★外国語曲宗教曲ばかりやる奴って馬鹿ぁ?★
詩の意味完全に分かってんの?
そのバックグラウンドも?
発音は完璧に出来てるの?
まず作曲家が歌われる言語の民族にある程度合わせた音域も想定してあると思うんだけど…。
我々日本民族の体躯には不向きというのも中にはあるだろう。
外国語曲宗教曲ばかり歌いたがる(或いは振りたがる)のは、
インテリぶった人が陥りやすい盲目的な西洋偏重主義と言わざるを得ない。 >>74
是非あなたの認める曲をお聞かせ願いたいものだ。
>>75
だが、日本人がバッハに向いてて、
オルバーンに向いていないとかそういう事を論じたいわけではあるまい。
あくまでここは日本語と外国語曲という二つの対比。
選択の幅が広がったのは大いに結構だけど、
外来物が無条件に素晴らしいと思ってしまうのが悪い所。
>>77
(´・ω・`) ともあれ、「木馬」の冒頭の引用元を知らない(?)時点で
スレ主は日本の詩の読解に関して不真面目だよ。
完全に理解するしないのレベルではない。
(エリュアールについてある程度調べれば答えは出てくるはず
なので、引用元についてはご自分でお調べください)
>>78
でしたら、あなたの知る日本のすばらしい合唱曲について、
具体的な作品を挙げて、詩の意味やバックグラウンドに触れつつ
説明してみてください。 >>80
木馬に関しては、
引用元のエリュアールまで理解せねばなるまいと。
恐れ入った。
あれは引用詩から大岡氏が発展させて出来た詩。
さらにその詩に木下女史が曲をつけた上で、
あの一説が含まれているわけではない。
あくまでも着想として理解できれば十分と思うが。
>>2,6の部分で、
議論にはまったく関係のない
自分の歌った曲を挙げさせた上で、
ここまで『方舟』やらで粘着されてるのに・・・。
過ちは再び繰り返してはならないー。
個人攻撃じゃなく、議論の本質に噛み付いてきなさいな。 例えば、(例として大変不適当だけど)
合唱曲の出来・仕上がりを100点満点と仮定しよう。
そこには楽譜の読み込みも歌詞への理解も
発音も実際に演奏されての音・表現の完璧さも含むとする。
(また不適当な表現があったな)
さらに詩の原語の民族が、
初めから理解できる発音・元々の詩の理解などを20点と仮定する。
ここでスタート地点で20点の差がまず生まれる。
(実際はそれほどの比率を占めてないにしろ、まず開きがあるのは確実だ)
一部プロや意識の高い合唱団はその差を苦ともせずに、
最終的に100点の位置で外国人合唱団と並ぶように努力して実現する。
これは当然。これを叩くなんて気はない。
そこで次に例として出すのは、
どんなに努力しても80点分までの努力しか出来ない合唱団。
この場合、日本語曲なら最初の20点に80点の努力を重ねて100点に近づける。
しかしどういうわけか選曲を流行り廃りに流されて外国語曲にしてしまった。
まずは基本の発音や詩の理解から入る。(もちろん日本語曲でこれをしないというわけじゃないけど)
当然ここで時間はかかるが、団員は演奏会あるいはコンクールに向けて各団員最大限の努力をした。
だが結果としては限られた時間で80点までしか高められなかった。
これはどうよ?例えの数値がおかしいとかは抜きで。 >>81
「方舟」が議論に関係ないとは思わないな。
実際に歌ったことがある曲に対して、どれだけ理解していればいいと>>1が
考えているか分かるからだ。実際の曲に則さないと空中戦になるからだろう。
実際問題として、「方舟」で旧約聖書の理解が必要ないと言った時点であき
れたよ。>>1には、なぜ鳩が詩の中に出てくるのかさえわかってないだろう。
必死に検索してくれ。www
>>82
例えの中に、勝手な価値判断が入っていて、恣意的な数値をあてはめて
いる以上、無意味な論議。詭弁。
ドイツの合唱団がとてもすばらしいドイツ語訛りのラテン語宗教曲を
演奏したら何点なんだ?www >>83
だからそれは自分の理解の問題でしかないわけで。
そりゃさ、ノアが旧約聖書で箱船に乗って・・・
ぐらいは最低限の知識としてあるもんだとして言ってるけど。
合唱曲『方舟』や『ひとつの朝』に旧約聖書全部の理解が必要だと思ってるの?
例としてなら、そこまでの理解は必要ないと思ってる。
数値の矛盾はおかしいと分かってるが、
差があるという事を伝えたかった例なんだが。
もしその努力が例よりもさらに下回ってたらどうなんだろう。
とりあえず差があることは認められるよね?
ドイツの合唱団がどうとか、
そういう絶対的な数値付けがしたかったわけではない。
まず日本語一般会話の読解力を磨こう。 >>84
ほーらスルーしてる。「鳩」しらんかっただろ?www
>まず日本語一般会話の読解力を磨こう。
そっくりお返しする。皮肉くらい分かってくれ。 >>85
旧約聖書に出てきた鳩から、
平和のイメージとして定着してるからだろ。
どっちがどれだけスルーしてるんだっていう。
子供の喧嘩に付き合う気はないので悪しからず。 >>86
検索終わったのか?www
だからよ、日本語なら100点に近づけるが、外国曲なら80点にしかならない、
というような決めつけをしてる幼稚な議論はしてもしょうがないってのが
わからんのか?
もうあんたの底は割れてるんだよ。日本語だと甘くかかって、ろくに調べも
せずいい加減に済ませてるって事。それって、外国語曲を発音が甘く、意味も
ろくに調べてないのと同じだろ?ってことをみんなに指摘されているのになぁ。 >>81
私にとっては引用元を調べるのは下調べの段階に過ぎないのだが。
大学でもそう習った。
で、ここまでのやりとりを読んで疑問に思った。
スレ主も外国語の曲を歌ったことが幾度もあるだろうけど、
どういう態度で臨んでいたのか気になる。
「発音も徹底的にやりました、単語も調べました、が、外国語の
合唱曲では残念ながら80点までしか努力できませんでした」
みたいなエピソードがあるような人なのか、そうじゃないのか。
あれば具体的に話していただけるとよいのだが、また議論に
無関係だの、粘着だのと言われるのだろうな。 >>78
外来物には、それ自体の付加価値があるとは思うけどねえ。
訪れた事のない土地の、聞いたことのない言語の音楽を、
この日本という国で歌っていると言う事実。
これ自体が一つの価値であって、素晴らしいもんだと個人的には思ってる。
馬鹿よばわりされるのは、非常に不本意な訳さね。
>>82
サトー氏のスレでも話題に出てたけど、
日本語の言語的な欠陥(この場合は音楽において)はどう減点する?
通常の演奏では何を言っているのか分からないのが現状。
これを改善する発声上の努力は、並大抵ではないでしょう。
日本語を選曲した時点で、既に減点があると思いますけどね、自分は。
しかし今日日、外国曲を選ぶ合唱団ってのは、流行で選ぶのか?
自分は楽譜見たり音源聞いたりして、良いと思った作品をやるんだが。
まあ、良い作品は演奏されがちだから、流行の曲になるかも知らんがね。 基本的に
>最終的に100点の位置で外国人合唱団と並ぶように努力して実現する。
これを目指すことは実力の伴わない団体はしてはいけないの?
合唱団が
>しかしどういうわけか選曲を流行り廃りに流されて外国語曲にしてしまった。
というのはどうやって知る機会があるの?
もちろん「知りえた場合」という前提なんだろうが以前から>1が当たり前のように
決め付けてるのが気になったもんで。 >ちなみに『方舟』自体は確かに旧約聖書からだが、
>あの詩のどこに旧約聖書の解釈まで必要な部分があるんだろう。
>あれは大岡信の世界だと思う。
>>1って、こんなカキコしてたんだけど。微妙に論調変えているのが笑えるな。 >>91
変えてないよ。
鳩鳩うるさいから答えたけど、
あれの解釈上で旧約聖書必要ない。
ちなみに検索するまでもない常識の範囲だと。 だからね、日本語曲を歌おうとする時と、
外国語曲を歌おうとする時に、
まず最初の時点で差があるのは分かるよな?
日本語でいちいち単語の意味をチェックする奴はいない。
もちろんさ、簡単な単語の話をしてるんだけど。
外国語は初歩からだとまず意味調べから入る。
そこに時間が割かれると言う所まで理解してくれなきゃはなしが出来ない。 >>94
アホらし。
歌った曲だけでここまで言われてんのに言うわけないじゃん。
まだレス返してないのもきちんと読むから。 >>95
知りたいと思うのは当然でしょ。
もちろん発音と解釈では定評のある合唱団なんだろうね? >>89
自分は日本語に欠陥があるとは思えない。
じゃあ外国語で歌ったら聴衆に何言ってるのか分かるの?
普通に聴いてたら、多少は難点があるけど聴き取れる。
>>90
そんな事は言ってない。
演奏する限り、どの団でも100点の演奏を目指すべきだ。
>>82は例として、と断ってあるんだが。
>>96
ネット上の個人の発言で、
なんで実際の団までとやかく言われなきゃならんのだ。 あのさあ、ミサはもちろんだけど、モテットだってラテン語の語彙は、
ほとんど共通なのよ。新しい曲やる度に調べる必要なんかありゃしない。
そんなの誰でも知ってることだよ。
信長と木下しかやらない、あんたが知らないだけ。 今さっき全レス読んだばかりなので、的外れかもしれませんが…。
>>90
激しく同意。
「最終的に100点の位置で外国人合唱団と並ぶように努力して実現する」
合唱団に上昇志向があることは必須だけど、
このレベルを現実的に目指せる合唱団は日本にいくつあるんだろう。
そこに到達することができなければ外国語曲を歌う意味がない、
と言ってしまうほど、合唱音楽って敷居の高い、世界の狭いものですか?
確かに初歩の理解に時間が割かれるの事実ですが、
未熟な合唱団が自らの様々な研鑽のために、日本語曲のみならず、
古今東西の幅広い視点の中で曲を選択し、指導者も歌い手も学び、歌い、楽しむ。
その結果出てきた音楽は確かに未熟すぎるものかもしれない。
しかし、その「未熟な」過程なしに
「最終的に100点の位置で外国人合唱団と並ぶように努力して実現する」ことが可能な合唱団は
存在し得ないのではないでしょうか?
そうなると、まさに鎖国状態ですよ。
自分は高校3年間コンクール漬けで三善や荻久保ばかりやってたが、とにかく楽しかった。
卒業したときはやりきった感があって、合唱も卒業しようかと思った。
でも、大学でバッハを初めて聞いたときに鳥肌が立った。
結局大学時代は外国曲・宗教曲中心に邦人曲も、というスタイルの合唱団で合唱漬け。
もちろん、世界的なレベルを現実的に目指すなんてとんでもないけれど、
「声」という共通の楽器で、ここまで違う世界を味わえる。
これが合唱の魅力の一つだと自分は思うんだよな…。
自分も含めてここの住人たちが好きな合唱って、そんなに狭いものじゃないと思います。
>>97
んー、んじゃ例出していきましょうか。
スレ主も経験のある方舟の表題曲とか、
あれを歌詞カード抜きで聞き取れるんですか?
平仮名文字として読み取る事自体も困難だとは思うけど、
それ以上に同音異義を聞き分けるのは更に困難だろうと思いますぜ。
外国語は、現状だと歌詞カード抜きは考えられん。これ自体は問題だと思うが、
まあ即物的にどうしようもない問題なので、これは一先ず置いておく。
聴衆全員にラトヴィア語をマスターするよう強要も出来んしな。
>>99
ほぼ同感であります。 >>92
常識の範囲だというのはちょっと驚きだな。
創世記について、きちんと知っている日本人はどれだけいるのかな?
>>1も必死に検索したくせに。www
ま、常識の範囲だということにしてもいいが、創世記についての知識
なしに「方舟」を理解することは不可能じゃないの?それさえ否定
するのはちょっと強弁すぎないかな? >>98
禿胴
ミサやレクイエムは特に、ほとんど同じだしね。
それに比べたら、日本語の現代詩の難解さはすごいよね。
作者の意図したことを100%理解することなど、不可能だからな。
人によって解釈が異なっても構わないくらいだからね。 しかし、創世記がどうとかいうのも粘着だな。
私は全くググってはいないが、ノアが鳩を放して陸地が乾いて云々…
は確かに常識だと思う。あんたも、それしか突っ込みどころないの? >97
例えだなんて分かってるよ。ただそんな極端な主観・客観が入り乱れた例じゃ
「例え」として失敗だと思うんだが。
>82で書いた例では「実力があり、なおかつ100%の努力ができた合唱団」と
「実力がなく80%の努力しかできなかった合唱団」の比較になっている。
(少なくともそうとられても仕方のない表現をしている)
しかも後者の例は他の人を納得させるための客観的な比較を邪魔する余分な付加
(外国語曲の選曲理由を「流行り廃り」と限定してる付加)
がある。これじゃ説得力はないよ。
>99
同意ありがとうございます。でも
あなたのレスの方がよっぽど丁寧で素晴らしい内容だw
>しかし、その「未熟な」過程なしに
「最終的に100点の位置で外国人合唱団と並ぶように努力して実現する」ことが可能な合唱団は
存在し得ないのではないでしょうか?
ここは特にかなり同意。 >>103
すまんな。みんな知ってるであろう「方舟」なら、共通の土俵で
話せると思ったからな。そして、>>1がどの程度曲に対してアプローチ
しているのか知りたかったからだ。
なにしろ、↓こうだからね。
>1 名前:名無し讃頌 2006/05/07(日) 16:15:47 ID:r3hNVCLB
>詩の意味完全に分かってんの?
>そのバックグラウンドも?
>>98
まったく初めての人を想定してるんですが。
>>99
そんな事は言ってないと。
それなら例え日本語の曲でも、
プロと遜色なく歌えと言ってる訳になる。
好きものでやってるんならいいと思うよ。
>>100
そりゃわからんな。
実際演奏会には歌詞がついてることが多いし。
外国語をパンフに書いたって・・・うーん。
>>101
だからどの部分が旧約聖書の読み解きが必要なの?
>>102
ではキリストに見も心も捧げて祈るのが理解できるので?
とりあえず>>93にも意見が欲しいですよ。 理解と信仰を取り違えてる気がする。
っていうか1がどれなのかよく分からんからはっきりさせてくれ。 >>106
>まったく初めての人を想定してるんですが。
何で初心者限定なんだ?何処にそんなこと書いた?
>そんな事は言ってないと。
>それなら例え日本語の曲でも、
>プロと遜色なく歌えと言ってる訳になる。
>好きものでやってるんならいいと思うよ。
百点の演奏って、プロ並みの演奏のことじゃないのか?
もう少し分かりやすく説明してくれないかなぁ。
>そりゃわからんな。
>実際演奏会には歌詞がついてることが多いし。
>外国語をパンフに書いたって・・・うーん。
その程度のことが分からんのに、日本語に関しては詩の意味と
バックグラウンドとを完全に理解して、完璧な発音も身に付けている、
と主張するわけか?
>ではキリストに見も心も捧げて祈るのが理解できるので?
話を逸らすな。典型的な論理のすり替えだ。
そもそも、>>1は掲示板に書いたことと、自分の脳内だけの理屈を
ごっちゃにしている。議論を吹っかけるのは、百万年早い。 >>93>>106
純粋に初心者のみで構成された合唱団など存在しない。
中学高校生であっても、三年生には少なくとも二年の経験がある。
先輩にラテン語やマジャール語の経験があれば、
新たに取り組む曲であっても、全体の練習はスムーズに進む。
あなたには逆に問いたい。練習時間の総量に応じて演奏の完成度が決定する、
という主張は一体何なんだ?指揮者やパートリーダーの力量は一切無視か?
そんな機械的な議論は、全く厨房の屁理屈そのものだ。 勿論、大した目的もなく、なんとなくで選曲する合唱団は批判されるべきだとは思うけど、>>1は単純に食わず嫌いしているか、いい指導者に恵まれなかったのでしょうね。
そもそも、BCJも知らないような知識レベルで論破できると思っているのが痛い。 本人の希望通り>93についての意見を言うと、自分としては「否定する所はない」だな。
不遜な言い方だとは重々承知してるが…まぁ本人だって「当たり前のことを
書いただけ」だろうし「激しく同意」とか言うようなことじゃないよね?
(このスレ住人の中にはそこから否定する人もいるかもしんないけど…。)
自分が分からないのはそこから先の「完成度に差ができると予想される
外国語曲を選ぶのはおかしい」という主張。(あくまで自分は、ね)
完成度を上げるのは練習の段階でしょ?選曲の段階でする必要がどこにあるか
分からない。
>1の意見は「難しいから選ばない」って言ってるんだよ?
簡単な曲を選ぶのが正しいことなの?ちがうでしょ?
そしてまだ誤解してそうだけど「流行や『何となく』だけで外国語曲を選曲する」
のを正しい事だと思ってる人はこのスレにはまずいないよ。
いるのはあくまで>1が「外国語曲を選ぶのは単なる流行り廃り」という
決め付けをしているのに納得できない人(全員じゃないけどね)。 >>96
>>6
>>自分が今まで歌った曲が議論にどう関係あるのか分からないけど、
>>『方舟』『インテラ』『新しい歌』とか…。
過去にその3曲を取り上げて日本語の曲が中心ってことは、この辺かな?
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hibitomo/ayumi.html >>1 の言っていることはよくわからない。
詩の引用元はバックグラウンドにはあたらないということ?
日本語曲と外国語曲でスタートに差があるのは確かにそう思う。
でもそれは曲の完成にはまったく問題ないとも思う。
そもそも選曲は流行り廃りだけで決めるものではない。
自分の場合は一度聞いて面白いと思ったものや、楽譜を見て面白そうと思ったものを選ぶがね。 >>108
初心者の話ですよ?
実際上昇志向を持ってる合唱団なら、
プロ並というと語弊があるがそれを目指すだろう。
わからんと言ったのは、
初めて方舟を聴く時に歌詞なしという事態が。
実際もう歌詞を知ってるので想定できないね。
なにかの曲を初めて聴く時は大概歌詞あるでしょ。
論理のすり替えって便利な言葉ですね。
>>110
三年までラテン語に触れなかったら?
今まで純日本語しかやってこなかったら経験はないわけで。
それに2年間やっただけで、
全員が態度の真面目不真面目に関わらず言語を習得できるわけで?
少なくとも時間を積んで上手くならないという事はない。
その傾きの違いはあれど、時間総量に比例して完成度も上がるでしょ。 >>112
もっと言おう。
自分が批判の対象にしたいのは中学高校の指導者や、
大学の定期演奏会で客演指揮者で招かれるような人たちだ。
無理に宗教曲を歌わせて、コンクール至上主義にも繋がっている。
その姿勢に問題があると思うが、中学生が曲のアナリーゼを完璧にするかな?
そりゃこのスレ住人のように好きでやってるような人なら十分だと思うよ。
しかし中高で、歌っている単語が何か認識しないで歌ってる奴も多いだろう。
咄嗟に単語の意味を考えて、気持ちを込められないのだ。
なまじ自分が日本語の素晴らしさに気づいて合唱をやってるだけに、
中学生が外国語曲で合唱を好きになれるかというのがそもそもの自分の考え。
もちろんそういう中学生が外国語大好きで合唱も好きになってくれるなら言う事ない。
結局決め付けでしかないような意見になったが、
中学生がラテン語を第二言語のように、
すらすらと単語の意味を理解しながら歌えるとは到底思っていない。
(もし日本語なら理解というまでもなく脳内で処理できる)
あと、未だにスレタイや>>1の内容で叩く人は、
意見は議論の中で折衝していく内に変化するというのを知って下さい。 >>116
>>あと、未だにスレタイや>>1の内容で叩く人は、
>>意見は議論の中で折衝していく内に変化するというのを知って下さい。
どっかで撤回なり修正なりしたっけ? 基本的姿勢の違いだろうか?
(俺はコンクールはほとんど出たことないので
宗教曲を歌う事がコンクール至上主義に繋がるとは思えない)
言葉が分からないんだから安易に外国語の宗教曲ばかりやるな、ではなく、
外国語の宗教曲をやるならちゃんと言葉の勉強もしましょうね、というのが本来あるべき姿勢だよな、とオモタ まあ、いろいろあるが、少なくともペダルよりはまともだな。 >>116
最初からそう言えばいいじゃんか。
>>1みたいな屁理屈はあほ臭いだけだが、撤回するのか?
しかし、自分のレベルから人を中傷するのは止めた方がいいね。
中学高校生でもセンスがあれば何でも出来るんだよ。 というかやっぱり、どれだけ勉強しても、
日本語と外国語との間には大きな隔たりがあると思うんだよね。
小さい頃から慣れ親しんできた日本語と、
どれだけ勉強しても外国語という間の溝はそう簡単に埋まらないと思うよ。
中学生に限らずその合唱曲のためにラテン語を勉強したって、
なかなか日本語と同じようにすらすらと処理できるわけではなかろう。
(ここで『ではラテン語はどの民族も歌えない』と言われるだろうが、
ラテン語はロマンス諸語として発展し、欧米の諸語と非常に似ている点が挙げられる)
多くの日本人が英語を日本語の次に学習しているからと言って習得できていないのに、
ラテン語やエストニア語、スウェーデン語、マジャール語などをやるのはどうかと思う。
>>118
楽しんで合唱をしたいという目的であれば、
必然的に宗教曲や外国語曲をやらないと思った。
これも決め付けだろうが。
もちろん歌っている側がそれで楽しめているなら良い。
しかし結果的には、
コンクールで音を完璧に処理した(全員が歌詞を理解しなくとも)
宗教曲を歌った団が金賞なんだからもうよく分からない。 全員が歌詞を理解していないって何で分かるのかね。
一応ラテン語歌って金賞取ったことあるけど、全員一語一語意味を覚えるのはノルマだったし単語テストもやってたよ。
宗教的背景を知るために専門の人からレクチャーを受けたり、みんなで教会にいって歌ったり。
それでも「曲の意味が分かってない団体が金賞を取った」って言うのかね。
じゃあ勉強しても無駄ってことか?
民謡は方言に慣れ親しんでる地元の人しか歌っちゃだめ?
水ヲ下サイは実際に原爆を受けろとまではいかないが、歌う人は広島まで赴いて体感しなきゃいけないかな。
去年の課題曲でいえばさ、F3の歌とか、母親を経験した人しか歌っちゃいかんのかね。
それ以外の人が歌えば「意味もよく分からないくせに」ってなるの?
(↑順番に書いてある意味を汲んでね)。
いい加減、言葉を理解することと意味を理解することを切り離して考えろよ。
全く関係ないわけではないが、言葉だけ知ってても意味を理解できないのは
日本語も一緒ってことが散々言われてるの。
>>1がその辺ごっちゃにし過ぎてていつまでも平行線のままだよ。
所詮単なるコン虫なのか?やっぱ視野が狭すぎると感じる。
あまりにも偏見が多くて議論が弱すぎるよ。
あと気になったんだが>>1って牧子とか信長とか、それ以外では日本語歌ってるの?
日本語好きなのに高田とか佐藤眞とかタダタケとか
旧メジャーどころの話が出てこないのが気になった。(これも偏見か)
もしかして、最近流行りの牧子信長大好きー人間…?
>>1は具体的にどこの学校の話をしているのでもない、
自分の脳内ででっち上げた、コンクール至上主義の部活についての、
妄想を繰り広げているだけだ。
まあ、本人以外は理解不可能だな。
>>121
だから千原英喜のおらしょやどちりなきりしたんはどうなんだよ。
日本語かも知れないけど、おらしょなんて「きりや〜れんず〜」なんて歌ってるけどラテン語が日本語に転訛したものだけど、日本語だから理解できるのだね?
ま、こりゃ詭弁だわ。
楽しんで合唱したいといってより高いものを目指さないのは、決していいことだとは思わないし、
その程度の理由で真剣にやっている人間に喧嘩売るような物言いをするのがおかしい。
そもそもロマンス諸語ということで理解できるなんて理屈は聞いたことない。都合のいいことっばかりいってるよね。 >>122
あなたみたいな立派な人間ばかりで合唱は構成されていません。
もちろん勉強して無駄と言ってるわけではないよ。
言葉の意味だけ分かっているのと、
その歌詞の意味までよく理解できるのと、
詩で歌われてるような経験があるのは違う。
ま、民謡や水ヲ...ならそれぐらいの背景学習は欲しい所だが。
コン厨じゃないよ。
むしろ視野の狭いコン厨が大嫌い。
コンクール全否定するわけじゃないけど。
歌った経験は少ないが、
その旧世代と呼ばれるような合唱も大好きだ。
タダタケの情景描写なんかは、
日本語の美しさをもっとも感じられる曲だと思う。
>>124
日本人が古文を理解しやすいのと一緒。
やっぱり基礎となってる言語だから学びやすいのはあるでしょ。
ちなみにななしでも最近似たようなスレが。
断っておくと、自分は一切レスしてませんが。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/2523/1147607305/ ヴォカリーズだけの曲は?オーケストラは?ピアノは?
どれも言葉が理解できないし、外国人作曲家なら聞いてはいけないの?
そんなに言葉に拘るなら、朗読するのが一番いいよ。
ってのは極論だけど、そもそも言葉先にありきではないでしょ。
詩の意味や理解に捉われすぎてて、純粋な音の理解を忘れてない?
>>125
おらしょに関しては無視ですか。
転訛したのであって日本語的な意味はまったくない。
「きりやれんず〜」と歌っていても実際は歌詞カードにも「Kyrie eleison」って書いてあるくらいなのにさ。
転訛したからもはやラテン語ではないし日本語的なものだろうよ。
あと勘違いしてるみたいだから言っておくけど、ラテン語はイタリック語派な。まあそれがロマンス語派になるけど、英語とドイツ語はゲルマン語派なので。ラテン語が古典というのは乱暴すぎ。
そういえばなら人工語のエスペラントはどうなるの?誰も祖先を持たないよ。
ねえアイヌ語はいいの?
祖先が同じならという理屈でいうなら、イギリス人がバッハのマタイ受難曲を歌っても語派が同じだからテキストを理解できるからOkなんだな。
なんだ、そのトンでも理論 >あなたみたいな立派な人間ばかりで合唱は構成されていません。
何だそれ。そんな事言い出したらもはや言語なんか関係ないじゃん。
理解できりゃやる気や姿勢は関係ないのか?
もういい加減気付けよ。自分が外国語曲をやる人たちを批判したいがために
知りもしない実情を他人に押しつけてんのに。
コン厨と言われるだろうがコンクールで金賞取れるような団体は
それ相応の努力はちゃんとしてんだよ。
(「コンクールの金賞」としての努力かもしれんが)
それを否定できるほど素晴らしい演奏ができる自信があるのは結構だが
そういう見下しがお前の大嫌いな「視野の狭い奴」の代表なんだよ。
>122みたいな自分の考えに合わない例が表れりゃ「それは例外です」なんて否定してたら
お前の意見が正しいと思う奴なんかいるわけない。 すまん分かりにくいから訂正
×知りもしない実情を他人に押しつけてんのに。
○知りもしない実情を勝手に妄想して他人に押しつけてんのに。 >>126
別にそれがダメとも言ってないし、
外国人作曲家の曲は聴いたらダメとも言ってないが。
音の理解っていうと、
どうして次にこの音が来るとか?
もちろんそれを含めてのアナリーゼだと思ってます。
掘り下げる上で、詩の理解はどうしても必要。
イギリス人だろうがそりゃ歌うときは勉強が絶対だよ。
ただその時に非常に理解しやすいと。
>>127
おらしょは自己完結してるように見えたので。
意味はないにしろ、
切支丹が口承でそれを伝えていく段階で転訛していくのが、
それこそ文化というものではないだろうか。
どうしてこう転訛したか、なんてのは一番考え易いし。
宗教曲と捉えても、外国語よりはるかに理解しやすい。
もともとの教典の部分も多いが、日本語の民謡からの歌詞も多いし。>おらしょ
言語学としての分類上は一緒だよね。
文法が近いと理解しやすい。
エスペラント語の合唱ってあるの?不勉強で申し訳ない。
アイヌ語というとアイヌのウポポだろうか。
あれは囃子言葉が中心で語句は非常に少ない。
他には輝のカムイユカラなんてのもあるがあれはあまり・・・。
鈴木輝昭の曲自体で好きになるのが少ないんだけど。 >>129
そうですか。
まさかコンクールに出るような中学生が、
>>122氏のような努力をされていて、
日本語までとは行かずとも、
歌うべき言語がすらすら出るほどの勉強をされてるとは。
さぞかし中学生には大変な努力でしょうね。
いやー、恐れ入りました。
もちろんやる気も姿勢も重要ですよ。
でも実際に練習に携わってないと内面はどうしても見えない。
そこで舞台で歌ってるのを聴いて判断できる材料は、
歌詞への理解と音がどれだけ正確に処理できているかになるんですよ。
ちなみに自分が聞く限りでは、
聴衆にもあまり外国語の受けは良いとは言えませんよ。
コンクールはまず間違いなく歌詞がついてこないですしね。
それだけで聴衆の判断材料は減ってるのですよ。 どれが1か分かりにくいのでざっとしか読んでないけど、
このスレはコンクールの話してるの? へぇ、ゲルマン語派とロマンス語派の言語学上の分類が同じだなんて初めて聞いた。んな訳はないので勉強しなおしてくださいな。
もしかしてドイツ語と英語についていってる?
そもそも文法近いの定義は言語学者じゃないのに言えるの?
それに、そもそも背景や理解を問題にしていたくせに
何で文法が近ければ理解できるなんて珍説がでてくるのかな。
だって、日本人がイギリス人のウィットを「機知」と訳したところで、その背景を理解したわけでないのと同じで、ドイツ人がウィットをドイツ語で訳しても、その内容を理解しきったことにはならないだろうよ。
なのに文法同じなら理解しやすいと言い出してるんだよ、>>1よ。
要するに外国語の歌を歌うならそれなりに準備が必要なのは当たり前の前提。日本語だってその労は決して変わらない。
流行り廃りで選曲選ぶことを批判するのに、楽で楽しいから日本語を勧めるって日本語を歌うこと舐めてるよ。
聴衆に外国語の受けが良くないって、おまいさんの経験のそこの浅さはよくわかってるからなんの意見にもならん。聞く側も知識がなきゃよさもわからんし、批判だって出来ない。
でも、音楽自体の美しさは共有可能だし、表現として伝わるものはある。聴き手の評判気にして選曲なんか出来ない。
自分たちが歌いたいものを歌い、納得してもらえるように詰めて練習するのが音楽だと思うが 後、アイヌとかは流石に意地悪なので言及しないけど、おらしょは間違ってるよ。
一番と三番はともかくとして二番は完全に前半はラテン語が転訛したもので、後半はクレドを日本語訳したようなもんだし。
日本語になっただけで、なんでキリスト教の信仰宣言の意味が理解できんのだよ。それこそ>>1で言ってる
詩の意味完全に分かってんの?
そのバックグラウンドも?
だぞ。
どうしてそう転訛したかは言語学の問題であって、解釈の助けにはなるかもしれないけど、歌詞の本来の意味には結びつかないよ。やはりキリスト教の知識は外せない。
言っておくが旋律は民謡が結びついてるけど二番の歌詞は全て由来はキリスト教。おらしょの楽譜の解説に書いてある。
転訛していく過程は確かに文化だよ。しかしそれがどうして
詩の意味完全に分かってんの?
そのバックグラウンドも?
に結びつくのか。自分で詩の意味を問題にしているのに >>134
つインド・ヨーロッパ語族
SV文型などの意味で言ってるんだが。
機知の例ではなく、
実際に文章を訳すときに非常に似通っている。
労は遥かに日本語の方が少ないと思うな。
そりゃさ、なんの下調べもしないで歌われたらたまんないけど・・・。
外国語と日本語を下調べからの段階で比べると、
基礎を知ってる日本語の方が理解しやすいという理念は変わらない。
楽だから勧めているんじゃなくて、
外国語をまずは日本語と同じレベルまで理解しようと思ったら遥かに大変だから。
そこから表現の肉付けをしていく上で、やっぱりその難しさは仇になる。
だから周りの評価を聞いてみた意見なんですが。
少なくとも手放しで外国語の曲が最高!なんて賞賛は聞かなかった。
聞き手に知識を要求する音楽というのはどうでしょうね。それだけで敷居が高くなりますね。
せめて合唱を聞くならミサ典礼文全文と対訳は頭に入れろということでしょうか。
音楽の美しさは聴いてて分かる分もあると思う。
まずは自分たちが楽しいというのも重要ですが、
そればかり突き詰めすぎると聴衆がおざなりになってしまう。
ちなみに中学生なんかで“歌わさせられてる”側の意見ってどんなもんでしょうね。
決してみなさんのように、(元々そういう曲が好きな)団員全員が選曲に参加して“歌っている”のではなく。 >>135
うむ。ではそれを補うように勉強すれば良い。
(もちろんそれ以外は勉強不要という意味ではないよ)
特にその第二楽章はキリスト教学も必要になるだろうね。
しかし後半は日本語だよね。
教典の内容を口承で分かりやすいように、
基本理念を全て日本語に訳して歌っているわけだ。
ちなみに>>1で書いた内容も、
議論のうちに変化するというのは>>116に書きましたが。 オペラに関して1の意見を聞きたいところだ。
1の考えだとオペラの聴衆はおざなりになりっぱなしなんだろうね。
一昔前は、日本人公演のものについては訳詞で上演されることが多かったが。
前にも出ているが、1が外国語の曲を歌ったときにどういう
ふうに対処したのか知りたい。できれば言語別にお願い。 >>138
オペラは結構守備範囲外なのだ。
よくわからんが、パンフに書いてあったりするのかな?
でもまったくストーリーにも興味なくてオペラに行くというのが想像つかない。
オペラファンとか本格的クラヲタは、基本的にもっと勉強家だと思っているのだ。
外国語合唱曲を歌う事は、
これまでの合唱人生の中で意識的に拒絶してきた。
厨房のハレルヤとかぐらいで、
本格的に合唱を始めてからは一つもない。
第九があるけど、あれはイベント的要素が強いものだな。
でも語句の意味と発音は完璧にしようと心掛けたよ。 >>136
語派で話していたのに何故印仏語族に逃げる。
実際に訳す時に似通ってるっていっても同じではない。
訳す時の労力を言うなら今時対訳は調べれば優秀なものは大抵ある。なんなら専門家に聞けばいいのだしね。
そりゃ理解しやすい、何もしないで歌われるのは問題ってのは当たり前に同意だけど、それなら日本語曲の壁となる、日本語の歌いづらさに関しての意見を前半で問われているようだけどそのことにちゃんと答えてないよ。
表現の問題は主観が入るのだけど、歌詞を理解することと表現することは同じではないと思うのだが。
そういう言い方するからヴォカリーズの問題を答えられないのでしょう。アナリーゼが次にどんな音が来るのかなんて理解もちゃんちゃらおかしい。
そりゃ外国かぶれでなければ手放しに賞賛なんてしやしないよ。そもそも
聴衆にもあまり外国語の受けは良いとは言えませんよ。
と
手放しで外国語の曲が最高!なんて賞賛は聞かなかった
随分評価のレベルが違うのだけど。受けが悪いっていうのは「なんdなよ…」って感じだし
手放しの賞賛はないだと、数人は「綺麗な極だけど忌みはわからないや」と言う人間がいるのでは?と思ってしまう。
聴き手に知識を要求するのではなく、本当に更に感動や勉強したければ歌詞の意味だって理解しようとするし、最低限の知識は身に着けるでしょうが。
そりゃわからない歌詞も多いに決まってる。だからこそ、音そのものの完成度も重要。
そういう意味で観客に媚で日本語選曲はおかしいといっている。もちろん日本語選曲そのものを否定していないので。 >>137
違う、基本理念を説明してるんじゃなくて、ただクレドを訳しただけ。
なるほど、訳は訛ればキリスト教の理念を説明できるのですね。 >第九があるけど、あれはイベント的要素が強いものだな。
>でも語句の意味と発音は完璧にしようと心掛けたよ。
こういうヤシがいるから日本の大工は・・・ry >>1
鳥つけて。それと何が言いたいのか明確にした方がいい。
とりあえず>>1の内容をきちんと訂正して主張がどう変わったかを書くべき。
おちょくったスレタイをつけてる時点で人間性を疑われるのは覚悟すべし。
つーか周りの人から話聞いただけでこんなスレタイの結論だすなんて…
内輪大好き閉鎖的合唱人の典型のような寄ガス。
今、気付いたんだが、少なくとも合唱表現10号のプログラムビルディング特集を読めば、なんで自分が叩かれているかわかると思うのだけど。
どうみて>>1の意見は今の合唱の言うなればトップレベルで振ってる人の意見に否定されるようなことしか書いていない。
もちろん、あの雑誌の書かれていることが全てとは言わないけど、それくらい踏まえてから、論点ずらしまくりの文章書かずに、意見をして欲しいものだ。
ちゃんと多くの種類の合唱団の指揮者の人が、なぜこういう曲を選ぶのか説明してるので、
普通の人にも割と参考になる資料かと思うけどね。それが全てではないにせよ。 見ない内に、議論がえらく進んどりますな。
>スレ主
とりあえず、>>1での発言が拙すぎましたな。それにスレタイ。
議論したい内容は、「コンクールで」「歌わされている」「中高生」
という限定的な内容を議論したい、そういう風に理解しましたが、いかがか?
自分としては、一つ一つの文法的表現や言葉の類似表現など、
初めて聴く立場の人間に提示するには困難である、日本語自体の問題、
この点をマイナスと理解した上で、議論に臨んでいる次第であります。
初めて聴く歌で、歌詞を見ないで聴けない、というのは、
それ自体が一つの大きなストレスになりえます。
明瞭な発音とフレージングから、全体の詩と音楽の連携を理解させる。
当然の作業でいて、これが日本語では大変困難な作業です。
純粋に完成度を高めるには、日本語は言語的に不利である、
というのが個人的な見解ですが、スレ主は違った見解をお持ちなので?
異見があれば、是非とも聞いておきたいところですが。 >>1はコンクールの話ばっかり。中学高校を指摘する時点で明白。
コンクール知らない人間から見ればハァ(゚д゚)?
コンクール好きな聴衆から見てもハァ(゚д゚)?
ただ、コンクール参加組でかつ外国語曲に取り組まなかった中高生が見れば
ソノト━━(゚∀゚)━━リってなるんだろうね。
申し訳ないけど、外国語で金賞取ったとこに対する厨の妬みやっかみにしか見えない…。 >>132
金賞団体に関する脳内妄想は打ち切りか?
>>137
1のレスは、このスレが1000いくまで、ずっと晒されてるんだよ。
>>146
同意。日本語は西洋音楽に付されると、致命的な欠陥を露呈する。
信長や木下はそんな問題に無頓着だから、呑気に糞な曲を量産する。
でもそれは既に>>89=100が指摘していて、 >>1はマトモに答えていない。
>>1の日本語に関する問題意識は、その程度のものだ。 >>1 の意見は完全に撤回したの?
議論の内に変化していった内容を>>1 に対比させて書いてもらえるとわかりやすいんだがね。
歌詞よりもまず曲ありきだと思うけどね。
(歌詞が大事ではないとは言わないけど)
例えば、レクイエムを書く作曲家が皆が皆、敬虔なクリスチャンかというとそうではなかったりするし。
>>1は詩の意味を完全に分かっているらしいから、その例を披露してほすい。
「方舟」の表題曲でどうよ?ぜひ詩の解釈を聞かせてください。 >>1
ウイーン少年合唱団が、「世界に一つだけの花」などの日本の歌を歌ったそうだ。
こういうのって、あってはならない選曲というわけだな? >>140
とりあえず今は日本における外国語選曲の話するから。
綺麗だけど意味が分からないから、
そういう選曲は理解できない人が多いよ。
>>141
当時の切支丹が完璧にキリスト教を理解していたのだろうか?
とりあえずあのクレドの中身をもう一度聞いてみましょうよ。
通念理解が広がってるよ。
>>144
内輪大好きも何も、
人口が少ないからそうなるのは必然だと思うのですが。
>>145
だからそのトップレベルにあえて異を唱えてるんだが。
>>146
別にコンクールだけで論議したいわけでは。
いるでしょ、大学の定演に客演で呼ばれて宗教曲やりたがる人。
>>147
最近の選曲はどこも外国語ばっかり。
それじゃ審査員もそれごとに学んでるのかね?
審査を誤魔化してるだけに感じた。
>>148
木下信長を糞だと評するあなたの好きな曲を是非聞かせて欲しいものです。
>>150
言わない。
>>151
だからそんなの言ってませんが。
あ、日本語が欠陥なんてまったく思ってない。
だからそれが西洋音楽にハマらないから糞とも思わない。 良いじゃん別に。
君(1君)に他人の好みをガシャガシャ言われたくないよ?
教育音楽の何月号だったか・・・
とにかく谷川 俊太郎氏が興味深い事を対談で語っているから、
もし良かったら読んでみて欲しいです。 ある作曲家のパラフレーズ
1)詩を伝えたいだけなら、詩を読めばいい。
2)"詩"自体はインスピレーションというかスタート地点であってそれがゴールではない。
3)詩というある意味"制約"があるなかで、詩と言語を最大限に生かしつつ、なおかつ詩から離れても良い曲(歌詞が全く分からなくても)
一本立ちできる曲というが良い合唱曲ひいては"音楽"だ。
これ言った人の曲、世界中で歌われてる。 >>152
だから異論を唱えてるっていっても、よんだことないのでしょう?合唱表現や教育音楽。
読んだことあれば自分の意見が稚拙だってわからない訳ないからね。
日本語の問題や外国に偏った選曲に関してもちゃんと議論してるよ、
お前みたいに人をおちょくった詭弁しかいえないのとは違う言い方で。
クレドの通年理解とやらや、当時の切支丹の理解というものをどこから仕入れた情報か
ソース示してほしいものなんだけど。千原英喜の解説も読んだことないだろ?
基本理念とか言って要するに何もわかってないからそういって逃げ回っているとしか見えないのだけど。 なんで>>149 だけレスとばしたの?
>>154
その作曲家の意見にはとても共感できます。
どなたの言葉ですか? >116
>あと、未だにスレタイや>>1の内容で叩く人は、
>意見は議論の中で折衝していく内に変化するというのを知って下さい。
>117 どっかで撤回なり修正なりしたっけ?
→ スルー
>120 >>1みたいな屁理屈はあほ臭いだけだが、撤回するのか?
→ スルー
>144 とりあえず>>1の内容をきちんと訂正して主張がどう変わったかを書くべき。
→ スルー
>149 >>1 の意見は完全に撤回したの?
→ スルー 確かにご飯を一口残す男性は気色悪いですね!
特にご飯一口残す痩せた色白の男性って頭がおかしいですよね!
眼鏡とかしていたらさらに悲惨ですね!
私たち女からみて、食べものを残す男性は陰湿で残虐で憐憫すべき方に見えます!
>>156
海外在の日本人作曲家のかた。
何か大きい意味で"良い曲を書こう!""自分の話す言葉じゃないけど、良い曲だから演奏したい!""なに言ってるか分からないけど、いい曲だ"
みたいな姿勢を素直に表している表現で気に入ってた。
理由はどうあれ、曲を通じて新しいことに興味をもったり、人と一緒に歌うことや音楽が好きになってくれたら嬉しいねみたいな
ことを作曲に自然に持ち込んでいる姿勢が印象的だったのを覚えてる。
と同時に、詩に頼りすぎていて音楽として一本立ちをしていない曲が近現代の曲に多い感じがするっていうのも覚えてる。
これには、なるほどと思わされた。 >>152
ウイーン少年合唱団が日本語の曲を歌うって、>>1が批判している外国語曲を
「やらされている」子供たちそのものじゃん。
日本の子どもたちはそういうのダメで、ウイーン少年合唱団はいいの?
>>1の理屈がよく分からないな。説明汁。 >>136
>SV文型などの意味で言ってるんだが。
>実際に文章を訳すときに非常に似通っている。
これって、すげーおおざっぱな話だな。じゃあ、中国語も似通ってるわけだ。
でもやっぱりさ、
日本語歌った場合と外国語を歌った場合とでは、
歌い手と観客が感動を共有できる度合いが違うと思うよ、うん。 いや、感動の度合い自体は、言語には全く関係ないよ。いい音楽はいい。
詩を理解できるのは良いけど、それによって感動の度合いが、歌詞がないインストの曲や歌詞が分からない歌に比べて
倍になるかといわれたら、やっぱならないよ。
洋モノ偏重も何だけど、邦モノ偏重もたんなるナショナリズムにしか思えないぜよ。
単純に、今までに書かれた合唱曲の総量から考えると日本語の合唱曲なんて微々たるモノなんだから
色々な意味で視野を広くするのはとてもいいことだと思います。
そもそも何を歌うかはやはり指揮者なり合唱団のやり方なのだから、それを>>1のような物言いで貶すのはおかしい。
偏重していることを批判するのは勿論必要だけど、>>1のように叩かれれば詭弁と虫でのた打ち回るやり方じゃ批判とも言えない。
要するに>>1が不勉強なだけ。何を歌うかはもうずっと激論が展開されてきているもの。 >>164
そう?
『空飛ぶうさぎ』や『おかあさんのばか』が、
もし外国語だったら自分は感動できない 横レスながら、
>>166
その場合、
>日本語歌った場合と外国語を歌った場合とでは、
>歌い手と観客が感動を共有できる度合いが違うと思うよ、うん。
ではなくて、
そういう場合がある、ってのが正確なところじゃない?
共有していると言うか、聴衆も演奏家も、
詩の世界観に酔っ払ってる印象を受けるので、
そういう世界は否定せんけど、少し違うような気もするなあ。 邦人合唱曲って非常に狭い世界だからね。あまり感動したことはない。
オペラや交響曲や室内楽(ついでに外国宗教曲)で感動した経験は沢山あるけど。
>>1は何言ってんのか良く分かんない。 結局好きな曲が外国語で宗教曲だったりするわけで、日本の曲でも好きなのは
演奏するよ。
漏れの場合も工房時は邦人曲命、って感じだったが、大学1年生のときにJ.S.Bachの
モテット3番を聞いて虜になったな。
それ以来数々の宗教曲の名曲を歌わせてもらって、大好きな曲がたくさん増えた。
それらの曲との出会いは、人生をとても豊かにしてくれたと思う。
>>1にもいろいろ聞いて、歌ってほしい。 >>167
「空飛ぶうさぎ」や「おかあさんのばか」については、
>聴衆も演奏家も、詩の世界観に酔っ払ってる印象を受ける
に同感します。あと、「日曜日」とか。
ただ、「美しい訣れの朝」や「祈りの虹」なんかになると微妙で、
音楽自体の力も大きいような気がする。三善や武満クラスなら、
音楽と歌詞が緊密に一体になっている、と断言できるんだけど。 ttp://www.wisemanproject.com/mp3s/051129Yuki-master.mp3
↑ 海外のアマ合唱団が外国語(日本語)を歌った例
外国語の曲をやるなら最低限これをやれ、
宗教曲をやるならこれぐらいは勉強しとけ、
といった常識的なアドバイスをすればいいのに
>>1はいきなり「完全」とか「完璧」を要求してんだよな。
アホすぎる。 そういえば知り合いの声楽家が「訛りで苦労する人が多い」と言ってたな。
外国人も訛りで苦労してるのは聴いててわかる。 言葉を扱っている以上、やっぱり上手にやりたいのはわかるよ。
でも、上手にやれないのをビビってやらないよりは、下手でもやったほうが良い。