建築専門学校ってどうなんですか?
通っている方、通っていた方、現役の建築士の方教えていただけると幸いです。 ひたすら課題で図面描いてたよ
卒業後すぐに二級取るの目標だから遊んでる暇なかった
建築学んだ気がしないので一級取ってから大学編入しましたね >>2
差し支えが無ければ編入までの経過年数など教えていただけると嬉しいです。
実務数年で1級の受験資格を得るそうですが…
また、大学編入は科目や、難易度はどうでしたか?
(尚、自分は文系の受験失敗危機勢です。専門学校を視野に入れた際、昔夢だった建築も良いなと思った次第です) 20で卒業Sゼネコン地域枠入社→その年度二建士合格
26歳1建施合格、一建士学科合格→翌年一建士合格ここまで27歳
28歳建築学科2年次編入(社会人枠)、同ゼネコン退社
編入試験は有資格者だったんで面接だけです
ちなみに今の建築士は受検資格の要件変わったので建築施工管理だけじゃ受けれないはずです
一番きつかったのはゼネコン勤務しながら資格学校通ってたことです
なんだかんだ3年間仕事、勉強でまったく休んでませんでした。お勧めしません
今はゼネの名義人会社で管理職してます >>4
ありがとうございます!
やはり勤務と資格勉強が重なると大変ですよね。かなりの努力をなされたんだなぁという事が伝わってきました。
調べているとやはり専門学校卒よりも大学卒でなければ厳しいとの意見も多くて悩んでいます。建築業界隈の実情というか働いていて感じることはありますか? ずっと現場出てれば高卒、専門卒でもOKですよ
実際スーパーゼネコン、準大手も高卒所長いますし
設計も同じです、上を見たらキリないですし
そりゃ東大や早稲田出てゼネコンや組織系設計事務所入った方が所謂エリートでしょうが
何百万って建設業従事者全員エリートにはなれませんので >>6
ほぉ…!経験と人格、人脈もある程度大事ってことですね。
確かに全員が全員エリートなんてことはありませんもんね。
自分でも言うのはあれですけど、良い人だとは思うので(笑) 事務所に入ってからの立ち回りや、自身のセンス次第でのし上がって行くしかなさそうですね。
せっかくの機会と縁ですので、不躾ではありますが収入だったり生活の満足度ってどのようなものですかね。
ピンキリなのは百も承知ですが、生の声を聞きたいというかなんというか…。
抵抗があるようでしたら具体的な数字も出さなくて構いませんので! 今はゼネコンの下請けに居ますので資格は特に役立ってません
無条件で主任技術者になれるくらいですかね?
年収はアラフォーで600万強で高くはありませんね
ただ19時過ぎには家に帰れますし家庭趣味に費やす時間は満足してます >>8
なるほど!丁寧にありがとうございました!
受験の結果がまだなのでなんとも言えませんが、いざという時は前向きに建築の方も検討しようと思います!
また質問スレを立てるかもしれませんが、もしその時にもお話する機会があればよしなに! >>7
意匠なんてものを30過ぎまでやっていたら極貧が待っているよ(金持ちの知り合いがいる場合を除く)
とりあえず、現場だけは、必ず経験しとくこと資格とか云々より建築は、まず現場を知ること >>10
独立したり、管理職になったりとかの方が良いってことですかね?
やはり現場に行く事は大事なんですね。
とはいえはっきりしないというか、現場で何を得たら良いのでしょう。
無知なあまり稚拙な質問で申し訳ないです。 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて平塚学園高卒の資格を剥奪された"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
鎌倉市由比ヶ浜在住のこいつん家をけんまするのは大歓迎!!www『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして授業をサボって遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて平塚学園高卒の資格を剥奪されてその後日生学園に転入した挙げ句そこも結局中退した
芸大を受験する資格すらないのに"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
テメーは芸大に一生行けねー時点で庵野を批判する域にすら達していねーんだよ♥
自分のことを棚に上げてエラソーなこと言ってんじゃねー!!人を侮辱するのもいい加減にしろ!!このクズが!!
テメーは何様のつもりだ!!このド低脳がwwwwwwwww
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwww
鎌倉市由比ヶ浜在住のこいつん家をけんまするのは大歓迎!!wwwwwww『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥