歌で人を感動させたいです。
私は、部活動でミュージカルに取り組んでいる高校一年生です。
毎日発声をしたりして頑張っているのですが、自分の歌には人を感動させる力がないと思っています。
みなさんが今まで歌によって感動したのはどんなときか、また、詳しい方にはアドバイスをいただきたいです。
よろしくおねがいします。
腕三角巾とか松葉杖・車椅子。身障者と健常者の共同作業。 「どれだけ上手に歌えたか」では感動しません。
「どれだけステージに気持ちがこもっていたか」で感動します。
ようは、歌う側の気持ちです。技術ではありません。
感動させようとして歌ってる合唱って、そうとうウザイ。
歌い手が曲に共感できないのに、感動させようとしてくる演奏のことね。 「人を感動させる」
この考え方はあつかましいと思う >>3
かと言って音が外れまくりで感動するわけでもあるめい。
空とぶうさぎ
協ちゃん最後の雨
Y工グリーは感動したなぁ。
あと個人的なのがもうひとつ。 >歌で人を感動させたい
で、思い出すのは…
「合唱を芸術の域まで高める条件は、
それは唯一、人の心を感動させることだ。
そして人の心を感動させることが出来るのは、人の心だけなのだ。
材料や技術だけでは駄目だ!!
それがわからぬ人間が究極の合唱だなどとぬかしおって、
おまえには歌を語る資格はない!!」 「させたい」なんてのはおこがましいな
気持ちを伝えたい だ 聞いた人が感動するかどうかは、相手の問題で、結果論であり
自分は誠実に、歌を磨けばいいんじゃないの?
感動させようと思って歌ってる奴がいるとすれば、
「思い上がるな!」といって水でもぶっ掛けてやりたい。 「感動」というのは「させる」ものではない!たとえ、感動の演奏があったとしても、それは自然に心を打たれたにすぎない……
よって、演奏者側が感動させるための演奏をスローガンにしてる人でろくな人はいないのでは?! >自分の歌には人を感動させる力がない
マジレスすると、感動する=上手い は違うでしょ。
決して上手くない歌だって、思い入れとかそういうもので感動できる事はあると思う。
っていうか人を感動させるために歌ってどうするの?
自分の歌で感動してる人を見て自己満足するだけですか?
きっと>>1は切実なんだろうが、だからこそ理解に苦しむ。 ↑言えてる。
かなり前の新聞か何かに載っていたのだが、
ある合唱指揮者(全日コン審査員経験)が、
毎年のように全国大会へやってくる某高校の定演に行った時の感想として、こんなことを話してた。
『たしかに上手い。
しかし何かが伝わってこない。
楽譜通りに朗読しているだけであって、
詩の世界が見えてこない。
コンクールで勝つことだけを目標に練習してきたことの弊害かもしれない』
てね。
だから、
下手だけど感動した!ということも有り得ると思う。
自分が感動させたいのではなく、聴衆が感動するか、ですよ。 某高校じゃダメよ。反面教師なんだから、ちゃんと実名を出しなさい。 >>15
しかし、演奏側が
「気持ちを込めて歌った。下手だけど感動してもらえるはず」
などという発想で歌われると(極端ではあるが)、
技術優先主義以上の問題があるように思うんだが。
下手ながらの努力(による感動)は否定せんけど、
それ以上に技術に支えられた感動ってのはあると思うけどなあ。
技術偏重主義というか、それなりに表現法を身につけるには、
当然技術力は必要になってくる訳ですし。 >>17
そうだね。
気持ちも大切だろうが、
やっぱり音の技術も大切なんだよ。
上手にそれを折半できてるとか、
どちらも非の打ち所がないなら感動できるさ。
失礼な言い方だけど、
障害者の音楽というので感動を呼ぶのは、
完璧に気持ちというのを強調しているわけだ。
自分はあれでは感動できない。
あとは個人的な琴線に触れるとかは例外かな。 定演のミュージカルは、どこも不評なのに、
「人を感動させたい」などと、聴衆に上から物を言うような
失礼な部員がいる高校がどこか知りたいなあ でも郡山東の企画ステージは凄かったぞ。
全く無内容、ノー天気なんだけど、異常なハイテンションで、
一見客の私は呆気に取られたままだった。 自分自身が聴衆として演奏に感動した経験があるなら答えはそこにあるよ。
どうして感動したのか考えて、それに向けて練習すればいい。
その理由がよく分からないってのは充分有り得るけどね。
でも他人の演奏を聴かない人には永遠に分からないし
そういう人が「自分の歌で感動してよ!」ってのはとっても図々しい気がする。
自分は気持ちが込められてるとか関係なく技術的に圧倒的な演奏に感動する。
ほんとに数回しか経験ないけど。
数分数時間の音楽だけで歌い手の心まで見えるとは思わない。
なんとなく演奏が冷たいとか楽しいとか熱いとか感じて妄想することはできるけど、
それだけで決め付けるのはちょっとね。 音楽部ミュージカル
:名無し讃頌 :2006/03/30(木) 19:11:49 ID:b30+00lE
>>469
ミュージカルは自分達が内輪で楽しむためにやるものという感じ
になっていますね、たしかにもう少し合唱を中心にして欲しいという
気はします。どこの高校でも流行っているみたいですが、観客は
しらけ気味のことが多いです。
:名無し讃頌 :2006/04/04(火) 10:11:17 ID:OEksgJf2
>>493
ミュージカル「不思議の国のアリス」って、幼稚園でも招待してるのか
最近の流れ読めず、叩かれるの覚悟の否学カキコ乙
>>1
詳しい方にはアドバイスをいただきたいです。
よろしくおねがいします。
合唱版に、ミュージカルに詳しいのいる?
詳しい人出てきて、このすばらしい高校生にアドバイスしてやってください。
>>1
参考
うたう時に、詩が、自分の中に入ってくるっていう感覚、わかる?
詩が自分の中に入ってくると、本当の意味でそのうたがうたえるようになると思うんだ。
感覚的にとらえればいいと思う。詩は。
例えば、「生きる」っていう言葉が詩の中に出てきたとしよう。
そしたら、「生きる」っていうことに対して、自分が感じてること、そのままうたにしてみよう。
言葉一つ一つに対して、なにか感じるものがあると思うから。
今度は、もっと大きく、詩を全体として、一つの言葉のつながりとしてとらえてみよう。
言葉がつながっていくことによって、一つの世界ができ上がる。
その詩の世界が。
その世界を、うたってみよう。
自分が感じた世界をうたえばいい。
自分が感じとった世界を。
なにか感じてみよう。
上のは、合唱の場合。でも参考にはなるかな。
ミュージカルの場合は、詩の世界っていうよりは、
登場人物一人一人の心、気持ち、物語、がうたになってるから、
その、登場人物の気持ちを自分なりに考えて、
少しでも登場人物に近づけるように、なりきれるようにって、
もう、なりきっちゃっていいから、
そういう風にしてうたったらいいと思うよ。
物語をよく読んで、何回も読んで、何回もうたって、
そうしたら、だんだんうたが自分の中に入ってくるから、
そしたらね、心からうたう。
心からうたうの。
そしたらきっと、人を感動させること、できるよ。
自分には絶対音感があると言ってしきりにアピールしてくる姉がウザス。才能なさそうな人が言ってもミグルシス。サムイ。キモイ。シンデホシー。 どこの高校?
合唱じゃなくて、ミュージカル中心ってとこあるんだ。
普通はこれからは、コンクール曲の練習じゃない
>>30
申し訳ないが、うちの母校はミュージカル中心だ…。
コンクールには出んわな。曲は歌ってみたりするが。 自分が感動しないと人を感動させることなんてできないよ。 自分が冷静でないと人を感動させることなんてできないよ。 >>34-35
どちらか1つだけでは人を感動させることなんてできないよ。 俺さ、
合唱祭とかで、真面目に真剣に歌ってるの聴くと
涙が出るんだわ。
10回の合唱祭で1回1団体ぐらいだけど。
感動って何だろう?どうして感動するのか自分にもわからない。 感動は結果であり、定義なんて難しいでしょ。
人間を定義するようなもんだ。
感受性の問題もあり、その辺のレベルは日々異なる。
客観的に見て、全て良い演奏が良い感動を生むとは限らないと思う。
私は、演奏が上手いとか、下手とかではなく、「素直で自然な演奏」
に感動する。
歌われた作品自体に、その要素を含むものもあるし、合唱団自体にその要素を
含むものもある。
両者が揃えば、最高の感動が生まれることでしょう。
気持ちを込めて歌うのにも技術がいるとひしひしと感じる今日この頃 自己満足に過ぎないお涙頂戴ほど見ていて寒々しいものはねえよ 感動させたい相手の過去を調べて
大きいイベント(自分の結婚や肉親の死など)を思い出させる歌を歌えばよいと思う >>45
>自分の結婚や肉親の死など
あまりに発送が貧困w ぶっちゃけ>>1の発想が最も貧困
まずは自分が感動するような歌を歌え。話はそれからだ。 感動「物事に心を動かされること。」
歌がうまいとか、表現力もあるが、
観客にアピールすることばかり考えず、
過去に失った人に向けて、友人思い出しながら
別世界の友人に向けて今の気持ちを伝えようと歌っています
つまり、観客のことばかりあまり意識し過ぎず、客にこびず。
歌う方向を換えて、
自分(歌い手)が、過去の肉親が居ると思われる「天国」にむけて
歌うことが、肝要。
さすれば、歌声は指揮者を越え、観客を越え、天国へ届くであろう。
無 心を揺さぶる音色を出せばいいんだけど相当の技術(と体力)が要ると思う
最初はどれだけ歌に真実味を込めれるか、じゃないかな
演技っぽい箇所が見えても駄目、無心になるのも大切。
集中してクタクタになるまでの練習あるのみ。(ダラダラ長くやってもイクナイ) 人を感動させる!
大切なことです。
それよりも大切なこと。
自分が感動することなんです。 でも、へんてこな歌でも感動する人いるね。
「全ての人が感動すること。」が条件でないならば、
私は、一生懸命純粋に歌う合唱団を聴くと感動してしまう。
感動「物事に心を動かされること。」
ttp://www.youtube.com/watch?v=7dmy7MeEWdg&mode=related&search=
ま、お約束だけど。 音程、リズム、楽譜の記号に忠実に再現できたあとの作業がありますね。
「感情移入」これも難しいことなんでしょうね。
邦人の作品は、日本語で書かれていますから、歌っていても言葉、文章の意味がわかります。ですから「悲しい場面」
は、多分「悲しい感じで歌う」と思います。これは、言葉の意味を理解してますから、当然だと思います。
ですが、外国の作品は、普通その原語で歌われますから、意味を理解していないと、「言葉の持つ特質」を表現しきれない
場合が発生する可能性を残すわけですね。
それで、その作品の「翻訳集」とか「歌われていた時代」、「歌われていた場所」とかを調べてテキストとして配布
する作業が、合唱団として行なわれてますよね。
たぶん、厳密に言えば、「当時のその場所での歌い方が再現できれば」聴きに来てくれる「わかる方」も喜んでくれるのかなあと思います。
邦人作品も、その作品が作られたところまで、演奏会のまえにツアーで出かける合唱団もあると聞きます。
詩を読むことだけでも、大分ちがいますよね。
海外、国内の作品を問わず、この「言葉(文章)の持つ内容」により、表現もなされなければ
ならないのでしょう。
これは、「歌いかた」を「その場面」により「その場面にあわせ」「変化させる」こと
つまり、皆さんがいつも練習でやられていることを、演奏会本番で行なうことが、大切なのでしょうね。
実力を発揮するためには、練習に練習を重ねること以外には,ないような気が致します。
普段の練習で先生に指示された、内容(含む;歌い方の表現法)を鉛筆でもれなく書き込むことが大切だと思います。
演奏する目標
作者の楽譜指示に従うことは、当然ですが、その次の課題(最終目標)としては、
「作曲家の感情を表す。
つまり作曲家の想いを伝えることです。
では、誰に伝えるのでしょうか?
それは、「神」に伝えるのです。 」
これは、著名なチェロの演奏家のお言葉でした。(テレビで昨日見ました。)
この演奏家は、観客に向け演奏する訳ではなく、「神に」むけて
演奏するのですから、彼の演奏が普遍的であることは、いうまでもありません。
私たち演奏家は、時代考証、地域考証もやらなければなりません。
私たちは、作曲家直接の指導を受けて歌うのがいちばん贅沢なことだと思います。
まさに、彼の「想い」「こころ」「感情」を直接指示されます。
彼の想いが、作品のハーモニーの中で「色とりどりの音色」として表現され、
綺麗な、絵画を見ているような世界に引き込まれます。
これが、合唱の醍醐味だと思います。
なんだか、お話しが、ややこしくなりましたが、すみれは、うたの「こころ」とは、
その作品に合致した、「音色」の創造なのかなあと思っています。
いつでも、どこでも、声の「色気」(音色をはっきり表現できる歌い方)
の演奏ができれば、すばらしいと思います。
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プギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 57です。
理論とかもありますが。
まずは、練習を何回も重ねることにより、音符とか、歌詞とかを
越えて、それを「歌」にかえること。音楽するんです。
何度も反復練習することにより、音符、歌詞を離れたものに
変化して、余計なこと(音程、歌詞)を考えなくてもシング ア ソング
出来るよになったとき初めて「自分の気持を素直に表現すること。」が
可能になると思います。
目的は、「気持を相手に伝え感動させることではなく」
→「自分の気持を素直に表現できる」までの過酷とまで言える練習なのです。
これが、普遍的なものです。演奏を聴く相手が何人いても
「自分の気持ちを素直に表現すること。」
この単純明快なことが、実に難しいことなのです。
名だたる巨匠は、これが得意なんですね。たぬきくん 私は、あまり合唱に夢中になりすぎて勉学をおこたり
親に勘当されましたが何か? 57>
いいですね〜!!
後は音楽性と、
指揮の能力と、
発声の知識と、
上手く人をまとめる力があれば、
優秀な合唱指揮者になれるのですが・・。
すでにプロかもしれないですけど!!
がんばってください!!
他人を感動させることを目的とした演奏は、不快感や後味の悪さを残します。
そんなことを考えずに、純粋に曲に向き合ってほしい。 そうですね。
観客を意識し過ぎない。
自分の気持ちを素直に表現出来れば。
先ずは、人のために歌うのではなく、純粋に歌う。
観客を意識しなくても良い、普遍的なものを探すことが
出来た人は、観客に媚びない音楽が出来ると思います。
この「普遍的なもの」については、ここでは触れません。57
たぬきくんです。
普遍的なもの
それは、「富士山」です。
観客の後ろの方の木々に歌えば
アピール度も増す。
感動させるっていうのはつまり、最大の演奏効果を挙げるってことでおk?
俺は大きく分けて選曲、演奏者、場面、環境、聴衆の全てを鑑みる必要があると思う。
選曲:どんなに上手く演奏してもサザエさんのOPで多くの人を感動させるのは難しい。
演奏者:どんなに曲がよくても一番下手なころの中居正広が歌ってら笑ってしまう。
場面:超名演のモツレクDies Iraeでもあまーいキスシーンで使われたら邪魔だ
環境:最高のマーラーの千人でも小ホールでやればエコノミー症候群
聴衆:ウンコしたくなったら演奏聴くどころではない
まぁ全部極端な例だけどね。
好きな相手に思いを伝えるとき
相手の状況、告る場所、タイミング、言葉、言い方とか考えるのと一緒。
何を伝えたいか考え(選曲、歌詞分析、楽曲分析等)
どう表現したいか試行錯誤し(フレーズ、音色、リズム、ピッチ、強弱、発音等)
どういう流れで歌うか悩み(曲順や場面、演出等)
どこで歌えばいいか探す(素材に合った場所を探す、作る。立ち位置等)
これだけやっても聴衆の気分や立場で左右されたりする。
あとはどんな聴衆がターゲットかってのが問題なのかな。
偉そうに言っておきながら自分全然出来てないけどorz TPO
あるでしょうね。
効果を狙う「戦略」も必要ですね。
特に「映画のビジネス」なんかは、かなりの分析、宣伝、人材
etc、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
確かに、響きの悪い反響版の無いような場所ではやりたくない。
サントリーホールとか、横須賀芸術劇場とかがいいね。
これは、環境がよければの視点からね。
観客も上品な観客をそろえる?
それは、なにか「演奏の最大効果」を狙うやりかた。
*****************************************************
汚い服きてても、そんなに上手くなくても
自分が満足して幸福感があり、観客が一人でも幸せな気分なって
いただければ、それで私は、満足します。
私はこれが、感動だと思います。
68>
はっきりそう言えるが素晴らしいですね!!
そういう演奏を何回も聞かせてもらっている私は幸せです。
1へ
感動ですか? ハードル高いですね。
@まず技術的にある程度の歌唱レベルをクリアしていること。
A歌と伴奏が調和していること。B聞く人にことばがしっかり伝わること。
C以上3つの条件が自然に表現できていること。
なんだか分析っぽくなりましたが、たとえ@〜Cまで完璧であっても
感動するとは限らないです。きっとD番目の「何か」が人の心を動かすのでしょう。
演奏者もいろいろ。
聴衆者もいろいろ。
互いがリンク(相互リンク)すれば、感動は成立するような希ガスる。
演奏は、上手いほど良いがそれが、相互リンクの条件ではない。
「上手い」の「定義」も再考の余地あり。
あなたにとって「良い演奏」とは何なのか。
聴く人にとって良い演奏とはなんなのか?
でも、聴衆にこだわらない「モア ナチュラル」なものが感動を
呼んで欲しい。 おまいら、お客を意識しすぎてる。
主人公は、作品そのものだ。
と、このあいだバイオリン国際コンで優勝した人が申しておりました。
何のために歌うのか、お客のためか?
自分のためか?
そうではない、
歌が好きだから歌うんだ。
敵を欺く前に、先ず味方を欺けの理論によると、
お客を欺く前に、先ず団員を欺け。
つまり、「団員のために歌うのが正しい合唱のあり方」
とたぬきくんは申しております。 はい。
駄文失礼。 最近口調の違うたぬきが何人かいて困るのですが
だれか見分けられる優秀な猟師さんはいないでしょうか 感動させるとか、感動させたいと日々思っていることは重要だとは思いますけど、
それ以前に自分自身が納得できるように(?)楽しんで
一生懸命歌うことが、合唱をやる人としてのつとめだと思います 真面目に書くと、音楽は技術を使って自分の心(感情とかなんかそんなん)を伝えるもんだと思ってる。
技術があっても心がなけりゃ意味無いし、
いくら心があっても技術がなけりゃ伝わらない。
素晴らしい技術の音楽は直接胸にくる。
さらにそっから涙が出るほど心が震えるのは、相手の本気が伝わってるからなんじゃないかな、と。
まぁ難しくて俺はできないんだけどね 確かに基本的な発声や、演技などの技術は大事だけれど、
表現する、伝えて共感するっていう、人間が人間として大切にしたいところが、
合唱にはあるし、だから歌うことに意味が発生するんじゃないかな。
言葉が、娯楽が断片的に消費されがちなこの現代に、
一つのテーマと向き合い、伝えようとすることだけでも、
自信を持っていいんだと思います。
感動させられるのかって真剣に考えよう、伝えようとしていることが、
やがては感動させられる表現につながるんだと思います。 まず、低音を充実させること。
低音を出す一つの方法として
現在の声に喉声をMIXして
出す方法にトライしてみました。
1、普通に出す。
2、喉声MIXで音階
3、少し声をソフトに
http://www.youtube.com/watch?v=0OWLaM97hfw&feature=youtu.be >感動させられるのかって真剣に考えよう、伝えようとしていることが、
>やがては感動させられる表現につながるんだと思います。
何でもない日常の中、久しぶりに声を出して笑うことができました。
どうもありがとう。 合唱が好きで楽しいからやってるだけだったらいいけど、
感動させたいとか上手くなりたい目的があるんだったら
当然技術は必要だよ?
合唱やってる人って音楽舐めてるよね。
観客意識するなとか感動狙うなとか書いてる人居てびっくり。
だったらステージに立つなよ。 感動はあとからついてくるものだと思います。
ぼくは、どんな歌聞いても感動するときは
感動して演奏中に涙が出てきます。
それは、上手い歌よりも団員が真剣に
歌う様子で感動したりします。
歌声が余にも純粋なときに感動したりします。
たとえば、合唱祭に出かけて、一般合唱団よりも
高校生の合唱で感動したりします。
感動するのは、観客の自由です。
私たちが、その「作品の心を観客に伝えようと
努力すること」は自由な行為です。
感動を生む一つの要素として
声のダイナミズムを挙げておこう。 >歌声が余にも純粋なときに感動したりします。
それこそ技術でしょwww
歌声はきちんと鍛錬することで無駄が削がれてどんどん純化していきます。
あと高校生が一般団よりも技術が無いという訳では無いと思います。 自然に表現するのが一番だと思います。
練習を積めば自信、説得力も向上すると思います。
やはり、技術はそれらを支えているものなのでしょう。
素敵な宝石は、綺麗に磨かれて輝いています。
歌も綺麗に磨かれていれば、きっと素敵ですね。
宝石のように綺麗に磨きをかけて仕上げてから
披露すれば、きっと素敵ですよ 真のアンサンブルは、静寂から生まれると思います。
ささやくように歌い、それでハーモニーする
合唱団であれば素晴らしいと思います。
真のアンサンブルとは、どんなものであるかを
理解することが合唱を志す人の本分であると
思います。
これが、感動を呼ぶ近道であると考えています。 私は器楽出身なので
合唱してる人が個人で練習とか努力をあんまりしてないのに
さも音楽が分かってるかのように語ることに最初はびっくりしてた。
今は完全に別個のものだと割り切ってそれぞれ別目的で楽しくやってます。 クソみてえな釣り師が早朝から活躍する今日この頃皆様いかがお過(略 邪念により純粋さが失われないように気を付けてください。
あなたの胸に眠る宝石の力を信じてください。
ささやくように、ひそやかに、アンサンブルをしてください。
ここで暴れているサタンの戯言にくれぐれも踊らされないように… 感動「物事に心を動かされること。」
自分が一番大事です。
あれこれ悩み苦しむのではなく、
自分が感動できることを大切にしましょう。
観客を意識したり、客席を見たりしないようにしましょう。
一生懸命さが伝わることが重要です。
真の自分らしさを失わないためにも
技術を向上させようなどとは決して考えないことです。 周りに静寂と穏やかな闇を感じましょう。
静謐な雰囲気に体を浸します。
静かに目を閉じてそのまま体の力を抜いていきます。
自分の中に無の境地を感じたら
そのまま一切音を発することをやめましょう。
歌うことを考えることをやめましょう。
っていうかもういっそ合唱を辞めてしまいましょう。
心に永遠の平穏が訪れます。
神の祝福あれ。
<完> 合唱芸術の追求および地域文化の向上を目指し頑張ろう!
地域文化の向上を目指せないので、合唱はやめることにします。 釣れましたね。
私が歌えばだいたいの人は感動します。
歌はこころで歌うものです。
心無き人には感動を呼ぶことは出来ません。
素直な心が、純粋なこころが感動を呼ぶのです。
素直に気持ちを歌に表すことが
大切です。
感動は後から付いてくるもの。
自分はやるんだ思い歌うこと。
程良い緊張感と自信が感動を呼ぶのだと思います。 自分の場合は演奏したいと思う曲に取り組んでみて、
やって録音してみたら、自分がやりたいようには実際に歌えてなくて
これじゃ歌詞も自分の思いも何にも伝わらないよ、どうしよう、
って自分で試行錯誤したり、先生に付いてみたり、
という地味で地道なプロセスをたどってる。
上手くもないし、感動させてもいないかもしれないけど、
言葉の意味や、何を表現したいと思ってるかは伝わってくると言われて、
それは自分にとって一番嬉しい賛辞 歌なんて所詮勝ち組の自己陶酔。
奇麗事じゃなければ芸術にはならないが、本当に悲惨な人生送ってる奴は
奇麗事の世界じゃ生きてないから、共感できるものが何もない。
でも本当に傷ついてる奴が救われないなら、一体何の為の芸術なんだろうね。w
だから歌はもう世界中で力を無くしたんだよ。
というか、合唱みたいなニッチをやるタイプって、勝ち組からは程遠いんだけどな。
前居た団の人が「(やり続けてる人間は)どこかおかしい」というのは真理だと思うんだ。
端的に言うと、あんましリア充じゃないというか。
合唱で感動させるための手段は、単純だよ。上手くなることだ。
美人は魅力的と同じくらい、上手い合唱は人を圧倒する。
美人でも性格が悪ければ〜とか、上手くても冷めた演奏は〜とか、付帯条件はあるだろうけど、このベースは変わらない。
気持ち以前に、基礎力を鍛えるのが最善だよ。
身も蓋もないけどさ。 ところが合唱やる人たちはテクニックや上手さという言葉が
嫌いな人たちが多いようでwww 気味が悪い、気味が悪い、気味が悪いいぃぃぃいいいいい!!!! >>111 だからあれほど鏡は見るなと言ったのに…。
早く夜のぶんのお薬飲んで寝ちゃいなさい。 上手くなるための努力ができない
上手くなるための費用や手間を惜しむ
根拠もなく自分が上手いと勘違いする
それが合唱してる人の特殊性wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >上手くなるための努力ができない
ここの板に来る人にかぎってそんなことはないはず 気持ちがお客様に届けば良いと思います。
https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=RmVSBbRHpN0 まじめに、個性的に、強弱を凄くつけて、上手くはもる。
歌う人が練習を積み努力した成果が自信で表現できればいいと思う。
感動の定義なんかないよ。観客を驚かせることだね。
外見は下手そうで実は上手いとか、外見が堂々としてそこそこ上手いとか。
歌の心を探り、如何に表現するか、選曲90%で決まるような希ガスる。 https://www.youtube.com/watch?v=F-QJAVdR33g&list=PLyhj3P25fa6JZ63iPw4gyPrIIFifilIZG&index=2
38:02から流れる歌をご存知の方、居られませんか?
日本語ではないし、英語でもナイきがします。ラテン語でしょうか?
とても美しいメロディと感じました故、お聞きしました。