五胡十六国南北朝を語るスレ18
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
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・晋書簡訳所
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魏書
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資治通鑑
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資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE >>846
苻洛が蕭正徳と同じ扱いなのは泣ける
人格的には天地の差 奸臣扱いされる慕容評、苻洛や最初からクズだった蕭正徳とは違うキャラだが
慕容皝、慕容儁の監督下、そして慕容恪との共同執政期までは
軍事的にも実績を上げ続けてる
誰かから監督されればそれなりに実績をあげるがトップになるとダメなやつ
それとこの時代らしくなく奸臣になっても金が好きで血生臭い暴君的所業や
粛清とかはやっていない
慕容恪死後、王猛にボコられて前燕亡国の汚名を着せられてるけど
あんまり嫌いなやつじゃないな 慕容評の孫の慕容懿は面白い事に
後燕に仕えて鎮西将軍、幽州刺史、上庸公に封じられている
その後北魏に降って平州牧、昌黎王に封じられてる
結構評価されてるのか 後燕の歴史記述なんてバチクソ慕容垂の息掛かってるだろうしなぁ 代王拓跋什翼ケンを弑殺した拓跋寔君と拓跋斤を「この者共は亡国の奸臣であり極悪人である!」と車裂き刑に処した苻堅が
慕容評に関してはいくら慕容垂が「慕容評は亡国の奸臣です!極刑に処すべきです!」と嘆願しても全く取り合わなかったんだよな
それどころか慕容評を地方官にして天寿を全うさせている
慕容評は本当に亡国の奸臣だったんだろうか?と疑問に思うわけで >>855
拓跋寔君と拓跋斤は主弑しだから誅殺
慕容評は亡国の奸臣とはいえ慕容恪生きてれば
前燕滅ぼすのほぼ不可能だったから前秦にとってはある意味恩人
季漢滅亡時の黄皓の例みたいに奸臣生かしておくとそちらにヘイト集まるから
征服者にとっては何かと都合がいい
慕容評が慕容暐を弑してれば苻堅も迷わず慕容評処刑してただろうな >>837国号を成から漢に変えたのは李雄じゃなくて李寿じゃなかった? >>855
そもそも慕容垂からすれば慕容評は自分を亡命に追いやった憎い敵だしな
あと前燕滅亡後のなんかの戦いで慕容垂と慕容暐が共闘してた記憶があるんだがお互い死ぬほど気まずそう >>856
苻堅自身も苻生弑虐した簒奪者なのに「主君を弑するなど言語道断!」的なスタンス取るとかどういうメンタリティしてるんだろうな >>857
国号を成から漢に変えたのは李雄じゃなくて李寿で正解だけど
例えば劉淵が国号を漢にしたのに劉曜が国号を漢から趙(前趙)に変えたけど
変わったのは国号だけで実質漢でも趙でも中身ほぼ同じだから
成も漢も李雄の国の国号という意見もわからんでもない 李寿は即位すると李雄の息がかかった公卿や州郡の長官を全て降格して自らの腹心を後釜に据えた
ついでに李雄の息がかかったと認定された官吏とその親族や関係者をまとめて左遷した
そして、自らの父を漢の始祖として廟を建てて盛大に祀ったのに対して、李雄を大成廟に追いやった
ここまで徹底しているとお前は李雄に恨みでもあるのかと問いたくなる >>859
「あんな石虎と後廃帝足して2倍したような奴、誰かやらんとヤバイからしょうがないだろ!」
石生の扱いといい、符一族は優秀なの多いけど
ちょっと差別が酷い気がする。あれは荒れて当然やわ 実は、当時から苻生暴言説に疑問視されていたんだよな
晋書や魏書の編纂者達は苻生の資料が異常に少なく何者かによって改竄された形跡があると指摘していた
そして、極めつけが洛陽伽藍記に苻生の冤罪を訴える老人の逸話が収録されていること
『史通』の劉知幾先生も「洛陽伽藍記が正しい。苻生は本当に暴言だったのだろうか?」とまで言っている
敗死した姚襄をバラバラにして晒そうという声を無視して立派な墓を作って盛大に弔ってやったという話からして
どうしても暴言だと思えないんだよ >>863
苻洪や苻健に殺されそうになったところを苻堅の父親の苻雄に救われたとかいかにも苻堅や苻法に都合のいいエピソードだしなあ
三羊五眼のエピソード的に隻眼だったのは本当かもしれんが暴君エピソードは盛りに盛られてそう >>865
残虐エピソードは盛られてるにしても苻黄眉や雷弱児と軋轢あったのはマジだろうしその辺りで下からのヘイト買ってそう
先代の苻健から邪魔者は粛清していけって遺言で直々に言われた上、苻生自身まだ若輩で政治力が不足していた結果一族や配下に対し厳しく当たりすぎ、反乱招いたって考えた方が妥当な気はする 洛陽伽藍記に「苻生様は勇を好み酒を嗜んだとはいえ、仁にしてでたらめに人を殺すようなことはなかった。その統治を観るに凶暴とはいえないものであった」という気になる記述があるんだよな
実際に、意外にも苻生は自ら積極的に侵略戦争をした形跡がなく、他国に攻め込まれたから仕方なく応戦した防衛戦ばかりだったのが判明している
しかも、防衛戦で苻生自ら先頭に立って出撃して味方の犠牲を極力抑える形で勝利を収めている 洛陽伽藍記
寺の話しか書いていないと思ったら
結構面白そうだな買って読んでみるか… 苻堅が成功したやつが唐太宗か?
玄武門の変というとんでもない闇を抱えているが中国史のぐう聖君扱い
唐太宗って突厥から天可汗の称号も得てるが、これは後の清の皇帝がモンゴル大ハーンやチベットの主も兼ねてるのの先走りみたいなもんだな
だから形式的にはモンゴルウルスは清に吸収される形で辛亥革命まで存続してたといえる 天可汗さんも流石にロリショタ姉弟丼はやってないからセーフ
そういや天可汗さんも兄貴の息子(甥っ子)は皆殺しにしたけど嫁や娘は殺さず生かしてたんだよな
娘に至っては婿探しまでしてたとか
(長歌行の主人公のモデル) >>871
苻堅自体が成功例だと思う
あのモラルだと、これ以上どんなに成功したとしても石虎クラスになるのが限度
肉親すら信頼できず我儘ばかり通すのでは、存命まで政権安定させたとしても崩御後に政権ぶっ壊れる 戦国武将や江戸時代の殿さまだと男色の話はよくあるけど
(信長×蘭丸、ホモ将軍家光など)
中国の皇帝や臣下将軍ではウホッ!な話はあんまり聞かないな
中国人はあまり同性愛には興味ないって感じかね >>875
言うて断袖の逸話とかあるしな。キリスト教ほど毛嫌いされるでもなく、古代ギリシアほどもてはやされることもなく、そんな感じじゃない? >>868
太宗の兄の李建成も唐の史書には好色酒飲みクソ野郎みたいな評価されたけど資治通鑑には温厚で寛容な人柄だったって評価が出てくるんだよな
洛陽伽藍記も前秦時代から数百年経ってて当時を知る者は生きていないし記録には残っていないのに違う証言が出てくるのが不思議だ >>875
唐でホモを覚えて最澄の弟子をNTRした弘法大師空海の悪口は止めろ >>877
しかし弟の李元吉は擁護されない不思議
擁護されるかされないかはただの
忖度されるかされないかの差だけなのかもしれない >>879
李世民による皇太子である兄・李建成の殺害を正当化する為には皇太子は李世民に敵意は無かったが邪な李元吉が皇太子を焚きつけて
李世民を圧迫したので殺られる前に先手を打って已む無く皇太子と元吉を討ったという筋書きが必要なので”死人に口なし”で李元吉に
責任を被せたのだろう。 >>878
キリスト教の神父はモーホ、仏教の僧侶は延暦寺みたく生臭坊主
というケースが多い気がする 苻堅の苻一族は内乱だらけだし滅ぼした国の君主を民族毎丸々抱えるのは
統一という目的があったのならある意味当然の事のように思える
一視同仁を理想主義者のように言われるけど中華統一を目指す野心家ってイメージなんだわ 苻堅が統一したら末路は煬帝だと思う
一視同仁なのはいいけれど五族の強制的な徙民が伴ってたこと
これは絶対といっていいくらい失敗する
南方に行った鮮卑は疫病にやられたり、東に移った氐は森林を懐かしむだろう
苻堅の性格からしたら頑として撤回しないだろうな
隋の大運河建設と高句麗遠征が命取りになったように民族本拠地の入れ替え策は
統一した前秦の爆弾になるだろう >>879
>>880
あと天可汗さんが元吉の嫁をNTRしたってのめもあるかと
しかし政治的な成果抜きにしたら絵に描いたような五胡君主のムーヴしとるな >>883
実際慕容沖らの勢力の原動力は故郷に帰りたいだったからな
でもそれが慕容沖の命取りになるから皮肉だよな
そしてそれを理解していた姚萇が漁夫の利をかっさらっていくというね >>884
苻堅も慕容垂の嫁寝取ったエピソードあるしホンマコイツらすぎる…… ちなみに天可汗さんのオヤジ(李淵)も家臣の嫁NTR→家臣は左遷とかやってていやホントそういうとこやぞと もし前秦が統一したとして真っ先に反旗翻すのはどの勢力だろうか
慕容部か漢民族なんかね 日本だと一番質悪いの毛利輝元やな
家臣の嫁NTR→家臣殺害→余りのことに呆れたオジキ二人にガチ説教→オジキ二人にチクった人間を探し始める
五胡の暴君でも中々みないムーヴ 劉禅「妻をNTRした上、家臣である夫を処刑とかありえんだろJK そうなったら華北で漢人勢力が台頭してそこから統一王朝が生まれてそう 雄略天皇は南朝ではなく北朝と組む選択肢はなかったの? >>894
でも軍事力は外注だから短命だろうな
最終的に慕容部のお飾りとして皇帝置かれて征服王朝の基礎になると思う どちらにせよ漢化した異民族が中華に王朝つくってゴール
隋唐と変わらんな >>895
雄略天皇が在位したとされる5世紀中期は山東半島は南朝宋の支配下にあったから北朝と組む選択肢はなかったろうな。 >>899
雄略天皇は北魏馬鹿にできないくらい野蛮だろうが 選択肢というか、極東の島国が仕入れられる情報なんか限られてるでしょうよ 百済も北朝方にくら替えさせるとかどうにかしないと
大陸への道自体無くなりそうなんだが >>897
漢化せず統一する可能性があったのは後趙と燕
前者は中華と夷狄の垣根を無くして出自のしがらみを断つタイプで、後者は中華の奴隷化に長けていて慕容こそ至高というイデオロギー作るタイプ
どちらかというと前者の世界が見てみたかったが、前秦からだと後者になるのが残念 >>900
雄略天皇は南朝に朝貢してた癖に
やってる事は北朝の皇帝みたいだよな >>904
家族だろうが関係ねえ!邪魔者は焼き殺すぜ!な世紀末スタイルの君主だからな
「大悪天皇」とか呼ばれるのも納得ですわ >>904
まあ南朝の皇帝も劉宋以降は北朝に負けないくらいヤバいヤツ増えてくるけどな >>906
正直古今東西の王とか皇帝って基本的にヤベェ奴の割合が圧倒的に高くて、聖人とされてる奴は後世忖度が働いて暗黒面が削除されただけなんじゃないかって思えてくる >>903
一時的に平等化しても代を重ねるうちに中華文化に飲まれると思うがな
結局どこかで漢人に憧れる君主が出てくる >>904
>>905
ケータイ天皇のプロパガンダやぞ 蕭整┬蕭儁─蕭楽子─蕭承之┬蕭道生
│ └蕭道成○南斉…
└蕭鎋─蕭副子─蕭道賜─蕭順之┬蕭懿
└蕭衍○梁…
継体天皇は「五世孫」
疑惑の万世一系?皇統交代?はこんな感じだったのかいな
まさか南斉と梁の離れ具合を真似たなんてね
最近は完全な皇統交代説は否定的でやっぱり遠縁であったことは確からしいが 「五世孫」ぐらい離れているともう親戚という感じはしないが
陳陳の初代皇帝陳霸先と玄奘三蔵法師で有名な陳褘とはもっと離れているな
(陳霸先は陳太丘(陳寔)の十六世孫にあたり、「季方難為弟」で知られる陳ェの系統)
(陳褘も陳太丘(陳寔)の子孫だが陳ェとは別系統)
ちなみに陳褘は
曾祖父:陳欽
祖父:陳康
父:陳恵
兄:陳素
なので陳霸先よりも陳陳ぽい家系 継体天皇から確実に続いてるってだけで十分凄いと思うけど
いわゆる万世一系自体は無理があるわな 玄奘が陳室の縁戚とは知らなんだ。
まぁ劉備の自称漢室よりは信憑性有りそう。 >>914
劉備に関しては属尽と呼ばれる漢の皇帝の末裔だが宗室の資格を失った疎遠の親族だった説が有力になっている
そして『典略』の記述から光武帝の兄の系統である臨邑侯の庶流だという説も浮上している
もしも劉備が皇族を騙っているのなら漢の律によってとっくに極刑になっているはずだし
何よりも他の群雄が偽皇族だとここぞとばかりに非難するはずなのに、誰一人として非難していない 訂正
誤…自称漢室
正…自称中山靖王の後胤
後出しみたいで失礼。
言い訳ついでにいずれにせよ漢室を騙るには図々しい気がするが。 大耳のオッサンは推定年齢30前後で郡太守クラス(平原国の相)になってるんでそこらのモブ士大夫じゃないのは確か
五胡~南北朝と比較するとやはり後漢末って年功序列の秩序キッツイからモブ士大夫じゃ郡太守になるのすらキツイ 武廟六十四将に南北朝時代は多いけど五胡十六国時代は少ないよな大乱世なのに >>915
厳罰なのはそういうのがいるからだろうし
光武帝前も自称がいたし
違うって証明は難しいんじゃないかな
最悪事実がばれても自分はそう信じていたって言えるし
俺は天皇の子孫 高師直「天皇なんてそこらへんの木のフィギュアや石ころやR田中一郎でも置いておけば問題ないから自称天皇なんぞなんの価値もないわ」 >>918
北魏の奴とか五胡十六国時代だけどなんか地味なんだよな…トウ羌とかは入っててもいい気がする >>915
>何よりも他の群雄が偽皇族だとここぞとばかりに非難するはずなのに、誰一人として非難していない
何故かこの板には劉氏信仰みたいな傾向あるけど
ぶっちゃけ東漢末期には黄巾族や蛮族にも劉氏いるし
漢室といえるぐらい正統な血統が地方割拠するのに少し有利になった程度で
劉氏のアドバンテージが消えかかっている時代なので劉氏はあまり自慢にならない
劉備が漢中王になった途端反乱続きで不穏な中原が一気に易姓革命へ傾いて
中原の親劉備勢力が雲散霧消するぐらいの逆神的効果
このスレ出入りしていれば五胡十六国時代なんて劉氏がゴミ未満の存在なのが分かるはずなのに
劉裕も劉交の子孫名乗ってみたものの何の箔もつかなかった >>917
劉備よりも明らかにモブ士大夫の孫堅も30前後で太守になっている
東漢末期は意外とモブ士大夫でも太守(相)になれるのだが
最低限のコネと実力は必要
劉備も袁備とか宏備とか変な名前でも公孫瓚のコネあれば太守(相)になってるだろう >>923
ハハハこのスレに出入りしてんのに劉淵忘れてんのすごいですね そもそも沛郡劉氏がそんなに尊いのなら
五胡十六国南北朝時代には琅邪王氏や陳郡謝氏と権勢肩を並べてもおかしくないのだが
実際に五胡十六国南北朝時代以降の沛郡劉氏はほぼ存在消えている
沛郡劉氏なんて清河崔氏とか呉郡陸氏とかと比べても歴史半分以下しかないぽっと出の成り上がりでしかない
なので五胡十六国南北朝時代を経て沛郡劉氏は本来の姿に戻ったともいえよう >>925
劉淵は沛郡劉氏の血は引いているが沛郡劉氏ではないからな
漢名乗っていたものの結局自ら漢捨てて趙名乗ってるから
劉淵を沛郡劉氏と一緒にしたら失礼だろ >>923
劉備が漢中王になった直後は中原に反乱が頻発してたでしょ(漢中王効果かどうかは知らんが)
中原の親劉備勢力が消えるのは劉備が皇帝になってから
皇帝になったことで中原の士大夫が劉備に失望したという記述があるしな >>918
祖逖が選ばれてないのが意外に感じてしまう
どうも祖逖は過小評価されてる気がする >>929
218年正月 吉本の乱
218年10月〜219年正月 侯音の乱
219年9月 魏諷の乱
219年 秋 劉備漢中王僭称
首謀者のわからない群盗騒ぎとか辺境の異民族系反乱とか除くと
中原の親劉備勢力が消えるのは劉備漢中王僭称以降ともとれる
他に大きな反乱あったら御指摘よろ >>929
献帝が文帝に禅譲したからじゃないのか?
劉備の皇帝僭称なんて最早大した意味も無かっただろうよ。 演技での「劉皇叔万歳!」ぶりを史実と異なると批判するのはわかる
だからといって後漢期に劉氏の格が地に堕ちて名乗り放題だったかと言えばまったくそうではない
実際世にでる前の暮らしも庶民のそれじゃないもの
何にせよ劉備は劉姓の末端として記録されていて
かつ当時の社会でも自然に受け入れられてた訳なので
否定するなら林羅山みたいな推測じゃなくて根拠がいる >>933
言ってる事はある意味正しいとは思うが
ここは五胡十六国南北朝時代を語るスレなので
スレタイ的にはスレの趣旨から外れてるので
該当スレで続きされた方が 雲行きが怪しくなってきたから言ってんだろジジイ、調子に乗るなハゲ しかし後漢期に劉氏の格が地に堕ちて
名乗り放題だったかと言えばまったくそうではないのは確かだが
五胡十六国時代には既に劉氏の格が地に堕ちてるのは明らかで
どうしてこうなったのかには興味深いのだが興味無い人多いのかな >>923は劉氏である事と漢室に連なる事をイコールで話してるけど
そもそも漢と無関係な元々の劉氏を皆改姓させた記録ってあったっけ? >>908
それは
文化が中華>胡であることが明確かつ
胡が中華に対しアイデンティティが保てない
場合に発生する現象
そうなると大抵中華のモノマネで終わる
隋から北周イズムへの揺り戻しを行い異文化を奨励した唐
クビライをも中華浸透はしない方針を貫いた元
逆に髪型や服などを唐式から満州式に置き換えた清
を見るに、ある一定の閾値を超えたら中華に染まるのではなく中華が異文明に染められる
四夷思想に抗えなかった唐ですら大幅な変革となってるのだから
二百年早い異文化奨励
九百年早い征服王朝の誕生
今までなし得なかった中華思想の卒業or昇華
を期待してしまう
冉魏はこういう可能性の中でも下の下(漢人に憧れるだけの無知な馬鹿による、徹底的な異民族絶滅主義)の結果っていうのが不憫だが 母系から乗っ取られるからな。北魏でも子貴母死をやめたら瞬時に外戚が専横してきたり。子貴母死正当化のために、わざと信頼できる身内に専横させたかのようだ。 >>910
陛下の玉音にもあるけど、我が国の歴史は1400年。 >>941
それらは中華への免疫が違うよ
元はモンゴル帝国として世界中と触れ合った経験が根底にあって、文明を相対的に見られる目が宋を滅ぼした時点で既に育ちきっていたから、結局モンゴル全体としては漢化しなかった
清は金時代から中華と交流していた
加えて漢化という(周代や五胡時代、元代も含めての)歴史を知りえたし、自他の統治法や性質の違いを熟知していたのもある
それで漢化への予防線を張れた
唐の場合は、逆に胡が漢主導で彼らに同化していく総仕上げの時代だったんじゃないか
胡由来の刺々した文化が漢を揺らしたのが五胡時代、その角が落ちてきたのが南北~唐代
途中で何度か反動があったものの
五代の混乱を経て完全に丸くなった
結果、漢意識の塊みたいな宋が出来た
幞頭や官服の変遷を調べると胡が中華に飲まれていく様子がよくわかって面白いよ >>930
史書によると石虎に負けてるし、石勒に勝ったと言っても石勒自体かなり負けの多い武将(最後には毎回勝つだけで)だし。あと当時の歴史の流れにそこまで影響与えたかって言うと微妙。東晋存亡の危機を救った陶侃や謝玄の方が功績大きいと思う。 儒教的には父系絶対だが、
劉淵が劉邦からの正統を名乗ったのは母系からだな
実際、前漢から匈奴へ降嫁は続けてたので、実際に母系から血を引いてた可能性は高い 春秋の晋も母系っぽい
中山も母系理由に姫姓を名乗れているし
呉とかも怪しいけど晋は古すぎてよく分からなくなっていたっぽい
金文で初代が武王を左右したとかあって武王の子じゃなさそうだし 日本の歴史は1400年って教科書の知識からすると違和感あるけど、倭と大和を別の国扱いしてるのかな? 白村江で滅んだ倭の代わりに、畿内が中心の唐フランチャイズ国家の大和が勃興し、それが今の日本だと。 >>944
漢意識の塊は明
宋はあくまでテュルク系の順応で唐を継承しただけで、中華意識は弱い
征服王朝を黙認してるのとか良い例
(本来なら永楽帝や煬帝、司馬昭司馬炎のように屈服か絶滅させる対象)
んで唐が胡が漢主導で同化せざるを得なくなったのは、北魏の軛が元凶
いくら宇文泰が鮮卑を持て囃しても、過去に鮮卑<<<<<<<<<<<<<<<<<<漢って価値を御用学者が知らしめたのは払拭できない
故に最後は箔付けに漢民族に背乗りせざるを得なかった
これに束縛されない後趙や前後燕がいかに魅力的なことか 天皇号は唐高宗からが定説だけど
天王は天皇の古称ともされてるので
十六国由来かもしれない
初めて「天王」号を名乗ったのは靳準なんだよなあ
皇帝を名乗らなかったのは親晋意識から皇帝から一歩下がった号とした
匈奴劉氏以上のエリート匈奴、屠各種の靳準が親晋派になったのか不思議だ
この時期だと親漢派というとどっちかわからなくなってしまう
漢民族か漢趙かで >>949
黙認はせざるを得ないからするもので中華意識がない証にはならないし、実際宋も理念的には相当うるさい
むしろ明より拗らせてると言えるかもしれん レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。