89歳合唱指揮者・田中信昭さん、一番とんでもない曲は
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK2251BYK22ULZU007.html

 合唱とは、決して心をひとつにすることではない。昨年、
文化功労者になった合唱指揮者、田中信昭はそう言い切る。
プロ、アマチュアと縦横に広がる日本の合唱文化の礎となり、
今なお現役で駆け回る。「肉体が波動を起こすやり方は人それぞれ。
他者との違いを確かめ、自分だけの人生を生きる力を得ること。
それが、歌というものが存在する理由にほかならない」

 89歳。岩城宏之、山本直純、林光、三善晃ら、西洋の
借り物ではない自分たちの音楽文化を戦後日本の焦土に築こうと
奔走し、先だった盟友たちとともに受けた栄誉と感じている。

 大阪の中学校で音楽の教師をしていたが、本格的に歌を学ぶ
夢を諦めず、東京芸術大学声楽科へ。言葉こそが音楽の母、
とドイツ歌曲の名匠ネトケ・レーヴェに学び、日本独自の歌の
文化を育てるべく、卒業式のその日、声楽仲間と東京混声
合唱団を創設する。

 初演した曲は約450曲。楽譜を受け取り「おお、変な曲。
よし、やってみるか」。この繰り返し。「とんでもない曲が届く
ほどうれしい。今でもね」

 一番「とんでもない」と思ったのは、柴田南雄の「追分節考」
(73年)だ。「日本の民謡の素材だけで書いて」という田中の
難題に対し、柴田の答えはシステム化されたクラシック音楽の
やり方、つまり楽譜と指揮による奏者への束縛を放棄することだった。

 指揮者が手にするのは指揮棒ではなく、複数のうちわ。
奇声や追分のユニゾンなどを意味する様々な指示が書かれている。
積み上がってゆく音響空間のなか、指揮者は即興的に次の指示を
出してゆく。すべてが混沌(こんとん)、筋書きのない即興芝居
さながら。「奏者ひとりひとりが己を解き放ち、音で空間をつくる
『遊び』に主体的に加わってゆく」。合唱そのものの本質を射抜いた
野心作は、今や合唱界の主要レパートリーだ。

 最も嫌いな言葉は「予定調和」。「わざわざホールに足を運び、
いわゆる名曲をいままでと同じような演奏で聴かされて何が
楽しいのか。破綻(はたん)のない『芸術』ほどつまらないものはない。
生きている以上、新しいものに驚き続けたい」
(編集委員・吉田純子)