魏延の長安奇襲策
蜀漢の第一次北伐における魏延が献策した長安奇襲は成功の可能性があったのか?
蜀漢が北伐を成功させるためには必要な作戦だったのか?
その是非を問いたい 三国志ファンは魏延を過大評価しすぎなんだよ
北伐時の蜀で一番か二番の軍人だったってぐらいで
あの時代だとそこまでの実績を残せなかった人間なのに簡単に長安を落とせてその後も長安を守れると思ってるのが間違いだ >>2
同意。
そもそも北伐時の蜀は荊州失陥と夷陵の大敗などで関羽張飛黄忠馬超といった有力な将軍が次々にいなくなった時だしね。
急に成り上がった魏延が勘違いして「俺様が行けば夏侯楙は恐れをなして逃げ出すから簡単に長安を落とせるぜ」なんて雑な作戦を立てても却下されて当然。 疲れ果てた5000人で長安という大都市を攻略するつもりだったのか
話逸れるけどお付き合いを
大都市のイメージないんだけど当時の長安てどんな感じ?
あやふやな知識だと赤眉で荒廃、洛陽へ遷都、
二百年後董卓が洛陽から遷都し使える状態にしたが
李傕らでまた荒廃、帝は洛陽、許に遷都
荒らしっぱなしのイメージなんだが、その後の洛陽みたく曹魏が復興したの?
魏延って防衛戦での実績が史実には残ってないんだよな
だから魏延が長安を守れるか?って問われると、うーん…となる なんで、魏延批判派は長安を保持する前提なのか
関中では3郡が蜀に呼応したし、後漢末期から鐘瑤、夏侯淵、郭淮の西方経営の状況を考えれば、地元豪族や異民族も続く可能性があった
魏延は無理に長安を維持しなくても、いくらでも西へ撤退し、ゲリラ戦術を続けるだけの根源地があった >>5
おいおい
漢中太守として、魏との前線を守り続けてきたんだぞ >>6
魏延が一挙に長安以西を定めるって言ってるやん 宮城谷三国志によれば事前に
「夏侯楙は若く、怯であり、しかも無謀であるとのことです」
との情報を魏延は得ており勝算も十分と思っていたので
どうせ失敗するなら魏延の策で失敗して欲しかった >>7
漢中太守として魏延が魏軍からの侵攻を防いだなんて功績は無いぞ >>7
漢中住民は曹操が移住させてしまってたから劉備が漢中王になった時点でもういない
兵糧庫も張魯が曹操に引き渡していてこれも曹操は持ち出し終わっていた
魏延は漢中太守に任じられたと言っても名目だけだったと思われる
漢中攻略作戦の一環でこ馬超や張飛が漢中の西側にある下弁(武都)方面の陣を攻略したがそれ以上北上しなかったのと併せて考えても分かる
そしてそれは三国鼎立の基本戦略である劉備の蜀乗っ取りから漢中侵攻
漢中の豊富な兵糧と補給拠点としての利用して連続的に長安侵攻する計画の頓挫を意味している
曹操はただで漢中を手放したのでなく漢中を空っぽにしてから劉備に譲ってやった
その空っぽの漢中は劉備に取ってはは肉のない正に鶏肋だった >>6
隴西方面は馬超の乱の最後の始末で夏侯淵と別働隊の張コウが馬超に呼応した勢力を征伐して関連した大物はほぼ討ち取って都市や集落は魏に任命された漢人による支配になって馬超の乱以前の状態に複している
諸葛亮の北伐で漢中から西へ遠回りして隴西方面で戦いつつ魏の太守達を追い払ったことでこの地域の有力氏族を懐柔したり異民族と交渉して協力を取り付けた
第一次北伐に諸葛亮が率いた兵力は5,6万人と言われていてこれだけの規模で包囲戦と懐柔を行ったから現地での懐柔もできたわけで魏延が5,000人連れて長安から西へ逃げながら魏の漢人太守の守る地域に侵入しても何もできないよ >>6
きっと夏侯楙が逃げるだろう。失敗しても西方で反乱が起きてくれるだろう。これを希望的観測や楽観論という。
そもそも敵領土内でゲリラ戦ができるなら長安を経由しないで普通にやればいい。実際に蜀はそのような事はやっていない。できなかったと見るべきだろう。 >>4
はっきりとした記録があるか不明ですが長安は交通の要所で春秋戦国の頃から秦の首都咸陽、劉邦も最初は長安を首都にしてた。こういった交通の要所は放っておいても人が集まり勝手に復興していくものだし曹操だとて西の要所を荒れたままにはしないでしょう。 >>9
敵の無能や失敗に期待してる時点でダメ。
しかも失敗すれば魏延と精鋭五千が全滅するのではリスクが大きすぎる。
諸葛亮の北伐は失敗しても蜀に大きな被害は無かったので無謀で楽観的な魏延の策と一緒にするな。 先鋒は魏延にすべきであった。それもしなかったとなると、諸亮の旗鼓の才は、袁紹程度とみてよい。優柔不断であり、公孫瓚には強いが曹操には弱い兵略的欠点と似た短所をもっている。はっきりいえば、諸亮は春秋時代の管仲のように万能ではなかった。(宮城谷三国志から引用) >>14
答えてくれたのは揉めてる人だけかw どうも。
じゃあ記録は無いんだ、キングダムの影響でここらの地図よく見てる。
交通の要所。武関も函谷関も黄河南岸だからそうだね。
ただ咸陽は渭水北側、穀倉地帯も渭水北側。
長安は蜀に近く南岸は山がち、劉邦も同じだが南側も安泰。
228年に大都市だと思えないなあ、普段の食料調達でさえ渡河で面倒そう。
(あくまでもオレが思えないだけなのでw) >>16
宮城谷先生が魏延のなにを評価しているか不明。
楽観論に頼った無謀な長安奇襲策や諸葛亮の死後暴走し蜀将全員から反発され自滅した魏延に先鋒を任せたところで大きな違いは無かっただろうとしか思えないんだよな。むしろ魏延に任せたら暴走してた可能性もある。
そもそも魏延単独での大きな功績も実績も無いのに。 >>17
歴史を見れば長安はずっと大都市ですが。
何度も歴代王朝の首都になるのはなんでだと思う? この時代の歩兵行軍速度は1日30里(15キロ)
昼夜強行軍で100里(50キロ)が限界
この50キロという異常な速度は北伐時に孟達を急襲する為に司馬懿が移動した事で有名だけど他にこんな速度で移動した例は同時代にはない
武装プラス5-10日分の最低限の食糧、陣地構築に最低必要な物資に絞ってもそれを持って移動できる距離はgoogle MAPで出る時間とは全然違うよ >>11
流石に漢中を肉のない鶏肋というのは無理があるだろ
漢中という要害があるのと無いのとでは蜀の防衛力が全く変わったものになるぞ
後、劉備は漢中の防衛のための設備構築をしてる記述があるから魏延が名目だけの漢中太守とはとても思われない >>16
小説を根拠に歴史を考察するのはほとんど意味の無いことだよ
そもそも宮城谷先生、作品によって人物の評価がしょっちゅう変わる人なのに
例えば、諸葛亮の評価は先生の作品だと『三国志』と『諸葛亮』でかなり違う >>5
おいおい
曹真の侵攻を撃破した子午の役は、北伐じゃなくて防衛戦だぞ?
その功績で、魏延は鎮北将軍から仮節・前軍師・征西大将軍・南鄭侯へ躍進した >>24
それを魏延の防衛戦というのも違うと思うぞ。
侵攻してきた魏軍本隊が長雨で停滞している隙に魏延呉懿を魏の別働隊にぶつけて撃破したのであって。防衛戦や籠城戦とは言い難い。
魏軍の隙を見逃さなかった諸葛亮の戦略眼と魏延呉懿の野戦の強さを褒めるならわかるのだが。 >>9
夏侯楙無能エピソードって全部魏略出典で長安奇襲も魏略出典
魏略の他国話は特にデタラメな話が多い
魏の朝廷から出てないであろう魏略の著者が蜀の軍事機密なんて知る由もないだろうがそれが事実ならそんなレベルで筒抜けな作戦なんて成功の見込みはないね
まぁ大方本筋は敵の将軍にすら無能が知れ渡ってる夏侯楙wwwの部分で魏延の長安奇襲云々なんてのは与太話の域を出ない >>18
宮城谷って最初はブルーゾーン狙ったからある程度成功したんだろうなと思う
三国志に関してはネットでチョロチョロしてる魏延厨と同レベルの事しか言えないのに正史準拠アピールしてるの本当に腹立たしい >>12
漢人太守がどうとか関係ない
3つの郡が速攻で蜀に寝返ってるじゃん >>28
それは郡レベルでは対応できない大軍が来たからだろ >>29
違う
元より関中は軍閥による独自支配期間が長かったことや、異民族も多く、中央に従わない気風があった
>>30の地図を見ればわかるが、蜀軍の位置に関係なく呼応している
安定なんて、蜀軍の姿かたちもない離れた場所だけど、馬超・韓遂とともに反乱した楊秋たちの根拠地だけあって、蜀に味方している >>31
そんな簡単に裏切りや反乱が起こる危険な地域にある長安の兵力が少なかった訳ないよね。
5000程度の兵力が奇襲かけてきたくらいで防衛を諦め逃走するというなら長安の兵力は1000以下。夏侯楙が臆病だった事を考慮しても2000以下でないといけないだろうがあり得ると思うかい?
そもそもそんな臆病なやつが少数の兵士で危険地域にいられるはずがない。
ようやく魏延の策がデタラメで頓珍漢だとわかったようだね。 宮城谷スレの方は根拠もなく人の意見にケチを付ける狂人がいて文字通り話にならないので、こちらは会話になるだけでも助かるわ。 >>32
少ない
「そういう場所なら大軍が」は、現代人の思い込み
流通・交通技術がないから、食料は原則現地生産
でも、荒廃したあの地域には、郡にも州にも常備軍を設置できるほどの生産力がない
だからこそ、曹操・曹丕は後漢の涼州を河西回廊と長安〜隴西地域を分割し、後者と長安・司隷校尉の一部とあわせて雍州を作った
そうすることで、州政府としてあの地域の行政と軍事を統合し、食糧を備蓄できるようにした
だから、馬騰・韓遂・馬超は三国時代の地図では雍州にいるのに「西涼の軍閥」
諸葛亮に呼応した地域は、後漢では雍州じゃなくて涼州なんだよ
>>30の地図に新平郡と北地郡の間に「撫夷護軍」ってあるでしょ?
あれは、関中の治安維持のために曹叡の時代に設けられた「郡」もどき
治安維持軍の駐屯のためだけに、郡県の行政と生産を集約した軍事基地なんだよ
住民全員が治安維持軍のためだけに働き、兵は屯田して生産する
長安や三輔に大軍を維持する力がない
だからこそ、鍾繇は大きな常備軍を持たず、政治力で馬騰や韓遂、馬超たちを翻弄することに専念した >>35
別に大軍を常設させる必要はないのよ。ただ中央から援軍が来るまで持ち堪えるだけの兵力があればいいの。
あと流通交通技術が無いというのも言いがかり。何度も言ってるけど長安は中国の歴代王朝が首都とした場所。そんな場所に多数の兵士を置いておけないはずがないでしょ。
それこそ反乱が起きたら即座に皇帝が殺されちゃうよ。 長安城が董卓死後の混乱で廃城同然になって長安から西に120キロぐらいの郿に董卓が使った郿城跡が要塞として利用されてたんだよね
馬超の乱では西から攻めてくる馬超軍に対して曹操側の守将曹仁は長安ではなく長安より西の潼関に立て籠って対応したのも長安の復興がこの時点でもまだほぼ手付かずだったから
その後劉備と曹操の漢中争奪戦が起き劉備が漢中を押さえると曹操は張郃達を長安ではなく郿に駐屯させて漢中からの進出を抑えた
第一次北伐でも曹真が郿城に入って指揮を取った
長安から移動するより7日ほど早く隴西に移動可能だったから基本的に長安は蜀軍からの攻撃の際の守備拠点としては考えられていなくて物資の中継地ぐらいだったと思われる >>36
時代毎に長安の状況はかなり違うからそこは史料から読み取らないと想像だけでは的外れな話になっちゃうよ
正史の董卓、馬超、鍾繇、張既伝とか読めば都市としての長安がどういう状態だったかは結構詳しく出ているよ
正史すら読んでないただの想像で書いているのが透けてて無知丸出しだよ、君は 関中都督夏侯楙がいたこと自体が関中に常備軍がいた証左だろ >>38
長安がどういう状況だったのか詳しく書いてみ。
董卓が荒らしてから30年放ったらかしだったとでも?長安が重要でないならなぜ馬超や諸葛亮、魏延が長安を狙ったのか説明がつかないぞ。 >>40
それは正史に書いてある
自分で読んで自分の間違いを自分で知ってね
他人に手間を押し付けずに >>41
俺は長安が荒廃しているなどと思っていないしそんな記述も見つけられなかった。長安が荒廃していたと主張するあんたに聞いてるんだよ。
正史のどの記述から長安が荒廃していると思ったのか逃げずに答えてみなさい。 >>40
曹操は献帝擁立以降本拠地許昌の北、東を中心に進出したから西側に割く人員、金の余裕はなかった
だからこそ涼州の軍閥である韓遂馬騰を漢王朝の高官に任じて彼らに西側の支配を預けた
その代わりに彼らの子弟を人質として要求し馬超は一時的に曹操配下の将軍として賊の討伐にもあっている
一方で韓遂、馬騰らは荒廃した長安から西へ逃れて涼州隴西に来た人達を支配下に納め人口を確保しますます力を付けた
これがのちの馬超の乱の時に馬超ら5万を超えると想像される大兵力の動員を可能にする背景になっている
このあたりも全部正史に書いてある
馬超は長安ではなく曹操討伐を本気で狙っていたから目標はそもそも長安ではない
ほぼ廃墟の都市として長安はスルーして潼関を攻めた
これも正史に書いてある
諸葛亮の北伐も都市としての長安を狙ったというよりは州都長安を中心とする一帯の制圧を狙った
その途上で隴西を支配に置く事で漢中からこの方面に移住させられた人達の生産力と経済力も掌中におさめこれを補給や輸送に転用しようとしていた
これも幾多の論文で書かれていてそれなりに三国志の史料や論文を読んでいる人にとっては当たり前の話
簡単に入手したりネットでも読めるんだからとにかく自分で読みなさいな >>42
上記に示した各伝をお読み
1人も人がいないぐらいの状態だったタイミングまであったことが複数回明記されている
手間を押し付けない >>39
関中にいたのと都市長安に兵力かいたかは別の話
現在日本に米軍が駐屯している
でも東京に米軍は駐屯していない
どっちも正だけど示している事実は別
そういう話 魏と関中・隴西の状況が分る論文。
蜀軍が近づいただけで3郡が寝返るぐらいだから、魏延の奇襲が実行され成功していれば、もっと反乱者は増えただろうね。
> 馬超が韋康を攻め殺した際、一度は曹操についた周囲の郡県は雪崩をうって馬超についた。
> オセロの石が一斉にひっくり返るかのような様は、郡県を支える著姓や各郡の領域内に潜む諸集団の存在が、強い自立的傾向をもっていたことを示唆する。
> 寝耳に水とされた蜀漢軍来襲を受けた「三郡叛魏」は、その延長線上にある。かつて韋氏政権を支えた天水の有力者たちは、馬超に断固と反抗し、曹操政権への支持を打ち出していた。ところが、この反馬超行動はあくまでかれらの主体的な選択に基づく行動なのであって、ほぼ独力で馬超を追い落とし曹操軍を迎えたのである。
> 時勢の判断によっていつでも変わりうる、不確かな親曹操・親魏の姿勢であった。
> 少なくとも天水太守の馬遵はそう考えていたからこそ、姜維らへの不信を露わにしたのではないだろうか。
> 諸葛亮の「北伐」を受けて、魏王朝の関隴支配がなお脆弱なものに過ぎないと露呈させられたのである。
曹魏の関隴領有と諸葛亮の第一次「北伐」 駒澤大学 並木淳哉
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/36194/rsg087-03-namiki.pdf >>45
>でも東京に米軍は駐屯していない
東京23区内には米軍駐屯していないけど
東京都内だと横田基地に米軍駐屯しているよな・・・
(正確には東京23区内にも赤坂プレスセンターが有るけど) >>43
李傕郭らに荒らされて長安が荒廃したのは事実だがその後30年経っても復興せず荒廃したままだったとは読めんな。
むしろ鍾繇を長安に入れて関中の諸軍を統率させたのはある程度長安の復興が進んでいたからでその後鍾繇が復興に力を入れなかったとは考えられないぞ。
董卓に燃やされた洛陽ですら復興してるのに長安だけそのままというのも考えにくい。 >>47
なら奇襲を成功させないように長安には兵を置いてしっかり整備して守らないとね🤭
そんな重要都市を荒廃したままにしておくほど曹操はアホではない。 >>44
一人も人がいない時期なんて李傕郭が暴れていた頃だろ。
その後も人がいないままだったなんて記述どこにあるんだ? みんな正史読んでないのか
鍾繇は確かに関中復興の為に長安に赴いた
ただ袁紹とその子達の戦いで洛陽北岸から許昌へ迂回の動きをされた時に洛陽の復興も進んでいなくて洛陽方面の守備がガラ空きになっている
その時に鍾繇が向かってこれを防いだものの許昌と長安の間を突かれた事で長安より先に洛陽の復興をしなければならないとなり長安付近に集まり始めていた人は洛陽へ移住させた
鍾繇伝にハッキリ書いてある
これで長安復興の話は一度振り出しに戻った
この時に洛陽の西側の守りとして再整備されたのが潼関
潼関は長安からも近く西への侵攻の拠点にもなる
実際馬超の乱の時の防御線はここになり攻勢に転じる際にはここが輸送拠点として使われた
その後の事は張既伝など読んだらちゃんと書いてあるんだからちゃんと自分で読んで
過去に読んだものの思い込みで長安の復興時期やそれ以前に行われた洛陽復興の時期がズレてると思うよ
思い込まず読み直す
読んでないなら自分で一度読む
全部他人の書き込みに頼るゴミみたいな姿勢改めて >>52
>長安付近に集まり始めていた人は洛陽へ移住させた
鍾繇伝にハッキリ書いてある
袁紹と戦ってた頃にすでに長安に人が集まり始めていたなら北伐が始まる20年後はさらに集まっていただろうな。
それ以前に曹操が漢中の住民を移住させているし人が一人もいないなんて状況はあり得ない。
適当な妄想で一人で勝手に歴史を語られてもついて行けないよ。せめてどの記述からそう思ったのかくらい言えよ。 >>40
諸葛亮伝を読むと諸葛亮は一度も長安を取るというようなことを明言してないし、明確に長安を取るための軍事行動をしてないように思う
もしかしたら、諸葛亮は長安を戦略的に重要地点と考えてなかったのではなかろうか?
だとしたら魏延の策を取るはずがないはずだわ >>54
おいおい、今さらか
長安自体は、象徴的な意味と生活に適した肥沃な平地の拠点ってこと以上には、魏延も諸葛亮も諸葛亮以前の涼州軍閥も重視していない
軍事的には重要なのは、防衛に不便な都ではなくて潼関・函谷関だよ
だから、魏延の献策は「長安を奪取する」ではなく「潼関で諸葛亮と合流しよう」だったでしょ
魏延 >>54
そりゃ無いわ。
最後は五丈原に陣を移してまで長安に近づいているのに。
そもそも国のトップ二人の認識がそんなにズレるはずがないでしょ。国の総力をあげて戦争するのに実質国のトップが軍事のトップと戦争目的を話し合わないなどあるかよ。 >>53
鍾繇が長安に赴任した時期はそうだったという話を書いた
張既伝とかにその後の話は出ているからそれをお読みなさいと書いた
人に全部手間を押し付けずに自分でお読みなさい
そして人が1人もいなかったのがずっと続いていたとは俺は言っていない
復興を目指しながらも他の要件でそれがまた人を移動させたり金がかかるから中断したり馬超の乱でまた長安周辺の人口移動は起きてて復興事業は長期化してんの
洛陽が董卓に焼かれてから10年ほど経った曹操袁紹の抗争の時点で洛陽ですらまだほとんど手付かずだったぐらいで本拠地の許昌から更に遠い長安の復興はまだまだほとんど進んでいなかったからこそ鍾繇が長安に行った
その上でやはり先に洛陽を復興だとなったんだよ
思い込まずにもう一度丁寧に正史を読み直したら良い
正史なんて簡略に書いてあるから4,5の伝を読むぐらい自分でしなさいな
そして長安の復興が >>57
途中で切れてしまったから足すね
長安の復興が進んで人口が増えたのがいつか分かる記述がどこに書いてあるかは逆に君に教えてもらおう >>58
そもそもあんたがなにを読んで長安の復興が進んでいないと思ったのか不明なんだよ。
張既が漢中の住民を長安に移すよう進言しているからその頃には長安は多数の住民を受け入れられるほど復興が進んでいたと見るべきだろうし、魏が西の重要拠点を荒れたままにするはずがない。
蜀にしても荒れた都市をわざわざ攻撃目標にするはずもない。
あらゆる状況証拠から北伐時には長安の復興はかなり進んでいたと言える。 >>57
武都の民を京兆に移住させた記述はあるけど潼関の再整備ってどこに書いてあるの? 魏延伝の記述で行くなら長安奇襲なんて魏略のホラ話は真面目に語る必要ないな
このスレ終了 >>54
魏延にせよ、諸葛亮にせよ、狙ったのは関中。
長安という一都市じゃない。
そしてその最大の重要戦略拠点は長安じゃなくて潼関・函谷関。
そこを押さえることで、中原からの軍の進出を防ぐことができる。
董卓、李傕・郭、馬騰・韓遂、馬超、鍾繇。
みんな潼関・函谷関をめぐって戦った。 潼関や函谷関は関所だからそこをさかいに戦争になるが、長安も都督や天子が駐屯した重要拠点だろ そこが常に戦いのかなめになるのだから、潼関や函谷関こそ重要拠点でしょ
長安という都市が成立したのは漢代からだが、潼関・函谷関は春秋戦国時代や秦の時代から戦略的に最重要拠点だった
長安は関中・三輔・隴と河西回廊という関西の中の一都市に過ぎない
諸葛亮や魏延も長安を攻略したいのではなく、劉邦がかつてそう考えたように、関所を押さえて関東の軍を締め出すことが北伐の第一目的だ 長安までしか行かない魏略の作戦はやらなくて正解だったな。 >>66
なんか手段と目的がごっちゃなってるな。長安を攻略しそれを維持するために潼関が必要なんだよ。
決して潼関やら函谷関が目的なわけではないよ。
漢中の戦いでも定軍山や陽平関で攻防が行われてきたけどそれは軍事拠点を取れば戦線が有利になるからで両軍の最終的な目的は漢中なのはわかる?
長安の陽平関が潼関というだけ。 >>67
違う
魏略を信じるならば、諸葛亮に「潼関で落ち合おう」と提案したことになっているので、魏延の最終目標は長安ではなく潼関 >>10
魏延の「重門之計(重門戦略)」が魏を防いでいたからこそ、大規模な侵攻は起きなかった 劉備が考えて場合によっては興勢の役のように督漢中魏延が防いでいる間に成都からの援軍を待つというようなこともあったんだろうが、子午の役では諸葛亮が漢中にいたから魏延主導で実行されることはなかったな 関中都督夏侯楙解任されて曹真が関右都督となっているので第一次北伐の魏軍の主力ほとんどが元関中都督配下の兵だろう
夏侯楙がいた長安の兵力は推して知るべし 孟達が速攻で斬られてるからただでさえリスクの高い魏延案でいってたら史実より損害出てそう 潼関・函谷関は春秋戦国時代や秦の時代から戦略的に最重要拠点だった
>調べると春秋戦国や秦、劉邦の函谷関と別物(東方100q)じゃん
長安を攻略しそれを維持するために潼関が必要
>実際の潼関てゲームのようにそんなに強力だったのかな
黄河も思ったより障害と思えないんだよね
戦国期のこの地域での軍の動き調べると、当時は結構渡れたように感じる。
長雨や豪雨での増水期、濡れると寒さで支障が出る冬季、
それ以外は支障あるが渡河できたんじゃないかなあ。
年間何日渡河できるんだろう 結構渡れた(異議はかまわんですw)ようなら、
関東の軍を締め出すのに必要なのは、兵力であり速さかと。
劉邦のようにすぐ本拠を移す覚悟が必要じゃないかな。
成都が本拠のまま攻略は駄目だろうてのが今の感想
北伐一回目が魏の代替わりもあり、千載一遇の機会だったね
秦函谷関と西漢の洛陽移転前の函谷関は、同じ物と考えていいんだよね?
二つとも構造が対東勢力用かと。
東方100qにある漢函谷関は、用途が逆で洛陽を守るために造られたもの。
蜀軍が落としても対東勢力用に使えたのかな?
最近のゲームやらないけど両用なの? >>69
魏略と正史では兵の数が全然違うし別物じゃない? 正史三国志に伝のある衛覬が関中に人が戻ってきて諸将が部曲組み込んでいることを危険視して関中を復興に力を入れようと進言して一部は受け入れられている
鍾繇は衛覬の忠告を聞き入れず関中軍閥から民を取り上げて洛陽に移住させたが、潼関の戦いの関中軍閥の兵力は馬超伝注典略に十万とあり相当数が関中に戻っていたことが分かる
その後は馬超の敗退に合わせて関中の民は漢中などに流れて、曹操と劉備の漢中争奪戦のタイミングで関中に戻されている 関中が荒廃していて潼関の方が重要だとして長安奪取の成功率は上がるかもしれんが食糧も少なくそっからさらに潼関まで行くとか全体のリスクは変わらんからね
荒廃した関中に入るならなおさら隴右を平定して涼州からも補給できる体制を整えないといけないし、決戦するにしても荒れた関中を通って隴山を越えてきた敵と戦う諸葛亮案の方がいいでしょう 諸葛亮も魏延も、魏軍が手薄な関中・隴を奪って、魏を滅ぼす根拠地にしようとしたところは同じ
魏延は、まず長安を抜き、魏軍の関中への入り口である潼関をふさいでから、孤立した関中をゆっくり攻略しようとした
諸葛亮は、まず隴、続いて関中を奪ってから、関中・西涼の軍を糾合して長安・潼関へ押し出していけばよいと考えた
魏延の策が成功したかどうかはわからないが、諸葛亮の策が失敗だったことはハッキリしている
諸葛亮は、前年に呉との戦闘があったことから、魏の主力がこちらに向かってくるには時間がかかると思っていたのだろう
趙雲たちを牽制に残し、主力は隴方面へ向かった
だが曹叡は明主であり、即断して呉へ備えは曹休を残し、自らは大軍を率いて長安まで親征した
趙雲には曹真を当て、張郃に先行させて諸葛亮の出鼻をくじいた
さらに、手薄だった関中にそれなりの常備軍を置いて、郭淮らにこれを任せて雍州を掌握した
結果として、第一次北伐のように雍州で反乱が起きることはなくなり、諸葛亮は毎回漢中を出たところで撃退されるだけに終わった >>84
曹真が都督雍涼州諸軍事だったのに夏侯楙が関中都督で隴右都督が不明だから隴右は手薄かもしれないが関中は手薄とは言えないだろう >>84
下記は某所ベストアンサーの戦国期の函谷関についての説明
戦国魏の領土から秦の領土に行くための道は今も昔も実質ここしかありません。
魏と秦は絶壁の黄河で遮られており、これより北方のオルドス地域は
冬に黄河が凍結したときに命懸けで渡る場所でしたし、南方は山脈の峠道です。 潼関も上の説明と同じだと思ってない? この答えは間違い、黄河は渡れるんです。
戦国時、秦と魏は黄河を挟んで戦ってました。
南北に流れてる黄河を渡り、支流の汾水沿いから河北へ出るのは戦国期から大動脈。
東西に流れてる黄河も潼関近くから北岸へ渡れます。
あと戦国魏と違い、曹魏は宛方面から武関ルートもあり都合3ルート。
潼関を落とす時に背後の脅威になるし、落とした後に潼関で孤立する恐れもある。
潼関をふさいでから、孤立した関中をゆっくり攻略
このようなレスが出ないように78を書いたんだけど。 >>85
長安や関中は重要拠点だから大軍がいるはずだという先入観にとらわれすぎ。
>>84の言うとおり、関中に十分な軍はいなかったので、成功したかどうかは別として、魏延の作戦も間違いじゃなかったと思う。
・魏は蜀の侵攻を想定しておらず、北伐に震撼したことは記録に残っている。
・先年、呉と戦い、中央軍の全軍はまだ帰還していない。
・孟達も背き、そちらにも兵を裂かれた。
・軍事的な空白地だからこそ、曹叡は自ら軍を率いて長安まで親征した。
・曹真は、曹叡の先鋒として張コウとともにヨウ州に入り、郿を押さえたのであって、最初から都督としてヨウ州にいたわけじゃない。
・誰かが上の方で書いていたけど、流通システムがない当時は、常備軍を置くなら物資は現地栽培と備蓄が基本。
現在の常識で大都市があるなら、大軍いて、それを養えるだけの食料があると考えるべきじゃない。
・治安維持を出来るだけの軍がいない決定的な状況証拠として、諸葛亮の軍勢を見ないうちから、三つも郡が寝返ったり、太守が逃げ出している。
関中にそれなりの規模の魏軍がいたなら、そんな状況にならない。 馬謖は南方征伐の時、参軍でおそらく偏将軍かxx校尉・xx中郎将クラス
北伐のときは、稗将軍の王平を率いているから護軍か典軍を加官された雑号将軍だったのかな >>88
重要拠点だからとかではなくて都督という役職の話でしょう。
節を持ち夏侯淵を継いだと書かれる夏侯楙の関中都督が名目だけのものとは思えない。
・魏は蜀の侵攻を想定していなかったというのは北伐するかどうかの話で魏延案を実行する理由にはならない。
・魏と呉の戦いから第一次北伐まで丸一年以上間がある。
・孟達は諸葛亮が寝返らせようとして諸葛亮案でも利用している。
・曹真は隴右にもいなかった。
・魏延は長安に食糧があると言っており、仮に食糧がなく守備兵が少ない場合長安は奪えてもその後行動できなくなる。
・寝返った三郡は関中ではない。関中と違い隴右都督が置かれず、隴右こそ治安維持を出来るだけの軍がいなかったんだろう。 >>90
夏侯楙が都督の時は雍州での反乱に備えるのが目的の体制だった
それが孟達の蜂起と呉の劉阿の動きでで蜀軍の大規模な北上の可能性を察知して慌てて曹真、張郃、郭淮という三人の仮節をこの方面で防衛に当たらせた
元々関中にいた兵力だけでは足りないし夏侯楙ではそれに対応できなかったら緊急事態宣言を出して曹叡自らも長安まで出張ったって感じだろうね
劉備と曹操の漢中争奪戦の時のメンバー再集結の形にもなり、漢中や隴西の地理異民族事情にも知見があり軍事的な実績も豊富なこの3人が揃って防衛なんで人選としてはこれ以上ない
長安を北伐への防衛の後方基地として利用する必要もでてきて長安の復興はからぐらいから本格化したかもね
鍾繇、張既の時代は三輔の工作地整備が徐々に行われてたとは思うけど都市長安の復興するのに必要な人数を食べさせるのが可能なほどこの地域の食糧生産がまだできてなかったかな 関中にそんなに兵がいないなら夏侯楙が逃げ出すまでもなく攻め取るだけ
関中都督が率いるべき兵がいるけど夏侯楙が逃げ出せば動けないからこその魏延の策であり関中に兵自体はいただろう 関中に兵自体はいただろう
これはその通りだろうけど関中のどこにどの程度の兵力を置いていたかは分からないっていう話をずっとしていると思うよ
三輔内でいくつかの集団に分かれて屯田で農地整備をやっていて非常時に武装して作戦行動に入る体制だったかな
それなら長安の復興の下準備にもなるし >>88
ツッコミどころだらけなので簡単なところだけ。
>・誰かが上の方で書いていたけど、流通システムがない当時は、常備軍を置くなら物資は現地栽培と備蓄が基本。
現在の常識で大都市があるなら、大軍いて、それを養えるだけの食料があると考えるべきじゃない。
・治安維持を出来るだけの軍がいない決定的な状況証拠として、諸葛亮の軍勢を見ないうちから、三つも郡が寝返ったり、太守が逃げ出している。
関中にそれなりの規模の魏軍がいたなら、そんな状況にならない。
何度か書いたけど漢の帝都だった長安に流通ルートが無いなどあり得ない。そもそも交通の便がいいから帝都になる。
田舎の三郡の太守が寝返ったり逃げだしたから西の要所を任された魏の皇族が逃げ出すというのは飛躍しすぎ。そもそも三郡の寝返りは諸葛亮の工作もあっただろうよ。
同じく田舎の三郡に蜀の本軍に対抗できる兵がいなかったから長安も兵士がいなかったというのも論理の飛躍。
関中に兵士が少なかったのは事実だろうがいくらなんでも長安が5000に奇襲されるだけで逃げ出すほど少ないとは考えられない。辺境にまで兵を置く必要はないが長安という要所まで空にするほど魏はアホではない。 >>93
この時期に三輔で軍屯やってたって史書の記述ある? >>95
あちこちで暴れているアンチ宮城谷の長安&夏侯楙最強厨くんか
>>88は「関中は手薄じゃない」って話に反証を出しているのであって、夏侯楙が逃げ出すかどうかの話じゃないでしょ >>97
あちこちも何もここと宮城谷スレくらいにしかいないけど?
そもそもこちらの主張に対して相手がただ間違えてる論理破綻しているなど根拠もなくイチャモンつけて論破されてるだけですよ。暴れてるのはなんの根拠もなく文句をいう方だぞ。 >>97
それとどこで夏侯楙最強なんて話が出たんだ?書いてもいない事を勝手に捏造して話さないでくれるかな? >>72
魏延の計のおかげで魏の侵攻が起きなかったなんて記述あるか?
劉備が漢中の防備を整備した記述はあるが
それを全部魏延の功績にするのは無理があるだろ
もちろん全く魏延が関わらなかったとも思わんが 第一次北伐は春1月から始まって、張郃は800キロ近くを移動して街亭で勝ち、2月17日(丁未)には曹叡まで長安に行幸している
第五次北伐では諸葛亮が二月に斜谷を通って100余日の対陣のすえ8月に没しているので斜谷を通るのに1ヶ月以上かかっているだろう
まず子午道を10日で踏破するのが難しく、曹真らが来るまで20日とかからず、諸葛亮が斜谷から来るのは間に合わない >>101
ここは中国史全般だから三国志も普通に該当してるぞ
後、三戦板はここ以上に過疎ってる 三銭板は真三國無双の知識だけで歴史を語るところだからね >>98
他人と会話や議論できない人は三戦板へ行ってください >>106
議論できないのはただ相手を否定するだけのアホの方だっての😮💨
ちゃんと理由と一緒に反論するなら頓珍漢でも対応するよ。文句はただお前は間違えてると言うだけのアホに言ってくれよ。
たぶんあんたがそのアホなんだろうけど。 お互いの主張がかみあってない
魏延の策にワンチャンあったかどうかの話なのか、関中に兵がいたのかいないのか、長安に兵力がいたのかいないのか、
関を獲れば防げたのか防げないのか、反論に別の反論をもってきてしゃべってる
特に宮城谷スレ荒らし男の主張が支離滅裂
トリップ等付けて誰かわかるようにして、反論する時は誰の何に対する反論なのかを明確にして、自分の主張を論理立てて話してくれ >>108
だからどこが支離滅裂なのか具体的に言ってみろっての。
一方的に間違えてる支離滅裂と言うだけではこちらも反論のしようがないと言っている。
何度言われれば理解してくれるんだ? >>102
斜谷を通るのに1ヶ月以上かかっているだろう
ずいぶん遅いなと疑問が。これはどう解釈して結論出したの?
二月に斜谷を通って
これは十二年春二月,亮由斜谷出 この文からだよね
俺の解釈だと二月発、出発場所は成都、斜谷経由、行先は五丈原。
第五次北伐は屯田のため、種蒔き時期に五丈原に着くよう行軍したんでしょ。
途中漢中で準備や休んでるかもしれない。
第一次北伐は漢中から作戦行動。種蒔き予定行軍の速さで、
長安への作戦行動時間を計算してるなら間違ってるのでは。 >>110
むしろ400キロの険しい山道を10日で踏破するというのが異常なんだよ。
この時代の通常の1日の行軍距離は30里で約12km。魏延案だと休みなく1日の40km進む事になる。平地でも難しい距離を険しい山道を10日でとなると、仮にできたとしても兵士は疲れ果てて使い物に鳴らないだろうね。 >>110
諸葛亮は227年に漢中に出てから二度と成都に還っていないと思う
後主伝では南中征伐の後に成都に還ったと書かれるが第一次北伐でも還漢中としか書かれず234年には楊儀が還成都と書かれる
諸葛亮ほどの大物が重要拠点の漢中から成都に移動していたら書かれていないのが不自然だし第四次と第五次の間も漢中周辺での活動が見られる
明帝紀では四月に諸葛亮が斜谷から出てきたとある
漢中から斜谷を通って五丈原に着陣するまで三月いっぱい使っているという計算 >>112
漢中から斜谷を通って五丈原に着陣するまで三月いっぱい使っている
ああ、もしやと思ってたけどやはり漢中発で計算してるんだね
じゃあ、話が噛み合わないのでこの話は終わりってことで >>111
むしろ400キロの険しい山道を10日で踏破するというのが異常なんだよ。
魏延の話してないんだけどw
孔明の速度考えててぜんぜん頭に入ってなかったw
これはどこからどこを400キロと仮定して
10日で踏破っていうのはどこから出て来たの?
こっちも話が噛み合わなそうw 115の続き
俺の>>110は
成都(予想)二月発、五丈原四月(魏紀巻072)着。から書き込んでる
400キロの険しい山道を10日がまだわからない... 送信の間にレスがあったか
>>116
110に俺の解釈と書いてるでしょ
根拠は? と訊くのは止めた方がいい、荒れる原因
訊くなら柔らかくね >>113
支離滅裂と言ったのはただのイチャモンだという事ね。知ってた🤭
ただ誹謗中傷しかできないなら消えな。 >>115
ここは魏延スレだよ。
基本的な知識すら無いのではそりゃ話が噛み合わんよ。少しは調べてから書き込みなよ😮💨
人の意見にケチをつけるならどこが間違えているのか指摘しろ。ただイチャモン言うだけでは荒しと変わらんぞ。 >>122
どう解釈して結論出したのって聞かれたから答えたのにそりゃないよ…… >>122
少し調べりゃ分かることも調べずイチャモン付ける人は永遠にさよならでいいよ。 資治通鑑でも春二月亮悉大眾十萬由斜谷入寇の斜谷入寇って二月に斜谷の南側にいる書き方じゃね? 雍州
↑
各前線基地
↓
成都丞相府:諸葛亮、劉琰、魏延、楊儀、費禕など
↓
江州都督府:李厳、ケ芝など
↓ ↑
↓ 永安都督府:李厳、陳到など
↓
成都丞相府(留府):向朗、張裔、蔣琬、陳震、董允など
↑
南中ライ降都督府:ケ方、李恢、張翼、馬忠、張表、閻宇、霍弋 違った。漢中府だ。
関中・隴・河西回廊
↑
各前線基地
↑
漢中丞相府:諸葛亮、劉琰、魏延、楊儀、費禕など
↓
江州都督府:李厳、ケ芝など
↓ ↑
↓ 永安都督府:李厳、陳到など
↓
成都丞相府(留府):向朗、張裔、蔣琬、陳震、董允など
↑
南中ライ降都督府:ケ方、李恢、張翼、馬忠、張表、閻宇、霍弋 この当時の7都督(曹仁、曹休、曹真、夏侯尚、夏侯楙、臧覇、呉質)のうち、
223年_曹仁:仮節・車騎将軍・都督荊揚益州諸軍事
226年_夏侯尚 仮節・征南将軍・都督南方諸軍事・領荊州刺史
228年10月_曹休:仮節・鎮南将軍・都督(揚州) 諸軍事
と3都督が続けざまに死んでいる。
そして、北伐に前後して
臧覇:仮節・鎮東将軍・都督青州諸軍事
も亡くなっていると推測される。
都督に準ずる者として、文聘(仮節・討逆将軍・江夏太守)の死去もこの辺りだろう。
さらに226年には曹丕が崩御している。
曹休が死んだのは10月で228年春の北伐より後だが、同年の周魴の偽降による呉討伐失敗で病に臥せっていた。
そして、夏侯楙は罷免されるぐらいに頼りない。
ことから考えると、この当時の西方には軍事的空白があったと推測できる。 >>119
そもそも俺は108でも無いし
何のレスバしてるのかも知らない通りすがりだ馬鹿 >>131
ならなんで答えた?意味がわからんぞ。
まぁ結局なにが支離滅裂なのか誰も指摘も説明もできないので、ただのイチャモンだったという事実は変わらんからいいけど。 >>129
夏侯楙が頼りないのはそうだろうけど、東方の都督が死んで東方ではなく西方が空白になるというのがよく分からない >>138
諸葛亮の進軍した先が祁山で西方だったからでしょ
幽州を取られないために関中から西へ大きく移動しての防衛になる訳だから
関中に駐屯していた夏侯楙傘下の兵がそのままいなくなったたいう訳じゃなくて関中から西へ送る必要があったという意味だと思うよ
知らんけど 夏侯楙が逃げ出しても張特みたいにノーマークだった御史や京兆太守が気を吐いたらオワリよな >>142
そうなんですよね。
夏侯楙が逃げ出すというのも希望的観測ですし、そもそも10日で長安を貶すというのも天候が崩れればそれだけで破綻する不確定要素が多すぎる却下されて当然の策ですな。 >>138
>>129が挙げた状況から考えられる推論でしょ
ある程度の直轄軍を持ち、加えて州郡をまたいで地方軍を動員できる都督級が
どんどん死んでるタイミングだった
生き残りで大きな軍事権をもつ大司馬曹休は前年の呉征伐失敗で死にかけ、
驃騎将軍司馬懿は呉に備えて宛城駐屯
中央軍の多くは徐豫荊州にいまだ展開中か、洛陽まで帰ってきたところ
大将軍曹真は、曹叡の親征の先鋒として関中入りしたと考えられることから考えて、
223年の呉との戦いでも後詰として皖城まで進出したように、228年の戦いでも
後詰めとして出ていて、洛陽あたりで曹休に代わって戦後処理していたと予想される
よって曹真の直轄軍も、関中にはいなかったはず
関中には、ひんぱんに寝返るし北伐でも実際寝返った馬超・韓遂・楊秋系の残党か、
韋端・韋康系の残党からなる現地人の地方軍しかいない
撫夷護軍も、確か北伐後の設置のはず
確実に魏の制御下にある軍は、ダメ男楙の軍だけ
と積み上げていけば、関中は手薄で、その結果が「三郡叛魏應亮、關中響震」
「而卒聞亮出、朝野恐懼」だというのは十分あり得る話だと思うぞ? 魏側は北伐が始まる半年前までは少なくとも呉との国境付近とそこへすぐに数万単位の援軍を遅れる体制を使ってたからな
司馬懿が苑にいる上で曹叡は呉の攻撃に備えて張郃まで荊州北部に派遣しているぐらい
これは結果として孟達蜂起に司馬懿が向かって苑が少し手薄になったところに劉阿が進軍しようとしたのを張郃がこれに対応して事なきを得たことで曹叡の慧眼を証明さる事になったわけだけど
諸葛亮が南蛮制圧に取り掛かり漢中に北伐の兵を集めるまでの間は魏呉が大規模な衝突を繰り返していて長江沿いに魏の兵が集まってた 都督の軍権を重視するのに都督が健在の関中には兵がいなかったというのは矛盾すると思うけど
呉との戦争で将兵を移動させたというのなら張郃がそれっぽいが、蜀滅亡時は鍾会が関中都督、ケ艾が隴右都督なのに228年あたりは隴右都督の名前が見えないので隴右は手薄だったと思う
夏侯楙が諸軍を統率しきれないとかは夏侯楙個人の問題 >>146
前線にはそれこそ一線級の戦歴のある高位の将軍を配置してないと対応しきれないからね
関中は夏侯楙に任された事からそれほど大きな兵事が起きないと考えられていたかもね
兵力がどの程度かは分からない
主力を南に集めていただろう事は確実でそこから引き上げる途中であったとしても移動距離が数百キロ、1,000キロとあるので2-4ヶ月掛かるし
あと220年頃からは雍州にとして郭淮がいて羌族への対応は上手くやっていた
夏侯楙の役割としてはこの郭淮が援軍を必要とする場合にはそこへ関中の兵を送るような想定で蜀の大軍を相手に大規模な防衛は想定していなかったのでは?
蜀は夷陵での大敗で軍事力は壊滅的な被害を受けて大規模な攻勢をかけてくるとは考えていなかっただろうし
それが孟達の蜂起でこれが起き得ると考えたらから急いで人事交代と兵力の移動をしたんじゃないかね
この辺りの事情は正史やその他史料事細かに書いてある訳ではないから推測にしかならない
史料からハッキリ分かるのは北伐開始以前は夏侯楙が関中の兵を統率していた
魏の実績豊富な高位の将軍と大規模な兵が呉方面の対応にあたる為に南の方にいた
諸葛亮が漢中に数万の軍を率いて現れた時に夏侯楙は都に召喚されて代わりに曹真、張郃がやってきて曹叡も長安まで出てきたという事だけ 戦術的に正しくて絶対に勝てるって自信があって
信長は桶狭間を戦ったんじゃないだろうし
家康は三方ヶ原じゃ惨敗しながら天下をとったし
高杉晋作が功山寺で挙兵したときに勝機を見出してたとは思えないけど
それぞれにチャンスを与えられて思うように指揮をとれたのに
そのチャンスすら得られなかった魏延が不憫に思うんですよ 夏侯楙が任されたから関中が重視されてなかったってのは無能だったっていう決論ありきの考えでしょ
上尊号碑によると夏侯楙は中領軍だったし司馬懿や桓範にもそれまでの戦歴はなかった 中国の軍事専門家は
「この作戦の勝率は50パーセント(五分五分)」
と言っているとどこかで読んだことがある。
信長や高杉なら勝率3割でも乾坤一擲で決起するだろうが、諸葛亮は5割では決起しないだろ。 >>149
ではその反対で考えてみたら?
夏侯楙が有能で関中には充分な兵がいたのに尚書に転任された理由は正史やその他信用できる史料で出ている?
あるなら是非教えてくれ >>151
反対に考える意味が分からん
夏侯楙は皇帝の親戚として曹真や曹休のように中領軍から都督を任されて適正なしと判断されたから転任された
夏侯楙の能力いかんによって関中都督の軽重は決められない >>148
信長は桶狭間で戦わなきゃ滅ぼされるかよくて臣従させられるかだから戦ったんだよ。
そもそも皆に皆平等にチャンスが与えられるとでも思ってるのか?成功の説得力が無い作戦にチャンスが与えられる訳があるまい。 >>150
情報が雑すぎる。その上中身も無い。なにを持って勝算5割と言ってるのか中身を言えよ。そんなんじゃ肯定も否定もできんわ。
魏延案擁護派は中身が無さすぎる。 第一次北伐は春正月から始まり明帝紀では2月17日長安行幸より先に街亭の戦いが書かれるので
関中に兵がおらず曹真らが東方で兵を集めたすると、魏略にある東方が兵を集めるのに尚二十日の部分が非常に短かく魏延案は失敗するな >>152
では適性がないのになぜ夏侯楙はそもそも関中都督なの?
結果から推測するのがおかしいというなら曹真や曹休が与えられた任を死ぬまで解かれなかった事との違いを教えてよ
与えられた任を途中で解任されその後対応した曹真、司馬懿は任を最後まで務めた事と比較して考えたら彼等と違って夏侯楙は実力を高く評価されていなかったとからないかね?
もう一度確認するけど史料的にはそこはハッキリ出ていないよね?
あくまで君の推察でしょ、君の主張も >>156
適正なんて実際にやらせてみなきゃわからんわ。直近でも馬謖という実例があるだろうに。
夏侯氏の御曹司にして魏の皇族でもある夏侯楙が要地を任されるのは不思議ではない。
その後蜀が北伐を開始した事で才能も実践経験もないお坊ちゃんには諸葛亮の相手は荷が重かったので解任されたというだけ。 >>156
この時期の都督は曹氏、夏侯氏がほとんど
夏侯惇の子で、妻は曹操の娘、曹丕の幼馴染みという立場によって、ほとんど功績がないのに都督まで地位を押し上げられただけでしょ
ケチで好色で曹叡と妻に嫌われ、都督を更迭され、妻と弟に陥れられ処刑されそうになったという逸話しか残っていないってだけで、能力についてはお察し 長安奇襲策肯定派は長安に兵が集中しており、でも夏侯楙が逃げ出すから一網打尽にできるメリットを強調した方が良いのでは? >>159
長安に兵が集中してれば5千程度に攻撃されたくらいで逃げ出す必要など無い。
自分で矛盾に気づかないの? 誰がどれだけ魏延の策にも理があったことを説明しても、宮城谷スレを荒らしているアンチ宮城谷・魏延の人が
同じ主張を繰り返すだけで終わりそうだ 俺は否定派だけど他の部分で史料に立脚した反論ないんだもん >>161
どこらへんに理があるのかまとめてくれる?
どう見ても魏延案肯定派が論破され論点そらしで重箱の隅をつついているだけだぞ。それもだいたい論破されてるけどな。 >>158
夏侯尚は袁氏との戦い以来の騎兵の指揮官で、北方反乱の平定の参軍も
曹丕の時代には曹真と共に諸葛瑾の軍を破ったりしている
曹休、曹真は曹操時代の終盤で虎豹騎での実績があって曹丕時代には呉との戦いで活躍してる
一方で夏侯楙は戦歴は不明で曹操の娘を嫁に貰っていた事、曹丕とは親しかった事ぐらいしか分からない
他の曹氏、夏侯氏の都督と比べて都督になるまでの経緯が縁故以外に見えないし正史には独立した伝もない
一括りにするのは無理があると思うけどね
年齢がはっきり分からないけど曹休、曹真よりちょっと年下だったのかな >>161
強行軍で10日で行けるなら可能性はそれなりにあっただろうけどね
それでも後続軍を送ってもその後の補給ができないから一時的に郿周辺を確保して帰るだけになったと思うけどね
それによって魏がこの方面と雍州側の守備にあたる兵を増強すると第一次北伐のように羌族や氐族などが魏を離反する可能性は低くなって迂回する作戦まで更に達成が難しくなると思う
史実通り魏が備えをする前に祁山包囲して隴西方面の調略をやり魏の大部隊が涼州雍州へ向かうのを撃退する方が長安までのルートは確保しやすいと思う
出口側の郿の確保とそこへの兵站が確保できれば箕谷道は片道の兵糧と最低限の資材の搬送だけで送れるようになる
追加の兵糧や物資も細々ながら素早く遅れるサブルートが確保できるし >>163
論破なんかしてないでしょ。
「論破した」と言い張っているだけだ。
他人と言葉のキャッチボールできないから、宮城谷スレでも『荒らし』認定されちゃうんだよ。 第一次北伐の時も、曹叡注の軍も、その先鋒の曹真も張郃も関東から来たことは明らかだし、「魏は油断していたので震撼した」「3郡が寝返った」と大軍がいない状況証拠がある。
それなのに、アンチ宮城谷氏は「都督が二人もいた」「重要な関中だから大軍がいる」「重要な長安だから大軍がいる」「大軍がいるから魏延の策はあり得ない」と証拠も示さずに、同じ主張を繰り返しているだけ。
そもそも、第二次征伐の時には曹真も郭淮もいたにもかかわらず、雍州にいた曹真はわずかに費曜を送っただけで、郝昭を救援するだけの軍を動かさなかった。
援軍本隊の3万の軍を率いた張郃は、曹叡が「間に合わないかも」と不安に感じつつ、洛陽から送り出したことがはっきりしている。
郭淮の雍州刺史の軍も動いた記録がない。
第三次北伐の時も、郭淮が迎撃・救援に来たが手をこまねいて見ていただけだ。
つまり、諸葛亮を警戒していた第二次・第三次北伐の時ですら、関中に十分な守備兵力がなかったことを示している。
そして、子午の役の大規模な魏軍、第四次の司馬懿・張郃も関東から来たことは記録にある。 >>168
長々と頓珍漢な反論ご苦労さん。
こちらが言ってるのは長安だよ。関中に蜀に対抗できるだけの十分な兵がいなかった事は魏の対応でわかっている。
その上で長安まで5千程度の奇襲で逃げ出すほど手薄にする理由も必然性も無いと言ってるんだ。最初から大軍がいたなど言っていない。
長安から勝手に関中まで広げるのは単なる論点そらし論破されたやつの常套手段だよ🤭 >>167
勝手に論点を変えたのでは論破されたと見なされて当然だよ。
そもそも宮城谷スレも一人でアホが暴れてるだけ。普通は成りすましの自作自演や一人で17連投もする方が荒らしなんだけどね🤭 >>165
夏侯楙は中領軍から都督になってるからそこまでは特に問題なかったと思うんだよね
夏侯儒みたいに失態が記録されてる夏侯氏でも都督なってるし
ただ関中都督が先にあったわけで夏侯楙が無能だから兵が少ないとか有能だから兵が多いとかはないと思うんだよな >>169
また繰り返しに戻ってるよ
解任されていることからも、夏侯楙が奇襲などの突発的トラブルに耐えうるだけの能力はない人物であることは証明されている
だから、そんな夏侯楙でも奇襲に怯えて逃げ出さないだけの十分な兵力を持っていたかどうかがポイント
長安は要害ではないから、守備側有利理論の利点もない
だからこそ、馬超襲来時に鍾繇は長安を捨て潼関まで後退した
そして夏侯楙がどれだけの兵力を持っていたかは不明
長安に十分な兵力がなかった可能性はあるという状況として、長安を含む関西が手薄だったことが示された
それなのに「長安だから兵力はある。はい、論破!」の繰り返しですか・・ >>168
地方に軍を置くために都督制ができたわけで長安に都督がいるのに軍がないっていうのにまずムリがあると思うんだよね
そういう特殊な状態だったと説明したいなら他の将軍が関中の兵をよそに移した史料がいる
例えば第二次北伐の頃には張郃が関中諸軍を督して荊州に行っているので関中の兵が少ないことが確認できる
孟達の反乱の時もそういう動きがあったと確認できるなら第一次の時も関中に兵が少なかったと思うよ >>172
夏侯楙が臆病ならなおさら自分の周りには兵を置いていただろうね。何度も反乱が起きた地に自分の周りに少数の兵しか置かず居続けるのは豪胆であり臆病とは言えない。そして夏侯楙が実際に諸葛亮の北伐に対して逃げ出した実績など無いぞ。
さらに関中が手薄だったとは言っても結局魏の援軍が間に合ってるのであんたが思うほど手薄では無かったのも現実。
あらゆる状況証拠が長安にはそれなりの兵力がいた事を示している。そもそも常識から言っても重要拠点をあえて手薄にする理由が無い。 >>173
防衛時の都督は特別に直轄の兵を率いていない場合もあって任命されたら対象エリアの太守とその指揮下にある兵を指示監督する事も多いけど
都督が開く幕府(中領とか中護軍)スタッフは中央から派遣される監軍、参軍将軍とかが勤めて都督を支える
北伐への対応をする魏は北伐での防衛エリアになるところに兵をあまり置いていなかったから他の地域から将と共にやってきたんだろうね
関中内の乱や多少の変事に対応するのに必要な兵数と敵国の宰相が国力目一杯吐き出して数万単位の軍を連れてやってくる遠征に対応する為の兵数は違って当然 >>174
夏侯楙の尚書への転属が早かったしね、逃げてはいない
そこで逃げたら敵前逃亡で夏侯一門の筆頭武官でもあるから死罪だろうし
ただ関中にそれなりの兵がいたならそれを引き継ぐ曹真、張郃はもっと早いタイミングで動けていて諸葛亮が祁山を包囲したぐらいでおそらく隴西に入り終わってたんじゃないかな?
それが間に合わなったから涼州で蜀への大量投降が起きた
張郃と馬謖が街亭で戦った時には祁山はまだ頑張って対抗していたけどもし街亭で張郃が敗れて隴西に向かえなかったら涼州は完全に蜀の支配下だっただろうね >>176
>夏侯楙の尚書への転属が早かったしね、逃げてはいない
そこで逃げたら敵前逃亡で夏侯一門の筆頭武官でもあるから死罪だろうし
じゃあ魏延が攻め込んでも逃げないよね。
ハイ終了。 >>175
都督は特別に直轄の兵を率いてない場合って、例えば? >>168
関東から来た軍で隴山超えて街亭で勝てるんなら長安なんかすぐ再奪取だわ >>173
わかってないなあ
同時期に都督になった人たちを見てわからないか?
夏侯楙だけが任地が被っていることに
曹休 鎮南将軍・仮節・都督揚州 諸軍事
夏侯尚 征南将軍・仮節・都督南方諸軍事・領荊州刺史
曹真 鎮西将軍・仮節・都督雍涼州諸軍事
夏侯楙 安西将軍・持節・都督関中
呉質 北中郎将・使持節・督幽井諸軍事
曹丕が即位した220年に、曹真と夏侯楙は重複した地域の都督となった
ただし、曹真は国家の重鎮として洛陽・揚州・荊州を駆けまわらないといけない
そこでその穴を埋めるために、清河長公主の婿として曹操にプッシュしてもらえるほど曹丕のお気に入りの親友の夏侯楙が、即位の大判振舞いで都督にしてもらった
本来の雍州軍は曹真とともに行動し、その一部だけが夏侯楙に任されたのではないか
実態としては長安守備隊長のようなものだろう
夏侯楙の都督としての軽さは、一戦もせずに罷免されたことからもわかる >>180
わざわざ重複させてまで同地域に都督を置くんだ。さらに守備隊長まで置く長安の重要性がわかるな。
そんな重要な都市を手薄にする訳が無いよね。 >>180
例えば魏延も劉備が皇帝になると鎮北将軍って書いてあるけど実際は黄権の後だから夏侯楙も曹真と交代したとするのが自然な解釈だよ >>181
重要であることと大兵力が常駐していることはイコールじゃない
魏にとってもっと重要なのは洛陽、冀州・兗州・徐州・豫州・荊州・并州
だから兵力はそこに集中
そしてそれらの州と国境を接する呉こそ最大の敵
だからこそ、雍州都督の曹真も張郃も司馬懿も呉に備えて洛陽や豫州・荊州に展開しつつ、北伐があれば雍州へ移動していた
雍州と同じ扱いが幽州
幽州は冀州を異民族から守るための重要な最前線だけど、大きな常駐兵力はなく、奇しくも劉備の友人である田豫・牽招たちが苦労して兵力をやりくりしながら維持し、問題が発生したら中央軍の派遣を待つというやり方だった
夏侯楙は曹丕の親友だからこその「名誉都督」で、問題がない平時の都督、司隷校尉や河南尹のような存在と推測される
保有していた兵力も限定的だからこそ、長安を動けなかった
それなり兵力があれば、曹真たちがそうしていたように郿に移動して長安を守る態勢をとっていただろう >>180
黄権と魏延の地位は時期が重複しない単純に交代
曹真と夏侯楙は同じ220年に同じ任地の都督に着任だよ
夏侯楙の都督は、能力に合わないし、実際の軍権もない名誉職なんだ >>183
夏侯楙は220年には中領軍で曹真や夏侯尚と同じ昇進コースに乗っている
バリバリに実戦をこなした夏侯淵の関中都督を継いだと書かれるのになぜ名誉都督なんだ?
夏侯淵時代から関中都督の権限が削られたというのならそれを裏付ける史料がいるだろう
夏侯楙を無能としながら兵力さえあれば曹真のように正しい判断を下せるというのも分からん >>183
何度も言ってるが大兵力云々はどうでもいいんだよ。長安が奇襲で逃げ出す程度の兵力しかいなかったはずがないと言っているんだ。
ある程度の兵力が長安にいて逃げ出せば処罰されるのに逃げ出す馬鹿がいるかよ。
論点そらしは論破の証拠と判断させてもらう。 >>184
皇帝即位の後に〜って書き方でもタイムラグが一年以上ある記述もあるわけだから任地が被ってるなら交代だと思うなあ
それに任地が被ってたとして曹真は雍涼都督だから雍州軍を連れて涼州で行動するのはいいとしても
関中都督がいるのにその後も雍州軍を東に連れ出すのは問題だと思うけど >>184
皇帝即位の後に〜って書き方でもタイムラグが一年以上ある記述もあるわけだから任地が被ってるなら交代だと思うなあ
それに任地が被ってたとして曹真は雍涼都督だから雍州軍を連れて涼州で行動するのはいいとしても
関中都督がいるのにその後も雍州軍を東に連れ出すのは問題だと思うけど >>185
兵力の話はどうなのか知らないけど、夏侯楙の出世は曹真や夏侯尚と違うと思う。
夏侯惇の子、曹丕のマブダチ、曹操の婿、清河公主の夫という立場がもたらした出世というこのスレの指摘は当たってるんじゃないかな。
夏侯儒と同じ。 >>189
曹操曹丕と親密なのは曹真夏侯尚も同じやん >>148
あの頃の長州藩すごいよね。
幕府との四境戦争では、高杉晋作と大村益次郎という軍事的天才の双璧を押し立てて、すべての攻め口で幕府を押し戻し、逆に石見銀山を奪取した。
こういう軍事的天才がいても、諸葛亮は使いこなせなかっただろうな。
楊顒に「丞相が細かな帳簿までチェックするな」と注意されるぐらい、他人に任せることができない性格だもん。
自分と同質なものがあると感じた馬謖に賭けることはできても、自分が認めていない相手のギャンブルは許さない。 >>191
失敗が目に見えている作戦を却下する事など当たり前。魏延策などギャンブルとすら言えない机上の空論。
これまでの議論で長安に少なくない兵がいたのは確実夏侯楙も皇族としての立場や都督という立場から逃げ出せば処罰されるので逃げ出す可能性は低い。
400キロの山道を無理矢理10日で踏破した疲れ果て攻城兵器も持たない5千でどうやって長安を落とせるのか教えてくれ。 >>192
高杉晋作の功山寺挙兵がギャンブルでないとでも言いたいの?
水戸藩の天狗党の失敗は知ってたろうけど
前例にあがらってまず藩内の敵対勢力を倒し
その後明治維新まで突っ走って
真っ先に駆けつけた伊藤博文は生まれは低くても初代総理大臣
そもそも軍事の素人で現地を実際に目にしてない人の語る
歴史のifなんてどれほどの意味があるんだろうって思ってるのですが
その辺から解説してもらえると有り難いです 魏延の軍事的才能が高いと言いたい場合、長安奇襲策は趙雲と合わせた陽動だったとかこの作戦をなかったことにした方が良い >>193
成功の可能性があるならギャンブルと言えるが失敗が確実ではただの自殺。
魏延案の問題点はすでに指摘済み。反論があるならそちらに答えてからにしてくれるかな。
時代も国も状況も違う事例を持ち出してなにが言いたいのか。何度も言ってるが論点そらしは論破の証拠と見なすだけだぞ。 >>195
出来ない理由を並べてなにもしようとしない人は取り残される
一方で出来るって精神論だけではなんともならない死の行軍が待っている
この辺のバランスは難しいとは思います >>193
軍事の素人でも400キロの山道を10日で踏破して滴の重要拠点を落とす事が不可能だとわかると思うけどな。
今はGoogleで地図も見れるし見れば険しさも分かる。当然そのような道で攻城兵器など運搬する事は難しいとわかる。
魏延案は夏侯楙が逃げ出す事を前提に立てられた策で逃げ出さねば全てが終わる。敵の無能と臆病に期待するギャンブルとすら言えない愚策だぞ。
違うと言うなら確実にとまではいかなくとも、なにかしら夏侯楙が逃げ出すという根拠を示してみろよ。 >>196
できない理由が多すぎて失敗が確実なら動かない方が正解だろ。動けば良いというものではないと理解できてる?
失敗してもリスクが無いならまだいいが失敗すれば魏延と精鋭5000を失い北伐のチャンスが潰える。分が悪すぎる割に損失も大きい。仮に成功しても長安が維持できるか疑わしい。ハイリスク・ローリターンの作戦を推すなら成功のビジョンを示してくれないかね? >>196
で結局魏延案の問題点は何一つとして答えられないという事でいいのね。
これを論破と言わずなんというのか? >>199
それについては宮城谷氏が既に述べている
宮城谷全否定ならもう語るべきことはない 魏延案の妥当性
長安を含む関中の守備体制
夏侯楙の都督として立ち位置並びに曹操、曹丕時代から曹叡時代への中軍、外軍の規模と編成、規模の変遷
魏蜀の遠征時の食糧確保における屯田の実情
政権交代による幹部人事の変更の裏側にある人的繋がりの整理 >>200
ここは宮城谷スレじゃないんだよ。逃げないで自分の言葉で語れ卑怯者。 第五次北伐では事前に食糧を斜谷口に集めてたのに斜谷を抜けるのに1ヶ月かかってそっから長安まで5,6日かかるから諸葛亮が間に合わないよ >>201
守備体制というなら3郡の寝返りはあったものの魏は援軍の到着まで関中を確保してますけど?この事実からも長安がちょっとした奇襲で放棄されるはずがないと推測できる。
夏侯楙の立場云々も夏侯楙が逃げ出す根拠になっていない。食料の確保や屯田なども何を言ってるのか意味不明。第一次北伐時に魏軍に食料が欠乏した事実など無い。
反論とはこうやってするんだよ。再度の反論お待ちしてます。できなきゃ論破とみなされる。これが議論のルール。 一作家宮城谷の魏延像と宮城谷の北伐への考えはスレの流れとしては本旨ではなくなりつつある
スレを立てた人やその人とやり合ってた人以外が話に入ってきた事で起きていると思われる部分を個別に調べ直していく中で北伐直前の魏は都督人事を含めて移行期だったのが伺える
死去や移動人事があった時期が明確に分からない、各人に与えられた職責の範囲が正史だけでは分からない、人的な繋がりについては推測が多くなるから語る人によって何が重要か、誰が重要かが変わるのは当然だと思う
個人的に鍵になる人物は3人で夏侯尚、夏侯楙、郭淮の立ち位置の変化
特に夏侯尚に関しては曹操との関係と曹丕との関係に差がありこの人の死後に曹丕による大きな体制変革があったように感じる >>204
あっ、それは反論の意味で書いた訳ではなくて自分が調べかけていることの羅列なんで
誰かを論破するとかいう目的ではなく自分が一通り調べ直す中で分からない事が出てきた時にご存知の方や他の見方をする人の意見を聞けたらと思う事でもある
現時点で整理できている人がいるならその人の意見を聞いてみたい >>206
なら最初からそう書きなよ。というか話の途中で個人的なメモを書くな。 >>202
だから軍事専門でもない素人が歴史の軍事作戦のイフについて
語ることの意義が分からないと言ってるのだが日本語理解できてるか? >>209
じゃあ最初からこのスレに来るなよ。自分がどこで何を言ってるか理解できてる?
論破されて悔し紛れに文句を言ってるとしか見えないぞ🤭 >>208
言い訳して逃げ出すやつしかいないのか? >>210
正体見たり絵文字野郎
そもそもお前、真面目に議論する気ないだろ >>212
正体もクソも別に隠してないんだけどな😅
議論はしてるよ。お前らが反論できなくなって逃げてるだけ。いつでもどうぞ🤭
>守備体制というなら3郡の寝返りはあったものの魏は援軍の到着まで関中を確保してますけど?この事実からも長安がちょっとした奇襲で放棄されるはずがないと推測できる。
夏侯楙の立場云々も夏侯楙が逃げ出す根拠になっていない。食料の確保や屯田なども何を言ってるのか意味不明。第一次北伐時に魏軍に食料が欠乏した事実など無い。
反論とはこうやってするんだよ。再度の反論お待ちしてます。できなきゃ論破とみなされる。これが議論のルール。 >>212
ていうか魏延スレで軍事の素人が語るな、など馬鹿すぎて面白いぞ🤣 >>214
否定でしか語れない人とは誰も真面目に議論しようって思わないこと分かってる?
てかまず>>193の素朴な疑問に答えてほしい
個人的にはほとんど意義を見いだせない(とはいっても「高い城の男」とかSFなら例外はあるけど)歴史イフを深堀りする意義について教えてくれる? >>215
そもそもこっちは最初から魏延案の否定派なんだから否定するのは当然なんだが?
そして国も時代も状況も違う高杉晋作が成功したから魏延も成功したかもしれないなど愚かすぎて議論する価値も無い。隣の山田さんがパチンコで勝ったから魏延も勝つかもしれないと言ってるようなものだぞ。馬鹿すぎ🤣 >>216
聞きたいことに答えずに論点ずらしてバカ扱い
そんなことだからどこでも嫌われるんだよ >>216
ああ、日曜の午後のくつろぎのひとときを絵文字なんかに付き合って
不毛に過ごしてしまってすごく後悔している >>217
阿保。何度も言ってるが国も時代も状況も持ち出す事を論点そらしと言うんだよ。高杉晋作の成功と魏延案などなんの共通点も無いとわからないのか?
反論できなくなった馬鹿に嫌われるのは仕方ない🤭 >>218
日本語が読めるだけで理解できないやつは大変だな。
わざわざ魏延スレに来て頓珍漢なイチャモンをつけ論破されて逃げ出すのは惨めすぎる🤣 逃げ出す逃げ出すって言ってるけど誰もまともに相手しようって思えなくなってるだけだぞ、逃げた覚えは微塵もない
まずは絵文字が論点ずらさずきちんと人の問に向き合うべき 高杉晋作は例として挙げたまで、曹操だって対董卓の初戦は惨敗でそこから這い上がってきた。そもそも戦争ほどどう転がるか分からないってウクライナやパレスチナ見て感じないか? >>221
相手にしないのではなく反論できなくなってるだけだと思うがな。魏延案など真面目に見ればそもそも肯定する方がおかしい。
違うと言うなら反論よろしく。そこまで言っといて逃げるなよ🤭
>守備体制というなら3郡の寝返りはあったものの魏は援軍の到着まで関中を確保してますけど?この事実からも長安がちょっとした奇襲で放棄されるはずがないと推測できる。
夏侯楙の立場云々も夏侯楙が逃げ出す根拠になっていない。食料の確保や屯田なども何を言ってるのか意味不明。第一次北伐時に魏軍に食料が欠乏した事実など無い。
反論とはこうやってするんだよ。再度の反論お待ちしてます。できなきゃ論破とみなされる。これが議論のルール。 >>223
勝手にマイルール押し付けてハイ論破ってこれまでどんだけ恵まれた人生送ってきたんだよ、羨ましいぞ、おい >>222
失敗から這い上がってきたからどうした?魏延案が失敗すれば魏延精鋭5千失い北伐の機会が無くなるとまだ理解できないのか?そもそも失敗が目に見えているのにやらせる馬鹿はいない。
可能性がゼロじゃなければやってみる価値があるというマヌケか?お前が蜀の丞相だったら即滅んできただろうな🤭そもそも士官すらできず野垂れ死んていたか🤣
魏延案の問題点は何度も書いている。いつでも反論どうぞ。逃げ回るなよ惨めすぎるぞ🤣 >>224
反論して再反論がなきゃ反論できませんという事だろ?
試合放棄は負けだぞ。
反論しなくても論破じゃない言う方がマイルールだろマヌケ🤣
俺が負けと認めなければ負けじゃないという無敵ルールか?🤣 >>225
だからそういう歴史イフを語ることの意義を教えて欲しいんですよ、ウスラボケさん >>226
反論になってないって見なされてるのが理解できて無いようでそこからして非常に残念 >>227
だからここはそのifを語るスレなんだよ。日本語が理解できないおマヌケさん🤭
反論ができず言い訳ばかりで惨めにならないのか? それにある程度の需要があるのは分かってる
そのうえでその意義を尋ねてるんだからまずはこれに逃げずに答えてほしい >>228
どこが反論になっていないか指摘しような。お前がそう思うというだけでは無敵すぎるだろ🤣
お前は常になんの根拠も示さず相手を否定するだけのクズだな。恥を知れ。 それは最早スレの人たちの共通認識で本人だけ分かってないとは残念すぎる >>230
意義がわからないやつになんでいちいち教えてやらねばいかんのだ?別に俺はお前にいてほしくも来てほしくも無い。意義がわからないなら消えればいい。
逆に意義がわからないのになんでお前はここにいるんだ?要するにお前はただ俺にケチをつけるために意味のわからないスレに来てイチャモンをつけてるということか。クズと言うしか無い。
わざわざ論破されるのも馬鹿らしいだろうから消えろよマヌケ。 >>233
いや、お前がこのスレにいる意味も分からないんですが 議論するつもりもない、自分の意見に反対するのはみんな敵ってなら自分の好きなように創作書いてればひょっとすると数年後にはファンになってるかもしれない >>232
お前は毎回自分の妄想を拡大解釈し過ぎだな。同意も無いのにどこで他の人がそう認識しているとわかるんだ?指摘してみてくれ🤭
論破されて言い訳して逃げてるやつが数人いるだけだぞ🤣 大抵の人は絡まれて面倒くさくなって書き込みをやめちゃうんだけどそうすると絵文字みたいな最後に一言言ってやって論破なんて勘違いしてるのが非常に痛い >>234
どう考えてもお前だろ。歴史のifを語る場所だぞここは。
本当に日本語が理解できないようだな。 >>237
別にやめてもいいんだけど、それは議論のルールでは負けになると言ってるんだ。
それを否定する無敵の馬鹿には勝てません🤭 現在進行系の事件や戦争でも見方によって評価が割れることがいくらでもあってそれが歴史上のことで地理も装備も現在とは違うんだからいろんな解釈、可能性が出てきて当たり前。もしあのときこうなってればって空想を働かせて楽しむのはいいんだけど、これしかあり得ないって自分の意見を押し付けられるのには辟易するんです >>240
押し付けてなどいない。俺の意見が間違えていると言うならどこが間違いなのか言えばいい。言えないから高杉晋作だの素人が語るななど頓珍漢な言い訳してるんだろ。卑怯で惨めな言い訳するな。逃げ回るなら消えろクズ。 >>239
そんな議論自体不毛だって思って負けてやってもいいかって思う方が大半だけど論破して気持ちいいって勘違いする人が増えてきて手に負えない >>241
逃げてるのはそっちでこちらの質問にまともに返答していない
まずはそこからだな >>242
だったら反論してみろ。何も言わずにケチだけつけるクズに要はない。 >>243
お前の質問は高杉晋作ガーという見当外れで頓珍漢なやつだろ国も時代も状況も違いすぎて答える価値も無いと答えてやっただろマヌケ🤣 >>244
反論はこれまで既にいろいろあったろ、自分の以外にも
まともに聞かずに全否定するからだれもまともに相手しなくなるんだよ >>246
全否定が反論なんだが?
否定されるの嫌なら最初からくるなマヌケ。議論とはそういうものだ。手加減して否定しないように議論してくださいとでも言うつもりか?🤭 >>245
さいごにマヌケって罵ったら勝ちとか小学生レベルだから誰にも相手にされなくなるんだよ、って相手にしちゃってる自分も大概だけど >>248
お前にしか言ってないから安心しな。そもそもマヌケを抜かしても成立するから反論してみろ。なんの根拠もなくケチをつけるだけなのがお前な🤣 >>249
絵文字、ひょっとして高杉晋作の功績についてよく分かってないのか?
議論の対象は魏延オンリーなのか?
戦争ほど先が読めないものはないって見解についてはどう思ってる?
チェスみたいに盤面の勢力道理に作戦が進むものだという考えなの? >>249
反論無くなった、はい逃げた、はい論破
なんて言ったらイラッとするだろ
お前がやってるのはこういうことだ >>250
まだ理解できていない😮💨
高杉晋作が成功したから魏延も成功するかもしれないなど馬鹿すぎるぞ。隣の山田さんがパチンコで勝ったから魏延も勝つかもしれないと言ってるに等しい。
議論の対象にしたいならせめて高杉晋作の成功と魏延案の類似点共通点でも示してみろ。
戦争は先が読めないからこそ慎重に成功の道筋と失敗のリスクを天秤にかけてやるものなんだよ。わからないけど成功するかもしれないからやってみるなんていうお前のような馬鹿が戦争を語るな🤣 >>251
反論もせずに無視して好き勝手言われりゃ反論しろとも言いたくなる。それでも反論がなければ論破と見なすしかあるまい。俺が認めなければ論破じゃないという無敵の馬鹿は邪魔なだけなので消えてくれ。 >>252
過去の発言をきちんと読んでないのが丸わかり
魏延の作戦なら必ず成功するって誰が言った?
作戦実行の立場にいなくてチャンスすら与えられなかったのが残念なだけだよ >>253
ブーメランに突き刺さってるのに気が付かないとはうっかりさんだな >>252
そもそも戦争なんてしたくもないし語りたくもないし語った覚えもないな >>256
じゃあ消えろ。なんでいるんだよマヌケ。 >>254
愚策にチャンスなど必要ないと言われたのをもう忘れているようで🤭
誰にでもチャンスを与えたらそれこそ国が滅びるとわからんか? >>255
具体例を言ってみ。なにがブーメランなんだ?
何一つとして根拠が言えない。妄想でしか反論できない惨めな荒らしは無視するか😮💨 >>257
ほらその態度、聞く耳持たずに消えろだマヌケだっていう方がマヌケなんですよ、バーカバーカ
って小学生レベルの言い争いになっちゃうんで言葉遣いはもうちょっと考えたほうがいいですよ、おマヌケちゃん >>259
自分がまともな反論をしてるとでも思ってるの、脳みそカニなの?
すぐに相手を貶める言葉を使って逃げようとしてるふうにしか見えない
こちらの質問には一切答えてないよね
どれかひとつにでも回答してみて? マヌケ以外に語彙力を増やしたほうがいいな、まずはそこからだ >>260
聞いてるから何も語れず根拠もなくイチャモン言うだけのクズに消えろと言ってるんだよ。お前はただの荒らしだぞ。 >>261
答えてるだろ。都合の悪い文字は読めなくなるネトウヨ特有の病気をお持ちのようで🤭 >>264
いや、思想的にはむしろ左翼なんだがまあそこはどうでもいい
まずは簡単な質問から答えてみて
脳みそカニなの? >>263
荒らしに荒らしと呼ばれる筋合いはないしここはそもそも荒らし隔離スレ >>266
じゃあ来るな。消えろと何度も言っているんだがそれでも居座るお前が荒らしだ🤣
この理屈も理解できないんだろうな😮💨 >>265
嘘つけ。
どうせ南京事件は捏造だと思ってるアホだろ。 >>267
やれやれ、レスが遅いなって退屈してた挙げ句にこんなこれまでとなんのひねりもないレスとはワンパターンでガッカリ >>269
やはり理解できていない。予想通りの見当外れの頓珍漢回答🤭
荒らし隔離スレにわざわざ居座るお前も荒らしだという簡単な理屈も理解できないのでは日常生活も大変だろうな。実に惨めなネトウヨだ🤣 >>268
そういう決めつけが良くない、すべては自分の思う範囲で動いてるって勘違いがこれまでどんな悲劇を生んできたことか、プーチンとか。
南京とか尖閣諸島とかについて中国の人と話すのは難しいな。
三国志の範囲でなら中国の歴史大好きで敬意を払ってますって
言えるけど話題が南京とかを尖閣諸島になると空気がピリつく
「台湾の人は日本語詳しい」っていう中国の青年に
「台湾は昔、日本だったんだよ」って教えてあげたらキョトンとしてた。
「ニイタカヤマノボレ」のニイタカヤマが富士を超えて
新しく日本一になった玉山のことだよってとこまでは説明できなかった >>271
中国の人と話すのは難しいとは?俺は日本人だが?
もしかして決めつけてるのか?🤣
まただらだら言い訳して逃げてるけどそもそも南京事件を捏造だと思ってるのかどうか聞かれたことに答えりゃいいだけ。
まぁ答えを濁すという事は捏造だと思ってるのだろうな。ネトウヨだし🤭 >>272
この辺の解釈がもうアタオカ(頭おかしい)で、もはや会話が成り立たぬって思って去っていった方々、気持ちはよく分かります
でも、もうちょっとだけ頑張ってみます、やれるだけ、頑張ってみます、つまりは単純に絵文字のこと、嫌いだから >>273
一人で何を言っているのだか🤭誰もなにも言っていないぞ。お前には誰かの擁護意見が見えてるのか?都合の悪い文字は読めず書いてもいない文字が読めるネトウヨ特有の病気だな🤣
もう一度聞いてやろう、お前は南京事件を捏造だと思っているだろ。たまには逃げずに答えてみろ。 『「南京事件」を調査せよ』(清水潔)とかを読むと南京事件は捏造ってのは歴史修正主義者のたわごととしか思えないです。 >>274
だから思想的にはむしろ左翼、五木寛之とかに共感するんだけど
人の話を聞かない奴だな、絵文字 >>160
鳥羽伏見の戦いで滝川なんとかは優勢なのに逃げ出したわけだが。 >>277
鳥羽伏見で逃げ出したのは滝川具挙もだけど徳川慶喜もそうですね
天皇制に対する思いとか思想的ハードルは超え難くって
単純に兵の人数が兵力差になるというわけじゃない おいおい絵文字、とうとう尻尾巻いて逃げるのか?
まあ、それでもいいけどな 優勢で逃げ出すのもいれば劣勢で粘るやつもいるんでそこは水掛け論にしかならないと思いますけどね
三国志だけでも前後でパッとしないのに以外な活躍をみせた游楚とか夏侯儒とか張特とかいるんで 宮城谷三国志では黄権の評価が高くって大谷吉継ではないけどこの人に兵を預けて思う存分働いて欲しかった >>192
夏侯楙が逃げるかどうかを問題にしているけど、そもそもその逸話は『魏略』だよね。
正史の魏延伝は「延、每隨亮出、輒欲請兵萬人、與亮異道會于潼關、如韓信故事(魏延は出征のたびに兵1万を預けてきただき、韓信の故事に倣い、諸葛亮とは別の道を通って潼関で合流したい)」でしょ。
「韓信のように関中を奪取するまで、軍を分けて自由にやらせてくれ。最終的に長安で落ち合おうぜ」だから、長安に奇襲したいわけじゃない。
さらに「每隨亮出」だから、第一次北伐のことですらない。
そもそも『魏略』を正とするなら、むしろ魏人から夏侯楙は逃げ出すような臆病者と思われていたことになる。
さらに『魏略』が正しいなら、諸葛亮は魏延に後事を託し、楊儀が策を用いて政敵を追い落としたことになっちゃう。 >>282
『魏略』の中に魏延の台詞があるので夏侯楙を臆病者だと思っているのは魏延ですよ
それに『魏略』の一記事が誤りだからと言って別の記事まで誤りだとする必要はありません >>275
最初からそう言えば終わる話を逃げ回った挙げ句に言われても信用できんわ🤭
どうせその場しのぎの嘘だろ。 >>277
それがどうした?
国も時代も状況も違う事例を持ち出したところでそういう事もあるね。で終わり。
常識で考えて優勢で逃げ出すケースと逃げ出さないケースどちらが多いと思う?魏延案で優勢の敵が逃げ出すという保証は?
馬鹿はここまで言われないと分からないか? 一日かかってもまだ論破できてないの?
もっと頑張て下さい >>279
お前のように1日中暇だと思うな。
ID:rvYLV9LM0(44/44)
44回レスして忙しいもんな >>285
思い込みの激しい人間とはまともに話できないってのはリアルでもあるあるで困る >>294
「国も時代も状況も違いますが少数で攻撃して敵が逃げてくれる事例があります。なんの因果関係も共通点もありませんが今回も逃げてくれるかもしれません。攻撃しましょう」
こんな事言われて許可するやつは馬鹿でしか無いぞ。許可をもらおうとしてるのがお前な🤭
馬鹿はここまで言わないと理解できない。いやどうせ理解できないのだろうな😮💨 >>295
頼朝が挙兵した時って宗盛が都落ちしてくれるだろうって期待してたわけじゃないだろうけど軍事作戦って一旦始まると当事者の手に負えなくなって意外な結末をもたらすことがある。
ロシアが攻め込めばウクライナなんて恐れおののいて逃げていくと思ったらそうはならない。 >>296
言われてる事をまるで理解できていない😮💨
ここまで愚かだとどうしようもないな。
敵が逃げてくれる事例があるから今回もそうなるかもと期待しろとでも?なにが起きるかわからないからとりあえずやってみようで国の命運をかけられるか馬鹿。 >>297
もうこのやり取り何周目だよ、いい加減に覚えろよ
だれが無茶な軍事侵攻を正当化してそれなら確実だから支持したいって言ってる?
そもそもお前、宮城谷三国志十回読み直して味噌汁で顔を洗ったうえで出直してきたのか?話をするならそれからだ 第一次北伐の主力が洛陽から来て2月17日まで街亭を終わらせたとなると
1月1日に諸葛亮が岐山に現れてから早馬が洛陽に飛んで行ったとして
1ヶ月半の間事前準備もなしに毎日伝令は1日100q近く、軍団は1日20q以上というとんでもないスピードで動くことになる
洛陽に情報が入るがで1月半ばで曹真らはほぼ単身で長安入りして夏侯楙から指揮権を引き継ぎ、曹叡こそ洛陽から1ヶ月かけて軍を率いてきたとみるべきだろう
魏延は東方から軍兵が集まってくるのに30日ばかりといっているので、出撃と同時にそれが魏にバレると想定しているのだろう
魏延が子午谷を抜けるまでバレなければ魏軍が長安に来るのは作戦開始から40日ということになる
諸葛亮が斜谷を抜けてくるまで最短35,6日なのでこれなら魏延と諸葛亮が合流してから魏軍が来るまで4,5日の猶予が取れる
だが諸葛亮は木牛流馬もまだないのでもっと遅れる可能性が高く、夏侯楙も逃げ出すか分からない
斜谷を知らず諸葛亮の行軍速度を誤っている魏延の行軍も10日以上になり情報の隠蔽も難しくなるだろう >>298
時代も国も状況も違う事例を持ち出したのは魏延案w正当化するためだろ。じゃなきゃなぜ高杉晋作だの無意味な事を言い出した?
馬鹿の屁理屈は理解できんよ😮💨いい加減に消えれば? >>300
高杉晋作は逆境ながら計画を立案し作戦を決行することができた、魏延は作戦を立ててもそれを実行できる立場になかったのが惜しいって言ってるのに、何も理解しようとしないままバカの一つ覚えのオウム返ししか出来ないなんて残念ですよ >>301
とっくの昔にしてるのに馬鹿が認めず悪あがきしているだけだろ🤭 >>302
魏延の雑で杜撰な作戦と高杉晋作の計画が同じように見えるのか🤭
私は馬鹿ですと自ら宣言してるようなものだ🤣 >>283
魏略の著者は劉表に仕えた人、つまり劉表生前に成人していた人物
例え蜀滅亡まで生きていたとしても、廖化や宗豫と同じ80代でそこから著作したと思えない
であれば、蜀が滅んでから蜀の幹部に取材できたはずはない
また、諸葛亮と魏延の会話を聞くことができる蜀の高級幹部が魏に亡命や捕虜になった例もない
であれば、『魏延が諸葛亮にこう言った』というのは、魏略を書いた人かその取材先の魏人の考えである可能性が高い なあ、お前らもこの板で久々にディスカッションを楽しみ、そのうえで勝利したいんだろ?
自己満足な勝利宣言して、このスレをさっさと終わらせたいわけじゃないだろ?
誰も相手をしない冷え切ったスレで、孤独につぶやきたいわけじゃないだろ?
だったら、荒らしみたいな書き方じゃなくて、お互い気持ちよく議論できるような書き方しろよ
そんなことを繰り返しているから、三戦板に続いて中国英雄板も衰退しちゃうんだよ >>305
そんな言い出したら歴史なんてどこでそんな話聞いたんだよのオンパレードだよ。
有名なのだと始皇帝が実は呂不韋の子どもだとか、始皇帝死後の趙高や李斯の陰謀など誰が聞いたんだそれを言い出したらきりが無い。
そもそも記録に残らない事も無数にあったろうから蜀の幹部が誰も魏に移らなかったなど言い切れるものでも無いぞ。 >>305
魏人が『魏延が諸葛亮にこう言った』と思っており、魏延の発言内容が敵国の伝聞であり誤りの可能性はありますが
魏延の発言内容そのものを魏人の考えだとするのは不自然だと思います >>306
基本的にはその考えに賛成だけど、宮城谷スレからわざわざ粘着してくるストーカーみたいのがいるのでね。
こちらの問にはほとんど答えず一切議論もせずイチャモンをつけられれば罵倒の一つも言いたくなるというもの。こいつさえいなくなれば平和になると思いますよ。 >>299
> 曹真らはほぼ単身で長安入りして夏侯楙から指揮権を引き継ぎ
裴松之の『三国志』の注釈の引用元として有名な習鑿歯の『漢晋春秋』によると、趙雲とケ芝の陽動軍の方が曹真より兵力は多かったとある
真偽は定かじゃない記述ではあるが、長安にいた兵力がそれほど多くなかったと考える参考情報にはなるかも >>310
趙雲の別働隊は弱兵ばかりだったらしい。陽動という事を考えれば、ちゃんとした兵士ではなくそこら辺の野人や農民にそれらしい格好をさせて数だけ揃えただけだったのでは?
わりと簡単に負けてるし。 >>305
あとこの時代の人たちわりと手紙でやり取りしてるから直接会わないでも手紙で近況を知れてたりする。
諸葛亮が魏の誰だったか忘れたが「重臣の誰某が死んだと聞きましたが本当ですか?」という感じの手紙を送ってる。今のように電話も無い時代だし手紙で細かくやり取りしていた。 >>310
この時の魏軍は趙雲に対処する曹真と隴右に行く張郃で軍を二手に分けている
大兵を率いたと書かれる街亭の馬謖は多かったと言われないということは曹真の兵が少なかったんだろう
この後の石亭の戦いから第二次北伐にかけても曹真は張郃に兵を多く預ける >>312
時候の挨拶ならまだしも、軍機に関わるような内容はさすがに送らないんじゃないだろうか? >>314
こっそり魏に情報を流していたやつもいただろう。
もしくは数十年後にあの時魏延がこんな事言ってた。という可能性もあるし考えれば可能性はいくらでもあるよ。 >>314
というか重臣の生死もわりと重要な情報だけど普通に聞いてるし、逆に時候の挨拶程度のやり取りだけで終わらせるほど暇じゃないでしょ。
手紙のやり取りするだけで何十日もかかる時代ですよ >>304
高杉晋作の作戦って倉庫襲って食料と武器を奪って軍艦奪ってというような綱渡りの連続だぞ、まだ魏延の方が成功率が高そうだわ >>317
まだいたのか。スレ違いの頓珍漢な妄想しか言えないなら消えろよ。 >>318
相手にするから出てこざるをえんのだよ、消えたら逃げたって言われるのが不快でな >>320
反論できなくなり低レベルにも程がある罵倒をするクズ🤭
これを論破といいます🤣 >>319
それが荒らしをする理由か。
ただ論破され続け見当外れの妄想を言い続け恥を晒しているだけだと気づかないのが愚か。
スレ違いの妄想しか言えないんだから消えろよ。 >>322
やだね、自分の無能無為無策を呪うがいい >>322
そうだな、宮城谷スレを荒らしたことを土下座して謝って三回回ってワンと吠えたら考えてあげよう 書き込んでるうちにふと思ったんだけど高杉晋作が挙兵の際に「長州男児の肝っ玉をお見せ致す」とか言ったのってつまり「俺の死に様を目に焼き付けとけ」って風に解釈できて、諸葛亮が魏延の策を退けて安全策を取ったのはそれほどの心意気がないのが諸将にまで伝わってしまって、敗戦後はもう魏に侵攻してはならぬとか、自分を棚に上げて羹に懲りて膾を吹くような感じがして残念 >>309
こちらの問に答えずってお前がだ、よくもぬけぬけと言えたもんだな、この鉄面皮 魏延の行軍がバレなければワンチャンあるかと思ったが魏延は日程が遅れたら食糧がないから飢えて戦いにもならんかもな >>289
1日に46回レスしてる人に言われてもなんの説得力もないな >>327
旧暦1月は新暦の3月でそのタイミングで雪中登山強行した上で戦えると魏延が考えていたとは思えないけどな
魏延案と言われるものがそもそも眉唾もの
先に祁山方面から本体が隴西を伺う大きな陽動をかけて魏の本体をそっちに引き出して手薄になっていたら郿を間道から強襲なら分からなくもないけど
それでも補給が続かず一時的に釣り出した魏本体への補給路を遮断できれば御の字だろうね >>329
魏延策じゃなくて、魏略の魏延策やな
正史の魏延は二路による関中制圧を提案しているだけで、長安とすら言ってない 何月にやろうが魏延が10日を過ぎずに長安にたどり着けるとは思えないけどな
諸葛亮の行軍日数が実際より短いのも季節の問題じゃなくてただ道の長さ険しさを軽く見積もっていたのだろう
関中入りするまで行軍を秘匿でき、食料が持つのであれば魏延ももう少し遅い方が諸葛亮とのタイムラグが縮まって良いのかもしれないが >>330
魏略だろうとそれはどうでもいいのよ。
要は一般的に言われる長安を奇襲して落とすという魏延案が現実味の無い机上の空論だという事がわかれば。
なぜ魏延案を >>331
仮に10日でたどり着く事ができたとしても相当な強行軍で兵士は疲弊の極みでしょう。道の険しさを考えると荷車なども使えず武器防具を持てば食料も10日分を
携帯するのが精一杯で攻城兵器など持てるはずもない。
そんな軍がを見て逃げ出すやつがいるかね?夏侯楙だとて城を捨てて敵前逃亡すればどうなるかぐらいわかっているだろう。夏侯楙が逃げなければ長安を落とすことは不可能。 >>333
戦場には霧とか摩擦もあるからねえ
魏延軍の様子を冷静に観察すれば逃亡はありえないんだが、いきなり子午谷と斜谷から蜀軍が現れれば現状を正しく認識できない可能性はある
まあ諸葛亮案がある以上取るべき策ではないと思うが >>334
やはり敵の無能やうっかりが無いと成立しない時点で検討に値しないですね。失敗すれば全滅確実ですしリスクとリターンが釣り合わなすぎ。 魏延の他の没案も残ってれば面白かったのにな
比較すれば魏延の考えの変遷が分かったかもしれない >>336
魏延の最後を考えると誰かが手綱を引いた方が生きる人物だったのだろう。好きにやらせたらそれこそ自滅するタイプ。
孔明より先に死んでいればあのような醜態をさらさず、あるいは五虎将と一緒の伝に入れたかもしれないのに。 >>337
それは今回の議論と同じで『諸葛亮派閥に排除されたから、魏延はダメな奴だ』という先入観に影響されてないか?
魏延は、劉備から抜擢されて以降、失敗らしい失敗はない
それどころか、軍功多大だ
一方、諸葛亮は馬謖抜擢、北伐ほぼ失敗など南征以外は軍事面で成功らしい成功がない
まあ、諸葛亮派の人には「魏延に失敗がないのは諸葛亮がコントロールしていたからだ」ということになるのかもしれないが そういえば、魏延も関羽・張飛と同じく純粋な軍人階級出身。
諸葛亮たち士大夫層から低くみられており、北伐期には軍幹部も李厳・楊儀・呉懿・呉班・輔匡・ケ芝・張翼・姜維たち名士たちが占めるようになって、孤立していたという研究があると、dat落ちした蜀将スレだったかに書いてあったね。
実際、兵隊・下士官あがりとハッキリわかる人で、上級軍人は王平ぐらいしか残っていないもんなあ。
その王平も、諸葛亮・魏延死後にようやく都護や督、軍師・監軍・領軍・護軍より下で、参軍より上の典軍だもなあ
後輩なのに監軍にまで昇進している姜維とは偉い違いだ 戦術的な失敗はないけど戦略眼はないだろう
結果論でなくても魏延は無謀すぎる
諸葛亮が死んでそれまで物資の管理や命令伝達をやってた楊儀らを帰して本国の体制も変わるのにどうやって戦い続けるというんだ?
会議の場で剣を抜くことから考えても魏延に深慮遠謀があったとは思えない
北伐するごとに提案した作戦が徐々にリスクを抑えたものだったりすると、魏延の見方ももう少し変わってくるのだが…… >>338
いや魏延の最後は擁護できんだろ。
蜀の将軍が死んだ諸葛亮の遺言に従い誰一人として魏延に従わなかった事から明らか。そもそも魏延の策が正当ならもう少し蜀将から支持されただろう。
魏延が諸葛亮死後一人で暴走して自滅した事実から魏延単独で兵権を任せなかった諸葛亮の見る目の確かさが証明されている。 >>338
諸葛亮は司馬懿に勝利したり歴戦の名将張郃を討取るなど実績も多いぞ。司馬懿は諸葛亮以外には苦戦すらしていない名将中の名将。
逆に魏延はこれと言った功績が無い蜀の人材不足により出世した人物と言える。 >>341
他の将軍が魏延に付いていかなかったのは、魏延に付く者が出ないように楊儀たちが仕組んだからだよ
むしろほとんどの将軍は魏延置き去りを知らず、単純にシンガリを務めていると楊儀たちに思わされていた可能性が高い
魏延をハメたことは、戦場をかなり離れてから知らされたんじゃないかな
陳寿の王平伝の「軽はずみな人柄」という書き方は他の評価と矛盾するので、単純に軽率という意味ではなく、「やたらに戦いたがる、好戦的」という意味だという指摘がある
だとすれば、王平は魏延の積極策には共感していたんじゃないかな
おまけに異民族出身で文盲な王平は楊儀たちから軽んぜられていただろうから、楊儀たちにだまされていなければ、魏延に付いた可能性もある
楊儀が王平を魏延討伐の先鋒に任命したのも、忠誠心を試す意図があったと勘ぐることもできる >>343
仮に楊儀の裏工作があったのだとしてもそれに気づかず孤立し暴走した事には変わりない。魏が同じような工作してきても気づかなければもっと酷い事になっていた。
そして蜀の将軍が騙されていたというのも妄想だな。もし王平が騙されていた事に気づいて魏延側に付いたらどうするんだ?兵士にも見放され親子だけで逃げ出した事実は重いぞ。 >>345
出発は楊儀達が先で魏延は慌てて別ルートから先回りしたような記述
この時点ではもうどっちが置いて行かれたとかよりお互いにアイツめっ!みたいな感情の話でしかないけど諸葛亮の遺言である北伐軍の撤退を遂行しているのは楊儀でそれに反対したり、撤退の邪魔をした時点で魏延の言い分は丞相府内の将軍、幕僚にとっては命令違反にしかならないと思う
かといって諸葛亮の後継者としてみんなが楊儀が相応しいとは思っていなくて、諸葛亮の遺言である撤退をみんなで職務としてやりましょうというだけの話だったと思うけども 魏延の長安奇襲は魏略の記述
であれば、諸葛亮は魏延を信頼したが、楊儀に陥れられたという記述を本スレでは正とすべき >>343
王平を好戦的とする解釈ははじめて聞いたな
「然性狹侵疑、為人自輕」は王平が自虐的で卑屈だとか、みだりに人を疑うせいで王平が軽く見られたという解釈は聞いたことあるが
街亭や興勢でも事前に決められたことを愚直に守るタイプで結構保守的だと思うけど >>347
一つ正しければ他も全て正しいとでも言うつもりか?
注を付けた裴松之ですらデタラメだと言ってるのに。 諸営は引き始めてるかもしれないが楊儀が未発のうちに魏延が先に南に帰り始めてるから戦場をかなり離れてからネタバラシするのはムリだ >>351
ネタバラシって蜀将が騙されたて魏延置き去りにしたという妄想の事か?
もし騙されたてのならもう少し魏延に同情が集まり三族処刑になどならなかっただろうよ。
そもそも魏延が諸葛亮の遺命を無視して勝手に残って戦争を継続しようとしたら置いてけぼりにされただけだろ。
これも俺が残ると言えば賛同するやつが出てくるだろうというお気楽な考えからの行動だろう。俺が行けば夏侯楙が逃げ出すという考えに通じる。こんなやつに軍を任せれば蜀の滅亡は確実に早まっただろう。諸葛亮の見る目の確かさがわかる。 ▽ナショナリズムを滾らせろ。
中華が恐れる「無限の命を操る死霊術士」
戦場に立つ。
「雑談→ホンモノのRUSTその1」
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RUST(ラスト)ゾンビレイド/Season.11 第1話
「裸の王様/帰ってきたネクロマンサー」
ttp://iplogger.info/2Tk4H7.tv 狡兎死して走狗烹らるって言葉があるけど、魏延の場合は狡兎は死していないけど、飼い主が死んで、遺った猟犬を使いこなせず怯える士大夫たちに烹られちゃったって感じ >>343
王平が好戦的なんて頓珍漢解釈初めて聞いた。おそらくそうしないと魏延が悪者になるので無理矢理解釈してるだけだろう。
楊儀が王平の忠誠心を試すために先鋒にしたというのもそのまま裏切られたらどうするんだ?わざわざ裏切る可能性のあるやつを先鋒にする意味がわからないんだが? >>356
いや魏延は自滅。
普通に諸葛亮の遺命に従ってれば少なくともあのような死に方はしなかったしその後も大人しく漢中を守って寿命で死んでいればよかったのに。
三族皆殺しって完全に謀反人扱いだぞ。 230年の子午の役で魏延は仮節・前軍師・征西大将軍・南鄭侯となった
231年の李厳罷免時も、上表には使持節・前軍師・征西大将軍・涼州刺史・南鄭侯として名を連ねている
そして234年に死んだ
一方、姜維は諸葛亮の北伐に従軍する中で、どこかの段階で中監軍・征西将軍となっており、234年に蔣琬政権誕生とともに右監軍・輔漢将軍に移った
つまり、魏延は生前に征西の地位を姜維に譲っていたことになるが、死亡した時の地位は何だったんだろうか?
蜀は四征より四鎮が上だから鎮西大将軍か鎮北大将軍に移ったのか?
車騎将軍は劉琰だから、魏延は驃騎将軍か衛将軍になったのか?
232年に中軍師・車騎将軍・都郷侯の劉琰が、魏延との対立が原因で更迭された時、官位はそのままで成都へ戻され、234年に処刑されている。
もし処刑が、諸葛亮の死去以前であれば、魏延は234年のうちに驃騎将軍となり、その年のうちに死んだのか?
それとも征西大の魏延と征西の姜維が並立していたのか? おっと自己解決、並立だったのか
使持節・前軍師・征西大将軍・涼州刺史で南鄭侯の魏延
行護軍・征西将軍の當陽亭侯の姜維
が表に並んでいるな 同じ征で同じ方角の大有り無し共存って、魏や呉、西晋であったっけ? >>360
華陽国志の魏延は五丈原のあたりで鎮西大将軍
李厳弾劾の上表の姜維は征南将軍 魏延が諸葛亮の遺命に逆らい残って戦争を続けると言ったのは、そう言えばあとに続く蜀将が少なからず現れるとでも思ったのかね?
結果は全員から見捨てられ慌てて引き上げ蜀の桟道を焼くという一つ間違えれば大惨事を起こしかねない事をやらかすやつがなにかの間違いで軍権を握ったら蜀の滅亡は確実に早まっただろうな。 「RUST~世界征服編~day2」
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RUST(ラスト)ゾンビレイド#38
Season.11 第2話
「ネクロマンサーJ vs
世界最強鯖ラストリア.USMain」
ttps://iplogger.info/2TU4H7.tv 関羽に関平・関興、張飛に張苞・張紹・敬哀皇后張氏・張皇后、馬超に馬秋・馬承、黄忠に黄叙、趙雲に趙統・趙広
魏延にも魏延とともに軍務に携われる年齢の息子たちがいたのに、名前が伝わっていないのが残念だな
後三国志演義では魏攸(呼延攸)・魏晏(呼延晏)・魏(呼延)だったな >>365
個人的な功績もないようですし蜀からすると父親の謀反を止められなかった謀反人の一味ですから名前を残す価値なしと判断されたのでしょうか。
父親同様に嫌われていた? >>366
完全な創作物だからそもそも名前があっているかすら分からない 諸葛亮の死後、尚書令となった蔣琬の成都政権を構成したのは、中軍師となった楊儀、前軍師となったケ芝、後軍師となった費禕、右監軍となった姜維、前領軍となった張翼と、漢中府を督漢中・車騎将軍として掌握した呉懿の6人。
諸葛亮の死直前に幹部から除外されたのは李厳・劉琰・魏延。
彼らが問題を起こさず、その地位のままであった場合に、朝廷での序列は以下のようになると考えられる。
@李厳_中都護・驃騎将軍・光禄勲・都郷侯
A劉琰_中軍師・車騎将軍・都郷侯
B魏延_前軍師・使持節・征西大将軍・涼州刺史・南鄭侯
○袁綝_前将軍・都亭侯
○呉懿_左将軍・荊州刺史・高陽郷侯
○高翔_督前部・右将軍・玄郷侯
○呉班_督後部・後将軍・安楽亭侯
C/D蔣琬_撫軍将軍、益州留府参軍または長史
D/C楊儀_綏軍将軍・丞相長史
Eケ芝_督左部・中監軍・揚武将軍
F費禕_行中護軍・偏将軍
G姜維_行護軍・征西将軍
H董允_侍中
こうしてみると、諸葛亮は意中の後継者である蔣琬の邪魔になる李厳、劉琰を自らの手で排除。
魏延の排除は楊儀に託す。
さらに費禕には、楊儀を監視させ、場合によって排除するように指示。
そういう諸葛亮の冷徹さが想像できてしまう。
劉封排除も諸葛亮の進言だし。 >>367
いやこっちが問題にしてるのは正史だし、そもそも名前が合っているのかなどどうでもいい。
問題はなぜ他の将軍連中は息子の名前が残り魏延は残らなかったのか。
張苞関興など史実では早死しているのに。 >>369
李厳・劉琰・魏延らの排除というが、ただの自業自得だと思うが?
李厳なんかはちゃんと息子は使ってるし。 >>369
魏延の排除も魏延が命令違反して暴走しなけりゃ良かっただけ。勝手に自滅したのを諸葛亮の冷徹さというのも違うだろ。 >>370
子供達も封公されたし処刑されるようなこともなかったから名前が残ったんじゃ?
魏延の方は子が封公された記述はないし本人が叛逆の罪で一族処刑されたし。
あと記述がないことの理由やその証明はしようがないという事は良い加減理解した方が良いよ
反論があるなら根拠を出せと言いながらそもそも記述がないことを自分が主張していおきながら反論したり、他の意見を述べる人には証拠を求めるのは議論ではなくイチャモンだ。 家が残ってるかどうかだろ
魏延の代で全滅したから魏延の子は魏延の子でしかなかった >>373
別に証明しろなどと言ってないでしょ。ただ他の人の意見を聞きたかっただけなんだが。
あと三国志は記述が乏しい。記述が無いで話を終わらせてはたいした事はわからんよ。書いていない事でも前後のつながりや行動から読み取る事も必要。
もちろん行き過ぎては妄想になるけどな。 >>371
李厳は荊州だけでなく、益州においても名士だから減刑ってのもあるんじゃない?
やったことを考えれば、処刑された劉エンより悪質 >>376
李厳は職務怠慢だけど劉琰は皇帝を罵ってるのでこの時代では劉琰の方が悪質だぞ。 諸葛亮が劉琰にしたのは成都に送り返すまでで官位は元通りだった
処刑されたのはその後の事で劉禅の意思だろう
李厳もわけの分からない行動をしたのに処刑されずに息子は登用され本人も諸葛亮がいる内は復帰を諦めていなかった
二人に対する処遇はむしろ諸葛亮の温情の現れだろう >>378
官位そのままだからこそ、死刑は丞相である諸葛亮の意志でしょう
諸葛亮は、楊顒に諫言されるぐらい、全てのことを自分でチェックしないと気が済まない完璧主義者で、他人に任せることができない性格
ましてや、劉琰は「中軍師・車騎将軍・都郷侯」で李厳亡き後、諸葛亮を除く群臣の筆頭
丞相の裁可なしに処刑はありえない
劉禅が死刑を求めたとしても、実際に「死刑にすべき」を決裁したのは諸葛亮で、執行者は成都丞相府の長史である蔣琬
そもそも劉禅は223年生まれで、処刑は234年
満年齢で11歳
諸葛亮が生きており、蔣琬・董允が成都にいる状態で、幼主(や皇太后呉氏)が「あいつを殺せ」と勅命を軽々しく出すと思えないし、出しても内容の吟味無しに群臣次席の車騎将軍が死刑になるなんてありえない
劉禅のボンクラぶりを強調するために、劉禅のせいにされただけだろう 恥ずかしすぎるwww 趙雲が助けたのは誰だよ、いつだよ >>379
裁可は臣下が君主に求めるもので逆はいらん >>379
即位した年と生まれた年を勘違いしてるのね。wIkiでも見たのか? >>379
それにしても劉琰の処刑理由を考えれば11歳はあり得ないとわかりそうなものだが。
諸葛亮を悪者にするのに必死になりすぎてないか? >>379
諸葛亮が劉琰を排除したかったんなら官位をそのままにしておくはずがないし
諸葛亮に劉琰の官位を剥ぐ力もないのに処刑には諸葛亮の裁可が必要とか矛盾してるだろ >>385
官位を剥ぐ力はあるでしょ
ただ魏延とケンカしたって理由だけで、そこまでできなかっただけ
魏延と楊檥なんて頻繁にケンカしてたわけだしな >>386
つまり諸葛亮は劉琰を恣意的に排除したのではなく適切な量刑をしたわけだ >>386
官職を剥ぐ力があるのに剥がなかったのは劉琰を排除する気が無かったということだな。 年齢の間違いはともかく、諸葛亮が死刑執行書を決裁し、成都の丞相長史の蔣琬が執行したというのは正しいと思う
本スレで話題の夏侯楙がそうであったように、訴えがあり、それを理由に皇帝が殺そうとしても、取り調べなしに現役の車騎将軍を殺すことはできない
また、処刑までのあいだに取り成しや助命嘆願がある
劉琰は、諸葛亮の荊州派閥でもなく、諸葛亮が育てた益州地元民でもない
彼ら諸葛亮系の官僚・軍人にとってみれば、ろくな働きもないのに高い地位にいる邪魔者でしかない
だから、蔣琬や董允たちも劉琰のために弁護はせず、冷淡だったんじゃないかな
変にミステリー要素は考えずとも、単純な感情論として見ればよい >>389
間違いを認められないのは見苦しいぞ。
諸葛亮が処刑を決裁したというが劉琰の処刑までの経緯を知っているか?自分の妻が劉禅と密通した事を疑い妻を殴打し離縁した事を訴えられたからだぞ。
処刑の中でもかなり重い棄死だし諸葛亮が入る余地がない。
言っとくが儒教の中国では妻が夫を裏切る通姦は大罪。そんな大罪に妻だけではなく皇帝劉禅も巻き込んだのでは死罪は避けられんわ。
そして感情論から最も遠いのが諸葛亮だと知ろうな🤭
泣いて馬謖を斬る人が個人的な感情で動くかよ。 劉禅と諸葛亮の関係からいって劉禅が諸葛亮に相談したというのは十分あり得るだろうし諸葛亮が反対すれば死刑にはならなかったかもしれないが、なぜ諸葛亮の決裁が必要だとまで思うのかは分からない
劉琰は獄に下され有司が議して、きちんと手順を踏んでいるように見えるのにこれを通常通りではなく冷淡とするのも分からないな >>390
またアンチ魏延さん?
俺は>>379ではないよ
それに、>>379の諸葛亮ミステリーの話に同意しているわけでもない
俺が同意したのは、官僚機構と法の執行手続きの話だけだ
処刑執行までには時間があり、夏侯楙は救われた
劉禅が即断で自らの手で殺しているわけじゃない限り、いつ・どこで・だれを・どのように処刑するかを決めるには官僚が動く
処刑対象が車騎将軍であれば、丞相府が動くという当たり前の話をしている >>392
だったら感情論として見る必要もないんじゃないですかね >>392
夏侯楙の件は妻の嫉妬からの冤罪だ。だからこそ擁護論も出た。対して劉琰は妻を暴行した上に皇帝劉禅を通姦罪に巻き込んでいる。いわば皇帝を侮辱したも同然で皇帝が官僚や丞相などを飛び越えて処罰できるケース。これで丞相府にお伺いをたてるようではどちらが皇帝かわからなくなるわ。
皇帝とは基本独裁者だと忘れてないか? >>392
というか別人のフリしてるけどあんたは>>379書いたやつだろ。
文章の書き方のクセや句読点の使い方が似すぎなんだよ。そもそもこんな頓珍漢な理屈を擁護するやつがこんな過疎スレに複数いるとは思えない。
どうせ劉禅の年齢でやらかしたから別人のフリして書き込んでいるんだろう。
別人のフリを何度もやってる前科もあるしな🤭 魏延ageに失敗して諸葛亮sageか
魏延信者は相変わらずだな >>397
魏延擁護派を論破しまくってるのが理解できないの?
無敵の馬鹿には勝てません🤣 諸葛亮もこんな感じだったんだろうな
何度論破しても毎回同じような作戦を持って来る
それで恨まれる諸葛亮が不憫だ 諸葛亮もこんな感じだったんだろうな
何度論破しても毎回同じような作戦を持って来る
それで恨まれる諸葛亮が不憫だ 一言煽りにそんなに興奮してレスするような諸葛亮はおらんやろぅ >>401
どこらへんが興奮してるように見えるんだい?🤭 魏延擁護派も夏侯楙は無能だから名誉都督とかゲームみたいなこと言ってないで頑張って史書と向き合えよ >>403
どうでもいい事しか言えないなら黙ってれば?
惨めだぞ🤭 >>405
おいおい、顔真っ黃だぞ、お薬飲んでゆっくり休みな、負け犬ちゃん 自分が論破できないと他の人を馬鹿、クズと罵るレスするだけの人が諸葛亮気取ってんのかw >>398
ほほう、これは面白い、どこで論破したなんて都合の良い脳内変換が行われているのか非常に興味があるな、負け犬ちゃん >>406
まだいたんだこいつ。
見えないものが見えちゃってるな。かわいそうに🤭 >>408
直近でも劉琰の処刑は諸葛亮派閥の陰謀といった妄想が何度も論破されてただろ。
そもそも言い出したやつは劉禅の年齢すらまともに知らなかったようだし知識の差は歴然だったぞ。
どうせお前なんだろうけどな🤣 >>407
誰の事言ってるの?このスレほとんどの魏延擁護派が論破されてるからその事で罵ってる人はいないよ。
どうでもいい事しか言えないスレ荒らしは罵るけどな。 >>410
そういう思い込みの激しいとこが痛いんだよ、負け犬ちゃん >>412
まぁそう思ってりゃいいんじゃない🤭
お前が劉琰処刑の頓珍漢な屁理屈で論破されたのはお前以外には明らかだから🤣 スルーしたら済む事をわざわざレス返した時点でお前もやっている事は同じになるっていう事に気付けよって話だ
論破!
知らんがな!
論破された事も分からないゴミが!
どうこをどう論破したか言ってみろ!
馬鹿は論破された事すら分からない、ゴミがっ!
必死だなw
このゴミがっ!
この展開が議論だとでも思ってんの?
そしてその展開の半分はお前のレスで、お前がレスせずスルーしたら止まるってのが分かってない時点で同じレベルなんよ
スルーする選択肢を思い付かないほどお前は馬鹿でクズなのか? 関中の兵が少ないと第一次北伐の魏軍が東方から来たことになってどのみち厳しいのと
魏延が斜谷を抜ける日数を間違えてることについてはロクな反論がなされてないと思うけど >>416
直近の劉琰処刑の陰謀論も多くの人から反論されて黙ったままですからね。
議論のルールでは反論できないとみなされて論破されたと言って差し支えないんですよね。なんの反論もせず論破されていないは通用しないと理解していないのでしょう。 >>415
脳みそカニに反論出来ないってことは脳みそカニ味噌って認めたことになってまあそんなの相手に誰も反論しようなんて思わないよな、悲しいな、負け犬ちゃん 魏延信者は論理性がない
あれば話し合いの場で剣を抜く魏延の信者にならないから >>415
反論がないなら論破したって謎理論をまずは自分自信で論破してもらいたい >>418
>スルーしたら済む事をわざわざレス返した時点でお前もやっている事は同じになるっていう事に気付けよって話だ
論破!
知らんがな!
論破された事も分からないゴミが!
どうこをどう論破したか言ってみろ!
馬鹿は論破された事すら分からない、ゴミがっ!
必死だなw
このゴミがっ!
この展開が議論だとでも思ってんの?
そしてその展開の半分はお前のレスで、お前がレスせずスルーしたら止まるってのが分かってない時点で同じレベルなんよ
スルーする選択肢を思い付かないほどお前は馬鹿でクズなのか?
長々とした言い訳の中で何回もゴミがっ!と言ってるのが必死さと惨めさの現れだよ🤭
誰がどう見てもお前の方が必死だぞ。滑稽滑稽🤣 >>419
変な日本語を書き込む前に落ち着いて推敲しようぜ。なにが言いたいのか意味がわからんよ。ちょっとは落ち着け🤭 >>421
反論がないのは反論できなくなったから。
どこが謎理論なんだ?
俺が負けを認めなければ反論しなくとも負けじゃないという無敵理論には勝てませんよ🤭 >>423
>>265についてすでに忘れられたのかそもそもまともに読んでないのか、いずれにせよまともに議論する姿勢が見られないことの象徴で非常にガッカリンヌ 将棋的には相手を追い詰めるより必死をかけて自滅を待つというのは非常に楽しい手法ですが>>427にはその道を極めて頂きたい >>428
でもまあ必死の状態から鮮やかに詰め切られることもあるのでその辺は抜かりなきよう >>428
くだらない煽りあいしてないで史書の記述を引用して議論すればいいじゃん
そうすればいらん煽りしてる奴がアホになる >>430
アホなのは反論できなくなると真っ赤な顔で罵ってくる荒らしくんだね🤭 アホとはお前の事だゴミめっ!という低レベルなオウム返しはいらないと言っておこう🤭 結局長安奇襲策肯定派は長安の兵力が不明なのをいいことに少なかったから成功したと言い張るだけか
それすら戦役全体で見たら意味ないし魏延の無謀さが浮き彫りになるだけだったな 魏延がそこまで無謀な献策するような人物なら諸葛亮が督前部に任じるとは思えないけどな
魏略での記述をそのまま受け取るのは疑問 魏略は敵国の伝聞で信用に値しなかったとしても魏延は短慮だからなあ >>434
アホな献策するだけで歴戦の将軍を使わないでいられるほど蜀は人材豊富ではない。そもそも自分の考えと違うというだけで差別するなど発言を萎縮させるような事を諸葛亮がするかよ。
魏延は戦略眼はお粗末だが局所的な戦闘では強い。だからこそ敵将を討ち取ったり城を落としたりといった目立つ大きな戦功は無くとも評価が高かったのだろう。
つまり誰かに使われている内はいいが自由にさせると失敗するタイプ。
諸葛亮が死後に魏延が好き勝手する前に自滅したのはある意味必然であり蜀にとっても幸運だった。 >>435
少なくとも魏の人たちは魏延が無謀で愚かな策を言ってもおかしくはない人物だと思われていたという事ですな。
孫権にも小物扱いされていたし人材不足の蜀だからこそ出世できた人なのでしょう。 >>434
諸葛亮は、趙雲の陽動部隊をあからさまに囮っぽく使って、曹真にあっさり見破られた
正史の魏延の策は、自らが陽動部隊の指揮官として魏軍を引き付け、本隊の諸葛亮に隴を獲らせるというもの
アンチ宮城谷さんは、「大部隊を率いた関中都督の夏侯楙がいるから長安奪取は無理」と、『魏略』準拠で魏延を無能評価している
でも、正史の魏延の策は、諸葛亮の第一次北伐の策と同じ、韓信の「暗渡陳倉」ベースで、陽動部隊の指揮官が違うだけ
「夏侯楙が逃げ出すソース出せ!出せなきゃ論破!!」とか言ってるけど、ソースとか正確さを要求するなら、なんで『魏略』準拠なんだろう? >>436
長々と書いているけどどの史書のとこにそんな記述があるの? 楊儀が自らを諸葛亮の後継者として、ショウエンに優越感を持っていたのは、丞相長史として先任だからなのか
先任ってだけでなく、丞相府の左右長史のうち、楊儀が左長史で、ショウエンが右長史で、地位も上だったのかな >>439
何いってんだ?趙雲の陽動部隊は曹真の大軍を引き付けたんだからそれだけで成功だぞ。曹真は陽動を見破ったのに大軍をぶつけたのか?陽動の意味わかってるか?
あと魏延に別道隊を率いさせなかったのも魏延に自由にさせるのは危険すぎるから当然だな。
魏延は会ったことがない孫権にすら諸葛亮はなぜあのような小物を使ってるんだ、と言われる程度の人物。
魏略でマヌケな策を語っていたのが仮に事実でなくとも語っていたと言われる時点で低評価の現れ。
諸葛亮だとて魏延を使いたくて使っていたのでは無いだろう。そんなやつに別働隊を任せる訳が無い。
実際に魏延に自由にさせたらどうなったかは魏延の最後から想像がつく。 >>440
どの部分を疑って言っているんだ?反論があるなら具体的にに言おうな。再反論が怖いなら黙ってろ。 >>444
それは私は無知ですと言っているも同然だぞ。勉強してから出直してこい。
無知なクレーマーに1から10まで教えてやる義務も無い。俺はお前の先生ではないんだよ🤭 >>439
正史の魏延の策は諸葛亮と道を違えて潼関で合流しようというもので詳細は不明
韓信故事が暗渡陳倉ならその名の通り陳倉に出るもので隴西に出た諸葛亮の第一次北伐とは別物だろう
陽動部隊の指揮官が違うだけで作戦自体は同じだと魏延が諸葛亮を臆病だと言う部分とも繋がらなくなる >>445
正史ぐらいは読んでるんだけどね
君の推測と感想しか書いてないなと思ったから正史以外の史書に書いてある事なのかと思ってね >>442
言っとくけど、第一次北伐開始時点の趙雲は中護軍・鎮軍将軍
魏延は督前部・丞相司馬・鎮北将軍・涼州刺史
地位は趙雲より上で、しかも四鎮将軍としても先任
長年、魏との最前線を一人で守ってきた人物
「そんなやつに別働隊を任せる訳が無い」って、趙雲にできたことが、なぜ魏延に出来ないと思うんだ?
しかも、別動隊といえば、街亭に単独先行する先鋒に諸将は魏延を推した
先帝も諸将も、一人で別動隊を任せるのにふさわしい人物と見なしていた事実がある
第一次北伐に限って言えば、馬謖を指名して北伐失敗した諸葛亮こそ、策も判断も間違っているでしょ >>446
魏延伝ではそれしか書いてないもんね
具体的にどのルートでそれぞれ動きましょうみたいな話は一切ない
諸葛亮伝には魏延が別働隊で動きたいという話は全く出ていないね >>447
蜀が人材不足だった事も知らないで正史を読んだなどと言われてもな🤭
他にも魏延が名のある敵将を討ち取った記録が無い事も城を落とした記録が無い事も正史を読めばわかっているはずだぞ。
魏延の最後が自滅なのも正史から明らか。
お前はなにを読んだんだ?🤭その程度の知識で正史を読んだなどよく言えるものだ🤣 >>448
第一次北伐開始時点の趙雲は鎮東将軍で魏延は督前部・丞相司馬・涼州刺史でもないけど >>448
なぜ諸葛亮が魏延に部隊を任せなかったのか何度も言っているんだがまだ理解できていなかったのか?魏延に任せれば暴走して長安に突撃するかもしれないとでも思われていたのだろうよ。
そもそも別働隊は思惑通り曹真の大軍を引きつけていたのだからその時点で成功。陽動の目的は勝つことではないので局地戦に強い魏延を使う事も無い。暴走する危険性の無い趙雲が最適だろう。
陽動の意味すら知らないで君はなにを言ってるのかね? >>446
> 陳倉に出るもので隴西に出た諸葛亮の第一次北伐とは別物だろう
暗渡陳倉ではなく、暗渡陳倉ベースって言っているでしょ
「示之以動、利其静而有主。益動而巽」
陽動で敵の目を引き付け、敵の想定していない方面を突く作戦のことを言うのであって、陳倉に出なきゃいけないわけじゃない
四面楚歌という言葉は必ず楚歌を謳わなきゃいけないわけし、背水の陣と呼ばれる策をとるとき常に背後にあるのは水じゃない
その程度のことも理解できないの? >>449
魏略の信憑性が怪しかったとしてもゼロから想像したとも思えないし
長安や潼関の位置を考えると諸葛亮よりハイリスクな作戦だったとは思うけどね >>453
趙雲が選ばれたり馬謖がやらかしたせいで負けたのは惜しいことだが
一度やって魏にバレてる作戦を何度もやろうとするのは愚かなことだ >>451
趙雲の鎮軍は単なる書き間違い
そして「先主踐尊號、進拜鎭北將軍。建興元年、封都亭侯。五年、諸葛亮駐漢中、更以延爲督前部、領丞相司馬、涼州刺史」
諸葛亮が北伐の前段階として漢中に駐屯したときに、魏延は督前部・丞相司馬・涼州刺史に任命されているけど? >>439
夏侯楙が逃げ出さなきゃ魏延策が成立しないのだから逃げ出す根拠は必用だろう。もしくは逃げなくても長安を落とせる根拠が。
魏略を疑う根拠が敵国の記録だからというのも、それこそ正確なソースは無いのだろ。ただのイチャモンに近いぞ。 >>453
それじゃあ正史の魏延の策が諸葛亮に隴を獲らせるものとも言えないじゃん >>447
反論されたらもう黙るのか?
お前の言うことはイチャモンか無知からくる思い込みでしかない事が証明されたな🤭
アホが正史を読んだだけではなんの意味もない時間の無駄だったな🤣 ローリスクローリターンな諸葛亮が失敗したから結果論で魏延策でいってみればってなるのに同一だったらマジで意味ないやん >>21
孟達討伐時の司馬懿の移動は距離1,200里で600Kmで移動日数は8日
1日150里で75Km
通常の行軍の5倍の速度
シャアザクの通常の3倍を超えてる
これは晋書宣帝紀のみに出ている記録なんで司馬懿は凄い人だったんだっていうのを主張する為に三国志正史での他の人の功績まで司馬懿のモノにしていたりするので正確さはアテにならないけどね >>461
GWだし夜中の12時なんてたいして夜遅くでも無いだろ。
正史を読んだ程度で自慢してくるし、さてはお前小学生だな🤭
たいして知識も無いし間違いないな🤣 >>463
釣りか? なんかまた恥ずかしい人だね
劉禅223年生まれといい、偉そうに語るから困る
千二百里600Kmもねーよ
原因はこれか 宛去洛八百里,去吾一千二百里,
宛は洛陽から八百里の距離にあり、私のいる新城郡から千二百里の距離にあります。
誤訳と言うか不正確な表現
俺は中国語読めないが宛から洛陽まで800里、
去吾は宛から洛陽経由して上庸まで1200里てことだろう
當表上天子,比相反覆,一月間也,
普通に上表してたら1200里を一月間=30日かかるってこと
上表省いて...つまり宛から上庸へ直行400里、そこを移動日数が8日てこと
1里も500mで計算してるしw ちなみに俺は正史読まんから、上表省いては小説の知識。
どこから引用してるかは同様のサイトに尋ねてくれ
はじめての三国志 孟達の死因は司馬懿を甘く見たからだった!その理由を考察 より
内容は孟達の謀反です。びっくりした司馬懿は曹叡に対しての手続きもとらずに軍を進めました。 三国志の1里は420メートル位だが宛から上庸まではそんなに短くねーよ
グーグルマップでも宛城区から上庸鎮まで340キロ、直線距離でも240キロある
宛から上庸まで1200里500キロほどってのは少し信じがたいが、道が通ってなくて長くなることはあっても縮むことはない 魏延擁護派は総じて知識が浅い。
まぁ一人か、せいぜい二人くらいだろうけどな。 >>466
正史を読んだことが無くとも自称正史を読んだと言い張るアホよりはよっぽど知識も見識もお持ちなので十分ですよ。 魏延厨がまたわけのわからないことを言い出してるのか
魏延の献策が史実と同一で妥当なものだったとしても出征する毎に言ってたら異常だと気付かないのか?
その場しのぎの思い付きじゃなくてしっかりとストーリーを練ってこいよ 史実通りだと街亭に馬謖派遣して結局負けるんだけどね
正直劉備が関羽と前後して死んでた方がその後の展開はまだ望みがありそう 諸葛亮は自らを管仲・楽毅に比していたけど、内政面で管仲はともかく、軍事・外交面で楽毅に遠く及ばない
せいぜい荀林父程度 漢中に入ったときに、戦争前から魏延をわざわざ丞相司馬に任命しておきながら、彼の献策を聞かず、
督前部に任命しておきながら、諸将が推薦しているのに先鋒に魏延を起用しなかった
結果として、敵の油断を突いて先手を取り、3郡が魏に背くという絶好の機会を得ながら、寵愛する馬謖のせいで敗北した
さらに、魏は二度と油断せず関中の守りを固めてしまい、以後の北伐は兵と兵糧を無駄にするだけだった ヒイは、ショウエンや姜維にはあからさまに「北伐なんて無駄無駄無駄!」という態度を見せた
内心、諸葛亮に対して不満を持っていたのではないか >>473
宮城谷先生も言ってたが楽毅が斉の最後の2城落とせなかったのか落とさなかったのかで評価が変わると思うがね。
そもそも諸葛亮は十分戦上手。第一次北伐では魏を翻弄しているし、他では負けどころか苦戦すらしない司馬懿にも勝っている上に歴戦の名将張郃を討ち取っている。
お前は本当に正史を読んだのか? >>474
諸葛亮が魏延に望んだのは頓珍漢献策ではないというだけだな。長ずるとこを用い短するところを捨てたというだけ。
馬謖については失敗だが人材不足の蜀で人材育成も兼ねて新人を抜擢する事は必用だった。荊州失陥と夷陵とで立て続けに大敗したのが原因でもある。
そもそも2度も大敗した上に皇帝も死に普通であれば国が滅んでもおかしくない状況でその尻拭いをしつつ魏に攻め込めるだけの状況を整えた諸葛亮が凄すぎる。魏の油断もまさか蜀が攻め込める訳が無いと考えていた事による。 >>475
費禕はまだしも蒋琬は北伐を計画してるぞ。直前で病気になったから実行していないだけだ。
またしても無理を晒してしまったな🤭
いい加減に正史くらい読んでくれば?🤣 >>478
おっと誤字発見。
無理じゃなく無知ね。 >>478
ショウエンが北伐反対派なんて言ってないだろ?
正史ぐらい読んでくれ、アンチ宮城谷くん >>480
どう見ても蒋琬費禕が北伐に反対していたとしか読めないけど?
自分で書いた>>475くらい読んでくれ日本語が不自由な自称正史を読んだマヌケ君🤭 外交面で楽毅に及ばないってなんだ?
諸葛亮は軻比能とも結んでよくやってると思うが
武勇では劣るが讒言されても解任されなかった点では勝る 蒋琬、費禕は諸葛亮と同じ規模、同じやり方ではやらなかったけどね
諸葛亮による北伐には兵糧生産、輸送に関して無理があり途中で兵糧が足りなくなって撤退というパターンが多かったからだろうけど
あとは李恢、李厳、諸葛亮、魏延、楊儀、呉懿という中核人材がいなくなってその後継者達の質が前者には及ばなかったというのもあるだろうし
劉備時代に抜擢された人も蒋琬、費禕、王平、張翼ぐらいしかいなくなってて彼らより歳下の人との北伐への熱意もかなり温度差があったかな。
諸葛亮に抜擢され重用された姜維は諸葛亮の後継者としての自負もあって熱意があったけど、人的な繋がりが蜀内では少なく弱くて浮いた存在になってしまう >>483
諸葛亮と蒋琬費禕では権限が違いすぎて同じ規模ではできなかったと言うべきだろう。
諸葛亮は劉禅から全権委任に近い形で権限を与えられいわば諸葛亮幕府を開いていたようなもの。
蒋琬費禕はそこまでの権力は持っていない。 >>482
劉備死後の諸葛亮の外交戦略は見事だと思うね
呉への東芝、陳震の派遣のタイミングも北方、西域の異民族との協力取り付けと
北伐で動員できる兵士の数を考えたら魏以外とは常に良好な関係を作っておかないと祁山方面への進出ぐらいしかできなかっただろう
楽毅の事を踏まえたのか諸葛亮は北伐で成都を長期間留守にする前提で留守政府を丞相府に取り込んだ出先での孤立化を事前に防いでいたからそこは抜かりがないね
だからこそ街亭に馬謖を派遣した失敗の大きさが悔やまれるところ
ただ街亭に魏延や呉懿を派遣して張郃、郭淮を撤退させたとしてその先何をどこまでやるつまりだったのかとその実現可能性はよく分からんね
潼関まで落としに行くには遠いし兵糧や物資の輸送は更に難しい事になるし魏側の防衛はますます固くなるだろうし
どこを落とし所にするつもりだったのかな 魏延の別働隊をゲリラ部隊として活用するのはいい考えに思える
魏側は戦力を分散させなくてはならなくなるし失敗してもなにかとうるさい魏延を処理できる
孟達の使い方にせよ諸葛亮はいろいろ勿体ない 丞相長史も留府長史も丞相主簿も丞相参軍も丞相東西曹も複数いるけど、
丞相司馬は魏延のみ
諸葛亮も、魏延の軍事的な戦術・戦略能力の高さは理解していた
ただ、北伐における主導権を奪われることを恐れて、抑えてつけていたのだろう >>487
味方のトップの将軍をゲリラ戦に使うなど聞いたことがない。失敗してもいいというならそれこそ長安を奇襲させればいいだろ。
味方を使い捨てにするような作戦を取れるほど蜀に余裕は無い。 >>489
トップの将軍と認めているならなぜ先鋒に任命せずに馬謖を任せたのか >>489
チェ・ゲバラとかいくつでも反例は挙げられるぞ >>489
むしろゲリラ戦は兵力に圧倒的な差がある場合に有効な作戦だろ >>488
魏延の戦術能力ならともかく戦略能力の高さなどわかるか?頓珍漢な机上の空論長安奇襲策やなんの意図があるのか不明な別働隊を率いさせろといった発言を見ると戦略眼は無いとしか言えないが。
魏延に単独行動を許さなかったのは主導権を奪われる事を恐れたのではなく魏延が勝手に動いて失敗することを恐れたのだろうよ。
皇帝から全権委任をされている諸葛亮が人望の無い魏延を恐れる必要などない。 >>490
トップの将軍を先鋒にしなければいけない決まりなど無い。 >>495
結果、それで失敗してるのだから世話はない >>491
反例がいくつもあるなら時代も国も状況も違う例ではなくせめて古代中国の例を上げてくれないかね?🤭 >>493
ゲリラ戦など嫌がらせに近い作戦で仮にも漢の後を継いだ由緒正しい蜀漢帝国が取る戦法ではない。
他に手段がなくゲリラ戦をするしか無い民衆ならともかく蜀には魏に正面から挑める力はあった。 >>497
ほら、出たな負け犬ちゃん、そうした自分の無知をあげへつらってドヤ顔するのが気持ち悪いんですよ >>499
これを言い出したら孔明は正しいけど馬謖のせいで失敗したって言い訳も成り立たなくなる >>501
諸葛亮も間違ってたでいんじゃない
諸葛亮自身が街亭では違命の闕、箕谷では不戒の失って言った上で自分の任命責任とも言ってるし >>496
手堅い戦法を取れと言うなら魏延の長安奇襲策など却下されて当然だな。 >>498
過程においてはそうかもしれないが歴史は結果という見方をすると諸葛亮の策は失敗し蜀は魏に滅ぼされたわけでどこかに蜀が逆転できるチャンスがなかったかと思うと当時の魏延に自由になる軍があればって思うわけ
手堅い作戦が失敗してるんだから余計にそう思う >>500
いやどう考えてもゲバラを例に上げて魏延もゲリラ戦をすべきだったなど、なんの参考にもならない馬鹿の戯言でしか無いのだが🤭
ゲバラはゲリラ戦する事しかできなかったが魏延h違うという事もわからないからお前は愚かなんだよ。
高杉晋作からなにも成長していない。お前はただ歴史を知っているだけでなにも理解できていない。 >>504
だから結果論で物事を語るのは馬鹿。
諸葛亮は当時の蜀で取れる手段は全て取っている。
諸葛亮の死後勝手に戦争を継続しようとして蜀の将軍誰一人として味方にならないどころか擁護すらされなかった魏延に自由に軍など任せれば確実に蜀の滅亡は早まっていた。 >>505
もう負け犬ちゃんの日本語解読能力がないことは分かってるからその点についてはなにもいう気は起こらないけど歴史を知ってるなんて褒められるとちょっと照れる:-) >>506
田単がゲリラ戦などやってたか?
仮にやってたとしてもゲバラや田単など追い詰められて他に取る方法が無い者が使うのがゲリラ戦だとわかったか?
蜀漢帝国トップの将軍がやることではないと理解しろよ。自爆お疲れさん🤭 >>507
結果論で語るのは馬鹿といいつつ自分が結果論で語っているのを気づいてない馬鹿、仮に北伐で成果を挙げる立場にいたならその後の魏延の有り様も全然違ったろうし周囲の見る目も変わったろう >>508
お前は馬謖や趙括をさらに劣化させた馬鹿だと言えば理解できるか?お前の知識は浅薄。
歴史を知っていてもそれを活かせないようでは逆に知識が歪められ間違えるだけでマイナスでしか無い。陽動作戦の意味もわかっていなかったし。反論されてもすぐに黙って論破され馬鹿を晒すことをいつまで続けるんだ?
学習しない馬鹿は死ななきゃ治らんか? >>510
どこらへんを結果論と言ってるんだ?
俺は自説には根拠もつけて言ってるがマヌケな馬鹿には理解できないか🤭
違うと言うなら具体的な指摘をよろしくな。逃げるなよ🤣 >>476も負け犬ちゃんだよね、宮城谷「楽毅」では斉を滅ぼしてはかえって恨みをかうと思い敢えて残したのが結果災いとなったという描かれ方だった、この点については認識に違いないかな?それを踏まえて諸葛亮の才は楽毅と比べてどうなの? >>509
これは田単の奇抜な作戦はゲリラ戦、もしくはその延長って認めちゃったってことかな、負けを更にひとつ追加したな、負け犬ちゃん >>513
本当に馬鹿なんだな。結果論というのは結果だけ見てああすればよかったというアホのする事。
俺のどこが結果論なのか「具体的に」指摘してくれないか?
それとも具体的という言葉がわからないか? >>514
本当に浅いな。
物語としては恨みを買わないようにあえて残したという書き方にしたが史書に楽毅がそのよう考えていた記録など無い。宮城谷先生も作品外で落とさなかったのか落とせなかったのか評価が変わると書いている。
実際問題斉は戦力を分散させ各個撃破されるよりも2城に集結させただけではないか?
楽毅が恨みを買わないようにしていたのなら燕が負けた途端に取った城全て取り返されるなんて無いと思うんだが。
まぁ浅い馬鹿にはそこまで考えられないか。 >>515
仮に、と書いてあるのが読めないか?
田単はゲリラ戦などやっていないという自白ご苦労さん。馬鹿は次々に間違えるので簡単に論破できるから楽しいな🤭 >>514
楽毅は斉の地を恒久支配しようとしたからこそ屠城するような力攻めをしなかったのだろう
諸葛亮にとっては祁山がそれにあたる
曹操による徐州虐殺の経験もあるしな >>516
そこまで優しく説明してあげないと分かってもらえないのかってちょっと呆れるけど
,>>諸葛亮の死後勝手に戦争を継続しようとして蜀の将軍誰一人として
,,>>味方にならないどころか擁護すらされなかった魏延
というのは諸葛亮が魏延の策を入れずに疎まれた結果だろ
諸葛亮に魏延の策を入れる、少なくとももっと言い分を聞いて重用する姿勢があれば
その後の魏延の悲劇は回避されたはずでそこに思いを至らせず魏延は悪い奴、顔が気に入らん
いつか裏切るって昭和の三国志演義の価値観に留まって切って捨てられるのは我慢ならない >>518
次から次へと言い訳するけど整合性が取れてないのが残念だな 諸葛亮も最初は劉jを攻めろと急策を説いたが成長した
出征する毎に同じような作戦を立てる魏延は成長してない >>520
馬鹿すぎる結果論とはなにかを何も理解できていない。結果から逆算しあの時ああするべきだったと言うのが結果論だ。ひたすら諸葛亮はこうするべきだったと結果を知ってるからこそ言えることをひたすら言ってるのがお前。俺はただ魏延は自滅したという結果を言ってるだけ。違いがわかったか?
そもそも魏延の策を採用してれば魏延はそこで死んでただろうよ。魏延の最後など勝手に暴走して自滅しただけで自制すれば防げた事のなにが悲劇だ。魏延をチヤホヤしなかったのがいけないとでも言うのか?お前は馬鹿すぎるぞ。 >>519
徐州虐殺の曹操が天下をほぼ手中にできる、当時これ常識ってんなら
糧道が確保できないから現地の略奪に頼らないといけない
魏延案却下ってのは現在の人間の思考だな
黄権とか敵陣の呉の真っ只中で見捨てられて魏に亡命とか美談だけど
実際のとこどうだったんだろう? >>521
言い訳もクソもお前がただ読み落としただけだろカス。田単がゲリラ戦をしたという記録を出してみろ。
そもそも例がいくつもあるんだろ?
さっさと他の例を言ってみろ愚か者🤣 >>525
日本語がメチャクチャなにが言いたいのだかさっぱりわからん。論破されすぎて壊れたか。 >>524
だから魏延がそこで死んだらそれはそれで諸葛亮にとっていいって最初にいってるだろ、飼い殺しにされたあげく最後に切り捨てられるとか不憫すぎる >>527
論破って言葉使えば論破した気になれるって頭わいてる、きもい
語彙力貧しすぎて残念って以前も注意したよね
小4男子レベルの悪口になってるよ、頭カッカなのは分かるけど
せめて言葉遣いはもうちょっとエレガントにしようか、負け犬ちゃん >>528
何いってんだこいつ。自分の作戦で死ねるなら本望ってか?
自国の有力な将軍を無謀な作戦で死なせれば批判は作戦を許可した者に向かうし当然その配下の兵士も死ぬ。
常に北伐に参陣し戦ってきた魏延のどこが飼い殺しだアホ。切り捨てられたというのも私は歴史の見方を知らない馬鹿ですという自己紹介でしか無い🤭 >>529
実際、お前は田単がどこでゲリラ戦をしたのか答えられないしな。結果論がなにかを理解できないか馬鹿は論破されてる事も理解できない🤣
もう少し歴史をちゃんと勉強してから書き込め愚か者。 諸葛亮の最大の失策は劉禅に見込みがないようならお前がとって代わってくれって劉備の遺言を守らなかったこと
諸葛亮は義にあついからこう言っとけば忠誠を尽くしてくれるって昔は解釈してたけど劉備って肉親の情愛よりも他人との義にあつい人でこの辺は孟嘗君に似てる。長坂坡で趙雲が子供を守って来たのにそれを投げ捨てて「お前が無事で良かった」て趙雲の手を取る辺りにそれが現れてる。劉備の意を汲まずにナンバー2でい続けたのは忠義というより逃げ、そのポジションが心地いいからで、それでいながら「出師の表」でそのことに触れるのって自分に酔ってる >>533
馬鹿に馬鹿って言われるの楽しい
そもそもいったんは田単の強者に対する弱者の逆転劇をゲリラ活動の成果って認めちゃってるのにせめぎ合う自我との戦いと振り上げた拳の打ち下ろしどころで迷っちゃってるのが見てて面白いです >>517
ということは負け犬ちゃんとしては楽毅は二城を落とせなかったという立場での発言か。で、楽毅それほど大した事ない、それに比べて諸葛亮は天才って言いたいってことですね >>534
>田単の強者に対する弱者の逆転劇をゲリラ活動の成果って認めちゃってるのに
どこで認めてるんだ?まだ仮にと書いてある意味がわからないのか?要するに田単ゲリラ戦などやっていないという自白だな🤣
日本語がわからないのか馬鹿は自分が自爆している事にも気づけず恥を晒し続ける🤣 >>535
落とさなかったか落とせなかったで評価が変わると言っている。書いてある事は読み取れず書いていないことを勝手に妄想し勝手なことを言うのがネトウヨそのもの。 誤解されると困るので一応言っておきますが諸葛亮が嫌いってわけじゃないんです、妄信的な諸葛亮信者が嫌いなんです >>537
だから思想的には左翼だって以前も言ったよね、意味のないやり取りをまたやり直す気?ニワトリでももうちょっと前のこと覚えていると言うのに脳みそカニだとこれも仕方ないの? >>537
で結局のところ楽毅の本意が分からないからこの件については立場を保留したいって言いたいの?できるだけスムーズに進めたいから持ってまわった言い回しは辞めて >>539
俺にはお前がネトウヨにしか見えないというだけだぞ。違うと言い張るならそう言えばいいさ。俺はそう思わないというだけだから。 >>540
いや、自分の立場は前にも述べた通り二千年近く前の歴史のイフを語ってなんになる?ってもの
ただ負け犬ちゃん煽ると面白いって思ってるだけです >>542
負け犬ちゃんのネトウヨの定義が知りたい、いやまじで >>543
論破されまくって面白いと思えるのが凄いな。他にも劉禅の年齢を間違えたり魏延案の疑問点に何も答えず魏延を擁護したり何も理解できていない馬鹿は無敵だ。
違うというならいい加減に逃げないでどこで田単がゲリラ戦をやっていたのかくらい示してくれよ。これに答えず逃げ回って論破されていないと思えるのがね😅 ゲリラ戦否定の人は、ベトナムみたいなものをイメージしているのだろうか
あるいは日本の狭い土地をベースに考えているのだろうか
前漢~後漢、三国、西晋~東晋に、様々な軍閥が割拠していたでしょ
あるいは地方軍を中外軍(中央軍のうち外征を行う軍)を別々に運営するための、都督・督といった制度もあった
劉備だって、公孫サン、袁紹や呂布、劉表の客将・傭兵隊長として、小さな土地を支配し、兵を養った
ましてや関中・隴は夏侯淵が平定するまで小軍閥が割拠し、異民族が独自に生活し、降伏した軍閥を魏に組み込んだ地
だからこそ、北伐開始しただけで三郡が魏に背いた
魏延たちに関隴を分断・割拠させ、独自に魏に対抗させつつ、諸葛亮が本隊でそれらを統合していくことだって可能だ
実際、呉は揚州と荊州の軍は、通常はそれぞれの土地で編成・活動・兵站を運営して、魏に対抗していた >>544
ネトウヨの定義を聞くやつがネトウヨだぞ🤭
正体を自白したな🤣 ちなみに古代中国のゲリラ戦術家では、前漢の彭越や後漢の韓遂が有名だな >>485
s/東芝/鄧芝/g
釣りなの?釣られちゃったの? >>546
俺が指摘してるのは魏延のような軍のトップの将軍にゲリラ戦をやらせるという愚かさなんだが🤭
どこで軍のトップにゲリラをやらせるんだと聞いたらゲバラを持ってくる馬鹿には何も無いのか?🤭お前も同類の馬鹿か?それとも同一人物か? >>545
思い込み激しいって前から注意してるのに聞く耳持たない
劉禅の年齢に言及したことはない
田単のゲリラ活動については即墨 >>552
こいつは本当に馬鹿だな。田単がどのようなゲリラ活動をしたのか聞いてるんだよ。なにが即墨だマヌケ🤭
そうやって逃げているのが論破の証拠。お前が違うと言い張っても他の誰の目にも明らか🤣 >>553
5W1Hについての質問の仕方をもうちょっと考えたほうが良いぞ
論点をずらしつつ「はい、論破」ってのはありふれた手法でひねりがないな >>554
さっさと田単がどのようなゲリラ活動をやったのか答えれば終わるんだよ。言えないのなら逃げ回らず間違いを認めろクズ。 >>547
負け犬ちゃんの謎理論とマイルールが奇天烈すぎてワラワラ 魏略の信憑性が低いといっても歴史書である以上、間違いはあっても創作したりはしないだろう
魏延の長安奇襲策も何らかの原型があり、本文でも潼関と言っていることから
魏延の目は常に諸葛亮より東に向いており、子午道や駱谷道から関中に飛び込み一気に形成を決めることを考えていたと思う
それに土地勘のある韓遂や姜維ならいざ知らず、身内からも忌避される魏延にゲリラ戦をやらせても明るい見通しは見えないな >>551
おいおい反論してくれなきゃさみしいだろ、弱いものいじめしてるみたいで罪悪感さえ湧いてくる、尻尾巻いて逃げるのも仕方ないけどせめて負け犬の遠吠えくらい残して去ってくれよ、ワオ~ンって >>560
ああ、今日も負け犬ちゃんを論破することに費やしてしまって不毛な一日だった、反省反省 >>557
は?これで田単がゲリラ戦をやっていたと言い張っていたのか?普通に防衛戦やっただけ。これを田単のゲリラ戦と言うのはお前だけだ。惨めに逃げ回り負けてないと言い張る事で論破じゃないと言うのか。無敵の馬鹿には勝てんよ。他の全員はわかってるけどな🤣 >>562
よしよし、精一杯頑張ったな、無駄なあがきだったけど
防衛戦だけでどうやって逆転するんだ、田単舐めすぎ、ふざけすぎ
再びの味噌汁で顔洗って出直してこいってレベルの戯言だよ、負け犬ちゃん >>563
そうやって馬鹿が一人で言い張っても、これを見ている歴史好きで田単がゲリラ戦をやったなどと認識する人はいないよ。
素直に間違いを認めればいいのに。まぁそれができないからここまで愚かなネトウヨなっているんだろうがな🤭 >>564
田単とは別に彭越(赤龍王でかっこよかった)とか韓遂(この人もかっこいい)なんて名前も挙がってるわけだけど(>>548さん、ナイスアシストありがとう)これについてはどう思う? >>565
あと韓遂の名が出てきて思いついたけど宮城谷三国志におけるゲリラ戦というと対馬超に対する楊阜の抵抗戦があったんだ >>564
ネトウヨでないしネトウヨの定義も出来ないひとにネトウヨ呼ばわりされるってこれもう意味の分からないネトウヨハラスメント、むしろ共産主義者めっとかアカめって罵ってもらった方がスッキリする。いまのところはまだ自民党支持だけど。 >>565
まずは田単の間違いを認めろ。
話はそれからだ。逃げるな卑怯者。 >>567
ネトウヨの定義を聞いてくる。言い訳をしつつも自民党支持。
ネトウヨそのものの言動🤭 >>568
なんで?田単の防衛戦は間違いなくゲリラ戦要素を満たしてるって思うからそれは全く受け入れられない >>569
くどいしきもいな、いずれにせよ政治信条なんて関係ないスレで何故にそれに拘るのか全く意味不明 >>571
ああそうか、ネトウヨというのが数少ない罵り言葉のレパートリーになっちゃってるのか、語彙力増やそ、まじで、小説読もう、宮城谷氏お勧め >>572
なんだろう?、チェ・ゲバラが気に入らないって言われて中国史で思いつく人を挙げたけど、それがなんだろう?お得意の論点ずらし? 田単はそれしか方法がなかっただけでもとはただの役人だし 魏延派は、魏延が成功するとは言っていない
賭けるだけの価値はある策だという主張
あとはバリエーションを付けて、推測・妄想などの思考実験を楽しんでいる感じ
アンチ宮城谷派は、魏略根拠でわめき立て、相手に納得させるだけの材料も示さない
勝手に論破宣言しているだけ
恐らく、アンチ宮城谷派は、社会に出て、他人とディスカッションしたことがない引き籠もり中高年なんだろうな >>575
田単はその立場から国を背負って戦ったのが凄いし本望だったろううけど一方で魏延はと思うと不完全燃焼感、酸素足りてないもうちょっとバーナー開いてあげて、諸葛亮ってもどかしさを感じてしまう訳です 魏延は漢中を任された時には抱負を語って皆に壮と言われた
第一次北伐でも皆から先鋒に推された
それが北伐を繰り返す内に皆に避けられるようになり最期は誰にも支持されなかった
チャンスが与えられないことも含めてそれが魏延の限界だったのだろう >>570
田単は謀略で燕軍に対抗したというだけ。これをゲリラ戦と言い張る間違いを認められないネトウヨが惨め🤭 >>571
政治信条を問題にしているのではなく、日本語を読めても理解できず人の言葉を都合よく解釈し都合の悪い文字は読めなくなる愚か者をネトウヨと言っているだけだ🤭
馬鹿や愚か者は聞き流すのにネトウヨには異常に反応するのはネトウヨの習性そのものだぞ🤣 >>572
ゲリラ戦では無いと言っているのが理解できないか?
日本語が読めても理解できないやつが多すぎ🤭 >>576
10日で400キロを走破し疲れ果てた5000人(余分な食料、攻城兵器無し)でどうやって長安を落とせるのか説明できない以上魏延の策に賭ける価値など無い。ただ歴戦の将軍と5000の精鋭を失うだけ。
成功のビジョンが見えない作戦など却下されて当然。
魏略だから信用できないという根拠になっていない根拠で魏延を持ち上げる馬鹿は妄想でしか反論できない🤭 >>577
不完全燃焼もクソも魏延に自由にさせると自滅する可能性が高いので諸葛亮は自由にさせなかった。自由にできない事を嘆くのではなく自由にさせてもらえるだけの能力が無いことを嘆くべき。
目上の人間がいなくなった途端に傲慢な本性をあらわにし誰からも味方されず自滅した事が諸葛亮の正しさを証明している。
これは魏延に自己投影している惨めなお前らにも言える事だぞ🤭(魏延からすればこんなネトウヨと一緒にするなと言いたいだろうが) >>582
魏略は信用できる
つまり、魏略が記す通り、魏延は楊儀たち士大夫派に陥れられた悲運の名将ってことだね >>584
0か100でしか考えられないからお前は馬鹿なんだよ。
その部分は裴松之がわざわざ信憑性が低いと言っている。
もちろん魏延の長安奇襲策についてはそんな事を言っていない。これを言うの何度目だ?少し学習しろよカス。 いや、そもそも魏略自体が、国内ことを除けば、伝聞や噂話で構成された書物で、全体として信憑性は高くないわけだが・・・ >>586
歴史書ってそういうものだから。
それでも無根拠に適当な事を書くはずも無いので疑うならそれなりの根拠が必要になるのは知っとこうな🤭
そもそも当時の歴史書など伝聞がほとんどだろ。司馬遷や陳寿が自分の目で全て目撃した事を書いたと思うかアホ🤣 >>587
知ってると思うけど史料と言われるものでも各地の先賢伝とかは地元の名家、名士層なんかを褒め称える為に平気でエピソードを捏造してて正史での生没年無視の話を差し込んだりしている事が多い
魏略はそこまで酷くはないけど魏の人への聞き取りを元に書かれているから他の史料との付き合わせをしながら参照する学者が多い
魏国内の動静やシルクロード近辺の異民族の記述に関してはかなり信憑性が高いとされているけど他国の蜀、呉の事情に関してはその当事者に聞き取りができていない事もあって学者が参照する際には基本的に留保しながら引用する事が多いよ。
それぞれの史料に対する史料批判をしながら自説を述べない限り君が何度も言うようにただのイチャモンになって議論にはならない
北伐に関する論文で魏略での話を中心にした満田剛の論文とか読んでみたら? >>587
どれだけ論破されても揺るがず己の意見を貫く信念は尊敬にさえ値するぞ
自分の欲する現実しか見ないんだな負け犬ちゃん
敵国を貶めて自国は凄いって記録に残すことはままあって
お互いの国の史書の記述を突き合わせて比較できるなら真相も見えて来ようが
一方の史書だけを確証バイアスかかりまくりで読んで都合よく解釈してりゃ
そりゃ無双し放題だよ負け犬ちゃん 本文でも同じようなことは書いてあるし、魏略をなしとして考えたとしても
毎回状況は違うのに潼関って言ってる魏延は異常だと思うけど >>588
魏略を疑いイチャモンをつけてるのはお前らなんだが?
魏略に載ってるから魏延長安奇襲策は信用できないという雑なイチャモンをつけている自覚すら無いとは😰
馬鹿は無敵すぎる🤣 >>589
お互いの国の史書って三国時代の史料がそれほど豊富だと思うか?本当に基本的な知識が無いな。
三国時代の記録など一方の国の史書にしか記述がない事だらけだと知らないらしい🤣
愚かにも正史を読んだ自慢をしていたがいくら正史を読んでも読むだけではなんの意味も無いどころか時間の無駄だぞ🤣 >>591
このスレには今日初めて書き込んだので人違いだと思うよ
思い込み激し過ぎて怖い >>593
そんな事知るか別人かなどどうでもいいわ。
魏略を疑いイチャモンつけてるのはお前らなのは事実。疑わしい点が無ければ書いてある事を真実として扱うのが歴史学の基本。疑いをつけるのであれば根拠を示せ。魏略に書いてあるから魏延の長安奇襲策は疑わしいなどという雑なイチャモンが通ると思うな。
いつものように別人のフリして逃げるよりもまともな反論の一つでもしてみろよ🤭 >>594
>そんな事知るか別人かなどどうでもいいわ。
君の発言こそがイチャモンと思い込みだけって事を自分で言っちゃったな
すなわちもはや君の書き込みなどどうでも良いと言ったのと同じだ >>595
は?意味がわからんのだけど。
魏略に疑いを向けてるのはお前らだという自覚も無いのか?日本語が不自由なマヌケは逃げるのも下手クソだな🤣 しかし毎回同じような作戦しか立案しないあたり、結局魏延には状況に合わせた戦略を練る能力はなく、敵国でも自国内に対しても障害があれば前進補足撃滅を図るだけの単純な男なのだろう。 >>532
皆に嫌われてるのに諸葛亮死後も北伐を継続しようとした魏延の方が自分に酔ってるでしょ。 >>592
ちな、多くの人は自分の欲する現実しか見ないというのはユリウス・カエサルの名言な、広く他人の意見に耳を傾け、自分の主張が正しいかチェックダブルチェックしてこそ己も意見も磨かれるってもんだけど負け犬ちゃんにこんな話しても馬の耳に念仏というか犬の耳に念仏だな >>599
都合が悪いから魏略の魏延の長安奇襲策は信用できないと言い張る馬鹿がなにか言ってる🤭
魏略が根拠もない事を書くはずがないという意見もいくつも出ているのは無視して根拠もなく魏略を疑う自分が見えていない🤣 >>600
ほら、せっかく>>588さんがいい提言をしてくれても初の発言でこんな基地に絡まれるなんて不憫でならない、下手すると賛同する発言にも噛みついてて自分で招いた惨事とはいえ全方面に敵だらけってどんな気分?いや、なんかむしろそれすら楽しんでそうでこのまま常人の理解を超えた存在で有り続けてくれ、負け犬ちゃん 魏延伝注魏略で書かれているのは
@夏侯楙は臆病
A魏延の計
B諸葛亮の計
AがデタラメでBはただの真実だとするとここで魚豢が書きたいのは@夏侯楙は臆病だということになる
夏侯惇伝注魏略でも夏侯楙は武略が無いと書かれているが尚書に遷って
一度は曹叡も処刑を考えたが結局は身を全うしている
デタラメを書いてまで魚豢が夏侯楙を貶める意味があるのか? なんだか色々な意見を聞くとやはり魏延の策は無理筋なのかって気がして歴史ロマンの灯火がひとつ消えたようでそこはちょっとさみしいです >>601
反論が怖いなら黙ってろよ🤣
なぜ反論もせずに自分たちが絶対的に正しいと思えるんだ?馬鹿は無敵すぎる🤣 >>604
あのね、反論してるつもりかもしれないけど多くは手前勝手な謎理論を押し付けてるだけで反論になってないの、いい加減自覚しな、負け犬ちゃん。まあ、無自覚でやってるところが傍から見てると楽しいんだけど >>605
なにも反論できずそんな事を言っても説得力が皆無🤭
根拠つきで反論してる俺となんの根拠もなくお前は間違えてると言うだけのクズ。はたしてこれを見ている人たちはどちらが正しいと思うかな?🤭 魏略に対する裴松之の「敵国の伝聞であり、本伝の記述とどちらが正しいか論ずるまでもない」という指摘は、魏略全体に対する評価。 >>606
あのさ、前にも言ったけどまずボキャブラリー増やそ
壊れたレコードみたいにもうこれ何周目って感じで
同じことばっかり言ってっるよ
反論しても聞く耳持たずに無視してて
それでいて第三者から見て誰の言い分が正しいって
思い込んでるあたりプゲラだわ >>608
どこで反論してるんだ?
なにも言わず反論したことにする気か?
本当にネトウヨは妄想世界で生きているな🤣 そもそも陳寿は魏略を読めたはずなので裴松之が注釈として載せたのは陳寿が切り捨てた異説が多いかもしれないが
裴松之は魏延の最期に関しては当てにならないと言いつつ
魏書の諸葛亮が谷に入ってから卒したという記事に対しては谷に入ってから喪を発したからそう思ったんだろうと魏略寄りの解釈をしている
伝聞だとしても原型はあるはずで魏延の策とは自らが先鋒となって関中に押し入るというものだったのだろう >>609
どれでもいいからこれについてってレスを一つでも二つでもいくつでも上げてみな、すでにこのスレ内で散々論破され尽くしてるから
あとネトウヨハラスメントやめよっか、アカとかアナーキストとか呼ばれるならそちらの方がまだましだけどなんでネトウヨ呼ばわりされるのかさっぱりイミフ >>611
そうだな、まずは魏略だから魏延の長安奇襲策は信用できないという雑なイチャモン以外の根拠を出してもらおうか。まだまだあるからさっさと答えろよ🤭 >>612
日本語しっかりして、なに言いたいか分かんない、どこに何がかかってるの?以外の根拠?アタオカもここに極まったか、 >>612
頑張ってエスパーしてみると
1,魏略の記述がどれだけ正確なのか信用ならない
2,魏延の長安奇襲策が魏略の記述通りだったのか信用ならない
3,耳にする反論はすべて雑なイチャモンで受け付けない
のどれについて言及すればいい? >>613
いや普通の日本語能力があれば普通に理解できるはずだが🤭
やはり日本語が理解できないのか。それとも反論できないから誤魔化しているのか?どちらにせよ惨めなことこの上ないぞ🤣 >>614
ここまで馬鹿だったか😰
論破されても気づかないわけだ。無敵の馬鹿には勝てんよ。 >>616
わざわざエスパーまでして歩み寄ってあげてんのにそうして議論を避けて馬鹿とかなんとか言って最後のイタチっペかまして逃げようとする負け犬根性、いや負けイタチ根性ここに極まれりってところですか >>617
結局言い訳してなにも答えない。ネトウヨはこんなやつばかり。日本語が理解できないカスは消えてくれないかな。 第三者に聞きたいんだけどこれ本当に理解できない?
どちらに問題があると思う?
>そうだな、まずは魏略だから魏延の長安奇襲策は信用できないという雑なイチャモン以外の根拠を出してもらおうか。 ちょっと雑な書き方ではあるが意味は分かるでしょ。さすがにこれが分からないというのは酷いよ。 >>620
見苦しいな、ここまで負け犬ちゃんに付き合って来てる自分ですら解読不能なのになにをいまさら、下手に負け犬ちゃんに関わっちゃうと賛成票反対票いずれにしても馬鹿とかボケとかバッサリ斬られてしまう状況で世の良識人が味方になってくれるとでも思ってんの?そこまで脳内お花畑なの?さっさと話を前に進めたいんで>>614に答えてくれる、負け犬ちゃん >>620
雑な書き方って自分で認めてるんなら丁寧な書き方で言い換えてよ
それとも今日もそろそろ尻尾巻いて逃げる頃合いなのかな?負け犬ちゃん >>621
お前にも賛同者がいない現実が見えていないのか🤭 >>622
雑でも理解できると書いてあるのが理解できていないのか😰
こいつに理解させるのは無理だわ。 >>623
>>546,576さん辺りは自分の言いたいことを汲み取ってもらって明瞭に言語化してもらえたって思ってます、感謝 >>623
お前にもって言うからには自分にも賛同者がいないって自覚してるんだよね、ねえ、どんな気持ち? >>626
お前も同じ状況だと言ってるのになぜ上から目線なのか?
日本語が理解できていないのはお前だと自ら証明しているぞ🤭 >>625
別にそいつはお前の言いたいことを汲み取って書いた訳じゃないだろ。
そもそもこのスレでは魏延擁護派が論破され続けている現実が理解できないか🤭 >>629
自分の言いたいことを言ってるだけで全くスレの流れが読めてないんだな、気づいてたけどそうとうなボンクラだな、この負け犬ちゃんは >>629
あのね、別に魏延擁護派が論破されようがどうでもいいの、基本姿勢は>>543なんだから >>631
歴史のifを語るスレに居座り続けてこれを言うのは馬鹿すぎる🤭
これが負け犬の遠吠えでなくて何なのか。 >>632
おいおい、今更すぎるだろ、ってかこのやり取りも三周目か四周目くらいで脳みそカニからニワトリくらいまでそろそろ進化してほしいよ、負け犬ちゃん >>633
だからなんで居座り続けているのか聞いてるんだよ。論破され続け、言い訳し続け、日本語が理解できない事を晒し続けてなぜ恥ずかしくないのか不思議すぎる🤭
馬鹿は学習しないからネトウヨになってしまうんだよ。 >>633
ニワトリは三歩歩けば忘れるっていうけど負け犬ちゃんは3レス前の発言も忘れちゃうんだから相手にする方も大変です >>636
小さすぎる🤭
それで恥の上塗りを続けてるのが馬鹿すぎる🤣
馬鹿は自分が馬鹿だと理解できないから馬鹿のまま。言っとくが日本語が理解できないと自ら晒してしまったお前が馬鹿だぞ🤣 >>637
もうどこからツッコんでいいか謎だしツッコんでみたところで3レス先には覚えてないしいい加減>>614に答えて欲しいけどその気もなさそうだし、やれやれまた負け犬ちゃんに付き合って不毛な休日を過ごしてしまったという虚無感とささやかな背徳感を味わっている日曜の夜です >>638
結局反論できなくなると言い訳して逃げるよな🤣
本人は言い訳を本気で信じているんだろうが外から見れば具体的な事はなにも言えなくなっているだけ。
お前は間違えている。反論する価値も無い。何を言っているかわからない。そう言っとけば反論した気になれる卑怯なネトウヨの大好きワード🤣
ネトウヨはこんなやつばかりでウンザリする🤮 >>639
ネトウヨって誰だよってのも言い疲れたし逃げてるのお前ってのも何度言ったか分かんないし3レス先には全て忘れられてまた同じ言い訳繰り出されるんだって思うと全てが不毛で諸行無常でそろそろ悟りが開けそう >>640
長安奇襲策が採用されないのを諸葛亮に責任転嫁するのも、日本語が理解できないのをこちらに責任転嫁するのも根っこは同じだな。
認められないのを相手のせいにして自分の能力不足を考えない。だからネトウヨは成長しない。
俺から逃げるためにわざわざ作った宮城谷スレが1ヶ月経っても16レスしか付かないのも一人で暴走した魏延と重なるが無能な魏延など最悪でしかない🤣 ●正史の魏延は長安を直接突くと言っていない。
韓信の「暗渡陳倉」のように、部隊を2つに分けて、魏延はその一方の兵1万、つまり本隊ではなく別動隊を指揮したいという主張をした。
●韓信は、劉邦の本隊に蜀の桟道を修理させるという囮役をやらせ、自らは陳倉を経由して関中を奇襲した。
つまり、諸葛亮の策とは、本隊と別動隊の役割が逆である。
魏延は諸葛亮とは逆に、諸葛亮に本隊を率いて囮役をやらせ、自分は兵1万を率いて関中を突く、奇襲戦を実施したかったと思われる。
●韓信の例を引いていること、最終合流地点を長安背後の潼関としていること、以上2点から、魏延の初動目標は長安ではなかったと推測される。
魏延もまた韓信や諸葛亮と同じく、まず備えの薄い関中・隴を奪取することにあったのだろう。
「XX(最終目標)で落ち合おう」は、別行動する場合の決まり文句でもある。
魏延の望みは、「あなたの慎重(臆病)なやり方につきあえない。戦術レベルでは自分に自由にやらせてくれ」ということだったとも言える。
●『魏略』はその点で間違っている。
裴松之が指摘するとおり、『魏略』は魏国内の風聞・伝聞を記載したものであり、夏侯楙のそれも、むしろ魏国内での評価と考えられる。
●諸葛亮の策は、趙雲の別動隊の兵が本隊にしては少ないことから、陽動部隊だと曹真にあっさり見抜かれてしまった。
●せめて、単独で街亭を押さえる先鋒部隊を魏延に任せていれば、魏延の不満も多少解消されたかもしれない。
諸将も魏延や呉懿に任せることを主張し、馬謖起用に反対した。
●北伐作戦開始後ではなく、作戦前の漢中合流時点で、諸葛亮は魏延を督前部・丞相司馬・涼州刺史に昇格させた。
丞相司馬は、作戦を立案・進言できる立場である、
参軍は李厳罷免の上表に見られるとおり大勢いたのだから、魏延の献策を採り上げるつもりがないのなら、督前部・涼州刺史でも良かった。
●もし、諸葛亮が「魏延に別動隊を任せることを危険視していた」のなら、ベテラン・中堅の呉懿でも、呉班・高翔・陳式でもよかったはずである。
しかし、諸葛亮は自分と親しい馬謖を起用して失敗した。
先鋒に魏延を使わなかったのは、魏延に不安があったというより、単純に諸葛亮の身びいきである。
●第一次北伐こそが、蜀の唯一の機会だったと言ってよいぐらい、魏に油断があり、関中に蜀への備えはなく、3郡が背いた。
以後は、曹叡・曹真・司馬懿が守備を固め、北伐は二度と成功することはなかった。 >>642
>●諸葛亮の策は、趙雲の別動隊の兵が本隊にしては少ないことから、陽動部隊だと曹真にあっさり見抜かれてしまった。
何度も言ってるけど陽動と見破ってるのにそちらに大軍をぶつける曹真は頭がおかしいのか?
俺はおかしいのは何度言われても学習しないお前の方だと思うぞ。 >>642
>●韓信は、劉邦の本隊に蜀の桟道を修理させるという囮役をやらせ、自らは陳倉を経由して関中を奇襲した。
つまり、諸葛亮の策とは、本隊と別動隊の役割が逆である。
魏延は諸葛亮とは逆に、諸葛亮に本隊を率いて囮役をやらせ、自分は兵1万を率いて関中を突く、奇襲戦を実施したかったと思われる。
韓信のマネをしてもすでに韓信という前例がある以上見破られるリスクが高い。見破られればただ兵を分散し各個撃破されるだけの愚策。
そもそも暗渡陳倉は事前に桟道を焼き大規模な修復工事を行うなど敵を油断させる幾重もの事前工作があったが魏延にそこまでの深慮遠謀があったとは思えない。形だけマネをしても失敗する。 でもまあ>>641がまともに議論できる相手でないことは周知せしめることができたと思う、からかって遊びたい人はともかく、スレの良識ある方々は絵文字に絡まれてもスルー推奨と理解してもらえたらこの不毛なやり取りにも多少の意味があったというわけだ >>645
お前こそが俺以外の誰からも相手にされていないと気づいていないのか?🤭
そりゃあ誰だって日本語が理解できない馬鹿を相手にしたくないよ🤣 >>647
惨めだね🤭そいつ等だって別にお前の代弁をしているのでも相手にしているのではないだろ。
お前が相手にされないのは俺から逃げて立てた宮城谷スレの惨状を見れば明らかだろ🤣
1ヶ月で16レスという数字が物語っている。元の宮城谷スレも俺がいなくなったらほとんど動かなくなってるしな🤣
数字は嘘をつかないんだよ。 >>648
キチガイ隔離スレが効を奏したってことだな
宮城谷スレは過疎っててもいいから健全なスレであって欲しい
お前も隔離された基地だろっていうご意見にはグウの音も返せないけど >>649
キチガイ隔離ってお前が自分で隔離されに行っただけだぞ。お前にキチガイの自覚があったとは驚いた🤭まぁ事実だし否定できないよな🤣 >>642
これは魏延の策の妥当性より、魏延に大軍を与えなかった諸葛亮が悪いと言いたいだけに見えるな >>651
俺には具体的に何を主張してるのか理解出来なかったな >>650
自覚がない分、たちが悪いんですよ、負け犬ちゃんは >>653
俺から逃げるために立てた新スレが過疎り俺が残った方は俺がいなくなってから過疎った。この事実が理解できないのか?🤣
キチガイはお前だけだ🤣 >>642
三国志には嘘があるって言ってみえた宮城谷氏が小説に落とし込むまでの思考の過程の一部を追体験できたような気がします >>656
それはお前の感想ななんの根拠もない🤭
俺は客観的事実と数字を示している。普通に読める日本語を読めないと言ったり、全員から嫌われているキチガイは明らかにお前だぞ🤣 >>654
そもそも日本語が不自由な人が無理して日本語使わなくてもいいですよ
何いってんだか理解不能すぎる
もうちょっと主語、述語、目的語を明確にして読み返してから書き込もうか、ニワトリちゃん >>657
それはあなたの感想ですねってひろゆきが米山隆一に論破されるころまではよく流行った言い回しだな、そろそろ情報アップデートしたほうがいいですよ、🐔ちゃん >>658
残念ながら俺の日本語を理解不能と言ってるのはお前だけなんだよな🤭
お前だけのためにいちいち懇切丁寧に書く必要など無い。理解できないなら日本語を勉強し直すかここから出ていけ。
一人で勝手に馬鹿を晒している事にいい加減に気づいたら? >>660
だれもニワトリちゃんに絡みたいって思う人いないから
自分で読み返して雑な日本語って認めちゃってるのに今更おまいう?
とことんまで残念なニワトリに成り下がってるぞ、ニワトリちゃん >>659
俺は事実を言っているだけなんだが?
俺はお前の立てたスレが過疎っている事実や、お前がさほど難しくもない日本語を読めないという事実を示しているのに対してお前はただ自分の感想を言っているだけ。誰からも賛同している者もいない。これがお前の感想でなくて何なのだ?
現実を見ような🤣 >>661
この辺でちょっと解説しておこう
論破されても遠吠えし続けることから以前は負け犬ちゃんなんて呼んでましたが
3レス前のことも覚えていないのに哺乳類の名称を与えるなんてとんでもない
って気がついてニワトリちゃんって呼ぶことにしました
飛んでもないだけに、おあとがよろしいようで >>662
こちらの板では客分って立場をわきまえててスレを立てたことないんですが可哀想に被害妄想に凝り固まって有りもしない現実が見えちゃってるんですね、お医者行こっか >>665
今更言っても説得力が無いな🤭
反論できなくなってから別人のフリしても遅いんだよマヌケウヨ🤣 >>666
お前に無いのは知性と常識だぞ。
それがあったら恥ずかしくてとっくの昔にいなくなってただろうからわかっていたがな🤭 >>667
まずウヨってやめようか、政治信条的にはむしろ左翼だし、愛子さまや悠仁さまが一人の人間として不幸になるくらいなら天皇制なんてなくなっちまえって思ってるのは確かなんですが
別人のフリって誰のフリだよ、って尋ねても答えは帰って来ないんだよな、3スレ先の発言のリソース持っておけるだけの記憶媒体持ってないんだから >>669
政治信条でネトウヨと言ってるのではないとすでに説明したのだが😮💨
記憶媒体云々などと言ってる馬鹿が滑稽すぎる🤣 >>670
ハイハイ、頑張った頑張った、少しも反論になってないけどそれはいつものことなんで大目に見るよ、何が言いたいのか全くイミフなのもいつも通りのお約束 >>642
言いたいことだけ言っていくつかある反論にはだんまりか?とりあえずと思っていくつか反論したらもう逃げるのかよ。
反論できませんと見なされるだけだがそれでいいんだよな? >>672
だってニワトリちゃんたち相手にしたところで原稿料もらえる訳じゃないんだもん >>673
全く反論せずそんな言い訳で誤魔化せると思うなよ。
魏延擁護派は言い訳して逃げ回る卑怯者しかいないのか? >>673
全く反論せずそんな言い訳で誤魔化せると思うなよ。
魏延擁護派は言い訳して逃げ回る卑怯者しかいないのか? 第一次北伐の時点で諸葛亮は魏延の事をよく知らなかったんじゃないか?
入蜀も別のタイミングでその後も北伐まで成都と漢中に分かれてる
馬謖は成都令として一緒にいた期間が長く諸葛亮の戦略をよく理解していた
魏延は漢中を任されたが魏の侵攻はなく、夷陵にも参戦できなかった
趙雲は入蜀、呉懿はその防衛、高翔は漢中争奪、呉班は夷陵、陳式はその両方で別動隊を率いた経験があるが魏延にはない
涼州刺史もただの遙任だし督前部、丞相司馬もまずは手元で使ってみようということだろう
街亭には馬謖でなければ呉懿を派遣するべき >>676
街亭の守備は別に名将張郃打ち破れと言ってる訳でもなくただ守って足止めすればいいだけなので重要だがそこまで難しくはない。
前にも書いたけど蜀は荊州夷陵で大敗し特に夷陵で若手の将校を多く失った。諸葛亮自身も50歳手前で後継を考えなければいけない時期。
次代を担う馬謖に実践経験を積ませ箔をつけるのに街亭は最適だったと言える。馬謖が色気を出して敵の足止めではなく打ち破ろうとでもしたのか山頂に布陣するというヘマさえしなければ。
見事な戦略により大国魏を振り回した諸葛亮の数少ない失敗が致命傷になってしまったのは不運だった。 >>677
当時の街亭周辺は街道以外は密林のような状況でこの街道だけ守っていたら軍が移動できるような状況ではないことが当時の地層に含まれる花粉量からハッキリ分かっているらしいからね
気候的にもまだ寒い時期で長期戦になれば攻撃側の張郃は騎馬兵中心で冬支度用の物資なんて持ってきていなかっただろうからそれだけで消耗していくから任務としてはやる事が明確でよほど変わった事をしなければ完遂できるものだったはずなんだけどねえ
次世代の育成をするにしても隴西と関中の分断という最重要目的の最重要作戦に諸将の反対を押し切って馬謖を起用する判断はあまりにもお粗末だと思う
この防衛戦に失敗すれば北伐そのものが失敗になるんだし
この人選の失敗は運の問題ではなくて完全に諸葛亮の判断の間違い
馬謖に失敗込みの経験を積ませるならこんな重要な局面でリスクを取る必要はなかった >>678
だからあんたも書いてるけど普通にやってれば失敗のリスクは低い任務だったんだよ。それでいて歴戦の名将張郃から街亭を守ったという箔が付く美味しい任務だった。
初の重要な任務を任された馬謖が暴走することまで想定しろというのはさすがに酷というもの。 >>678
ちなみに誰も馬謖に失敗込みの経験を積ませるなんて言っていないからな。
失敗してもいい任務では無いだろどう考えても。 >>680
>失敗してもいい任務では無いだろどう考えても。
失敗しない方がそりゃ良いよ
ただ失敗しても取り返しが可能な仕事はある
もし敗戦が全て失敗が全く許されないなら街亭で勝利した張郃も漢中争奪戦では張飛相手に撤退し曹操の本隊も漢中を放棄しているから失敗しているからその時点でダメ
でもその後は曹操は関羽の北上を止まるのには成功しているし漢中を蜀に明け渡したものの魏は漢中から進出してくる蜀を撃退し続け最終的に蜀を滅ぼしている
取り返しがつく失敗とそうでない失敗はあり、諸葛亮の馬謖抜擢という判断は成功率が最も高かった第一次北伐の失敗に繋がりその後の北伐では全部失敗しかしていない
だから街亭での馬謖の敗戦は取り返しの付かない失敗
諸将が街亭には呉懿か魏延を送るべきだという意見を退けてまで馬謖を送った諸葛亮の判断も取り返しの付かない失敗だと思う
諸将が馬謖を送る事に反対した理由が何かまでは正史などに明記されてないけど呉懿、魏延を送る方が良いと言ったのは名称張郃に対して経験がある人物が対応しないと難しいと思っていたからだろうけどね
最高責任者なんで自分が下した判断の責任は他の人には取れないから馬謖の処刑と合わせて自分の降格も行ったから諸葛亮は責任を押し付けていないからそれに関しては正しい判断処置だと思う >>681
長いわりに要領を得ない文章だな。
まず張郃は漢中で張飛に負けたけど最終的に蜀を滅ぼしせたから、しもてもいい失敗だったというのがデタラメすぎる。
張郃が失敗し成長して蜀を滅ぼしたというならわかるが張郃の敗北と蜀の滅亡に因果関係は無い。
なぜ魏延擁護派は魏延の長安奇襲策と高杉晋作の成功を言い出したり関係の無い事象を結びつけようとするのか。 >>672
漢中争奪戦時点では、劉備の本営を守る牙門将軍だったと思われるが、その後は長らく漢中を太守として守っている時点で、中央軍とは別の部隊の指揮官だろう 気になるのだが、>>598を始め、何人かが「魏延は勝手に諸葛亮の死後も北伐を継続しようとした」と書いているのだが、それは三国志演義だよね?
魏延は楊檥との権力争いをしただけ
権利争いの原因にそういうこともあったのかも知れないが、少なくとも正史どころか魏略にすらそんな記述はない >>655
そういう感じで、それぞれの推測や妄想を楽しく議論できれば良いのだけど、このスレには相手に刀を突きつける魏延タイプの人大杉
諸葛亮の軍議も、こんな感じで殺伐としていたのだろうか( ;´∀`) >>686
記録にないだけで色々あったんじゃないかな
手元に正史ないけど、確か牙門将軍昇進は複数の戦功を認められたとなっていたはず
また、漢中太守のサプライズ抜擢も、蜀平定・漢中争奪戦で魏延の働きを、傭兵隊長として戦歴は長い劉備が自分の目で実績を見てきた結果じゃないかな >>690
漢中は異民族も多いし、漢中争奪戦以降から曹叡即位までは、馬超を破った楊阜のような傑物が隣の武都郡の太守だった
大きな戦いはなかったにせよ、異民族の反乱鎮圧ぐらいはあったかも知れない
あくまで推測だけどね
そもそも、あの難治の地を大過なく治めてきたこと自体も、魏延の手腕と言えるかも知れないと思った >>688
文句はなんの根拠もなくイチャモンつけてくる日本語が理解できない魏延擁護派に言ってくださいね。
反論すると魏延擁護派が黙ってしまうので議論が続けられないのも問題。 >>688
あと第一次北伐時曹真は諸葛亮の陽動作戦に引っかかり大軍をぶつけていると言ってるのに無視して見破っていたと言い続けるのも問題。これは一例だけど反論もせずに無視して誤った主張を続けられれば口調も荒くなりますよ。 >>691
別に漢中で魏延の統治前後も大きな反乱など無かったと思うけど。どこを見て難治だと思った? >>695
中原や関中と比べ、険しい地形、乏しい耕作地、様々な異民族等々揃った治め辛い典型的な辺境
秦や前漢・後漢では流刑地の一つ
十分に難治と言える郡です
また、後漢末期に、黄巾と呼応して五斗米道教徒、異民族などが反乱を起こしました
張魯が派遣されたのも、この地に反乱を起こした門徒の残党が多かったため、民衆の支持を得やすいと劉焉が判断したため(劉焉伝)
そもそも「大きな戦いはなかった」とちゃんと書いているのに、それを無視した質問はどうなんでしょう
さらに、その他人を嘲る口調が荒らし認定される理由だと思わない? >>689
なるほど、「吾自當率諸軍、擊賊。云何以一人死廢天下之事邪」ですね。
ありがとう。 >>696
思わない。
そもそも漢中で起きた事件などそれこそ張魯が独立したくらいだろ。曹操が漢中に進行して以降は住民も移住させられ難治とは程遠い。難治というならそう思う事件や事例などを示せばいい。
魏延擁護派は都合の悪い事実は史実だろうと平気で無視し、逆に史書に書かれていない事を過大解釈して魏延を持ち上げる。
まさか魏延が北伐を独断で継続しようとした史実を知らなかったとは呆れたわ。百歩譲って知らなかった事はしかたないとしても自分の無知を棚に上げて史書にそんな記述は無いと言い切ってしまう方にも原因があると知ろうな。 大きな事件がなければ治め辛いとは言わないってどういうこっちゃ
異民族・地理・食糧難・宗教
>>696の挙げている条件で十分やろ ついに魏延は再起の手がかりをつかむことなく馬岱に斬られた。蜀は猛将を失った。魏延は劉備にめぐりあうのが遅すぎたといえるであろう。諸亮はこの悍馬をもてあますだけで、制御することができず、けっきょく楊儀にしまつさせただけである。(宮城谷三国志より抜粋) >>699
そのような条件なら益州ほぼ全てで満たしている。
というか当時の中国なら満たす所だらけだろう。
魏延が太守だった時の漢中など住民もいないし前線都市なので優先的に兵も食料も回してくれるむしろ治めやすい都市だった。
統治経験の無い部隊長上がりの魏延でも統治できると思われたのがその証拠。 魏延を死に追い込んだ諸葛亮のやり方は、諸葛亮っぽくない
また諸葛亮も必ず殺すように命令したわけではなく、「魏延が徹底に従わなければ無視して撤退せよ」と曖昧な言い方だ
渡邉義浩などが、叩き上げの軍人である魏延が、諸葛亮らの意識高い系サロンから孤立・疎外されていた可能性を指摘しているが、実際のところ、諸葛亮はどうするつもりだったんだろうか ・漢中の博物館には、工事で撤去された魏延の墓に備えられた石馬と石人が置いてある
・これには「魏延の愛馬と従者が主人の冤罪を訴えて墓守となって石となった」という伝承がある
・蔣琬が魏延を憐れんで墓を作り、一般に貴人の墓に備える石馬と石人を贈ったので、楊儀の死後に名誉回復されたのかも
という話を聞いたことがあるけど、楊儀に忖度・迎合して魏延を殺したことに、士大夫サロンの一部のメンバーは後ろめたい想いをしていたのかもね 魏延の功績は書いてないけどあったかもしれない
魏延の無謀さは書いてあるのに読んでない
これじゃあ話も合わないはずだわ またこの人か・・
魏延の功績が史書に書いていないとか、もう常軌を逸してる >>705
では魏延がいつ趙雲呉懿高翔呉班陳式のように別動隊を率いたんだ? >>679
諸葛亮ほどには馬謖と交流を持たなかった劉備があいつには気をつけろって忠告まで与えてるんだからいくら親しいとはいえそんな重大な任務で経験を積ませようなんて浅薄に過ぎる。結果、馬謖まで失うことになって人材不足の蜀がさらに人材不足に陥るとか哀れにすぎる。 魏ではやらかし武将でも助命嘆願されてセカンドチャンスが与えられるケースが多いんだけど、諸葛亮が法家として厳しすぎるのか、あるいは自身のミスのスケープゴートとされてしまうのか、蜀で武将として生き抜くのは魏や呉以上に大変 >>711
李厳は残念だったけど結果、諸葛亮の死で復活の目が無くなったというのはやはり人材登用の権限が諸葛亮に集中しすぎていたのではないだろうか。 >>697
おそらくこの言葉が宮城谷三国志の魏延の「われは引き揚げない」という一言に集約されているんだろうと思うと胸熱 >>713
宮城谷三国志ではこの後、魏延は楊儀を疑い楊儀に先行する。結果、追ってきた司馬懿と楊儀、姜維が戦って司馬懿の深追いするなかれとの判断で「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という事態となって中央での楊儀の評価がアップ、内ゲバを画策した魏延が逆賊として討ち取られるという流れ。ドラマチックだと思う。 「吾自當率諸軍、擊賊。云何以一人死廢天下之事邪」の前の「府親官屬便可將喪還葬」もポイントな
部隊編成、兵糧管理、命令伝達を滞りなくやっていた楊儀らを帰して、成都から物資を送っていた蔣琬らのいた丞相府もなくなるのに北伐を継続するのは無謀すぎる >>711
廖立については流刑地でも意気軒昂で訪ねてきた姜維に毒舌を吐いてたというなら、それはそれでまあ幸せな人生だったんじゃないでしょうか >>715
逆に魏延がこの通りの無謀な奴ならむしろその後の悲劇は避けられたのではないか。楊儀を疑い先行してしまったことでかえって自身への疑いを招くことになってしまった。この辺も状況次第ではどう転ぶのかは分からず運命の悪戯としか言いようのない場面が時折、歴史の中には出現する。 >>717
諸軍を率いるつもりなのに諸営が引いたのを見てさすがの魏延も自分の部隊だけで継続するつもりはないだろう
費禕と連名で命令書を書いてて命令違反の証拠もバッチリだからもう先回りして楊儀らを殺すしかない
費禕を帰してしまったのも魏延自身のミスだし >>710
魏延を倒してこれで万全って思ってたろう楊儀ですら残念な結末をむかえてしまうし >>719
楊儀って謀反をちらつかせたのに庶民に落とされるだけでそっから誹謗しても妻子は蜀郡に還されるって結構優しいだろ >>683
張郃って吉川英治版では2.5回死んでるはず。やられキャラではあるんだけど魏の名将ってことで戦いの度に引き出されて以前に殺されたことはなかったことにって、これはこれですごくない?0.5回分はこれ普通に読むと死んでるなってはずなのにしれっと蘇ってる分。ある意味、魏軍で最も不死身な将軍だけど魏延にもこのくらいの生命力が欲しい。 >>703
その文章では蒋琬が墓を作ったくらいしか後ろめたい想いを感じないけど?
撤退命令に逆らい桟道を焼くなど一歩間違えれば蜀軍に重大な危機をもたらした可能性もあり反逆と思われてもしかたない。
誰一人として後ろめたい想いをする必要など皆無。あるとしたら憐れみだろうよ。 >>718
その刃が敵に向くなら構わないが内に向いて乱を及ぼすのなら容赦せぬって蜀の首脳陣の考えは理解できる。自分一人でも魏と戦って果ててやるって脳筋野郎ならむしろ後世には天晴れと伝えられたかもしれないけど諸葛亮の死後、敵を外(魏)よりも内に見出してしまったことが魏延にとって残念だった。 >>705
魏延の功績などたいして史書に書いてないぞ。パッと思いつくのは郭淮を破ったくらいか?それも呉懿と共同でだし。
他にあるなら書いてみな。 >>713
ただの命令違反宣言なのだが?
自分の立場も責任もわきまえない愚かとしか言いようがないセリフを胸熱という魏延擁護派は少し考えたほうがいいぞ。 蜀の場合、少ない人材をやりくりするなかで荊州を任された関羽が失敗したことで中央集権的になってしまったのか体制が窮屈な感じがして、優れた人を手元に置きたいという人材マニアの曹操の方がうまく人材活用していたと思う >>725
諸葛亮自身が今戦えば勝てると思って
慎重な司馬懿に女ものの髪飾りを送って挑発してるんだから
こんなチャンスはまたとないって魏延が思ったとしても当然だろ
諸葛亮の北伐の遺志を継ぐという思いがあるのなら尚更だ >>724
史書は演義や小説じゃない
特定の誰かの武功を事細かく史書に記載すると思う?
魏延の昇進の記録は史書に残っている
昇進前後の戦いを追っていけば、特に戦功を書いていないのは()内の漢中守備の功績だけだ
劉備時代: 入蜀に何度か戦功→牙門将軍→(漢中争奪戦)→漢中督・鎮遠将軍・漢中太守→(東征中の漢中守備)→鎮北将軍に昇進
諸葛亮時代:(南征中の漢中守備)→督前部・丞相司馬・涼州刺史に昇進→子午の役での活躍→前軍師・仮節・征西大将軍・南鄭侯に昇進→祁山の戦いでの活躍→使持節に昇進 おっと、漢中争奪戦における牙門将軍としての本営守備もね しかし趙雲らも第一次北伐までに独立して動いた記録があるわけだよ >>729
魏延伝って知ってるか?
伝記とはなにか調べてこい🤭 >>728
戦えば勝てるではなく、戦えなければ勝てないだろ。魏に守りを固められたのでは兵数も少なく食糧の補給に難のある蜀としては勝ちようが無い。
魏延擁護派言うことはいつも頓珍漢。 >>726
三国志演義と史実の区別くらいつくようになってから書き込もうな。 >>727
関羽と劉備が大敗したことで多くの人材が失われ皇帝の劉備まで死んだのだから、中央集権というか諸葛亮に権力を集中させるしか無かっただろうよ。
はっきり言って2度の大敗でそのまま滅亡コースでもおかしくなかった。第一次北伐時に魏が油断しまくってたのは滅亡寸前の蜀が復活し攻め込んでくるなど思っていなかったから。魏の予想を遥かに上回る速度で蜀を復興させた諸葛亮の手腕を魏延擁護派理解できていない。 >>729
この時代というか独裁国家では特別に功績が無くとも出世できるんだよ。夏侯楙などなんの功績も実戦経験も無く出世してるだろ。
人材不足の蜀で劉備の死の前後では特に大物武将の死が続き魏延を引き上げざるを得なくなっていた面もある。 >>733
ニワトリちゃんが絵文字を使い始めると議論に勝ち目がなくなって参りましたって合図だから追い詰めてるって考えて良いことは経験的に分かってる。今日も負けたな、お疲れさん >>736
で、これだけの労力をかけて結局のところなにを言いたいの?諸葛亮スゲーって言って貰えれば満足な訳?魏延は雑魚、顔が悪いし気に入らんって万人に認めさせれば満足な訳?今いち、目的が分かんないだな >>738
そう言うのは一言でも反論した上で言おうな🤭
はいどうぞ。
>魏延伝って知ってるか?
伝記とはなにか調べてこい🤭 >>739
何一つ反論できないのでイチャモンだけつけるいつものネトウヨ仕草でしかない🤭
惨めで憐れ🤣 >>740
反論したところで3レス先では忘れてるからシシュポスの苦役なんですよ、どうせ人の言う事の聞く耳なんて持たないんだから反論求めるなんてよせばいいのに。取り巻き見つけて気持ちいい言葉だけ語られて静かに余生を過ごしな、おじいちゃん >>741
ほら始まった、ネトウヨハラスメント、むしろブサヨとでも罵って欲しいって言うのにそもそも議論を楽しむ語彙力が圧倒的に残念なんですよ、ニワトリちゃん >>740
伝記とはなんでしょう?どういう答えを欲しているのかこれについてはちょっと聞いて置きたい。3スレ経つと忘れちゃうんだろうけど >>742
別に俺が忘れたとしても反論して論破した記録は残るし他の人達は理解してくれるだろうよ。お前は反論しないのではなくできないだけだ。
言い訳してなにもしないで逃げ回る。俺がこれまで見てきたネトウヨそのものの習性。お前もネトウヨの自覚があるからこそ馬鹿や愚か者には反応せずネトウヨだけに反応するのだろう🤭 >>744
は?そのレベルの馬鹿か?
辞書も使えないからネトウヨになるんだよカス。 >>745
だからネトウヨの自覚なんてないし、どういう意味合いで使ってるのか不明だけどネトウヨ相手に論戦張ってこてんぱんにやられたんだろうなってのは想像できる。記録が残るっていってもこんなしょうもない言い争いなんて読み飛ばされるのは見えてるし、そもそもこちらの質問に答える意思がないのに一方的に回答を求められてもアンフェアだよね >>746
ほら、そうやってすぐに逃げをうつ、馬鹿なのは自覚してるのでどうぞご教示下さいませ >>747
自覚が無いと言い張ってもネトウヨにだけ異常に反応するのが答えだよ。ネトウヨそのものの反応🤭
都合の悪い文字は読めないくせに書いていない事は勝手に読み取り意味不明な事を言い出す。
反論されると惨めに言い訳して逃げ出すのもネトウヨそのまま。お前は間違いなくネトウヨだ🤣 >>748
なにか揚げ足を取ろうとしているようだが馬鹿では無理だぞ。
恥を晒したいならなにか言ってみろカスウヨ🤭
>ひとりの人の, 生涯 しょうがい のさまざまなできごとを通して,その人の人間 像 ぞう をえがきだそうとする 記録 きろく 。
学研キッズネットより引用 >>748
というか逃げ回ってるのはお前だろ。こちらの反論にたまには反論してみろよ卑怯者🤭 >>749
せめて三国志に関係する内容のコメント残そっか、一応そうゆうスレだし、なんでネトウヨの部分にだけそんなに過剰に反応して質問についてはスルーするのかよく分かんないけどよほどのトラウマがあるんだな、ご愁傷さま、もうそれに免じてネトウヨでいいよ、このスレ内だけでも右翼演じるよ、皇国のためには命も惜しまないよ、それで伝記ってなんですか? >>752
なにが書いてあるのかわからん。日本語が下手すぎる。これもネトウヨの特徴だな。
そして伝記についてはもう答えてあるだろ。それすら理解できないのか?ここまでの馬鹿は相手にできんわ。 >>752
一応言っておくとネトウヨにだけ異常に反応するのはお前だぞ。そこまで日本語が理解できないのか? >>750
え、まさかこんな答えを期待して質問を発していたとは予想の斜め上というか元は>>729についての言及だったので深読みしてしまったのか肩透かしを食らった気分で、どういう意図で>>733を書き込んだのか今度はそこが気になる >>753
馬鹿は相手にできんと言いつつ相手にしてるのは親切なのか同レベルの馬鹿なのか、カンガルーのアスキーアート貼りたい。イケイケの姜維をヤレヤレって見てる張翼の気分 >>755
馬鹿が勝手に深読みして恥を晒しているだけだな🤭
もとは他の魏延擁護派が
>史書は演義や小説じゃない
特定の誰かの武功を事細かく史書に記載すると思う?
などと言っていたので特定の誰かの武功や実績を細かくまとめた物が伝記だと教えてやったんだよ。やはり馬鹿には理解できていなかったか🤣 >>756
お前は魏延擁護派は馬鹿だと知らしめるのにちょうどいい。
無能な働き者は敵にとっては役にたつんだよ🤭 >>758
別にそれほど魏延を擁護したい訳ではないけど諸葛亮と対立してしまったことで長いこと不遇だったのが最近、見直される機運ができてきて、その流れには賛意を示したいという程度。アンチ魏延は魏延に親兄弟でも殺されてるの?ってくらい憎んでてその源泉がどこにあるのか知りたい。 >>759
どうでもいい言い訳はいいからさっさと一つでも反論してみろ無能な働き者よ🤭 >>760
学研キッズネットの引用でここまでドヤ顔とは恐れ入谷の鬼子母神
なんについて反論したらいいですか? >>758
勤勉と思われてる蟻や蜜蜂もいったん巣に戻ったらゴロゴロしてけっこう怠けてるそうですよ(ソースは『ソロモンの指環』)。そんな働き者だなんて褒められることないのでちょっと照れる。 >>761
伝記とはなにかを問題にしている訳じゃないと理解できていないようで🤭
ここまで愚かだと自分が頓珍漢な事を言っている自覚も無さそうだな。
都合の悪い文字は読めないのに書いていない文字は勝手に読んでイチャモンつけてくるネトウヨそのもの🤣 >>762
無能な働き者も知らないのか😮💨
馬鹿には皮肉も通じないからどうしようもない。 >>764
そういう言葉の発生の源も知らないのか、残念すぎる >>763
それでは一体なにを問題としていて最終的にはどうしたいの?全人類が諸葛亮を崇め奉る世を実現させたいの?ネトウヨとしてはそんな社会は受け入れられないな >>765
無能な働き者はゼークトの組織論だぞ。本当に知らなかったようだな🤣
馬鹿は自分の無知さや愚かさを自覚できないから馬鹿なのだとよく分かる。これがネトウヨだよ🤣 >>766
本当に馬鹿だな>>757で言っている事が理解できないのか?
お前はひたすら馬鹿を晒している事にまだ気づいていないのか?ここまで愚かなネトウヨは久しぶりだな🤭 >>767
これについては自分の勘違いだったようだけどまず聞いて欲しい。経営手法にppm分析というのがあって製品や事業の組み合わせを4タイプに分類するもの。花形(star)金のなる木(cash cow)問題児(wild cat)負け犬(hound dog)に分けられる。動物の名前がついている通り動物行動学に由来するものでゼークトの組織論はこの延長と思ってたけど年代的にローレンツよりもゼークトの方が先だったようでこれについてはイチャモンつけたって詰られても仕方ない。すまんかった。 ゼークトと言われると、イゼルローン要塞駐留艦隊司令官の方が先に思い浮かぶ >>702
正史だけ見ると、楊檥が諸葛亮の遺命を利用して、先手を打って、魏延を暴発に追い込んで殺したようにも見える
もし蔣琬が後継者だと知っていたら、魏延も違う選択をしたのだろうか? 後継者が、これまで軍事に関与していなかった蔣琬だと知っていれば、自分は驃騎か車騎将軍、あるいは大将軍となって、政治と軍事で棲み分けできると考えたかもしれない
後で結局揉めることになったかも知れないが、あの時点での暴発はなかった気がする
あるいは、李厳が罷免されていなければ、諸葛亮の思惑を知らないので、序列どおりに李厳が後継者になると思って、暴発を思いとどまったかも知れない 魏延の要求は五丈原での継戦なので撤退しろって言われれば誰でも揉めそう