し蓋にして数時間
ここが大事だね
お袋は夕方仕込んで朝水洗いするんだがそれでは灰汁が抜けすぎ
夕方仕込んで3,4時間くらいか
まだ暖かい灰湯から一本引き出し水洗いしてから粗塩でするりと食う
ほろ苦さと塩の甘みが渾然一体として焼酎をグビっ
また一本引き出して軽く叩いて三杯酢をかけてするり
これが一番うまいねぇ 北大路魯山人「ふぐの刺身に優る刺身はない」
・美食はふぐにとどめを刺す。その証拠にはふぐが出ると他のものは食えぬ。
・ふぐの刺身に優る刺身はない。
・ふぐの身皮(三河)の間の遠江とおとうみというところは皮より美味い。
・ふぐの美味さはすっぽんなどの比でなく、いかなる美食も比べられない。
・下関のふぐには危険なし。
・ふぐには酒、煙草たばこのような一種の止められない普通の味以外の味がある。 魯山人ってプロの文筆家ではないから
文章を書くのは上手くないね。良いことは言ってると思う。
魯山人は最高級料亭の経営者で、魯山人のお弟子さんは天皇陛下の料理人だから当然か >>13
フグに関しては魯山人の本を読んで、へーっと思ったわ。
フグって毒のある部分が美味いらしい。フグが美味と言われるのは毒のある部分で
現代では危険なので料理店で出してくれないので美味の部分は食べられないらしい。
たくさん食べると死ぬが
舌がピリっと痺れるくらいの毒があると美味いらしい 魯山人のすき焼きは、我々がよく食べているそれとは作り方も食べ方も異なっている。まず、砂糖を使わない甘みがほとんどないすき焼きだと考えてほしい。
戦後はたまに卵を使ったこともあるそうだが、ほとんどは大根おろしで食べていたそうだ。そして煮込むというより具材を焼く印象が強い。
魯山人は「牛肉と焼き豆腐、葱などを次々と足して煮込む甘くどいごち鍋とは違う」と言っているように一般的に行う作り方・食べ方をかなり嫌っていたように見受けられる。 【大食い】おごせ綾【小古瀬】vipからきますたwwwwwあの無職しんでくんないかな 風情というものを理解できない似非食通の典型が魯山人だよ。
まぁ、焼き物に関しては評価が高いようだが俺的には好きなものではないね。
どっちにしても食を知らない過ぎるアフォを有難がる傾向はあるわな。
いわば、食界のカルトの元締めのようなのが魯山人だろ。 >>26
カルト?
魯山人は王道中のの王道だが
・魯山人が経営してた料亭は当時の最高級料亭
・魯山人のお弟子さんは昭和天皇の料理人
・魯山人本人も久邇宮邦彦王家(昭和天皇の義父)の家に泊まり込んで料理を作っていた
・魯山人のお弟子さんは人間国宝
・戦時中、自由に材料を使うことを許された芸術家5人のうちの1人(日本の芸術家のトップ5)
・フランス料理が日本料理の盛り付けに似てるのはそもそも魯山人の真似だから(これはフランスの料理会の重鎮が証言している) イサムノグチ → 世界的な芸術家で魯山人家に住み込んでいた
李香蘭 → 世界的な大女優で魯山人家に住み込んでいた
岡本太郎 → 魯山人は岡本太郎の両親と親しい関係で、岡本太郎のキャラは魯山人(海原雄山のモデル)の真似である 「ひきこもり死」を防げるか・・・高齢親失った中高年 「8050(はちまるごーまる)問題」 和食の料理人がネクタイするようになったのは魯山人のせい
岡倉天心が生きてたらネクタイして和食つくるとか殴り殺してるわ
和食ってのは生活のデザインだからな 格好からして和の精神じゃないといけない 魯山人はビールばっか飲んでてビールが冷えてないとガチギれしてた和の心のひとつもないクズだよ 北大路魯山人「ふぐの刺身に優る刺身はない」
・美食はふぐにとどめを刺す。その証拠にはふぐが出ると他のものは食えぬ。
・ふぐの刺身に優る刺身はない。
・ふぐの身皮(三河)の間の遠江とおとうみというところは皮より美味い。
・ふぐの美味さはすっぽんなどの比でなく、いかなる美食も比べられない。
・下関のふぐには危険なし。
・ふぐには酒、煙草たばこのような一種の止められない普通の味以外の味がある。 『日本人が常に刺身を愛し、常食する所以は、自然の味、天然の味を加工の味以上に尊重するからである。』 なぜなら、ひと口に食べてうまいものでそれを二つ箸で割ったり、まぐろを別にはがしたりしては鮨の美味は味わえぬ。 魯山人 料理メモ すき焼き
>東京の牛肉屋のタレは悪い。出来合いのタレの中に三割くらいの酒と、甘いから生きじょうゆ一割くらい加えること。 >>46
明治初めの東京の牛鍋屋のすき焼きそのものって話があるね 先鋭派だよな
言ってることは極端だけど論理的で面白い 北大路魯山人と美味しんぼの海原雄山との違いを教えてください? 魯山人の時代は裕福な家庭にしか魯山人の考えが浸透しなかった 何かのテレビ番組だったと思うが魯山人の特集をやっていて、
前日の晩に揚げて残った天麩羅を翌日に火鉢で炙ってよく天茶にしていたとか。
コツはダシに甘みを入れないことと語っていたそう。 >>54
出汁なんか注ぐのは邪道よ
茶と具の単純で弱々しい調和をおかずに飯を啜り込むのが茶漬けの面白さよ 伊勢海老より車海老のほうが味に関しては一段上 BY魯山人 篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家、など様々な顔を持つ魯山人は、波乱に満ちた生涯を送りました。
1883年(明治16年)3月23日、京都府愛宕群上賀茂村(現:京都市北区)の上賀茂神社の神官の家柄の社家の次男とし生まれ、房次郎と名付けられます。
実父は房次郎が生まれる4か月前に妻の不貞を厭い割腹自殺。魯山人は母の不倫相手の子供でした。
実母は房次郎を滋賀の農家に預けて失踪します。 京都生まれなのに、食い物の好みは現代の東京っぽく、現代の関西っぽくないな >>52
海原雄山が、あれでもまだ人間としてずっとまともな良識人。魯山人のクズっぷりはひどすぎ。今なら普通に性犯罪で逮捕。他にも金持ち、権力者に媚びを売って、相手が落ち目になると手のひら返す等々きりがない。なまじ天才だけに他人を人間扱いしない。自業自得で周りから人が消えていくが自己憐憫は人一倍。 魯山人のすき焼きは、我々がよく食べているそれとは作り方も食べ方も異なっている。まず、砂糖を使わない甘みがほとんどないすき焼きだと考えてほしい。戦後はたまに卵を使ったこともあるそうだが、ほとんどは大根おろしで食べていたそうだ。そして煮込むというより具材を焼く印象が強い。魯山人は「牛肉と焼き豆腐、葱などを次々と足して煮込む甘くどいごち鍋とは違う」と言っているように一般的に行う作り方・食べ方をかなり嫌っていたように見受けられる。 >>71
講釈垂れんでも好きに食うたらええがな
って思う 本当に物の味が判るためには、
あくまで食ってみなければならない。
飽きがきた時になって、
初めてそのものの味がはっきり判るものだ。
北大路 魯山人 北大路魯山人「日本人は、みな甘くしてしまった」
https://archive.ph/YxFyf その魯山人が誉めた金沢の加賀料理には金箔が乗ってますが 魯山人は、1883(明治16)年3月23日、京都の上賀茂神社社家の次男として誕生、名を房次郎といいました。生まれてすぐに里子に出され、その後も次々と養家が変わるという不遇の幼少時代を過ごし、6歳の頃に木版業を営む福田家の養子になりました。 小学校を卒業してからは、養父・福田武造の木版の仕事を手伝いながら、独学で書と篆刻を学び、「一字書き」の名手として名を知られるようになりました。
また、東京赤坂に会員制の高級料亭「星岡茶寮」を開設。「食器は料理の着物」という有名な言葉を残している。 ',"´: : : : : : : : : : : /
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.}ェh9ュェh9z ⊆ ゞ ヾ彡' ≡≧`゙f ゝ\ /::: ∨::',::::',:',::',', 魯山人が好きだったってだけの食べ方が
どうして美食って持て囃されてるの?🎴 美食家としても知られる芸術家・北大路魯山人が味わったすき焼きを再現して楽しむ会が開かれました。
この会は北大路魯山人の取り組みやその功績を伝える活動を続けている団体が開きました。
魯山人が発行していた会報などを参考に魯山人と親交のあった料理人の孫がすき焼きの作り方を説明しました。
この中で味付けに砂糖を使わないことや肉と野菜を一緒に煮込まないこと、
それに卵ではなく大根おろしと一緒に食べることなどを説明しました。
そして参加した人たちが魯山人が味わった当時の味を再現したすき焼きを楽しんでいました。
主催者は、「とてもおいしくいただきました。魯山人も喜んでいると思います」
「レシピを再現できてとても光栄です。今の若い人たちにも食文化を通じて、
魯山人の歩んできた道を知ってほしいし私たちも広めていきたいと思います」と話していました ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています