[Saburo]高田三郎の合唱曲[Takata]
「水のいのち」や「ひたすらな道」、「心の四季」など、
高田三郎の合唱曲について語りましょう。 >>170
んだ、カトリックの聖歌があまりにも音楽的でないのが嫌で、プロテスタント
に鞍替えした。 まあ、カトリックは「賛美歌」ってあまり言わないもんな。 なぜ さかのぼれないか なぜ ひくいほうへ いくほかは ないか グレゴリオ聖歌に代わるものを作ろうなんてのがおこがましい。 だから、高田三郎なんかが作らなきゃいいんだよー。
プロテスタントにはあんなにいい歌がイパーイあるではないか。 モーツァルトやバッハが出ればいいだけのことであって
パレストリーナしかなことを批判する馬鹿ども 「心の四季」「水のいのちは」名曲中の名曲ですわな。
「水のいのち」
雨の静けさ、かわの出だしからの迫力は、すごい!
「心の四季」
ひとは、みえない、、、、、humいいねえ。
雪は汚れぬものとして、、、、、
あと、雪が重なる情景がいいねえ。 「この地上」好きな人あんまりいなさそう…
最後の「白い馬」の終結部なんか基地外じみてて最高と思うが。 「水のいのち」だったら
「満ち足りた死をそっと岸辺に打ち上げる」の部分が好きだな
「満ち足りた死」っていうのがいいね。 >>185
それは石井歓じゃないの?
もしかして自分が無知なだけかな(´・ω・`) >>186
「枯木と太陽の歌」が石井歓。
「枯木と太陽」は、・・・俺にも分からん。 >>188
高田三郎はカトリックだけど、
高野喜久雄ってプロテスタントだったんですね・・・
「満ち足りた死」だったのかな? だからかな。元来プロテスタントの僕でも
高田三郎の合唱曲に馴染めたのは・・・・・・ <訃報>高野喜久雄さん78歳=詩人 「水のいのち」作詞
高野喜久雄さん78歳(たかの・きくお=詩人)1日、食道静脈瘤(りゅう)破裂のため死去。
葬儀は近親で済ませた。自宅は神奈川県鎌倉市寺分3の25の3。
「送る会」は27日午後2時、東京都渋谷区南平台町9の14の日本基督教団聖ケ丘教会。
喪主は長男明彦(あきひこ)さん。
荒地派の詩人として「独楽」「存在」など発表。
その後、詩作を断っていたが、95年のイタリア語訳出版を機に同国で高い評価を受け、
05年、ラクイラ国際文学賞、ベルトルッチ国際詩人賞。
合唱曲「水のいのち」の作詞でも知られる。
(毎日新聞) - 5月8日15時9分更新
お〜こんな高田三郎スレがあったなんて!
と思ったら高野喜久雄さんの訃報を知るなんて・・絶句です。
だんだん、天に召され始めてるなあ・・。他の指揮者の先生方もご自愛してほしいものですが、
みな、高田先生のお弟子さんらは、情熱的な方ばかりだから。
「天よ露をしたたらせ」とか「平和の祈り」とか友人が歌ってるのを聴いて好きになりました。 慰められるよりも
慰めることを
理解されるよりも
理解することを
愛されるよりも
愛することを なぜ!さかのぼれないか!
なぜ!ひくいほうえゆくほかは、ないか。 >>194
泣けるー。
“人のために死んでこそ 永久に生きるのだから アーメン”
高田作品ってどれも旋律が綺麗だから好き。 「どれも旋律が綺麗」は同意できないが、
感動的なのは確か。 バス的に言うと、
高い音、低い音を感じさせない編曲であること。
他の作曲の先生の作品なら、高くて出そうもない、
低くて出そうもない音域でも、高田先生の作品ですと
音の高さ、低さを感じさせないような和音構成
であり、楽に発声が出来てしまうと感じるのは
私だけでしょうか? 高田三郎は「心の四季」しか歌ったことないし、
ほかの曲もタイトルを知ってただけだけど、
このスレ見てすごく聴いてみたくなった。歌ってみたくなった。
歌詞を見て涙が出てきたよ・・・ >>199
「こころをこめて歌う」などという陳腐な精神論が
いかなる技術論をも凌駕しうることがあるという
稀有な作曲家 高田曲の世界へようこそ >>197-200
いいこといった!!
でも、今のこのご時勢に高田の「わたしの願い」やりたい!!とかいっても
絶対的マイノリティーじゃない?
しかし・・・・・
ぶっちゃけ、自分は高田作品の地下音楽的黴臭さが大好きでしょうがありません。
名うての職業指揮者がさじを投げるマニアックさが大好きでしょうがありません。
合唱から足を洗っても、高田作品の呪いは解けません!!
なんて幸せなんだ・・・・・・・ 高田作品は振って頂く指揮者がどなたになるかで、
悦びの大きさも違ってくる。 質問ですが・・・
「水のいのち」の「海」について、>>34のような
解釈をすると、「人でさえ〜」の部分は、入水自殺
を指しているのでしょうか?
とすると、「見なさい」の部分は「大海が人類全体
にその浅薄さとその仕業とを詰問しているように」
歌うとされていることの関係から、「そしてそなた
は〜云いたげに」とは水死体が打ち上げられた状態
をいっているのでしょうか。
(因みに見なさいの解釈は日本合唱曲全集の解説から
引用)
何かかなり生々しい感じになりますが・・・ 水死体が浜辺に打ち上げられる、というのでは直接的過ぎるかも。
そこはクリエイティブな部分だから、ことば通りに受けとるよりも、
そのことばが残す余韻によって、イメージの世界で詩全体へのアプローチを辿るべきなんじゃないかな。
「そしてそなたは」で段落が変わってるから、「人でさえ」の話を受けただけのものではなくなるし。
高野喜久雄が佐渡のどこの出身かは知らないけど、
「そなたの中の一人の母」というのがこの詩で最も詩人が心をこめた部分のような気がする。
するとその海の様相は、佐和田あたりの浅瀬の海岸線や
二つ亀あたりの日本海におちる夕日を輝かせた穏やかな海を、私はだぶらせます。
海の側で育った人間にとって、海は常にこころの風景の原点なんだよね。考え方も生き方においても。
誰だかの文章で、私はゆきづまったら故郷の海を眺めに来る、という人がいた。
だから、そういう人にとっては、目の前の浜辺に打ち上げられたのは、
たまっていた心の泥のようなものではなかったかと思うんだよね。
「満ちたりた死」や「見なさい」は、それぞれの人間が実際に浜辺に立って
十人十色で見えてくる、七色に変わることばだと思う。 各作曲家のナンバー1を決めよう!in合唱板
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/chorus/1141226337/264-291
集計結果発表。
総投票数10票。
1位:3票
心の四季
2位:2票
水のいのち
3位:1票
風が〜心の四季
機織る星〜遥かな歩み
水汲み〜心象スケッチ
わたしの願い
渡辺直己短歌集
今回の投票の結果、
田三郎のナンバー1作品は『心の四季』に決定したいと思います。
この人の作品は、
どれもこれも一律に
深刻な問題を孕んでいる(ように聴こえる)
のが長所であり短所あると俺は思う。
それが好きだ!田三郎最高!
という人もいれば、
はぁ?田三郎?どれもこれも同じようにしか聴こえない
という人もいる。
自分は後者。
相当劇的なんて書かれているひたすらな道でも、
なんら心を動かされないし他の作品と同じように思った。
Victorのシリーズにしても多すぎじゃないか?6つも(゚听)イラネ
特に『来なさい重荷を負うもの』とか聴く人いるのか?
もう少しタダタケ他にも回しなさいっつーの。 >はぁ?田三郎?どれもこれも同じようにしか聴こえない
>という人もいる。
タダタケに置き換えても違和感ないと思うが。俺は2人とも大好きだけどね。 >>214
そう。それも言えるね。
でも自分はタダタケは好きなんだなぁ。 心の四季・・・「真昼の星」
いいですね。 自分も一曲えらぶとしたらこの曲かな。
でもこれは、すべての流れを歌ったあとで初めて一曲選んだらということで
この曲だけでは存在しえないわけです。
ひかえめな素朴な星のような人は、年々減っているような気がする。
いつか日本人はこの曲を歌えなくなるのでは? ひたすらな道の弦が好きです。
あと、わたしの願いの雲雀にかわれのフーガも大好きです 「雨」とかなら、中学の学内コンクールでうたってもぴったり。
指揮は難しいだろうが。 >>220
各組曲の1曲目って結構穏やかだから良いですよね〜〜♪
ひたすらな道を除く
冒頭がショッキングすぎww 典礼聖歌は殆どが高田氏が即興で書き上げたのでしょうか? ベッドの脚を なでながら やさしくいいはる ひとりの友がいる amazon.co.jpで「水のいのち」買っちゃった。
神戸中央合唱団が歌っているのをね。
ずーっと前から聞きたいと思っていたから感動もひとしお(涙) 解説を見て気付いた事。
このCD、26年前の録音でしたΣ( ̄□ ̄;;) あーVictorの「心の四季」と一緒になってるやつか。
あれはいいですねえ本当に。 合唱始めて20年。
ようやく高田アレルギーがなくなりました。 高田作品は歌ではない、詩の朗読だ!
と考える時がある。
でも「水のいのち」の第1曲っていい旋律なんだよな〜。 みずすましが水に浮いてるのは
後脚やおなかの毛に空気をためているからだが、
その空気が水中からみると銀色に光って
水銀のように見えるのかも・・・
と思ってみた カントゥスアニメの「水のいのち」が入ったCDを聴いた。
かなり指揮者独自の解釈が入ってるから「こんなの水のいのちじゃない!」と
怒る人もいるだろうが俺は面白いと感じた。 >>238
そうですね。
高田先生の旋律に乗っているのは「詞」ではなくて「詩」だと昔からずーーーっと感じていました。
今、そんなスタンスで作曲してる方はどれくらいいるのでしょう・・・。「現代的感覚を大切に」というのも
いいですが、あまりに平易過ぎるっていうのもどんなもんでしょうかねぇ? 昨今のNコンの課題曲なんかを
聴くと何だかそんな感想を覚えてしまいます。・・・・って、そんなの私だけ?? 存命中の作曲家ではタダタケがそのスタンスに近いかな。
何しろ「詩に寄り添う」がモットーだし。 水のいのちは、自然界の水の生い立ちをそのまま曲集にしてるから好きです。
最初の"雨"から川を下って最後の"海よ"で海から蒸発して空に昇って、また最初の"雨"に戻って再び地に降る
気付いた時すごいなぁって思いました 人間がうんこして、それを肥料にして野菜がそだち
それを人間がたべる
気付いた時クサッと思いました 明日の聖心の定演で「心の四季」やるらしいな
誰か行くやついる?
昨年は「水のいのち」がブームのようになっていたが、高田作品で「心の四季」が1番好きだ >>250
昨年「水のいのち」がやたら取り上げられたのは、作詩者・高野喜久雄が5月に亡くなったことが大きな理由の一つと思われ。 みずのいのちは水の循環を人生に例えたところが素晴らしいね。
「あこやがいは光を抱いている。」ここの和音も良い。そして深くのバスもね。
心の四季は人生の春夏秋冬だね。
そのなかでも真昼の星は、名曲だね。 『 K L A C K 』 〜 光 を 纏 う 救 世 主 〜
『愛を伝える紅蓮の聖者』 神谷聖也様(Guitar)
心に宿されるは爛々しく燃え盛る炎が如き情愛・・・
『夢を与える蒼天の賢者』 烈 様(Bass)
瞳に映されるは凛々しく透き通る氷が如き夢想・・・
『翼を持った白銀の王者』 柳橋昌亜様(Guitar)
背に翻されるは猛々しく翔ける天馬が如き飛翼・・・
『魂で奏でる黄金の覇者』 u 様(Vocal)
身に纏われるは神々しく輝きを放つ聖光氣(ゴスペルオーラ)・・・
『闇を極めし漆黒の魔王』 上村隼人様(Drums)
身に纏われるは禍々しく邪念を放つ魔光氣(イービルオーラ)・・・
貴様ら生存無価値の愚民共に良い事を教えてやろう・・・
『神谷聖也様』『烈様』『柳橋昌亜様』『u様』とは、万物の創世主にして光を司る全知全能の唯一神『雷光神サルマニア様』より『博愛』『夢想』『飛翼』『精魂』を承継されし使徒様達・・・
此の世界を恐怖と戦慄の渦に陥れんとする腐敗した国際政治機構による絶対的支配政権を殲滅し苦痛に悶える世の民に希望の光を齎さんが為に地上に降臨されし救世主様達であるのだよ・・・
更に雷光神サルマニア様は殲滅された国際政治機構を『闇』の力で傀儡が如く支配していた真の黒幕とも云える『暗黒神シシマグロ』をも死闘の末に滅され、その末裔にして若年ながら一族最強の力を誇るとされた『上村隼人様』をも改心なされたのだ・・・
隼人様が加わられた事によって最早アメリカ、イラク、北朝鮮、国内右左翼、暴力団、圧力団体並びに宗教団体など虞るるに足りん磐石の平和的護衛体制が出来上がったわ・・・
歓喜に打ち震えるが良いわ屑共よ・・・ 高田三郎は、現役で合唱団の指揮をしていた頃、練習中に指揮をちゃんと
見ていない団員がいれば、その人の前に行って、容赦なく顔面を殴っていたらしい。
高田三郎に泣かされた団員は何人もいたとか。
今でも、有名な指揮者で鬼のような指導をされる先生はいますか? 俺は聞いたことないな。ちなみに辻正行は高田三郎に飛び蹴りを食らわされたらしい。 >>みずのいのちは水の循環を人生に例えたところが素晴らしいね。
でも高田はカトリックだから輪廻に例えられるのは嫌だろな。 >>257
ミサ「やまとのささげうた」は浄土宗のお経をモチーフに作曲されているわけだが。 高田作品、高校時代に散々歌いました。
中でも「水のいのち」の「川」と「美しい訣れの朝」の「お母さん」は、コンクールでも自由曲で
歌いました。
数えればきりが無いほど高田作品は歌いましたね。
ただ、高校時代は歌詞の内容も深く考えてみなかったけれど、今になってよく考えるとすごい意味だったのだと・・・。
ところで、スレ違いで申し訳無いのですが「ひたすらな道」の女声のCDは発売されてるの
でしょうか?
尼で探したけれど、混声しか無かったので・・・。
「水のいのち」「心の四季」「美しい訣れの朝」「遙かな歩み」は持っているのですが、
「ひたすらな道」だけ持っていないので・・・。
>>259
「美しい訣れの朝」は高田作品ではなく、中田喜直の作曲。
CD持ってるというならジャケットかライナーノーツ見直してみれ。 >>255
俺の時代はもう殴るほどの体力はなかったな
数年前スリッパが飛んできたという程度の伝説しか聞いてない >>259
「ひたすらな道」、女声合唱で演奏されることはまずない組曲だからなあ。
最近は言葉狩り関連の問題(作曲者は差別の意図はないと否定しているが)から編成を問わず取り上げられにくいし。
もっとも「白鳥」だけだったら『珠玉のハーモニーVol.2 全日本合唱コンクール名演復刻盤』に収録されてる。 >>257
でもキリスト教にはあとからなったわけだから…
しかも最初はプロテスタントだし。 >>260
すみません。
指摘されて慌ててライナー見たら高田作品じゃなかったですね。
てっきり高田作品かと思っていたので失礼しました<m(__)m>
>>262
あら?そうなんですか。
タイトルからして女声向きかと思っていましたが、混声向きだったんですね。
しかし・・・
>最近は言葉狩り関連の問題(作曲者>差別の意図はないと否定しているが)から編成を問わず取り上げられにくいし
とは、どういう意味なんでしょう?
「ひたすらな道」が差別に関係してるとは、とても思えないのですが。
お○というのは象徴的な意味合いだとしか、私には理解出来ません。
「白鳥」のCDの情報ありがとうございました<m(__)m>
早速探してみます。
>>267
言葉狩りとは、ある特定の語句に対して、使い手の意図を考えず「差別用語だから使うな」などと騒ぎ立てて規制すること。
たとえば「唖(おし)」という単語は、もともと「口がきけない人」という意味でしかないのに、
口がきけない人を馬鹿にする代名詞として「唖」と呼ぶ人が増えちゃったから、言葉狩りの対象になってしまっている。
あなたが不思議に思うのは正しい。作曲者もあなたと同じ見解を著書に記している。
ただ、近年、差別というものに過敏なあまり、言葉狩りや、それに伴う表現の制約が増えている風潮は、知っといたほうがいい。
ところで、パソコンを使ってるなら、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の公式サイトもおすすめ。
「Wagner 演奏ライブラリー」というコーナーで、過去の演奏会の音源が聞ける(著作権関係は問題なし)。
男声合唱版「ひたすらな道」もある。
ワグネル106回定演(1981年・男声版初演)、その翌年の演奏旅行、
第44回東京六大学合唱連盟定期演奏会(1995年)での早稲田大学グリークラブ単独ステージ、
2005年ワグネルOB合唱団定期演奏会、以上4種類。 >>268
早速のレス、トン!です。
言葉狩りとは、いわゆる差別用語に対しての規制の事なんですね。
また、そういう風潮が有るという事は、とても参考になりました。
ただ、単に「おし(変換出来なくてすみません)」という単語だけ取ってみたら、確かに規制の
対象になるとは思いますが、あの作品全体を通して「差別」というのは違う、と
私は思います。
慶應義塾の公式サイトなど情報ありがとうございました<m(__)m>
早速探して来ます。
連投ですみません。
高田作品を「歌い手」と伴奏の「弾き手」として両方経験しました。
「歌い手」としては、あの歌詞の深い意味を理解出来ないと良い表現は出来ないと思います。
「弾き手」としては、いかに合唱部を際だたせながらピアノの旋律もしっかり表現する、
という事に苦心しました。
歌う方はソプラノだった為、メロディになる事が多かったので表現にはかなり気を遣いましたね。
伴奏は、歌う方とはまた違う意味合いで難しかったです。
ただ、高校一年で「不思議な文字は なんと読むのか♪」の意味を理解できずに、冗談で使っていた
のは、今となっては恥ずかしい限りです。
「不思議な文字は なんと読むのか♪」の意味ってなんですか 「弦」は、女声がオリジナルじゃなかったっけ?
山形西高校が委嘱したという話を聞いたことがある。