★トランス・大周天・変性意識・第三の眼★2
肉体の感覚が無くなり意識の存在だけがある状態である
トランス状態(変性意識)や大周天になると透視や霊視・体外離脱など
サイキックな現象が起きたりするといわれてますが
こういった体験談や仕方について語りませんか
前スレ
https://hobby7.5ch.net/test/read.cgi/occult/1120178718/l50 自分がやってるのはよくあるような大きい腹式呼吸ではなく
やってるかどうかわからないぐらいかすかな、なるべく小さい呼吸で瞑想している
なれないとなかなか苦しいけど慣れたら長いことできるようになる
最初は苦しいのでそちらに気がとられるが慣れてくると雑念もわきにくくなる
体のいろんな部分を感じようとすれば感じることができる
意識は落ちているがハッキリしているので思ったらイメージを浮かび上がらせることができる
自律訓練法の心像視と同じようなことができるようになる 目指してるのは霊術の数息法で鼻の入り口でだけ呼吸をやっているぐらい
微かな呼吸まで落とし1000回(≒1時間?)ぐらいできるようにする
それぐらいできるようになれば体内に霧のようなものが現れる
さらに2000から3000までやると神遊観(体外離脱)まで至れるとされる 微かな呼吸法がメインでやっているが、逆にトランスフォーメショナルブレスや円環呼吸法とか
過酸素状態に意図的に行う呼吸法も丹光をみたりするようだ
過呼吸を行うと過度の緊張状態になり、それをやったあと休むと
急速にリラックス状態になっていくという理屈だろうか 【松果体】を活性化させて「第三の目」を覚醒させる法@
ttps://yuhobika.net/yuhobikaweb/shoukatai-kassei01/
【松果体】を活性化させて「第三の目」を覚醒させる法A
ttps://yuhobika.net/yuhobikaweb/shoukatai-kassei02/ 自律訓練法の標準訓練マスターして黙想訓練やれば、入り口だろう
TMCという瞑想でテープに前もって見たい映像をふきこんだりするが黙想訓練で同じようなことができる
色彩ではできたが事物はちょっとでない >>3
まだ頑張ってるとは思えないが、数息法はやめといたほうがいいかな。 荘子までさかのぼれる呼吸法で、1000までやれば病が雲散霧消すると言われてるのに? 数息とは呼吸を数えて精神を統一することで、インドではバラモン教や仏教徒も皆じっこうしたものである。
天台の止観というのも止は凡語でシャマトハーといい、その方法は数息と随息が主要なものである。
行者が解脱して大悟徹底の境に入る修養法としても最も価値あるものだが、そんな抹香臭いことは置くとしても
健康を増進し、霊能を発揮するにおいても効果あるものだ。
数息は行うのに時間を選ばない。正座でもあぐらでもよく、椅子に座ってもいいが最もいいのは結跏。
座布団を二つに折って尻に敷く。
眠気がするようなら半眼にして眠らぬようにする
鼻から吸って鼻から吐く
吸う息吐く息に心を止め、一呼吸を一つとして十から十一、十二、十三、と段々に進んで百に達したら拇指を一つまげて
また一つから百へ〜
三百、四百、五百、六百と進むにしたがって段々呼吸は静かになり、始めは呼吸の音が耳に聞こえてたのが聴こえなくなり
呼吸は次第次第に短縮して、七百、八百頃に至れば、鼻腔内数センチを行き来しているようで、この状態になれば
呼吸をしてないかの如く、体内に霧のようなものが充実し、例えば肺に故障があって気の疎通せさるものも一切諸病は排除され、
火のない寒夜でも体内はホカホカで三昧の境地に入り、自ら歓喜を覚える
もっともこの状態は初回から起こるとは限らぬが、3,四日を経れば必ずなんぴとにも起こるべき減少であって、
さらに久しく継続すれば、暗夜に物が見えたり遠方の声が聞こえることもあり千里眼、千里耳、透視、透覚、予覚などの霊能が発揮され、
仏教のいわゆる天眼通、天耳通、宿命通などの神通力が現出するものである。
それは魔境でもあるから、少々の霊能くらいでうぬぼれてはいけない
さて、数息は千に達すれば(時間は約一時間)一段落として止めるが、余力があれば、さらに二千三千まで試みてもよい。
さすれば短息より進んで、無息に入り、いわゆる胎息となるのである。
なおこの数息中、精神恍惚で数を忘れた時は、はじめから数えなおしてもいいし、随息といって呼吸に心を止めるだけでもよい
松本道別の人体放射能の本の数息部分をやくしてにまとめた ( )y-~~( ´)y-~~( ´-)y-~~(´ー`)y━~~(*`◇)<炎炎炎炎炎炎炎