神保町周辺のカレーを語るスレ【2辛】
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神田神保町周辺のカレー屋
開店閉店移転
新メニュー限定メニュー
店主の人柄、店の客柄
街の事情
などについて主に語るスレ
メニューや料理の事実を語るだけではなく、大いに主観を交えること
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>>2はテンプレで継承
☆前スレ
【激戦区】神田神保町のカレーを語るスレ(42)
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/curry/1642838654/
【激戦区】神田神保町のカレーを語るスレ(43)
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/curry/1647418421/
【激戦区】神田神保町のカレーを語るスレ(44)
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/curry/1650270890/
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神保町周辺のカレーを語るスレ【1辛】
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/curry/1650754385/ 「まんてんはわざわざ食いに行くほど美味くはないよなぁ」
「じゃあ不味いの?」
「いや不味くはないよ、まぁ普通かな」
「普通、って全く美味くないの?」
「いや腹減った時に近くにいれば、金払えるレベルだよ」
「じゃあ美味いんだ?」
「そういう意味では美味いよ、でもパンチ開いてたらマハル行くわ」
「職場近くもなくて神保町に用事もないけど、まんてん食べるためにわざわざ来る?」
「いいや。しかも神保町はそこそこのカレー屋が多いから、まんてんの訪問順位はだいぶ下だな」
「ランクには入るんだ?」
「どこも開いてなくてカレーが食いたければ、行くかもしれない」
「そもそもカレー食べるためだけに神保町来る?」
「来ないな。それならトリコ行くわ」
「神保町のカレー屋ってレベル高いの?」
「平均点は高いんじゃね?そこそこ美味い店が徒歩圏内に集まってるから、ただ普通に美味いくらいじゃそこには客来ないな」
「普通に美味い、って美味いの?」
「美味いだろ、美味いって言ってんだから」
「美味くない店はあるの?」
「カーマとかは美味くないな、不味くもないけど」
「それって個人の好みだよね?」
「そりゃそうだよ、他人の舌で飯食えるわけないんだから」
「じゃあ神保町のカレー屋はそこそこのレベルで、しかもそこそこ多様性があるから、カレー好きのニーズを満たせる可能性が高い街ってこと?」
「まあそうかもな、まんてんみたいなBグルガッツリもあれば、三燈舎やシャヒダワットのエスニック系、ボンディやガヴィアルの欧風、タケウチ、桃の実、ヒナタヤみたいな和式とか、カーマみたいなマニアックな味、色々あるよ」
「それ全部神保町?」
「いや、小川町とか駿河台、三崎町とかも含めて、だいたい中央線と首都高で囲まれたあたりを広く神保町エリア、って行ってる気がするな」
「なるほど~」 神保町がカレーの街となった理由としてよく挙げられるのが、「買ったばかりの本を片手に読みながら食べるのに、カレーはぴったりだった」という説だ。
神保町界隈には、明治時代から多くの学校が集まり、学生街として発展した歴史がある。それに伴い、早くから書店街が形成され、現在も150店以上の古書店が集まる。これは本の街としては世界一の規模だという。なるほどそんな街ならば、すぐに本を開きながら食事がしたい、という説にも一定の説得力が出てくる。
ところが界隈でカレーを食べていても、そうした光景にはなかなか巡り合えない。神田カレーグランプリを主催する神田カレー街活性化委員会委員長・中俣拓哉氏はこう話す。
「実際のところ神保町界隈のカレー店の多くはお客で混み合っていたり、席数が多くなかったりして、本を読みながらゆったり食べるような雰囲気ではないんですよね。私もそういう人はあまり見たことがありません」
はたして神保町は、いつ頃から、どのようにしてカレーの街となったのだろう。そこで、日本唯一の雑誌図書館である大宅壮一文庫(東京都世田谷区)にて、過去の雑誌の記事をあたってみることにした。 神保町がカレーの街となった理由としてよく挙げられるのが、「買ったばかりの本を片手に読みながら食べるのに、カレーはぴったりだった」という説だ。
神保町界隈には、明治時代から多くの学校が集まり、学生街として発展した歴史がある。それに伴い、早くから書店街が形成され、現在も150店以上の古書店が集まる。これは本の街としては世界一の規模だという。なるほどそんな街ならば、すぐに本を開きながら食事がしたい、という説にも一定の説得力が出てくる。
ところが界隈でカレーを食べていても、そうした光景にはなかなか巡り合えない。神田カレーグランプリを主催する神田カレー街活性化委員会委員長・中俣拓哉氏はこう話す。
「実際のところ神保町界隈のカレー店の多くはお客で混み合っていたり、席数が多くなかったりして、本を読みながらゆったり食べるような雰囲気ではないんですよね。私もそういう人はあまり見たことがありません」
はたして神保町は、いつ頃から、どのようにしてカレーの街となったのだろう。そこで、日本唯一の雑誌図書館である大宅壮一文庫(東京都世田谷区)にて、過去の雑誌の記事をあたってみることにした 館内の端末で検索したキーワードは「カレー 神田」「カレー 神保町」の2通り。いざ出てきた誌面を俯瞰してみると、時代の“断層”のようなものがくっきり浮かび上がった。なんといっても意外だったのが、2000年より前は「神保町=カレーの街」というのがそれほど浸透していなかったことだ。
1990年代後半は「知る人ぞ知る」
・「ビルの谷間に(カレーの)名店が神田にはある」(Hanako 1991.10.17)
・「ラーメンのメッカは荻窪。それでは、カレーのメッカはど~こだ? 知る人ぞ知る、それは神保町なのである」(東京人 1998.06)
・「荻窪や恵比寿といえばラーメンが有名だが、カレーのメッカは? 何を隠そう神田神保町なのである。理由はよくわかりませんが」(散歩の達人 1999.02)
1990年代前半時点では神保町=隠れたカレー街、という雰囲気だ。1990年代後半になっても、まだ「知る人ぞ知る」という扱い。そもそも1990年代は検索にヒットするもの自体がかなり少なかった。
当時すでにカレーの名店はいくつもあっただけにカレー好きには「神保町=カレーの街」というのは周知の事実だったかもしれないが、一般的にはまだほとんど知られていなかったのだろう。
しかし2000年代初頭、神保町カレー特集のラッシュが起こり、状況は一変する。
・「この街には、カレーの店がずいぶんあって、いずれもうまい」(東京人2000.02)
・「神保町はカレーの超激戦区。『この一角だけで35軒以上あります』」(散歩の達人 2000.04)
・「神保町には、古書の街という顔とは別にカレーの街という顔もあることを知ってましたか?」(Hanako 2000.5)
・「食べたくなったらカレータウン神保町へ」(BRUTUS 2000.6.15)
・「洋食、中華、定食屋、喫茶店などでカレーを出している店は80軒は下らない」(dancyu 2000.7)
・「なんだか突然のカレー流行りである(中略)ブームの“発信源”の神保町を改めて歩いてみた」(Title 2000.8)
・「本の街? スポーツの街? 楽器の街? いやいや、店ごとに独特の進化を見せる、カレー最先端の街!」(東京ウォーカー 2002.5)
このほかにも多くの特集がこの時期に組まれており、こうして集中的に取り上げられることで、神保町=カレーという認識はかなり一般化したのではないか。だから、いつからカレーの街になったかという問いに対しては、マスレベルに浸透し始めたこの2000年代初頭というのが1つの答えになるかもしれない。 「聖地」でカレー屋をやりたい
そしてもう1つ大きかったと思われるのが、やはりメディアの力だ。1990年代の時点で神保町には前述のとおりカレーの名店が集まっていたが、雑誌などのメディアが2000年以降にそれを“発見”したことで、神保町=カレー街という概念がはっきりと視覚化された。
その後、インターネットが広く普及し、加えてグルメサイトが台頭したことで、情報がより広がりやすくなる。さらに2011年からは神田カレーグランプリがスタート。これが毎年4万~5万人を集客する大イベントとなったことで、神保町=カレー街という構図は一層強化されたのだろう。
実際、神保町界隈のカレー提供店は、2000年以降も大きく増えているという。もともとカレーの名店が集う下地があるところに、メディアによる拡散でそれが広く知れ渡るようになり、以降は「カレーの名店群が後続のカレー店を呼ぶ」というスパイラルがより強化されていったイメージだ。結果、世界でも類を見ないカレー店の一大聖地が誕生する。前述の神田カレー街活性化委員会・中俣氏は言う。
2019年5月オープンながら話題となっている南インド料理店・三燈舎。界隈では現在も名店が続々とオープンしている(筆者撮影)
「店主さんたちに出店した理由を尋ねてみると、多くの方が『どうせカレー屋をやるのなら、神保町界隈に出したかった』と話されます。また、神田カレーグランプリを始めてからは『なんとかグランプリを獲りたい』と、神田にわざわざ支店を出すチェーン店も目立つようになりました」
雑誌の過去記事から見えてきた、神保町のカレー街化の意外な側面。インターネットに膨大な情報が上がる現代にあって、当時の空気がそのまま保存された古い雑誌の誌面はある種の秘境といえるかもしれない。そんな秘境を古書店であさり、その足でカレーを食べるなんて時間を過ごすのに、神保町以上にうってつけの場所はないだろう。 神田カレー店 今昔
共栄堂 宮川さん
神田神保町界隈は江戸時代から幕府のお膝下として発展してきましたが、明治以降(明治10年代)は現在の明治大学、日本大学、中央大学、専修大学の前身にあたる学校が相次いで創立され、それに伴い書店街が生まれ、商業地域としてさらに発展し、飲食を商う店も増えてきました。大正12年の関東大震災でこの地は相当の被害を受けたものの、復興も早く大正13年には共栄堂がスマトラカレー専門店としてスタート。同年神田須田町には須田町食堂(現 株式会社聚楽)が創業しメニューにカレーを掲げる店が出てきました。 共栄堂 三代目代表取締役 宮川泰久さん
創業時は洋食屋としてスタートしましたが、カレーのメニューは最初から。初代が、友人からスマトラ島のカレーの作り方を教わり、日本人の口に合う様アレンジをしたのが当店のカレーです。昭和50年にはカレー専門店にして今日商売させていただいています。
自分が跡を継いだ30年前にはあまりカレー店はありませんでした。ボンディさん、まんてんさんくらいでしたかね。
先日テレビ局の取材があった時はこの界隈にカレー専門店が60店以上と言ってましたが、7年前は30店ぐらいでしたから、ここ数年で急に増えてきてますね。
スプーン1つで、本を見ながら食べられるということで、本の街のおひざもとの神保町で、ありがたく営業させていただいてます。新しいお店が出てくるのはいいことですが、同じ食が集中するのはいいことなのか?ラーメンとカレーに偏り過ぎて街自体が変化してしまうのが心配ですね。カレーグランプリなどの活動が、よい形の地域活性化になるとよいですね。 エチオピア 二代目代表取締役 鈴木堅司さん
当店は昭和63年4月にカレーとコーヒーの専門店としてスタートしました。店名の由来は当事扱っていた「エチオピアコーヒー
にちなみます。以来古書店の町ならではのお客様にご愛顧いただきながら今日まで商いさせていただいております。当店がスタートしたころは共栄堂さんはじめボンディさんなどカレー専門店がすでにありましたし、今日では日本一のカレー激戦区となっています。創業当初から、香辛料や素材の選定、作り方、カレーの味には決して妥協しないでやってきました。これからも神田地域の活性化はもとより全国に向けて広くエチオピアのカレー、神田のカレーを発信していきたいですね。 神田カレー店の老舗
共栄堂 1923年(大正13)
ボンディ 1973年(昭和48)
まんてん 1981年(昭和56)
ガヴィアル 1982年(昭和57)
エチオピア 1988年(昭和63) まんてん
昭和56年創業のまんてんは、神田錦町生まれの江澤昭夫氏が、サラリーマンや大学生におなかいっぱいになってもらいたいとリーズナブルな値段のカレー屋ととんかつ店を同時にオープン。並カレーが450円、カツカレーでも600円という価格でボリュームたっぷりのカレーを堪能できます。常にほぼ満席状態の店内なので、書店で買ったばかりの本を片手に食べるというスタイルは、こちらでは遠慮したほうがよさそうです。 東京・神田界隈が「カレーの街」になったワケ ある古書店主の思い
食生活が豊かになるなかで、海外から持ち込まれたカレーはいまや国民食に。東京・神田周辺にはカレーを提供する店が400軒以上集まり、都内きっての「カレーの街」となっています。「本格的なカレーを食べる文化を日本でも広めたい」。専門店が立ち並ぶようになったきっかけの一つに、ある古書店主の思いがありました。(朝日新聞東京総局記者・横川結香)
材料はアカガエルやネギ、ショウガ……。
1872(明治5)年に横浜で発行された料理本「西洋料理指南」で紹介されたカレーの材料の一部。小麦粉でとろみをつけるなど現在の手順と大きく変わらないものの、材料の「アカガエル」が目を引く。
日本のカレーは横浜開港後に、英国製のカレー粉が輸入されたことで始まったという説が有力だ。だが当時は、高級官僚などごく一部の人が口にする珍しい料理だった。 「本格的なカレー文化を日本でも」
カレー総合研究所の井上岳久さん(49)によると、庶民がその存在を知り始めたのは、旧陸海軍の食事に採用されてから。鍋ひとつで大量に作ることができ、栄養バランスがいいカレーは軍隊で重宝された。「退役した人々が故郷に帰り、食卓で作ったことで全国的な広がりを見せた」と井上さん。戦後は学校給食のメニューになり、幅広い層に親しまれる味に成長した。
東京の店でカレーが出始めたのはいつごろか。
都市の労働者が増えて外食文化が栄えた大正時代、手ごろな値段で洋食を楽しめる「須田町食堂」(現・聚楽)などの大衆食堂で親しまれていくが、カレーを一押しのメニューとして出す店は多くなかった。
かつて同食堂もあった神田周辺は、いまや都内きっての「カレーの街」。カレーを提供する店が400軒以上も集まる街だが、専門店が立ち並ぶようになったのはここ40年の間だ。有名店のひとつ「欧風カレー ボンディ」も、1978年に神田古書センターの2階で開業した。
「豪華な内装の店内で本格的なカレーを食べる文化を日本でも広めたい」。ビルの持ち主で古書店「高山本店」の店主、高山肇さん(70)がロンドン留学中に味わった感動が誕生のきっかけ。高島平でカレー店を営んでいた故・村田紘一さんに打診し、店の一切を任せた。ビーフカレーは当時で880円と割高だったが、学生が多く集まる街でもじわりと支持を広げた。
同じころ、元は洋食屋だった「共栄堂」がスマトラカレー専門店として新装開店。その後徐々に、カレーを売り物にする店が増え始めたという。 進化するカレー「うまければ何でもいい」
家庭用の固形ルーの種類も豊富になった70年代、カレーは正月も食べる料理として人々に選ばれ始めた。
「おせちもいいけどカレーもね!」。ハウス食品は76年、レトルトカレーをPRするCMを放映した。店が休む年末年始の買い置きを誘い、商品は大ヒット。キャンディーズに始まり、芸能人を起用したCMは2006年まで続いた。30年で正月のカレーは当たり前の選択肢になった。
北海道のスープカレー、エスニックカレー、金沢カレー……。各地で流行したカレー店が集まり、最先端の味を楽しめる街・東京。17年に新たに仲間入りしたのは大阪発の「スパイスカレー」だった。
味や作り方の定義はなくはっきりした由来もない。「誰か」が言い出した言葉がインターネットなどで広まった――という説がある程度だ。その一つに数えられる下北沢の「旧ヤム邸シモキタ荘」は、藤田一也店長(37)が創作した2~3種類のルーと副菜を盛り付けた一皿を出す。
時代を映すかのように、カレーは自由に姿を変えて進化してきた。藤田さんは言う。「分類なんて後付け。うまければ何でもいいんじゃないでしょうか」 共栄堂
神田神保町で現存最古のカレー店なら、創業大正13年(1924)の『共栄堂』。初代が教わったスマトラ島のカレーをアレンジして提供した。「当初は御茶ノ水駅そばの洋食屋で、カレーの種類はポークだけでした」と3代目店主。現在地へ移った戦前には『三省堂書店』にあったカレーも人気で、「神保町のカレーなら、共栄堂か三省堂食堂」と言われた。 1975年に『共栄堂』が建物のビル化を機にカレー専門店となった頃、街にはカレー店が台頭。その1つが『ボンディ』だ。
「うちは高島平で始めた『インディラ』という店が前身。古書センターのオーナーから出店を誘われ、78年のビル完成と同時に開店しました。欧風カレーは珍しくて注目されたようです」と神保町本店店長。以後、70〜80年代に『まんてん』、『ガヴィアル』、『マンダラ』、『エチオピア』などの名店が次々開店した エチオピア
カレー通が通う名店。高田馬場やお台場にも支店あり。
共栄堂
黒くてサラリとしたルーが不思議。日本で唯一味わえるスマトラ島のカレー
カーマ
野菜不足には有難い、大ぶり野菜が入ったヘルシーカレー
マンダラ
本格的なのに食べやすい、女性にも人気のカレー店
ばんび
タイ風とインド風、両方を味わえる店。いずれも辛さ度は高めでおいしく刺激的
ムアンタイ
店内は、タイの高級リゾートホテルのような気分が満喫できます。
メナムのほとり
ランチタイムはお得なセットが人気。トムヤクムクンラーメンはやみつきになる味
まんてん
ノスタルジックな店、味、演出。神保町の名物的カレー店といえばここ
キッチン南海
お昼は行列ができるほどの人気店。ボリューム満点のお店です。
キッチンカロリー
熱々でボリューム満点の鉄板焼きランチが、600円台という驚きの低価格で
レストラン七條
2代目シェフが腕を振るう実力派洋食レストラン
パンチマハル
神保町では珍しくカレーヌードルが食べられます。カレー激戦地での新勢力。
トプカ
様々な具材を駆使した欧風とインド風の2種類が食べられます。
シャヒダワット
インド風の釜飯ともいえる「ビリヤニ」が食べられる。 ジンコック
ヒナタヤ
三燈舎
タケウチ
男気豚カツカレー
武膳(うどん)
べっぴん舎
ネイビーズ
サンガム
ピアノフォルテ
ジャズ!オリンパス
ディラン
チャントーヤ
エブラック
チャボ
ヤミツキ
桃の実
インド富士子 スパイスボックス
カレーノトリコ
カリガリ
リリーカレー >>1
百レスちょいしか行かなかったクソスレの後継スレを立てるのは止めろ >>1
勝手に 【激戦区】神田神保町のカレーを語るスレ(44) の後継スレを名乗るな
正統後継スレは 【激戦区】神田神保町のカレーを語るスレ(45) であるべき S 桃の実 トプカ エチオピア ボンディ パンチマハル バンゲラズキッチン アロマズオブインディア
A カリービト ディラン べっぴん舎 鴻 タップロボーン 三燈舎
B カーマ ばんび カレーは飲み物 共栄堂 サイノ シディーク
C MAJIカレー 日乃屋 まんてん 南海 BUCCI うどの スパイスキッチン 大勝軒 アパ社長 その面子でパンチマハルがSは無い
せいぜいBくらいだろう 最初ドライカレー食べていまいちだったので別の食べようと思ってたんだが カレー板のあちこちのスレで宣伝していたクソスレはここですか バーカ八丁堀、東京駅、有楽町とあるだろうが
早く死ねよ情弱 5ちゃんにいちいち目くじら立てるなよ
もっと心に余裕を持とうね 周辺なら確かになw
例の神田カレーだって四ツ谷から大手町や日本橋とかまで入れてんだし、ギリ周辺扱いですらなさそうw じゃあこれ以降は神保町の話題は禁止
スレタイ通りに周辺の小川町とか猿楽町とか大手町とか以遠の話題のみに限ること インド富士子ってやってるかどうかよく分からん
ツイートない日でもやってんの? >>47
インスタで告知してる
急に休むことあるから必ずインスタ確認
こんなんだから経営危なくなるんだんよなあ
美味しいのに ちなみにインスタのストーリーズ今日は何もなし
そういうとこやぞ インド富士子は猿楽町で周辺なのでOK
最近、ランチ営業を良く休むようになったな
あれ?道に看板出てないってことが結構多い
なお今日は元々休みだけどな 12:00〜ってのもなぁ
混み具合どうなん?
職場からちょい遠くて、やってなかったら嫌だから行ったことないんだよな 12:00富士子からパンチって遅くね?並んでるよな >>52
パンマハは神保町なのでスレチ
スレタイ通り周辺の話題に集中しろ インド富士子からの転舵だとパンチ、まんてん、Rスリランカ、セイロンドロップ、サイノあたりか >>58
こいつカレー板の嫌われ者でサイコパスだから相手にしない方がいいよ 洋食屋だけどメニューのラインナップからカレー屋と言っても間違いではない
コスパがいいし結構うまいよ
スマホ中毒じゃなきゃオススメ
詳細はこんなクソスレでは書けないけど ゴメン!
仙臺は神保町だから神保町周辺限定スレのここにはそもそも書いちゃいけないんだった >>69
なるほど、行ってみるかな
あそこまで行くと、ついパンチ行っちゃうんだよな 仙臺はパンチマハルとかカーマとか
目当てのお店がやってないときの代打って感じ 神保町周辺てことは周辺を歩いて1分と定義すればメナムとボンディと共栄堂の話題だけ出さなきゃOKだなw
じゃあ何も問題ないね そういえばまんてんなうどこいった?
明治か専修卒業してどっかに旅立ったのかな メナムのほとりのランチってバナナ揚げが最悪に嫌い
カレーも少ないし 淡路町から大手町寄りに2〜300m行ったあたりに、マミタスパイスって間借りカレー屋ができてた
煮込みがいい感じでなかなかうまかった 10年ぶりくらいにエチオピアでビーフ以外=チキン食ったが、相変わらず肉パサパサで食えたもんじゃない
エチオピアはビーフ一択だな ディランもそろそろ10年くらい経つか?
当初は色々試してた感じだったが、ココナッツミルク風味で定着したんやろか? カレートライアングル脇の三月の水ってなかなかイケてる
周りのライバルが強力すぎて訪問順位上がらないが、年末、向かい側が閉まってる時に重宝した
と言っても、ばんび、ヒナタヤまで満席全滅することってまずないけど 三燈舎は並びが落ち着いていい感じだな
12:00前ならほぼ並ばず座れる Rスリランカ、そろそろオペレーション落ち着いたかね?
カレーの味ブレブレだったが ジンコックの並びはアレ酷いな、そんな並ぶレベルじゃないだろうに
10年前よりスパイス使いが上手くなったのは確かだけども 魚とん(トロ肉つけ麺)もなんか最近並んでるな、なんでだ? ボンベイってうまくねー上に、唐辛子の辛さ調整が単純で食えたもんじゃねー T.diningの黒カレーはカツカレーにかけるレベルならまあまあだけど、カレー単品では弱い
カツカレーだと1,400円ってのもまた
だったら邪魔なもんないロースカツ食うわな、肉うまいから そば屋TENのカレーそばってドロドロ小麦粉カレーで、そばぐちゃぐちゃになる、妙な食い物
そばが強いから食えるし、まぁうまい
あとは好みだな 淡路町?須田町?の京風カレーおこしやす
ダシで炊いたメシ、鶏そぼろがめちゃうまいけど、カレーは並
そぼろ丼でカレーちょい足しオプションくらいにした方がいいんじゃないか タケウチは相変わらず、カレーというより洋定食
カレーのジャンルに入れるのはためらわれる
おこしやすは、こういう方向性の方がうまくいくと思われ 変わらないと言えば、ジャズ!オリンパスも変わらない
まぁアレはアレでいいか
赤いココナッツミルクカレー 駿河台坂下のたまご軒って中身のケチャップライスがうまくねーんだよな
スジカレーはまあまあなんだけど量が少ない
カレー屋じゃないからしょうがないけども
ここの評価もT.diningに近いな まんてんはいつ見ても並んでるから、食わない
最後にいつ食ったかも忘れた
たぶん10年くらい前
回転どんなもんだったかな
5人くらいならすぐ入れた気がするが 神保町周辺で11:00台に行って並ぶ店って、そうそうないよな
エチオピアすら、早めに行けば並ばない
ジンコックとまんてんくらいじゃないか ジンコックは営業時間が短いせいでは
夜も3日しかやってないし >>99
そーいうこと?なんせあの並びだと昼休みランチにはちょっとな
中の席を間引いてるのも関係してるか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています